はてなキーワード: 局所とは
ウィッチャーエンドになった
太陽の石クエストの古代の地下墓地が。フィリパと別れた後すげー迷った
エルフが呪いかかってた醜い怪物をケイアモルヘンにつれてくムービーでアプリが落ちた
ラスボスと戦う途中で1,2割体力削ったら次の場所に移動して戦うはずなのにそのイベントが起きないバグもあった
アイテム拾いたいのにロウソクをつけたりけしたりするアクションが最初から最後までうざかった
完全に意味ないし ロウソク付けたら宝がみえるようになるとかもないし ただの宝拾いの邪魔でしかない
華麗にステップしてよけて斬りつける、ができないからホントストレス
せっかくステップして敵の死角に移動しても、斬りつけるときに無駄にくるりんと回転してきるっつーモーションが入るせいで敵が体勢立て直しちゃう
ロードもクソ長いし
思ったように操作できない
オープンワールドっていうけどいけるとこいけないとこの管理甘くてそこちょっとのりこえればいけるだろとかそういうのができない
それなのに回転回避するだけで衛兵がおってくる 剣ぬいてない 眼の前で前回りしただけなのに
専門用語とか多くてまともにストーリー追ったり本とかの用語辞典を読む気にならない
まあお話としてはそれが正しいんだろう 作中キャラは当然のようにわかってるから用語説明とかあったらおかしいし
入れないドアも多いし
刀は足軽でも装備しているのが普通。というか刀はおびただしいほど出回っていてすべての男が装備しているのが普通だった。
槍は「長さをそろえる必要があったので」支給される場合が多いが、使える場面がむしろ局所的(戦の序盤か早期に決着がつくときには集団が密集しているので強いが、だんだん長引いて来ると雑兵は士気が衰え撤退も増えるので槍の特性があまり生かされなくなってくる)。
また足軽はそもそも槍で人を倒すのではなく槍衾で敵の動きを制御して誘導する役割だった。足軽は大した戦闘訓練も受けていない場合が多いからもっぱら補給と戦闘補助。
実質的戦闘員は場面によって槍も日本刀も使う。だが槍はかなり重いので早期に決着がつかない場合はとてもじゃないがいつまでも使えるものではない。そういう実践的な視点がないと槍長いじゃん強いじゃんという短絡的なものの見方しかできなくなる。
ハクスラモンスターズはいわゆる放置RPGで1日に3回位起動するだけでアイテムが手に入ったり仲間が増えたりするゲームだ。
課金要素もあり、『チケット』という課金アイテムを使うことで、その取得効率を引き上げることができる。
この『チケット』は1ヶ月に購入可能な枚数が定められていて、廃課金勢が『チケット』を一瞬でぶっ放したりすることはできないようになっている。(一応無料でも広告で貰える)どちらにせよ課金ゲーであることは間違いないが、この辺は上に縛られないインディーズならではの仕様だと思う。
で、このチケット。プレイヤーは特定のタイミング以外では絶対に使わない。なぜなら一定の周期で開かれる『二つ名取得率1.5倍』イベントとチケットの効果が重複適応されるから。このイベントの期間以外でチケットを行使するのは控えめに言ってアホの所業でありプレイヤーはチケットを買ったり集めたりしつつもイベントを延々と待って増えていく枚数を眺めている。
最近は1日に10枚まではこのチケットにイベントと同等の効果が付与されるようになったが要するに1日10枚までしか使ってはいけないので、時々誤爆して10枚超えて使った奴がUIに文句を言ったりする。
恐らくこのイベントと購入制限はプレイヤーの課金タイミングを被らせることによって局所的にアプリストア上位に行くための経営戦略なのだろう。それはそれとしてプレイヤーはゲームのシステム的にはメリットしか受けていないので文句は出ない筈……なのだけど、言葉に言い表せない『縛り』を感じる。
最適解を選ばされている。にも関わらず仕様上は自由に使ってくださいね。定期的にメリットのある日もありますよって言ってるだけなので文句も言えない。
