はてなキーワード: 意図とは
①萌えに逃げない
④敵とのフィジカルバトル展開に逃げない
⑤ボケはあっても声色じゃ分からないほどあっさり。ツッコミ的なものは皆無
⑥登場人物同士の掛け合いやなれ合いでテンポが悪くなっている作品が極端に少ない
⑦どれだけ制作費がかかっていようが判子絵(ゆえに顔芸的な場面がある作品を見たことがない)
⑧ストーリーの続きが気になってむさぼるように延々見てしまうほど面白い作品の出現頻度が日本よりもかなり落ちる
⑨持ってたグラスを怒ってるわけでもないのにカジュアルに地面に放り投げて割ってしまい、それを別に意に介してないシーンが1シーズン1回は見る(まさかリアルのアメリカ人こんなことしてないよな?)
正直①~⑥を満たしているアニメを観るのはここまで快適なのか、体力を削がれないのかと衝撃だった。
まるでアメリカのアニメは見ててお茶を飲んでるような気楽さがある。
対する日本アニメは好きでもないドクペをどうにか飲んでるような感じ。皮肉にも逆。
⑦はすぐに慣れる。
⑧はストーリーがとにかく平板なせいだと思う。朝の連続テレビ小説くらいペラペラ
⑨は日本のアニメや漫画で言うところの「めっちゃ急いでる登場人物が自転車でAKIRAの金田みたいにドリフトしながら止まる、曲がる」的なお約束の表現みたいなもんなのか?
【追記】
追加
「これシュールだろ?笑ってー。ちなみにこのキャラ、あとで説明無しにちゃんと無傷で現れるから安心してねー」みたいな感じでエグいグロ描写を突然繰り出してくる場面が頻出
⑪ 木多康昭作品くらいの手数で、唐突に、無遠慮に芸能人やゴシップを皮肉るネタを「視聴者の属性の別なくこれはさすがにみんな分かるだろ」と言わんばかりにぶち込んでくる
⑫恐らくだが、ダジャレがイケてる笑いであるという文化がある。
「Holy Crap! He is a cripple!」
「Holy Crip! He is a crapple!」
と言い間違えてしまうシーンが某アニメであるのだが、涙流して動けなるくらい笑ったあの伝説的なブラックジョーク、くらいに絶賛されてredditで未だ語り継がれてるくらい
ご意見ありがとうございます。確かに、そのような対応をする人との建設的な対話は難しいかもしれません。
しかし、特定のグループや個人を一般化して批判することは、さらなる対立や誤解を生む可能性があります。むしろ、個々の言動や行動に焦点を当てて議論することが、より生産的なアプローチかもしれません。
例えば:
1. 具体的な発言や行動に対して、なぜそれが問題だと感じるのかを冷静に説明する
2. 相手の意図を理解しようと努め、誤解がある場合は丁寧に指摘する
これらの方法を試みても対話が難しい場合は、その場を離れるのも一つの選択肢です。自分の精神衛生を保つことも大切だからです。
最終的には、私たち一人一人が、より良い対話と相互理解を目指して努力することが、社会全体の雰囲気を少しずつ変えていく力になるのではないでしょうか。
自分は東京都民じゃないし、岩下の新生姜の社長も暇空茜もどうでもいいんだけれど、キャラクターのイワシカが好きでよくLINEスタンプを使っていた。
でももしあの騒動を知っている人にイワシカのスタンプを送ったら、相手に意図しない感情が生まれるかもしれないとか思うと少なくとも今は使えないなと。
ある意味これも不買運動になるのだろうかなんて思ったりもした。LINEスタンプは購入済みだけれど笑
そもそも世間の大多数は知らないだろうし、興味もないだろうから気にしなくてもよいのかもしれないけれど、リスクは考えないといけないと思う。たかがスタンプ、されどスタンプ…。
みんなが知りたい戦争経験ってありきたりだと加害の体験なんだろうけど、俺が一番聞きたいのは「味方を撃った話」なんだよな
下級兵をいびっていた士官や上級兵が戦場のどさくさに射殺されたケースがたくさんあると言われていて、
もちろん軍の恥だから「名誉の戦死」で全部処理されたので今となってはどの程度あったかは分からない
酔った帰還兵が中国人殺しを自慢した話はたくさんあるのに、上官殺しを自白したって話は聞かないんだよな
まぁ帰還兵の集まりでも絶対に口にできないしこのまま永遠に闇に葬られるんだろうな
なお数少ない事例として丹波哲郎が先輩兵の川上哲治を射殺しようとして未遂に終わったことを告白している
意図は国語力さんが書いてくれたとおりだけど、それが通じなかったとしても一部ブクマで罵声を浴びせられた理由が全く分からない
VRChat界隈であっちこっちいちゃもんつけて燃やして回ってる炎上ライター浅田カズラ, 今度はVket Avatar MakerのPR記事でUnityなしでVRChatにアバターが持ち込めると大嘘の釣りを連発して炎上. さんざん釣りだなんだと嫌がらせしておいて、自分は燃えたらツイ消し逃亡. ウザすぎる
ttps://x.com/mos_vrc/status/1797883352319701204
「(やろうと思えば)VRChatに持ち込める」なんて書き方せずに「ただしVRChatにアップロードするためにはUnityが必要」ってハッキリ書こうよ。
Unity不要を謳うツールの紹介にしれっとUnityが必要な操作を盛り込むのは不誠実だし、ましてPR記事でやるのは悪質
ttps://x.com/ouki00/status/1797920525735621066
書いてる人がなぁ
togetter.com/li/2299383
ttps://x.com/nami_555jp/status/1797943816449851696
@ouki00 VRChatはそもそもUnity必須で、知っててこの方
言ってるのなら、そのほうが〇質な気が!?
