「年代」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 年代とは

2023-07-17

から自分の年齢に絶望するクセがある

それでやる気失って色々手遅れに成りがち

18歳の頃からもうあーこんな歳か…って絶望してた

20の時はJC以上は擦れたババアに見えたし25の時はJK以上がババアに見えて同年代とか付き合う気も起きなかった

同じ病持ってる人をいるだろうか?

anond:20230716204347

その年代に向けて作られてる物と元々子供ターゲットを向けている物を中年が好きになるのは別物

2023-07-16

anond:20230716184300

からすまん。

彼女にも見習って欲しいぐらい積極性があって素晴らしいと思うし、他の返信も見たけど改善させようと頑張っているのは分かる。

けど、男には年齢やそれに伴う体力低下・疲れやすさ等に勝てなくなってくるラインがあるのだよ。

増田のそのエッチを充実させようとする努力は良い事だけど、最悪それが相手にわかってプレッシャーになったらかえって勃起しづらくさせてしまうかも知れないよ。

それに8歳も歳上の彼氏なら、他の同年代彼氏と付き合っている増田の友だちよりも彼氏機能低下がエッチに影響してくるタイミングは当然早い。

そうなった時は、今後は回数より1回1回がお互いに満足度の高いものだったかどうかに注目して、エッチは2人ともがリラックスして楽しくやるものだって事を忘れないであげて欲しいな。

anond:20230716092444

3歳差は同世代?話がややこしくなるから厳密にいこう

https://data.e-gov.go.jp/data/dataset/mhlw_20201124_0045/resource/03b2a361-3c28-4ac3-b98f-7d1f9dd3e4e5

年代 百分率
--- ---
総数 100
妻年上 24.2
4歳以上 6.4
3歳 3.1
2歳 4.8
1歳 9.8
夫妻同年齢 21
夫年上 54.9
1歳 13.6
2歳 9.2
3歳 7.2
4歳 5.7
5歳 4.5
6歳 3.5
7歳以上 11.2

2019年統計では妻年上が24%同年齢が21%夫年上が54%なのが現実

あえて3歳差は同世代という話にのかると、妻が4歳以上年上なのは6.4%、夫が4歳以上年上なのは24.9%だ

またおっさん10歳以上年上と定義するのも謎ではあるがそれにものかると、夫が7歳以上年上ですら11%もいる

かにオッサン好きは少数派ではある

が、やはり全体で見た場合、年上と結婚するのが大勢であり、逆に大きく年の離れた年下男結婚するのは極少数でしかないのが現実

まり元の話とつなげると、ほとんどの女性(54%)は年上からアプローチされていて、その中でも7つ以上離れたオッサンですらOKなのが11%もいて、一方年下にアプローチする女性24%しかおらず、中でも4つ以上離れた年下男子をリードするような女性は6.4%しかいないといえるだろう

 

まあそもそも恋愛問題を語るとき結婚データを参考にするのもどうかと思うが、そこはそちらの土俵に乗ろう

anond:20230715174621

あくまでも個人的見解だし、ここのリプ欄全部見てないかかぶってるかもしれないと前置きしておきます

まず「なるほど」は無難な相槌というよりは、「相手のひらめきとか思考とか理論を感心して褒める」という意味が(とある年代かもしれないし地域的なものかもしれないけど)強いのではないか?と考えます

そして、「褒める」というのは年長者が年下に対して「すごいね~(まぁ、私は知ってたけどね。私はできるけどね)」という感じで使うシーンを想定してしまうのだと思います

要するに「ウエメセ」に感じてしまう(層が一定数いるのでは?)。

で、使う方も使われる方もなんとなくその「ウエメセ」な感じを察知しているので、使う方は「ですね」を付けておけば失礼にはならないだろうと安易に考えてしまい、使われた方はその安易さや、そもそもウエメセが気に入らずに怒ってしまうのではないかなー、と思います