そして今日。3月29日にて実装されたアップデートでは特定のダンジョンにおいてのみ探索効率が期間限定で向上するという機能が追加された。この探索効率が向上するダンジョンは既存のマップから選ばれ、一定周期で変化する。基本的にこちらは課金とは無関係なので開発者の善意とも言えるシステムなのだろう。普段は行く機会の無いダンジョンで思わぬ巡り合わせを得てくださいと言う素晴らしいシステムだ。
縛られている。
恐らく先述の『チケットのジレンマ』は他のガチャゲーでも自然と形成されている普遍的な縛りだと思う。だから仕方ないと思うしかない。
けれど、今日のアップデートは別だ。『ハクスラ』を名乗るゲームで意図的に作り出された効率選択。これを選ばされる事に対するストレスと選ばない選択によるストレスが尋常ではない。
明らかに喜んでくれると思って作ってる機能の筈なのに、いっそ無いほうがマシ。意味がわからない。
まあこんなニッチなゲームに関する効率に犯された異常者の話題には誰も反応してくれないだろうしここに書き捨てておきます。……嫌ならやめろって?嫌じゃないよ。面白いよ。
間違ってる、というよりは解釈の違いでしょうな。
バスタードは剣と魔法の世界だし、これはこれですごい漫画だったけど、コテコテの劇画調の作品で、80年代的なジャンプのバトル漫画のカラーが強く、人気も局所的にカルト的なファンがいるにとどまっている。要素の取捨選択が強めで、ドラクエっぽいRPG的な世界観が作り込まれていたとは言い難い。
ダイの大冒険は、もうちょっとドラクエ寄り、ドラゴンボール寄りの、親しみやすい和風ファンタジーのフォーマットを提示したのが大きかった。ドラゴンボールの系譜に連なる漫画は当時まだ多くなかったので。
バトルものとしてさほど成熟していなかった読切版が、ものすごい読者支持を得た、というのが説明上のポイント。ファンタジー、というより、ゲーム的な世界を漫画で読むという事に読者が飢えていたんだろうと思う。
その後のヒットについては、90年代的なジャンプのバトル漫画の流れに乗れたから、という理解で特に異論はない。
少年誌で和風ファンタジー漫画がやりにくい、というのは、ジャンプのバトル漫画的なヒットの方法論と合わせにくい、という事なんだろう。ダイの大冒険が、そこを割り切って、中盤以降ジャンプのバトル漫画に舵を切ったのがバトル漫画としての大きな成功要因であることには異論はない。
この時代は、ドラクエ的な世界観を漫画やアニメの物語のフォーマットに落とし込むための試行錯誤が行われていた時代である事には、異議はないと思う。そして、ダイの大冒険の、特にフォーマットの完成度の高さが、その後の和風ファンタジー作品に強く影響を与えた、と見ている、というだけ。
ドラクエ色を強めたアンチテーゼであるロトの紋章が登場したけど、作りとしてはかなりダイの大冒険に影響を受けている。パーティ構成もかなり似ているし。ダイの大冒険は後発作品の基準値となっている、影響力の大きい作品、とみるとしっくり来る。だから、未だに語り継がれているんじゃないのかな。
医学的に言うと急性期は冷やして慢性期は温めるというのが正解になります。
急性期とは痛みが出てきた時期のことをさし、捻挫(ねんざ)や打撲、ぎっくり腰といったものの受傷直後が当てはまります。この時期は、局所に急激に負荷がかかり、炎症反応を起こしています。つまり、血流量が増加し、腫脹(腫れ)、発熱、疼痛(とうつう)を起こしているのです。ですからこの時期に温めるのは逆効果で、炎症反応を助長してしまいます。この時期に必要なのは炎症を抑制することで、局所を安静にし、発熱を抑えること、つまり冷やすことが重要なのです。
急性期を過ぎると、今度は慢性期に移行します。慢性期には炎症はおこっていません。痛めた局所が疲労し、機能不全に陥っている状態なのです。筋肉は硬くなり血流が阻害され、疲労した局所に酸素と栄養が行き届かなくなり、その結果、重だるいような痛みが出るのです。
生理痛はこの「慢性期」的な症状だということだね!
なかまをふやすためにいじめをしたり敵をつくって反抗したり悪態をついたりするけどいじめられる側ってなかまをふやそうとも問題を解決するための努力をしようともしていないようにみえるけどいじめられる側になにも非がないとしてなにも対策を講じないのはいじめが悪いことだと言っているかとるに足らない事だとしているのとかわらないのでは?
