はてなキーワード: 物言いとは
https://anond.hatelabo.jp/20211213182433
上の記事を読んだので、書いてみることにした。
身バレしても困るし(しないだろうけど)、当方、アメリカと日本それぞれの教育機関でそれなりの経験ありとする。
こういうことを書くと出羽守みたいになるから普段はできるだけしないようにしているけど、はてな村の皆様の意見をもう少し聞いてみたいと純粋に思ったので書くことにしました。
以下前提として、アメリカの学校の様子しか知らないので、全てアメリカとだけの比較で語っています。
日本の学校は校則も含めて、アメリカと比べると軍隊みたいだし、北朝鮮的であると私も思います。もちろんアメリカの学校も様々ですが。
じゃあ私が今日本の学校で先生側にいて、校則をどんどんなくそうと声を上げているかというと、上げていません。
私がいた、あるいは見聞きしたアメリカの学校には校則はだいたいありませんでした。私学だと制服があるところもありますが、ごく少数派ではないでしょうか。
高校などでは、ドラッグや銃、刃物といった犯罪系のものはもちろん禁止で、あとはギャングにまつわるもの、ギャングを連想させるようなファッション等は禁止といった程度でした。
服はもちろん自由だし、髪をそめてもよく、ピアスも舌ピや鼻ピも全然オッケーで、タトゥーも全然ありました。というか、例えばオセアニア地域にルーツを持つ生徒だと、タトゥーを入れるのが文化であるので、普通に入れています。ディズニーのモアナの登場人物を思い浮かべてもらえればだいたいあの感じです。
多様さを尊重するのがポリティカリーコレクトですから、そのような生徒のタトゥーを指導するなんて言語道断です。文化を尊重するのが当然です。
髪をレインボーに染めている生徒もいます。これはLGBTQ+を背景とした場合も多いので、当然尊重します。
これらの生徒の容姿を指導するなんてことは、許されるでしょうか?
許されないでしょう。
こうした生徒は、日本の社会において果たしてどれくらい許容されるでしょうか。
駅や、公園や、ファミレスや、分かりませんがそのへんのいろんなところに、タトゥーを入れた生徒や髪をいろんな色に染めた生徒や、ピアスをした生徒やいろんなファッションをした生徒が中高生として歩いているときに、どれくらい日本の今の社会はそれに耐えられるでしょうか。
私はかなり疑問です。
もちろん、上記のような生徒のバックグラウンドがわかる場合には、ちゃんと許容できる人も多いと思います。たとえば、ああ、この生徒はオセアニアにバックグラウンドがあるからあのタトゥーをいれているんだな、ちゃんとしたルーツに基づいたものなんだな、とか、この子はおそらく性的マイノリティだからこういうスタイルなんだ、とちゃんとわかれば、許容できる人も多いでしょう。
しかし、生徒は本当に多様です。そのように、「ちゃんと」わかるような子だけではありません。また、ぱっとみで「ちゃんと」しているように見える子だけではありません。どこまでが、たとえば「ちゃんと」オセアニアにバックグラウンドを持っていると判断できるのか、どこまでが、たとえば「ちゃんと」性的マイノリティの当事者であるといえるのか、そんなクリアな線引きは存在しません。
君のバックグラウンドは「ちゃんと」したものだから、君にはそのスタイルを認めよう、しかし君のバックグラウンドはそれ「ちゃんと」したものじゃないよそれ、自称だろそれ、そんな物言いが許されるでしょうか? 許されるわけがありません。
いや、そんな0か100かの子供じみた極論ではなくて、ケースバイケースで丁寧にやっていけばいいんだという意見もあるかもしれません。しかしそれこそが理想論です。
なぜなら、こっちの生徒は「正統な」理由を持っているのでかくかくしかじかの身なりを認めて、こっちの生徒の理由は「正統」ではないのでその身なりは認めない、こんなことを1から100まで全部やっていられるはずがないのです。そんなことは理路をきちんと通そうと思えば無理です。
いや、実際校則がなくうまくいっている学校も日本にあるじゃないか、という意見もあるかもしれません。しかしよく見てください。全てとは言いません。しかしその多くは、本当に多くは、いわゆる賢い学校なのです。地域でも、あの学校は進学校で難しくてすごい子が集まっている、と認識されている学校がほとんどです。だから、ほとんどの場合、そうした学校の生徒は一線を踏み外すことはありません。地域の人たちから眉をひそめられて、学校を十把一絡げにあの高校は厄介でひどいやつらだと後ろ指さされるほど集団で間違ったことはしません。たとえびっくりするようなファッションをしていても、でもあの子は賢いんだよねと地域の人も思うし、実際その期待を大きくは裏切らない行動の範囲にとどまるものなのです。
校則がなくてうまくいっている学校というのは、校則がなくても「ちゃんと」した行動ができる生徒たちがいる学校なのです。
私も日本で先生をしていますから、なぜこれがだめなんですかと生徒から聞かれることがあります。あるいは直接そういうふうに聞かれなくても、なぜなのかとお互い思いながら生徒指導をしているなと感じる場面はあります。はっきりとブラック校則とまではいえなくても、これはまあ理詰めで生徒から聞かれたら最終的にはなぜダメなのか答えるのは苦しいよなぁと思うことは多々あります。
