はてなキーワード: 協調性とは
できれば2人紹介したかったが、1人に留める。
ここまでの6人は問題ない。何かあっても私が責任を取ろう。が、この2人は今でもK市で働いている。うち1人は男性で、接触当時は入庁4年目だった。
協調性がないとの評判であり、人事評価では直属の上司から「免職を促すことが相当である」とのコメントが入っていた。しかし、実際に本人と面談してみると……といったパターンの子だ。本質が見えていないのは上司の方だった。
残り1人は女性で、接触当時は入庁1年目。先に挙げたGさんと同じく直向きな職員だった。地元の新聞記事にも「期待の新人職員!」という記事が載るほどに期待されていたのだが、残念なことに、頑張りすぎてうつ病になってしまった。その後のじりじりとしたリハビリと、復活後の活躍には目を見張るものがあった。よって、この子を取り上げようと思っていた。
迷ったが、男性の方を選んだ。理由は私と同性で、気質も似ているところがあったので心の内部を覗きやすいと感じたからだ。登場人物の男女比の関係もある。仮に、E太さんとする。
私が特定任期付き職員として採用されて3年目のことだった。E太さんと話したのは。彼は入庁4年目だった。ある意味で先輩にあたる。
当時は20代後半で、福祉の部署で働いていた。といっても、ケースワーカーや自立支援、福祉事業者の審査といった類ではなく、裏方の仕事だった。直接福祉の仕事に携わることはなかったが、それでも部署全体を支えるポジションだったのは間違いない。
梅雨時のある日、彼について人事面談をしてほしいと福祉課長から依頼があった。このE太さんというのは、いわゆる問題職員という扱いだった。私は、彼のいったい何が問題だったのか、その時は理解していなかった。が、K市の問題職員リストにE太さんが名を連ねていたのは事実だ。
福祉課長によると、彼には以下のような問題点があり、人事で指導してほしいという。
・みんなと協調的な行動を取ることができない。自己中心的である。
今回は3点目で引っかかったようだ。
いろいろと調べていったが、やはり机上のデータでは見えてこない。他の福祉課の職員から聞き取った情報も総合すると、先週あった課全体の飲み会でひと悶着あったらしい。
うす暗い飲み屋の片隅に座っていたE太さんが、近くにいた福祉課長やその他先輩がいた席まで呼ばれた。「この間のことで話がある。ちょっとこっちに座れ」と言われたE太さんは、ダイレクトに断った。「行きません」と突っぱねたとのこと。それで先輩職員らと口論になって、そのうち優しめの先輩職員が彼の席に移ってきて、まあ飲みなよとお酒を注ごうとしたところ、これもまた「帰りがバイクなので」(※真偽はわからない。E太さんの嘘かもしれない)と断った。
そんな態度に憤ったほかの上司や先輩が、E太さんに詰め寄り、お酒を吞ませようとした。それでも断固とした態度のE太さんに、先輩は次第に声を荒げ、ついに係長級の職員がE太さんの首根っこを掴んだところで、「やめてください!」と彼が拒否して……市役所職員の宴席から大声が響いたものだから、近くに座っていた別のお客のグループが店員に静かにさせるよう苦情を入れるも、店側も注意ができず……翌日になって、その居酒屋で飲んでいた人が市役所に直接クレームを入れたというのが顛末になる。
福祉課長の言うことは明らかに自分寄りである。ここまでのハラスメント行為があったとは聞いていない。私がほかの係員に聞き取りをしなかったら、あやうくE太さんだけを悪者にするところだった。
彼にしても、飲み会に参加したなら、もっと仲間意識を持つ必要があった。飲み会は、「供食」の場だ。供食は仲間同士でしかしない。古今東西、自分達の敵と一緒に食事を取るなんて文化はない。一緒に食事を取るということが仲間であることの証なのだ。昔の人間というのは、そんな儀式を神聖視せざるを得ないほどには、人間や組織の生き死にが間近にある生活をしていた。
ある日の午前、窓ガラスに雨粒が叩きつける中、面談室に入ってきたE太さんはソファの前で立ち止まった。「座ってください」と私が言うと、彼はゆっくりと腰かけた。
初めに言ってしまうと、私はE太さんがそこまで悪い人間ではないとわかっていた(後述)。それで、リラックスしながら、今日は何を話すんだっけ? とバインダーに挟んだ聞取票を手に取った私は、簡単な挨拶の後、E太さんとのやり取りを始めた。
「朝ご飯は食べた?」
