はてなキーワード: デレマスとは
アニヲタ歴は22年くらい?
私はアニヲタとしては00年代世代で、攻殻機動隊やハルヒが印象的だったんだけど
とは言えあそこでどっぷりハマったのは当時学生だった子達だと思う
90年代、00年代を経験してきたアニヲタ的には多分「なんかバズったね」程度だったのではないかな
・百合
(個人的にTV版は非常に熱狂したんだけど、映画版をまだ積んでると言う程度ではある。見なきゃ・・・)
ただこういう衝撃系作品って類似作品を出しても上手くいかないイメージが有る
実はエヴァもそうなんだよね、20年に1個くらい爆発する感じ?
調べたらアニメ化一発目が2009年夏らしいが、そのブームは2010年代を彩ったと言って良いと思う
実はこれも途中で止まってるので語る資格がないんだけど、ふれないわけにもいかない作品でもある
といってもこれは西尾維新+新房昭之節が極まった作品であって、他のアニメへの影響はほとんどないかもしれない
主人公がひたすら語る作品といえば、ハルヒと物語シリーズが思い浮かぶけど他にあるかな?
そういえば、ネットでの話題性に比べて円盤の売上がかなり高かったのが特徴的だったね
これもオンリーワン系だと思う
大変面白いけどそんな売れると思わなかった系でもある
2010年代は「面白いけどそれマイナー系だよね(ジャンプでやるようなタイプじゃない)」というのが正当に売れた10年だと思う
私の趣味に近づいた感じなんだけど、私みたいな奴が買ってるのかもしれない
2010年代はとにかくクオリティ向上が目についたと思うが、その集大成のように思えた
とんでもなく善良なあたりが現代日本っぽい
昔はもっと「根はいいやつだけどヤンチャ」とか「根はいいやつだけどスケベ」とかそういうのが多かったと思う
本当はアイドルアニメでまとめるべきなんだが私がちゃんと見ていないせいでまとめられない
SHOW BY ROCK!! 2015年(見た)
まだまだある!
・3DCGの強みを最高に活かせる
・スポ根の文脈があるから、いい話にもできるし女子ウケも狙える
私はドルオタではないしライブには興味がなかったが、最先端の3DCGで踊るアイドルには目を奪われたし
それに負けじと手描きで挑むのも面白かったし
というかプリパラで何度か泣いた
何気にこれもいろんな影響を撒き散らしてる気がしてならない
このアニメは声優アイドルの方で影響が強い気がするが、私はそこら辺疎いので語れない
個人的には「森脇監督+ふでやすかずゆき」という最狂タッグがプリパラという女児アニメでミルキィホームズを再現したのが衝撃だった
ちなみにふでやすかずゆきはゴチうさもやってたりする
ふでやす脚本回ではコメントで「ふでやすwww」と草をはやしている(これは私だけではない)
2010年代は3DCGアニメーションが普通に放送される時代となった
ようやくと言う感じ
3DCGを省力化のためにつかうというよりは、表現の幅を増やすために使っていたのが印象的だった
楽をすることなど考えておらず、クオリティをがるために戦略的に省力をしているようで、頭が下がる
そもそもアニメ業界全体で、気づかないうちに3DCGが使われているらしい
「誰が」と言う部分を語るとわけわからなくなるので、手法について語ると
一見すると品質の高くないように見える(MMDのような)3Dモデルを使用してアニメを作る手法だ
この手法の強みは何より制作期間の短さにあって、できるだけ少人数でアニメを成立させるならどうするかの局所最適解のように見える
素早く作れることで何度も内部でバージョンアップを重ねることができ、面白さ向上に繋がってると言う話はなるほどと思った
アジャイル開発だ
SNSで考察し合う前提で色々仕掛けておくたつき監督流には唸った
ちなみにけものフレンズは私が2010年代にハマったアニメ5指の中に入ると思う
けいおんが2009年初出、ひだまりスケッチが2007年初出、ゆるゆりが2011年初出らしい
その流れを組んだゆるい百合アニメは明らかに2010年代全盛期だったと思う
2014年にご注文はうさぎですか?が出た前後あたりから、明確にきらら系を意識されるようになったと思う
おおよその雰囲気として
・故に男女間の恋愛話に発展しない
・緩めのギャグ
・落ち着いた雰囲気
みたいなものがあると思う
見ているのは9割くらいが男性で、どうやら癒やしを求めているらしい
かくいう私も難民だけど
・ご注文はうさぎですか?(2014年)
実際にはこの3倍位の数にはなる
女だらけのアニメと聞くと、普通はお色気路線だと思うだろうが、それだけじゃ説明がつかないアニメがちらほら出ている
こういうのを並べてみて気づくのは、大抵何か趣味や地域の紹介アニメであることが多いと思う
たまたまかもしれないけど
これだけポリコレが極まった2010年代において、真正面からロリコンアニメをやる流れがあってちょっと笑った
ただ昔と違って、一個メタ構造になっていて、1人大人がいることが多い
ロリアニメではなく正しく「ロリコン(でギャグやる)アニメ」である
ただ可愛いとかじゃなくて構造的に成立してるのがなるほどと思った
示し合わせたわけでもないのに、この2作品は構造がかなり似ているのも面白い
話を作るに当たって下地にするものというのがある程度戦略的にパターン化されて行った
10年以上前ならアニメの主役は「世界を救う」みたいな話で、趣味や雑学はアニメでは脇役だったと思うが
2010年代は明らかに主役のポジションにそういう趣味・雑学作品があったと思う
おっさんがやってそうな趣味を女の子がやるだけでおっさんは喜ぶようだ
(ちなみに「世界を救う」から「趣味アニメ」の間に「部活アニメ」が挟まると思う)
そしてこういうのが流行るとどうやら世間でもプチブームが来るらしい
これはアニメが火付け役なのか、火がついたからアニメをやったのかどっちなんだろうか?
咲は初出が2009年だった
両方とも大ヒットしたために単体で文化っぽくなっているが
いろんなマニアックな知識をスポ根に落とし込んでいったのは非常にうまかった
私は2期までしかみてないんだけど
00年代のラノベの系譜を受けているので、今見ると少し懐かしい感じがする
触れるには荷が重い、そして私に語れる気がしない
特になろう系
ジャンル内で色々なアイディアで蠱毒をやった結果、驚くほど面白い作品が出てくることもある
魔法科高校の劣等生は最初楽しみ方が全くわからないまま見ていたが、ニコ動で見ていたら最終的になんか楽しくなっていた
腹抱えて笑った
確かこれでなろう系の印象が変わった
色々な出来事がイレギュラーに思えるんだけど、コメディとしてみれば割と基本を踏襲してたりするので異世界転生に先入観を持っていたのは自分のほうだと気づいた
これだけじゃないんだけど
そんなの昔からあると言われそうだけど、精神レベルで悪役というのは昔はそんなに無かった気がする
(ここにはたらく魔王さま!や、まちカドまぞくを入れるとよくわかんなくなりそうだけど)
すごい爽快感だった
これ一緒に語ると怒られそう
漫画だとこういう描き方あるけど、アニメのようなチーム制作ではきついでしょっていう作品を結構すごいクオリティで仕上げてきた年代だと思う
愛と執念と労力を感じた
そしてここらへん、題材としてはマイナーになりそうだったのに一個突き抜けて人気作になったのが意外だった
視聴者の年齢が上がってるのかも?
2010年代は、リメイク系アニメが成功した10年だったと思う
昔はリメイク作品がそこまで成功するイメージがなかったんだけど、2010年代はかなり安定していた
SSSS.GRIDMAN
非常に面白かったけど、特撮が一ミリもわからないので何も言えん
映画系 ほぼ見てない
BL ほぼ見てない
ソシャゲ系 見てない
他にも触れていないものが多いな、触れたいけどどう捉えるか難しいもの
・悪の華
・監獄学園
・銀魂
・斉木楠雄
・神のみ
・僕ベン
・クオリティの向上
こんな感じかな?
クオリティの向上により「背景が主役」みたいな落ち着いた雰囲気のアニメも作れるようになったと思う
(女性向け・BLアニメも台頭したはずなんだけど追ってないからわからん)
あと個人的にはニコニコ動画でアニメが見れるようになったのが大きな変化だ
コメントを見ると伏線の取りこぼしや背景の遊びなどに全部気づくことができるので楽しい(代わりにネタバレを踏むが)
・ラノベ系
・ギャルゲ系
なろう系、百合系、部活系は結構食いつぶしていると思うのでそろそろ縮小しそう
アイドル系はもう少しで食いつぶしそうな感じがする
流行り廃れはあっても全体的にボリュームが全体の変化は感じないかもしれない
というか半分くらい置き換わるかもしれないね
トランプ大統領お得意のビリーブ・ミーと鳩山元首相のトラスト・ミーってニュアンスはどう違うんだろう。
trust meの意味を知るためググるとデレマスの曲が引っかかる。去年の曲らしい。そんな政治的にデリケートな話題になってたようなフレーズをタイトルに付けるなよ。
検索結果を英語に絞ると2017年、BBCの医療ドラマのタイトルがTrust Meだった。https://en.wikipedia.org/wiki/Trust_Me_(British_TV_series)
いかがでしたでしょうか系ブログによると、ビリーブ・ミーは「私の言っている話を信じろ」で、トラスト・ミーは「私という人物を信じろ」と言うニュアンスの違いがあるらしい。
心に留めておいたものを誰にも吐き出すことができず、誰かにこの思いを共感してほしいの一心で、とある弱小Pとしてここに書き留める。
当時大学の時に好きだった女の子が渋谷凛に似ていたからという理由で始めた
その後、リアルでは渋谷凛(仮)にこっぴどく振られ、悲しくもiPhoneに入っていた渋谷凛(本物)を追いかけることになった
率直にすごく素敵な人だった。強い意志を持った緑目が好きで、こういう人となら自分も幸せになれると確信が持てた人だった。
見れば見るほど、惹かれていく自分がいた
常に、
「渋谷凛と釣り合うために、リアルな自分をどうすればいいのか」
という命題を胸に
大学も順調に卒業し、ブラック企業に就職してしまうも、激務をこなして、それなりに力がついて転職してそこそこの会社で働くことになった。
ただそれだけが生きがいで、そのためになんでも仕事をこなしてきた。
近頃、友人たちに、
「いるわけがない。いたとしてもすでに相手がいるから紹介できない。」
と男女関わらず強く言われるようになった
言われてみれば5年ほど彼女がいない。
とくに渋谷凛を追いかけるようになってから出会いの場から遠ざかってしまっているような気がした
周りでは結婚した人もいれば、子供が生まれたという話もちらほら聞くようになった
これでは、釣り合うどころかいたずらに年齢を重ねて何も自分に残せないのでは?
ただ、生きがい(=渋谷凛)をなくしてしまうと仕事にも精が出なくなりそうで、渋谷凛の存在を失うことが恐ろしい。
3次元のアイドルは、結婚をしたりユニットを抜ければオタクは嘆きつつも次の推しにかわるだろうが
2次元のオタクはサービスが終わらない限り、推しをかわることはあまりない
どちらも後へ引けない状況になってしまった
もはやアプリを消せば解決という問題ではなく、実際モバマスもデレマスも一切起動していない。
もし、課金をし続け、キャラ愛を深く持ってしまった人に伝えたい。
後悔はしていないが、今、気づいた時に手元に残ってるものは何もない。
現実が破滅したとしても、夢を追いかけられる我々にとっては永遠の幸せなのかもしれない。
3次元の事務所の選考が通ったとき、ふと妄想していた話を書き殴る
アニメやゲーム話を現実に持ってくるべきことではないし、辛い現実の話を仮定した話であることをお断り、謝罪をしたい。
セグメント別の予実管理は通常されるものと考えられる(想定ソフトは弥生Proクラス)
となると、P/Lの仕訳を切る際には切り口が複数あることになる
(科目/補助科目/部門)
または
他の業種もやっていれば
など複数の想定ができる
アイドル事務所は個人成績とユニット別に予実管理を行うとすると
仕訳例
この計上を行うと、エクセルで仕訳データを抽出した際に、ピポットテーブルで補助科目と部門で絞り込みを行うと、簡単に成績表のグラフを作ることができるということも理解頂けると思う。
共通費に関しては、
のような仕訳を切り、任意な方法にて配賦することを推奨する(プロデューサーの担当してる人数別、売上別など)
さて、この方法は明確にP/Lの責任の所在を明らかにするデータを取得できる。