しかし、じゃあこれをやめましょう、これをやめましょう、というふうに話をもっていくかというと、私はしないです。
なぜか。
そんなことを言い出したら、学校が「このスタイルはだめ」などと言える理由は、理詰めでいけば無いからです。実際、アメリカの上記のような学校ではそんなルールはありません。無理が出るからです。
日本の学校に今ある校則を一つずつ撤廃していった場合、どこかで、ここまでは撤廃だけどここからは残すわ、となります。じゃあ、なぜここまでは撤廃してここからは撤廃しないんですか、ここの線引きには根拠があるんですかと聞かれたら、最終的にはそんな絶対的な根拠はないでしょう。法律に違反でもしていない限り。しかもその、ここまではオッケーでここからはだめでしょという線引きは、人によって違うのです。先生によっても違う、保護者によっても違う、地域の大人によっても十人十色です。万人が合意できる、ここ、というラインは存在しないのです。
ですから、校則を撤廃していくというのは、非常に難しく、また不毛な作業なのです。不毛というのは、議論したところで簡単に結論が出ないのです。
職員会議で話し合うとしても、先生によっても全員そのライン、感覚は違うし、地域の大人、日本の社会に生きる大人たちの感覚を想像しそれを折り込みながら議論すれば、それこそ千差万別すぎてラインはそう簡単に設定できないのです。結論がでません。そういう意味でその議論は不毛なのです。
結果、どうなるか。
校則を変えようという議論は、非常に保守的で、非常に遅々としたものになります。
つまり、これはもう誰がどう見ても、誰がどう考えても時代遅れでおかしくて、撤廃するのが当然だという結論が明らかだろう、地域や社会の誰がみてもまあ撤廃で納得できるだろう、という、一番おかしいものから、やっと撤廃されていくのです。それより先は、上記のような不毛な結論のないところにのみこまれていくことが目に見えているので、先生たちも誰も積極的にどんどん変えていこうとならないのです。そんなことに日常の限られた時間を際限なく費やしていくわけにはいかないのです。
ですから、ブラック校則ということが声高に世間で言われ始めたのはとてもよいことだと思います。
しかし、私はいつもブラック校則という言葉を聞くたびにおもうのです。
それをいうなら、なぜタトゥーはだめなんでしょうか? もちろん、日本には刺青という西洋とは異なる文脈を持った文化があることは承知しています。しかしでは、オセアニアをバックグラウンドにもってルーツに誇りをもって文化としてタトゥーを入れている生徒がでてきたとしたら、それも禁止したり指導したりするんでしょうか?私は当然認めたいと思います。じゃあ、オセアニアにバックグランドがあるんだと主張してタトゥーを入れた生徒がいたとして、それが疑わしい場合、ルーツを証明するようなことを迫るのでしょうか。そんなことは人権的に許されない。オセアニア以外にも様々な理由で、おそらく私たちが思ってもみなかった理由でタトゥーをいれたり、タトゥー以外にもいろんなスタイルを求める人が現れるでしょう。そのどれを認めて、どれをおかしいとするのか。そんなことを最終的に誰が決められるのか。
そんなことを考え出すと、旧態依然とした、すでにある校則でそのままいきつつ、絶対におかしいとなったことについて対応していく、ということしか、なかなかできなくなってしまうのです。
書き忘れましたが、日本でも定時制の高校では制服などはありません。校則が基本的にないところも多いです。これは、働いている生徒も多いし、そもそも制服だのなんだの校則を作ったところで運用が難しいという背景もあります。
しかし、これは非常に問題のある発言になることを承知でいいますが、そうした学校の多くは、地域のある一定の人たちからは、後ろ指さされていたり白眼視されていたりすることが少なくないでしょう。私もそうした高校で勤務していたことがあります。日常的に苦情の電話が入って、現場にいって謝ったり対応したりしていました。一生懸命やっている生徒たちに対して、心無い言葉を投げられたことも何度もありました。生徒たちの容姿のことを言われたこともあります。確かに例えば女生徒がものすごいミニスカートを履いていたりもします。しかし、それが何だというのでしょうか? でもそれは、そのこのことをよく知っている教員だから思うことであって、見知らぬ人からすれば違う見方をしてしまうのも無理のないことだと思います。
そうしたトラブルは、多少しんどい学校であっても校則で制服も含めきっちりおさえてかためているところでは、少ないのも事実なのです。
それは実際に運動を起こさないと動かなかった(そして今も動かない)世界が悪いのであって
「社会運動を起こし規模を大きくして勝ち取らない限りお前が傷つく可能性あってもやめなくても仕方ない」ってなったらもう色々とひっくり返ってしまっているのでは。
そして運動しろというなら今まさに増田はそこそこまともな文章を書きそこそこの人に届く規模のことをやった訳で、今まさにごく一部のフェミニスト含む「全て」的な物言いをしてる人は問われているのでは。もうやっているのでは。
数日前に書いた増田にやや多めのトラバとブクマとブコメがついていることに気づいた
いちおう全部目を通したけど頓珍漢なコメントばかり
断片的な情報しか書かれていないのに、空白を自分の偏見や妄想で埋めてウエメセで断定的な物言いをする人の多いこと
対面なら会話をするうちに前提のズレや共有していない情報の存在やお互いの考えのギャップに気づけたりするけど、ネットだと絶対無理
しかもこの連中は自分が書いたコメントどころかこのエントリの存在すら覚えてないだろう
気持ちを逆撫でするものを読んでカッとなって刺々しい文章を感情的に書き殴って、次の話題が流れてきたらさっきまで自分が何に怒っていたか即座に忘れてそっちに飛びついてまたギャーギャー騒いで…
(媚びる学生(女)が悪いわけではないが)媚びる女+変人教員、までは、まだギリギリセーフにも見えるけど、その先に、そもそも大学教員側からの目線で、「自衛」できなければ「悲劇」が生じる、という言い方と結びついちゃうところは、かなりマズいと思う。だって、批判してる人からしたら、その語り口はあくまで加害者目線にしか見えないのだから。
たとえば、あなたに姉や妹、あるいは娘がいたとして、その人が痴漢被害にあったときに、ある評論家が「男目線」で語り始めて、(儚げな女が悪いわけではないが)儚げな女+支配欲を満たしたい男がいるとき、男の側が「自制心」を働かせないと「悲劇」が生まれちゃうんだよね、とか言い出したら、ちょっと「ハァ?」ってならないか。コレ犯罪なんですけど? お前どっちの味方しとんねん、みたいな。そこまでいかなくても、この評論家は痴漢加害者の側に同情的に語ってるなあ、とは感じるんじゃないか。だって「悲劇」なんて言葉は、ここでは明らかに加害者の側が職を失うなりする「悲劇」であって、被害者の側は「悲劇」とかじゃなく単に「被害」なんだから。(ここで、「悲劇」とは、人間が必死に抵抗しようとしても神の定めた運命に逆らえないというストーリーのことを指す、というギリシャ悲劇における定義まで出そうとは思わんけど、痴漢やセクハラ被害に遭うことを「悲劇」とは言わんでしょ。日常的にも。)
まあ、件の文章はそもそも万人向けではないと思うんだよね。たとえば大学教員同士が自省的に取り交わす文言としてはアリかもしれない。ただ、その物言いを全くの第三者がみたときどう見えるかについては、誰が見るか分からないネットに書く以上は、想像めぐらしてもいいと思うんだよ。
あ、あと一箇だけ追記するね。タイトルの「衝撃を受ける」というのは、単に驚いたという意味じゃないよね。「お前ら(ネトフェミもどきの連中って)馬鹿じゃねーの?」って意味じゃね? もしそういう意図でなく、単に「驚いた」という意味で使ったんだと言うなら、増田はちょっと自分の言語感覚を疑った方がいいと思う。たぶん無自覚でいろんな人に顰蹙を買ってると思う。
正直、そう思わないだろうか。
デマかも分からない情報を拡散することになるかも。もしくはデマだと分かっていて拡散する。そんな奴がとりわけ多い。
これは一般人でも問題だが、有名人となると話はかなり違う。特に小説家のSNSは酷い。
他の作品に対して嫌味な物言いをしてマウントを取る。自分が人格者であり、常に正しいと信じてデマを拡散。政治家を断罪して急進左派的な立場でマウントを取る。特定の人物に対して見た目などを揶揄して自らを上に立たせようとする奴。
こんな奴が山ほどいる。
いつから小説家はこんなネジくれた奴しかいないのか。昔から「文豪にはクズが多い」とは言ったものの、今の小説家は極端な政治的発言や差別的言動は見ていて不快どころではない。もちろん、そう言った発言についてある程度許容するのは当然だが、それにしてはあまりに過激だ。奴らは言論の自由という伝家の宝刀を常に振り回し、異端だと思えば惨殺することも厭わない。
そして、このような悪逆非道な行いをしていても、週刊誌はこれらを取り上げようとしない。よく考えたら当然なのだが。
間違いを認めるだけでも大きく変わる。それが出来ないのは致命的だ。自分が正しいと思っているから問題だろうが、一度見直してみてほしいと願っている。
私はとても急いでいた。この書類は今日中に取引先に届けなければならない。そのため、業務用エレベーターに乗って1階の集配室に向かわねばならなかった。そこでバイク便に引き渡す手配をしている。
普段は使わない業者用のエレベーターホールでエレベーターを待っていると、作業着の女性が並んだ。時々顔を合わせる配送業者の人だった。
下手に顔を知っているだけあって、気まずくなる。しかし、バイク便を待たせているのだ。エレベーター1本見送る時間も惜しかった。しかし、相手は私の心情など知らないのだろう、会釈をしてきた。私もぎこちなく会釈を返す。
そしてエレベーターがやってくる。私とその配送業者の女性は一緒にエレベーターに乗った。
1階のボタンを押すと、あることに気がついた。この業者用のエレベーターは各階に止まるように出来ている。つまり、遅い。
それなら表のオフィス用エレベーターに乗って1階まで行ってからバックの集配室に入らせてもらえばよかった。悔やんだがもう遅い。
この配送業者の女性とここで顔を突き合わせるのも少しの間だ。気まずさはあるが、それだけだ。
そう思っていたが、意外にも向こうから声をかけてきた。
「私、こんなビルで働くのが子どもの頃からの夢だったんですよ」
「はぁ」
突然始まった要領を得ない自分語りに、生返事を返す。なぜこんな話を聞かなければならないのか。しかし私の返事を意に介した様子もなく、相手の語りは続く。
「高校を卒業したらこういうビルで働けるものだと思ってました。でも、そんなの高卒には無理だったんですよねぇ」
その物言いになにかネバっとしたものを感じた。なので、思わず相手を跳ね除けるような言葉を選んでいた。
「それはちょっと世間知らずでしたね。ここに入ってるような会社は大卒が最低限ですよ」
「そう、私は知らなかった。でもあなたは知っていた。なんででしょうね?」
「環境の違いじゃないんですか?」
相手は私のキツめの言葉すら気にかけた様子を見せず、質問してきた。それに対して私は適当に返事をした。
「そうですね、生まれた環境が違うだけ。だから、あなたが私で私があなたであってもよかったはずなんです」
相手が何を言っているのかは分からないが、酷い羨望を向けられているのを感じた。居心地が悪いどころではない、針のむしろみたいだ。
そうこうしているうちにエレベーターは1階に着いた。
「それじゃあ、急ぎますんで」
そう言って、私はエレベーターホールを離れ、集配室に向かった。
バイク便の人は女性で、珍しく感じた。彼女に書類を預けて、どうしても今日中だからと念押しをした。
それから弊社のオフィスへの帰り道は、もちろん表に出てエントランスホールを通った。業者向けのエレベーターは使う気にはならなかった。
あの人と私には本当に生まれた環境にしか差がないと思っているのだったらお門違いだ。勉強の価値も知らずに勉強しなかった人が今さら何を…とここまで考えて気がついた。その知る知らないを分けるのが環境か、と。私は勉強が好きでやっていた質ではない。それにメリットがあると信じただけだ。逆に言えば、そのメリットを知らなければ絶対勉強はしなかった。
そしてあの人を想った。
このことを理解しながら作業着で働く人。恨みなど湧かないのだろうか。いや、恨むからこそ私に気づかせたくてあんなことを言ってみたのか。
多分何かの仕事をやってもらいたいんだろうけど
気付いた人に自主的に(←ここ重要)引き受けさせようという手口を取る奴が職場にいて
非常にウザすぎる
人の席の周りをぐるぐる回りながら「あーあの仕事どうしたら良いんかなーどうしたら良いんかなー」とチラッチラッする
無視してたり全く通じないと分かると別の人の席の周りを同じようにぐるぐるする
鬱陶しくなって「すみません、さっきから何が言いたいんですか?」と聞いたりすると
回りくどいマンの頭の中では何故か「断られた!」ということになってるらしく
「アッごめん嫌だよな……なんでもないから…」と引き下がるのだが
「何が言いたいんですか?」の質問に答えろと
お前の用件を寄越せと
今月は某BLレビューサイトのマンスリーくじが当たらなかったので、若干乏しいBLライフ。『ボーイズラブアンソロジー Canna』の十周年本(分冊版)が欲しいんだけど、百円ほどお小遣いが足りない……。ラッキーなことに、欲しい分冊の中に私の推し作家の朝田ねむい先生と座裏屋蘭丸とハジ先生と文善やよひ先生の作品が収録されているのだ。すごい、なんてお得……! 丸ごと買ったら2700円以上、分冊だと700円強。推し作家さんがバラけていたら分冊買うのは損だったのでよかった。
それにしても、BL用お小遣いが月2000円なのと3000円(←運良くくじが当たって千円加算された場合)なのとでは、BL満足度がかなり違うな。
主人公の新谷は、高校生の妹の面倒を見つつ、ヤクザが経営しているカジノでバーテンダーとして働いている。ある夜、新谷はディーラーの菊池がウエイトレスと組んで客からの上がりをガメている現場を見てしまい、菊池に盗みをやめる様に注意する。菊池とウエイトレスの様子から、二人が誰かの指示で盗みをしていたことを悟る新谷。首謀者で菊池の先輩である竹田に新谷は話をつけるが、竹田が菊池を売り、盗みがカジノの店長須藤の知る所となる。報復として須藤が要求してきたことは……。
まるで映画の冒頭の様に、状況説明が必要最小限。BL作品にしてはちょっと解りづらいスタートに驚き。
菊池の馬鹿っぽさがとてもリアル。社会の最底辺層を生きるチンピラの、無駄にイキリ散らしている感、その割には暴力に弱すぎるところ、根の純朴さ……というか、端的に言ってIQが常人の3分の2くらいしか無いんだろうなという。そして新谷のお人好しさ加減も、慈愛や博愛というよりは、発達障害的な何かで自制心が低いだけなんだろうなという感じ。すごい、はっきり言って馬鹿しか出てこない。でも嫌いになれないし無視できない。そんな感じの類の馬鹿さ。愛のある描写とも言うかもしれない。
同作者の別作品『秋山くん』もそうだけど、日本社会最底辺層の人々とその暮らしぶりを描くのが異様に上手い。なしてそんなに上手いのか。作者自身がけっこう修羅場を潜っている人なのか。それとも単に、裏社会を描いた映画ばかり観てるとか、『ウシジマくん』や『カイジ』をやたら読み込んでいるのか。ともかく、何でこの人こういうのを描くんだろう? と、作品の魅力もさることながら作者本人の来歴がつい気になってしまう。
