「怠惰」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 怠惰とは

2020-12-06

anond:20201206084046

人の不幸は蜜の味って言うけど自分の不幸ですらクセになってる人間一定数いるよな。

不幸な人って運が悪いんじゃなくて、自分が不幸になる選択肢積極的に選んで自分の不幸を愚痴ったりそれを言い訳にして怠惰に過ごしたりすることの快楽がクセになってるだけなんじゃねえかな。

2020-12-05

卒論だせるかわからん

マジでこの時期に卒論文字

本当にやばい卒業出来ないかもしれない。

なんで出来てないかってそれはもう単純に私の怠惰しかない。その為にメンタルクリニック?行ってADHDの診断貰って薬も貰ったけど全然ダメダメ。っていうかADHDやぞ??注意力散漫なんちゃらやぞ??毎日朝食後に飲めって忘れるに決まってるでしょ。案の定溜まってるわ。

それより卒論

本当にダメダメなんだけど、ダメなのがただ自分なだけだから誰にも言えない。言ったところで「じゃあやれば?」で終わる。わかるよ。やれば?だよね。やりたいよ。

あと2ヶ月切ったのに今日TwitterはてなYouTubeしかやってない。

もう死にたい

2020-12-03

ブラック企業を支えているもの

怠惰者、愚者無能精神障害者

ホワイト企業に頑張って入っている増田ITなんて特に派遣ガチャとかでこいつらにめちゃくちゃに仕事の足引っ張られた経験もある人間いるだろうからわかるだろうけど

ハッキリ言おう、こいつらはホワイト企業にいられないんだよ、ついていくだけの能力性格特性もないか

そういうどうしようもない人間でもグレーでシバいてそれなりに働かさせるのに特化した業務モデルブラック企業であり

しろブラック企業社長役職持ちは善意でやってるところさえある

狂っているように見える?そんなキチガイ同然のブラック上司くらいしか相手にしてくれないお前ら上記人間たちこそ狂っているだろ?

別に上へ目指せとかまでは言わんよ、働かないしそこそこで隠遁みたいな生活したいって言うのは今の時代しろアリとさえ思う

だがな、努力リスクを払う気もないのに、そう言うホワイトにいる人たちの「普通」を求めるのだけはみっともないからやめてくれないか

そう言う妄想現実にしたいなら自殺して大好きななろう小説異世界に転生キメるくらいしかないんだから

ホワイト企業は意外と冷たい?当たり前だよ上記みたいな無能なんてみんな内心は本当はブラック企業みたいにタコ殴りにするなり吊るし上げて追い出したいよ、汚い言葉遣いするのなら邪魔から死ねとみんな内心思ってるよ

コンプライアンス無能に肩入れして自分が潰れるのが嫌だから腫れ物触るように相手にしなくなっていなくなるのを待ってるんだよ、むしろその優しさに感謝して欲しいくらいだわ

スカッジャパン追放ものなろう小説でも読んで静かにしていてくれ、痛い思いをして努力したい上に行きたいと覚悟があるなら頑張ってくれ

それでいいだろ?これが昔や中南米なら警察官とか民兵処刑して回ってるんだ?生きられるだけ幸せだろう

2020-12-02

anond:20201124134228

男同士でケアすればと女から匙投げられるヤツはそもそも自分欲求もよく分かってなくて女がセックスで体を貸したところで、これはオレの求めたセックスじゃない!俺の要求を察しない女が悪い!となるのがわかりきってるからまずは自問自答というセルフケアをして自分の本当の欲求言語化しろ、と言っているのだが、彼らお気持ち言語化が脳のせいなのか怠惰気持ち蔑ろにしてきたか気持ち言葉がないのか知らないができないんだよな。カウンセラーに聞いてもらうにしても、その最低限のことを学ばないと永遠に救われない。

anond:20201124134228

男同士でケアすればと女から匙投げられるヤツはそもそも自分欲求もよく分かってなくて女がセックスで体を貸したところで、これはオレの求めたセックスじゃない!俺の要求を察しない女が悪い!となるのがわかりきってるからまずは自問自答というセルフケアをして自分の本当の欲求言語化しろ、と言っているのだが、彼らお気持ち言語化が脳のせいなのか怠惰気持ち蔑ろにしてきたか気持ち言葉がないのか知らないができないんだよな。カウンセラーに聞いてもらうにしても、その最低限のことを学ばないと永遠に救われない。

anond:20201124134228

男同士でケアすればと女から匙投げられるヤツはそもそも自分欲求もよく分かってなくて女がセックスで体を貸したところで、これはオレの求めたセックスじゃない!俺の要求を察しない女が悪い!となるのがわかりきってるからまずは自問自答というセルフケアをして自分の本当の欲求言語化しろ、と言っているのだが、彼らお気持ち言語化が脳のせいなのか怠惰気持ち蔑ろにしてきたか気持ち言葉がないのか知らないができないんだよな。カウンセラーに聞いてもらうにしても、その最低限のことを学ばないと永遠に救われない。

anond:20201124134228

男同士でケアすればと女から匙投げられるヤツはそもそも自分欲求もよく分かってなくて女がセックスで体を貸したところで、これはオレの求めたセックスじゃない!俺の要求を察しない女が悪い!となるのがわかりきってるからまずは自問自答というセルフケアをして自分の本当の欲求言語化しろ、と言っているのだが、彼らお気持ち言語化が脳のせいなのか怠惰気持ち蔑ろにしてきたか気持ち言葉がないのか知らないができないんだよな。カウンセラーに聞いてもらうにしても、その最低限のことを学ばないと永遠に救われない。

