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はてなキーワード: 聖典とは

2016-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20161204180828

キモくて金のないおっさん馬鹿から発言権なんてない。彼ら正しき人々が嫌うのは馬鹿な人々で、馬鹿馬鹿にすることは正当な権利であると彼らの聖典には書いてある。

2016-11-25

http://anond.hatelabo.jp/20161124064919

僕はクリスチャン信仰は良いものだと思います

なので信仰者としての立場を極力排してなぜ胡散臭いのか、本当はどうなのかを考えてみます

なぜ胡散臭いのか

最初からいいますが、僕は新興宗教自体胡散臭いとは考えていません。

身も蓋もない言い方ですが、キリスト教ユダヤ教新興宗教ですし、仏教日蓮宗浄土宗臨済宗密教系とは重要教義が異なっています

私はカソリックですが、米大統領選でも注目されるモルモン教福音派などのプロテスタントは明らかに新興だと言えます

基本的なことですが、この点をまず明らかにしておきたいと思います

ではなにが胡散臭いのかというと、相当分がみなさんと宗教の接点ですれ違いが起こっていることになります

そして悲しいことですが、本気で胡散臭い活動も当然ながらあります

布教のやりかた

宗教からみなさんへの第一の接点は布教活動になると思います

僕が通っていた大学でも注意書きが掲示されていましたが、家に押し掛けてくるのは胡散臭さレベルが高いので敬遠するのに越したことはないでしょう。

商売と一緒で「売ってくれ」とお客さんが来るのが最高の営業ですが、現代日本ではこれはほとんど期待できないでしょう。

ではどのように新しい信者を獲得するかというと、団体としての活動宗教活動を通じてということになります

お金の使い方

代表的新興宗教には宗教活動以外にも莫大なお金をつぎ込んでいるものがあります

PL教団花火大会や、米ソルトレークシティモルモン教大寺院などはその代表的ものです。

このような活動には伝統的な宗教も古くから関与してきました。宗教伝統的に文化芸能活動庇護者であったのです。

長い歴史の中ではそれに対する反発もありましたが、現代日本でもその恩恵に多く与ることができます

例えば東京観光京都観光には寺社仏閣がつきものですが、その観光価値一般の方には庭園天井画や襖絵、建造物にあるのが現実だと思います

そのような文化活動信者と、一般の方の両方に働きかけるもので、難解な教義を介さない身近な存在として宗教を感じてもらうことができるのだと思います

新興宗教には巨大、特徴的な寺院を建造するところが多くあると思いますがこの理由ちょっとわかりません。

ただこのような建造物を建てたからと言って、教主や教団幹部の懐に直接お金が入るわけではないということは留意しなければならないでしょう。

教義の難しさ

教義信仰者にとっても難しいものです。カソリックでは洗礼を受けるにはちゃんと勉強をして認められなければなりません。

本来ならばどの宗教でも教父にあたる方に接するのが第一歩になるでしょう。

ただ、いきなり相手ホームグラウンドに行くのは恐いですから興味のあるお寺(教会)に電話してみるのはいかがでしょうか?

自分の考えていることを吐露してそれで答えが受け入れられないものであれば、それは相手方の落ち度でしょう。

元増田アプローチは、まず文字に当たるということですが、どの宗教でもその本質活動です。

wikipediaは参考文献に含まれない」とはよく言ったもので少なくとも宗教で学ぶというのは不適当ではあると思います

完全に新興の宗教は別として、多くの新興宗教既存宗教派生です。なのでそれぞれの教義には数百年単位の積み重ねがあり、

一人でそれを理解しようというのはだれにとっても不可能でしょう。ただしその本質というものシンプルで良いものであると私は信じています

宗教政治

長い人類歴史の中では宗教歴史が分離されていたことの方が少ないでしょう。

それはさておき、宗教政治無視できないのは宗教が人の本質アプローチするものからです。

人の生活に直結する政治とはどうしても重なる部分があるということが宗教政治に関わっていく要因でしょう。

宗教非科学的か

波動」や「飛行」というのを聞いたときの胡散臭さは相当リアルに感じます

それはそれとして一歩引いてみれば仏教用語因果因縁、「宇」や「宙」というのは非科学的な概念ではないでしょうか。

これらを科学的に検証することはできませんが、明らかに科学矛盾するものとしてキリスト教進化論地動説否定があります

私自身は技術者として生計をたてていて、人は猿から進化して、地球太陽の周りを回っていると思います

しかしその部分がどの程度まで宗教本質を損なうでしょうか。

非科学的ということが宗教を損なうのはその真実性を損なうからだと思います

これはどこの宗教もつものだと思います検証不可能なことは証明できませんし聖典多面的な読み方ができるため科学的な検証には向いていません。

聖典が正しければ寺院教会)・教義は正しい」そして「寺院教会)・教義は正しければ聖典は正しい」というような循環論法に陥りがちです。

これに対しては僕が言えるのは「あなた自身の考えて」という月並みものです。あなたが一歩を踏み出してよい教えに導いてもらえることをお祈りしています

2016-08-16

中国人友達の『シン・ゴジラ感想

シン・ゴジラ中国人友達28歳♂(日本大学学位取得後、仕事日本で見つけて働いている)と一緒に見に行った。

俺にとっては2回目の鑑賞、彼にとっては初見だったが、めちゃくちゃはまったらしく、結局、もう一回みることに。

その後、お茶しながら、彼がいろいろと感想を語ってくれたのだが、興味深かったので書き残しておく。

(※彼の承諾はうけています


1. ゴジラ怖すぎ、強すぎ

レジェダリー版のゴジラは見たことがあるという友人。あらゆる武器がほぼ無効シン・ゴジラ絶望しか感じなかったとのこと。

個人的には、レジェダリー版の方が防御力最強のような気もするが。ま、撃ってみなければ分からないが)

