はてなキーワード: 幽霊とは
※二次創作を読みすぎて映画の内容と勘違いしている箇所があったらすみません。
そもそも腐女子の口コミによって爆発的に広まった映画だと考えている。
かくいう私もTwitterとpixivに二次創作が大量に流れてくるようになり、映画が気になって見に行った。
映画はよくあるストーリーだったと思う。外部の人間が村の因習を破壊するという言ってしまえばそれだけだ。
ミッドサマーは主人公たちが普通の人間だったため村の因習に取り込まれたが、幽霊族といういわゆるチートが主人公の相棒になったことで、脱出することができた。
腐女子はあからさまなBLよりも「公式は付き合ってると明言していないが、実は付き合っている」というBLが好きな人が多いと思う。
そのためバディ物などは、必然的に男二人の接触回数が増えるため、腐女子人気が比較的出やすいコンテンツである。
また二次創作をする場合、二人で困難を乗り越えるというストーリーの過程でいくらでも好きになるタイミング、好きになるきっかけが生み出せるため人気が高い。
特に墓場で二人で天狗の酒を飲んでいるところは、仲良くなった!という描写に見えて最高だった。
戦闘力が高い描写があると、二次創作をする際に問題の解決方法に暴力を挙げることができるようになる。
軍人上がりというのを生かし背負い投げしたりゲゲ郎に頼りっぱなしでないため、対等感があってよかった。
純粋に映画が流行る前のpixivやTwitterの流行は、呪術廻戦やブルーロックなど正直長く流行っているものばかりでマンネリ化してきていた。
そこに新しいまだ誰も書いていないネタ(ゲ謎)が飛び込んできたため二次創作を行い、それを読んだファンが二次創作を理解するために映画を見に行き、刺さった人が二次創作を行いというのが続いているためな気がする。
そして二次創作をするにあたってネタを探すには、映画を見に行かざるを得ず何度も足を運ぶ人が多いのではないだろうか。
マンネリ化していた腐女子界隈の中に意図的かは別としてネタを投げ込んだ形となり、大量に更新される二次創作を読むために映画に足を運んだ腐女子が多いと考えた。
「あけまして、ファッキン、おめでとう」
今年こそはFIREしたいですか〜〜?!
「毎日が日曜日だぜ」「世界の終わりを待つような生き方はしたくない」
株の取引って怖いですよね。怖いものは、知りましょう。布切れだと分かれば幽霊なんて怖くない、ですよ!
「今一番怖いのは、どこまで俺が行っちゃうんだろうってこと」
さてまずは株の買い方、売り方について学んで行きましょう。
「俺が何かを「学」ぶんじゃなくて、お前らが俺から「学」ぶってことなんだ」
条件によってはリスクを減らせるOCO取引というものがあります。ご存知でしたか?
「俺っち、OCOっち、学っち」
う〜〜ん
O
C
O
学
ぶ
https://www.color-hiyoko.com/entry/2020/03/05/185717
https://nikkan-spa.jp/1163743?cx%20clicks%20art%20mdl=2%20title
突然ふとしたときに死への恐怖に苛まれることがある。特に一人でいるときや風呂場でゆっくりしているときなど、何かをしていない時間に感じることが多い。今この日記を書いている瞬間も頭をちらつく。
この恐怖心というのが存外厄介で、ひどいときだとこれのせいで吐き気に見舞われる。
私が苛まれている問題はただ一つ、私が死んだらこの意識はどこへ向かうのかということである。
よくアニメで記憶を保持したまま異世界転生するなんていうものがあるが、それが本当ならどんなにうれしいだろうか。テレビでもたまに臨死体験をしましたっていう人がそのときの体験を語ったりしているけど、個々人によって体験している内容がバラバラすぎてどれくらい本当なのかなーなんて思っている。
このような感情を抱き始めたのは遅くとも中学生くらいからであったような気がする。当時から変わらない恐怖心を抱きながら今日まで生きてきた。
ここからちょっと脱線するが、私はこの世界が、というか自分が好きではなかった。