2023-07-15

VTuberっていうだけで、ああ自分対象にしていないコンテンツなんだなと思って少し悲しくなってしまう。

何度かVTuber配信は見たことがあるのだが、どうもキャラクター性やその人を追っかけるまで好きになれなかった。

Twitterを見ると、年代関係なくVTuberに夢中になっているフォロワーがごちゃまんといるが、自分はいつの間にか感性が枯れてしまったのだなと思い

自分絶望している。

こんなことで老い人間性の未熟さを感じたくはなかった。枯れた感性はもう復活しないのか、どうして自分感受性が死んでしまったのか。

2023-07-14

後輩によるストレス

20代中堅社会人の女。

同性の1つ下の後輩に起因したストレスが鍋から吹きこぼれ感覚があって、メンタル死んでるのでここに吐き出す。

自分自身は、あまり人を嫌いにならないタイプで、嫌だなと思うことがあっても「こういう癖のある人なのか」と受け流すことができる人間なので、こういった「この人のせいで!」みたいなストレスがここ数年無かったから、それもけっこうメンタルにきてるのかなと考え中。

後輩のここが嫌

意見を聞いてくれない

年代が近いため一緒に何かすることが多いけど、いろいろ意見を出しても彼女の中で方向性が決まってるので意見を聞いてもらえないことが多い。

じゃあ、勝手に1人でやれば良いやんって思う。

こんなことが半年以上。

感情の浮き沈みを会社の人に見せるところ

→かまって欲しいのかなと思う。

 ときどき、弱音やメンヘラのようなチャットが来てうざい。その度に、神経をすり減らされる。

・1人が好きではない

出張では隣の席に座りたがる、プライベートでも遊びに行きたがる…

友達でもなんでもないから避けたい。

電車の中ではゆっくり1人で過ごしたい。

・あまり面白くない

→これは、ただ単に価値観の違い。

なんだかんだ1番目の「意見を聞いてくれない」が本当にストレス

相談チャットがきて、いろいろアドバイスしても、自分の手をすり抜けていくような対応しかされてないから、「この時間なんだったんだ?」と何回も思ってきた。

疲れ。

国家試験ITパスポート合格からみるIT立県・非IT立県

【はじめに】

少し前にニトリが自社社員IT人員増加を目的に、「ITパスポート」を取得させるというニュースがあった。

果たしてITパスポート」がどれほどIT化の変化に意義を持つのかの議論はさて置き、仮に「ITパスポート取得=最低限のITリテラシーを持つ者」として

見た場合都道府県別ではどれくらいそのバラつきがあるのかを見てみる。

【「ITパスポート」とは】

経済産業省政策実施機関である独立行政法人情報処理推進機構IPA:Information-technology Promotion Agency, Japan)」が

取り仕切る、情報処理技術者としての「知識技能」が一定以上の水準であることを認定している国家試験

その人が持つ情報技術レベルを測るIPA試験にあれこれ種類がある中の入門編に位置付けされている。

年中実施されており、理屈上、最大年12受験できる。

IPA公表している「情報処理技術者試験 統計資料ITパスポート編)」からIT立県・非IT立県を読み取る】

IPA試験の結果を月ごとに公表しており、その中で様々な観点から受験者・合格者の内訳を分析している。

そこに都道府県別の合格率を表しているものがあるので、これを使ってIT立県・非IT立県を見てみる。

その前に全国の合格率は以下の通り。

○令和5年度(4/5/6月)全国平均合格率:53.0%(合格者:25,456名 / 受験者:48,022名)

 2人に1人以上は合格できる試験

 とはいえ、実務経験ない人がノー勉強では合格できない感じ。

 根詰めなくても一通りちゃん勉強した人は1回で合格できるレベルと思われる。

では都道府県別の合格ベスト3・ワースト3を見てみる。

合格ベスト3】

合格ベスト3:東京都 60.1%

合格ベスト2:京都府 60.9%

合格ベスト1:滋賀県 61.3%

あれ。ソフトウェア産業が盛んな関東圏が独占すると思っていたけど、結果はご覧の通り。

滋賀県日本で一番ITリテラシーが高い県らしい。

ふーん。意外。

では続いてワースト3。

合格ワースト3】

合格ワースト3:徳島県 40.2%

合格ワースト2:熊本県 39.8%

合格ワースト1:群馬県 39.7%

ITイメージが全くない県群が堂々のワースト3入り。

群馬県にいたっては全国平均合格率(53.0%)より13.3ポイントも低い結果に。

熊本県TSMC進出で沸いてるけど、装置産業からITとか関係ないのか?