本作、前から存在は知っていたんだけど、タイトルが『寄越す犬、めくる夜』なのか『めくる夜、寄越す犬』なのか最近までわからず……。今頃になってやっと、『寄越す犬、めくる夜』だと知り、おぼえた。略称が『よこいぬ』だから『寄越す犬』が先。もうわすれない、たぶん。物凄く「痛い」(アイタタタという意味ではなく)BL漫画として有名だけど、本当に痛いな。救いがあるとは思えんストーリーとキャラ設定。何話目かの表紙絵の須藤が異様に可愛いのだが、物語を1話から読んでいってそんな可愛い須藤を見せられると逆に気味が悪いというか、グロテスクというか。救いの無さが一層際立つ。
ところで、『寄越す犬、めくる夜』は少し前に完結していて、来月に最終巻が発売される。その関係で、今、シーモアで1巻が期間限定無料で読める。そんな訳で、今月はお小遣いの関係で乏しいBLライフを送る私にも読めたのだった。ちなみに、何故か知らんけど修正が白スラッシュが入るのみ。普段BLはKindleで電子を買って読むだけなので、こんなに修正の薄いBLを読むのは私は初めてだったのだけど、こんな可愛い絵柄でちんちんだけリアルに描かんでも……という感想。まあ、秋山くんの脇毛で、作者が変なところでリアル志向なのは知ってたけれども。
気になりすぎてググってみた。のばらあいこ先生はすごく漫画が上手なのに、商業BL作品がこの『寄越す犬、めくる夜』と『ぬるくなるまで待って』と『秋山くん』しかないっぽい。あとは女性向けで『にえるち』かな。興味深い作家さんなのに作家買いに手間取らなさそうなのは、良いのかなんなのか。
『ONE PIECE』のサンゾロ描きの人気同人作家でもあるらしい。感想を読むぶんには、同人誌のほうもエロ&エモに定評のある作家さんなのかな。ぐーぐる検索結果にずらりと並んだ、サンゾロ本の感想たち……それがまさかの「読書メーター」に投稿されているので、何事かと思った。のばら先生のサンゾロ本が東京漫画社から出版されている? この業界に私は全然詳しくないのだが、こういうのって原作の著作権者や版権元に許可取ってやってるものなのだろうか。許可取ってやってるものなんだよね? 出版社がやってる以上はガチの営利目的なんだし。なんかすごい。あ、でも思い出したが私、榎本ナリコ先生の幽白・エヴァの同人誌再録本(これは双葉社)なら持ってるわ。二次創作同人誌が商業目的でも出版されているというのは、今更な話か。
再読。
前々から思ってたけどシロさんの物言いが物凄くキツい。泣かされつつものほほんと付き合い続けるケンジの人徳がすごい。私はもしもあんなに口の悪いのが自分のパートナーだったら、かなり嫌だな。2巻でシロさんの元彼の鬼畜エピソードがちょっと出て来るけど、鬼畜の彼氏にはおおらかで暴言を吐かなかったらしいシロさん。惚れた弱みだろうか。好みのタイプではないケンジにはワガママが言えるって面白いけど、にんげんそんなもんかもなーって気がした。同作者の『1限めはやる気の民法』の主人公田宮もシロさん的なキツい性格のキャラで、攻めの藤堂がマイペース鷹揚キャラだった。そういうのが作者の性癖カップリングなのだろうか。
物語よりも料理が中心で、起こった事件を解決しないでほっぽり出したまま料理シーン書いて食べるとこ書いて「おわり」ってなるのすごい。特に、双極性障害っぽい女性が元夫に息子の親権を取られた上に息子との面会を拒否られる話なんか、そこで終わるのかー!? と驚愕した。現実に円満解決なんかしなさそうな話だけどね。
今日は何もなかった。
夕方まで寝てしまった。昨夜は結局、ほとんど眠れなかったから仕方ないのだけれど……。
「もう起きようかな」
まだ時間は早いけど、このままベッドにいても仕方ないしなあ。
「よっと」
身体を起こすと、部屋の隅で丸まっていたピグシード辺境伯家の家精霊であるアイシアが目に入った。あたりまえだけど、何もしなかったので精霊も動きを止めて待機状態だ。だからといって何かする気が起きるというわけでもないのだが。さぁて、どうしよう? そういえば今朝はまだ【畑】を見に行っていなかったっけ。時間もあることだし見に行くことにしようか。
着替えを済ませ部屋を出る前に、いつものように軽く伸びをする。するとその気配に気付いたのか、アイシアが俺の方に近づいてきた。
「お出かけされるのですか?」
いつもどおり執事的な物言いなやつだ。まぁ借りてるんだから文句は言えない。
「うん、ちょっと畑に行ってくるよ」
「私もお供いたします」
「え、うん…別にいいけど」
なんでついてくるんだろう?家精霊なんだから家にいればいいものを。まぁ今日は家でほぼ何もしてなかったからやることがないのかな。というか普通先に許可を求めないか?まぁいいけどさ。玄関で靴を履き替え扉を開ける。目の前には
庭が広がっているはずなのだが、何故かそこに『空』が広がっていた。
「へ!?」
思わず変な声が出てしまう。だっておかしいだろう、普通地面が下で空が上のはずだぞ。なのにどうして青空が見えるんだよ!まさか夢遊病とかじゃないよね?自分の頬をつねってみる。痛い。
困ったな、このままでは空に落ちてしまう。我ながら陳腐な表現だなと思いつつも、アイシアに何が起きているのか訊いてみる。
「アイシア、これどういうことだと思う?」
アイシアはまるで何もなかったかのようなトーンで答えてくれた。
「ご主人様のお出かけに合わせて、私がお屋敷周りの重力場を調整しました」
「あーそういうことね……」
つまり、俺は宙に浮かんでいるということらしい。でもそうなるとひとつ疑問が残る。