問題をまず問題だとするのに自分がうけているいじめをともに不快だと感じてもらうための方策が必要だよね
自分がつらいのとかってどうやれば共感できるのか 共感に関しては男子よりはるかに秀でているといわれる女子のいじめのほうがより陰湿で凄惨なことを考えるといじめで仲間をつくる方法はすでに正解が見つかっているようだけれども「いじめられていることについて問題性を共感する」方法がいまだになにひとつないという証明になっているかもしれない
ということはつまりまずなにより「いじめが悪い事である」ということを解決に向かわせるべくなにより問題であるということと、具体的にどう解決するかを対策すべきなのじゃないかな
「かわいがり」と称して常識出来ではない練習量を課すことがいじめなのかどうか おきもちなんじゃないのってことを本人の限界を第三者が勝手に推し量って無理って言っていいかどうか
無理を繰り返すことで成功した偉人の話はいじめを正当化させかねないから禁止とか
実際いじめにみえる程度に指導しないとどうしようもない性格してたとかしてなかったとか
その人に与えたストレスが将来的に得になるか損になるかを総合的に判断できてしかも予知的な事に補償も用意できる第三者的な組織がそれをいじめだと判定できないと
どのみち個人がそうおもったから助けたとか手をだしたとかしてもあとから考えたら望みをかなえてもらったおかげでいま不足していることや損がでてるということになるかもだよね
ひとりにしといてとかほっといてとかをリーダーにさせたり仲間うちで話題にしたりからんできてうざくてそれっていじめだよっておもってたけど社会にでてから役立つとかあるかもしれないし
逆にほっといてあげたらコミュ障でひきこもって毎日子供部屋からオンラインゲームに常駐してて軍師みたいなアドバイザーになりたいとか言ってるそれって「望みをかなえてもらった」結果なのか疑問だし
傍観してるってのは個人が何人あつまって傍観しててもとめようもないし止めたらいいのか止めないほうがいいのかそれがどの程度悪くてどこまで関係性を突き崩すべきか判断しようがないと思うんだ
ガイドラインとかつくってそれ以上のストレスは与えられるべきでないとしたり 基準値をこえたらどう対処するかを明示していてそこに圧倒的な力量で介入される準備がないと傍観者って何人あつまっても結局傍観者でしかないから最大数の傍観者でいうところの「当事者以外のみんな」が傍観者で しかも無言なら肯定といわれたらもうそれは世界が肯定していることになるのでいってみたらいじめは正当化されてるともいえなくもないよね
ガイドラインがあればね 本人も選択できると思うよ 基準値以上のストレスがないことについて問題を考えるようなら過度なストレスを個人の選択で得られるようにしてもいいと思うし
与えることがいいことだとおもって指導目的でいじめをしている人はいないと思うのでコミュニケーションの達成目標もわかりやすく自己批判を他者に押し付けた鏡像の敵づくりとして行動化してるいじめをほかの目的で共通意識を育むように指導すればいいのだろうし たとえば軍隊的な特訓をなかよしチームに課していじめとかよりも強い団結心を養わせるとか
ガイドラインを作成するにあたっての環境調査でそういうのってわかるかもしんないよね
実際のところわたしたち個人が何人あつまっても政治も世間もかえられないので民主主義っていう同じ意見の人間があつまって10人が10個アイデアを持ち込んだら合計で100のアイデアができてしまうけれども
共通の認識としてお互いがまもりお互いが出し合ってお互いが守り合うというコミュニケーションが生まれるところのまずゼロポイントともいえる最初のあるべきあたりまえの多数決、10人のアイデアのうちの共通している
一つを一つのルールとして、段階的にほかの各のこり9アイデアの優先順位と譲歩内容をくみ上げていくべきなんじゃないの?
一個人が不快だといったから、権利を違反しているといったから、人権ひとつが10の平均よりも重いといきなり判別してなんでも言ったもの勝ちにしているとそれこそ
「いじめをうけている人間がいじめられているっていわないから、そんなの存在しないことになってしまってる」傍観者も存在しないし傍観者が個人の裁量でいいと思っていることを行うと
それ自体がいじめかもしれない あとからいじめだっていってもおかしくないと考えることもできるとかいうことになりえるんじゃないのかな
最終的におもったことまとめると
・個人がそれぞれ大きく声をはりあげたり、声のでかい人がまわりを巻き込んでそういう状況を局所的につくったとしても、そこだけの正義とかそこだけの悪とか判断してもそれはその局所的でのみ言えることで「いじめ」だとかそういう広義の単語の意味合いについてなんら影響するものではい
・環境を構成する個人たちが団体として行動をする指針をとりきめ、それを介入させる条件を作成し行動しないと意味ないのでは 意味ないってつまり言っても無駄だしやろうと個人でとりくんだところでそれが救済になるのか迷惑行為になってしまうのかもしかしたらいじめそのものであるかもしれない
・そういうとこから 意見があるなら意見を出すってだけはいじめとか迷惑行為そのものとかわらんし 悪い事をみつけて問題だと思ったり言い事だと考えて行動したいときにはまず「団体をつくろう」という行動に出るべきなんじゃない?
ってこと思いました
肉をガツガツ食っていた大昔は、やはり外食も多かったし、肉や魚、乳製品や卵といったものをスーパーで買う比率も高く、けっこうなエンゲル係数だった。
なので肉を食べたいから野菜を減らす、なんてことは当然であった。
ヴィーガンになってからは、食費の3~4割(感覚値)がごっそり抜けてしまったのと、買えるものがそもそも限られるので、否応なく食費が減ってしまった。
また、大豆ミートは半年は余裕で日持ちするので、たまに「肉っぽい感触の何か」を食いたいときに使うくらいなので、とにかく減らない。
大豆ミートは500gで1000円くらいだがそれで5kgの肉がとれると考えて頂きたい。(まちがってたらごめん)
遠い記憶からすると肉は翌日からすぐに黒くなったりしたと思っているので、その意味でスーパーに行く頻度も減る。
また、寿司とか焼肉とか高い外食はすべてアウトなので、そもそも一食で何千円もかけることが根本的に不可能である。
とにかくすべてのベクトルが「食費が減る」という方向に収束している感じがして、空恐ろしささえ感じる。
万人にはオススメしないが、「今月はガチに生活費ヤバイので食費をどうにかせねば」って場合は完全に有効である。
動物愛護とか地球のためとかいうつもりは全くない。少なくともこういう局所的なメリットがあるという点だけみなさんに共有したいだけである。
ひとに話すと絶対キモがられそうなので、増田に書いて供養しとこうと思う
「増田くんだ!」「かわいい」みたいなことを言っていた気がする
背が低くて動きがキモかったので、強いていうなら「キモかわいい」枠に入っていたんだろうと思う
にしても、教室にちょっと入っただけで注目を浴びるのは異常だった 成績が学年一位だったのが効いていた?それは自意識過剰かな
とにかく、突然謎の注目を浴びてすげえビビった
「生物の係の人いる?これ返却だそうです」みたいなことを震え声でいい、逃げるように立ち去った
普段から廊下歩いてるだけでキャーキャー言われるような存在だったりしたなら納得もいく体験だが、実際は完全空気存在だった
あれはなんだったんだ
かなり謎の体験として覚えている
近年のECサイトや検索エンジンなどで、「この商品おすすめ」とか、「この動画おすすめ」みたいな表示をしてくれることは珍しくなくなった。
この機能は一見便利に見えるが、少し立ち止まって考えると、かなり危険な機能に思えて仕方ない。端的に言うと、この機能は思想の極端な二極化を招いているのではないか。(トランプvsバイデン、右翼vs左翼、などなど)
人の思想は、インプットされる情報に左右される。同じ傾向の情報インプットが続けば、その思想が強化される。バイアスのかかったインプットではバイアスのかかったアウトプットしか出せないと言うのは何も機械学習だけの問題ではなく人間も同じなのだ。
そして、その傾向はレコメンデーションによって強化されていく。ある動画を見ると、それに近しい動画がレコメンデーションされることになり、結果としてインプットのバイアスが強まり続けることとなる。
IT技術は重要だし必要不可欠といっても過言ではないが、そこから生まれる二極化、断絶というものがあるのだとすると、それに対する打ち手はないのだろうか。
局所最適を回避するために、機械学習であれば確率的勾配急下などランダムネスを利用するところだが、人間がそれをやるのは難しい。何かいい方法はないものだろうか。
一方で、中学生ぐらいになると性欲が湧いてくる事自体は理解されているのですよね?