主語が小さい

日本人ってこういう単純なモデルに当てはめて現実の複雑さから逃げる怠惰な言説が大好きだよねと思った



現実モデル化してとらえるのは,当然日本人だけではない。人類共通性質である

アメリカ陰謀論流行やすことなどご存じない? デュフロを引くくらいだからそんなこと自分でもわかっているでしょうに。

というか,「言説が大好き」という部分を除けば,人類どころかある程度神経の発達した動物共通性質とさえいえる。

我々の脳は現実の複雑さをそのまま捉えられるような潤沢なリソースを持っていない。

というわけで,結局は個々のモデルが「使える」程度に現実を反映しているかということになる。

「困ってる人は助けない方がいい。困ってる人は困ってる方が良いからその状態解決しないし、助けると自力で困難を抜け出す力が付かない」

について考えると,福祉にかかわる人間にはとても使えないレベル解像度だが,市井の人間の処世術としては,まあ使えるといえなくもない

もっと精緻モデルを持っていたほうが人生が豊かになると思うけど)。

対して,あなたの「日本人って」にあてはめるモデルは,自分気持ちいだろうけど,多くの場合妥当ではないだろう。

国民性と思われるものの多くは,特定集団性質過大評価だったり,人類共通性質の過少評価だったりする。

anond:20201201204814

2020-12-01

anond:20201201204814

ものごとを簡略化して、安易解決法に飛び付いたり思考停止してるのはどうなの?って話はわかるんだけど、

日本人ってこういう単純なモデルに当てはめて現実の複雑さから逃げる怠惰な言説が大好きだよねと思った

これ…

日本人って」て…

その言説を好む人々=日本人て…

簡略化すなや〜

このテーマを話したいなら、もうちょっとなんかあるじゃろ

「困ってる人は助けない方がいい。

困ってる人は困ってる方が良いからその状態解決しないし、助けると自力で困難を抜け出す力が付かない」みたいな雑なツイートが流れてきた

Twitterフォロワーがファボってたから目についた。Twitterで言うとフォロワーを煽ってると思われそうで嫌だからこっちに書くが、

日本人ってこういう単純なモデルに当てはめて現実の複雑さから逃げる怠惰な言説が大好きだよねと思った

貧乏人の経済学という本がある。発展途上国への経済援助についての著者の成果をまとめた本で、

著者のバナジー&デュフロはまさに発展途上国援助への功績を称えられてノーベル賞を受賞した

著者のアプローチは極めて実証的かつ定量的もので、これまで途上国援助の方面で言われていた二つの理論

援助は貧乏人を怠け者にしてしまうから少なくした方が良いという言説と、

片や、貧乏人が貧乏から抜け出せないのはまさに援助が足りないからだ。もっと増やし方が良いという言説に対して、

可能な限りの比較対象実験を行い、そのどちらも不十分な理屈で、現実もっと複雑であり、

モデルによる過度な単純化への危険性を明らかにしたことが、ノーベル賞評価された

今回Twitterで流れてきたツイートに関しては、真っ先にバナジー&デュフロの警告を思い出した

世の中そんなに簡単にお前程度の思いつきでスパッと切れるわけねーだろバーカと思った

Twitterの思いつきに対してあんまり過度な正しさを求めるもんでもないと思うが、

世の中に物を申す一見偉そうな思想家やら社会学者やら経営者やらも、思考の程度は大体似たり寄ったりで、

揃いも揃って口先ばかりが先行して実証的な証明がない

日本人ってすぐに雑な理屈に頼って、現実の複雑さに向き合うのを逃げたがるよね、

思考能力虚弱すぎるんじゃなかろうか

2020-11-30

anond:20201130111735

30年前もハゲハゲ扱いされてましたよ。苦笑。

デブに関しては、好きなものを好きなだけお金出して食べられる=富の象徴

だったのは間違いないです。

そいうデブが掛かる糖尿病は、ぜいたく病 と言われましたし。

その後、

デブ病気因果関係が明らかになり、

WHO1998年に メタボリックシンドローム という概念提唱診断基準を定めました。

2000年代には、

デブ=不健康セルフコントロールができていない=怠惰象徴

へと変わっていった印象です。

2020-11-28

あーだめだめ

ところどころ正しいのに所謂「種の保存」的な理解をしているせいで変な解釈になってる。

Re: 滅び/女王殺し

一部は正しい(「複数女王血統からなるコロニーでは女王殺しが行われないのに対し、単一女王血統のみからなるコロニーにおいては女王殺しが起こりやすい」とか)。

女王殺しはなぜ起こるか、未だすべてが明らかではないが、わかっている部分を説明しましょう。

まず学校で習った血縁選択を思い出してください。

ハチのような半倍数性の性決定様式では、(同母同父の)姉妹との血縁度は0.75で、自身の息子・娘との血縁度0.5を上回りますね?

まり自分子供を産むより自分姉妹を増やしてもらった方が進化的にお得なワケです。

ゆえに一見適応度が低そうなワーカー(働き蜂)形質も、包括適応度でみれば適応的な形質と言えるでしょう。

しかし、オス(ドローン)はちょいと違います女王とその息子の血縁度は0.5ですが、ワーカーと同母の兄弟(=女王の息子)の血縁度は0.25。

ワーカーとその息子の血縁度は0.5、ワーカーとその甥(同母同父の姉妹の息子)の血縁度は0.375で兄弟のそれを上回ります

まり、同母兄弟次世代の父とするよりも自分あるいは姉妹の息子をそうした方がお得なのですよ。

ではワーカーが自分たちの息子を次代へ送り出す障害は?――女王だ。

女王の出すフェロモンでワーカーの卵巣発達は阻害され、それを掻い潜って産卵しても女王制裁に来る(ポリシング)。

じゃあ、殺すしかないよね?

