はてなキーワード: 不利益とは
盗作は対象の業界に対して全体の不利益になるような行為が認められたら
業界の衰退の引き金にならない範囲で著作権を行使・判決するのが基本だぞ。
ひらがなの「あ」とこの「あ」が同じだから違反、とかしてたら何も作れなくなる。
ある程度は真似ていいけど丸パクりすんなよってのがこの手の権利の本質であって
実際にパクってると一般人が見ても判決では勝てなかったケースなんてザラにある。
話は戻すけどコピーを法的に訴えて勝つには誰がどの角度からみても疑いようのない「丸パクり」じゃなければ
こうこうこういうことだよね?と前提としての正誤確認自体が地雷になることもある。
正しいならまずはそこまでは分かり合えてるし、間違っているなら認識を改めるなどする。
けど、「分かっていない」と言われると何をどうしていいか分からなくなる。
なにその「分かっていない」って???
どうも「こうすればいいんでしょ?」と開き直って言っているように聞こえるみたいだが、そんなこと思ってもいないし明言もしていない。
そう映るのなら、どういう言動ならより好ましかったか言って欲しいし、自分も改善したい。
夏休み明けは自ら命を絶つ子が多いという。
ここ数年、そんなわけで夏の終わりにいじめられている子へのメッセージを著名人が流している。
響かない。
どれも響かない。
その理由はいくつか思いつくのだが、最大のものをひとつだけ書いておく。
受験なら内申書もからむ。内申点には通学実績やテストの評価も加味される。
登校→授業&テスト→評価で進学先、ひいては就職先が見えてくる。
有名人は割と簡単に「辛いなら学校に行かなくてもいいよ」と言う。
しかし前述のシステムがある限り、学校に行かない選択をした方はかなりの不利益を被る。
学校に行けなくなった原因を作ったいじめっ子たちはウェーイと騒ぎながら学校生活を謳歌し社会の波にも乗っていくのに。
自分自身もひどいいじめに遭って登校をためらった。何度も死のうとした。
両親はまさに「学校になんて行かなくてもいい」と言ってくれた。それには感謝もしている。
しかし子供の自分でも思ったのだ。何でいじめ被害者が折れなきゃならないんだと。学歴につながる手段を絶たれてたまるかと。
(これには両親が中卒で苦労していたのを察していたから自分は絶対に学歴をつけようと思っていたのもある)
進学先で人間関係リセットできる幸運に恵まれていま生き永らえている。でもこれもたまさかだと思う。生きていることが絶対に尊いかは断言できない。死にたくはないが生きていたいわけでもない。
#8月31日の夜に。タグで「学校に行かなくても卒業できる」と書いている人はものすごい高学歴の有名人だ。
「長い人生から見ればたった3年、頑張ろう」で炎上している人も一般人から見たら超勝ち組だ。
自称コミュ障のガチコミュ障であり、自分はコミュ障だからしょうがないと言い張りながら、それを解決するための手段をまじめに考えない。何故なら自分は可愛そうな人間でありうまく生きれないのも仕方ないから。
人に質問や相談をすべきだと分かっていても、相手側に「人に聞く前にお前で限界まで調べろ」と返ってくる可能性を考慮して無限の探索の旅に出るタイプ。
チーム全体の効率よりも自分のプライドを優先し、責任を持って発言するのが嫌いなのですぐに決断を相手に行わせ、その上で起きた結果や内容に文句を言って自分は悪くないという。
強烈な被害者意識を持っているが、その原因の9割は自分が撒いた種であり、たった1割の自分じゃなくて相手が原因だと言える分野に関してネチネチといつまでも覚えておいて振り回したがる。
プレッシャーをかけることがマネージメントであり自分の役目であると信じ込み、相手に無限の自己犠牲すらも平気で求める。
トレードオフ関係のものや、競争状態になっているものを理解せず、実現不可能な100%完璧をあらゆる方面に求めた結果絶対に実現不可能な目標を完成させそれを平気で他人に要求する。
自分の想像力のなさゆえにすぐに物事を狭い視野で見てしまい、その視野に収まりきっていない事柄に対しては平気で「想像力が足りない」といいたがる。
理屈と膏薬はどこへでもつくという原則すら理解できていないので、一見理屈が通っているが確定しているとは言い切れないはずの事象に対してこれこそがただ一つの正解だと考えがち。
自分が他人に求めることを自分は一切やる気がなくても「でも僕はお前らと違って大変だから仕方ないんだ」と言い訳しながら、悪びれもせずに自分がやる気もない事を他人に要求し続ける。
関わる人間の注意力や集中力を減らすような方向に物事を進めたがり、呪いの中心にいる自分は恐ろしい勢いでケアレスミスを量産しながら更に自他の注意力を奪う方向へと突き進む。
常識・マナー・身内ルールが大好きでしょっちゅうそれでマウントを取るのだが、世間一般でより広範に用いられているルールを次々と破っている事に関しては何も気にしない。
自分が他人にマウントを取れる分野だけが大好きで、自分が他人より下になりそうな話題は大嫌い。
立場を利用した無理強いによって様々な無茶振りをすることで仕事を何とかこなすが、そうして失われた信頼は他の人間が必死に取り戻すことになる事に対しては何も考えない。
今の上司がこういう人間なのだが、よくよく考えると自分自身もこういう人間なのだ。
自分は時折、自分のような社会不適合者は死んだほうがいいのではないかと悩みながら、それでも何とか生きてきた。
だが、その悩みが、自分は死ぬべきなのであるという考えが間違ってなかったと日々確信に変わっていく。
生かしておくメリットとデメリットの収支が不利益側へと大きく傾いている。
少なくとも、表の社会からはそっと抜け出して、どこか裏の社会で生きる道でも探したほうがいい人種なのだ。
まともな人間ではない。
必死になってまともさを維持しようとする人達、生まれついた家庭に恵まれたのかただありのままでまともな人達、そんな人達が我々のようなゴミのベビーシッターとなっているのが不憫でしょうがない。
死にたくない。
死にたくないけど死ぬべきだと思って生きていくのは辛い。
だから自分のようなクズであっても死ぬべきは言いすぎだと信じたい。
信じたいのに……鏡に写った己と極めて似通った姿、それを更に見にくく膨らませた醜悪さの次のステージ、己が抱えるクズさの成体と平日は毎日10時間程度同じ空間で過ごすことになる。
そうなるとどうしても……自分たちは死ぬべきなのだという仮設が証明され続けてしまう。
もういやだ。
俺は死にたくない。
それとも、刺し違えて死ぬほうが手っ取り早いのか。
ハラスメントだのLGBTだのファミだの逆差別だの、全部権力闘争なのにな、と思って。
結局のところ、権力闘争だ。
より権力を持つ者、上司とか、性的ノーマルとか、男とか、女性専用車両に乗ってる女とかがいる。それが気に入らないから、権力弱者に「ハラスメント」みたいな概念武装を持たせてパワーバランスを取る。パワーバランスの変化に気づかない鈍感な元権力者は、立場を勘違いしてハラスメント行為を行い、概念武装で殴られて死んでいく。
ポリコレ棒、とかいう言葉発明したヤツは、マジで見る目とセンスがある。ポリコレなんて、弱者が強者を殴るために発明された概念武装そのものだ。他人を殴らないポリコレなんて、切れない剣より意味がない。
この権力闘争を推し進めると、平等で誰もが幸福な社会が来るのか? いいや、そうは思わない。俺たちに身につくのは、平等主義ではなく、銃弾飛び交う権力の戦場でどうにか生き残る術だろう。
セクハラをしないのは、女性を尊重するからではなく、戦場で死なないためである。彼はセクハラをしないとしても、我が身を犠牲にして女性を——権力闘争の敵を——救うこともまたあるまい。友が不用意にも銃弾に倒れれば、あるいは無能な味方のミスで自身の不利益が起これば、ハラスメントコードなんか吹き飛ぶ。隠蔽ぐらいするさ。我が身が大事だ。友を見捨てて被害を最小限にするような、戦場のリアリズムが身についてるヤツばかりじゃない。早稲田大で起こったのはそれだ。死に値する無能だったが、人間らしい行動だった。
かような権力闘争の渦中にあって、我が子に平等主義を教え込むような者どもは愚かである。世界は平等ではない。平等を求める社会運動の行き着く先ですら平等ではない。我が子には、権力闘争の渦中で生き残る力こそを与えよ。自分の不利益にNOを言える精神を、暴力を振るわれたら殴り返せる筋肉を、他者の信頼を得るためのリスペクトの言葉を、なによりそれらを自分のために使うための勝負勘を。
ネオリベとか自己責任論とかいう思想は、社会全体の衰退をもたらすという意味では間違っているが、個人が持つべき現状認識としては完全に正しい。ポリコレ棒で概念武装した者共は、権力闘争の自由化を今後ますます推し進めるだろう。大岡越前が絶対な権力で闘争を調停してくれる世界は、もう来ない。
それにつけても、クッソくだらない。
ポリコレ棒を持った者共には、権力闘争をしている自覚すらない。平等と呼ばれるパワーバランスの実現と引き換えに、社会全てを戦場にした自覚がない。
その自覚の無さは、いつかより強い権力が現れた時に、致命的な被害を生むだろう。……ああいや、もう産んだか。安倍なりトランプなりが、より強い権力だ。
ハラスメントだのLGBTだのファミだの逆差別だの、全部権力闘争なのにな、と思って。
結局のところ、権力闘争だ。
より権力を持つ者、上司とか、性的ノーマルとか、男とか、女性専用車両に乗ってる女とかがいる。それが気に入らないから、権力弱者に「ハラスメント」みたいな概念武装を持たせてパワーバランスを取る。パワーバランスの変化に気づかない鈍感な元権力者は、立場を勘違いしてハラスメント行為を行い、概念武装で殴られて死んでいく。
ポリコレ棒、とかいう言葉発明したヤツは、マジで見る目とセンスがある。ポリコレなんて、弱者が強者を殴るために発明された概念武装そのものだ。他人を殴らないポリコレなんて、切れない剣より意味がない。
この権力闘争を推し進めると、平等で誰もが幸福な社会が来るのか? いいや、そうは思わない。俺たちに身につくのは、平等主義ではなく、銃弾飛び交う権力の戦場でどうにか生き残る術だろう。
セクハラをしないのは、女性を尊重するからではなく、戦場で死なないためである。彼はセクハラをしないとしても、我が身を犠牲にして女性を——権力闘争の敵を——救うこともまたあるまい。友が不用意にも銃弾に倒れれば、あるいは無能な味方のミスで自身の不利益が起これば、ハラスメントコードなんか吹き飛ぶ。隠蔽ぐらいするさ。我が身が大事だ。友を見捨てて被害を最小限にするような、戦場のリアリズムが身についてるヤツばかりじゃない。早稲田大で起こったのはそれだ。死に値する無能だったが、人間らしい行動だった。
かような権力闘争の渦中にあって、我が子に平等主義を教え込むような者どもは愚かである。世界は平等ではない。平等を求める社会運動の行き着く先ですら平等ではない。我が子には、権力闘争の渦中で生き残る力こそを与えよ。自分の不利益にNOを言える精神を、暴力を振るわれたら殴り返せる筋肉を、他者の信頼を得るためのリスペクトの言葉を、なによりそれらを自分のために使うための勝負勘を。
ネオリベとか自己責任論とかいう思想は、社会全体の衰退をもたらすという意味では間違っているが、個人が持つべき現状認識としては完全に正しい。ポリコレ棒で概念武装した者共は、権力闘争の自由化を今後ますます推し進めるだろう。大岡越前が絶対な権力で闘争を調停してくれる世界は、もう来ない。
それにつけても、クッソくだらない。
ポリコレ棒を持った者共には、権力闘争をしている自覚すらない。平等と呼ばれるパワーバランスの実現と引き換えに、社会全てを戦場にした自覚がない。
その自覚の無さは、いつかより強い権力が現れた時に、致命的な被害を生むだろう。……ああいや、もう産んだか。安倍なりトランプなりが、より強い権力だ。
アファーマティブアクションこそ真の差別と言えよう
「お前は自力では上がってこれない」と言っているのだ。
これで喜ぶ奴にはプライドがない。
しかもそれでいてアファーマティブアクションを受けない側にも不利益しかない。
アファーマティブアクションとは誰も幸せにしない、対立だけを産む愚策。
女性専用車両というアファーマティブアクション(しかも女性専用車両には効果すらない)には断固反対する。
うーん。女性専用車両が男性「差別」である、ことはそもそも証明されてないよね? それはあなたの勝手な思い込みに過ぎないかもしれない。勝手な思い込みを連呼しても、それは正当な主張行為とは言えないだろう。
生来的な属性を理由に、サービスに差をつける。料金は同一。これが差別以外のなんというのかね?
