はてなキーワード: 撤廃論とは
同列に語れる部分もあれば、同列に語れない部分もある。
「語れるか?」という質問には「語れる(余地がある)」と答えるべきだが、「同列に語るべきか?」という質問の答えは文脈による。一般には同列に語るべき場面と、語るべきでない場面があるから。
「小児性愛者と児童虐待者は区別すべきだ」という言説はよく聞くようになった。それ自体は「議論が進んだな」と感じるし、歓迎すべき。ただしそれともう一つ「性交渉の年齢制限撤廃論者」を合わせて三属性を区別すべきだと思う。現実のネットを見ると、「小児性愛者」ではない「性交渉の年齢制限撤廃論者」が大勢いて、彼らがトラブルの中心になっていることが多いように見える。
また、私も含めて「性交渉の年齢制限撤廃」には反対の人は多いだろうが、とは言え「児童虐待者」ともやはり区別して批判しなければならない。「弱い子供を思い通りにしたいだけだろう」というのは低俗なレッテル貼りだし、彼らもそんな理由で年齢制限を撤廃したいわけじゃないことはみんな本当は分かっているだろう。「そんなつもりがなくても、相手を傷つけることはある」という現実の問題を論じなければならない。
治療を強制的に受けさせることは深刻な人権侵害になり得るので、例え犯罪者であったとしても慎重にならなければならない。本人が望んだ時に治療が受けられる環境が整うことは良いことだと思う。ただし、「小児性愛」を病名として治療を受けるのではなく、一般的な「性依存症」の文脈で、「小児性愛者の場合はどう治療すべきか?」という方法論で語るべきだと思う。これなら「異性愛者の場合は?同性愛者の場合は?」と平等な扱いだと言えるだろう。
内心の自由に踏み込むことがあったらこの国は終わりだろう。そんなところに主題はなくて、児童を性的に見ていることを「公言する」ことは、どこまで許されるのか?
「私はあなたを性的に見ています」と直接告げることは、性別も年齢も関係なくセクハラだろう。なぜなら、それは自分の問題に相手を強制的に巻き込み、プライバシーの領域を侵犯しているから。
セクハラを批判する時にセクシャリティは関係ない。セクシャルマイノリティーだろうがなんだろうが批判されるべきだろう。それと同時に、批判の中で相手のセクシャリティを侮辱するようなことがあってはならない。これらはすべて小児性愛にも適用される。
一方で、「私は小児性愛者です」と公言することは許されるべきだろう。この言葉はあくまで自分自身のセクシャリティの問題として語っており、誰かのプライバシーの領域を侵犯したと言うのは無理がある。
温泉やプールでタトゥー禁止。差別だっていう意見も結構あって驚いてる。
日本の事情を知らない外国人ならまだしも、日本に住んでて子供の頃に温泉やプール行ったことない
わけじゃないだろ? その時看板に「入れ墨お断りです」みたいなの見なかったのか?
で大きくなってそれを承知の上で「それでも」って覚悟でタトゥーを入れたんじゃないの?
そういう日常のデメリットを承知した上で俺はこのファッションを貫くという生き様だとして
入れてるもんだとばかり思ってたよ。そもそも入れ墨お断りが差別だって話もあるけど、
しょうがねぇだろ差別するなって言ったって入れ墨=ヤクザの印象が古来から根強いんだから。無理だよ。
緊張するじゃん。なんで温泉でリラックスしたいのに緊張しなきゃなんないんだ?
お断りにしなくしても差別撤廃論者のお前らが満足するだけで店の客足が遠のいても
誰も責任取らないだろ? 差別云々が盛んになってるからみんな文句は言わんかもしれんけど、
普通に考えてそっと違う店行くわな。仮にクレームが入った時、対応するのは誰だ?店員だろ。
店員はアルバイトとか多いよな。お前らコンビニ店員とか飲食店の店員が過剰なサービスを求められる
事には憤るのに、温泉やプールの従業員に無駄な負担が行くのには目を背けるのか?
それなりの代償が伴うと承知して自分の意思で入れたんだから、それに伴う不利益は
ちゃんと受け入れろよ。他社に理解しろとか対応しろって言うのはただの我儘だよ。
差別っていうのは自分じゃ変えられないどうしようもないものに対してだけ言いなよ。