と、そういうワケで、女王殺しが起こるんですね。

え?遺伝多様性?そうそうそれもありました。

↑の話は同母同父の姉妹適用される理論。さんざん同父や同母という注釈をつけたのもそれが理由

そして異父姉妹が多い(=遺伝多様性の高い)コロニーでは話が別なのです。

そのようなコロニーでは甥の血縁度は兄弟とのそれを下回る可能性が高いので、女王殺して甥を増やすより生かして兄弟増やした方がお得になるんです。

これが遺伝多様性の低いコロニー女王殺しが起こりやす理由です。

実際のところ条件を満たしているようでも女王殺しが起こったり起こらなかったりするもんで、まだまだ未解明の部分が多いんだけど、わかってる範囲ではこんなモンでしょう。

したがって、

どうやら、単一女王のみが働き蜂を産み育てることで、遺伝子的多様性崩壊するのを恐れる傾向が、働き蜂にはあるのですね。

そんな

傾向は

ない。

徹頭徹尾利己的な遺伝子の話。多様性は結果であって目的ではないのです。

Re: 死というシステム

 スズメバチ社会昆虫なので、一度コロニー形成してしまえば基本的に大型の猛禽クマなどの肉食動物を除いて天敵が存在しなくなります。例えばオニヤンマやシオヤアブ、雀などの鳥類一時的スズメバチを打倒できるとしても、数百匹の群れを成すスズメバチに対抗できる動物はさほど多くありません。つまり、繰り返すように基本的スズメバチにとって天敵は存在しないのです。

 となれば、何故スズメバチ個体数はそれほど増加せずに、ある一定の値を保ち続けているのだろう――そういった疑問を持つ方もいるかもしれません。(以下略

「一度コロニー形成してしま」う前に死んでるんですよわんさか。

「数百匹の群れ」になる前に死んでるんですよ一匹で。

最大の難関をくぐりぬけて盤石の態勢を築いた後で「天敵は存在しない」って。その前に間引かれてるんですよ。

自分でも「きちんと巣を作ってコロニー形成できる女王複数いる女王の内の数%程度に過ぎないという説もあるくらい」と書いてるじゃないっすか。

それが答えです。

 そう、スズメバチの巣には内乱が起こります。巣の内部にいる働き蜂は、万民万民に対する闘争状態さながらに攻撃を開始します。その攻撃対象は、女王、幼虫、蛹、全てに及び、そこに見境などありません。彼女らは暴走し、一切を食い尽くし、全てを破壊していきます。新女王蜂だけが先見性を持ち、その内乱から脱出し次の巣を作るという使命を持って行動することができるのです。つまりスズメバチの巣においては、仮に気候条件が彼らの味方をしようとも、女王フェロモン効果が薄れるにつれて必ずや内乱が起こるようになっているのです。そのため、彼らは気候条件の云々によらず、必ず滅びる運命にあるということなのです。

そんな

ことは

ない。

研究によっては実験で巣から女王バチ除去することもありますけど、ワーカーが産卵するほかは変わらずあくせく働くんですよ。暴れたりもしません。

「あくせく働く」のはそもそもそれがハチ自身習性なんです。フェロモンで1から10まで操られてやってるわけじゃあありません。

女王バチだって営巣初期は自分で餌集めしてワーカー育てますからね?

女王フェロモンだってそんなに万能じゃないです。種にもよりますけど生殖能力制限女王のお世話(グルーミングとか給餌とか)の誘発、労働の促進(ミツバチ)くらいです。

なくなっても暴れませんし、むしろ怠惰になるかも。

それに「内乱」じたい必要ないんですよ。普通に飢えて凍えて老い死ぬんですから

(余ったワーカー候補の幼虫をモグモグしたり先述した女王殺しをやったりはしますけど。)



Re: まとめ

 スズメバチ基本的世界最強のハチであり、さしたる天敵さえも持っていません。それにも関わらず彼らがその個体数を爆発的に増加させないのには、そのような理由があったのです。言わば、彼らの生命サイクルには、内乱と死が含まれているのです。その死が彼らのシステムに含まれていることによって、その個体数は増加せずに済んでいると言えるかもしれません。

さっきも言ったけどスズメバチが爆発的に増えないのは元増田も言っているように「きちんと巣を作ってコロニー形成できる女王複数いる女王の内の数%程度に過ぎない」から

それにワーカーは次代を(オス以外)残せないのだから、こいつらが仮に生き延びても「爆発的に増え」たりしないんですね。


 以下の文章私見となるのですが、あるいはこれは自然生態系というシステム破綻を来さないために設けた、一つの安全装置のような気がします。ある種の強大過ぎる種類が個体数を増やしすぎないという、生態系必要機能のコア部分が、スズメバチの生態というシステムには凝縮されているように思えるのです。

そんな

もの

ない

ガイア理論とかナイーブな群淘汰論とか種の保存とか、その手の話にかぶれてるのでしょうか。

生態系意思はなく、自然安全装置はありません。生物利己的な遺伝子の命ずるまま生み育て地に満ちるのです。できる範囲で。

付録スズメバチライフサイクル

  1. 春:冬眠から目覚めた新女王バチが行動を開始。営巣。女王が二番目に死にやすシーズン単独行動中に喰われたり。
  2. 夏:巣が拡大。ワーカーも大量。この時期の女王はそうそう死なない。
  3. 秋①:次代への備え。ワーカーの生産停止。新女王とオスの生育。たまにワーカーの反逆。
  4. 秋②:新女王とオスが巣立ち。外部で交尾してオス(と運悪く交尾できなかった新女王候補)は死ぬ。巣に残ったハチは寒さか飢えか寿命死ぬコロニーの終わり。
  5. 冬:無事交尾できた新女王冬眠する。女王が最も死にやすシーズン。寝てる間に捕食されたり暖冬で早起きして飢え死に。
  6. 春:最初に戻る。

anond:20201128014600

2020-11-27

依存心と幼少期の出来事

暑いとか寒いとか退屈だとか、部屋が汚くて不愉快だとか、お腹が空いたとか、そういう原始的欲求

そういう欲求を抱いていることに気づいて、自分で満たすのが苦手なのだと気づいた。


自分の機嫌を取って、常にご機嫌でいること。

重要だと聞いていたけど、話半分に聞いていた。

その言葉がしっくりこなかった理由が、今ようやく分かった。

私は、自分不快環境に置かれていることに鈍い。

不快環境に置かれていることが自分デフォルトであるべきだと思い込んでいる。


理由にはなんとなく思い当たる

子供の頃から、軽いネグレクトを受けていた。

うちは貧乏で、両親は共働きで、父は単身赴任だったので家には母と私だけだった。

母は朝から晩まで働いていたから、怠惰とか怠慢ではなく、単に子供に割けるリソースがなかったのだと思う。

それでも私の置かれた環境は、客観的に見てネグレクトだったと思う。


私の家はゴミ屋敷で、しかも母は私を放任していた。

なので保育園のない日は、床も見えないほどゴミの散乱した部屋で遊び道具を探しながら、ひたすら母の帰宅を待った。

暑いのも寒いのもお腹が空くのも、部屋が汚いのも、退屈なのも、全部母に解決してもらうしかない。

私は母に依存して生きていた。


私の最古の記憶は5歳で、5歳の私は必死に母に縋って生きている。

母は応えられる限りの要望に応えている。

かい家族の絵図だと思う。

でもあの時、母は私に生きるための細々とした知識を教えてくれなかった。


例えば、エアコン操作が分からなかった。

私は母にエアコン付けてとねだる。母はエアコンリモコン黄色ボタンを押しながら、「これくらい自分でやりなさいよ」と言う。

一度、留守番の時にそうしてみたら、部屋が気持ちよくなるはずが逆に息苦しくなった。帰宅した母は驚いてリモコンを見、ダンボウになっていると言った。

ダンボウの何が悪いか分からなかったが、見よう見まねではリモコン操作できないようだった。黄色ボタンの他に、様々な大きさのボタンがあったが、意味は分からずじまい。

母は簡単にそのリモコン操作する。だからきっと操作簡単なんだろう。でも私は理解できなかったし、母が察して教えてくれることもなかった。

そういうものだと思った。母は面倒くさそうに「こんなの自分でできるでしょ」と言うけど、私には何故かできない。でも成長したらできるようになるのかもしれないと思って、ひとまず自分の成長を待つことにした。


それからゴミ分別も分からなかった。生活で出たゴミを母に渡すと、三つ並んだゴミ箱のどれかに放り込んでくれる。何か規則があるらしいけれど、どんな規則か分からなかった。

規則を知るために質問たかもしれない。しかしおそらく、まだ早いからといった感じではぐらかされたのだと思う。教わった記憶がない。

から正しいゴミの捨て方が分からず、いつまでも母を呼びつけてゴミを預けた。これも「いい加減自分でやりなさいよ」と言われた。「でも、どうやって捨てればいいかからない」とある時私は言った(と思う)。すると母は、「そんなの簡単じゃん、こういう燃えないゴミはこの箱!」と言って、三つのゴミ箱のどれかにゴミを放り込んだ。

悲しいことに、どのゴミ箱が燃えないゴミの箱だったか、一瞬では覚えられなかった。しかも、「燃えないゴミ」と「燃えゴミ」の区別も分からなかった。でも多分幼い私はそういう新たな疑問を咄嗟言葉にできなかったし、母は苛立っていたから、質問をやめた、ような気がする。


とにかく耐えれば済む話だった。不快さに耐えて、母に依存し、時に嫌味を言われながらも、「いつか規則理解できる日」が来れば、自分で何でも解決できるようになるはずだった。

しかし、そんな日は来なかった。規則常識は生きていれば自然と肌を通じて浸透するものではなく、どこかでルールとして誰かに教わらなければならないらしかった。

ところが、私の周りにはそうしたルールを親身に教えてくれる人はいなかったので、私はずっとルールを知らず、知らないのを誤魔化しながら生きていたのだった。


なぜこんな話を書いたのか。それはたぶん、ついにその生き方限界を感じ始めたからだ。


きっかけは今取り組んでいる卒論である

今まで人に質問する習慣がなかった私は、大抵の疑問をネット検索して解決してきた。

ところが卒論の書き方なんてネット上に解説されてない。

初めての事態に、私はフリーズした。

文字通りのフリーズで、頭が全く働かなくなった。

空っぽの鍋の底をお玉で何度も引っ掻くように、全く手応えのない脳内に答えを求め続けた。


そうして前のゼミから全く進捗のない週を何度も経験し、自分が情けなくて何度もゼミを欠席した。

すると教授院生さんが私の異変に気づいたのか、どんな些細なことでも質問してくれていいと言ってくださったり、私がやるべきことについて詳しく説明してくださるようになった。

正直、手取り足取り教わるというのは初めてだった。

しかちゃんと手順を教わると、あれ程上手く進められなかった作業ちゃんと進むのだ。

この世はそんなに簡単でいいのか、と思った。


でも、家に帰って一人になると途端にやる気が出なくなる。

私が私のためにできることなんてないような気がする。

お腹が空いても、部屋が寒くても、部屋が汚くても、私にはどうすることもできないから耐えるしかない。

毛布にくるまりながら、あのドアが開くのを待つしかない。

そういうどうしようもない気持ちになって、どうしようもない現実を耐えて過ごすだけの人間になる。


正直この状態になると全くダメで、特に卒論作業が上手くいった日ほど大きなギャップを感じ、次の日以降の作業に身が入らなくなる。

さすがにこのままではまずいので、家にいる時の底なし無力感について考えたところ、幼少期の経験に行き当たった。


質問してもちゃんと答えてもらえなかったり、理解できるようには教えてもらえなかったこと。

教わらなくても理解しているのが当たり前で、理解していない自分人一倍出来が悪いと思ってしまたこと。

自分のやることは間違いだらけなので、自分で考えて行動するなど以ての外だと思っていたこと。

自分自分欲求を満たすような行動を勝手に起こしてはいけないと思ってしまっていたこと。


幼少期の経験から、おそらくこうした思い込みが私の中に芽生え、私をずっと規定し続けてきた。

それがセルフネグレクトや自信喪失に繋がっていたのだと思う。

母と私の関係も、悪くいえば母が私を依存させるよう仕向けるようなものだったと思う。

ただ、自覚してしまえばもう大丈夫な気がする。


卒論によって、私は生まれて初めて誰かに質問したり、頼ったりしなければいけない状況に追い込まれた。

でもそれが結果として、私に質問する習慣を与えてくれた。

人に分からないことを聞き、相手時間をいただいて教えてもらうというのは、こんなに有意義価値あるものかと知ることができた。

人生、どこでどんな発見を得られるか分からないと思う。

本当はくだらない人生だと思ってたし、自殺するために飛行機距離ほど離れた大学に進学したけれど、卒論を書くほどまで生きていたのは結果的に良かったのかもしれない。


結局とりとめのない文になった。

でも、私と似た境遇の人に読んでもらえれば嬉しい。

2020-11-26

まじで卒論のやる気が出ない

卒論締切まであと1ヶ月を切った。が、まだ一文字も書けていない。書けてないどころか、先行研究資料だけ集めて読んでないし、決めたテーマあやふやで何を調べていいかも分からない。

ほんとうにヤバい。締切までに卒論が提出できなければ、留年確定だ。年間130万円もの授業料だって余分にかかるし、同棲中の彼氏にも見限られて捨てられてしまう。内定ゼロなので、そこは安心安心することじゃないけど…。

そのヤバさは理解できるのに、卒論に取り掛かることはできない。頭では焦燥感に駆られながら、体は全く動かせない。

ヤバいと分かりつつ、何処かで提出を諦めているせいだろうか?どうしようもなくなったら自殺すればいいやと普段から思っているせいだろうか?危機感向上心も無さすぎる。自己肯定感が無いせいか

こんなことダラダラ書いてる暇があったら、論文ひとつでも読めただろうに。ほんとバカ

発達障害の診断は降りなかったし、ただの怠惰クズ人間だった。

こうやって言い訳ばかりして、自虐感傷に浸って、何もせず流されるまま、ゴミみたいな人生を終えそうだ。でも、それがお似合いだし仕方ない、当然の結果だろう、と考えてしまうせいで、すぐにでも行動して未来を変えてやる!とか思えない。

卒論を書くってことだけなのに、自信がどうだ、性格がどうだ、環境が、って現実逃避してるにすぎない。さっさと、資料を読んで、考えて、文章を書く、これだけなのに、これだけの事ができない。

2020-11-25

不要不急の外出して楽しそうにしてるやつ見るとムカつく

けど別にコロナが怖いから外出しないわけではなく

結局自分怠惰さのせい

自分一人だけの部屋に隔離されて何の仕事も与えられない状況になってかれこれ2年以上たった

給料はこれまで通り支払われているので特に支障はない

ネット接続出来るノートPCけが支給されているので、毎日8時間ネットニュースみたり増田を見たりしている

こういう環境におかれたらみんなならどうする?

自分はやる気ないマンなのでもうこの怠惰生活から抜け出せそうにない

2020-11-24

食欲がわからないまま生きている

食欲という概念いまいちピンと来ないまま生きている。

腹が減らないのではない。何ならいつも減っている。

偏食なのではない。嫌いな食べ物はない。

小食なのでもない。並の女性より少し多く食べられる方だと思う。量が多くなりがちな旅館の夕食や法事食事なども残したことがない。

ただただ、「食べたい」という気持ちがとても薄い。

空腹と、何か食べたいという気持ちが連動していない。周りを見ているとおそらく、多くの人が空腹を感じれば自動的に食欲のスイッチが入り、食事をするということになるのだと思う。

自分にとって空腹は空腹であって、それ以上でも以下でもない。ただ、お腹が減ったな、と思う。よっこらせと腰を上げなければ、フルオートで何か食べたいという境地には至れない。

結果的に、軽率食事を抜いてしまうことになる。もしくは、「これじゃ足りない」という気持ちもないために、少しの量で食事をしたとカウントしてしまう。ルマンドを一つ食べるとか。

「おいしい」は理解できるが、それを追い求める気力がない。加えて「おいしくない」判定のハードルが非常に高いため、たいていのものはおいしい。強い好物もない。最近、私はゆで卵が好きなんじゃないかなという気がしてきた。でも明日からゆで卵を禁じられても、そんなに悲しまないと思う。そのぐらい。

今は一人暮らしなので、生存のために「昼食だけは金をつかってできる限り食う」ことを自分に課している。職が外回りなので、訪問先をうろうろして何か食べることは仕事のうちなのだ結果的に1日1食のような生活をしている。

料理は苦手ではない(とはいえ食べられれば良いため同じメニューを作り続けがち)。確かに面倒くさくはあるが、食欲のある人間なら買って食べればよい。外で食べても良い。お金に困る経済状況ではない。

義務感と強迫感によって何とか食事を作り、食べる。義務感と強迫からなので、それらを横に置いておきたくなれば簡単に食べないことを選ぶ。とても調子が良くてやる気に満ち、他にしたいことがあるときは食べない。とても調子が悪く、何もしたくなさが勝れば食べない。

最近に始まったことではない。子どもの頃も食欲の薄い子どもだった。ただ、当時は食事を作ってもらい、それを食べる以外の選択肢がないので顕在化しにくかっただけだ。「お誕生日には何が食べたい?」「今日は外で食べようと思うんだけど、何がいい?」こういう質問が本当に苦手で、いつも曖昧お茶を濁していた。何も思いつかないのだ。兄弟自分誕生日の時に毎回即答するので驚いていた。

困ることはいくつかある。

健康に悪い。

良いわけないよなとは思っている。当たり前のように、低体重、低血圧、低体温の3拍子揃っている。以前体重を増やしたいと思い、ジムに通ってみたのだが(有酸素運動はするなと言い渡された)確かに筋肉がついて姿勢が良くなった気がするものの、脂肪の減りに追いつけず体重は落ちた。

吐いたりしていないし普通に食べているので拒食症ではないと思う。せめてと思って野菜ジュースをすすってみたりしている。

ストレス解消、ごほうびを作りにくい

食欲というのは他の様々な欲求に比べるとカジュアルに満たすことができる欲だ。そのため、世の中の人はよく好物などで自分のやる気などをコントロールしているように見える。その手法が使えない。

学生の頃は、終わらせておやつを食べることをモチベーションにして勉強をはかどらせる方法情報誌によく出ていた。自分実践しようと試みるのだが、終わらせたところでチョコレートを食べる気は起きず、ただただ机の隅にチョコレートを積み上げていた。

怒りや憤りも薄い人間なのでストレスはそんなにないのだが、重い案件が終わったときや、夜遅くまで仕事をしたときなど、コンビニで何か買うことで自分なりに区切りをつけようと思う日もある。しかし入ったところで何も欲しいものは見つからないので、ゾンビのように店内をぐるぐる回ることになる。何かを買って出なければという強迫感で店内で泣き始めたこともある。傍から見たら狂人以外の何物でもない。最近ではそういうバッドトリップが入ったとき缶詰を買うことにしている。今日食べなくても良いので。

酒はさほど飲めないし、飲まない。飲みたい気持ち(飲欲?)もない。

食べ物生産者さん、くれた人に申し訳ない

まり義務感が発生するまで食べられないので、多くの食べ物賞味期限が過ぎてから食べることになる。これは本当に申し訳ないことだ。作った人はおいしいうちに、それも食欲のある人間に食べてもらいたいと思っているに違いない。とても心苦しい。

これはもらいものにも発生している。友人や恋人が贈ってくれたお菓子や、職場の人がくれた野菜。罪悪感がすごい。

都合の良いことに私は嫌いな物がなく(忍耐力のレベルが高いとも言う)、ついでに非常に強い胃腸をしているので、たいていのギリギリ食品は食べることができる。後悔しながら食べている。

・食欲カルチャーについていけない不安

何かを食べるというのは人間、というより生物最大の共通点だ。その「あるある」にノれないというのは本当につらい。

夜中に何かを食べちゃうというようなあるあるや、甘い物は別腹だったりするあるある。評判の良い店に行ってみたいあるあるや、TLに流れてくる料理写真に「飯テロ」とか言ったりするあるある。世の中は食欲のある人間を誘うように作られているのだ。そのたびに、お呼びでないんだな、という気持ちになる。

何が食べたい?と聞かれるのが怖い。せめてメニューを用意してくれたら、看板メニューか安いメニュー野菜の多いメニューを選べる。いつも「お昼にスパゲッティ食べたから、それ以外で」などとほざいて、議論に加わっているような顔をしている。何も提案できない人間じゃない、貴方を軽んじている人間じゃないよと伝えたい。上手くいっている気がしない。

幼少期に美味しんぼを読んで育ったので、知識だけは無駄にある。本当に無駄だ。あの世界は食欲だけで回っているけれど、完全にフィクションなので嫌いじゃない。本当に山岡さんみたいな人が現れて、何かこう、ちゃちゃっと作ってくれて、私を食べたいものがある人間にしてくれないだろうか。

うわーーーーーーーー何かもう本当は全部嘘なんじゃないかな。みんな私みたいに食べたいものがあるふりをしているだけで、そうやって生きているんじゃないかな。皆本当は望んでないのに、朝昼晩3食食べるってルールを頑張って守っているんだ。きっと私が怠惰なだけ。夜にTLに料理写真が流れてきたら、誰が一番早く「飯テロだ!」って言えるかってゲームをしているんだ。そうなんでしょう???誰かそうだと言ってほしい。そうだと思わないとこれから何十年も死ぬまで続く「あるある」と付き合っていられる自信がない。どうしたらいいんでしょうね、これ。

2020-11-23

デブが嫌いだ

二十数年生きてきて最近やっと自覚したが、デブが嫌いだ。

別にデブに嫌なことされた経験があるとかではない。

優しくしてくれたデブもいたと思うしそういう人のことは普通に好きだ。

飲食店バイトしていてデブ入店してくる。

デブが沢山料理を頼むと「そんなんだからデブなんだよテメーは」と思う。

デブが少ししか食べないと「デブのくせに少食なフリしてんのかテメーは」と思う。

デブがおしゃれの話をしていると「痩せてから物言え」と思う。

デブ巨乳自慢は先に腹落とせと思うし、あとダイエットコーラ飲んでるデブも嫌いだ。カロリー気にする奴がコーラ飲むな。断食してろ。

アニメのちょいぽちキャラもそれだけでイラッとしてしまう。

特にアイドルとか芸能人とかのキャラ意識低いんか?と思ってイライラする。

そういうのって大抵他のキャラに比べて肉感的というか、デブどころかぽちゃですらなくムチムチという程度ではあるのだけれど、それでもデブ!!!という気持ちになってしまう。