むしろ、現在の鉄道が、痴漢等のせいで、女性にとってより利用しにくいのが現状だとすれば(ここは仮定ね)、いまの鉄道の現状こそ実質「男性専用鉄道」であり「男性専用車両」ということになるよね。だとすれば、女性専用車両がなければ、それは女性にのみ一方的に鉄道を利用しにくい状況を放置していることになる。つまり差別だね。差別に敏感なあなたなら、ここは同意してもらえるかな?
しません
「女性にとってより利用しにくい」は主観であって明文化されたルールではないし、現に女性は一般車両であっても気にせず乗ってきている。
車両を「利用できない」ルールを設定された男性と比べたらユルユル。
だとすると、問題は最初の仮定が成り立つかどうかなんだけど、女性が列車内で痴漢に遭遇する件数、痴漢として逮捕される男性の数、などは統計で報告されているね。
対して、男性による痴漢被害の訴え件数はどうか。少し調べてみると、大体女性の被害件数に比して100分の1ほどだ。中には「小柄で女性と間違えられたらしい」という報告もある。
あと、男性の電車利用しずらさは痴漢よりもその冤罪に端を発してるため、この比較はほぼ無意味。
実際には存在して訴えられていないケースもなるほどあるかもしれないが、
それは女性の場合も同じだ。(参考:http://d.hatena.ne.jp/usausa1975/20120806とか)調査が難しいことから、実数を推測するのは難しいけど、低い数値で女性の14%、多い数値では女性の49%が痴漢に遭遇しているという。
このうちの何%が正確に「痴漢」なの?
逮捕も起訴もされてない、誤認が大いに含まれてるであろうものを以て差別を正当化できない。
14%という数値をどう思う? およそ7人に一人。学校のクラスで言えば(一クラス40人とすると)どのクラスでも必ず3人は被害にあっているということ。学年6クラスの高校なら学年18人、学校でおよそ50人が被害にあってる計算になる。対して、男子の被害者はその100分の1だ。となりの学校と併せて、はじめて1人いるくらい。これは、「低い方の数字を用いた推定」だ。どうだろう。現状、女子は鉄道利用において、圧倒的な不利益を被っているというのが適切じゃないだろうか。
同上。
主観的な情報、証拠もない痴漢の訴えとやらはなんの裏付けにもならない。
そんなに被害があるなら、訴え出て法で片をつけろ。
現状で鉄道は女性にとって利用しにくい、ならば、それを是正する措置は「平等」であって、現状を維持しようとする側が「差別を維持」することになるのは明白だよね。つまり「現状が差別的であるから、現状を是正するための特別な対処」が女性専用車両なんだよ。この話の前半を無視して、後半の「『特別な処置』=差別だー!」と叫んでいるのが、女性専用車両に反対する人々だよ。その人々の議論に抜け落ちている(あるいは彼らが意図的に無視している)のは、「現状がそもそも差別的である」という視点なんだよ。
痴漢は「犯罪」であって差別ではない。痴漢の罪は痴漢にのみ帰する。
これを防ぐために属性一律で負担を強いる、排除するのは平等でもなんでもない。差別。
階段が上れない人でも鉄道を利用できるようにするために、エスカレーターやエレベーターを作りました、と。これは差別だろうか? それとも「不適切な現状に対する特別な介入によって平等を実現する措置」かい? あなたがもし怪我をして、それでも生活のために出勤しなくてはいけないとしたら、そのときどう思うかな。女性専用車両が男性差別だというのは、現状の差別を見ないふりするか気付いていないことからしか、出てこない発想なんだ。そういう人は、残念ながら非常に少数派だ。だから女性専用車両はこうして広まっている。
誰でも階段があがれなくなることはある。けが、病気、あるいは老衰。
こういう生来的で不変の属性を用いて不利益を強いるのは差別なのだ。
あなたの書き込みでも、まず知ってから知らずか「女性専用車両は男性差別で」という風に女性専用車両が男性差別であることが「前提」とされていた。
これがあなたの正しさに何の担保もしないように、主観的な「女性が感じている鉄道の利用しづらさ」は男性を差別することに何の正当性ももたらさない。
うーん。女性専用車両が男性「差別」である、ことはそもそも証明されてないよね? それはあなたの勝手な思い込みに過ぎないかもしれない。勝手な思い込みを連呼しても、それは正当な主張行為とは言えないだろう。
むしろ、現在の鉄道が、痴漢等のせいで、女性にとってより利用しにくいのが現状だとすれば(ここは仮定ね)、いまの鉄道の現状こそ実質「男性専用鉄道」であり「男性専用車両」ということになるよね。だとすれば、女性専用車両がなければ、それは女性にのみ一方的に鉄道を利用しにくい状況を放置していることになる。つまり差別だね。差別に敏感なあなたなら、ここは同意してもらえるかな?