「じゃあさっきは何でわざわざ確認したの?」
「申しあげます。私はご主人様をお慕いしておりますので、家から出したくないのです」
「いや、畑見に行きたいんだけど…」
アイシアは目を閉じて考え込んだ後、こう言った。
「ん?何を言ってるのかわかんないけど、とりあえずわかったよ」
どうせ聞き返してもわからないことが聞けることなんてないだろうし、ここは素直に従っておくことにした。
「従うと思ったか?」
不意にもう一人の僕がしゃべりだした。体が動かない―いや、正確には僕の意志では、だ。
ゆっくりと右手をアイシアの胸元に伸ばし果実を包む薄布を解いていく。
「ごしゅじんさまぁ…♡」
は?おい、こら待て。お前誰だよ。どうしてそんな甘えた声で名前を呼ぶんだよ。何でそんな蕩けた顔で俺を見るんだよ。
「これが現実です。受け入れてください」
くそっ、いつの間にか僕の口が勝手に動いてるじゃないか。どうしようもない…。
アイシアは屹立した僕のイチモツを優しくなで始めた。正直、気持ちがいい。目の前にはアイシアの大きすぎず小さすぎないちょうどよい乳房が露わになった。色白で薄桃色の乳首がよく映える。アイシアは腰を落とししゃがみこんでいく。そして口を開け舌を出し、先端部分を舐めまわし始めた。
「うぅ……はぁ……♡」
「そのまま全てを受け入れなさい」
「く、口に出すぞ…!」
言うか言わないかで僕は果てた。ドクンドクンと脈打つ度に精液が勢いよく吐き出され、それをアイシアは全て受け止めている。やがて射精が終わると、彼女は立ち上がりスカートを脱いだ。
「ご主人様のお情けを賜りたく存じます……♡」
完全にスイッチが入っているようだ。もはや抗うことなどできなかった。
「挿れるよ」
返事を聞く前に一気に貫いた。ああ、凄い締め付けてくる……。
「あっ……すごい……奥まで届いて……いい……」
アイシアは身体中から汗を流しながら快感に浸っている。その姿はとても綺麗で官能的だ。だが、その目はどこか虚ろで焦点があっていないように感じる。
「ふぁ……また出ちゃいましたぁ……いっぱい……あつい……しあわせ……もっと……くださいぃ……♡」
「あッ、あン、あァ!すご、いィ、ごしゅ、じんさ、まぁ♡」
次第に喘ぎ声が大きくなっていく。何かにとり憑かれたかのようにひたすらにお互いを求めあう。
「も、だめぇ、イっちゃいます!ごしゅじんさまぁ、いっしょに!あぁあ~!!」
一際大きく痙攣すると同時に膣内が激しく収縮し僕を締め付ける。
「ぐっ……あぁ……!」
耐え切れずに僕もまた達してしまった。
「あぁん、出てますぅ、ごしゅじんさまの子種、たくさん、きてますゥ!うれしい、しあわせ、きもちい、い、もっとぉ……」
「ごしゅじんさまぁ、すき、だいすきですぅ……あいしてますぅ、ずっとここにいてください、はなれたくないんですぅ」
結局畑には行けなかった。
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あれから数日経った。僕はアイシアの部屋にいた。もちろんあの日以来毎日のように体を重ね合わせていた。今日はアイシアは部屋にいるだろうか。そう思い扉を開けるとベッドの上で彼女が待っていた。
「お待ちしておりました。ご主人様」
「どうしたんだ?」
「実はお願いしたいことがありまして」
「何?」
「私を
LIVE HAUS店長のスガナミユウ氏が「誰が踏みつけられているか」と題するnoteを公開した。
https://note.com/yusuganami/n/n78c9b96cb4be
https://medium.com/@sos.yu.lh?p=8926b83122e
私は彼の所属するインディミュージシャンコミュニティとでもいうべき界隈に属しているが、周囲の反応は絶賛の嵐といって良い状況だ。noteのリンクを張ったツイートには大量のいいねとリツイートがあり、批判らしき反応はほとんど見受けられない。これはかなりマズイよなーと感じてこの文章を書いている。
まず、前置きとして、このnoteに対する私のスタンスを書く。ちょっと長いので興味がない方は適宜とばしていただけるとありがたい。なお、文中の”リベラル”とか”アンチリベラル”といった記載は一般的にリベラルっぽい仕草・アンチリベラルっぽい仕草と受け取られがちなものとでも思ってほしい。
「誰が踏みつけられているか」はスガナミユウ氏が選挙中の市民運動を通して感じたことを書いている。その内容の主題は、日本にはまだまだ差別や不平等(特に男女差別に着目している)が残置していること、そして特権的な立場にいるスガナミユウ氏をはじめとした「おじさん(大人のシスジェンダー男性)」への自省を求める内容である。スガナミユウ氏はこのnoteを「知り合いのすべての男性に読んで頂きたい」という文章を添えて公開した。もっと言えば、(男女間等において)日本に差別や不平等がないと主張する男性、あるいは女性やLGBTなどの差別のみがピックアップされることに不満を感じている男性を説得しようとする文章であるだろう。 何がマズいと感じたかって、このnoteはスガナミユウ氏の周囲に多い所謂”リベラル”思想に親和的な層には受けても、本来のターゲットであろう”アンチリベラル”な層からは反発しか生まないような内容になっていたからだ。スガナミさんとは親しくこそないものの何度か会話したことはあり、政治思想の差異こそあれど、頭が良く一定のバランス感覚がある人物だと思っている。彼は社会を良くしようと考え、実際に行動に移してきた尊敬すべき人物だ。そんな彼がこんな内側にしか向かないバランス感覚に欠けたnoteを書き、それが大絶賛されている状況は本当に良くない。近年勢力を増した過激なラディカルフェミニズムは強烈なバックラッシュを生み、ミソジニストを増やす原因となったと考えているが、このnoteはそんな流れの延長線上にあると感じる。
わたしは男女平等の実現を望む一人として、このnoteの内容を批判したいと思う。私たちは完璧でないがゆえに、時に差別的であったり配慮に欠ける言動をしてしまうが、個別のそれに対して苛烈な批判を浴びせるのは適切でない。なにより問題なのは、その問題がある発言を周囲が容認してしまうことだ。スガナミユウ氏個人を非難することにあまり意味はないが、このnoteを無批判に受容してしまうコミュニティは大変問題があると感じたのがこの文章を書くにあたった経緯である。
まず、なにより批判したいポイントは、氏の主語の広さである。冒頭で過去のツイートで『おじさん』や『女性』と太字でまとめたことを指して、配慮に欠けたと反省しながら、結局のところこのnoteは「おじさん(大人のシスジェンダー男性)」を特権的な存在として雑にくくってしまっている。
大前提として現代の日本社会は男性が有利な傾向にあることは私も同意する(特に経済的な側面において)。しかしそれはあくまで傾向の話である。割合は適当だが、例えば7割の大人のシスジェンダー男性は平均的なその他のジェンダーよりも恵まれているかもしれない。しかし残りの3割はより不遇な立場にあるだろう。傾向の話だけでも、シスジェンダー男性の平均が不利な傾向にある場面も多々存在する。死亡率の高い労働は男性比率が圧倒的に高いし、自殺率もホームレスの数も男性が上だ。職業的な話でも、例えば保育士になるハードルは男性のほうが圧倒的に高いだろう。当たり前ではあるが、切り口はジェンダーだけだはない。年齢・健康・容姿・性格・能力・人種、なんでも良いが差別や不平等を生む原因は無数にある。これらの意見は典型的な”アンチリベラル”の物言いだと感じるかもしれない。しかし彼らを説得したいのであれば当然このような主張に対する応答は必要なはずだ。なにより”アンチリベラル”が怒っているのは、”リベラル”が特定の差別や不平等だけに着目し、それ以外を矮小化・無効化しようとする態度だろう。ここを無視して「おじさん」は特権的な立場にあるとだけ言っても当然反発を生む。典型的に”リベラル”には受けるが”アンチリベラル”には説得的でない主張となってしまっている。ある側面における男性優遇を批判するにしても、それは慎重に対象を選ぶ必要があるはずだ。
次に批判したいポイントはバズワードになりがちな「平等」という語句をどのような意味で使っているかが何ら書かれていない点である。性差別に関する論争でよくあるのが、”リベラル”は(結果平等を指して)「日本社会において男女は不平等である」と言っているのに対し”アンチリベラル”が(機会平等を指して)「日本社会において男女は既に平等である」と言い合い、すり合わせもないまま不毛な罵倒合戦をやるパターンだ。氏は文中において、差別・不平等が残置されている例として選択的夫婦別姓・同性婚・LGBT平等法が実現されていないことを挙げているあたり、結果平等を念頭に置いてこの文章を書いているのだろうが、”アンチリベラル”の多くの反応は「法律的にはどれも男女間で差異が無いのに何を言っているんだ?」というものになるだろう。細かいことをあげつらっているように感じるかもしれないが、やはり対抗論者の考えを想定していない内向きの文章になってしまっている。そもそも例として挙げられている選択的夫婦別姓・同性婚・LGBT平等法をジャンダー感の不平等という文脈で扱うことに個人的にかなり違和感があるが・・・・・(ジェンダー間の問題もあるだろうが、それ以外のイデオロギーの違いによるものがよほど大きいのではないか)。
最後の批判として、氏が「おじさん」に対する差別に無批判な点である。私が気になったのは『みんなの未来を選ぶためのチェックリスト』の記者会見において町田彩夏氏が受けたマンスプレイニングに関して言及している箇所だ。記者のマンスプレイニングに対して町田彩夏氏が返した「あらためてこの場において、特定の、所謂、ある年代以上のおじさんたちが司っている”国会”というのは日本社会に重なるものなんだなということを実感いたしました。ありがとうございました」という発言はマンスプレイニングを行った記者個人の言動を広げて「ある年代以上のおじさんたち」一般に拡大した差別的な発言である。大前提として、私は町田彩夏氏を非難する気は毛頭ない。記者のマンスプレイニングは本当に酷いものであるし、その反論が皮肉交じりになって問題のある表現が含まれてしまうのは理解できる。氏の毅然とした対応にむしろ好感を持っている。前置きでも書いたが、私たちは完璧でなく、時に差別的であったり配慮に欠ける言動をしてしまう。個別のそれを非難しても建設的ではないし、重要なのは周囲でありコミュニティがそれを容認しないことだと私は考えている。このnoteがジェンダーの不平等を訴える内容である以上、この町田彩夏氏の発言に対しスガナミユウ氏が言及しないのは不誠実ではないだろうか。少なくともその非対称な振る舞いは”アンチリベラル”が反発する最もたるものだと感じる。