陰キャデブは卑屈なデブとか最悪だからやめろよと思うし、陽キャデブは身をわきまえろ勘違いデブと思ってしまう。

我ながらドン引くほど、デブの全てが気に食わないらしい。

どれだけデブに厳しいのか。

もちろん人の身体的特徴をあげつらうことはNGだと理解している。

太っている理由は人それぞれで、病気など本人の努力ではどうにもならない場合もあり、一概に暴飲暴食や怠惰のせいではないとも分かっている。

またデブという言葉中傷的なニュアンスを含むため、日常生活では一切口にしないようにしている。

デブという要素が何故かとてつもなく嫌いだというだけで、該当する人を傷つけるのは私の本意ではない。

からこそ、今まで誰にも、SNS上でも、「デブが嫌いだ」という話をできなかった。

相手体重を気にしているかもしれないし、その人の好きな人が太っているかもしれない。

というか私自身、「俺デブって無理なんだよね〜w」とか言ってる人に会ったらモラルのなさにドン引きする。

から増田という名のスラムに来た。

特定の誰かの話ではないけれど、このエントリで傷ついた人がいたら申し訳ない。

でも本当にデブが嫌いで、その理由が分からなくて辛いのだ。

世の中デブは沢山いるから、どこでも目にするから

その度に自分の中の無意識的で暴力的差別心を自覚するのがしんどい

多分こういうのって世の中に沢山ある。

それは例えば同性愛者であったり、外国人であったり、障害者であったり、「差別してはいけないことは分かっているし、差別的な言動はしないようにしているけれど、内心どうしても本能的に受け入れ難く、でもそれを誰にも話せない」状態

こういう感情ってどうしたらいいんだろうか。

こういう感情を持つこと自体批判されてしまうのだろうか。

anond:20201122172843

自分人生ですべきことを何も子供のうちに決めなかった、お前の怠惰のツケが回ってきただけだぞ

30代前半までに適当見合い結婚して人生損切りしておいた方がマシだったな

まぁ今更言ってもしょうがいか盆栽みたいな長く続く趣味を見つけるんだな

2020-11-20

ブラック企業批判にかこつけて甘えを正当化してる奴

まあ、こういったことは一定水準以上の社会人なら当然のことだろう。嫌なら、給料の安い単純労働従事すれば良いだけ。

言うまでもなく、こういったことは適切なマネジメント不要であるとか、研修不要であるということを意味しない。というか、こういう補足は本来必要ないはずだ。当たり前のことだから。こういうことに批判的な奴ってのは、自分わがままゴリ押しするために常識で考えれば誰でも分かることに子供っぽい言い訳をしているに過ぎない。

要するに、自分無能さ・怠惰さを社会問題すり替えるなってこと。

2020-11-19

発達障害者ってすごく差別されてるよね

人生無理バーの件、発達障害者の男は厄介が多いかしょうが無いみたいな結論になってて可哀想

発達障害者当事者でさえ「まあ俺らは俺らだから、この扱いはしょうがいね……」みたいに諦めてて笑っ……いやいや非常に気の毒。

もしアレが「身体障害者出禁だったらと考えてみなよ?

四肢障害者男性出禁します。手や足の不自由男性参加者ルールを守らず女性客をナンパしたり主催の私に依存してくるのがあまりに多くてもう無理だからです」

ってアナウンスしたとして、まあしょうが無い、障害者出禁妥当みたいな反応になるかな?

アイツらは他人にGiveせずTakeばかりする、自分でも相手してくれるかもと弱い女に近寄ってくる、典型的DV気質、みたいに障害者の方が悪い主催個人でよく頑張った許すって扱いになるかな?

個々の厄介客を出禁にするのは良いとして、「障害者」という属性でくくって排除したら差別だろ、ポリコレウォーズの開戦だろ、となって主催は徹底的に叩かれて自己批判を求められるのではないかな?

どうしてこうも「身体障害者と「発達」障害者で扱いが変わるのかというと、これは僕の偏見でもあるんだけど、

発達障害者身体障害者のような「真の障害者」ではない。単に性格が悪く怠惰人間。「本人の心の持ちよう」のようなもので「空気が読めて他人への思いやりに溢れた」定型発達と同じ振る舞いができるはずなのに、やらないのはただアイツらが怠惰邪悪からだ。

みたいに見られてるからじゃないかな。

こういう偏見一般的から差別主義者の主催が辛かったねヨシヨシされて、厄介客と同一視されるという差別を受けた発達障害者の方が欠点を数え上げられ批判されるという倒錯した状況が起きている。

anond:20201119180925

俺こないだダイソーで探し物してて店員に聞いたら在庫見に行って入荷リスト確認してまでしてくれたぞ

ダイソーからじゃなくてその店員怠惰なだけ

2020-11-18

有名国立大学中退しました

初めて長文をネット投稿するので、不備があったら申し訳ありません。また細かい部分は匿名性の保持のため一部改変してる可能性があります

タイトル通りですが今年の9月某国立大学を中退しました。現在24歳です。大学には理工学部に5年半在籍していました。1回生、2回生までは普通に進級できたのですが、3回生でつまづき(後述)、そこから休学を挟んで3年半3回生を繰り返して最終的には中退しました。

幼少期から勉強は非常にできる方でした。勉強するという点においては他の子と比べてあまりに要領が良かったのだと思います勉強時間はそんなに取らずとも吸収力はすさまじいタイプでした。両親の学歴はともに平凡でしたが教育熱心で幼稚園から公文などの学習を始めていました。小学校4年生から学習塾に通い、中学受験もして難関中高一貫私立校合格入学しました。

ただ私自身は勉強自体が好きだったというよりはゲーム感覚で解けるのが楽しかっただけでした。そして中学受験までは良い大学に入って良い企業就職するということが当たり前の幸せ人生目標といった感じでなんの疑いもなく勉強していました。しか入学後にその考え方は複数理由で消え去りました。この「良い大学に入って良い企業就職する」という考え方は、後に両親が一種洗脳に近い考えを私に植え付けていたのだと感じました。もちろん前述のようなレールに乗っかる人生設計は社会的成功する可能性を高めてはくれるので他の人から見れば贅沢の浪費だと考える人いるかもしれません。しかし当時の私はそうは思えませんでした。