LGBTの流れとBLはあまり結びつけない方がよくて、BLが若い女性の中で流行っているのにはいくつかの複合的な理由があります。
こういった事情があり、若い子の間では単に「流行っている」んです。
実際には絵柄や登場キャラクターがイケメンだから好んでいるだけだったりします。
あなたも、今思えばちょっとなんで好きだったか分かんないけど、流行ってたから嗜んでいた趣味の一つや二つ、あるのでは。 理解しがたいかも知れませんが、現代の女子の一部グループにおいて、BLはそういう立ち位置なんです。
ただし、腐女子文化はそのまま非モテ文化への入り口でもあるので、高校生になる頃にそっちの道に行かないように気を配ってあげるのがいいと思います。
娘さんが年頃になっても身なりに気を遣わないようだったら、オシャレの仕方などを教えてあげるなど、してあげるとよさそうです。
単調なビートというか、反復を繰り返しながらメインのメロディだけをどんどん発展させるアプローチはそれこそジェームスブラウンだかの時代のファンクソウルからポップスに定着してる。
誰でも知ってるマイケルジャクソンの「スリラー」や「スムースクリミナル」もトラックだけ見れば1つのリフレインだけで出来てるし、それ自体は目新しいことでもない。日本でもオザケンの「ラブリー」等、局所的にそういうものがヒットすることはあった。
ただRandBやヒップホップといったブラックミュージックの色合いが強いこのスタイルが、アリアナグランデやジャスティンビーバーといった白人中流層に支持されるポップスターや、J-popのYOASOBIや瑛人のヒット曲に取り入れられたというのは時代の潮目なんだと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=tcYodQoapMg
https://www.youtube.com/watch?v=8EJ3zbKTWQ8
ビートが一本調子というのはNiziUやモーニング娘。の新しい曲でも見られる特徴なのでより一層こういうものが主流になっていくのかもしれない。
(反復っていうのはテクノもそうだけど、テクノはミニマルすぎてポップスに転用できる音楽ではない。電気グルーヴにしてもChemical Brothersにしても歌もの要素が大きくなるにつれテクノ本来とはやや趣が変わっていった。)
https://www.youtube.com/watch?v=a6QT0acJFQE
https://www.youtube.com/watch?v=Ty0dkunCvNw
宇野さんが崇拝に近い持ちあげ方してる宇多田ヒカルもかつてからループさせることへの意識が高かった。
First Love時こそ「稀代の歌姫」として売り出そうというレーベルの意向もあってか、ディアンジェロ風の粘っこいドラム等といった当時のトレンドを表面的になぞっただけで、アレンジ面では当時のJ-popとそこまで違いはなかった。しかし「Distance」以降はRandBからの影響が強い宇多田ヒカル本人の意向が反映されだしたのかどんどんアレンジがミニマリスティックになっていった。
注意深く聴けば20年前の「Addicted to you」や「Can you keep a secret?」のころからすでに16ビートをキープしながらコード進行は8小節ほどで完結してしまっていることがわかる。
(このころはジャム&ルイスの手腕によるところも大きいのだろうが)
さらに言えばセルフプロデュースに切り替わってからロンドンに拠点を移すまでの2005~2015年あたりの宇多田ヒカルはいかにも宅録、DTM然とした手作り感あふるる音を時折鳴らしていなかっただろうか。
マスタリング等のポスプロによってある程度計算ずくで仕上げられたものにしても、Keep tryin’のパッドシンセはあの曲にしては音が厚すぎてややアンバランスだし、Kiss & Cryのホーンはモジュレーションであることを隠そうともしていない。しかしながらそんなことは取るに足らないことだった。
あのころはまだDTMそのものが新しくて費用が掛かる手段だったこともあって、宇多田ヒカルの孤高なイメージをより強固なものにしたし、なにより彼女が自宅にこもって自分の感覚だけで作ったものが、ダイレクトに自分のコンポやミニプレイヤーに届いてきたようなあの距離感がファンにとっては痛快だったんじゃないか。