ここまで読んでいただけるとわかると思うが、「誰が踏みつけられているか」はとにかく説得対象である”アンチリベラル”的な考えを持った対抗論者の思考をトレースできていないと感じる。そして自分と同じ”リベラル”的な思想だけを考慮したこのnoteは”リベラル”内でだけ盛り上がり、”アンチリベラル”には反発され、結局のところ分断だけを生むものとなってしまっているのではないか。誰かを説得したい時には、賛否はともあれまず相手の主張を理解するところから始めるべきだろう。この「対抗論者の考えをトレースするのが絶望的にできていない」点は近年のリベラル勢力に多い典型的な欠点だ。上記の私の批判にも多々問題はあるだろうが、少なくともこのnote「誰が踏みつけられているか」が無邪気に賛同一色となるコミュニティは絶対に健全でないと思うのだ。なんだかんだと書いたが、私自身はどちらかと言えば”リベラル”に親和的な考えを持っている。スガナミさんの主張に賛同するところは非常に多いし、全体的に見て日本社会は男性優遇の傾向にあると考えている。しかし社会は多面的で、一概に男性、女性、LGBTとくくってしまえるような問題はほとんど無いはずだ。いまいちど”リベラル”は自分自身の思想を俯瞰して考えられるようにならないと、本当にマズイ。
温泉に行きたくなった
だが有名どころではダメだ
ちょっと寂れているようなところがいい
九州でいうと別府湯布院黒川、このあたりは観光地然としすぎている
温泉に入った後「温泉以外なんにもないな、ここは」と思わずぼやいてしまうようなところがいい
例えば、小浜とか……
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ここから南下して大牟田へ向かう、およそ一時間電車に揺られることとなる
ホークスの二軍球場ってこっちに移転したんだっけ、だとかちょっと南下するだけで田んぼだらけになるな、だとか思いながら車窓をぼんやり眺める
福岡県の南端である大牟田駅に到着、ここからはバスに乗りフェリー港へ向かう
フェリーの乗客は自分の他に片手で数えられる程度の人数しかいない
博多通りもんの手土産を抱えて座る年配の夫婦、カメラを手に雲仙岳の遠景を撮影する青年、などなど……
少し海が荒れただけで運休となるこのフェリー路線を頼りにする人は少ないのかもしれない
フェリーも一時間かけて長崎側の港に到着する、なんとのんびりした旅路だろうか
さあ、島原だ
雲仙岳の威圧感が凄まじい、静岡山梨の人々も同じように富士山の圧に曝されながら過ごしているのだろうかなどと思いを馳せる
雲仙岳をバスで登れば雲仙地獄の温泉もある……だがそこは観光地だ!今は違う
そこで降りずにバスでこれまた1時間、雲仙岳の逆側(つまり西側)のふもとまでたどり着けばそこが小浜だ
しかし地元の方に失礼な物言いかもしれないが、観光するような場所はほとんどない
もう温泉に入るほかないのだ!
明日のチェックアウトまで、温泉に入る以外なにもすることがない
それこそがいいのだ
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例のアレの感染者数も少なくなってきたし、チャンスがあればまた温泉へ行きたい
小浜もいいが次はどこにするか
技術的には可能です、って物言い反省しないといけないなって思う。
切手のアレとかみて思ったわけだけど、深刻にはxIDとかさ。
お金をたくさん入手する、っていうミッションを与えられてしまったとき銀行強盗で入手するのは技術的には可能な話と見積もれて、綿密に検討したらどのぐらい現実的に実現可能なのかは検討できる
法律の専門家じゃないからそこで確実確定なNGを出すことはできないけど技術的には可能だけど法的には問題あると思うのでおすすめしませんみたいなことをソフト屋は言いがち
だけどそれでよくわかんねーけど責任は持つ(実はもたない)みたいなことでイケイケどんどんされて作っちゃって大変なことになっちゃってるわけじゃん
反省しないとなあ
長いけど全部読んだけど温泉むすめの企画に賛否含めて複雑な思いがあるのは分かるが
twitterやはてブとかは短文でやり取りするコミュニティだからね…
みんなが一面的な意見をぶつけ合って裏でしんどい思いをする人達がガマンしていく現実は中々覆らない。
丁寧に一つ一つ話し合えるコミュニティで温泉むすめが語られていけばあの企画は理想的な変遷を辿っていくのかもしれないが
現状はまた一つ対立が加速していくだけだと思うね。
一方でyoutubeとかで温泉むすめの騒動について丁寧に語ってる人達も散見された。
そのような人達がもっとクローズアップされるようなネットだったら良かったかもしれんね。
まぁつまりネットの言論の中心が一面的な物言いのぶつけ合いより丁寧に一つ一つ語れるコミュニティに移っていって貰うしか
裏でガマンしている人達の苦しみが解消されていく道は無いような気がする。
いやそんな良い未来があったとしても温泉むすめで今現在対立が進む状況には何の救いにもならんか…
どうすりゃいいんだろうな