ttps://x.com/ouki00/status/1797948103426965909
@nami_555jp この人かなり改変してたはずなので実は…
ttps://x.com/SakamotoVRChat/status/1806681522054774835
浅田カズラPR記事で悪質な嘘記事書いて炎上してんのか pic.twitter.com/2I310bxjWv
ttps://x.com/MK2yekcimuzen/status/1797954167425941573
なに?VR国勢調査を炎上させた人がまたなんか変なPRかいてやらかしたの?
ttps://x.com/SakamotoVRChat/status/1806678899444826475
浅田カズラまたやらかしてんのかウザすぎる pic.twitter.com/M8OGT2yNSA
ttps://x.com/mos_vrc/status/1797883352319701204
「(やろうと思えば)VRChatに持ち込める」なんて書き方せずに「ただしVRChatにアップロードするためにはUnityが必要」ってハッキリ書こうよ。
Unity不要を謳うツールの紹介にしれっとUnityが必要な操作を盛り込むのは不誠実だし、ましてPR記事でやるのは悪質
ttps://x.com/metacul_project/status/1797904537593991228
@mos_vrc ご不快に思いをさせてしまう、申し訳ありません。アバター制作のうえではUnityが不要、という意味合いではありましたが、誤解招くのは事実ですので、該当箇所にUnityが必須である旨を追記させていただきました。
ttps://x.com/asada_kadura_vb/status/1797907572286255136
@mos_vrc ごめんなさい!全くなにか悪質な意図があったわけではなく、VRMの活用事例のひとつとしてご紹介したかっただけでした。たしかに、VRChatへのアップロードはオプション的に書くべきだったと思います。ご意見、ありがとうございます。
ttps://x.com/mos_vrc/status/1797921904088748539
@asada_kadura_vb こちらこそ出過ぎた真似をしてしまいすみません。個人の感想ですが、冒頭からVRChatの話題を出しつつ製品紹介でMy Vketへの直接アップロードやVRMエクスポートに帰着するなど、諸々ミスリードを誘っているように思いました。個人ブログではなく企業運営の認識ですが、監修は行われてますか? pic.twitter.com/IFdYTUPLYs
ttps://x.com/asada_kadura_vb/status/1797924248041955375
@asada_kadura_vb すみません、そのテーマを読み取れませんでした。冒頭のつかみから「VRChatユーザ向けのUnity要らずのツール紹介」を期待してしまいましたが、私の読解力が足りないようです。
監修記事でないなら、それこそ出過ぎた真似をしてしまいすみません。今後のご活躍をお祈り申し上げます。 pic.twitter.com/0QNRdWBzDL
ttps://x.com/asada_kadura_vb/status/1797958717104914595
@mos_vrc いえ、そう読み取られたならば、外部監修がないとはいえ、それは記事側に責任がありますし、そう書いた自分の責任です。申し訳ありません。
もす様の憤りもごもっともですし、記事の構成については再考してみようと思います。ご意見いただき、ありがとうございます。
ttps://x.com/Books0422/status/1797951892930355241
@asada_kadura_vb これ多分そういう意味じゃなくて、「推敲が甘い」って言うのをマイルドに言われてるだけだと思うよ。
VRChatユーザーがなんでUnityで改変しているのかって、「VRChatで着るアバター改変がしたい」のだから、前置きの「VRChatユーザーのアバター改変でUnityが必要なくなり」そうな煽り文句から(続)
ttps://x.com/Books0422/status/1797952083200709114
@asada_kadura_vb 「結局直通なのはMy Vket、出力されるのもVRM。VRChatに上げるのはUnityが必要で、しかも前置きで必要なくなるような書き方をされていた作業はほぼすべて必要」ってなったら読んだVRChatユーザーがっかりすると思うよ。
ttps://x.com/asada_kadura_vb/status/1797956176564596891
@Books0422 たしかにVRChat引き合いに出しすぎたかも。個人的には、Unityで挫折せず、ここでアバター改変の楽しさを知る最初の一歩を知ってほしいな、という思いがあったけど、ちょっと煽りすぎたかな……それはシンプルに反省点ですね。
ttps://x.com/Books0422/status/1797958058175553555
@asada_kadura_vb そこがズレてて、「Unity使えないならVRChatじゃなくてMyVketやVRMが使えるプラットフォームを使えばいい」って受け取られかねないよ。
大多数は「アバター改変がしたい」が先ではなくて、「このプラットフォームで使う自分だけのアバターが欲しい」が先なんだから、視聴者心理をちょっと外しすぎてる
ttps://x.com/metacul_project/status/1797973553209549221
👕REPORT:Webブラウザで、5分あればかわいいVRMアバターができる時代!「Vket Avatar Maker」のクリエイターズアイテムを試してみた
metacul-frontier.com/?p=12404
※みなさまのご意見を受け、タイトルを含めた記事全体の表現・構成を再考いたしました。
ttps://x.com/asada_kadura_vb/status/1797974546747912655
記事全体の表現・構成を見直しました。ご意見をいただき、たしかに導入からしてよくない内容になっていたことに気づきました。
今後とも、よりよい記事をお届けするべく、みなさまから幅広いご意見いただければ幸いです。何卒、よろしくお願いいたします!