「はい。食べました」
「どんなものを?」
「どんなカップ麺が好き?」
「特に好みはないです」
「そうか。私も毎日そんな感じだ。おにぎりとカップ麺は合うよね」
「そうですね」
「E太さんは、バイクだっけ?」
「私は……バイクではありません」
「バイクじゃないの?」
「自転車です」
「そういう意味じゃありません」
※重ねて言うが、これまで私が記してきた会話の記録には不自然さが否めない。方言や言葉の癖など、個人情報に関わる内容を編集していることによる。
指導を目的とした人事面談というと厳しいイメージが漂うだろうが、相手が筋金入りの問題職員でなければ概ねこんなスタートを切ることが多い。信頼関係を築くためだ。
雑談が続いた後、いよいよ問題の核心のフチに触れる問いかけをしてみる。
「それで、福祉課長から聞いた件なんだけど。今回の面談のきっかけ」
「……はい」
「周りの職員のこと、どう思ってる? この人は好きとか、嫌な人とかいる?」
「特にいません」
「E太さんの態度や行動が、同じ課の職員を傷つけることがあるみたいだ。私も調べてみたけど、そう思ってる人も確かにいる。どうしてこの結果になってしまうのか、考えていることを教えてほしい」
「普通に、とは」
「正しいと思うことを言ったりやったりして、でもほかの職員からするとそうでないみたいです。嫌われるのはわかっても、でも自分がやるべきだと思うのでやっています」
思ったより早く本音を出してくれている。チャンスだ。私は、聞取票が挟んであるバインダーを机の端に裏返しに置いた。ここからのやり取りはうろ覚えだ。
「E太さん。せっかくの機会だから、腹を割って話そう。公文書には残さないから、もうこのバインダーはいらない。一対一でE太さんと話したいと思ってる。ところで、私のことは知ってるよね。ここのプロパー職員じゃないって」
「知っています。2年前にK新聞(※地元情報誌)で読みました。〇〇社の出身で、人事領域のプロだと書いてありました」
「知ってるんだね。ありがとう。でも、プロと言えるほど経験は積んでない。社会人を20年以上やっているけど、人事は6年くらいしか経験がない。ほとんど営業だった。大人の事情というやつで、プロにはほど遠くてもプロなんだと――そうアピールしないといけないことがあるんだ(ここで両者の笑い声があった)。で、話を戻すけど、E太さんはどうして今の状態を保ってるのかな。変えてみたいとは思わない?」
「キツイと感じることはありますが、これでいいと思っています」
「どういう理由で、キツくてもいいと思ってる?」
「自分のやりたいことがあります。社会人として、こういう生き方がいいって。それで、その目的から逆算して考えると、今は人間関係よりも実力がほしいんです」
申し訳ないがここまでだ。これ以上は、私の記憶からE太さんの口述を曝け出すことはしない。
簡潔に言うと、彼は仕事が一番ではないタイプだった。E太さんの人生の優先順位の中で、仕事は3番目ということだった。だから、民間から公務員に転職しようと思ったし、だから、どれだけみんなに嫌われようがどこ吹く風でやってこれたのだ。
肝心なことを述べていなかった。E太さんの仕事ぶりだ。毎年、人事課に提出される査定表で、彼は3年連続で5段階中の2を取っていた。もちろん低い数字だ。実務能力は平均3.5だったが、礼儀やマナー、人格、職務遂行姿勢などで大幅に減点を受けていた。
私が再調査したところだと、彼の査定は控えめに見ても3はあったように思える。福祉課で彼と同じくらい「人柄が悪い」と評価を受けている人間も、その多くが3を取っていた。それに彼は、年は若いが福祉課の裏方として3年以上も職場を支えてきた実績がある。
ちなみに調査方法だが、①人事権限で福祉課の共有フォルダに入ってE太さんの成果物を確認する、②E太さんの同僚を面談室に呼んで印象に残った行為や実績を聞き出す、③過去のE太さん関係の始末書を読み解く――という3通りの方法で行った。確認できた事実は以下のとおりだ。
・オフィスソフトの腕前は一流である。パワポもExcelもAccessも使いこなせる。文も読みやすい。
・プレゼンテーションの能力が高い。普段は物静かだが、かつて大都市の商工会議所で行われた各市町合同での新人職員研修会の折、K市の未来について数分間のスピーチを行い、拍手喝采をもらったとのこと。