世の中でうまくいかないのは自分が一番の原因であることはわかっていたが、そんなことを言ったって生まれながらにして持った個人の特性はそう簡単に矯正できるようなものではないし、それを言い訳にして社会のせいにするのも何か違うよなと感じていた。
というわけで私は自分が悪いけどこれ以上どうしようもないのでこの世界から退出するのが一番の近道ではないかと考え始めた。その方法として手っ取り早いのが自殺である。
でもいざ自殺しようとしてふと考えた。私が死んだらこの意識はどうなるのかと。
それを感じ始めると、死というものがとても恐ろしいものに思えてきて、今の今まで死ねずにいる。
話を戻そう。死んだら意識がどこへ向かうのかということについて、以下の仮説を立てている。
いくつかの仮説を立ててみたけど、結局のところ「どれが正解かわからない」ということがこの問題で悩んでいる原因なのだろう。誰かに聞いたわけでもないし、聞いたところで誰も正解を知らないし教えてくれない。でも正解は1番目でしたなんて言われたら私は毎日反吐を吐きながら過ごす羽目になるかもしれんのでやっぱり知らない方がいいのかもしれない。
でも死ぬときはそんなことを考える思考能力もほとんど残っていないだろうし、多分死ぬ直前までこの恐怖を引きずりながら生きていくことになりそう。
現状の解決策は、そのことを考えないようにするくらいしか思いつかない、というかない。なるべく他のことをして意識がそっちの方に向かないようにするぐらいしかないけど、ボーっとしているときはどうしようもないしなぁ。いかにそういう環境を減らしていくかということになりそう。願わくばそういうことを考える暇がないほど幸せに暮らしていけたらいいよね。
別に幽霊じゃなくてもいい、今の科学の説明の外にある現象……思念、怨念、呪い、妖怪
死者の怨念が現世に何か影響を与えると認識している、と言っていいのかどうか
「祟りは信じていない。しかし祟りを信じている人の信頼を損なうので祟られるような行為はしない。」というスタンスはありえる
「祟りは信じていない。しかし何か起きたときに祟りだと言われて面倒になるので祟られるような行為はしない。」というスタンスもありえる
では龍であればどうか
「池に石を投げる/泳ぐ/汚すと祟られる。龍神様が住む池だからだ。」という謂れがある池のタブーを信じるかどうか
実在を信じる人もいるかもしれないが、おそらく多くの現代人は龍神の実在を信じはしないけれどタブーも侵さないだろう
いや、これは本当に自信が無い
ルールだから何となく守るだけで深く考えていないという線もありえるし
シンプルに池を汚すのは良くないことだから、という認識があるので龍とか関係ないという話はもちろんあるだろう
これは例えば江戸時代や明治時代の史料を調べていて、祟りだとか龍を見たとかいう記述があったとして、それを文字通りに受け取っては不味い気がするという話
箱根以東の江戸側には野暮な人間と化け物はいない、という田舎をバカにする言い回し
これだって「化け物はいるかもしれないが江戸の周りにはいないよ」という含意があるのか
それとも「化け物なんてどこにもいないよ」という含意なのか
また、「郷とお化けは見たことがない」という言い回しも存在する
この言い回しはいつ頃の時代から言われたものなのか未調査なのだが……
南北朝時代の郷という刀工が作る刀には銘が無かったため、後の時代で無銘であるが郷だろうと言われるものしか存在しなかったらしい
そのため前述の「郷とお化けは見たことがない」というフレーズが出てきたようだ
こういう言い回しがある時点で当時既にお化けの実在は信じられていなかったのでは?と感じる
でもそんなこと言いながら地震が起きたら鯰絵が大流行するんだよ
お化けや妖怪は信じないのに地下の巨大ナマズは信じるのか?それとも信じていなかったけれどお話として楽しんでいたのか?
当時の人々にとってのリアリティがどのようなものか、を調べていきたい
江戸という都会だと例えば河童なんかはリアリティがなかったのかもしれない(未調査)
しかし、原理不明である地震には説明が求められたので大鯰が語られリアリティがあった?