だとすると、問題は最初の仮定が成り立つかどうかなんだけど、女性が列車内で痴漢に遭遇する件数、痴漢として逮捕される男性の数、などは統計で報告されているね。対して、男性による痴漢被害の訴え件数はどうか。少し調べてみると、大体女性の被害件数に比して100分の1ほどだ。中には「小柄で女性と間違えられたらしい」という報告もある。実際には存在して訴えられていないケースもなるほどあるかもしれないが、それは女性の場合も同じだ。(参考:http://d.hatena.ne.jp/usausa1975/20120806とか)調査が難しいことから、実数を推測するのは難しいけど、低い数値で女性の14%、多い数値では女性の49%が痴漢に遭遇しているという。
14%という数値をどう思う? およそ7人に一人。学校のクラスで言えば(一クラス40人とすると)どのクラスでも必ず3人は被害にあっているということ。学年6クラスの高校なら学年18人、学校でおよそ50人が被害にあってる計算になる。対して、男子の被害者はその100分の1だ。となりの学校と併せて、はじめて1人いるくらい。これは、「低い方の数字を用いた推定」だ。どうだろう。現状、女子は鉄道利用において、圧倒的な不利益を被っているというのが適切じゃないだろうか。
現状で鉄道は女性にとって利用しにくい、ならば、それを是正する措置は「平等」であって、現状を維持しようとする側が「差別を維持」することになるのは明白だよね。つまり「現状が差別的であるから、現状を是正するための特別な対処」が女性専用車両なんだよ。この話の前半を無視して、後半の「『特別な処置』=差別だー!」と叫んでいるのが、女性専用車両に反対する人々だよ。その人々の議論に抜け落ちている(あるいは彼らが意図的に無視している)のは、「現状がそもそも差別的である」という視点なんだよ。階段が上れない人でも鉄道を利用できるようにするために、エスカレーターやエレベーターを作りました、と。これは差別だろうか? それとも「不適切な現状に対する特別な介入によって平等を実現する措置」かい? あなたがもし怪我をして、それでも生活のために出勤しなくてはいけないとしたら、そのときどう思うかな。女性専用車両が男性差別だというのは、現状の差別を見ないふりするか気付いていないことからしか、出てこない発想なんだ。そういう人は、残念ながら非常に少数派だ。だから女性専用車両はこうして広まっている。
あなたの書き込みでも、まず知ってから知らずか「女性専用車両は男性差別で」という風に女性専用車両が男性差別であることが「前提」とされていた。だが、女性が感じている鉄道の利用しづらさ、というワンステップ前の条件を踏まえれば、それは全く前提できないことなんだよ。女性専用車両は「特別措置」ではあるが、それは「平等」を実現するための特別措置であって、つまり「差別ではない」。
差別:偏見や先入観に基づいて一部の人に不利益な扱いをする制度やルール。
訂正
訂正前→差別:偏見や先入観に基づいて一部の人に不利益な扱いをする制度やルール。
訂正後→差別:偏見や先入観に基づいて一部の人に不利益な扱いをすること。
凶悪事件が話題になるたびに思うのだが、私は死刑制度には反対だ。データを見る限り犯罪の抑止力になっているとは言い難いし、再審請求が多くなされている中では冤罪を防ぎきれているとは言えないと思う。慣例のようなものが多く、制度自体の透明性も十分ではないと思っている。
そういう意見には、「被害者や遺族の気持ちを想像してみろ!」という反論がある。実際に言われたことも何度かある。
けれど、私はそういうことを言われるたびに、〝私が実は被害者家族かもしれない" という可能性にも気づかないような貴方のお粗末な想像力に価値はあるのかなぁ、と思う。
私には「自分に不利益を与えた相手に罰を与えたい」という気持ちになったことがない。「私はあいつのせいでひどいめにあった、あいつもひどいめにあえばいい」という理屈がよくわからない。ひどいめにあって自分が悲しい、悔しい、怒ったぞ!というのはわかる。私にとってそれらの感情と「罰」は別物で、そのために相手が悲しんだり悔やんだりしても、私には特にメリットがないように思うし、悔しさが埋められるわけでもない。
小さい話で言えばめちゃくちゃに私に仕事を振ってくる上司に「足の指を机にぶつけちゃえ」と思うとか、そういうことが一切ないということだ。もしその上司が足の指を机にぶつけて痛がっていても、別にそれで私が楽しくなるとか、そういうこともない。仕事は減らないし。
毎週のように人権侵害レベルのめちゃくちゃなクレームを浴びせてくるおばさまにも、私の弟をひどいシフトと給料で働かせていたバイト先の店長にも、幼少期に私に暴力を振るった変質者にも、特にその報いを受けてほしいと思ったことはない。新聞やテレビで見る殺人犯などはなおのことで、仕事の関係でそういった事件の現場に幾度か足を運んでも、さほどその感情が変わることはなかった。ひどいなぁとは思う。こんなことが二度と起きないと良いとは思う。犯人をとても許せないと思う。でも許せないってなんだろう。それは完全に私の中身だけの問題で、行動とか、外に出ているものとはあんまり関係がない気がする。私はたぶん、小学校の頃に私を無視した同級生を許していないけれど、彼女が現在進行形で私を無視していないのなら彼女と夕飯を食べることができる。
ただ、これは私にとって理解ができないというだけの話で、それだけでは私がそれに反対する理由にはならない。それは例えば、私が目が見えるから街中の点字ブロックは全部剥がせと言うとか、私がトンボが嫌いだからトンボをいくら殺してもいいとか、そういうのは間違っているのと同じだ。それに、その事件1つ1つに関して言えば私は完全に部外者で、当の本人たちが極刑を望むのならそれは無視されるべきではないと思う。あと、「二度とこういう事件が起きない」ためにはその犯人を世の中に出さないほうがいいと判断されることがあるというのは理解できる。
私が死刑に対して、それでも「反対」の方に傾くのは単純な理由で、「私が人殺しをしたくないし、誰かに人を殺してほしくない」からだ。それは部外者が持ち得る曖昧な想像力よりも私にとってずっと実感がある。
この国に生きてきて、私は何人もの犯罪者を殺している。刑場を準備すること、片付け、それに関わる人の諸経費、お金は私が出している。執行のためにハンコを押す大臣、あの人も私が選んだ。事実としてそう。そういうシステムになっている。
そして私は同時に、誰かに人を殺すことを強いた。誰かがボタンを押したから、死刑囚は死んだ。そのボタンを押させたのは私だ。
高校の頃、死刑制度について考える授業で、反対サイドの私が「死刑を執行する人の負担を考えると賛成できない」と言ったら、賛成サイドに「刑場にはボタンがいくつかあって、一斉に押すから誰が装置を動かしたのかはわからないようになっているから」と言い返されたことがあるが、私はやっぱり、それが反論になると思っている、自分が殺したかどうかわからなければ大丈夫だと思う人が想像する「被害者の気持ち」はどれだけ信頼がおけるものなんだろうと思った。
賛成する人の意見はいろいろある。システム的な部分で理解できるものもある。でもそれを「人の気持ちの代弁者」のような顔をして主張することにはどうも不信感がある。だから知りえない人の気持ちより、私は自分の気持ちの方を重視する。私は人を殺したくない。私は誰かに人を殺させたくはない。だから私は死刑を望まない。おしまい。そっちも代弁者のような顔をしていないで、貴方の言葉で話してくれよ、と思う。
ひとつ、妥協の提案がある。裁判員裁判のように、死刑を執行する刑務官の役も毎回抽選で選ぶのだ。選ばれた人が、一斉にボタンを押す。
裁判員裁判は可能なのだから、それより頻度の低い死刑執行ならシステムや経費の問題もそこまで重大なものにはならないだろう。被害者にさせるのはその後の世間や死刑囚家族との関わりの危険性がありそうだから、匿名の無作為に選ばれた誰かが良い。執行がより透明性が高くクリーンなものにも成り得る。ついでに死刑に賛成する人が主張する「犯罪抑止」の効果も強くなるのではないか。
もしこれが実現しても、私は今の状況も同じだと思っているので、別に気持ちの面で変化はない。人に押させるのはいいが自分が押すのは嫌だ、というのはけっこうわがままなんじゃないかなぁ、と私は思う。死刑制度存続に賛成する人は、この案にも賛成してくれるに違いないと思うのですが、いかがですか?