第二形態気持ち悪すぎてみてられなかったらしい


2. けど、日本語早すぎて聞き取れない箇所多数

1回目の鑑賞では流れを追うことも出来なかったぽい。ヘリコプターのシーンの意味が分かったのは2回目で、ようやくありえないことが起こっていることがわかったとのこと。

あんなシーン、中国では作れるはずがないし、たぶんハリウッドでもなさそう。やはり日本人はどこかおかしいとのこと。


3. 自衛隊すごい、反面・・・

自衛隊士気の高さ、統率の取れ方、精確な攻撃に驚いたとのこと。おそらく建国期・朝鮮戦争辺りの中国も、少なくとも士気の高さでは日本には劣らないはずだが、

それ以外の点では劣る要素しかないのではと思った。というより、映画で思ったのは、もし上海とかにゴジラがやってきたらどうなるかということ。

自衛隊なら映画と同じように守ってくれそうだが、たぶん、中国ではそう上手くいかない。そして、なによりも、アメリカとか他国が助けてくれない。

この点に打ちひしがれたとのこと


4. 民主主義底力なのか?

はじめの長ったらしい閣議と後手後手の対応日本人風刺をするのだなと思ったが、それがそのうちに無くなり、洗練され挙国一致になる様は驚かされたとのこと。

政治家権力争いも特に無く、住民も素直に誘導に従っている。非常事態に際して、なぜ政府を信頼し続けられるのか。欧米日本映画空気のように当たり前に描かれる

現象中国人もっと目を向けるべきではとのこと。


結論 中国ではたぶん上映禁止

シン・ゴジラは、東京破壊されるので、一見中国政府好みのようだが、公開を許すと徐々に反体制派の聖典的な扱いになりかねないのではとのこと。

幸いシン・ゴジラは、かなり暴力的なので当局はそれを理由に上映禁止にできるので、たぶんそうしたほうがいいんじゃないかとも言っていた。


その他、石原さとみ上院議員の娘なのに柄悪すぎて笑ったとか、次の首都福岡なのか?とかも話にあがった。


なんか、僕が知らないだけでいろいろと間違っていることも多いような気もするけど、知日派のお隣の外国人感想ひとつとしては面白いのかなと思って書かせていただきました。

2016-08-15

100年後の歴史教科書には、創価学会幸福の科学が、当時を代表する宗教として記載され、受験生創始者聖典名前を頑張って暗記すると思うと感慨深い。

2016-08-01

はてなーってなんでも突っ込み入れるけど聖典とかないの?

なんでもいいんだけどさ、あまりにも突っ込み芸が過ぎるよ君達

家族の形に突っ込みいれてる人とかもいるけどさ、無根拠に間違っていてもこれだけは信じているよってのないの?

キリスト教聖書とか儒教における論語みたいなもの

聖書もあれは突っ込みどころ満載だけど無手でみんな信じてるよね、コーランとかもそうだけど

はてなにとってこれだけは突っ込みを入れない、完全に手放しで妄信してますっていうの何?誰?

はてなー主語がでかいので個人でいいんだけどみんないったい何を信じてるの?

2016-07-29

[] アザーン

アザーン(اذان adhān)は、イスラム教における礼拝サラート)への呼び掛けのこと。

ユダヤ教のラッパ、キリスト教の鐘と同じような役割をしているが、肉声で行われることに特徴がある。

「神は偉大なり」という意の句「アッラーフアクバル」の四度の繰り返しから始まる。

  

イスラム教旅行記ではしばしばアザーンを指して「一日5モスクから流れるコーランの朗誦」といった記述が見られるが、

アザーン礼拝への呼び掛けであって、コーランの朗誦ではない。

  

イスラム教ではアザーンと一緒に音楽を流すことは禁じられている。

そもそも、イスラム教正統派は、教義上、音楽官能快楽をもたらすハラームとして容認してはいいかである

聖典読誦であるキラーアやアザーン等の詩歌は、音楽的な要素を加えられても音楽では無い物として扱われる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%B3