ttps://t.co/peMEDy09cZ
ttps://x.com/YOKO_BLACK0330/status/1798216183378034733
「アバターとして持ち込める」と「アップロードできる」の表記の違いで機能差があるのかな?って気になるんだけど、どなんだろ pic.twitter.com/ucjvo56I3Z
ttps://x.com/iosysandpio/status/1798225124719825164
@YOKO_BLACK0330 記事書いてる人がちゃんと使ったことないからアップロードできる程度しか書けないんだろうなぁとか思ってしまいました
ttps://x.com/ouki00/status/1797920525735621066
あっちこっちいちゃもんつけて燃やして回ってるくせに自分は燃えたらツイ消し逃亡
ウザすぎる https://t.co/tA5MBwKEhj
ttps://x.com/otsune/status/1722430965354733600
@xlwnya スパム業者や迷惑系配信者とおなじ手口のタイトル釣りをしたのに「みずからそうとは名乗ってないのでそういう言い方をしないで」と言い張っても通用しないのと同じ。
ttps://togetter.com/li/2299383
増田を適当な語句で検索すると、検索結果ページで日付部分(青い帯のところ)のリンク先がバグっている
例えば、「2024-06-28」のリンク先は https://1.52.216.244/ になってしまう
<a href="//20240628"><span class="date">2024-06-28</span></a>
となっているので、この余計なスラッシュのせいで「20240628」が意図せずドメイン扱いされているんだろうなというのはわかるんだけど、それが「1.52.216.244」になるのってどういう仕様からなのか誰か教えてエロい人
(追記)
今では信じられないことだが、90年代~10年代はリベラル論壇でサブカルチャーの作品や作家について深く思考し語れているか?が論者として凄いかどうかの基準のひとつ。これが暗黙の前提だった。
だから宮台真司も東浩紀もサブカルチャーについて語っていたし、そんな風にインテリにレペゼンされるのが嫌な野良の書き手と謎の小競り合いが起きて……とモメ事もその周辺で延々繰り返された。
このレペゼン枠争いはいまでも岡田斗司夫のオタキングという通称だったりがその時期の文化遺産として名残が残っている。ユリイカがたまにマンガ家特集やったりしてる所なんかもこの名残のひとつだ。
何にせよこの戦いでは深く理解をする、少なくとも理解をしようと務めた者が勝者であり価値として認められていて、これだけは立場、思想を問わず共有されていた。
これが10年代に一気にかわり、理解しているか?よりも反省させているか?が価値となった。迂闊な表象を出した作家や企業をどれだけ炎上させ反省させたか? 理解の深さを競うゲームから一抜けし、かわりに誰かを反省させることをリベラルは選んだ。
これが便利だったのはサブカルチャー批評はキャラの造形、関係性、物語、世界観、作家の意図、フェティッシュ、社会反映、二次創作での扱い。そのすべてに目配せし応答できる知能が求められたが、反省させるのは目に入った刺激に反応するだけで良いので猿でも出来る事で、強力な利点だった。
だから議員になりたての売れたい中年やバズりたいだけのNPO代表なんかがこぞってこの反省ブランディングに手を出すようになり、……このへんから後は皆の記憶に新しい内容がそのまま起きていった。
20年代には誰かを反省させた=凄い奴。が蔓延しきったのでそれに続いて、自分は反省した=凄い奴と、どれだけ反省させたか競争に更にどれだけ反省したか競争までもが加わり不毛さとナンセンスさに更に拍車がかかった。
これは当初は理解の深さで勝負してたのに、いつしか反省の深さで勝負するようになったTBSラジオの宇多丸なんかが最もわかりやすい例だろう。
今の売れ筋はtoxicマスキュリニティで、反省用アクセサリーとしては最近話題になった御茶ノ水の人なんかは全身これで固めていたし定番アイテムとなっている。
この辺りの時期ですでに宮台は映画語りだけを残し撤退していたし、東浩紀は観光客をキー概念とし、レペゼンの万能感から離れ不能さに留まることを選んだ。
このリベラルの入念で計画的な自滅によってサブカルチャーを通してリベラル的に何かを考える思想の蝶番そのものが場所とプレイヤーの両面から壊れ修復不可能になっていった。
保守やヘイターの手によってではなく自分たちで壊すことを選び、現状フィールドに残ったのは壊すことで延命できるような既に賞味期限きれなのをごまかしている評論家だけになったし
新しく出てくるプレイヤーも落合や成田のようにITビジネス系とつきあう形を選びサブカルチャーにはそもそも深入りして言及する事自体あまりない。
こうやって入念に登場の準備をお膳立てし、鍋も具材もすべてリベラルが自らの手で揃えきったあとに現れたのが暇空だった。
こういう流れがないとなぜ彼がやたらとHUNTER×HUNTERの話をするのかエロゲではランス10が最高傑作だったという話をするのかも意味がわからないし