抽選の応募をしようと思ったのですよ。
なんでそこまでしなきゃならんのかと。
「本当に行きたい人が行けない」とかまったく意味がわからない。
大金を出せる人のほうがよほど「本当に行きたい人」であり、
定価以上出したくない人と何十万と払ってでも行きたい人、
どちらが「本当に行きたい人なのか」って考えれば
「本当に行きたい人」は運だけでなく「お金」という担保を用意してもいい。
個人的には「転売屋のせいで買えない」とわめく人間は努力不足だと思っている。
買うための最大限の工夫と労力を尽くせばある程度のものは手に入る。
WiiやDSLiteを買うために発売日にはビックカメラに徹夜で並んだ。
とまぁ、転売の是非についてはともかくとして。
ちょっと行きすぎでしょう。
なんで消費者がそこまでしなきゃならんのですか。
買うのにも入場するのにもめちゃくちゃ面倒なことになっている。
何か月も前から売り出しているくせに、
正規のルートで手に入れている人にはマイナスしかないわけですよ。
転売を撲滅するために「ちゃんと買っている人」がどんどん虐げられていく。
「転売屋がいるせいで買えない」なんて人間は転売屋を撲滅してもどうせ買えない。
なぜユーザーばかりが不利益を負担する世の中に疑問を感じないのか。
あぁ、本当にバカバカしい。
温泉やプールでタトゥー禁止。差別だっていう意見も結構あって驚いてる。
日本の事情を知らない外国人ならまだしも、日本に住んでて子供の頃に温泉やプール行ったことない
わけじゃないだろ? その時看板に「入れ墨お断りです」みたいなの見なかったのか?
で大きくなってそれを承知の上で「それでも」って覚悟でタトゥーを入れたんじゃないの?
そういう日常のデメリットを承知した上で俺はこのファッションを貫くという生き様だとして
入れてるもんだとばかり思ってたよ。そもそも入れ墨お断りが差別だって話もあるけど、
しょうがねぇだろ差別するなって言ったって入れ墨=ヤクザの印象が古来から根強いんだから。無理だよ。
緊張するじゃん。なんで温泉でリラックスしたいのに緊張しなきゃなんないんだ?
お断りにしなくしても差別撤廃論者のお前らが満足するだけで店の客足が遠のいても
誰も責任取らないだろ? 差別云々が盛んになってるからみんな文句は言わんかもしれんけど、
普通に考えてそっと違う店行くわな。仮にクレームが入った時、対応するのは誰だ?店員だろ。
店員はアルバイトとか多いよな。お前らコンビニ店員とか飲食店の店員が過剰なサービスを求められる
事には憤るのに、温泉やプールの従業員に無駄な負担が行くのには目を背けるのか?
それなりの代償が伴うと承知して自分の意思で入れたんだから、それに伴う不利益は
ちゃんと受け入れろよ。他社に理解しろとか対応しろって言うのはただの我儘だよ。
差別っていうのは自分じゃ変えられないどうしようもないものに対してだけ言いなよ。
冒頭に脱線するがヤクザの様式についてマインドセットを準備したい。
金持ちが服装に金をかけないという話は自己啓発本やセミナー系の情報で見かける。
実際金のかかった服はあるだろうし平均以上であるかもしれない。
しかしよくわからない模様の布地で金のチェーンをして黒塗りの高級外車を乗り回さない。
金持ちであることをわざわざ毎回広告する必要がないし、外見と存在で金を稼いでいるわけではないためだ。
ではななぜヤクザは見た目で高級感を出すのか。それは高級感が目的ではなく「1番」であることを主張したいがためである。
実際の統計で数値的に1番というものではない。庶民や噂などを流布する層の一般が想像しうる「一番のもの」を選択する。
ここにタトゥー、入れ墨の問題もつながってくる。一旦派手の話はここまで。
二番目に、ヤクザというのは実際金があるからそういうものを買っているだけ、ではない。
商売の種類として見た目でするものであるから、広告業者が広告を出しているのとおなじ。
ラーメン屋の賄いがラーメンなのと同じ。一番をコレクションしている人間である必要のために持ち物が一番なだけなのである。
商売としては不人気商売、被差別商売、問題解決(非合法)、貸金業(非合法)などを行ったりするにあたり、問題解決に使うのが「1番」である。
1番高級な服を着て、1番高級純金アクセサリをして、1番高級外車に乗っている1番のおやっさんの言うことが、なぜ聞けないという交渉方法。
1番がものを言っているのだから黙れよ、1番の下には2番以降が控えているんですがそれらが何番かわからないあなたの上にのしかかってきますよ、困りませんか?という方法だ。
それはもちろん困らせに来るのだから困るだろう。
しかも1番と言われて実質なにかしら1番(実質の1位ではなく想像できる最上位の類のもの)を身についけている人間、ほぼ人物として1番であるという人間との交渉だ。
貸付金の取り立てや問題の和解、商売の風説などは実際に商品価値が高ければとか確実であれば法に則って正規の解決ができる、というものではない。
関係者の譲歩を引き出したりした結果、合意を得られた時点でのもので、合意の後の責任も果たせる範囲で強要されることはない。
強引に法的に取り立てたりすることはできるが法的回避方法がないわけでもない。
それを逃がさず大きな取り立てで強制的に回避できない方法で介入してくるとなると、それは太刀打ちできると判断される相手では物足りない。
「1番」がそれを執り行ってくるのだから、勝てないという精神的な屈服感を与える必要がある。
ここまでの「1番」や「高級」はイメージの問題で、その価値基準が一般市場に支えられているものだから庶民からの目線でそうみえるようにということである。
この話を私がしたところで、「私に」それがどうしたんだ、意味のない、という意見は寄せられるだろう。私もおなじ庶民なのでそう言われても仕方がない。
では実際にそういう格好をしている人に言えばいいじゃないか、と私が同じ庶民として進言すると、できるだろうか?