中学入学以降私の成績は落ちていきます中高一貫校に入ったおかげで高校入試もなく、生徒の自主性を重んじる校風もあり強制されて勉強させられることもありませんでした。自由時間が増えたので私は遊ぶことに費やしました。テレビゲームだったり部活仲間とのカラオケボウリングなど、一般的中学生でした。成績は落ちたと言っても有名私立校で真ん中くらいの成績でした。これは高校3年生まで変わりませんでした。勉強時間も日頃は宿題をやる程度でテスト前だけ範囲分おさらいするくらいでした。

しかし、勉強好きだった(ように周りからは見えていた)私が勉強しなくなった一番の理由は、周りの圧倒的な天才集団を目の当たりにしたからでした。もちろんそれは一部の生徒でしたが、数学オリンピックメダリストだったり、論文コンテスト最優秀賞だったり、とにかく次元の違う天才ゴロゴロいました。もちろん彼らも類稀なる才能の他に血のにじむような努力はしていたに決まってるのですが、当時の私はその才能に嫉妬し、「とてもじゃないが敵わない」と感じ、トップブトップを目指すのをやめてしまったのです。そこから勉強するのが苦痛になりました。「どうせあいつらには勝てないのになんで勉強する必要があるんだ」と。

その結果勉強の方はなあなあで高校3年生まで過ごしてしまいました。それでも一定学力は維持していたので効率よく勉強する才能だけはあったようです。

とにもかくにも高校2年生になった私は自然大学受験意識し始めます。将来の夢もそれのために行きたい大学もなかった私はとりあえずどちらかというと得意だった理系選択します。大学受験しないという生徒は周りに1人もおらず、仕方なく周りに合わせて大学受験する、といった感覚でした。

高2のときは一応東大を目指していましたが本気で勉強しないで行けるほど甘くはなく、高3の夏にはランクを落として某国立大学を目指すことになります。その大学ですら日本ではベスト10に入る有名大学で、企業からも高く評価されている大学です。「この大学にならほとんど勉強せずに入れるぞ」と感じ、それでいて社会的一定評価を得られると思ったのです。

実際高3の夏以降の平均勉強時間は、平均1日5時間もなかったと思います

そんな舐めた私ですが、センター試験、2次試験ともに無事終了し、結果は合格

世間一般受験生からすればほとんど勉強せずに有名国立大学に入って「しまい」ました。自分受験に対する計算がぴったり合っているくらいの小さな努力とそれなりの結果の相関があり、割と満足してました。

大学は自宅から通える範囲ではなく、ひとり暮らしをはじめました。大学生になってから自由を得たこともあり、誇張なしに全く勉強しませんでした。1回生、2回生まではほとんど単位を落とすことなく進級できましたが、そのあたりで異変気づきます。「授業についていけない」と感じることが多くなってきたのです。大学理系科目の高度な授業を勉強せずとも理解ができるほど私は天才ではありませんでした。同級生過去問などをもらったりして単位を拾ってはいましたが次第に大学の授業に出られなくなりました。最初自分怠惰なだけだと思っていたのですが次第に大学に向かうだけで動悸、めまい嘔吐などの症状が出始めました。これはもしやと思い心療内科に行くと案の定うつ病と診断されました。

これだけ見ると「何だこいつ甘えてるだけじゃないか」と言われそうですが私は自己分析していました。メンタルの弱さと完璧主義です。

もともと完璧主義者のようなきらいがあった私はできない事があるとすぐ嫌になってしま性質がありました。小学校の頃は図工や家庭科などの副教科が苦手でうまくこなせないと授業中泣いてしまうことも多々ありました。周りの子に主要教科では負けたことがないのにです。また中高時代天才出会ってからトップブトップになれないという挫折を引きずっておりそれが数年たって限界に達したとも考えました。

私は4回生にあがれず留年しました。2度目の3回生を始める4月に休学をして、2年間大学に行きませんでした。その間将来に対する不安が募りました。大学すらまともに行けず、しか自分努力不足であるという自己嫌悪に陥り、社会人としてやっていける自信もなくなっていたのです。死にたいと思ったことも何度もありました。

しか大学から離れたことでうつ病の症状は緩和され、バイトを始められるまでになりました。

そのバイト先で評価され社員にならないかという打診を受けて、大学中退し今年の10から社員になりました。大学にこれ以上在籍しても勉強研究する気は全くないし、自分の将来にプラスになることはないんじゃないかと思い思い切って中退しました。現在は後悔は全くないです。

長くなりましたが一応まとめを書きます。この話から皆さんに伝えたいことは人生は辛いことから逃げていいということです。

私自身いわゆるエリート街道を歩んでいましたが、挫折し、レールからは外れました。少年時代描いていた未来とは大きく異なっています高卒ということで今後大企業就職できる可能性は大きく減りました。昔ならそれに耐えきれませんでしたが今は非常にポジティブに生きています

しかイレギュラーではありますコロナ禍の現在就職できただけでもありがたいと考えていますし、現在仕事やりがいも感じています人生一度きりだし後悔のないように楽しく生きる。これが今の私の人生観です。

もし受験勉強がつらい、大学に行くのが辛い、就活が辛い、仕事が辛い…そんな人の気持ちを軽くできれば幸いです。

冗長な文ですが読んでいただいてありがとうございました。

2020-11-17

生産なワイ

人間関係なんて淘汰されるはずなのに、なんでワイを飲み会に誘うんや

ワイと話してもオモロい話はできひんし、インスピレーションを与えられへん

人脈もないし、金もない おまけにブサイク、横に歩いても汚いぬぐるみとおるみたいや

アクセサリーにもなられへん

向上心のある人間にとって怠惰なワイなんか一緒におってメリットないやろ

ワイを誘うなや、みじめや

他のジモティの友人とか同僚と一緒におるほうが得るもの多いやろーに

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん