はてなキーワード: 一部の人とは
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200723/k10012529731000.html
一部の人たちにとっては、予想通りって感じ?
東京の新たな感染者は238万人ではなく、238人。先週290人を超えていた日があったので、「238人くらいたいしたことない」と思うかもしれない。そういう時は、曜日別に新型コロナウイルス新規感染者数を見た方がいい。水曜日に238人は、先週比で約1.4倍。明日400人になったとしても不思議ではない数字。 pic.twitter.com/f6ftqWv90L— zapa (@zapa) July 22, 2020
緑の線が日本ですが前回のピークを軽々と超えようとしています。今回は行動規制がないどころか、Go Toでウィルス拡散促進をしようとしてますので止まりませんよ。これあと5倍加(32倍)のあいだこのままだとアメリカ並みになります。5週間から7週間ですね。そうなると何やっても抑えられなくなります。 pic.twitter.com/GZi5lizILJ— nagaya (@nagaya2013) July 20, 2020
(参考:今日7/20の東京の感染者数は168人で,「200人を下回るのは、19日に続いて2日連続」と報じられていますが,6/1から7/20までの東京のデータは,倍加日数約10日の指数関数に,周期7日の振動成分を重ねると,ほぼフィットできるんです) pic.twitter.com/DqCcts615n— ryugo hayano (@hayano) July 20, 2020
就寝体制に入ろうと思っていたのにブクマを見ていたら無理になってきた。
きっかけとしては小学校の集団検診の話なんだが、まともな意見もある中に「女医が少ないのが問題」みたいな意見が散見されるのがつら。
女医だっておかしいひとは一定いますし。なんなら男性程社会的抑止力が働かない分、自分のやっているグロテスクさに気づかないことだってありますし。ジャニーズとかのアイドルビジネスだってそうでしょう。未成年の性的搾取でしょう。女の子は性商売にならないよう意識されるけれど、男の子の扱いはまだ雑なままで。他人から性的な魅力を見いだされるのは恐怖だって、知っているはずの人さえも、こんな、ひどい。
自分は職業倫理というのが大事なものだと思っているし、医師になるまでの投資を性的欲求で台無しにできると思えないので、男性医師も女性医師も矩を踰えてしまうのはごく一部の人だと思う。どんなに犠牲にするものがあったって抑えられない人は居るが、それって人口の内の数パーセントですよね…。そして抑えられなりそうになったときの抑止力としては日本の同調圧力は良い方向に機能しますよね…。
女性だからってなんなの。男性だからってなんなの。そういう単純で安易な結論を選ぶことが誰の何を傷つけているのか、本当に無思慮な人が多くて辛い。
「新機動戦記ガンダムW」という作品がある
1995年から1996年まで放送された、従来の「宇宙世紀」の世界観を一新し新たな世界観を構築・定着させた「機動武闘伝Gガンダム」に続く、まったく新たな視点から《ガンダムワールド》を描く新世代ガンダムの二作目である
人類がコロニーに住むようになって百数十年。地球を巣立った人類は、宇宙コロニーでの生活に新たな希望を求めていた。しかし、《地球圏統一連合》は宇宙での権益を確保するため、非武装を解く指導者を暗殺。正義と平和の名の下に、圧倒的な軍事力をもって各コロニーを制圧していった。アフターコロニー195年。作戦名オペレーション・メテオ。連合に反目する一部のコロニー居住者たちは、流星に偽装した新兵器を地球に送り込む行動に出た。それは、五体の最新型モビルスーツ「ガンダム」。そして、それらを操る五人の少年…戦闘のプロフェッショナル…彼らこそが、コロニーから送り込まれたエージェントだった。というあらすじだけど、Gに負けず劣らずこちらも非常に斬新だと思う。
僕はこの作品の存在を視聴する前から知っていた。ゲーム作品によく登場していたからだ。ガンダムWは放送中は勿論の事、放送が終わってからも非常に高い人気を誇り、長い間ロボットが登場するゲームには引っ張りだこだった。
そこで僕はこのガンダムWという作品に一目惚れをした。「こんなに美しいロボットが居るのか!?こんなに主題歌がカッコいいのか!?このヒイロって主人公クールすぎるだろ!」ともう好きになる要素しか無かった。何もかも好みだった。
厳密に言えばその作品は「Endless Waltz」というWの続編だったけど、事情をよく知らない僕はこういうサブタイトルなんだろうなと勘違いしていた。「ビーストウォーズ」の「超生命体トランスフォーマー」のような副題だと思っていた。
ガンダムシリーズを取り扱ったゲーム作品において、このガンダムWの人気の絶大だった。どの作品にも五人の少年と五機のガンダム達は登場していた。その中にTV版を取り扱った物もあったので、そこでやっと僕は勘違いに気付いた。
ガンダムWの主題歌はどれもカッコ良かった。「JUST COMMUNICATION」も、「RHYTHM EMOTION」も、「WHITE REFLECTION」も、そして「LAST IMPRESSION」も。原曲の良さがゲームのアレンジ曲から伝わってきた。
そして、本編もカッコ良かった。「お前を殺す」「死ぬほど痛いぞ」などWを視聴する前から知っていた有名な台詞を実際に聞く事が出来た。「50階建てのビルから飛び降りても骨折するだけで死なない」「骨折を自力で治す」「鉄格子を素手で握り潰す」などあまりにも有名な主人公ヒイロの逸話も全て真実だった。まさかGガンダムの後とはいえガンダムでこんな事を出来るキャラクター達が登場するとは。宇宙世紀の強化人間でもここまで人間離れしてない気がする。
Wといえばカトキハジメ氏が手掛けた数々のMSも忘れられない。古くからのガンダムファンの中には「GとWはガンダムとして認められない」と否定的な人間も昔は少なからず居たらしい。そんな人でもMS「トールギス」のデザインに関しては唸らずにいられなかったそうな。デュアルアイや特徴的なV字アンテナなど所謂「ガンダム」的な記号は無いのに、あれほどまでにヒロイックな印象を放つMSはそう無いと僕も思う。非ガンダムライバル機の頂点の一つではないだろうか。
ゲーム作品ではあまり出番の無いヒロイン「リリーナ・ドーリアン」の動向も気になった。序盤で父親を殺された彼女は父を殺した犯人への復讐を目論んだり、物心付く前に生き別れた兄と再会したり、とある王国の王女として国家再興のため学園を経営する事になったり、その国が攻められ再び滅びたと思ったら今度は世界国家の元首に祭り上げられた後すぐに辞めさせられたり。MSにも乗らないというのに何と波乱万丈な人生だろう。Wって4クールの話なのに。
設定記録集に抜粋された放送開始前の企画書によると「新機動戦記ガンダムW」という番組の最大の特色は、息をもつかせぬドラマ展開らしい。確かに、主人公達の立ち位置も倒すべき相手も次々に移り変わるガンダムWという作品は非常に目まぐるしくスピーディーな展開だった。勢力図の複雑さは歴代ガンダムNO.1と言っても良いと思う。Zガンダムにも同じ事が言えるけど、一度見ただけでストーリーを把握出来た人はきっと居ないんじゃないだろうか…?
物語の終盤、遂にコロニー側革命軍ホワイトファングと地球側世界統一国家軍は激突する。ガンダムのパイロット達は、どちらにも与さず双方を否定した。未来とは強者の支配によって訪れる物ではない、自分達の手で掴む物だと。
このガンダムWの終盤の展開は本当に熱い。それまで世界各地で戦っていたガンダムのパイロット達が、遂に5人全員肩を並べて戦うのだ。全49話のアニメでチームが結成されたのが44話目だと言うのだから堪らない。待ちかねたぞ、ガンダム!後期OPもラスト10話でようやく解禁された!その後期OPの映像が完成したのは何とラスト2話!最終回のTVシリーズとは思えない超絶作画といいガンダムWという作品のクライマックスは最高に面白かった!!傑作だ!
そしてこの「新機動戦記ガンダムW」という作品は前述したように非常に人気が高かった。宇宙世紀でない所謂「アナザーガンダム」であったにも拘らず翌年にはOVAが製作され、後にOVAを一本に纏めた劇場版も公開された。
僕はTV版を見終えた後すぐにこのOVA作品「Endless Waltz」を見た。この作品に僕が初めて「ガンダムW」の存在を知った時から恋い焦がれていた。ここまで長かった。そして…冒頭の戦闘シーンから度肝を抜かれてしまった。
「何だこの超絶作画は!?量産機の動きがTV版と全然違う!しかもこのMSの描き込み!!あ、ガンダムのデザインもEW版になってる!スゲー!!」とTV版から圧倒的に向上したOVAクオリティにもうテンションが上がった。
舞台はTVシリーズから1年後。地球と宇宙の戦いが終わり平和になった世界で突如何者かに誘拐されたリリーナを連れ戻すために、世間はクリスマスだというのにヒイロ達がまた働くはめになるという内容だった。いかにも続編物らしい。
何と言っても超絶美麗な作画が特徴で、90年代OVA作品としては「ガンダム0083」や「マクロスプラス」と同じくセル画ロボットアニメの極致の一つだと言えるかもしれない。その美麗な作画でカトキハジメ氏が新たにデザインを描き下ろしたガンダム達が戦う。この所謂「EW版」の機体はガンダムファンから絶大な人気を得ており、一時ガンダムWのガンダムといえばこの「EW版」を指す事もあった。現在でも定期的に新商品が出続けている。何という人気だろうか。
Endless Waltzでは最終的に『平和と自由』を自らの手で掴み取るために立ち上がる民衆の姿が描かれる。弱者たちの代弁者として戦っていたガンダムのパイロットは役割を終え愛機を爆破した。彼らは自分の道を歩いていった。
こうして、ガンダムWというお話は綺麗に終わった。TV版で完全平和への道を模索し様々な人達が戦った。EW版でその平和を維持するためには一部の人間が戦うだけでは駄目なのだと民衆が立ち上がり声をあげる姿が描かれた。
TV版では描き切れなかった問題とその解決までを描いた見事な続編だと思う。「Endless Waltz」の数十年後の世界を描いた「Frozen Teardrop」という作品もあってこちらでも何らかの事件は起きているらしいが、僕は恒久平和の実現は非常に難しいと考えているのでそういう続編があっても良いと思う。まだ最初の方しか読んでいないけど結構自分好みだったので僕は好きだ。古くからのガンダムWファンにはあまり評判が良くないなので人には薦めないけど…。
この「新機動戦記ガンダムW」という作品は非常に個性的で面白い。キャラクターのエキセントリックな言動や行動からギャグアニメという人も居るけど、平和と戦いについてキャラが哲学を続ける内容は硬派である、と高い人気がある。
ここからが本題なんだけど…実は「ガンダムW」という作品の結末は企画当初に予定されていた物から変更されたらしい。これは「ガンダム」に限らずどんな作品で起こりうる事なので悪い事ではない。変更した結果面白くなる事も多い。
TVアニメではラストに亡き父と同じ外務次官の任についたリリーナがヒイロから贈られた手紙とぬいぐるみを発見し、その手紙をヒイロの前で破り捨る所で話が終わる。1話でヒイロはリリーナからの手紙を破り捨てたのでお相子だろうか。
一方小説版とコミックボンボンでときた洸一先生が連載していた漫画版では微妙に異なる結末が描かれる。TV版ではヒイロ達5人の少年の顛末は描かれずその後幾つかの外伝を経て「Endless Waltz」に繋がるのだが、この二作ではヒイロ達は火星地球化計画に参加し開拓者として火星へ向かう事となる。ガンダムWで火星が舞台となるのは「Frozen Teardrop」なので、大分先取りしている事になる。というよりEWが無ければ即FTが始まるのだろうか。
これは完全に僕個人の好みなので良い悪いの話ではないけど、僕はTV版のラストより小説版やボンボン版で採用された企画当初に考えられていた終わり方の方が好きだ。ガンダムWという作品でTV版だけでは「ヒイロ達はこの戦いの後何をするんだろう?」という疑問が残るけど、当初の構想では彼らは火星に赴くと断言されている。また小説版でヒイロは《戦いしか知らない俺たちは今の世界にはすぐには適応できないだろう。俺は戦いの中に身を置く事に慣れきってしまったのかもしれない。赤い惑星には俺たちの戦いが待っている。俺は再び戦いの中に身を投じるつもりだ。だが、今度の戦いは死への戦いではない。生きるための戦いだ。俺は必ず生きてみせる》と語っている。幼い頃からエージェントとして戦闘訓練を受けてきた彼らが日常生活にすぐ適応できるかは分からない。実際で「Endless Waltz」においてガンダムのパイロットの一人であった「張五飛」は平和な世界で無用な存在であると切り捨てられた兵士のために立ち上がり、自らが「悪」になる覚悟でヒイロ達と戦った。ベトナム戦争でPTSDを負いどうしても平和な生活に馴染めなかった「ランボー」のような兵士がきっとあの世界にも沢山居たんだと思う。ヒイロも、トラウマに苦しめられていた。
僕がこの終わり方が好きなのはヒイロ達の戦いがまだまだ続く所にもあると思う。ヒイロはTV版で《地球圏統一連合》を裏から操る秘密結社「OZ」の企みにより地球と宇宙の和平を望む平和論者であり連合軍最高司令官でもある《ノベンタ元帥》を殺害してしまう。ヒイロは己の犯した過ちの審判を仰ぐため、元帥の一族すべてに面会する旅に出る。己の罪を告白した後相手に拳銃を手渡し「ご家族の怒りと無念だった元帥の魂が引き金で静まる事」を願う。
ノベンタ元帥の孫娘・シルビアは「こんな事させて自分だけ楽になろうなんて!!卑怯だわ!」とヒイロに怒る。僕も少しそう思う。僕は続編でヒイロが生きている事を知っているので、彼が元帥のご遺族に殺されない事を知っている。
「命なんて安いものだ。特にオレのはな…」という台詞にあるように、ヒイロ・ユイという主人公はとても自分の命を安く見ている。1話で民間人に顔を見られて早速自害しようとしたが死ねなかった。2話でも機密保持のために自殺じみた行為を行ったが死ねなかった。3話では飛び降り自殺を図ったが死ねなかった。10話ではガンダムをOZに渡さないために機体を自爆させたが死ねなかった。物語の序盤でこれだけ自殺を図った主人公は他に絶望先生くらいだろうか。
そんな死にたがりの彼にいきなり拳銃を手渡されて「貴方のご家族を私が殺しました。許せなければ撃ってください」と言われても大半の人は困惑すると思う。怒った相手に殺されたとしても死にたいヒイロからすれば願ったりだろうし。
そのヒイロが、最終回でついに「俺は死なないっ!!」と生きる意思を見せるシーンは感動だ。これまで手にかけた相手の事で内心ずっと悔やんでいたヒイロが、EWの終盤戦いを終え「オレはもう誰も殺さない…」と呟くシーンも良い!
つまり自分の行いを悔やんでいるヒイロには、火星開拓への従事という初期の終わり方は前向きな贖罪になったんじゃないだろうか?と僕は思うんだけど…その終わり方だと「Endless Waltz」という作品は生まれなかったろうな…。
続編の製作が決まる事で現在進行中の物語の結末が変わる事はきっとよくあるんだろうけど、それはつまりその作品の続編が生まれるという事だから良い事だ!と僕は思う。ガンダムW、今年で放送終了25周年らしいです!
まさかとは思いますが、この「ちゃんとした女」とは、あなたの想像上の存在に過ぎないのではないでしょうか。
とにかく、増田も円滑なコミュニケーションのための努力(これは自分の身を置く環境選びも含む)を放棄してるわりに、自分を理解しない「ちゃんとした女」はクソ、と責任転嫁するミソジニームーブをやめろ。
クソだとしてもそれは増田が付き合ってきた一部の人間がクソなだけだ。(思い込みも入ってそうだけど)
いいか? 定義が曖昧な言葉と人類の半分が当てはまる属性を組み合わせたクソデカ主語を使うのを、今すぐに、やめろ。
色に流行りとかあるんですか? なんて聞けるわけないです。相手は当たり前のように流行色を知ってると思って話を続けているんですから。
いや聞けよ。「心の読みすぎ」ムーブすぎる(認知の歪みの一種だ)
コスメファッションに詳しい美人でオタクな友達(そういう人間も実在する)はわからん…と聞いたら丁寧に教えてくれたぞ。
化粧しないのも肌質の問題や、昨今のことですしマスクの都合もあるでしょう。してなくたって誰に迷惑がかかるのか。というかオンライン環境らしいですし、自室でメイクとかめちゃくちゃめんどくさいですよ。着替えてるだけで偉くないですか。
と、私は思ったのですが
思うだけじゃくてそれを言えよ。今って多様性の時代だしそういうのもありなんじゃない〜?とかいろいろあるだろ…。相手もなにか気づきを得るかもしれないだろ…。
増田が言っても相手は理解しないと、想像でなく実体験の上で諦めてるとするなら、いつまでそんな自分と合わない地獄に好んで身を置くつもりなんだよ…。マゾなの?
コスメが好きな女もソシャゲ大好きな女も「明示されていないが社会に蔓延しているルール」に従う女も、全部いていいんだよ。個人的に「ルール」は嫌いだけどな。ルールを変えるまでの力がないなら、その場所から去るか、口を閉じたままでいるか、相手との対話を諦めずに続けることしかできないだろ。
結婚したら?
大手企業のサラリーマン社長だって一部の人に知られているかどうかだし
昭和中期までの文筆家なんて文豪と呼ばれるレベルの人しか本として残ってないし
この増田の言うことはおおむね正しい。ただ一つだけ付け加えるとすれば、「社会的に犯罪(誤り)とされる行為が作品の中できちんと犯罪(誤り)として描かれていれば……」という条件が付くかな。それがあれば、読者の倫理規範は混乱しない、と一般に言われている。従って、特定の犯罪行為の描写があっても、それ自体で作品としてNGではない……それは、多くの推理小説やミステリー等を見れば分かるとおりだ。あるいは俗にピカレスクロマン(悪漢小説)と言われるジャンルも、特定の悪を肯定的に描いている部分はあるが、作中で彼らが完全に肯定されることは少ない(というか作中でそれが諸手を挙げて全肯定されていたらそれはもはやピカレスクロマンではなくホラーSFの世界になってしまう。)
だが、そういう描写が作中でごく自然に「当たり前の常識」のように描かれていれば、それはかなり危険であり、倫理観が崩壊とまでいかなくても混乱したり悪影響を及ぼしたりする可能性はある。たとえばとある新興宗教の教祖の本とか、(左翼的には)ウヨくん御用達の漫画とか、(右翼的には)一部の左翼思想書とかが、そういうものだ。それらがどんな影響を及ぼしているかも現実社会を見れば分かるとおりで、本来ポリティカルにNGであり規制すべきなのはそういう作物の方なのだが、それを規制するとなると、表現の自由との関係でかなり線引きが難しいし、規制したことの影響がどう出るかも判断しづらい。たとえば宗教を奇妙に社会から排除した日本で、むしろ根強く怪しい新興宗教が山ほど誕生したり、「我が闘争」を禁書にしたドイツでネオナチが台頭したり、つまり社会的に「免疫のない状態」を作り出してしまうこともまた危険なのだ、と言えば分かるだろうか。
私はこの手のものは、人間の脳のOSに対するウィルスのようなものだと思っている。人間の脳OSには陥りやすい誤りの傾向があって、そういった作品はそのセキュリティホールを利用して、プログラムの挙動に悪影響を与えたりするのだ。ウィルスが、改変しがたい人間の人間性を基盤としている以上、ウィルスを根絶することは不可能だ。従って、適切なワクチンプログラムを接種したり、それがどのような影響を与えているかをリアルタイムで監視する機構が必須であって、根絶できなくても社会的に大きな悪影響を及ぼす前に制止する、という対処方法が必要なのだろうと思う。前者に当たるのが一部の「悪書」であり、後者に当たるのがこういったネット上の議論であるとかメディアの役割とかなのだろう(後者を一部の人間/権力のみに委ねるのはおすすめしない)。だから、現状のように、規制について活発に議論が行われつつ、悪書もそれなりに流通している、という状態はもっとも健全な状態であるように感じている。そのどちらかが欠けると、とても危険な兆候のように思われるのだ。
はてなではすでにひとまわりして、もういいや、他の炎上で遊ぼうって感じになって、やっとワイドショーなんかで「今ネットで話題の・・・!」みたいに取り上げてコメンテーターが一言いって仕事した、というもうすっかり擦られた話題だけども。
あの時分は、スーパーで「時間で割引になる表示のタイミングが悪く、告知がおざなりだから損した。店の態度としてもっとビビットに告知すべきである」と延々と店員を説教して、聞き流されてさらに激怒ループしている人を見ていたので、「まあ、あるあるだなー」と感じていた。
で、同時に感じていたのは、「高齢男性は社会の害悪」とか「ポテサラみたなものでも毎日作るの大変だよー」とか「一部の人の意見を気にしちゃダメー」とか、そっちの方面の意見ではなく、「おれ、こういうポテサラや惣菜の値引きの値段表示で激怒して人に延々説教するような事にならんように気をつけないといかんな」という事だった。
自粛期間で在宅勤務が始まってからというもの、コロナ関連の Be Careful モードに多少ストレスはあるものの、会話にまつわるストレスは非常に激減した。
「コレ言っちゃいかんな」とブレーキをかけるのは、脳の重要な働きだが、そもそもそれを言わねばならぬと感じるイベントに出会う頻度が結構減った。
反対に「今コレを言わねば」という機会も、そしてそれがコントロールできない瞬間にくるので即座に対応する機会も減った。
とてもリラックスできているのだが、その反面、時々、詳細な説明をする場合などに「うまく言い切れてないな」とか、「今、安易な説明に逃げようとしたな」とか、言語能力の弛緩を感じる。
それに「あー、やるべきことはあるけどやりたくないなー」とだらっとする時間もしばしばある。
調子のいいときは「やるべきことはっきりしてるなら、この時間はすぐ破棄して構わない無駄な時間だな。雑なとりあえずの手付でもこの時間よりマシだ」とまずは立ち上がるところだ。
これは少し意識して動いていかないと、頭がぼんやりしてしまうかもしれない、行き着く先はポテサラだのスーパーの値段表示だのにド説教をかました挙句、「自分は正しいことを言っている、何が悪い」とループするあの感じだ。
「パソコンパーツやプログラムに人権を認めろ」なんて話してねえよ。
細かいところは考え違うけど分かるわー。
代わりにというか自分は結果には文句言わん。増税も年寄り優遇も別に自分だけ割食ってるわけじゃないし別に良いわ。既得権益関係は一部の人ずるいってちょっとは思うけど、その立場にいないことを選んでるの自分だししょうがないわ。しかもその人たちにとっては重要なんだから組織票作っててもずるいとも思わん。選挙って要は多数決なんだから、組織票作るほど同じ考えの人がいるなら認めてあげないとね。
選挙行くとしたら選挙次第で徴兵される/されないが変わるときくらいかな。それすらも現状公約がなんの意味も無いんだから行くか分からんが。公約が名実ともに守られるものになるなら行くかも知れん。
逆に選挙行ったのに結果に文句言う人たちがよく分からない。選挙にやる気ある人たち(=興味ない人よりきっと正しい選択ができる人たち)が投票した結果なんだから興味ない人も含めて投票した結果より良い結果のはずでしょ?政治に興味のない人たちの浮動票で結果変わっても悪化しかせんでしょ。そう言う人たちが政治に文句言うほどに選挙って意味ないんだなって思う。自分の味方を増やすために例えば若者に向けて「政治に興味持とう!(そして若者に有利な政治を求めよう)」って言うのはまだ分かるけど。
簡単にまとめると「甘いものには基本的に、甘いもの好きな人が寄り付く」って話
その時に流行りのジャンルや有名ジャンルが、問題起こしたり頻繁に学級会をしていると
「またあの界隈か」「あのジャンル民度低い、問題ばっかり起こしてる」
なんて話題が必ずと言っていいほど飛び込んでくる。
そしてそれに対し
って反論が付いてくるのがセット。
確かに問題を起こしたのは一部の人で、そういう人はきっと別のジャンルに行っても同じようなことするんだと思う。
ただ思うのだ。
『そういう人を引き寄せる蜜をまとってるジャンル』というのは、事実あるのではないか。
例えば、自分が今いるジャンルはソシャゲの一般ジャンルではあるけど、
ジャンル元が子供っぽい世界観のせいか、界隈もキッズ的なユーザーが目立つ。
ファンアートとかも、児童向けアニメのEDで「ますだくん 5さい」みたいな空気が全体的にある。
女性向けなんかは同調圧力が強いというか、グループを大事にするせいか、
原作が対立してバチバチしてると、界隈の中でも対立してバチバチしてるし、
原作が高尚なこと言ってると、界隈の人も意識高い系の空気が強いし、
原作が頭空っぽなノリだと、界隈も頭空っぽのノリだったりする。
そして大体その人達が通ってきたジャンルって、上げてみると横繋ぎな感じで被ってる。
自分に合わないものって、大抵の人は興味持たないよね。感性が合わないから。
「それをおかしいと思わない、好きだと思う」から支持するんだよね。
特にここ近年、"支持するジャンルは自分のアクセサリーの一部"みたいな風潮が強めだし。
外から見てると「そのジャンル担いでて大丈夫?」って作品も結構ある。
「問題起こす一部が悪い」と言ったって、それは「そういうタイプの人が寄ってきてるからじゃないの」って思う。
人口が増えればその分変な人の割合も増えるっていうのは確かだけど、
問題が起きた時に「個人」じゃなくて「全体」を見られてしまうっていうのは
普段から「界隈」で見られてしまう"何かの要因"があるからでないのか。
自分はパニック系作品(とくに人類滅亡系の災害もの)を好物とする面倒な奴だ。東京マグニチュード8.0以来の日本アニメ×ディザスターものということで期待して見た。ネタバレありでつらつらと書いていく。
2020年の価値観や文化をもとに日本沈没というIfを描いている点は斬新であり面白い。だが一方で肝心の自然災害、多くの人々が絶命するような状況がカットされていて、パニック系作品としての魅力は失われている。また英語字幕や音声を用意しながら海外視聴者の理解難度を上げるような表現を繰り広げながら、中盤では海外視聴者に受けそうな宗教要素、銃撃戦、日本刀などの描写を持ち出すなど、ちぐはぐな印象を受けた。またもしこの作品を「常識の範疇を超えた大災害に対し、家族が立ち向かっていく」もしくは「それでも前に進んでいく」というテーマで見るとしても、周囲の無関係な人々が絶命する描写はほとんどなく、ほとんど視聴者の想像任せにされているため、何も考えずに見てしまっていては下記のような点が気になってしまう。アニメの表現力に限界があったといえるのかもしれないが、全体を通じて草なぎ版の日本沈没を見直すか、草なぎ版の日本沈没をリマスターするか、シン・ゴジラを見ればいいなあと思ってしまった。例えば草なぎ版の日本沈没は各地の被害をそれぞれの地域に合わせた見せ方をしていて全国で大災害が起きている感はすごく伝わってきたが、こっちはそういうのなかった(セリフでカバーはされてるけどいやセリフじゃなくて描いたの見たかった!!)
など
・朝に書き込みした時点では関係者がいて、他の反応はしていた。にも関わらず、関係者から何も説明が無い。
・人前で説明出来る手順で知り得た情報であれば、その場で説明出来るはず
A: 説明出来ない手順で人の個人情報を入手し、公の場で晒した
B: 適当に誕生日を伝えた (1/365の確率なのに?他の情報も適当?)
どうやってもBは考えられず、Aの理由しか考えられないが違うか?
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Ⅰ : はてなの運営側の人間が、一部の人間に他人の個人情報を勝手に開示した
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人の個人情報を書いた人間が、はてなの運営側から管理者アカウントを借りていた
(個人情報を書き込んだ人間は四六時中書き込んでおり、同じくホッテントリも四六時中更新されている事から可能性はある)
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Ⅱ : はてなのサーバーに、特定の人間を観察するだけの長期期間、不正に第三者が管理者アカウントでログインしていた
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