「アルマーニのスーツきて純金の喜平ぐるぐる巻いてでかいベンツ乗ってるけどなんなん?借金の取り立てを明らかに回りに迷惑がかかる方法でしてくるのは違法ってわかってんの?水商売とかくだらん仕事しやがって」
といえるかどうかである。言えないような仕組みのために、その仕事で幅をきかせるためにそのような恰好をしているのである。
ここで服は借りて着まわせばだれでもそのポストにつくことはできる。それよりも上の人としての価値(前述までの高級感)を上げるにはどうするか。
入れ墨である。体に特徴を持たせるのである。顔面の傷などもそうである。指がないといったものもそうである。
ここでまた話は脱線するが、僧侶は坊主である。なぜか。特徴をなくすためである。個人ではなく組織としての一部であるためである。
また、僧侶は結婚しない。社会的に生産をしない、継続をしない。するために自分の資産、持ち物を必要とする社会生活をしない。そのために自分の行動や行為は独善的なものをできるだけ排除してある。
僧侶が親切をしてくる、教えを説くのは独善的なものはできるだけ含まれていないという証明のためである。
何々をしなさい、という教えは僧侶が収益をあげ資産を築くためではない。個人として利益を得るためでもない。宗教は収益を与えるためではなく歴史の蓄積と人としての最善な選択への補助であることのためである。
この意味がもはや失われ自由化されているが、人がわざわざそのような立場に置かれる必要性もなくなっているためこの習慣が失われるとともに、人がそこに位置する意味と理解も失われている。
これとまったく逆が、超個性化である。ファッションで一番めだつ、はだかになってもだれかわかる特徴をもつ、莫大な財産を築くことである。
ただのマークではなくそこにメッセージを込めるというタトゥー、入れ墨がその立場を示すというだけであればファッションとなりえる。
海外でファッションになっているのは、人がどんな命を込めたメッセージでも、簡単に否定もできるし批判される側もその程度だと理解している。
個人がどれだけ大切に思って居ようが他人からしてみればゴミ同然なことが相互理解されているのだ。
なので大事だというものは相手にとっては大事なのだろうという理解もある。
主義主張を否定されると、日本では囲まれてボコられるという最終結果についてその順位と内容を吟味する必要がある。
外国人が入れ墨や個性の主張がなぜ自由なのかというと、最終的に銃撃戦で決着をつけることができるからだ。
入れ墨に問題があるか、入れている名前をバカにされたり、すてきだと言われたりする。その個人に踏み込んで問題がおきたとき最大の解決方法は殺し合いである。
最終的に相手を殺すことで決着するというのは対人の交渉でほぼ最大にして最終的に近い。これを緊急的にとはいえ選択できる状態、銃の携行があるということは、各個人の自由はかなりの広さで主張できて、相手もそれをまず認める方向になりえるし、ならざるを得ない。
その二番手である「かこんでボコる」ができるというのは組織力、どこに組織しているか、組織を指摘してくるかということである。
タトゥー、入れ墨を入れることができる、入れている、そういう側というなんとなくの組織感と、個人が特別な主張をしているという表現、これに銃を持たない入れ墨をしていない服装もふつうの人間が並んで立つと、どうなるだろうか。
どうもならなければ問題がないが、一旦会話が始まってしまったり交流したり、交渉が発生したときにどうなるかは考えないだろうか。
隣に立っている人間だとしても、一生なにも関係性は発生しないという安心感を持てるだろうか。
いま現時点でとなりにいる時点で因縁を感じざるを得ないしなんらかの問題が発生することを危惧されないだろうか。
そうなったとき、見た目やファッション、そしてタトゥー、入れ墨が個人の発言などに影響を及ぼしてくると想像される。
「おまえの一番愛するものに名前をきざんでもいないやつがそれ本当に大事といえるの?ちょっと貸してくれや」と交渉をされたとき
「命を賭してまもると決めてますんで」といえるだろうか。そしてまもるための最終手段を持っているだろうか。
持っていないという不安につけこんで、最大限安全な退路の選択をさせられ不利益を与えられる可能性が危惧されないだろうか。
「されない、どんな暴力にも屈さないし9条が守ってくれる」というならそれで守れるだろう。
しかし、実際ここで殴られた、引きはがされた、もっていかれたを解決できないかもしれないという不安が一瞬よぎったら、そこにあらゆる1番が押し掛けてくる。
たたみこんでくるように準備されているものと、突発的に不安な事象と遭遇する一般人、これで平等な交渉がなされるだろうかといえば不安ではないか。
だからタトゥー、入れ墨はダメなんだ、という現状はある。しかし私も完全否定はではないし、好みで選択すればとは思う。
それについてはその不平等な交渉の発生のために自分を飾るということが無ければという前提のもとにだ。
メメント、などである。忘れてしまうから体に刻んだなどである。
先般のりゅうちぇるについても、親が龍を背負っていたから自分はどうなった、というわけでもなく、龍をせおった父親はほかの父親の息子に対する愛よりふかかったのか、といえるわけではないはずである。
入れ墨をいれていない父親はよわいのでくじけておれるだろうが、芸能人になれた僕の父親はドラゴンの入れ墨をしていた、と言えるのか。
どうしてパパは僕を応援するために入れ墨をしてくれないの?などと子供が言い出したりするような言い回しでなければ、だ。
パパは弱くて忘れっぽいので、みんなとずっと一緒であることを忘れないために刻んだんだ、といえば、私も同情の念を抱かざるを得ない。