なぜ他の候補のマンガ賢者ブランディングに対し対談で謎のクイズおじさんと化して企画を破壊してまで暴くのかそのメリットが恥をなぜ上回るのかもわからないが
彼は要はこの系譜の忌み子として出てきており、リベラル論壇が自分から手放したここの客層を単におさえただけだ
そしてその上から保守っぽさアンフェミっぽさをメッキで後乗せして支持の総量を増やそうと形づくっていってるのだが、リベラルはあまりにも愚かなのでこのメッキを本体だと思ってミソジニー枠で処理しようとしていて、ほんとうにどこまでいっても愚かだなと感じる
今では信じられないことだが、90年代~10年代はリベラル論壇でサブカルチャーの作品や作家について深く思考し語れているか?が論者として凄いかどうかの基準のひとつ。これが暗黙の前提だった。
だから宮台真司も東浩紀もサブカルチャーについて語っていたし、そんな風にインテリにレペゼンされるのが嫌な野良の書き手と謎の小競り合いが起きて……とモメ事もその周辺で延々繰り返された。
このレペゼン枠争いはいまでも岡田斗司夫のオタキングという通称だったりがその時期の文化遺産として名残が残っている。ユリイカがたまにマンガ家特集やったりしてる所なんかもこの名残のひとつだ。
何にせよこの戦いでは深く理解をする、少なくとも理解をしようと務めた者が勝者であり価値として認められていて、これだけは立場、思想を問わず共有されていた。
これが10年代に一気にかわり、理解しているか?よりも反省させているか?が価値となった。迂闊な表象を出した作家や企業をどれだけ炎上させ反省させたか? 理解の深さを競うゲームから一抜けし、かわりに誰かを反省させることをリベラルは選んだ。
これが便利だったのはサブカルチャー批評はキャラの造形、関係性、物語、世界観、作家の意図、フェティッシュ、社会反映、二次創作での扱い。そのすべてに目配せし応答できる知能が求められたが、反省させるのは目に入った刺激に反応するだけで良いので猿でも出来る事で、強力な利点だった。
だから議員になりたての売れたい中年やバズりたいだけのNPO代表なんかがこぞってこの反省ブランディングに手を出すようになり、……このへんから後は皆の記憶に新しい内容がそのまま起きていった。
20年代には誰かを反省させた=凄い奴。が蔓延しきったのでそれに続いて、自分は反省した=凄い奴と、どれだけ反省させたか競争に更にどれだけ反省したか競争までもが加わり不毛さとナンセンスさに更に拍車がかかった。
これは当初は理解の深さで勝負してたのに、いつしか反省の深さで勝負するようになったTBSラジオの宇多丸なんかが最もわかりやすい例だろう。
今の売れ筋はtoxicマスキュリニティで、反省用アクセサリーとしては最近話題になった御茶ノ水の人なんかは全身これで固めていたし定番アイテムとなっている。
この辺りの時期ですでに宮台は映画語りだけを残し撤退していたし、東浩紀は観光客をキー概念とし、レペゼンの万能感から離れ不能さに留まることを選んだ。
このリベラルの入念で計画的な自滅によってサブカルチャーを通してリベラル的に何かを考える思想の蝶番そのものが場所とプレイヤーの両面から壊れ修復不可能になっていった。
保守やヘイターの手によってではなく自分たちで壊すことを選び、現状フィールドに残ったのは壊すことで延命できるような既に賞味期限きれなのをごまかしている評論家だけになったし
新しく出てくるプレイヤーも落合や成田のようにITビジネス系とつきあう形を選びサブカルチャーにはそもそも深入りして言及する事自体あまりない。
こうやって入念に登場の準備をお膳立てし、鍋も具材もすべてリベラルが自らの手で揃えきったあとに現れたのが暇空だった。
こういう流れがないとなぜ彼がやたらとHUNTER×HUNTERの話をするのかエロゲではランス10が最高傑作だったという話をするのかも意味がわからないし
なぜ他の候補のマンガ賢者ブランディングに対し対談で謎のクイズおじさんと化して企画を破壊してまで暴くのかそのメリットが恥をなぜ上回るのかもわからないが
彼は要はこの系譜の忌み子として出てきており、リベラル論壇が自分から手放したここの客層を単におさえただけだ
そしてその上から保守っぽさアンフェミっぽさをメッキで後乗せして支持の総量を増やそうと形づくっていってるのだが、リベラルはあまりにも愚かなのでこのメッキを本体だと思ってミソジニー枠で処理しようとしていて、ほんとうにどこまでいっても愚かだなと感じる
「蓮舫はスパコンに助け舟を出した」と言うリベラルは間違っている。
そもそも「予算折衝で目標の意義を問われること」自体が(どんな意図があれ)当たり前の行い。
そこから少しでも常識を動かしたら、日本は欧米はおろか他のある程度民主主義が形になって来た後進国にも置いていかれるぞ。
論理的に譲ってはいけない最低ラインを下らない日本式の折衷案でめちゃくちゃにするな。
いいえ。下記は別の増田(ワイじゃない)ですけど、下記なような意図です
性的に見られたい欲求が強い人ほど性的な記号を自分から達成しに行き、結果、少しでも思わぬ方向からデメリットが降ってくるとギャーギャー文句言うだけじゃないですか...?
アルゴリズムとデータストラクチャは必ず聞かれるので一通り押さえておくのは無駄ではないと言うか必須
ただし高度なものをやるのではなくて基本的なものを目の前でどう言う意図でそうしてるのか喋りながらコードするので、喋れない人、グチャグチャな人、意図がズレてる人等は落ちる
(原作およびアニメ最新話のネタバレ含みます。次回のアニメで描かされそうな部分はたぶん触れてないはず)
思ったより長くなったので簡単なまとめ
・一部原作ファン界隈の反応をずっと追いながら、ユーフォ3期を見てきた
ユーフォ3期最新話の改編回りがまあまあ話題になっていたので、Twitterの一部原作ファン界隈の反応を観察し続けてきた自分の見てきた光景について、ちょっと書いてみたいなと思った。
ここで書く原作ファン界隈(以下、「原作組」表記)は、原作・作者に対する熱心なファンで、思い入れの強さが「原作>>>アニメ」ってスタンスに見える人たち。
原作既読のファンの中でも濃度や比重はそれぞれだと思うので、あくまで一部界隈に限った反応ということでよろしく。
ちなみに、なんでそんな界隈の反応を観察していたかというと、
自分個人としてもアニメユーフォの2年生編(劇場版「誓いのフィナーレ」 )が原作の良さを台無しにしまくった残念作品だったことで、アニメ版を見る目が以前よりも少ししらけてしまって、比較的共感出来そうな層の感想を摂取したかったからという経緯から。
自分も、おそらく原作組もほとんどが、アニメユーフォ1期の大傑作ぶりに魅了されたのがきっかけで作品のファンになったはずだし、
自分としては今でも、1年生編の範囲に関してはアニメの方が原作より好きなくらいなのだけど、
そんな素晴らしいアニメ1期2期を作ってくれたスタッフなだけに、2年生編の劇場版はホントにがっかりしたのよね・・・。
まず、1~3年生編の中で、2年編が一番群像劇感強くてTVアニメ向けっぽいのに、劇場版の短い尺に押し込めたせいで構成が歪になり、大事なシーンもカットされまくったこと全体がとにかく残念だった。
それに、尺が短い中でやらなきゃいけないという前提を汲んでもなお、省略されたことや改変されたことが許容できないシーンが数点あった。
特に一番大きいのが、秀一と久美子の交際停止タイミングを関西大会前に変えて、理由もなんかふわっとした感じにしちゃったこと。
原作だと、タイミングはラストの関西大会敗北後。気丈に振る舞っていた優子前部長が影で涙していたことを知り、しかもその優子・夏紀から直々に次期部長を託された久美子が、部活に全てを賭ける決意の証として別れを切り出す。秀一もそれを受け入れ、”恋人”じゃなく”部長”の久美子を支える決意をする・・・というめちゃくちゃドラマチックで大好きなシーンだったので、映画で改悪されたこのシーン見たときは呆然とした。
そもそも原作のこのシーンから取って「誓いのフィナーレ」ってタイトルにしたもんだと思ってたからね。
他にも、原作の2年生編は続く3年編への布石をいっぱい打っている作品で、
●久美子が下級生の指導係としてお悩み相談に奮闘→翌年部長として慕われまくり、それがかえって真由を疎外してしまう根拠に
●集団退部の苦い経験から、部の融和を何より重んじてきた優子前部長が、その反動で部の空気が緩んだことを敗因と分析→翌年、高坂ドラムメジャーの元でスパルタ改革する理由作りに
●優子や夏紀達が身を削って最後の1年部に尽くしてきた姿を描く→それを部長として受け継いだ久美子の重みが増す
・・・等々、3年編を盛り上げたり説得力を出したりするための「つなぎの一作」として非常に優れた作品だったのに、そういう要素がアニメ2年編では省略されまくり、そのせいでアニメ3年編にもそうした文脈が引き継がれなかったのがとにかく残念だった。
そんなこんなで2年編で一気に原作とアニメの評価が逆転してしまい、待望のアニメ3年編開始にも以前ほどの熱量の湧いてこず、少し冷めた目線を共有するスタンスくらいの方が心地よいかなと思った次第。
一方で、2年編と違って、3年編に関しては個人的に原作に対しても不満・消化不良に感じた点が多かったりして。実は、「そのままアニメ化するより、なんか良い具合にアレンジしてくれないかな・・・」という本音を持ち合わせてたのも面もあったりした。
原作で全編に散らばらせていた月永求のエピソードを、1話にギュッと圧縮した改変は比較的好評で、
後は、アニメで謎に求×奏の絡みが盛られまくったことなんかは面白がられていたが、
それ以外は全体的に、「ここ原作の方が良かった」みたいにチクチク言われてることの方が多かった印象。
特に、不評が一気に顕著になっていたのが、直近の10話・11話の描写。
一番多かった批判としては、アニメの麗奈が原作に比べてブレすぎ、ナヨナヨしすぎ、久美子に依存しすぎに見える、というものだったと思う。
確かに原作の麗奈は良くも悪くももっと自分を貫き通し続けて、久美子への態度もドライだったと記憶している(あんなに繰り返し「久美子とソリを吹きたい」と言うのはアニメだけ。なんなら原作の麗奈は真由とも仲良くしていたりする)
他は、以下のような不満点が挙がっていたかと。
・原作であった「部活・コンクール・音楽とは」みたいな多様な観点が薄れて、「努力して全国大会で勝つ!」みたいな単純なスポ根ものに見えちゃう
特に、アニメは原作より久美子×麗奈のイチャつき重視、久美子×秀一の要素は薄め・・・というのは以前からの流れだけど、
直近ではプラスして、麗奈のキャラ自体が原作より変わっちゃった感があったのも相まって、10話11話辺りの久美子×麗奈の描写はかなり冷めた目で見られていたように感じた。
ただ、自分もその感想に全て同調していたかというとそうではなく、
なにせ根っからの判官贔屓体質なので、こうも「原作の方が良かった」という小言を見ていると、「いやここはアニメの方が良くないか」という点を探しがちになっていた。
例えば、10話で久美子が部をまとめるために演説する内容、タイミングが原作から変更されていたが、「北宇治の仲間に話しかけるシーン」としては、自分はアニメの方が良いなと思った。