全国ベスト1の滋賀県(61.3%)と全国ワースト1の群馬県(39.7%)の落差は21.6ポイント

共に10人受けたら2人ほど合格者数が違う感じ。

なかなかだね。

以上、国家試験ITパスポート合格からみるIT立県・非IT立県でした。

(※番外編1※ 年齢別からみる合格率)

統計資料には年齢別の合格率というものもある。

これをざっと見てみるとこんな感じ。

10・・・29.8%

20代・・・53.52%

30代・・・58.42%

40代・・・57.61%

50代・・・55%

60代・・・73.19%

70代・・・68.6%

少年老い易く学成り難し」という故事があるけど、あながちそうでもない感じ。

つか、20代もっと頑張れ。コスパが~ タイパが~ 言ってるヒマあるんだったらもっと頑張れ。オッサンジィサン年代に負けてる。

(※番外編2※ ええっ・・・

この統計資料PDFのほかにエクセルでも公開されている。

されているんだけど、バリバリセル結合されまくっててそのままだと分析材料として使い物にならない。

・・・情報処理推進機構、なんだよね?

リレーショナルデータベースにおける正規化とか、試験範疇にないの?

ちょっと困惑した。

料理したことがない」←???

https://www.youtube.com/watch?v=vDZZzMmprzw

田原総一朗の朝食動画を見た

この年代、もう少し下まで含めた男性で、結構「一度も料理したことがない」という人いるけど、本当にそんなこと可能なのかと思ってしま

学生時代とか独身時代とかはどうしてたんだろうか

料理が苦手」ならわかる

わかるが、分量とか手順通りにすればいいだけだし、そんなに難しいことか?とも思う

田原総一朗動画でも実際手つきがぎこちないし、これまで料理してこなかったんだな、ということは伝わってくる

じゃあそういう人って、どうやって生きてきたの?というのが疑問。はっきり言って想像できない

田原さんぐらい聡明な人なら、料理理屈なんだから、割とこなしそうではあるのに、そもそもできない/しない、という別の回路があるんだろうか

2023-07-13

45歳ぐらいの女性配信

ちょっとでも気に入らないコメントがあるとガンガンブロックしていってて、

あーこの年代ってちょっとした批判も過敏になるんだなあと気づかされた。

自分も気をつけよう。ありがたい。

anond:20230711125336

その年代年収800万って全男の上位3%くらいだと思うけど、お前の顔面は上位3%に入るの?

なぜ火サスは火曜の夜2時間サスペンスだったのか

月曜のりきって火曜平日になれてきた夜になぜこんなテンプレサスペンスがよさそうだ!ってなったのか

ルーチンって意味でありふれたサスペンスドラマってことなのか

そもそも平日の火曜の夜に2時間も、映画と違って出来のよしあしもわからないドラマをそんなに見る人間がいたのか

ウィキペディア

番組初期のプロデューサーだった小坂敬は「哀しくなければサスペンスじゃない」が最初のコンセプトであるとして、「単なる謎解きに終始せず、きっちりとした人間ドラマを作ろう」ということで、登場人物はみんな何か重いものを背負っていることをじっくり描くことが最大のテーマだったと話している[1]。

第1回放送は、島田陽子主演の「球形の荒野」(松本清張原作)。1980年代は、松本清張作品などの日本推理作家海外ミステリーなどを原作として、ベテランスタッフ映像化する重厚作品が多く、全盛期には視聴率もしばしば25%を超える人気を誇った。日本テレビにとっては、1980年に放映の始まったよみうりテレビ制作の『木曜ゴールデンドラマ』に次ぐ2時間ドラマ枠であり、1988年からさらに『水曜グランドロマン』を設けるなど、日本テレビ系列では2時間ドラマ枠が多くなったが、『火曜サスペンス劇場』はその中核であり、最も息の長い枠となった。1990年代以降は、主に50歳代から60歳代の女性視聴者に絞り定番シリーズ放送する安定路線が敷かれた[要出典]。特に1990年代は、日本テレビの視聴率全国的好調になっていた年代でもあり、日本テレビのドラマ枠としては、最も高い視聴率殆どの回で記録しており、ドラマ視聴率ランキングの上位にもしばしば食い込んでいた。