https://twitter.com/Miyki_Ono/status/1032259138384887813
まさにこれ、強くてパワーがあるのを嫉妬してるんでしょ、一番が怖いんでしょ、うらやましいんでしょ、という輩がでてくる。
こういった威力を感じて有用性を感じる人間が、ただ自分が満足するために体にほった名前ではない、人にみせて何かに使うため、少なくとも羨望や嫉妬を招くためにしているという前提を持つことが問題である。
それを交渉につかう、少なくとも現在SNSで自己の優位性主張のために利用しているという、この利用のために使われるべきものではないという事である。
それを使うから否定され敬遠さえるという事自体に気が付くべきだ。
個人の思いれだけの話である、という相互理解で入れ墨を見て、ほんとに守るべきと感じたならだれでも最終手段を持ち出せる、それが自由と平等の立場である、という環境だからこそ広くタトゥー、入れ墨が公に一般化している社会もある。
いまの日本では、より強い主張というものがあり、より多くの人間が威力としてあるぞという主張のために使われたり、それを手段として準備をするという優位性を感じて満足しようとする部分がある。
その差別性についての精神に、差別を指摘され差別されるべきところではある。結果として人には差があるという主張にブーメランで差別をされるべきという平等性がある。
なぜなら個人が暴力によって解決をするという手段がもとより否定されはく奪されているからである。銃や武器の携行の否定、復讐や実被害未然の防衛のための無力化攻撃の否定などである。
日本でタトゥー、入れ墨するなら、自分が弱いからという主張か、絶対に見せないという前提がなければむつかしいという現状くらいはわかったうえで
それでもなお入れざるを得ないという状況に自分が差し迫っているということでもなければ主張はできないだろう。
タトゥー、入れ墨をしているほかの人間もみな平等に自分の思いを主張しているわけではない。
隠していたり弱さゆえだったり、知らないところに入れている人間はいるだろう。それらを全員掘り起こして否定したいわけでもない。
主張をするなら、日本では反発をうける、その理由は前述のとおりで、それを超えて受け入れられ主張をしたいのではれば、方法としてなくはない、ということである。
子供になぜパパは一番じゃないの?最高はあらゆる高級品と体に印があって家族を愛してくれてるけど、うちにはなにがあるの?と聞かれて、答えるすべを庶民に残しているかということである。
タレントのりゅうちぇるさんが奥さんと子供の名前のタトゥーを入れたという話に関してまあツイッターでよく議論が起こっているのを見かける
まずはまあ基本的には、タトゥーそのものへの興味は特になかった
まあ、好きにしたらいいんじゃない?
あんまよく知らないけど、そういうので被る不利益とかも込みで入れたんでしょ、多分
でもそれに群がって便乗する奴ら、これがよくわからん
日本でタトゥーが忌避されるのは、元々ヤクザっていう反社会的な団体が入れるもの、ていう認識があるから
要はそういうのは怖い人、アウトローがするものって思ってるからなわけよな
そしたらそれを批判する人は出てくるわけだ
まあその中にも便乗で叩きたいだけの奴らはいるとしても、純粋な気持ちでコメントを打ってるやつらだって多いと思う
それに対して、「日本の同調圧力の悪い例」とか「そもそも日本の教育体制が」とかはちょっと違うだろうに
日本でのタトゥーのイメージを向上させよう!とかならわかるけどまあそうじゃない感じするよね
じゃあ例えば虫が嫌いな人がいるとしよう
それをタレントが自分の趣味として昆虫を生々しく食事する様を動画やらにして日本のネットにあげたら、まあその人はいい思いはしないじゃん
その人が「これは不愉快だなぁ」と反応したとして、外野が「いやこれ南米とかでは基本的な食事ですよ!日本の価値観押し付けないでください!!」とか言う?
多分言うんだろうなそう言う人種は
「昆虫は立派な栄養があるから、そう言うのに寛大になってほしい」と言う気持ちより、「だから日本は!」と言う気持ちのが強い感じで
まあ極端な話ではあるけど、大筋そういうことだと思う
その中には「イメージ」っていう付加価値というか商品価値もあるのは当然でしょ
何か波紋があるようなことすればそれはまあ叩かれたりもするじゃん、それで飯食ってる人たちなんだから
もちろんタレントはそれに怒り返してもいいと思う、そこまでは健全なやりとりだわ
でにどうにも「日本は価値観の狭い悪い国」ということを言いたがる層が一定いるみたいに感じる
もちろん国なんて人の集合体だからいいとこ悪いとこあると思うから、批判であっても意見なら建設的だと思う
でもどうにもただマウントが取りたいだけの人種が多い気がするんだよ、ネットの場合
炎上商法で書いてるならなかなかの策士だとは思うけど…
もし本気で言ってるならそれ結局同じ穴の狢だから、やめたほうがいいと思うよ
だったと仮定して、まずはどちらの性も利益:不利益が5:5になることを目指し、
それ以降は互いの性で共闘してゆくゆくは性別による利益不利益が無い社会にしていこう、
ってのが男女平等の概念だと思うのだけどツイフェミ系は違うんだよな。
これまで女という性別によって得られてきた利益が少しでも目減りすることを極端に嫌うし、
男性が被ってきた不利益に関しては徹底的に見て見ぬ振りするか、「元々そんな不利益存在しない!」
と突っぱねて、性別を超えた相互扶助は頑として行わないんだよな。責任を負わずに権利だけ求める。
女だけの街インフラ整備問題に通底するが、私達は利益だけ享受する!
肉体的にキツイことや辛くて嫌なことは全部男に投げときゃ解決だ!今までの報いだ!と考えてる。
で、仁藤夢乃の電車の話みたいにいざ困った事態になるといけしゃあしゃあと男の庇護を求める。
元増田が創作かどうかはともかく、世間が誤解してるかもしれないことについて書く
https://anond.hatelabo.jp/20180821175309
(1) 最終的な処分の見込み
①少年(ら)が犯行を認めている、②初犯、③被害金額が少額、④家庭環境に重大な問題がなく、身元引受け人がいる、などの典型的なケースの場合、逮捕される可能性は極めて低い。
なので、このような場合、逮捕されて人生が狂う、ということは考えにくい。(※2)
逮捕されない場合、少年は自宅に返され、身柄が自由な状態で警察が捜査をすることになる。
その後、事件が家庭裁判所に送致され、処分の有無等が決まることになる。
このときの結論には、主要なものでいえば、①処分されない、②保護観察処分、③少年院などがある。
結論の内容を決めるのは、犯罪の重大性や少年の家庭環境である。
上記の典型的な例でいえば、まず③少年院ということはなく、①処分されない可能性が高く、されたとしても②保護観察処分だろう。
保護観察は、定期的に保護司のもとに通うなどするもので、少年院と違って身柄を拘束されたりはしない。
以上のように、万引き犯を通報しても、最終的な処分が極めて重いものになるというのは、例外的な場合である。
(後述のように、その例外的な場合においては、重い処分をした方が少年のためになり得る。)
(2) 前歴の扱い
万引き犯が通報されて捜査されたことは、警察に記録され、少年の前歴となる。
もっとも、前歴が就職活動で聞かれることは極めてまれであり、ほかに前歴があることで特に非常に不利益があるということもない。
万引きが発覚しても警察に通報されないと、少年は、犯罪を軽く考え、その後も犯罪を繰り返す可能性がある。
また、少年の心身や家庭環境に重大な問題があり、公的機関の関与が必要なことが、万引き犯の通報で発覚することもある。(※3)
そのような場合において、通報しなかったときには、問題の発覚・手当てが遅れることになっただろう。
また、前述の処分については、教育・心理の専門家が関与して少年の更生に適した処遇を考えることになる。
3 終わりに
少年法は、少年を罰して苦しめる仕組みではなく、少年を更生させ、その未来を明るくするための法律なのだ。
※1 男女は問わない
※2 なお、逮捕される場合は、その後、勾留されるか、観護措置がとられる(鑑別所に入ることになる)か、などの分岐がある。
観護措置までいくと、約1ヶ月、身柄を拘束
されることになるので、それなりに不利益ではある。
もっとも、そこまでいくのは、それなりの事件であり、その不利益を受けても、少年の問題点の発見・改善をした方が良いと言える場合も多い。
※3 極端な例としては、少年の心身の問題点が極めて重大であり、少年院で教育しないと改善できない、という場合がある。
このような場合、問題点を放置し、少年が成人になってから犯罪を犯したとすると、前科がついてしまうため、少年院に入れることが少年のためになり得る。
第1問
1,労働安全衛生法第66条
4,労働基準法第136条
第2問
年次有給休暇を取得した場合支払われるべき賃金として不適当なものはどれか。
1,対象企業の所在する都道府県最低賃金額に所定労働時間を掛けたもの
第3問
年次有給休暇は原則買い上げを行うことが禁止されているが、買上げが許容される場合を記述せよ。
(記述式)
第4問
2,年次有給休暇の取得に際しては人事権を持つものから承諾を受ける必要がある。
4,年次有給休暇は労働者の所定労働日数に比例して付与日数が異なる。
第5問
年次有給休暇について述べた各文について誤っているものはどれか。
1,年次有給休暇を取得するにあたって、皆勤手当が支払われない契約は不利益取扱いに該当し直ちに違法・無効となる。
2,年次有給休暇を、使用者に対する争議行為(ストライキ等)として取得することは拒否されることがある。
3,労働者が退職し、年次有給休暇を退職日までの間全てに請求した場合、時季変更権に基づき退職日以降に年次有給休暇を指定することができない。
4,年次有給休暇を、勤務日当日に請求した場合、拒否されることがある。
こたえ
第1問 3
第2問 1
第3問
時効・退職等の理由により年次有給休暇が消滅することが確実な場合。
第4問 4
3,出勤率が8割を下回る場合、発生しない。
第5問 1
1,沼津交通事件(最一小判平5.6.25)等、年次有給休暇の取得に伴って一部賃金が支払われないことが、それのみを持って公序良俗に反し無効とは言えない旨判示されている。労働基準法第136条には罰則がない。
2,林野庁白石営林署事件(最二小判昭48.3.2)等、争議行為に伴う年次有給休暇の取得は、年次有給休暇の趣旨に反し、賃金請求権が生じない旨判示されている。
3,年次有給休暇は労働契約が存在する限りにおいて発生するものであり、退職後の労働契約が将来に向かって存在しない日に対し、年次有給休暇を指定することはできない(昭和49年1月11日基収第5554号)。
4,年次有給休暇は原則として暦日で判断するため、すでに暦日が開始している時点から請求された場合、使用者は拒否できる(応じてもよい)。
ロシア帝国は失われた領土を回復するのに躍起と言われるがそうではない。もともとロシアが欧米に対して最も憎しみを持つ理由は何か?それは歴史的な事象でなくて現在の国民感情として不利益を被っていることと思われる。つまりIMFのショック療法が大失敗してロシア国内はソ連時代よりがたがた、ソ連時代に合った資本も技術も奪われ中心国に転落したその痛みが今も続いているから対立は続いている、しかもこれがかつての超大国、軍事力は一定以上を保っている。何かしらで報復しないとロシア国民はやっていられない。もちろんその中には自由な人たちもいるが、ソ連時代にそういう気質は不幸にも排除されている…