竜巻あたりも同じ話だ
明治時代の錦絵に竜巻を眺める人々の様子を描いた「怪雲現る」と題されたものがある
貴重資料展示室050 市井の天候資料 - 国立天文台暦計算室
その絵には
怪雲現る 明治廿三年六月十八日午後三時半頃東天に當て黒雲現れ其中央より遥に地下に向て尾を曳き螺形に捲上げ動揺きて見へしハこれぞ謂る龍の昇ならん道行人は皆一時ハ立とゞまりて眺めけり
という文も添えられている
この文から当時の人が龍の実在を信じていたかどうか読み取ることが出来るだろうか
「(龍はおそらく実在しないけれど)いわゆる龍の昇天と呼ばれている現象だ」という文意なのか
あるいは「あれこそ龍が昇天するときの現象だ」という文意なのか
「龍の伝承,とくに東海地方の竜巻と台風について」という論文によると、
との記述がある
ユニコーンの話でいうとシェイクスピアの『テンペスト』の作中に
なんでも信じたくなる, 一角獣が実在することも,. アラビアには不死鳥の王座と呼ばれる樹があって,. いまもそこに一羽の不死鳥が君臨しているという話も。
というフレーズがあるようだ
だいぶ古い!
やっぱりかなり古い時代から疑ってはいたようだ、実在も不在も決定的な証拠が無かっただけで
グリフィンなんかはこれより少し後の時代に実在を否定する人が出てきたようだ(しかし実在派から反論を受けている)
『図説 世界の神獣・幻想動物:ファンタジーの誕生』(原書房) - 著者:ボリア・サックス 翻訳:大間知 知子 - ボリア・サックスによる本文抜粋 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
グリフィンの実在を否定した作家のトーマス・ブラウンに反論して、スコットランド人聖職者アンドリュー・ロスは17世紀半ばにこのように書いている。
グリフィンは想像上の生き物だと他の著述家が言ったとしても、彼らがそう言ったというだけでは、証明するには不十分である。なぜなら世界にはそのような多数の「混成された疑わしい」動物が存在するからである。アコスタ[スペインのイエズス会士で博物学者]は、一部はロバに、もう一部は羊に似たインディアン・パコス[ラマ]という動物について述べている。レリウス[フランスの探検家]はブラジルのタピルス[バク]について述べている。これはロバと未経産雌牛に似た動物である。その他に、飛ぶ猫や飛ぶ魚、キュノケファロスと呼ばれる犬の頭部を持つ猿のように、混成動物に関する多数の記録がある。コウモリは一部は鳥で、一部は獣である。
そうなんだよな、やっぱり不在証明って難しいんだわ
なお『図説 世界の神獣・幻想動物:ファンタジーの誕生』は買って読んでいる最中だがなかなか難解で読み進めるのが大変だ
こんなところか、いったん今の考えをまとめた結果
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俺が体験したのは「とにかくその時たまたま正解ルートに進めた所を伸ばしていくしかない迷路式のスタンプラリー」だ。
ジャンプアクションの突破において手段が間違っているのか、道が間違っているのか、自分が下手なだけなのか分からない場面が多々ある。
行く必要のない幽霊物質の先を必死に進んでから何もないはずがないと残り時間必死に探索して、結局そこは別の入口から入るしか無い場所を遠くから眺めるだけのマジックミラーの外側だったと気づいたことさえある。
バラバラのピースが最後に一気に繋がる快感と言ってしまえば聞こえはいいが、本当にバラバラにピースを拾わされるので、次のピースがどこに落ちているのかさえ分からなくなる。
正解のはずの道の前で引き換えしたせいで次へ進む鍵が揃わなくなったことも何度もあるし、何もないただの雰囲気要素に光を見出したことも何度もある。
もしクリア前にDLCを購入していたら、きっと自分はそれぞれを中途半端に進んだ果てに全くなにをどうしたらいいのか分からなくなっていただろう。OuterWildsは攻略順を自由に選べるゲームなんかじゃない。
断じて違う。
攻略できる所から必死に手探りで答えを探し、どうしても道が分からなくなってからダメ元で世界を0からめぐり直すのを何度も繰り返すゲームだ。
ヒントと答の順番が逆転してしまったせいで探索が逆走を始めることさえ何度もあった。
このゲームでキレイにピースが順番通りにはまったと感じたのなんて、あの星をカメラに収めたその瞬間ぐらいだ。
それ以外はバラバラの導線を後になってから手作業で繋ぎ直して「こういう風に辿らせたかったのかな?俺は無理だったけど」と想像してやることぐらいしかできなかったよ。
二世なので言う資格はあると思う(10代で疑問を感じ始めて抜けた)。
それはわかる。
不思議な現象や理不尽な災害や辛い現実に人々は目に見えない力で説明をつけてくれるものを求めた。
今まだ分かってないこともこのまま行けばいずれ解き明かせる。
こうなるともはや神様を信じることの方が難しい。
昔は必要だったけどもう違う。
下げる意味で言ってるのではない。
繰り返すが二世なので実感を込めて言ってる。
あれは好きな対象があって同好の士と集まってみんなでわいわいやるサークル活動。
アイドルの推し活や生け花教室や車好きの人が集まってるのと何も変わらない
(唯一違うのは本人たちは高尚で特別なものだと思い込んでいて「上」に位置付けてるところ)。
かつてはみんなが参加していたけど減ってきた。
多くの人が長年信じてきたものだからそこには敬意を払いたいとは思う。
まだ信じている人もいる。
宗教は役目を終えた。
ファッションに気を使えとか
インテリアに気を配れとか
奢れとか
紳士たれとか
あれってクーポン券なんだよな
わかるのは消費期限があることだけ
そりゃオカルトといっしょじゃん
UFOはある幽霊はいる近畿地方にヤバいところはあるってのと同じ
宇宙人やUMAとつきあえるってことと同意義として人間の女性がいる
行きもしないどういうことをやるのかもわからない店
例えばエステ店あるいは飲酒をしないのならキャバクラやガールズバーやコンカフェも同じだ
そして向こうがどれだけ真理のつもりでいってても「馬鹿にしやがって」という気持ちは残る
本当に「貴方のため」と思っているならセックスボランティアをすればいい
老若男女問わず
それで救われる(物理上)
いやそれよりも悪い
うんこを鼻の下に直接塗っているのと同じだ
非モテはそっと死んでいけばいいんだよ
ちょっとだけ、だけど
スパイファミリーが一時期いきなり過去編やってたの、たぶんウクライナ侵攻はじまったせいだと思うんだけど
スパイファミリーにしても、プリンセス・プリンシパルにしても、東西冷戦終結から30年経過して、
もう関係者不在扱いでファンタジーで遊んでもクレームつかないだろ、っていう感覚で始めたと思うんだよね
なのに東西冷戦復活のようにして絶対悪ロシアが出現してしまった
それまでもロシアはクリミア占領してたり、さんざ悪行やってるだろってのはそうなんだけど、
弄っていいネタかの判断の分かれ目が去年で変わってしまったんだと思う
結果、プーチンがネタ枠からアンタッチャブル枠になったのは興味深かった
プーチンだろうとヒトラー並みの扱いはできないんだ。どんだけヒトラー便利なキャラなんだ、という意味で
一方でイスラエル政権のパレスチナ人ジェノサイドって、日本のそっち方面の対応は何も変わらないんだろうなってのも
今までもずっと見ないフリしかできなかったし、そこは変わらないから、そりゃそうだなと
「キエフの幽霊」みたいな自主製作マンガもアメリカとイスラエルとクレジット会社に怒られるから作られないんだろうなー、と想像つくし
彼らは「もうこの地に夜は来ない」という意味の言葉で朝の挨拶を交わしていた。
私がその街に滞在する間、彼らは私と同じ時間に寝て起き、同じ服を着て、同じ食べ物を食べ、同じ腹痛に襲われた。水も私と同じ量を飲み、同じ身長でいようとし続けた。
それは見ず知らずの東洋人である私に対して、彼らが家族のように接した結果だった。それがこの廃墟同然の街を街たらしめる理由であり、彼らにとって家族と呼べるのももはやそのような存在以外になかった。彼らは全員、はじめは私と同じ観光客だった。
ある日、夜中に目が覚めた私は水を飲むために彼らを起こした。最初に起きた二人を連れ添って、私は台所へ向かった。彼らは名前を持たないから、その二人をここでは「赤い男」、「白い男」と呼ぶことにする。由来は伏せる。
私は水を飲んだ。隣に立つ赤い男が水を飲みながらこう言った。
「このまちにはかみがいる」
白い男が続く。
「かみはこのまちと、われわれをつくった」
「なぜおなじようにするのか」
もちろん無駄だった。
「なぜおなじようにするのか」
「なぜおなじようにするのか」
私は性懲りも無くまた尋ねた。
「かみはどこにいるのか」
「かみはどこにいるのか」
「すきま」
赤い男が白い男を驚いたように見た。
その街の教会には長い蛇が巻き付いていた。
処刑は日の出と同時に行われる。彼らによって目隠しを付けられ、広場の中央に連行された白い男は、地面から生えた低い棒に手首を拘束されていた。その間一言も発することなく抵抗も命乞いもしなかった白い男は、少し俯いて正座していた。そして罪人と向かい合う位置に教会がある。表情は見えなかったが、白い男の姿は祈っているようにも、一切祈ってなどいないようにも見えた。