・事業計画立案。E太さんは広告会社の出身だった。その経験を活かし、福祉課の裏方としてケースワーカーなど福祉職を支えるための各種設備・インフラを整えるための計画書を作り、それがそのまま課の予算要求に使われていた → ということは、彼の上司はその仕事振りだけは認めていたということだ。
・福祉課の職員からの苦情はあるが、市民や取引業者とのトラブルの記録はない。
・年下の職員には人気があるらしい。例えば、彼が選挙のスタッフとして従事した際、開票作業の前に事務吏員の腕章をみんな装着するらしいのだが、「安全ピンが刺さりそうなので、私の腕に腕章をつけてください」という体で、何人かの女子職員がE太さんの前に並んでいたという。尾ひれが付いているとは思うが、そういうこともあったのだろう。
私が退職するまでの数年間で、E太さんと呑みに行くことが何度かあった。まさしく意気投合であり、今回ここまで赤裸々に彼のことを書いてきたのも、彼なら笑って許してくれるだろうという甘えから来ている。
私は、彼が悪い奴ではないとわかっていた。上の面談の1年前のことだ。かなり広めの川べりで行われたK市の音楽イベントに、私と彼もスタッフとして動員されていた。ステージ発表が始まると、スタッフはみな暇そうに周辺警備をしていた。
さて。一級河川にかかる橋の袂だった。カートを押している高齢のおばあさんがE太さんに声を掛けた。私は、高いところから偶然それを眺めていた。
E太さんは、話しかけてきた老婆としばらくにこやかに話をしていた。その老婆は、さっきはE太さんの上司や、ほかの若手職員にも声をかけていた。誰もが皆、迷惑そうに会話を切り上げてどこかに去ったというのに、彼だけは、その老婆の話し相手をしていた――貴重な体験だった。こういうところに人格が滲み出るのだ。
とはいえ、このままではE太さんの株は落ち続ける一方だ。それに、職員を傷つけるような冷たい態度もよくない。社会人には、絶えず相手を不快にさせないよう振る舞う義務がある。会話をしたくなくても、そうした態度をおくびにも出さず、明るく振る舞わねばならないことだってある。わかっているのといないのとでは、社会生活に大きな差が出てしまう。
E太さんに何度も伝えた。「こんなのはもったいない。もっと仕事に打ち込んで、本気をアピールして、みんなの信頼を集めてみたら?」と伝えてみたが、なしのつぶてだった。こちらとしても、今の状態でE太さんを問題職員リストから外すことはできない。どこかの部署で重大な人間関係トラブルを起こす可能性があるからだ。私はE太さんのことが好きだけれども、それとこれとは別問題だ。
結局、私が辞める時まで、E太さんを理解する人は少なかった。孤高で、人とは交わらない。でも仕事ができて、市民や業者からの受けがいい。いろいろと惜しい職員だった。今でも彼を思い出すことがある。今度K市に遊びに行った時は、また彼を呑みに誘うつもりだ。
この章の最後に。なぜ、私は彼を好きになったのか。
『渇き』を感じたからだ。E太さんは人生に飢えている。自分がやりたいこと、どんな人間になりたいのかはっきりしているのに、叶えられずにいる。叶えられる保障もない。
でも、足掻き続けている。まるで昔の私自身を思い出すようであり、懐かしい感じが脳内からビンビンと込み上げてくる――ビールは、渇いているからおいしいのだ。いつかE太さんが大成して、そんな美味を楽しめる未来があることを祈っている。
昨今の温泉むすめでぎゃいぎゃい騒いでる男どもを見ると本当にそう感じますね
彼らは女性を性的に搾取し自身の優位を維持しようとする、ゴミ溜めみたいなものです
例えばまだ実用には程遠いけどiPS細胞で女性のみでも妊娠、出産が可能になる
そうでなくても必要最低限の精子さえ培養できれば、男性なしでも繁栄はできる
治安や環境の観点から言っても今の倍以上は美化、清潔になるだろうし
女性の方がスマートな視点で物事を解決できるから、今よりもっと便利なグッズが出来るでしょうし
中々解決しなかった些事についてもすぐさま対応できる社会になるでしょう。
育児も介護も女性だけなら安心ですし、通勤や日常だって断然平和になる。それだけで素晴らしいと思いませんか?
それに女性だけの方が協調性は湧きやすいし、国家として立派になれると思うんです。
レディーファースト先進国として海外からも称賛されるに違いありません。
(もっともその時には海外の方が国民皆女性化運動を完遂しているかもしれませんが!)