この番組の開始によって、『木曜ゴールデンドラマ』が、読売テレビ一社制作に変更された(それまでは、日本テレビと読売テレビが交互に制作していた)。また、札幌テレビ放送テレビ岩手福岡放送といった系列局が制作することがあったり、系列局の地元の“お国自慢”などに絡んだ作品制作されたこともある。

また、大林宣彦神代辰巳鈴木清順実相寺昭雄劇場映画で名声を博している旬の監督たちを起用して演出家主導の意欲作を撮らせる試みもしばしば行われた。その結果、難解なストーリー前衛演出も辞さず、2時間ドラマのみならずテレビドラマの枠をも破るような作品群が少数ながら生まれている。

番組スタッフロールは、当初は「最後に『制作製作):日本テレビ、(担当制作プロダクション)』」とクレジット表記されており、1985年4月以降は、「最初に『制作日本テレビ』、最後に『製作著作:(担当制作プロダクション)』」当とクレジット表記されていた(同時に日本テレビ製作番組製作から製作著作表記が代わった)。当枠終了後、日本テレビは製作プロダクションとの制作打ち切り関係も絶縁し、視聴者層を若年層に絞った路線に変更した。

一時期は視聴率20%を超えることもあったが、2000年代に入ってから視聴率低下に歯止めがかからず、2005年9月27日放送をもってを24年間の歴史に幕を閉じた。最終回放送内容は火サス最多出演俳優水谷豊主演の「事件記者三上雄太III 逃走援助」で、放送時刻は19時からの3時間特番により通常より1時間遅い22時 - 23時54分であった。

からなかったこ

なぜ火曜の夜だったのか。

たぶん始まったときがそうだったからってだけなんだろう

anond:20230713004752

あ、そうだよね、だから大体同じ年代を過ごした人たちにとってのトレンドってことになるのか

かつてちょっとあった着方くらいの感じかな?

時間の変遷もそうやって描いてるの面白いなあと思う

2023-07-12

性同一性障害トランスジェンダー

職業柄どちらとも接する機会が多いんだが見分け方があってその年代女性が着てそうな服や髪型をしているのが性同一性障害10代みたいな格好をしてるのがトランスジェンダー

100人以上見てきたけど9割5分以上それ

鳥羽シェフ(45)のヤバさってあの世特有のものだよな

広末と俺のこと、知りたくない?」「言いたいことはヤマほどある」とか言ってしまうのは、80年代後半に生まれた連中に特有ヤンキー文化と、インターネットのない頃までの言ってはいけないことを言ってしまえていた頃のボーダーで、テクノロジーの発展によるシンギュラリティが生まれしまい、この時期を境にして全ての日本人発言責任が生じてしま時代になってしまい、発言が言質になると言う認識が持てないラストな時期だたと思う。テープレコーダーやら家庭でも使えるようになったわけで。そして、ちょうど脳が老化してコモンセンスを受け入れられなくなったのが、この年代と。

父が死んだ。葬式もした。

喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。

父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである

 

父は1940年代まれ日本人男性である出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎である

6番目の息子である工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。

 (おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライであるいじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)

工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学メーカー就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。

職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学化学科に進学した。

学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である

趣味登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生もっともイケイケだった時代かもしれない)

そこで一学年年上にあたる女性出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人笑顔が気さくだった。

怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。

話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。

1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。

父は卒業化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社腰かけ事務職」をして寿退社初任給洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。

二人は親へ挨拶をすませ神前式結婚式をあげた。新婚旅行国内)ではパンタロンネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。

1970年代。m市の社宅に二人暮らし妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行出産も一応カラーだ)

夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。

(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)

二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このとき増田も母実家に連れていかれた。

このころ叔父浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父マンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田学研漫画植物百科を買ってくれた。

三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)

というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。

というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。

だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。

(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコ容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)

そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、

そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。

とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。

まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。

1980年代、父はチバラギの片隅に土地を買って家を建てた。

そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。

(このへんで、のこり全部の西にいる親類から東京叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博ディズニーランド成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)

お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。

 

増田と父と電車記載を削除)

 

そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、

母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。

子供が「いやもう自分大人から口出しをするな、するなら人生最後まで口出しする覚悟しろ恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、

父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。

その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。

子供教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである教育となったら教育だけをするのだ。

「もういいか子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。

しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。

庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。

父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。

(ほかにファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らしイメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。

今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。

学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)

母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。

ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。

父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。

幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。

郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。

手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。

そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。

 

ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。

母にとっては子供庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。

母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。

Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。

母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。

「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、

それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当理由がつけられ、反省書となった。

反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。

まるで自首後の犯人動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。

 

この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。

あるときなど増田が呼び出されて母と東京カフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである

どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。

増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。

ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときときょとしながら口をはさむ隙を探す。

まるで楽園のなかの地獄であった。

やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。

カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである

増田遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである

理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。

後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!

父は平謝りするしかなかったらしい。

増田ボケがきたか気がくるっているとしかおもえなかった。

でもその場で諭そうにも耳も悪い。

「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。

もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである

補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。

それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。

子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。

  

でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田子供たちに直接説得も試みた。

ところが増田子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯業務用)に電話をかけることがつづいたのである

運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。

このことは増田子供の送迎がいらなくなりガラケーアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときブロックは解除した)が

ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟増田の伴侶に「増田ちゃんわたしブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。

   

父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。

父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。

酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。

母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである

かにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。

なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。

途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。

父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。

母親認識は古くて「介護認知症施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、

父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。

まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在チバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。

 

母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田ドライに告げたので増田市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。

実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。

父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。

頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。

ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人介護をうけることにして解決となった。

  

他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。

ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。

コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、

ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。

母はユーチューブをおぼえた。

コロナワクチンふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である

 

増田の残りの二人の兄弟子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。

  

そうして2*年の闘病、*年の介護認定酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。

母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。

 

父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式相談のあとにも爆発した。

かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、

はいます資金をすべて自分の口座に動かそうというのである

それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。

今すぐにでもATMにいってお金おろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたか葬式費用ではない。)

なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単からのぞんでいたんでしょう。

anond.hatelabo.jp/20230712024305

2023-07-11

セーフティネットとしての有害ホモ

知り合いの近況を人づてに知り、思うところあったので書いておく。

Twitterを通して知り合った、アラサーの男がいた。増田と同年代のこの男を、Aくんとしよう。

Aくんと知り合ったのは、の別の男性きっかけだった。この人をBさんとしよう。BさんはTwitter上で趣味の合う知り合いに声をかけ、しばしばオフ会をしている人だった。僕も声をかけてもらって、予定があえば参加していた。少ないときは3,4人、多いとき10人くらいの参加者がいただろうか。ファミレスカラオケなんかでだべって、普段はできない趣味の話ができるのでよい息抜きになっていた。

ある時、Bさんがこう相談してきた。知り合いでAくんというやつがいて、オフ会に呼ぼうか迷っている。かなり変わったやつで、言動が失礼と感じる人もいるかもしれないが、増田さんとは大学の専攻も近いようだし、話があうんじゃないかと思っている。次、限られた人数で会を催して、Aくんを呼んでもいいか、と。Bさんは仕事柄、学問にかかわることにアンテナをはっていて、しかしいつものオフ会メンバーでは学問的な話題にならないので、そういう雑談ができる場がほしいらしいのだ。増田オフ会によばれるようになったのも、そういう話ができそう......という期待からだったようだ。

AくんのTwitterをみてみると、しばしばネタツイートをしていて、そのなかには信じられない下品ものもあった。しばしば昭和天皇コラ画像をつくっては貼って大喜びしているようで、これがアラサー男性ツイートとは到底思えず、陰キャ大学生のノリをいまだに捨てきれていない感じが痛々しかった。しかし、Twitter上ではこうでも、さすがに実際に会ってこのノリでコミュニケーションをしてくることはないだろうと、呼んでも大丈夫ですよ、とBさんに軽々しく返事をしてしまった。これが大きな間違いだった。陰キャ大学生のノリを引きずる痛々しいアラサー男性がそこにいた。