次に彼らはどこからともなく大量の水を汲んできた。各々の器に水が注がれ、それを持って広場に出る。彼らは広場の縁に等間隔に並び、円をなして白い男を囲むように立った。私は少し離れた場所で水の入ったボトルを持って座っていた。早朝の空気は冷たく、やや湿っており、絶え間なく弱い風が流れていた。
私は水を飲んだ。彼らも一斉に水に口をつけた。白い男に教会の蛇の口から水が噴射された。私はボトルの水を飲み干した。彼らは器の半分ほどを飲み終えたようだった。白い男の体にまんべんなく水が当たっている。私はじっと広場を見ていた。彼らが水を飲み終えるころ、白い男は動かなくなっていた。
あっという間だった。彼らはずぶ濡れの白い男を抱えて教会の中に入っていったが、まだ太陽は昇りきっていなかった。
しばらく経って赤い男が教会から出てきた。近づいてくる私を認めると赤い男は微笑んだ。私は言った。
「もうこの地に夜は来ない」
赤い男は言った。
「もうこの地に夜は来ない」
それから私たちは短い会話をした。赤い男によると、白い男が教えに反した理由には心当たりがなく、あの処刑法は彼らの宗教にしかない特殊な死因を引き起こすのだという。
彼らの宗教については結局わからないままのことが多い。架空の宗教なだけあってその街には聖職者はおらず、教典もなかった。彼らの話から知ることができたのは、儀式を含むいくつかの慣習と断片的な神話のみだった。
その中でも最も多く話をしてくれたのが、街で唯一の老人だった。私は水を飲んでから耳を傾けた。
かみのいばしょはだれもしらない。ふたつのたまごがあって、かたほうだけにかみがはいっている。それをわってもかみがでてくることはない。それをたべてもかみのあじがすることはない。にんげんもかたほうのたまごにしかいない。たまごをくべつすることはむずかしい。にわとりのたまごをしっているか?とてもまぎらわしい。それとおなじだ。
ゆうれいはみずのなかにいる。しろいおとこはみずのなかにいる。すべてのしにんはみずのなかにいる。みずはおまえのなかにはいり、かれらはすきまからわれわれをみる。もっとみずをのめ。しにんのすがたがみえるか?みえるはずはない。みずをのぞくとじぶんのすがたがみえるだけだ。ははははは。
このまちのきたにふかいもりがある。つぎのきせつをしっているか?きせつのめぐりかたは、うまれるまえのこどもたちがきめている。このまちでうまれたこどもがすぐにいなくなってしまうのは、おとずれなかったきせつのうらみをかって、そこへとじこめられてしまうからだ。そこでかれらはみずにとけ、つぎのこどもたちはそれをのんでそだつ。するとすききらいのないこどもになるが、それでも50ねんいじょうおとずれていないきせつがある。
水。水が飲みたい。私は日本に帰らなければならない。もうこの街での目的は果たしただろう。赤い男はまだ私のベッドで寝ている。ボトルはすでにすべて空だが、喉の渇きを抑えられなかった。私は老人の部屋に向かった。
深夜に一人で外に出るのは初めてだった。老人の部屋へは建物の外壁伝いに少し歩くだけで着く。もちろん老人は眠っていて、床にも壁にも天井にも沢山の水があった。私はほとんど無意識にその中の一つに手を伸ばした。
赤かった。だが私はそれを飲んだ。口の中に水の味がすると、老人が寝返りをうった。次の水も赤かった。今度はひどい味がした。その次の水も赤かったが飲んだ。朝になってから気付いたのだが、このとき私はあまりの喉の渇きに手から出血していたのだった。老人は私が水を嚥下するたびに大きく息を吐いたり、うなされたりした。
また水を飲んだ。確かに幽霊は私を見ていた。ちいさな子どもだった。私が一心不乱に壁や天井から水を取って飲んでいるのを部屋の隅から見つめていた。しかし喉を潤さなければまともに怖がることもできない。
また水を飲んだ。彼らはどこから日本の食材を手に入れたのだろう。また水を飲んだ。彼らはどうして一晩で日本語を話せるようになったのだろう。また水を飲んだ。彼らはいつからこの街でこんなことを続けているのだろう。子どもの幽霊はそのすべての問いに対して明確な答えを返した。老人は眠っていたが、子どもの幽霊の回答に対してはすべて首を振った。
私は太陽が昇る前にありったけの水を持って彼らの街をあとにした。
と思う。
「答えられない」や「回答がズレてる」のは仕方ない。
答えられないっていうのは、
.............................
・そもそも誤認、誤回答をしている(錯誤)
・嘘の回答をしている
.............................
あたりがあると思うが、いずれも答えようとしているだけまだ誠意がある。
最後の「嘘の回答してる」も、質問者側に嘘を見抜くスキルがない無能なだけだ。
回答者側は嘘をつくことで、自分に有利な状況を作れるかもしれないが、バレた時に信用を失うリスクを負う。
ただ、「答えない」やつは違う。極めて不誠実だ。
松下幸之助は「幽霊は何故怖いか。それは足がない、つまりわからないからだ」と部下に言ったらしいがまさにこれで、
なぜに答えないのは質問者側に「わからない」を作り、間接的な脅迫をしてるに他ならない。
建前としては黙秘権が認められている。しかし大抵の場合は黙秘すると「心証が悪い」とされ、より懲罰が課せられる傾向にある。
それは「わからない」を作り、捜査コストを上げている他、誠意がないと判断されるからだ
最近SNSでネチネチ叩かれる人を見るようになったが、あれも意味不明な行動をしてるのに答えないことがきっかけなのではないかと思う。
奇異に感じるかもしれないが、回答しないことは敵対行為だと本気で思っている人が、ここに1人いることは感じてもらいたい。
「うん」
なんでも、両親がビオランテという花にちなんだらしい。
ある日の部活の帰り、真っ暗だったった帰り道の途中で、ゴジラさんはたったひとりで僕をまっていた。
最初、幽霊か何かかと思ってびびったが、僕以外は僕とゴジラさんを置いて先に帰っていった。
ゴジラさんは言った。
「あのさ、今日、何の日か知ってるよね…」
「…バレン…タインデー…」
「当…た…り…」
そのチョコは怪獣総進撃バージョンのゴジラにちょっと似ていた。
「帰ったら、必ず食べるからさ…」
「返さんでもいいよ」
ゴジラさんは頬を赤く染めてそう語った。
そんな、何気ない日常から、ぼくたちの両思いの日々は始まった、かに見えた。
庵野がシンを撮り始めてからだろうか、それとも-1.0を撮り始めてからだろうか、
それどころか体中が傷だらけだった。
「あんな家でろよ!」
「そんなんじゃないって…、家にお金が入ってきてるんやって…」
そんな生傷の耐えない彼女とお金なんて釣り合わないじゃないか。
「家出しよう。ゴジラさんと僕とで家出するんだ。ギターの流しでもしてなんとか食わせてやるから」
でも、僕はそのときはまだ気が付かなかったのだ。
ある日、プールで水泳の練習をしていると、後ろから肩を叩かれて振り返ると、なんと幽霊の姿をしたおばあさんが立っていた。おばあさんは「私も泳ぐのが大好きだったの。一緒に泳ごうかしら?」と明るく笑った。
↑のように変なとこで途切れてるAIボット風の文章が昨日あたりから増田に連投されている。
プール</a>の踊り場に立ち、<a class="keyword" href="/keyword/%E6%B7%B1%E5%91%BC%E5%90%B8">深呼吸</a><p><a href="//www.■■■■■.com/getmedia/5b1435fc-567b-4c2f-b576-80910175dd7c/09ao4qsg"> </a><p><a href="//www.■■■■■.com/getmedia/b8bb6d71-74a3-4c01-831c-c49a75b5a10a/09wx0d69"> </a>