ハラスメントだのLGBTだのファミだの逆差別だの、全部権力闘争なのにな、と思って。
結局のところ、権力闘争だ。
より権力を持つ者、上司とか、性的ノーマルとか、男とか、女性専用車両に乗ってる女とかがいる。それが気に入らないから、権力弱者に「ハラスメント」みたいな概念武装を持たせてパワーバランスを取る。パワーバランスの変化に気づかない鈍感な元権力者は、立場を勘違いしてハラスメント行為を行い、概念武装で殴られて死んでいく。
ポリコレ棒、とかいう言葉発明したヤツは、マジで見る目とセンスがある。ポリコレなんて、弱者が強者を殴るために発明された概念武装そのものだ。他人を殴らないポリコレなんて、切れない剣より意味がない。
この権力闘争を推し進めると、平等で誰もが幸福な社会が来るのか? いいや、そうは思わない。俺たちに身につくのは、平等主義ではなく、銃弾飛び交う権力の戦場でどうにか生き残る術だろう。
セクハラをしないのは、女性を尊重するからではなく、戦場で死なないためである。彼はセクハラをしないとしても、我が身を犠牲にして女性を——権力闘争の敵を——救うこともまたあるまい。友が不用意にも銃弾に倒れれば、あるいは無能な味方のミスで自身の不利益が起これば、ハラスメントコードなんか吹き飛ぶ。隠蔽ぐらいするさ。我が身が大事だ。友を見捨てて被害を最小限にするような、戦場のリアリズムが身についてるヤツばかりじゃない。早稲田大で起こったのはそれだ。死に値する無能だったが、人間らしい行動だった。
かような権力闘争の渦中にあって、我が子に平等主義を教え込むような者どもは愚かである。世界は平等ではない。平等を求める社会運動の行き着く先ですら平等ではない。我が子には、権力闘争の渦中で生き残る力こそを与えよ。自分の不利益にNOを言える精神を、暴力を振るわれたら殴り返せる筋肉を、他者の信頼を得るためのリスペクトの言葉を、なによりそれらを自分のために使うための勝負勘を。
ネオリベとか自己責任論とかいう思想は、社会全体の衰退をもたらすという意味では間違っているが、個人が持つべき現状認識としては完全に正しい。ポリコレ棒で概念武装した者共は、権力闘争の自由化を今後ますます推し進めるだろう。大岡越前が絶対な権力で闘争を調停してくれる世界は、もう来ない。
それにつけても、クッソくだらない。
ポリコレ棒を持った者共には、権力闘争をしている自覚すらない。平等と呼ばれるパワーバランスの実現と引き換えに、社会全てを戦場にした自覚がない。
その自覚の無さは、いつかより強い権力が現れた時に、致命的な被害を生むだろう。……ああいや、もう産んだか。安倍なりトランプなりが、より強い権力だ。
サケのハラス食べたい