これを実施すればLGBT問題も気にする必要はありません。あれは男性がいるからこその問題ですし。
ほら、ここまで書いて貴方も分かったでしょう?
男性がいなくても社会は回る。むしろ、より円滑に進行していくのです。
集団教育ばかりが教育ではなく、個々人にあった学び方・生き方がある、学校が全てではない… ということを著者本人の経験を通して伝えるマンガといったところだろうか。
しかしこの主人公、いじめにあったわけでもなく、発達障害等の診断が出ているわけでもなく。とにかく協調性がなく頑固もの、という表現をされている。絶対に行きたくないといってきかない、それだけで理由についての記述はなし。なのでまるで共感できない。学校に行かない以外はなんの問題もない子、元気いっぱいで明るい、ただちょっと頑固なだけの子という描写なので、ちょっと心情的に理解できないのだ。
父親が無理に学校に行かせようとしたら喘息の発作が出た、というあたり、かろうじて何か問題があったのかもと思わせるけど、それ以上の問題描写はなし。ひたすら元気で明るく頑固な主人公が学校を嫌がりつつ成長していくという。。
こういう子供を持ったらどうすべきなんだろう、と読んでて考えてしまう。
自分も学校や会社など対人・集団生活は好きでも得意でも無かったので、行きたくないという気持ちはあるしわかる。けどこのマンガの著者の行きたくなさは、入学式の前にもう始まっている。行ってみて嫌だった、ではないのだ。じゃあ対人不安でもあるんだろうかというとそれは無し。近所の子と公園で遊ぶ描写があり、支援学級のクラスメイトとも仲良くしている。拒否する理由が自分の想像する感じからはかけ離れて異質な感じがする。
引きこもりが身内におり自分も鬱で休学していたので、何か学ぶものが有ればと興味を持って読んだのだが、まったく役に立たない。それどころか学校に行かないことを肯定するようで、有害に感じてしまった。
多様性が認められていく時代で、学校に行けないなら他の手段で学べるというのは大事だけど、行きたくないなら行かなくていい、というのは違うと思う。
けどまあ、こういう描かれ方をしているけれど、発達障害ではあるだろうし、行きたくても行けない人ではあるのかもしれない。
よくある「体育のせいでスポーツ嫌いになる」の一種かなと思うんだけど、まず私はスポーツってものが嫌いだ!と思って生きていた。
結論を言うと、おそらく「決まったコースを歩くのが嫌い」「パスなど大きな声を出す必要のある競技が軒並み嫌い」なんだと思う。
運動部の連中陽キャじゃんこわぁ、と思ってたし体育祭とか球技大会とか嫌いだったし、サークルでスポーツ会しようよ!とか言われたら不参加だったし。
でも、1人で時間内にゴールすればいいからマラソン大会は好きだった。おしゃべりしながら、ってのはやったことがない。
バドミントンが好きだ。クラブに入ってた。バレーボールもちょっとだけやった。
水泳教室は嫌いだけど、1人で25メートルを何往復もするのは好きだ。
知り合いに付き合ってソフトボールもやったし、縄跳びとかは体力が続く限りやってられる。それ自体が苦ではない。
スポッチャはお遊び程度なんだけど、1人でボウリングとかには行く。コツの動画見たり、隣のレーンの激ウマおじいちゃん見たりしながら3時間1人で玉を投げ続けている。
ウォーキングって感じじゃないけど、1日10キロの散歩程度ならケロッとしてる。
学校の団体行動がそもそも死ぬほど苦手だったのもあり、ただただ誰かと何がするのがしんどいだけで、それをスポーツがしんどいと思ってただけだった。
なので、たとえ1人でもスタンプラリーとかのハイキングコース歩くのはあんまり好きじゃない。道が決まってるところを歩くと、同じような人を必ず見かけてしまうので。
なーんだ、私がおひとり様好きで協調性ないだけでスポーツに罪はないじゃーん!やったー!みたいな気持ちになったので書き散らしておく。
会社勤めじゃないので上から注意される事もなく、家庭でも見解の相違で揉める事もなく
一体どうやって注意すればいいんだろうな
同じ階の会社(というか個人事業主)が、もともとは男性が一人で仕事をやってた
でも最近は手が回らなくなったみたいで、8月ごろから奥さんが週2〜3回事務仕事しに来てるらしい
しかし、2人とも一切マスクをつけず、わざわざ事務所の外の廊下に出てベラベラ喋るので最近参っている