原作では名無しの3年生達も、皆名前と顔を描き続けてきたアニメだからこそ、「北宇治のみんなと最高の演奏をしたい! みんななら出来る!」というアニメの演説シーンは、全然陳腐とか思わず素直にぐっときた。黒沢ともよさんの演技が最高なのは言わずもがな、それを聞いてる皆の表情で泣けるんだ。この子達にも皆、部活に全力投球してきた3年間があったんだよなあと思いをはせてしまう
一番批判されていた麗奈の描写も、確かに原作の方が孤高な感じでカッコいいなと思う一方で、原作麗奈のスパルタ指導や滝先生への批判を精力的に取り締まる描写はやり過ぎに感じた部分もあったので、アニメの描き方もこれはこれでアリかな・・・くらいの印象だった。
そんなこんなで、多少残念な点もありつつ、2年編と違ってそんなにアニメ版が悪いとも思えなかったので、原作組に対して、「そんなに悪く言わんでも・・・」「ここからアニメ版がめちゃくちゃ凄い描写をして、ギャフンと言わせてくれないかな」みたいな反骨心をどこか抱きながら、12話の放送を迎えることになった。
確か11話の放送が割とすぐ後くらいに、12話のあらすじと一枚絵が掲載されて、
どうやら、12話では久美子と真由がソリをかけて公開オーディションするアニオリ展開になりそうだ・・ということが分かった。
その瞬間からもう、「これはヤバいんじゃないか」という、悪い意味でザワザワした空気が漂っていた。
原作を読んでいる人からしたら、最後のオーディションで久美子がソリを奪い返すという結末を当然前提に入れている。
そのうえで、部員投票の対決という舞台を使って、「皆に肩入れされる側の」久美子が勝つ・・・という展開をどうすれば納得いく形で描けるのか、非常に想像するのが難しい。
11話までの描写でアニメスタッフに不信感を抱いていた層からは「これ、『1期(麗奈vs香織先輩)のオマージュやったらエモいっしょ』くらいの感覚でやってないか? 」みたいに言われてたり。正直自分も、この展開に関しては不安の方がだいぶ大きかった。
後からリアルタイムのツイートを見てみると、オーディションが始まるまでは相変わらず不満の声が多かった。
「まーた麗奈が『最後は絶対久美子とソリ吹きたい』とか言ってるよ。原作と別人じゃん」とか、
「真由にとってつけたような悲しい過去付与すんなよ。原作と別人じゃん」とか。
久美子が敗北するというオリジナル展開、しかも決定的な一票を投じるのが麗奈・・・という大規模改編展開に突入した瞬間、空気が一変していた。
「うおおおおお!」 「まじかあああ!」 「やりやがった!」
みたいな、ポジティブよりの興奮した反応が一気にあふれ出していたのだ。
そして放送終了直後には、
「今回は素晴らしかった」 「こういうのでいいんだよ」 「今までの改変も腑に落ちた」 「石原花田を見直した。すいませんでした」
みたいな手のひらクルクル感想が投稿されていて、ある意味こっちの流れもカタルシスがあった。
単に1期のオーディションや大吉山の名シーンをなぞる演出が良かったとかそういう表面的なところだけじゃなく、この方が物語に説得力がある、作品に筋が通った・・・と思わせてくれる作りなっていたからだと思う。
象徴的なのが、これまで批判されていた、「麗奈が久美子にベタベタしすぎ」 「やたらと繰り返す、久美子とソリ吹きたい発言」という要素が、「それでも、『演奏の上手さが絶対』という信念や、2年前オーディションの時の久美子との誓いを貫いて、真由とのソリを選ぶ」という、原作とは違う形で麗奈の気高さを描く展開の前振りとして機能していたこと。
これがやりたかったのなら、なるほど今までの改変描写も理解出来る・・・と見直されたわけだ。
「ここから巻き返すには、もうアニオリ展開で真由に勝たせるしかないのでは」
「これで真由に勝たせたら手のひら返すわ」
みたいな、この改変展開になったら良いんじゃないかって予言していた人もちらほらいたのだ。
(まさか本当にそこまで攻めた手を打ってくるとは思ってなかっただろうけど)
原作至上主義みたいな人からもそういう発想が出てくるあたり、少なくともアニメ版は最初からこの結末を正解とする前提で、そこに向かっていろんな描写を積み上げてきていたのだと思う。原作と目指すゴールが違うから、その過程で違和感が生じることにもなるよねと。
アニメのユーフォは最初の1期が原作にないオリジナル要素盛りまくりで、
麗奈と香織が部員投票オーディションで対決するくだりも、その際に久美子と「裏切ったら殺していい」と誓い合うくだりも、久美子が上手くなりたいと叫びながら橋を疾走するくだりも、全部原作には全くないシーン。
これらのシーンがあるかないかによって、初期の時点からもう原作とアニメの久美子・麗奈のパーソナリティは分かれてきているのではないかと。
アニメスタッフは別に原作を理解出来てないわけじゃなくて、スタートの時点から違う解釈のものを描き続けてきて、それを貫き通したんだというのが自分の印象。
アニメ版では原作よりも、中3麗奈の「悔しくて死にそう」発言が久美子の原点であると度々主張していたり、
「上手くなりたい」 「特別になりたい」という価値観を強調し続けてきた。
だからこそ今回の大一番で、久美子と麗奈に徹底した上手さ至上主義を貫き通し、
最後に改めて久美子の「死ぬほど悔しい」発言で決着させたことで、
「アニメ版ならこの結末が正解だ」 「アニメ版でのテーマをやり通した」と納得させて、
これまで不満を表明していた原作ファンからも、「自分はそれでも原作の方が好きだけど、アニメの解釈もこれはこれで一つの形としてアリだ」みたいな声を引き出すまでに一気に挽回できた・・・のだと思う。
あとは、単純に今、「原作改変」に向けられる目が史上かつて無いほどシビアであり、
しかもアニメのユーフォといえば「くみれい」 「演奏シーン」が代名詞になってる節があるのに、
最後の最後で、「久美子と麗奈が全国大会でソリを吹く」という、無難にやれば3期最大の見せ場になっただろうシーンを、あえて外す。