2016-05-07

http://anond.hatelabo.jp/20160507175505

アニメに限らないけど作品聖典や悪の権化に仕立て上げてそれに対して同じようなアプローチをする人間同士で集まってカルトごっこしちゃってる人が多すぎるとは思うね。

2016-04-16

いいね〟の数で人が死ぬ。それが国を弱らせる。

人の評価で人が死ぬという事態がどれだけ恐ろしいことかを知った方がいい。

巷でたまに人事評価に使われている360度評価ってやつは、あれは闇だ。恐ろしい制度だ。

 拝金主義の良いところは『とりあえずお金稼いでればどれだけ人格が糞でもとりあえずは生きていける』というところ

結局、人格なんていくらでも否定しようと思えば否定できるんだよ、

究極的な話、単にそいつが人気かそうでないか、それだけなんだから

360°評価だとか、人間性がどうとか社会性がどうとかい論議の恐ろしさは、元来労働者しかない存在評価アイドル声優と同じ土俵にまで上げてしまうことを意味する。

そういう不安定な職業につきたくないから、安定したサラリーマンを選んだはずなのに、労働によって何らかの経済的価値還元しているはずなのに、

どういうわけか結局アイドル声優と同じような人気度の評価そいつ経済価値が決まるという恐ろしい現象を生む。

はっきり言うが、人に好かれるために生きる人生ってのはクソだ。

『不必要人間なんていない』なんて言葉は戯言に聞こえるかもしれないが、実は経済の仕組みを考えると『不必要人間はいない』ことをわりと簡単に立証できる。

学問的に言っても、やはり『いなくていい存在なんてのは〝いない〟』のだ。人は死ぬまで何かを消費し、生き続け、存在し続けるだけで何らかの貢献をしている。

 人間が増えないと経済は発展しない。また存在し続けることそのもので人には価値がある。

経済を支える根本的な思想は『人がそこにいて何かを消費し続けること』だ。消費を続けることには勇気がいる。信用が必要だ。

この消費によって回転が続くことこそ、経済の発展と社会の発展だ。それが個人の生存を容易にする。そのシステムの回転を信じて活動する人間の総数の和が多ければ多いほど、その社会経済は強くなる。

日本円リスクヘッジに選ばれる理由は、相互信頼システム機能していたからだ。戦争経験した世代が持つ共通認識がそれを可能にした。大きなストーリー社会にあったから、だからシステムが上手に機能していた。

原理原則にそって考えれば、巷で言われているような『老害』だの『不必要人材』だのという存在ほとんどいない。認知症を抱えたご老体ですら、施設に入って何らかの消費活動をしている以上は、経済活動に携わる重要ひとつ構成要素だ。

そのご老体という資本が生み出す年金によって福祉施設収益を得ている。

死ぬまで誰かの役に立つことが出来る。いなくていい、要らない存在なんてない。それが本来経済システムだ。

必要から施設に入れられているわけではない。

循環することが本質なのだから、その媒介として存在しつづけることと、経済活動を続けることこそがその人の価値である

どんな人間にも、極悪人であったとしても何らかのポジションがある。それが経済原理

ロード・オブ・ザ・リングガンダルフがゴラム言及したときに使った言葉は注目に値する。

〝『善か悪かはともかく、ゴラムにはまだ役割があるとな。そのときが来れば、ビルボ憐れみが多くのもの運命を決することになるかもしれん』〟


どんなクズ人間でも何らかの形でそこにいる理由がある。

いつその理由が明かされるかは不明だが、ひとまずそっとしておいた方がいい。

アダムが述べた〝見えざる手〟は、いちいち評価見える化しなくとも、水面下で勝手に進んでく。

良かったか悪かったか最後になってみないと分からない。

だが経済原理のものが消費を前提にしている以上は、ひとまず参加者全員が構成員であり、敗者もまたひとつ役回りしかないことを肝に銘じるべきだ。

世界ストーリー必要とされているのはそこに信用システム機能するからであり、本質的には経済ひとつ宗教しかないのだから、ある思想ストーリーの元で弱者、あるいは低評価であるからと言って絶望すべきではない。

今後評価経済さらされた個人は、現代においてはもはや単なる労働者というひとつジャンルとしてではなく、一個人として全方位から評価さらされる激烈な世界へと突入することになるのかもしれない。

そのときでも希望を失うわけではない理由として、経済原理さらされた労働者状態を簡単に説明している有名な宗教聖典言葉を引き合いに出すことがふさわしいと考える。

『あらゆる面で圧迫されながらも

動きが取れないほど締めつけられているわけではなく

困惑させられながらも

逃れ道が全くないわけではなく

迫害されながらも

見捨てられているわけではなく

倒されながらも

滅ぼされているわけではありません』

まりほどよく生きて、ほどよく消費して、なにもかも思い通りになるわけではないが、何もかも思い通りにならないわけでもなく

惰性で生きていけるほどに楽ではないが、死ぬほど辛いということもない世界で生き続けるのだ。

そして最終的に物事は収まるところへと収まるということを知りながら、

2015-12-06

http://anond.hatelabo.jp/smallman/20151129

タダの慣れじゃねえかなあ。別に相手はなんも意識してないし、気にしてんのは本人だけってパターンじゃないんですかねえ。

はい自意識過剰の感があり。慣れたらいいんでしょうけど、慣れた人たちはどのように慣れた(成れた)のだろうと。

美少女といわず美人全般と話すと疲れる。あれはなんだろう。

なんだろう。

進捗

2015-10-03

http://anond.hatelabo.jp/20151003221114

よくわからないけどおもしろい。

宗教もっと手軽に利用できるサービスであってほしいよね。

うさんくさい雰囲気とか高額な寄付金とか社会的信用・評価あれこれ問われずにさ、カウンセリング利用してる、くらいの感覚で。

仏教キリスト教イスラム教文庫聖典の類は読んだ。楽になるならなんだっていいんだよね。

今の日本には心の拠り所は家族友達がいなけりゃ、いのちの電話的な公的サービスくらいなんだろうか。

2015-09-04

「大きく振りかぶって」の作者が昔書いた作品を読んだ後に考える、現在の若年層におけるよりどころの在処について

vipで書いた事のメモ転載

誰かが刺激され、現代の若年層における現実の味気なさや不安に対抗するためのよりどころの特徴について考察してくれたら嬉しい


――ここから全部転載

結局、誰もがレールをしかれて機械みたいに生産され続けてると、生きている意味を見失うんだろうな

セカイ系流行るわけで

結局、そういう実存とか生の感覚とかリアルさとかを浮き彫りにするための道具なんだろうな

酒やドラッグセックス喧嘩リンチ暴力いじめ犯罪虐待戦争人類危機などなど

全部が全部、真剣に向き合わざるを得ないような事ばかりで

からこそ人の目を惹くんだろうが

80年代の砂のような時代からは、どの漫画希薄現実を打ち消すような作品が多かった気がする

いわゆるヤンキー的な文化がもてはやされたし、現実でもそういうのが多かった

現実の味気なさに耐えきれない若年層のよりどころとして存在していたんだろうと思う

現実にそれを求めた時にヤンキーになり、作品に求めた時にサブカルチャーになるだけで

00年代ではそれがエヴァ最終兵器彼女のようなセカイ系に取って代わられたわけで

10年代はどういうもの現実空虚さに耐えるためのよりどころとして存在してるんだろうか

全体的には、おそらく00年代を通過した事で「外出すること」が少なくなった気がする

他者とのつながりに、救いを求めるような傾向が減ってきている感覚がある


行動化をしない代わりに、より鬱屈とした集団が出来上がっている

しかすると、その源流にある薄ら暗さはオウムであるかもしれないし、酒鬼薔薇かもしれない

原型としては、意外と村上春樹なのかも知れないが

ひたすら自己に潜っていくという意味では、村上作品聖典とする世代が今の若年層のメインなのかもしれない

そういう意味で、いわゆる00年代から萌芽した新ジャンルスレSSスレが読み解くカギなのかもしれない

また、小説家になろうなどの小説コミュニティもその一端を握るだろうし

ニコニコ動画でのストーリー付き楽曲についても、影響力があるのかも知れない

それらに共通するテーマこそが、今の若年層のよりどころとなっているのだろう

2015-08-24

http://anond.hatelabo.jp/20150824154356

増田ハディース学を知らないのかな?

イスラーム聖典の一つであるハディースには「イスナード伝承経路)」と呼ばれるセンテンスがあって、各パラグラフは次のような構成になっていることが多いんだ。

「「「「「~」と、ムハンマドが言った」と、アル・ナントカが言った」と、アブドゥルナントカが言った」と、イブン・アル・ナントカが言った」

本文だけ読みたい非イスラーム教徒が見るとうんざりするような引用の入れ子だけど、当時においてはこのイスナード存在が「出典の担保」という重要な役目を果たしていたんだ。ムハンマド死後の神学者重要仕事は、イスナードに現れる学者名前をすべてクロスチェックし、信用できる引用とそうでない引用を分けることだった。だからイスラーム神学実証主義歴史学の走りだと言う人もいる。

 

さて我々が倫理価値観などについて議論を戦わせる時は、引用を重ねるよりも意味を確かめることを重視するよね。「つまりこういうことかい?」と言い換えて理解のすり合わせを行うこともあるだろう。論理妥当性をめぐって話し合っているのだから論理が正しく伝わるかぎり表現には変化の余地がある。間違って伝わっていたなら改めて別の表現で伝え直してもいい。

しかし究極に高まった存在である高能様のお言葉を読むときには、「こういう意味かな?」などと自分なりの解釈を試みてはいけない。それはお言葉論理の枷をあてはめようとする冒涜行為となる。そうではなくお言葉テクストと捉えて歴史学アプローチ採用し、他分野の人にとっては冗長とも見えるような引用を用いてでも、「一言一句誤りなく伝わっているか?」を重視する必要があるんだ。伝承真正性さえ確かならば意味や角度について思い悩む必要はないんだよ。それらは人生の中でおのずと明らかになるはずだから

 

※括弧の数を直すついでにちょっと編集しました

2015-07-25

http://anond.hatelabo.jp/20150725002048

http://anond.hatelabo.jp/20150710135247

これを書いた増田だけどさ、「憲法学者」にとっての「日本国憲法」というのは「イスラム教徒(ムスリム)」にとっての「コーラン(クルアーン)」みたいな存在なわけ。

からおおっぴらに「聖典についてどう思いますか」と質問したら「変えるべきではない」、それに反する存在(自衛隊)や状況(平和安全法制)は「是正されるべき」としか答えようがないんだよね。

2015-06-26

おっさんニート改憲について語るよ

ゲーム提案


こんにちは自分は41歳の鬱病ニートです。一応まだ会社に籍はありますが、風前の灯です。年収は750万ですが、来月の給料は振り込まれないかもしれません。


さて、そんな自分が、有り余る暇と、借りてきた知識と、浅はかな理解を総動員して、以下、改憲について語ってみました。

しかし、しょせん居酒屋政治談義レベルです。あちこちに穴があろうかと思います。偉そうに語りながら自ら政治的活動を取ることは絶対にない、実行する立場で考えていない現実性のなさなど、大嫌いな民主党と同じです。立場の違いによって意見が異なる方も大勢いることでしょう。薬を飲んでいて集中力が持たないので、文章精緻とは言いがたい。