(旦那の方、奥さんが来るようになる前までは一応マスクしてたんだけどな……)
このノーマスク夫妻の事務所は、うちの事務所から見てちょうど来客が現れる位置の部屋
そこに人影があると「あ、うちの会社に用かな?」と思って毎回顔を上げてしまうのでよく見るのだが
夫妻はマジで一切マスクつけてる日がないし、そこの出入り業者も半分ぐらいはマスクしてない
リアルでマスクの用意すらしない人には出会った事がなかったので、非常に衝撃だった
この奥さんが来てから、弊社では換気目的とドアへの接触を減らすためにドアを開けてることについてかなり揉めた
実際、マスクもしない人が平気で喋る状況じゃ何のためにドアを開けてんのか?って話だしな…
とくに奥さんはよく喋るので、給湯室やトイレ行くときにうっかり挨拶されないようにタイミングを測ったりして疲れてる
無神経な人、それも新しく入ってきた人のためになんでここまでしなきゃいけないのかな…と思っている
もちろん自分も、弊社の人間も、感染対策としてマスクが絶対だとは思ってない
とは言っても、多少は軽減の効果ぐらいはあるわけで…
最大の難点は「この時代に平気でノーマスク貫いてる時点で恐らく協調性がない」のであまり関わりたくない点
頭が痛い……
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仕事における男女平等っていうのは「男に履かせていた下駄を脱がす」ことであって「男の履いていた下駄を脱がせて女に履かせる」ことじゃない。
男は嫁と子どもを食わせなきゃいけないからな!多少仕事ができなくても昇進させてやるか!→間違い
最近は男女平等って言っときゃ女子学生からの応募が増えるんだよな!とりあえずお局さんに役職付けときゃいいだろ!→間違い
女は上司に向かないってよく言われがちだけど、じゃあ今までの人生の中で「人の上に立つ者として優秀な男」がそんなにいたか?って話。
そもそも上司として部下のモチベーション上げるのが上手い+本人も仕事バリバリできる+感情的にならない+他人の気持ちに寄り添える……こういうの全部兼ね備えた人間なんて《男女問わず極小数》なわけで。
だからこそ、女だからって理由で切られる現状は変えるべきだと思うんだよ。
もしかしたら「女だしヘラヘラしてて舐められそう」で落とした中に、めちゃくちゃ他人を褒めるのが得意で若手の育成やメンタルサポートに特化した人がいるかもしれない。
「男だし体育会系で根性ありそう」で受からせた中に、大人しい後輩や部下をバカにして精神追いつめて辞めさせるような人がいるかもしれない。
というか、考えていくべきなのは将来を担う世代がどういう上司を望んでるかなんだよ。
メディアでZ世代なんて言われてる子がどういう上司の下で働きたがるか、どういう上司ならそういう子をイライラせずに受け入れて育てられるのか。
ゆとり世代の私が出会ってきた上司の中で一番好きだと思えたのは「今の若い子みんな優しくていいよね。同期の中で蹴落とし合ったりしないし、協調性があっていい」って言ってくれた氷河期世代の女性管理職だった。
下の世代を否定しないで、自分の世代とは違うことをきちんと認められる人。私が頑張れたんだからアナタも頑張れると言わない人。
女だから仕事ができない、女だから人を指導するのに向かない。そういう意見に惑わされることなく、人を長い目で見て育てられる上司に私自身もなりたいと思う。
学校限定だけど必ず人間関係が失敗する呪いにかかってる。理由については何度も考えたけど、多分俺が他人の目を気にしすぎるからなんだよね。クラスメイトの誰からも嫌われたくないから、できるはずがないのに全員にとって無害で理想的な人間を演じてしまう。そんなことする必要がないのは分かってるけど、少しでもミスったら排除されるんじゃないかっていう恐怖に毎回囚われる。まあこれは生育環境と過去のいじめ体験に由来すんのかな。知らんけど。
で、今の学校に入学したとき、試しに最初から何も話さないようにしてみたんだけどこれも上手くいかなかった。どうやらコミュニケーションの一切を拒絶する人間は不気味な危険人物という評価になるらしく、あらゆる言動が悪い方向に捉えられてどうしようもなくなってきている。いまさら取り返しがつかないし、仮にコミュニケーションに参加したところでまた気を遣いすぎて精神的に潰れるだろうな。そもそも協調性ないから絶対やらかすし。
職場は親密な人間関係を築く努力をする必要がないから上手くできる。インターネットでのコミュニケーションや自分にとって話しやすい相手との会話はむしろ得意。でも学校だけはやっぱ無理だわ。ほとんどの人にとって学校は楽しい場所なんだろうけど、俺にとっては生き馬の目を抉るような危険地帯でしかないんだよな。
ダイアトニックコード中で唯一5thがフラットしているだけでも使いづらいのに
読み方がビーマイナーセブンフラットファイブとかもうクビにしたい
普通Dm7ならディー(R)マイナー(3rd)セブンス(7th)だし、
みんなお行儀良くルート→サード→フィフス(省略)→セブンスの順番で名前を名乗ってるわけ
ところがBm7(b5)だけビー(R)マイナー(3rd)セブンス(7th)フラットファイブ(5th)とか名乗る順番も協調性がない
自己紹介の時にみんなが田中将大ですとか芦田愛菜ですと名乗ってるのに、
Bm7(b5)はそういうやつなんだよ
まだ実用には程遠いけどiPS細胞で女性のみでも妊娠、出産が可能になる
そうでなくても必要最低限の精子さえ培養できれば、男性なしでも繁栄はできる
治安や環境の観点から言っても今の倍以上は美化、清潔になるだろうし
女性の方がスマートな視点で物事を解決できるから、今よりもっと便利なグッズが出来るでしょうし
中々解決しなかった些事についてもすぐさま対応できる社会になるでしょう。
育児も介護も女性だけなら安心ですし、通勤や日常だって断然平和になる。それだけで素晴らしいと思いませんか?
それに女性だけの方が協調性は湧きやすいし、国家として立派になれると思うんです。
レディーファースト先進国として海外からも称賛されるに違いありません。
(もっともその時には海外の方が国民皆女性化運動を完遂しているかもしれませんが!)
これを実施すればLGBT問題も気にする必要はありません。あれは男性がいるからこその問題ですし。
ほら、ここまで書いて貴方も分かったでしょう?
男性がいなくても社会は回る。むしろ、より円滑に進行していくのです。
ちょっと気になるのが女性首相が誕生するとしたときに、女性リーダーを望む人たちの声の一部だ。
女性は協調的だから、女性は平和主義だから、こういった言説を語る人がたくさんいる。
男性リーダーは権力闘争が好きで、戦争を引き起こす可能性が高いということの表裏の理屈。
リーダーには、力強いリーダーシップも協調できるリーダーシップも両方とも必要だ。
もしどこかの国や地域から日本に向けてミサイルが飛んでくれば、防衛のために反撃することを決断しなければならない。相手の追加攻撃能力を奪うために同盟国や友好国に支援を求めなければならない。同盟国や友好国の国民に向けて力強さと協調性のどちらのメッセージも発信して、日本をその国の政府が助けることを納得してもらわなければならない。
例えば台湾の蔡英文総統は、力強さも協調も必死に努力していることだろう。もし台湾有事が発生したときに、台湾を助けるべきだと共感したり理解したりする日本国民は多いのではないか。
男性でも女性でも同じことだが、共感することも理解することも義務ではない。
容量が大きい人もいれば小さい人もいる。その容量は強制しても増えない。また、自分自身で増やしたいと思っても簡単に増えるものでもない。
すでに自分の容量が何かへの共感や理解でいっぱいになっている人は、別な何かへの共感や理解を示す余裕はないかもしれない。
せっかく女性首相が誕生しても女性であることに縛られて、「女性ならではの政策を」とか、「女性なのに結局は男と変わらない判断をするのか」とか、本来リーダーに求められることと関係ないことで評価するのはやめるべきではないのか。
正職に限って言えば”選ばなきゃある”、だけどたいてい仕事が合わなかったり人間関係が合わなかったりして続かないと思う、特に妹さんみたいなコミュ力に難がある場合
今どきは学歴関係なくとってくれるところも増えてきた印象で、実際どの面接官に言っても通じないようなF欄大卒(文系)の自分でも通るところは通る
ただ、やっぱり面接とかで話せないとなると多分学歴以上に落とされる。そりゃどこも人間関係の不和で職場崩壊すんのは怖いからね、火薬庫人間は採れないのよ
バイトが倉庫業(仮)ってことだけど、ちょっとずつでも接客系とか人と話す機会のあるバイトにシフトしていって社会生活に慣れることから始めるのが良いかも
北関東民独特の感覚だと思うのだけど、栃木群馬茨城県民は互いに自分が上だと思ってる。
自分もその例に漏れず、栃木県こそ北関東のテッペンだと思っていた。
茨城県には親近感はあった。
あらゆる面で似てる。
他県からのイメージは栃木が餃子、茨城は干し芋くらいのもんだろう。
栃木県民だからって餃子が好きなわけでもなく、茨城県民だからって干し芋ばかり食べてるわけでもないが、他県からみたらそう思われてるのが現実だろう。、
製造業も、茨城は海、栃木県は東北道と東北本線東北新幹線と地理的には恵まれているのに、互いにパッとしない。
正直、HITACHIには嫉妬してるが、HITACHIは本社は東京だし、HITACHIをカウントしなければ栃木県の勝ちだ。それに、今は県民所得としても栃木県が上なのだ。
たぶん勝因は、茨城県民の自滅だと思う。茨城県民は怒りっぽく協調性がない。互いに足を引っ張りあってたから、平成の大合併まで村ばっかりだった。天狗党の乱から成長してない。
港を擁するからには、天下人を何人も輩出し東海地方を見習って欲しい。東海地方からトヨタホンダが生まれたのは偶然ではあるまい。
さて、前置きが長くなった。
故郷を離れて上京するまでは、群馬県のことなんてほとんど意識しなかった。
空気のような県であった。
海無し県の栃木県に生まれると、海水浴のために茨城に行くことはあるのだが(栃木の海浜自然の家は茨城にある。租借地みたいなものだ)、群馬とはとんと縁がない。
草津伊香保くらいは聞いたことがあるが、温泉など栃木県内で間に合ってる。
焼きまんじゅうとかいう具なしの小麦菓子があるとか、蒟蒻や葱を好むという情報は流れてくるが、別段憧れもしなかった。
群馬が総理大臣を多く輩出したことは知っていたが、その中に特に思い入れがある人物もいなかったので、コンプレックスを感じることもなかった。初めて群馬の地に足を踏み入れたとき、道の広さに政治家の力を感じたがその程度であった。
埼玉県民は蕎麦も食べない。蕎麦より小麦だ。未開人群馬県民みたいな食生活だった。
栃木県民は海無し県だというのに魚介類を好んで食べるというのに。
そしてロードサイドのヤマダ電機、栃木県の誇りコジマはすっかり埼玉から駆逐されてしまった。
カインズホームが群馬企業のベイシア系列と知った時は衝撃だった。
ベイシア系列のベイシア、カインズホーム、オートアールズ、前述のヤマダ電機、築地銀だこ、悔しいが強い。
子どもには小学校入試と高校入試を経験して大人になってもらいたいと思っている。
その理由は単純で、中学入試、大学入試が勉強さえできれば入れる試験だからだ。
小学校入試ではペーパーのほかに、行動観察や面接試験で協調性や運動能力、マナーを見る。
したがって、お勉強さえできれば受かるというものではないので、入試に向けての取り組みが
総合力を養うのにつながると考える。
高校入試は言わずもがな内申があるので、主要五教科だけではなく、音楽美術体育家庭科などの
私自身は教育に熱心な両親のもと、友達と遊ぶことや習い事を制限され必死に中学受験をした。
中学に入ってからも、レベルの高い同級生に振り落とされないよう、部活もゆるいものに入り、必死で勉強した。
結果として、コミュニケーション能力の低い、勉強をそこそこ頑張ってきただけの無能な社会人になった。
だからこそ、入試を通じて総合力を試されるような経験で成長してもらいたいと思っている。
因みに、そんなに裕福な家庭ではないので小学校は国立しか考えていない。
受験に至るまでの過程で協調性やマナーなど、優秀なお子様たちとの触れ合いの中で多くのことを身に着けてもらうことが狙いだからだ。
私が中学受験をしたとき、両親は言った。「高校受験は内申に左右されるからフェアじゃない」
勉強が出来るのに内申が付かないというのは、やはりコミュニケーション能力や、集団の中でうまくやる力がないということなのだ。
これは仕事と一緒で、個人の実力がいくらあっても組織の中で生きていける協調性がなければ煙たがられる人材にしかならない。
気の早い話だが、もし私の子供が理不尽な内申評価で希望の高校に行けなくても、それはそれで態度の問題だろうとしか思わないので理不尽だとは思わない。
本当に理解ができないから似たような親や人格持ってる人にどういう気持や心なのか教えてほしい。
それとも何かの精神障害?
幼児のイヤイヤ期みたいな状態でとにかく嫌だ、それはやらない、みたいなコミュニケーションしか取れない。
この前とか無線に繋がらないからっていうんで、まずLANケーブル買ってきて繋げたら?って返した。
スマホにLANケーブルの商品URLを送信して教えたのに1週間たってもまだ買ってない。
ネットに繋がらないから不便だ、助けてくれって自分から助言を求めてきた俺の話は聞く気ゼロ。
電化製品だから店にいって店員に見せて売り場連れて行ってもらって買えばいいから、といって
実際に店に行ったら「何メートルか分からないから買わなかった」って。
これアルツハイマー病の初期症状と思ったほうがいいのかな。
まともな判断力してたらとりあえず何メートルでもいいから短いのを買って違ったらレシートもって返品でいいだろ。
もう訳がわからないし恐ろしいとさえ思う。
元々更年期障害の時期でもヒステリーの激しかった母親で、子供の言うこと絶対聞かないタイプだった。
今じゃ地の性格なのか、初期症状なのか高齢のせいで分からない。
医者に診断に行かせたいが、絶対そういうこと言っても人の話聞かないタイプだから調べようも無い。
赤信号も今でも平気で渡ろうとする。
何言っても駄目なんだな。
何言っても悪口に聞こえるようでそのまま頑なに人の話聞かなくなる。
団塊ジュニア世代って父親もそうだけど、他人と妥協点探したり相談したりする能力が無いのか?
でも今まで社会にそういう訳がわからない年配はあまり見たことないんだけど。
それともうちの両親だけ人の話を聞かずに自分で勝手に決める性格なのか?
時代なのか本人たちの個性なのか分からないけど、意味の分からない協調性の無さが異質なものとしてストレスをものすごく与えてくる。
亡くなるまでこのままなのかなと思って諦めて放置したいけど、困ってるなら助けてあげたいとも思う。
でも何言ってもやろうとしない、うん、とかんたんな一言さえ言えない。
それが凄まじいストレスを与えてくる。
自分の中では永遠に一番えらいのは自分だと思ってるフシがある。
いい加減卒業してほしい。
平和な関係を築けるようになりたいのに悪意なくこういう事をしてくるし、
丁寧に「そういうのやめろ」と言っても絶対に納得しない。
私は今人生の帰路にいる。
悪く言えば一度決めたらそれしか見えなくなる、かなり視野の狭い人間だ。
ここは重要なのでどうか忘れずに以下を読み進めてほしい。
26歳という年齢をむかえ、私は残りの20代をどう過ごすべきなのか悩んでいる。
シェイプアップのためジムにも通い、より完璧なスタイルに仕上げる。そのあとはありとあらゆる方法を使って男を探すだろう。
次に勉強。
仕事以外の時間はその勉強に費やしているが、なにせそこそこブラックな会社で時間がない上理解力があまりよくないので20代で合格にもっていけるか怪しいなと思い始めている。
私は学生時代にほぼ帰宅部で、人との関わりをほぼ避けて生きてきた。故にコミュニケーション能力が皆無で、営業をやっているが会社では干され気味で仕事も全然できない。なぜ営業職に受かったのかといえば、私は学生時代少しだけだが声劇部に所属しており、明朗快活な陽キャの演技で面接官を騙したからだ。
就活の仕方とか全然分からなかったので、受けたのはここ一社のみ。役作りと同じ要領で設定シートをつくり演技をしたらなぜか受かってしまった。詐欺まがいの演技にだまされガチのクズを採用してしまい、人事はさぞかし怒られたのではないだろうか。なにせ所属していた部活もやっていたバイトも創作なのだから。
唯一好きなことといえば勉強だが、根があまり頭が良くない(親戚も両親も頭が悪く従兄弟は中卒)
そもそも勉強が好きな理由も、一人でできてそこそこ達成感があるからで、ほかに大きな理由はあまりない。
今後の人生を考えた時、婚活か勉強か、どちらに邁進したほうが食いっぱぐれずにすむだろうか。
とりあえず現会社で一生過ごすにはあまりにも人間関係が宜しくないのでどちらにしろ転職は視野に入れている。また、かなりのコミュ障で人に嫌われる性格なので職を点々とする未来も十分にあり得るなと思い、何か資格でも持っておいたほうが良いだろうと暇を持て余した学生時代にとある資格を取っている。(明言は避けるが使えばそこそこ食いっぱぐれない類のものだ)
だったら勉強すればいいのではとは思うが、最近は私のような人間が正社員で働いていること自体が会社にとって迷惑なのではと思い始めた。とにかく仕事が出来ず協調性がなく全くと言っていいほど向上心が持てないからだ。
答えは出ない。とりあえず残業に戻ることとする。