原作通り久美子に勝って欲しかった、普通に久美子麗奈の全国ソリを見せて欲しかったって意見の人もいるだろうし、その価値観も否定されるべきでは無いと思う。
ただ、少なくともアニメ版の改変はちゃんと意図のある、信念に基づく行為だったと思うし、
原作ファンの中にもそれを理解している、評価している人は少なからずいるよ・・・という話でした。
個人的にも、12話の展開は凄く好みだったし、納得したし、感動した。
ユーフォの1期2期は自分の生涯No.1アニメ作品になるほど心揺さぶられた作品だったので、これ作った人たちはやっぱり凄かったんだって、改めて3期でも感じられて良かったです。
あーほんと、2年生編だけもう1回アニメシリーズで作り直してくれ無いかなー。
一からリセットは無理でも、せめて夏紀先輩主役のスピンオフ小説と混ぜて、なかよし川視点で2年編を描き直す・・・みたいな感じとかでなんとかなりませんかね。
「危険ですので入らないでください」という意味を意図しているが、「あなたは危険人物なので、入ってはいけない」という意味になってしまう。
正しくは DANGER! Do not enter. など。
いつも愚か者になにか一言言えるチャンスを探してて、ゆえにその想定した愚か者の意図や行動を増田に投影してるのか単純に全部きちんと読んでないのか
書かれている以上のことを読み取ったあげくだからおまえは愚かなんだよ?って言ってるブコメが目に入って(よく目に入るよねはてなでは)なんか書こうかと思ったけどいやほんまそれやんなってブコメあったので書かなくて済んだ
”トップブコメ、増田は単に幻滅してるだけなんだから、「他人の好き嫌い」そのものでは。トップブコメの論理に従うなら、「幻滅した」旨しか書いてない増田を小学生呼ばわりするのは自家撞着でしょ。”ほんとこれ
この増田が不買運動してると勘違いしてるのかなって人もいるし、最初から最後まで書かれたままを読んでる人って確かにそんなに多くないのかもなって思った
ワイ、国内では結構大きいインターネットサービスを提供する会社にいる。
この数年、一部で競プロ出身者を持て囃す傾向があるが、それは全く幻想であることを伝えよう。
ワイの会社に来た競プロ出身者(2人いる)には、システムのパフォーマンスが出てない部分を高速化してもらったり、なんやかんやで複雑化してしまった箇所を改善してもらったりなどを期待していた。(やけに抽象的なのは特定を防ぐためで、実際はもっと我々の課題は明瞭である。)
その競プロ出身者は、プログラミングの腕は一見一流だと思う。高学歴で学生時代から競プロに親しみ、何色が云々だとか、いくつかのコンテストで入賞したりしていた。パズル的な問題を解くには確かに強い人材だと思う。しかし、企業で使うにはあまりにカスすぎて、「企業に出張ってきて迷惑をかけるんじゃなく、部屋にこもって競プロやってろ」と思うに至った。
まず何よりも第一に、コードの品質があまりにひどく、見るに耐えないものだった。「これは可読性が低いコード、ということを本当に理解できないのか?」というレベル。コードレビューで「◯◯さん、あなたは賢いからこのコードでも問題ないと思いますが、他の多くの方は◯◯さんほど賢くないので、コードが長くなってもいいからもう少し意図を掴みやすいコードにしてもらえると助かります」のようなことを何度も何度も何度も何度も言った。でも変わらなかった。「自分のコードが正しい」「動けば良い」という発想から抜け出す柔軟性を全く持ち合わせておらず、控えめに言ってカスであった。
次に、我々が解決したい課題そのものよりも、その周辺の競プロっぽい部分に勝手に取り組んで時間を消費するという問題があった。あくまで例えばであるが、データベースに大量データをインサートする際のパフォーマンスが低くて困っていた、としよう。その issue を競プロ出身者に渡すと、大量データを取得する部分を高速化したり、インサートする前の前処理でデータをソートしたりして僅かな高速化を喜ぶのである。ボトルネックはインサート処理そのものなので、それ以外の部分を改善してもユーザーに届く価値はほとんど向上しない。やんわり指摘しても「でも以前よりは速くなっています」という返答である。同様に、何らかの issue を割り当てたときも、その issue の周辺からグラフ理論の問題に落とし込めるようなポイントを探し出し、改善して喜んでいた。カスであった。
人格はそこまでガチのカスというわけではなく、ある意味では無邪気な少年のようであった。ただそれは我々が求めている人材とは異なった。競プロ出身者一人だけこういう行動ならまだしも、我々は二人ハズレを引いている。言うまでもなく人材採用は大変コストがかかるので、今後わざわざハズレを引きに行くことはないだろう。もっとはっきり言うと、競プロ出身者を採用することは無い。
世間にはまだまだ「競プロ出身者はプログラミングに詳しいすごいプログラマである」という幻想があることだろう。しかし実際は、自分の好きな領域にのめり込んでいるだけで、宿題そっちのけでゲームをやっている小学生と似たようなメンタリティなのだ。
企業にプログラマとして雇われるなら、プログラムを書くだけでなく、もう少し大きい視点を持ってユーザーに価値を届け利益を上げなくてはならない。その重要な能力が欠如している競プロ出身者は採用すべきではないのである。
雑記。これがダメだとかやめさせたいという意図はなく、自身の思っていることをダラダラ書いてみる。あちこちに話がいきそうなので後で整理するかもしれない。
具体例として生成AIの話をしているが、本題は全くそこではなくて議論、別意見の人々が話をすることの難しさについて。
フォローしている人にイラストレーターや趣味で絵を嗜む方もいるので無縁というほどではなかったが、皆その話題を意図的に避けている雰囲気はあり、私も実際のところ思うところがあり話題に挙げるのは避けていた。
※ちなみに今記載した生成AIの話題というのは主に、人間のキャラクター制作周りの話が多い。動物、背景、文字、音楽etc…、これらは対象外なのか。そこについてもいつか書きたい。