「Ultra Blue」や「Heart station」時特有の浮遊感のあるきついリバーブや密室感のあるピアノの音像は、宇多田ヒカルの心象世界を垣間見ているようだったし、私生活でのラフな顔を晒してくれている様でもあって一つの魅力になっていた。
DTMはこの20年でどんどんハードルが下がっていったし、ネット上での音楽のコミュニティも成熟してきてる。今のアーティストを取り巻く環境ってあの頃の宇多田ヒカル周りの雰囲気とちょっと似てる気がする。ライブはあんまりやってなくてひたすら曲を書いてブログを書いていたのが宇多田ヒカルだった。
米津玄師にしろ須田景凪やヨルシカにしろ、宇多田ヒカルが敷いたものの上に立ってるんじゃないかな。立ってるというか宇多田さんは彼らのようなことを前時代にやりとげてしまったのかもしれない。
宇多田ヒカルの「traveling」は「夜に駆ける」に似ている。4つ打ちでビートに統一感を出している点や、トニックから長七度上(一度下)への移動が含まれる4小節ほどのコードパターンをひたすら繰り返している点、代理和音や経過音でコードに飽きがこないよう細かく配慮していることやフィルインの多さ、歌メロの譜割の細かさ…と共通項は多い。あの頃は幼くて単にかっこいい曲だなと何も考えず聴いていただけだが、当時の宇多田ヒカルはやはり規格外の存在だったんだなと今にして思い知らされる。
https://www.youtube.com/watch?v=x8VYWazR5mE
入社した時はサービスに金かけたいからCMや余計な広告は打たないとか言っていたんですけどね。
長くなりますが、お付き合いください。
とかくいう自分も数年前に辞めていますが、例の高齢者サポートの問題の時(2016年夏)はまだあの会社で働いてました。
従業員スレとか見ると"バジェット主義"とか"PSとらないと叱咤される"とありましたけど、少なくとも自分がサポート問題前でも半々だったと記憶しています。
というのもサポート問題とは関係ないタイミングで店長が変わった際に前の店長は従業員スレの様なインカムを飛ばすタイプでした。
その後の来た店長は接客、リピート率や現金での売り上げ、商品の整頓など、普通の量販店と変わらぬごく一般的な部分で指導していて、ステレオタイプなPCデポの店長とは違いました。
自分の担当はPSの勧誘がド下手でしたが、パソコンの知識では負けてなかったので、クリニックと中古を経験して、店長が新しくなったタイミングで、適性からDOS/Vパーツを売る部門が定位置になりました。
自分自身はサポートにお金がかかるという考え方には賛同的です。
その人に人件費が発生するのは至極当然です。
パソコンを買ったからと買った店に出向いてやれ「年賀状の印刷の仕方を教えて」やら「レンタルしたDVDをコピーしたい(※場合によっては違法です)」だの、パソコンという比較的高い機器を買ったから許される的な感覚で無償サポートを望まれがちです。
メンテナンスオプションもつけてない車でカーディーラー行って「おたくで買った車だから車検無料でやりなさいよ」って言っているのと本質的には変わらん気がします。
パソコンの代価と売った人の人件費は払っているかもしれんが、サポートする人の人件費をただ乗りするなよと。
この辺はケータイショップも同じ悩みに一周遅れではまっていた所だと思います。
設定講座とか使い方講座とかで受講料取ったり、総務省の値下げ指示からの一連の流れで逆にahamoだのPovoなどサポートレスがくるのはパソコンと同様に追い付いたと言えそうです。
・一般的に高く見積りすぎる(例:非会員の価格とかだとソフマップのワンストップ(掛け捨て)サポートのが安くてオススメできない)
・定形に当てはめるばかりに局所的に欲しいサポートが上位プランにしかなく、他の部分は下位プラン相当でいいのに上位プランに入れ込みすぎる(例:パソコンは使えんがスマホはバリバリ使えるとかその逆だったり、iPadを一人暮らしでも使いたいのに付帯プランがなかったり。)
・上層部がそれを良しとして上位プランにバジェット(実売上とは別にPSの売上高を独自の指数にしたもの)を優遇しすぎる (例:下位プランを3件とっても上位プラン1件に劣る等)
・月額のPSだと使わなかった人が不利になる為、逆に毎日の様に来て元をとろうとする余り、回転率が落ちる(≒お得意様が居座るクソ客になりやすい)
は非常に痛感しました。
この辺が問題点であり、従業員の重荷になっている部分です(さらに辞めた後に変なPSが増えてて問題化してるかもしれませんが)
店によっても変わりますが、自分がいた店は大変良かったと感じています。
相互評価だったり、トーゼンカードだったりでライバルになる側面ありましたが、たまに先輩社員が決めた案件をトーゼン報告わけてもらったり、インカムフォローや時に励ましなどもありました。
比較的売れる店だったのでギスギスしにくかったなと後になると思うところはあります。
・例のサポート問題後、PS営業自粛としながらも抜本的な対策に至らず、いくつかは名称を変えて旧態依然のままな部分がある(トーゼンカード→ヤッタネカードだっけ。)
・バジェットの引き算(いわゆる将来解約)がキツい(店舗で阻止してもコールセンター解約があったりする)
・上層部がマジでクソ(現場が顧客満足を得ながら苦戦した売上をなんだと思っているのか)
・成績の振るわない社員を本社人事部に呼び出して退職勧奨(なんかアルファベット2文字+面談みたいな呼ばれ方されてたやつ、忘れた)
みたいなのを見聞きするうちに「今ならやり直せる」って感じで店舗異動時にちょうど遠くなるのと同期で一人やめるのも例の問題の年に相まって辞めました。
神奈川新聞によると移動式のキャラバンカーみたいなので店舗空白地に売り込みをかけるみたいです。https://www.kanaloco.jp/news/economy/article-339184.html
人材があるならコロナ禍に対して有力な方法かもしれませんけど、実店舗のが疎かになりそうな予感がします。加えてうまく実店舗への導線になりうるのか、PSコール部の受け皿は足りてるのか。心配ですね(棒読み)
やっとこさワクチンが日本に来るっぽいのにやたらワクチン副作用がどうだの報道しててげんなりする。
人が死ぬかどうかの話で安倍首相の疑惑が深まったとかのレベルの報道する意味ってあるのかと。
もう海外ではファイザーやらモデルナのワクチンが認可されて接種開始してるし、なんならアメリカだけで600万人は打ってるぞと。
その600万人の統計データは知らんけど、臨床試験のデータでまとめられているみたいだし、ご丁寧に日本語訳して解説してる先生もいる。
上の解説では
BNT162b2もしくは30μgと書いてある項目がワクチンであり、Placeboと書いてあるほうがプラセボ(生理食塩水)になります。
上の図は局所の反応をまとめたもので、Redness(赤くなる)やSwelling (腫れ)は頻度は少ないですが、Pain (痛み)はプラセボと比べて高率で認めていますね。
また、下の図は、全身反応のみたものですが、Fever (熱)、Fatigue (だるさ)、Headache (頭痛)といった反応の頻度が多いことがわかります。
ほとんどの項目が軽度(緑色のバー)から中等度(青色のバー)の反応性になっているのがわかります。
この軽度とは具体的にどのようなレベルかと言うと例えば、あぁワクチン打った後ちょっとだるいなぁ、でも普通に生活はできるしすぐ治ったけどね、といった倦怠感でも被験者さんはチェック項目の軽度倦怠感に〇をつけます。
さらに実は、これら全ての症状は平均して2日前後で消失しています。つまりこのデータから言える事は、確かに一部の症状は高い確率で認めますが、ほとんどが軽度から中等度の反応性でしかも数日で消失していてるのです。
これと同じようなことを説明してる報道や記事も普通にあるのに、両論併記と言いたいのかワイドショー並みの話と同じレベルで扱われてるのを見るとげんなりする。
https://anond.hatelabo.jp/20210111000145
ワクチンが来るまではここで書いてるみたいにひたすら自粛自粛感染対策なんだけど、自分にメリットがない・感謝されないはまあ百歩譲って頑張って我慢するにしてもそもそもこれって意味ある?これで大丈夫なの?って感じることが多くてずっともやもやしてる。気になるものを出すと
・1日中交換されないであろう手袋をはめているスーパー等の店員
・次亜塩素酸を噴霧するやつなんなら手洗いに使わせるところ
・イソジン
挙げるとキリがないけど多分色々ある。ただ、人によってこれが正しいあれが正しいって言うことが違うし、自称専門家が騒ぐし、もうどれが意味あってどれが無意味なのか区別するのは素人には無理。
だけど、これだけ社会にダメージ与えてて死人が出てる感染症に対して、実際に感染対策しているのと感染対策しました感が未だに混在していることが本当に気持ち悪い。