そこで諸賢にゲーム提案したい。

以下の駄文あなた立場で好きにブラッシュアップして、トラバにぶら下げてみてほしい。それぞれの記事ブコメの侃々諤々も楽しみたい。それで、改憲についての理解を深めさせてほしい。


憲法とは

(念のため:「憲法」=「日本国憲法」として書きます


国民基本的人権国際平和基準に、国体国家権力範囲規定したものだと捉えています


改憲憲法解釈について・あるいは護憲としての改憲


 集団的自衛権法整備について、”憲法解釈”で侃々諤々になっています自分も、今の進め方では法案違憲だと考えていますが、そもそもの問題は、憲法を不改常典のごとく扱うことだと思っています


 一般論として、人の作った物はなんであれどこかに不備があり、経年劣化も起こし、時代とともに実情に合わなくなっていきます一神教啓典の民のみなさんが、聖典と実情の辻褄合わせにいかに苦労しているかは、日々ニュースを見ていれば自明です(聖典を人の作った物とする点、信者ではない愚かな人間の考えですので敬虔信者の方々はご容赦ください)。”憲法解釈”もまた、穏健派イスラム法学者クルアーンほかと現代の実情の辻褄合わせに「解釈」を以て臨むことに似ています

 両者に相通ずるのは、「解釈」とは、変えられない記述に対して現状を容認(その程度は議論によってはかられるものの)することを先ず目的とし、換骨奪胎を試み、不都合記述実効性をなくす点です。そのあたりを原典に対する欺瞞(あるいは冒涜)だとして攻撃するのが、イスラムで例えればいわゆる原理主義であり、憲法では護憲派と言われる人たちの一部だと認識しています


 しか憲法は、一神教聖典とは異なります憲法は、自らが国民意思によって改められることを認めています。不改の聖典ではないことを条文の中で表明しています。古びて時代に合わなくなったところは、十分な議論の下で速やかに更新し、実情に合わせて憲法合理性を常に維持する。そのことで「解釈」の余地を減らし、国権制限するという憲法機能のもの実効性を維持する。そのような合理性をもともと憲法は備えています


憲法解釈”による憲法の死文化機能喪失を防ぎ、違憲状態国権発動を防ぐためにこそ、改憲提案とその議論は常に行われるべきです。それが本当の積極的護憲」だと考えますしかし、現在のような、翼賛体制でもない限り超えられないような鉄壁ハードルがあっては、投票国民一人一人の意思の反映)を前提とした議論は起こり得ず、従って適切な更新も為されません。そして現に今、変えられないなら憲法を死文化してしまえとばかりに、相当無理のある”憲法解釈”が強行されようとしています


護憲派のみなさんへ


 あなたがたが第一に「護」りたいのは、憲法機能のものなのか。特定の条文なのか。はじめにそこを整理してほしい。


 前者であるなら、上述の通り、改憲積極的に認めるべきです。繰り返しになりますが、改憲憲法の中で保障されている国民権利ひとつです。いかなる思想があろうとも、これを否定することは前者の意味での「護憲」と矛盾すると考えています

 後者であるのなら、その条文の是非を問う投票を通して、国民に白黒はっきりしろと突きつけるべきです。そのための議論の中で、あなたたちの考えを訴えるべきです。条文を護るために改憲手続きのもの否定し、国民投票をさせないというベクトルは、上述の通り自分の目から憲法意志に反すると映るし、主権者たる国民とその権利を軽視するものだと思っています


 さて、そこで提案です。

 “解釈”による憲法無効化を阻むためにも、いまここで、あなた方のサイドから憲法改正を訴えませんか?たとえば、現状の九条から解釈余地を削り、よりあなたがたの望みに沿う条文にするとか。そして、「改正可能にする」という一点で改憲派連携し、”解釈”と対峙しませんか?

 もちろん、改憲派から出させる対案の中には、あなたがたが受け入れることができないものもあるでしょう。しかし、選ぶのは国民です。憲法がそれを保障しています


 同じことの言い換えでしかありませんが、繰り返します。

 後生大事特定の条文だけを護っても、憲法のもの実効性が失われれば無意味です。


改憲派のみなさんへ


 護憲にもいろいろあるように、ひとくくりに「改憲派」といってもいろんな考えがあろうと思いますしかし、条文を改めてまで、なお憲法を維持しようとする一点では、護憲的とも言えます。そこについては、上述の通り、護憲派連携する余地があると思っています


 あなた改憲の後に実現すべきと考えている政策が、今の政権の”解釈”の末にあるものとたとえ一致したとしても、憲法の箍がはめられているか否かの違いは後の世に対して非常に大きなものがあります国権制限する憲法機能喪失している状態を容認してしまえば、いまの政権暴走しなかったとしても(あるいは今の政権なら暴走しても容認できる、とあなたが考えるにしても)、後のあらゆる政権にその選択を許すことになります

 数年前、日本国民民主党政権を選びました。同じように、後の世がどのような政権を選ぶかは分かりません。今のあなたにはとても支持できないような政権が生まれたとして、そこにも等しく暴走余地が残されます暴走する○○党政権(○○にお好みの政党を当ててください)。おそろしい。


 そんな事態を避けるためにも

 政策的に結果オーライではなく、その手続きが法を逸脱することについてはNOを突きつけませんか?数が必要なら、護憲派も引き入れて。


 民主主義とは、すなわち手続きでもあります国民付託を請けた行政のあらゆる意思決定手続きを通して公にされ、それを国民監視することが国民主権の根幹にあります。多少煩わしく、遠回りがあったとしても、それはいわゆる「民主主義コスト」です。この先も日本健全民主主義国家であり続け、国際社会の中で世界に誇れる国であるために必要なことだと思います

2015-06-15

聖典を文字通りに受け取ろうとする態度」

http://wikiwiki.jp/toukentrpk1/?FrontPage

トレパクと呼ばれる事象について、ごく一部いらっしゃる必死すぎる人の思考理解できない。

独自性のある表現で、参照・参考・引用文脈に則っていないものは宜しくない。それは解る。

しかし、どう考えても普遍的表現だろうというものにまでケチを付け始めるのは何なんだろうか。

坊主憎けりゃの精神なのか。原理主義を貫くと、いつか「原理」に自分が刺されると思うのだ。

2015-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20150607042259

神や死後の世界存在するかもしれんと言うことまでは認められても

聖書クルアーン法華経とかの聖典が正しいと思える理由わからん

いかにも昔の人が考えたおとぎ話だなと言う風にしか見えん

2015-01-13

人はなぜアドラー心理学に騙されるのか

理屈通りにいかない事が世の中に存在することに耐えられないとき人は屁理屈に騙される。

ニセ科学古典宗教カルト呪術、昔から人間ってのは理屈存在しないものに強引にでも理屈をつけてくれる存在をやたらとありがたがる。

人間の様々な感情パラドックス二律背反は全てそれらが『目的』に根ざしているかである」という甘い言葉によって自分コントロールしきれないい感情理解しきれない他者感情を強引に理解してしまおうとする事こそがアドラー心理学の根幹である

それはある種の怠惰だ。

説明しきれない物にとりあえずの説明をつけてひとまず蓋をする。大人が子供に「赤ちゃんコウノトリキャベツ畑にインサートしてアッフンするんだよ」と説明するのが面倒だから適当な嘘をついてごまかすのと同じだ。

理屈を完全につけきることが出来ないもの存在する」というストレスに向き合う勇気のない者達の聖典としてアドラー心理学は崇められているにすぎないのだ。

2014-09-19

様々な聖典を読んで気付いたのは数千年前から人の悩みがほとんど変わってないらしいこと

2014-06-21

http://anond.hatelabo.jp/20140621082551

普段からネトウヨ歴史修正主義者と批判するくせに、いざ自分たちが聖典や御旗とするものに手が入りそうになると、それが真実か否か関係なく、徹底的に批判するのが日本左翼

ちょっと前は、改憲のための国民投票法に、改憲に繋がるとして、内容関係なく制定そのものを批判してたよな。

2014-06-10

ガンダムUC最終話の劇場における卓袱台返しについて。

ガンダムUC」の最終話ついてちょっと書きたい(ネタバレあり)。

最初立場を明らかにしておくと、増田は、典型的富野信者であって、ガンダムプロレスにはあんまり興味がもてない人間だ。バイアラン・カスタムとかシュツルム・ガルスのトコとか、こんな意味ねーシーン全部削って、会話に尺まわせよと怒っていた。そーいう面倒くさいやつが書いたもんだという前提で読んで欲しい。それと後半は電波富野信者なので。

で、この「ガンダムUC」、MSチャンバラについては絶賛されているが、ストーリーの方は賛否両論がある。だが私は批判することに意味があるのかと当惑している。こーいうのは、主張者が主張した内容をマジに信じている、という前提がなければ、なりたたない。私は、そこが信じられないのだ。


UC」最終話を劇場で見て愕然とした。「送り手はこの物語メッセージをまるっきり信じていないのではないか」と衝撃を受けた。この作品に対して、茶番だの陳腐だの説得力がないだのただの二次創作だなどと言うのはいいが、それを一番、自覚しているのは送り手自身なのではないか、という疑念をぬぐえずに今に至っている。

どういうことか。

ガンダムUC」というのは「ラプラスの箱」という秘密を廻る物語だ。

これはほとんどマクガフィンに近く、中身は実はどうでもいい。とにかくこいつが連邦の中枢により隠蔽されたことで、宇宙世紀歴史(とニュータイプ思想)は歪み、1stガンダムから逆襲のシャア」まで続く戦乱の歴史が巻き起こることとなった。しかし歪んでいようが何であろうが、百年続けば、それは秩序の一部となってしまっている。

最終7話では、主人公少年少女の選択が示される。

既存の秩序の維持するため、「箱」を隠蔽するか? 混乱を呼ぶとしても、「箱」を公開するか?

少年たちは後者を選ぶ。たとえ波乱の未来を到来させるとしても、「不正義による秩序」より、勇気を持って「正義による未来」を選ぶ。物語が描くべき正しい選択、正しい若者のあり方だと思う。

かくして宇宙世紀は箱の呪縛から解放される。人の革新ニュータイプ思想のもと連邦ジオンの戦いが形を変えて繰り返される不毛連鎖から解き放たれる。これはもちろん、終わることを許されず、次々と続編を創ることを余儀なくされたガンダム産業比喩でもあり、だからこそガノタの胸に響く。

もちろん、我々ガノタは、その選択の先に待つ「F91」や「V」の時代が、必ずしも希望に満ちた未来でないことを知っている。だが、そうだとしても、「これまでと同じことをひたすら繰り返すだけ」より「失敗覚悟で新しい世界を創る」ことを選択した若者たち決断は、とても尊いものとして描かれる。

それを見届けて、シャアアムロもようやく成仏する。一年戦争呪いから宇宙世紀が解き放たれた瞬間である

富野信者が、勝手なことしやがってと怒るのはわかるが、しかし、ともかく、それがこの映像が発したメッセージなのだ

だが、恐ろしいことに劇場で上映されたこの作品は、実に4年間、7巻かけて書いた結末を、直後にみずから全否定するのだ。スタッフロールが終わり、何が始まるか。


突然に、1stガンダムリメイク、「機動戦士ガンダムORIGN I」の予告が始まるのである

http://www.gundam-the-origin.net/


正気か、と思った。全部台無しだろう、と。

一年戦争時代から解放テーマにした物語ラストで、唐突に「一年戦争」がリメイクされますよーと嬉々として宣言されるのである。よーやく成仏できたシャアは30分待たずに現世に呼び戻される。この予告編意図的に、映画機動戦士ガンダムⅠ」の予告に似せて作ってある分、余計ループ感は強い。

唖然とした。個人的には「UC」7話はそこまで引き込まれるものではなく(イデオンネタは超大喜びしたけど)、「及第点」ぐらいの印象だったが、それでも感動を返せ、という気になった。本篇終了後即座に全否定される映画なんて聞いたことがない。一体、原作者監督スタッフは、どうしてこんな暴挙を認めたのか。本当にそれでいいのか。このあたりの意思決定の構図はよくわからないから、とりあえず「送り手」と一緒くたにする。ともかくこの送り手が、自分で発した「箱の解放」とか「一年戦争呪縛の終結」とか「歪んで腐敗した旧体制から混乱覚悟新しい時代へ」なんてメッセージをまるで信じていないし尊重する気もないことだけはあまりに明らかだ。

新しい時代なんて創るつもりはないよ。

俺たちは一生一年戦争もので食っていくよ。

え? じゃあ「UC」はなんだったのって? ほらわかるでしょ、本音と建て前ってやつですよ、おたくニュータイプだったら察してくださいよ、ねぇ。ほら、キュピーン! って。

これはそういう宣言だ。

ハルトーシ少年継承した「富野の箱」を手みやげにサンライズ財団の重鎮となり、バンダイム・エレクトロニクスガンプラを売る人になりました……それが4年かけた「ガンダムUC」の結果です、と言っているのだ。おかしいですよ晴敏さん! そんなの富野信者の晴敏さんの言うことじゃないですよ!


そんなわけで「UC」の内容についてまともに批判することの意味を私は見失った。だって送り手が、自分の語った物語を信じてない、それどころか一番ひどい形で全否定を行ってしまっているのだ。今更何を言っても単なる死体蹴り、いや、それどころか、そのような批判こそ、送り手はむしろ望んでいるのだとさえ思えてくる。

まりこういうことだ。

メチャクチャ単純化すれば「UC」での賛否両論というのは、ガンプラオタク富野信者の対決である。前者はとりあえずMSVが一杯出てくれば喜ぶし、後者富野神の書いた聖典に他の誰かが一筆書き入れることなど許さぬと批判する。ガンプラオタク濃度が濃いヤツは「UC」肯定するし、富野信者濃度が濃ければ「UC」否定という話だ(繰り返すが、メチャクチャ単純化すれば、である)。

だが、両者は本当に対立しているのか? 前者の主張は「ニュータイプ思想とかどうでもいいから新しいMSV一杯出せ」であり、後者の主張は「下銭な二次創作者如きが富野神のニュータイプ思想宇宙世紀史でもいいが)に手を触れることなど一切まかり成らん」である

この両者は必然的に「永遠に一年戦争外伝だのリメイクだのを作り続ける」という結論に帰結するしかない。前者は積極的に、後者消極的にそれを肯定する。そして送り手もまた、それこそを望んでいるのはすでに見たとおりだ。

そうしてガンプラオタクは送り手の造ったMSVのプラモを買い続る。富野信者は彼らを嘲笑うことで「自分こそ富野神の思想を守り続ける孤高のニュータイプ」という立場を確保できる。

これは対立と言わない。共犯関係と言う。

しかし、私は富野信者として、そこに安穏とすることはできぬ。そんなことをすれば脳内カミーユ・ビダンが「あなたはいつも傍観者で、人を弄ぶだけの人ではないですか!」とスイカバー突撃をかけてくるからである。散っていたお禿様の髪に顔向けできぬからである富野信者であるということは、富野聖典とすることではなく、富野のように生きることだと信じているかである(だから、今度の「Gレコ」だけが本当のガンダムなんですよ、という立場にも私は立つことができぬ)。


しかし、だからと言って、私はどうすればいいのだろう。

(大人しくガンダム卒業すればよいのはわかっている。それができれば苦労はしないのだ!)

ガンダムロボットアニメでありサブカルチャーであるガンダムビジネスとの兼ね合いの中でしか生まれこないし、それこそがガンダムの強さ、ガンダムの同時代性の源であることは、絶対に否定できない(ガンプラ売りに徹した「ガンダム」は嫌だが、押井守映画のような文学モドキの「ガンダム」なぞもっともっと嫌だ)。

からハルトーシ少年だって、私が↑で書いたことは百も承知かもしれない。きっと彼は叫ぶだろう。

「やりました、やったんですよ、必死に! その結果がこれなんですよ! 映画の「ローレライ」(と「戦国自衛隊」と「亡国のイージス」)がコケて、右傾エンタメ作家の席は百田尚樹に奪われて、今はこうして富野二次創作を書いてる! これ以上、何をどうしろって言うんです! 何と戦えって言うんですか!」(註1)

私は、彼に答えるべき言葉を持たない。こんな時は、富野神に還るしかない。神は言っている。

"Century color Million color" ――せいきの色はまんこの色であると。

違う。

ターンAターン、だと。∀だと。全肯定であると。

送り手が自分メッセージを一切信じていないなら、それを批判して何の意味があるだろう。逆だ。有効なのは、相手が信じていないメッセージを、こっちが文字通りに全肯定してやることだ。つまりUCだ。

バナージが何も考えずに箱を開けた、その蛮勇を評価するように、富野ニュータイプ思想を継ぎ、「逆シャア」の先を書こうとした覚悟は評価する。

駄作も愚作も一杯出来るのを承知で、宇宙世紀のその先が語られるのを心から望む。

できるかぎり応援する。

それしかガンダムに対し、緊張感を持って向きあう=富野である方法は、ないような気がするのである

むろん、それは、終わりのないディフェンスである

ガンプラオタクからはそっぽを向かれ、富野信者罵倒に耐えねばならぬ。

しかし、それでも、えんえん一年戦争リメイク外伝を造り続けるよりマシだと信じる。

箱は解放されるべきだし、呪縛からは解き放たれるべきだ。

から、「UC」の先に行かねばならぬ。

その向こう側に何もなくても――いや、しか脳波コントロールできてしかも手足を使わずコントロールできるマシンにセシリーが触手レイプされ、バイク戦艦が街々を踏みつぶし、カテジナさんがオデロもシュラク隊も鏖にして、月光蝶でみんな灰になったあと、全人類無限力に溶け合って何もかもが因果地平の彼方にスペースラナウェイする哀しみが待っていたとしても――、かまわないのである

STAND UP TO THE VICTORY!



註1:いや、もちろん田母神俊雄と戦ってくれればよい。ついでに百田も撃てばよい。実は「ガンダムUC」の小説版には、田母神論文事件露骨に批判した箇所が存在する。詳しくはこちら → http://kaito2198.blog43.fc2.com/blog-entry-388.html小説版が出た頃には、ただの右のヤバイ人だった彼が、若者の支持を受ける保守系政治家候補となってしまった現在こそ、福井田母神批判はアクチュアリティを増している。

2012-12-27

他人から見ればただの古ぼけた物でも、自分に取っては母の形見の大切な品物だというようなことがあるように

他人にはたか料理に思えても、アニメ人生の全てと言っても過言ではないという人にとっては聖典を穢されたように感じられることもある。

世の中にはそういう人もいるんだなぁ程度に知っておく必要があるんじゃないかな。

2012-05-24

http://anond.hatelabo.jp/20120524122314

まり児相だかどっかが決めた「虐待行動リスト」を保育に関わる保育士や親全員が聖典のように崇め奉り、「教義」に反する行動が行われていないかを逐一監視し合い、些細なことでも児相やらに通報することを良しとする全体主義国家みたいな状態になってるってことか。

あるいは、「聖典」でないにしても、底意地の悪いママ友()や保育士がいっぱいいて、ちょっとでもなんかあったら通報して嫌がらせしてやろうと虎視眈々と狙っているということか。

凄まじい社会だな。そりゃ少子化するわ。どうしてこうなったんだろう?

2011-05-24

http://anond.hatelabo.jp/20110524125903

そういう人って、「科学的思考」を信仰してるというよりは、「科学者という司祭」や、「科学言説という聖典」を信仰してるんだよね

2011-05-11

http://anond.hatelabo.jp/20110511152052

でも同系統の作品の中で飛び抜けて面白いとは言えない。

それこそクロスチャンネルEver17と比べたら低評価にせざるを得ないでしょ。

なぜ絶対評価が必要なのかね?

例えその作品が、過去すべての作品と比べた場合に「相対的に」劣ったとしても、それを知らない人にとっては最高に面白かったんだから評価される。

普通の事じゃないか

小説を読まず、エロゲ(笑)をやらない層なら、あれがループ作品の最初って人も居たろう。

そうすれば、インプリンティングが起こって、その人にとってあれは聖典だ。

そうした最初の感動」は、あとから系統のより評価の高い作品を見ても変えられない。

そこが「絶対評価で変わるはず」と思う方が気持ち悪い。

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