なぜ避けていたかというと自分が色々表明したとしても今のところは、別の意見を持つ人との喧嘩の種にしかならないと思ったからだ。
誰からでも意見を受け付ける環境で意見公開をやるなら解決はせずとも喧嘩はせず建設的な議論がしたいと思っているからだ。
前提として、これはインターネットに限った話では無いが建設的な議論というのは成立が難しいと私は思っている。
今、「私は」と書いたが、これが議論や話し合いを始める、やる上で最も大事だ(と私は思う)
例えば何かの事象に対して、賛成を表明する人と反対を表明する人がいるとする。
SNSにはそういう気軽さがあり、良いところでもあり悪いところでもある。
そうするとなんとなく「賛成派」「反対派」になっていく。
目には見えないし誰もそのタグを改めて名乗っているわけではないが、この2つに大きく分けられる。ように見える。
話を聞いてみると賛成派の中にも条件付きで反対の人がいる。
反対派の中には過去の強烈な体験で絶対に反対だと決めている人もいる。
賛成派の中には反対派の中の1人に個人的な恨みがあり、その人を否定することにこだわる人もいる。
反対派の中には個人の思いとしては賛成で、でも反対になったほうがより生活が豊かになると考えている人もいる。
こんな風に蓋を開けてみると、全員意見は異なるのだ。あえて言い切ると、1人として完全に同じ意見の人は存在しないはずだ。
賛成派、反対派とひとくくりにしたい場合は議論前にその議論用のルールを決めておかないとただ話があっちこっちに飛び、喧嘩になるだけだ、と私は思う。
議論用のルールというのは例えば今回私が見かけている生成AIの話でいえば
・イラストレーターの需要低下の問題に対してだけスコープを絞る
などだ。
またこれは相手に同意を得る必要があり、「今私が話してるのはイラストのことだけでテキストの話なんてしてませんけど」と一方的に土俵にラベルを付けるのは私は不誠実だと感じるので避けたほうが良いと思う。
明らかに相手が話していない範囲のことを持ち出して意見を投げ返すのもこれもまた勝手なルール設定だ。名前思い出せないけどそういう詭弁の種類があった気がします。詭弁、気を付けたい。
「絵描きは全員苦労して絵を練習したことがある人々という前提で話を進めますが……」みたいなのはおかしい。そういう小説を書いて全員にそういう要素を付与することは可能だが、現実においては自分が勝手に考えたルールに人を押し込んで事実を曲げることはできない。
このことから「自分はそう感じている」といった方法でのルール設定は事実に則していない可能性が高いのでなるべく避けたほうがよさそうだ。
ここまで書いて思ったが、まずここまで書くにあたって前提として自分のことを書き忘れていた。
自分語り乙かもしれないが、自分語りしてもらったほうが何かを話し合おうという時は必要な情報になってくると思う。
もちろんいらない情報もある。語りたくないものも無理に語る必要はないがその代わり後出しに対する批判への覚悟は必要だろう。
でも何を書けばいいかなんてわからないよね。どちらかというと相手にも何らかの事情があるだろうと考えたうえで決して相手のことを決めつけないことのほうが大事かもしれない。
私について
・人体が描けず練習が続かないので自分の身体や購入した商用可のポーズ集をトレスすることが多い
・簡単なプロンプトを用いてAIでイラストを生成したことがあるがSNSに投稿したことはない。
・生成AIの技術についてはポジティブな気持ちを持っているが良い悪いときっちり決められるものでないと思っている。
・悪意を持って(持たず不可抗力だとしても)他人を不愉快にさせた場合、それは技術の問題ではなく個人間や法の範囲で解決すべき問題だと思うが、「技術が無ければ起きなかったこと」でもあると思うし、技術が新しく法を調整する段階にあるのであれば「法が無いからOKか」には懐疑的な気持ちがある。
・テキスト生成は?背景イラストは?など法整備するならば考えることは膨大だと思っている。
これが私の前提条件。
長く書いてしまったが、要は生成AIの話題に関しては考えあぐねている。
今そこで苦しんでいる人のために、と言われてもだ。
物事には多面性があり、誰かが被害を受けていたとしても、救われている人もいる。
というかそもそも私は「誰かが傷付いているかいないか」だけを判断にして生きていない。生きている人もいると思う。それは私には到底想像もつかない難しい生き方だ。
話を戻す。
大きく賛成派、反対派と分けて話を進めるのは私は建設的でないと思う。
意見を表明することは何らかのヒントにもつながるかもしれないが、それはあくまで個人の表明だ。
個人を〇〇派として括ることの弊害だと思うが、それ関係でよく私が変じゃないか?と思うのが、
Aさんという反対を表明している人がいて、
Bさんという反対を表明している人がいて、
先にも書いたように細かい条件は全く異なっているのにBさんが行った発言をAさんに対して「この間は〇〇と言っていたくせに、ダブスタだ!」という人をそこそこ見かけることだ。
挙げ句の果ては
「同じ反対を表明しているのだからBの言動を改めさせなさい、そうでないなら同意見ということだ」などとAさんが言われていることだ。
こうなる人がいるのは理解できるんだが体感多いように感じる。本当に私の偏見による体感で、そんな人ほぼいないというならよいんですが…。
部活動とか会社とかそういう組織に所属していて、それに対していち部員、いち社員が所属のイメージを損なわないように気を付けるのはそもそもルールとして設けられていることが多いから理解できるが、SNSにおいてたまに見かける連帯責任、これはおかしいとは思う。
本人が「私は連帯責任を負います」と言っているならいいが……。
私が思っていて吐き出したかったことは正直なところ、これだけかもしれない。
今話しているのは反対しているAさんであって、反対しているBさんではないということを意識しないといけない。