Aくんは天皇いじりや反出生主義、そして女叩きをイケてるインテリギャグだと思っているようだが、増田はただ愛想笑いを返すしかなく、その愛想笑い肯定的な反応と勘違いしたAくんは益々不謹慎ギャグを連発した。ときたま真面目なトーンでBさんが話題をふって学問の話をしたりもしたが、Aくんは自分の専門分野以外のことでは自信満々に偏見に満ちた見解を連発する。端的にいってインターネット再放送しかできない人間だった。なぜおれはこいつの独演会に付き合わされているのだろうといたたまれなくなり、適当理由をつけてそそくさと中座した。

そういうわけでAくんの印象は最悪だったわけだが、Aくんにとって増田はBさんと同じく「気安く話せる仲間」として認識されてしまったようで、しばしばTwitter上で遊びに誘われるようになった。あの不愉快独演会に付き合わされてはたまらないので理由をつけて断っていたのだが、美術館企画展にいくことをツイートしたことでその美術館近くまで押しかけられ、不本意ながら食事をご一緒する羽目になったりしたこともあった。オフ会ならば人数がいるから多少ましだが、サシであうのはほんとうにつらい。よくBさんはこいつと二人で出かけたりできるものだと感心していた。

そんなこんなでAくんとつかず離れずの距離感をたもっていたが、Aくんに恋人ができて状況が大きくかわった。AくんはTwitter上である女性アカウントに熱心にリプライをおくっており、好意をよせていることはもろバレだったのだが、どうやらそれが実ったらしい。Aくんは昭和天皇コラ画像を連投するかわりに、恋人と仲睦まじく過ごす様子を逐一Twitterで報告するようになった。恋人はAくんの趣味にも理解があるのだと誇らしげにツイートしていた。

Aくんはそれを祝福してほしいのだろうな、と思った。Bさんや増田のような「気安く話せる仲間」たちに。でもそうする気には到底なれなかった。それが非モテである増田やBさん、オフ会参加者たちへの自慢のようにみえたから。「オタクくんたちもはやくライフステージすすめないとw 恋人なんてすぐできますよw」とつぶやくAくんは、言葉と裏腹にお前らにはぜったい彼女できないだろwと嘲笑しているように思えた。

あれだけ女叩きをしていたのに、虫がよすぎないか?内心そう思っていたが、それをつぶやいたりはしなかった。しかしBさんはちがった。「あんないかれたやつにも恋人ができるのか」「あんだけ女叩きしといて彼女できたら去勢されちまったなw」「反出生主義をうたってた男がせっせと生殖活動とはねえ」と、名指しはしないながらも明らかにAくんのことを指しているとわかる様子で罵倒していた。Bさん、あんたもAくんのこといかれてると思ってたのかよ......と驚いたのだが、それはそれとしてBさんの気持ちはよくわかった。

これにAくんは激怒した。いかれたやつとはなんだ!おれはお前らのように女叩きはしていない!(嘘だろ......と増田は思った)恋人いるからといって生殖するとは限らないだろ!女叩きで連帯しているお前らのような有害ホモ集団とは金輪際縁を切る!と激烈なツイートを連発し、Bさんを謝罪させた後、ブロックした。「有害ホモ集団」との縁切り宣言はまもなく実行にうつされ、増田を含むBさん主宰オフ会参加者は一様にブロックされた。これでAくんと増田の縁は切れ、平穏な日々が戻ってきた。その直後に新型コロナ流行がはじまって、Bさんのオフ会自体も開催されなくなってしまった。

そしてつい最近。Aくんが大変なことになっているらしい、とオフ会メンバーから聞き、久しぶりにAくんのアカウントをのぞいてみた。Aくんの身におこったことは、増田想像はるかにこえていた。なんと、あれほど仲睦まじかった恋人Twitter上でDV告発され、それを名誉毀損で訴えるのだと息巻いていたのだ。しかも、Aくんと恋人あいだには息子がいるらしい。あの、反出生主義こそが正しいのだと息巻いていたAくんに、子供......。子供恋人に渡したくないAくんは、実家の両親とともに子供を育てる気でいるらしい。Aくんはかつては実家暮らしで、しばしば自身の両親の毒親ぶりをおもしろおかしく語っていた。恋人ができて、ようやく毒親から救ってくれる人が現れたと喜んでいた。そのAくんが恋人破局し、結局両親にすがるのか......。

恋人ができたときもそうだったが、Aくんには首尾一貫した考えというのがそもそもなく、そのときどきで都合よく自己認識を変える癖があるのだろう。

さすがにここまでの経緯が気になって、ツイログで遡ってAくんの足跡をおってみた。この三年半あまり、Aくんにはいろんなことがあったらしい。増田たちをブロックしてまもなく、恋人妊娠したようだ。その後、新卒からつとめていた企業から大企業転職し、年収が一千万を超える!これで嫁さんと子供を養える!と大喜びしていた。おれを叩いていた有害ホモ集団諸君年収千万越えてるかな?と、そのツイートをみてもいない増田たちをあおって鼻息荒い様子だったが、数か月後、どうも雰囲気がかわってきた。成果物クオリティが低く、上司に叱責された。在宅勤務でのさぼりを疑われ、強制出社を命じられてしまった。そして、試用期間が終わって、どうやら解雇されそうだ......。Aくんはあまりにも赤裸々に、身辺の状況をつぶやいていたようだ。そしていまは、アルバイトをしてどうにか糊口をしのいでいるらしい。パートナーへのDVが事実かどうかは定かではないが、もしほんとうだとするならこの経済的不安定な状況が原因なのかもしれない。

そして恋人から解放され息子を両親に預けたAくんは、自分趣味に没頭しているようだった。これがほんとうのおれだったんだ!といわんばかりに。

もしAくんに恋人ができず、「有害ホモ集団」とずーっとつるんでいたらどうなっただろうか。増田はしばしば不快な思いをしただろうが、それでも不幸な子供がひとり生まれしまうことはなかったはずだ。祖父母に育てられること自体が必ずしも不幸とは思わない。でも、一方がDVをインターネット上で告発し、一方がそれを名誉毀損だと訴える両親のもとに生まれしまたことは、幸福なことだとはいえないと思う。反出生主義はただしかった。少なくともAくんにとっては。

有害ホモソーシャル集団は、Aくんを、いやその子供を救うセーフティーネットになれただろうか。増田たち非モテの男たちは、子供を救うライ麦畑捕手になれただろうか。それはわからない。Aくんは不愉快で、救いようのないやつだ。でも、その子供には、どうにか幸福な道が、祝福された道があってほしいと願う。

ミノルタ一眼レフアクセサリー周辺機器オプションパーツ?拡張パック?だった

インテリジェントカード

だが、あれって1枚にどのくらいのデータ量が入ってたんだろう?

あと、ハード自体の規格は何で作ってあったんだろう?

(旧オリンパス一眼レフの「マニュアルアダプター」類の発想は、70年代の同社のマイクロカセットテープレコーダーコンポーネントシステムから来ているよね?)

anond:20230711104452

性加害と音楽性は別って言うならちゃん調査して、結果としてジャニーは真っ黒な少年レイプおじさんでしたってなっても俺は尊敬し続けるぜって態度を貫いたらいいし、民事裁判の中で加害行為認定されていて年代バラバラで互いに関係の薄い複数被害者被害体験を発信しているのを汲み取ってちゃんと調べましょうよって言う提言を「憶測に基づいた批判」とはならんわな

2023-07-09

当方36歳。小学生の頃(90年代前半くらい?)にBSでみたアニメタイトルが知りたいです。

・衛生アニメ劇場レギュラー放送ではなく夏に一挙放映するやつで見た。

高校生から大学生の男女が出てくるアニメでなんかSFチックな内容?

テーマ曲高校教師主題歌っぽい女性ボーカルの曲

・劇中のセリフで「昨日◯◯とベッド・インする夢をみた」というようなことを言っていた

なんか、小学生が見るには大人っぽい感じのアニメでゾワゾワした記憶があるのですが、詳細が思い出せません。。。

有識者の方、お願いいたします。

俺は氷河期世代だけどまぁそれなりの会社に入れてそれなりの給料もらえてきたけど、それでも数十年間不況が続いて社会に活気がなく面白くない状態自分達が主役である年代が終わってしまったようなつまらなさがある。

バブル期みたいな熱気と狂乱の時代社会人として生きてみたかった。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん