はてなキーワード: 処置とは
多分、現地では今もそうやって耐えてる人もいると思う。本当にかわいそうなことだと思う。
生理のはじまりかけとか終わりかけは応急処置でトイレットペーパーを使うことはよくあるから、バズる云々じゃないんじゃなかろうか。
ちなみに二日目なんてとてもじゃないがティッシュやトイレットペーパーじゃ足りないんだ。そんな量じゃないんだ。(人にもよる)
鼻血出たことある?すぐ止まるならいいけど、結構ドバドバ出る時あるじゃん。ティッシュ詰めるじゃん。すぐデロデロになんない?デロデロになったら血ィ吸わないじゃん?ティッシュ替えるでしょ?
どっぷり血濡れたティッシュ、またはたっぷり血を吸ってカピカピになったティッシュ、ずっと鼻に詰めてたい?そんなことないと思うんだよ。
生理用品は下着に触れる面が基本的に水分を通さないようになっているし、吸収したら極力表に戻さないようになってる。生理用品のCMで色のついた水を掛けた後がサラサラだよ!ってやってるあれ。
ずっと頭痛くてって感じで、
早々に午前中で私の事務所も閉店よ。
多分度数の高いお酒を少しでも酔いぐらいに飲むと頭痛くなっちゃうみたいねー。
この時期の田中邦衛さんいや違う違う
ケイヒ、ウイキョウ、ニクズク、チョウジ、チンピ、ゲンチアナ、ニガキの七草
アリアナグランデさんが間違えてタトゥーで七輪って掘っちゃったぐらい効く七草!
良い薬です!ってやかましーわーい!
なににしろ飲み過ぎはよくないこの時期忘年会が繰り広げられまくりまくりすてぃーな時期、
胃が弱るのよねー。
参ったなー。
毎年これを繰り返して覚えないところが忘年会の良いところ学習のしなささが1年でちょうど思い出す時期でもあるのよね。
なので昨日一日帰って大人しく寝ていようかと思ったけど
1日のノルマのF-ZERO99とスプラトゥーン3があんのでそれはこなしたけど
寝るに限る寝れるときは寝る!のよ。
おかげでまあ今日の今朝の朝の体調はまずまず。
喉が痛いけれど平気よ!
私のスプラトゥーン3のオーバーフロッシャーは皮肉にも絶好超のマークを付けつつ、
最近はハイドラント一択でインクをぶちまけるのに快感を覚えているって頭痛いからそれどころでは無かったけど、
早く調子が戻ってこの時期を乗り越えたいわ。
やっぱりどうしてもこの時期は忘年会が続くので食べる前に飲むのが必勝法なのかも知れないわ。
うふふ。
スモークサーモンって美味しいわよね。
スモーキーすぎるのもあれだけど、
ちょうどよい加減のスモーク加減だったらいいわね。
美味しくいただいたわ。
この調子でしょ?体調。
なので少し甘みを加えてハチミツインホッツ白湯ウォーラーレモン果汁インハチミツザスカイ!って感じね。
冬には潤いと温かさが必須よ。
みんなもご自愛くださいませ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
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トランスジェンダー(他いろいろの性的マイノリティ)の味方になりたいアライさんとGC側の果てしない論争が目を引いたからだ
毎回議論が脱線していき、論破合戦になるばかりで肝心のトランスジェンダーは置いてきぼりの状況が悲劇的だ
なんとなく自分の考えがまとまってきたのでまとめておく
文献を引いてくる気はないし単語とかいろいろ間違ってるんだろうけど当事者たちも全然その辺統一感が無いので気にしない
これは自分がトランスジェンダー関連をこう思って過ごそうと思っているというまとめである
あの界隈は本当にややこしいのだが、性同一性障害と言われている疾患とトランスジェンダーがまず違うらしい
性同一性障害は数百万人に一人の頻度で発生し、幼少期から自分の体の性別に強い違和感をもって生きていく疾患である
その違和感を改善するために適合手術という外科的手術があり、見た目を変え、違和感の根源である生殖器を取り去ることで苦痛を和らげようとする
この手術がめちゃくちゃ体の負担になるのは容易に想像できるし、外科手術だけでなくホルモン投与なども行わなければならない
そこまでしても実際に異性になれるわけではないのでもともと男として生まれた人は妊娠出産はできないし、女として生まれた人は精子を作れるわけではない
それでも手術をしてよかった、見た目が異性らしく見え、生殖器を取り去ることで、周りからも異性として扱われやすくなるし、自分自身がもともとの性別から変われたと思えて楽になった、という人はいると思う
どれくらいいるのかはわからない
もともとが数百万人に一人だし、そこから実際に手術する人は一部だろうし、そこから長きにわたって後悔せずに生きていける人はさらに一部だろう
手術なんてしなければよかった、しても意味がなかった、多少は意味があっても苦痛のほうが大きかった、という人も絶対にいるし、手術をした人の中でどちらのほうが多いのかはわからない
性同一性障害の治療の一環としての外科手術はいまだに試行錯誤されている段階であって、決定的な治療ではない
五十年後に同じことをしているかというとしていないだろう
今できる精一杯としてこの不完全な処置をしているに過ぎないし、それが今できる最善なのかもわからない、それでもやる人はいる
特例法はそうまでして体を変えた人が特例として戸籍を変えて生まれた時と違う性別で生きていくことを容認する法律だが成立して何年もたっているので現状とはずれてきている
現状のずれとは何か?
もともとこれは性同一性障害の患者用の特例だったが、そうではない人々も戸籍の変更を強く求めるようになったことである
性同一性障害ではないのに戸籍の変更を求める人々、それはトランスジェンダーである(と私は理解している)
トランスジェンダーという概念は性同一性障害を含んでいるが、もっと広義なものであるらしい
本来の性同一性障害であれば幼少期から違和感があるはずだが、幼少期には特に違和感がなかった人が人生の途中から違和感を感じ始めることがままある
幼少期から違和感があった人のなかにも性同一性障害ではない人もいる
ここが本当にややこしい
色々見てみても、言葉遊びみたいなのになっててわかろうとすればするほど難しかった
今の私の理解としては、性同一性障害ではないトランスジェンダーは、もともとの体の性別にかかわらず自分のことを異性だと思っている人のこと
女の体でも男だと思っているし、逆もまたしかり
だから外科手術をしたりホルモン投与をするしないに関わらず自分は男ではない(女ではない)と思っているし、必ずしもそれらの医学的補助を必要としない
そして、これは全員ではないかもしれないが自分だけではなく周囲からも自分がこうだと思っている性別で扱われることを望んでいる
その一環として自分の望む性別に戸籍を変えたいというのは、自然な流れである
性同一性障害だけではなくトランスジェンダーに対しても戸籍変更を認めるか否かが問われていて、おそらく流れとしては認めるべきであるという方向に進もうとしている
で、ここで議論になるのがトランスジェンダーという存在が社会の中で存在感を増すということは必然的に性別によってわけられていたことが意味をなくしていくということについてである
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性別によってわけられていたことが意味をなくしていく話をする前に改めてトランスジェンダーについて話す
トランスジェンダーは幼少期からずっと違和感を抱えている性同一性障害とは異なる
疾患ではないとする動きもあるらしいが、それは非常に納得できる感覚で、トランスジェンダーとは疾患ではなくライフスタイルに近いと考えると私としては非常にすっきりする
そういう風にしか生きていけないの人たちもいるのだからライフスタイルと一緒にするなと言われるのは間違いないが、トランスジェンダーの定義自体がどんどん変わっていっているのでどうしようもない
ライフスタイルだと思うのはデトランスする人たちがそれなりにいるからということと高齢になってから突然トランスする人たちが一定数いるからだ
自分の体の性別についての違和感が不可逆的なものなのかどうか、というのは大切なポイントだと思う
ここでベジタリアンのたとえを使うけど、ベジタリアンとして一生生きていくひとと、途中でやめる人、両方いる
もしベジタリアンとして生きていくと宣言して社会的にもベジタリアンと認識され、以後一切肉も魚も食べられません、これはあなたが決めたことです、途中で気が変わったといっても無理です、と言われたら困る人は沢山いるだろうな
そしてその人が一生ベジタリアンとして生きるかどうかは寿命が来て死んでしまうまでわからない
いまトランスジェンダーが異性として生きていく、一生そのままだ、と思っていてもそうなるかどうかはわからない
実際高齢になってからトランスする人がいるのだから、いま三十代でそう思っていても六十代になると変わるかもしれない
トランスジェンダーというライフスタイルが定着すれば必然的に性別というのは可逆的なものになる
いまそういう概念があるのかわからないが、不可逆的トランスジェンダーと可逆的トランスジェンダーがあるんじゃないのかなと思っている
実際どういう扱いなんだろうな
トランスジェンダーだと思っていたけれどそうではないみたいです、という人たちは確実にいるわけだが、アライさんはトランスジェンダーだった場合を考えてその人が最大限トランスジェンダーとしての生活を送れるように推奨していると思われる
不可逆的トランスジェンダーにとっては歓迎すべき対応だろうけど、可逆的トランスジェンダーは後悔する可能性が高い
GC側は可逆的である可能性を憂慮しているし、アライさんは不可逆である可能性を重く見ている
特に今は思春期の子供たちが話題になることが多いが、当然両方の子供たちがいるし、一方にとって良いことは一方にとっては悪い
唯一にして絶対の正解はない
正解はないのに正解だけを求めようとするとそこからこぼれていく人がいる
置いてきぼりにされる当事者たちの出来上がりだ
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さて、そのような可逆的不可逆的が入り混じったトランスジェンダーを社会のなかで存在を増していくとどうなるか
でも現時点で性別の差は物理的にも社会的にも大きくて、突然その概念をめちゃくちゃにするようなことをすれば社会的混乱は必然
段階的な対応が求められる
私としては性同一性障害をふくめてトランスジェンダーという存在がなくなることはないので、一緒にあるべき社会を考えていくことは絶対に必要だと思っている
ベジタリアンという存在はなくならないので一緒に生きていく社会を考えるように
ベジタリアンメニュー、肉魚を食べるか食べないかの事前確認、いちいちそれに対して感想を述べたりしないし過剰反応もしないし拒絶もしない
そういう感じのイメージ
いまトランスジェンダーが議論になりがちなのはまだ社会のほうが受け入れ態勢ができてないのに理想論優先で先走ってしまうことがままあるからだと思う
非現実的な話ばかりしているアライさんが沢山いる
それに対してびっくりしてしまう一般大衆をして理解が乏しい愚者みたいに扱っているのが非常に嘆かわしい
こういう人たちはトランスジェンダーをサポートしたいのではなくて、概念で誰かを殴るために活動しているんだろうな
なぜならそんな風に一般大衆を論破してもトランスジェンダーの理解が深まるわけじゃなくてむしろ反発を呼ぶだけだからだ
ロビー活動としては下の下、愚の骨頂
トランスジェンダーは、もともとの体の性別にかかわらず自分のことを異性だと思っている人であり、「トランス女性は女性です」の言葉が象徴するように常に周囲からも自分がこうだと思っている性別で扱われることを望んでいるので、女性スペースがあるなら女性として使用したい、それが許されないことは非常に苦痛を感じるだろうことは想像できる
だが少なくとも現時点でその望みがあるとして十全に叶えることはできない
まだその段階にない
それが性別でわけられたスペース利用についての議論のスタート地点
ではゴールはどこなのか?
これは人によって目指すものが異なるだろう
そもそも性別でわけたスペース自体なくしていまいたい人、自分の望む性別のスペースにスムーズに入れるようになりたい人、スペースの問題ではなく医学が進んで実際に身も心も異性のものに転換されることだけを望む人、ほかにもいろいろいるだろう
望むゴールが違えば話はどんどん食い違う
譲歩しているのだ、と双方が思っている
トランスジェンダー関連の話になると必ずトイレフロ問題が取りざたされるが、これについてはそれぞれの思う理想のゴールをきいてから始めたほうがいいのになと常々思っている
混浴を目指す人、身体的な区別を目指す人、ジェンダーでの区別を目指す人、それぞれ違う
いずれにしてもトランスジェンダーという存在を前提とした施設を考えていく必要はあるだろう
私自身の意見としては性別で分けられたスペースは維持されてほしいしそのうえで性別で分けないスペースの併設が望ましいと思っている
性別で分けないことを多くの人が望めば性別で分けられたスペースは縮小していくだろうが、そうでない場合は一定数残していく
その数のバランスはニーズによって考える必要があるがニーズが少なくともゼロにはしないという感覚があってほしい
以上、大体私が気になっていたことについての考えをまとめました
色々考えすぎてごちゃごちゃしていたのをまとめられてよかった
満足しました
多産の家庭は大学を無償化、と言うアイデアが「少子化対策」として出てきたが、
https://digital.asahi.com/articles/ASRD67KLKRD6UTFL011.html
これは
といえるので、最低でももう少し工夫をしてくれという話をする。
簡単に言えば、少子化の主因を捉えていないから、少子化対策にならない。
これは繰り返し言われてきたが、少子化の主要因は、非婚化と言われている(注1)
詳しくは注記に文献を上げておくので見てほしいが、簡単に言うと
と言う状況があるためだ。
結婚した夫婦がもうける子どもの数は微減状態にはあるが、そこに合計特殊出生率の変化のグラフと、婚姻率のグラフを重ねてみてほしい。そうすれば一目瞭然で「結婚した夫婦も減ってるじゃ無いか」という抗弁は枝葉であり、全くマトを得てない事が分かると思う。
結婚しない人を結婚させるより、3人目を諦める人を支援した方が良いと言う事実はない事も既に研究で明らかになっている。確かに理想の人数の子の数を諦めた理由という調査では、その理由に経済を上げる人が多いが、統計で分析すると
要するにまともに取り組むなら晩婚化の対策が必要だと言うことになるが、政治的にタブーでありこの路線はほぼ無理だと思われる。
もちろん、ミクロで金銭的理由を子どもをもうけない理由に挙げている人がいるかぎり、それをフォローする事は重要ではある。また経済対策として子育て支援は効率が良い施策なのでやるべきではあるのだが、これを有効な少子化対策として捉えられてしまっても困る。
子育て支援は少子化対策としては有効ではないと言うことをとにかく認識してほしい。
よく「子育て支援・少子化対策」と並べる人がいるが、この二つは似て非なるものである。少子化対策とは別に考えるべきだ。
まず、前提の事実を並べる
最新の統計はコロナ禍の影響があるとは言え、再配分が間に合っていない状況である。
その中で、最近は所得制限なしに給付を行うのがはやり始めている。高所得者層にはそれほど大きな金額ではいのかもしれないが、負担率という形でみると低所得者層ほどインパクトが大きいので、所得制限無しの上に、低所得者層に給付対象者が少ない助成金などをやったりすると、一気に格差が広がる。
つまり、言い方はあるにせよ
と言う事で、現在の状況をより補強し、子育て支援は本質的に少子化対策としては問題が多い。
特定の部分をターゲットにして単純に補助金を作ると、産業が補助金に対して最適化するので、全体として金額が上がって非効率になる。例えば、ネットで買うと5000円、地元で買うと8000円だが、1/2補助の地域振興券がつくので地元で買う、と言うような現象だ。この構造から、一見すると消費者に対する補助の様に見えるが、実際には店側の方への補助金としての性質が強い。
また、最近問題になっているのが、出産一時金である。出産一時金をはじめとして、出産に関する各種の補助は強化されて金額が増えているが、結果どうなったかと言うと、病院がそれに合わせて、出産費用を値上げをした。出産に関わる費用が上昇しているのである。
妊娠出産は自由診療であり、病院は自由に価格設定ができるためだ。結局、出産する人たちへの負担軽減には効果が限定的であるというばかりか、効果の怪しい代替治療のような者まで出ている。これを受けて政府は、出産を保険診療のように、標準報酬のようなものを定めようとしている。
これらから、何も考えずに補助を作ると、大学にも同じ現象が発生する。授業料分は補助が出るだろうが、全体としては助成金を充てにして値上げが行われるだろう。結果、補助の大部分は大学への補助として作用し、実際に支援したい子育て世帯への恩恵はわずかになる。
ではどうするかというと、補助をする対象を個人では無く、大学に支払うようにするべきだということだ。何故かと言うと、個人に給付するときに個人に条件を付けるのは難しいが、大学に条件を付けることは容易だからである。
例えば、便乗値上げをしない事、上限金額を決めた上で「追加で対象の学生から授業料を徴収しないこと」といったはどめをかけて、条件に合致する大学にだけ対応させるといった処置である。
再掲するが、せめて
が必要だ。
ばらまきはある程度民主主義のコストであるので、人気取りで分かりやすい施策をやろうとするのは、まぁ仕方が無いと思う。
ただ、それで「やった感」だけを醸し出して、あるいは、有限の予算の中で優先度を間違えて支出された予算になってしまって、本質的な対策が行われないがまずい。
政治的に
みたいなことを堂々といったら炎上するだけで難しいのはわかる。例えば、子育て支援は所得制限無し無制限が支持される一方で、自治体が頑張って結婚相談所を作っても参加補助どころか無料も無理で、実費請求されるところがほとんどだ。これは有権者の支持が得られないというところであろう。
が、もうこれを上手くオブラートに包んで実行していくほかにないのでは無いと思われる。
子育て支援をするなと行っているのでは無い。子育て支援はやるべきだ。しかし、子育て支援は少子化対策にならないのを直視して、少子化対策は別枠でちゃんとやってくれと言う事である。
アニメや映画も、最近はすぐに政治の分断に使われて、普通の論評ができないのが馬鹿馬鹿しい。
俺自身はリベラルで、かつ、この映画を評価しない。けど、それは別に政治的な主張が良い悪いという理由じゃない。
単に、あまりにも記号的な書き方が芸術として評価できないだけだ。
流石にもう「ネタバレ」とは言われないだろうけど、終盤主人公が空爆で腕を失くす。
それがあまりにも痛くなさそうで、しかもあんな状況なのに処置が綺麗で、虫も沸かない血も滲まない。
エンディングに腐乱死体が出てくるけど、いしいひさいちあたりが描くギャグ漫画のゾンビ描写みたい。
すべての表現が徹底的に記号化されて、戦争の空気感が「無痛化」「無臭化」されている。
これで「日常のリアルを描いた」って、もうそれだけで表現としては噴飯ものでしかない。
右も左も関係ない。芸術的な濃度を求める感性があれば、こんな病人食のようなものが評価できるわけがない。
そういうリアリティのなさが単純にすべて馬鹿馬鹿しくて、政治的に良い悪いの問題じゃない。
強いて言えば、そういう政治的な問題意識が、「はだしのゲン」レベルでも耐えられない精神的なお子様向けのものであることが問題っていうあたり。
こんな幼稚園児向けの絵本レベルに誤摩化さないと、日本の大人って、戦争の痛みが受け止められないの? って。
デンマークで昔、余剰個体になってしまい行き先がないキリンを安楽死させ、ライオンの餌にしたという動物園があった
なんでそんな考えに至ったかというと、繁殖させて子を産ませることまでが動物福祉と考えるかららしい
子の動物としての生存権より親の出産の権利を重要視してるという考え方である
日本や大抵の海外の動物園は余剰個体になりそうな場合は避妊処置をしたり、オスメス別居などをして繁殖をさせないという方向になる
これは望まれない子が生まれないようにすることを優先した考え方である
こういう動物福祉の考え方っておそらくその国の人間の死生観が大いに反映されてると思うんだよな
そう考えると少子化対策のために日本が北欧のモデルを参考にするのは少々厳しいのでは?という気がする
日本の考え方は恵まれない子供なら生まれない方がいいって考え方で、その考え方ゆえに少子化になっているのである
だから北欧のように親世代の環境を良くしたら産むようになるというのとは少し違う
子供の幸福を担保するなんて国家には無理ぽよなので、この考え方の下だとどんどん少子化するしかないと思う
ちなみにキリンの件は欧州でも大きなセンセーショナルなニュースになったので、このような死生観を持つ人ばかりではないことは申し添えたい
だが、日本や中国韓国だとまず出てきそうにない考え方だなぁとやはり思う(その代わりサーカスなどにキリンを売るということはやりそうだけど)ので、やっぱ文化的な違いは絶対あると思う
@japosu123
今朝信じられないことが起こりました。私が道端に倒れていたのに男性達は誰1人AEDを使おうとせず通り過ぎていくのです。これがただ女性というだけで見捨てられる日本の現状。日本で女性として生きるということ。
私は遂に痺れを切らして「女性だからといってAEDを躊躇うのをやめろ!」と叫んでしまいました。
するとようやく1人の男性がAEDを使ってくれたので、なんとか私は一命を取り留めたのです。私はその男性にお礼を言ってからセクハラで警察に突き出してきました。
AEDという「処置」で男性に身体をいじくりまわされ女性の尊厳がじりじりと奪われていく感覚…怖くて声が出ませんでした。今思い出しても恐怖と悔しさで涙が出てくる…女性の人間としての尊厳と権利を無視するのをやめてください。
https://twitter.com/japosu123/status/1729017618500317476
クッソワロタ
実は一度流産を経験しているので、妊娠など二度とするかと思っていた。
その時は妊娠した実感が薄いまま体調だけどんどん悪くなり、毎日腹痛に襲われ出血もしていた。10週目でお別れとなった。
流産するまでに何度も病院へ足を運んだが、「腹痛や微量の出血はよくあること」と言われた。
10週目突入の日。立ち上がれないくらいの腹痛に襲われたので、病院に電話し、旦那にすぐ病院へ連れて行ってもらった。
処置後、泣き続ける私に担当医が差し出してくれたティッシュを思いきり手で払ってしまった。
当時の担当医のことは恨んだ。あなたがちゃんと診察してくれていたら、私の腹痛と出血を異常と捉えてくれていたら、こんなことにはならなかったんじゃないかと。
でも一番恨んだのは自分のことだった。あの時食べた物がいけなかったんじゃないか、少し重たい物を持ったのが悪かったんじゃないか。
色々考えた。毎日嫌になるくらい泣いた。もうこんな思いはしたくないから、子供を授かることは諦めようと心に決めていた。
旦那は子供を熱望していたが、絶対もういらないと私は思っていた。
そんな私が今、また命を授かることが出来ている。
元々性交渉の数は少なく、避妊もしていたので授かることはないだろうと思っていたのに。
ここ数日、どうにも空気が乾いてきて、目・のど・鼻などが辛いので、観念して加湿器を使うことにしました。
ところが、その肝心の加湿器たるや、電源ケーブルだけどこを探しても見あたりません。
機械は電流を流さねば動かないので、これではどうしようもありません。
そこで、とりあえずの応急処置として、アナログ式の加湿器を作りました。
作り方は非常に簡素です。
(1)ペットボトルに水を入れる。
(3)タオルのうちペットボトルの外側にある部分を扇形に広げる。※クリップなどでとめる。
しばらく時間が経って、湿度が上がったか否かはわかりませんが、多少のどの痛みが引いてきたような『気がします』。
実際にはあまり湿度に変化がなかったとしても、プラシーボでも乾きのつらさが楽になってるなら作った甲斐がありますね。
2つ、3つと同じ物を作って並べてみたら、体感できるレベルで効果があるのかもしれません。
仕組みに問題はないのか 高齢者が病院に行きすぎてしまう理由:海外と比した
>日本の病院、診療所は民間が多いため、売り上げ・利益が必要で、患者という顧客を継続・開拓し続けなければなりません。治療して治ったら終わりではなく、たとえそれが加齢現象で、治るようなものではなくても、「病気」として診察したり、診療報酬が多く発生するような処置をし続けたりする医療機関も存在します。治っていて、何ともなくても「また来週、来てください」と言われれば、行かざるを得ないでしょう。
高血圧の基準を「収縮時140mmHg」と変更することによって、「高血圧症」の人を多く生み出したのが典型的ですが、民間の医療機関が、患者という顧客を生み出し続けなければならない以上、そのマーケティングや営業行為に乗せられている、病院通いの高齢者が減ることはないはずです。
諸外国に比べて突出して多い、日本の高齢者の病院通いはこうしてみると、日本の医療制度に関する構造問題、すなわち改革の遅れに根本的な原因があるのだろうと思います。
私は高齢者医療に携わっている医者である。癌は見ず、難病や認知症ばかり診る内科にいる。高齢者の延命治療などが増田やXで話題である。その是非についてではなく、自分が日々感じていることを書く。
急性期治療と慢性期治療の延命処置の違い、疾患ごとの違いなど、延命処置の中にもスペクトラムがあるが、私が関わるのはどちらかというと慢性期治療における延命処置…胃瘻などの誰がみても延命と考える処置をするかどうかに直面することが多い。
高齢者に癌や致命的な心疾患などがなければいずれは寝たきりになり食べられなくなるタイミングがくる。経鼻や胃瘻で栄養を投与したり高カロリー点滴などを継続しないと亡くなる状態になることがある。
その際、栄養投与を続けるかといった延命処置を行うかどうかを家族と話し合う。
実は高齢者の積極的な治療はあまりしないでおこうというのが現代の市中病院の内科医師のトレンドではあり、昔とは違い今は家族が延命処置を希望しないことも多い。家族が胃瘻や中心静脈栄養など希望しなければ生きるには不十分なカロリー量である末梢点滴のみを続け、緩和的に看取る方針になることは多い。
私は10年以上医者をしているが、今でもこの延命処置をしない…自分が命を長らえさせることが出来るのにあえて行わないということを、まるで自分のその人を殺しているかのように思ってしまう。
もちろん延命処置をしないことは自然の流れに身を任せることであり、延命治療を行うことで本人の苦痛が増すのはわかっている。意識や理性がなくなっても痛みや苦しみはわかるはずだ。しかし私が命を捌いていいのかと常に思ってしまう。ICするときに延命治療を強く勧めるわけではないが、家族が延命処置を希望した場合はあまり止めないようにしている。
年次を経ても慣れず、逆に経験が増え、特に高齢者が急性期疾患を合併したときなどで、この人はこのままなら亡くなるが無理矢理栄養投与をしたり、人工呼吸器をつけたりすれば命だけは半年から年単位で持たせられるだろうというのがより正確にわかるようになった。嫌な気分になることが増えた。そういう文字通りの延命が可能なのに行わないと決定したときには命の形に触れる気がする。家族の意見を無視して栄養投与すれば生かせられるがそれをしない。家族に延命を説得することが行えるのにしない。できるのにしないのは自分である。手の平大で少しどろっとした感触で、こぼれ落ちるのをそのままにする。
元々姑は夫側親族全員が煙たがるような人で、わかりやすく自己愛性PD障害だった。
その上最近は歳のせいもあり軽く痴呆症も入ってきていて、気に入らないことがあれば一日中金切り声で叫んでる。
医療系自営業だった舅は姑のヒステリックと経済DVで20年も前に首を吊った。
首を吊っているのを発見したのはまだ年齢10歳ほどの夫だった。
急いで救急車を呼んだものの、出来る処置はなくそのまま亡くなったみたい。
そのとき駆けつけた舅の親族に対して、姑は「この人が死んだのは私のせいじゃない」とヒステリックを起こしその場で舅親族から絶縁された。
お骨のありかも教えてもらってないため、夫とは年に一回、舅なんて少しも埋まってない謎の集合墓地に墓参りに行く。
婚姻届の提出のために夫の戸籍謄本を見せてもらったら、舅は夏ではなく10月に亡くなっていたことがわかった。
夫は自分の家庭のことを私には話をしてくれた。
交際の時点で結婚を考えていたそうで、同棲の話が出る前から真剣に話をしてくれた。
特殊な家庭で育ったし、変わった両親を持ってしまったけどそれでもいいかと。
初めて夫の母親に会ったときも、変わった人だと思ったけど明るくてまあ大丈夫だろうと思った。
同棲、結婚、と「息子が私のものだけじゃなくなる」イベントがあるにつれ、夫の母親の様子がおかしくなった。
私への嫌がらせ、夫や自分の親族への恨みつらみを深夜から朝にかけて電話を掛けて話をしてくる。
私へも電話が来ていたが、あまりの様子のおかしさに一回出た以来居留守を使っている。
姑は一通り、電話した相手へ恨みつらみを吐いたあと、私を見捨てないでくれ・悲しくてさみしくて夜も眠れないと甘えた声で泣いてくるらしい。
その際は、あなたが孫を産んだらその子は私の家の子である、息子を取られて嫉妬している、言うこと聞かないなら離婚して婚外子を産めと金切り声で一方的に1時間も叫ばれた。
一体全体どういう話の文脈でそんなことを言われないといけないのか全くわからないし、夫にそのことを話すと「あの人はこれが普通だから」と言っていた。
姑の親族は「あの人は夫を自殺で亡くしたから、幸せそうな夫婦を見るとああなるの」とため息をついていた。
この電話をきっかけに、もう話が通じない人を相手しても人生損しかしないなと思って全ての連絡を無視している。
何か連絡が来ては夫が私に謝るというのが何回かあったが、夫が姑にきつく言ったせいか最近は一切来ていない。
高級なものや、少女趣味な姑が好きそうな派手な食器が夫と私の分で2組。
あんなにヒステリックに泣き叫ぶ人が、私の誕生日のために百貨店に買い物に行って、皿を選んでる姿を想像する。
自分の夫を首吊り自殺させるまで追い込むってどんな感じなんだろうか。
その後も全部を他人のせいにして、息子も結婚をして、老いた体を引きずって働きながら、息子夫婦に嫉妬して、でも嫁の誕生日に食器を送る。