プロデューサーの経費は、管理してる人に応じて配賦し各アイドルに普段からコストがかかることを認識させ
管理しているプロデューサー(=営業)の能力が強く問われることになると思われる
となると、毎年行われている人気投票は、プロデューサーにとっては死活問題であり、売上向上をすべくSSRとプレミアを作り出し
そこで、最後に使える手段はプロデューサーを引退するか、自らガチャを回す自爆営業に帰結することになる
話は変わるが
利益が発生していない某氏のアイドル名別の損益計算書を見てあの話が出てきたのではないのかと思う。
売上が立たず、配賦分やレッスン費用などがただ、計上されている様子かと想定できる。
アニメであっても、事業撤退や縁のあった会社の倒産を経験している身としては想定されるP/Lに既視感があり
某アイドルは最後の肩叩き一歩手前だったのではないかと率直に感じた。
役員として、あの場面をどうにかしないと経営責任の問題が生じていたと同情している(大きい会社だと株主から相当叩かれるはずだ)
歌詞に「夢は夢で終われない!」
とあるが、これは夢で終わってほしい。
ポエムともお気持ち表明とも言えない吐き捨て。ツイッターで呟くとTLの空気を悪くするし、掲示板に書くには長すぎるので、ここに吐き出す。本当に無駄に長い。
私がアイドルマスターシンデレラガールズを知ったのは、ちょうど第二回総選挙の発表直後くらいだ。今確認したら2013年5月とか出てきた。時の流れの速さを感じる、こわい。約6年半前に些細なきっかけで担当アイドルに出会ってから、私はシンデレラガールズが大好きだった。アイドルたちのきらびやかなイラスト、読んでいてストレスを感じないテキスト、可愛らしい楽曲たち。1stライブのライビュに参加してからは、年一のライブが人生の楽しみの一つになった。今も担当アイドルたちのことは大好きだし、デレマスというコンテンツのアンチになったわけでもない。ではなぜPを辞めるのかと言えば、理由は大まかに3つある。
まず最初のきっかけは、シンデレラガールズのメインがモバゲー版からスターライトステージになってしまったことだった。
デレステは正直すごいゲームだと思うし、私も最初の数ヶ月は楽しくプレイしていた。だが、イベントをプレイしたりアイドルのコミュを読むたびに、テキストに対して違和感やひっかかりを覚えることが多くなっていった。私幸い担当に致命的な解釈違いを感じることはなかったが、どこかテンプレに寄せられたような違和感を常に感じた。
あとこのゲーム、モバマスに比べて単純に疲れる。これはあくまで私の場合であって、時代遅れのポチポチゲーであるモバマスの方が辛いという人が大多数であるのは分かっている。でも私はモバマスの方が好きだった。だからこそシンデレラといえばデレステ!という空気はつらかった。
それでも、しばらくはモバマスメイン時々ステという形で楽しんでいた。恐らく決定打だったのは、私以外にも多くの引退者を出したであろう声付き新アイドルの追加だった。
一応断っておくと、私の担当アイドルたちは全員声が付いている。それでも、あの四人の追加はショックだった。
それでも最初は知れば好きになれるかもしれないとは思っていた。しかし、自分でもびっくりするほど彼女たちを知ろうという気が起きなかった。
別に嫌いなわけではない。実際、モバマスでライバルユニットとして彼女たちが登場した時も何も思わなかった。本当に興味がわかないのだ。好きの反対は無関心とはよく言ったものである。
あかりとあきらとりあむの三人は、変な言い方だが普通に好きだった。しかし、ちとちよはーなーの四人は知ろうとする気が起きなかった。運営の寵愛というマイナスイメージを自分の中で払拭しようとする気が起きないまま、無関心を貫いてしまった。
デレステのSSR枚数や曲数の格差、Pとアイドルではなくアイドル同士の関係がメインという方向性、モバマスのデレステSSR逆輸入といった些細な不満が積み重なり、少しずつ熱を冷ましていたのだと思う。
今までは周年ライブはLVではあるが、可能な限りは行っていた。しかし、7thは行く気がまったく起きなかった。正直最近はCDも買っていないので曲もほとんどわからない。新アイドルに至っては声すら曖昧。そんな状態で行ったところで、盛り上がれるかどうかもわからないから行かなかった。おそらく私は、もうシンデレラガールズの担当以外の要素が好きではないのだと思う。
まず、ここ数年の某まとめサイトにコメント欄のひどさにドン引きした。元々民度が良いサイトではなかったが、第六回総選挙くらい(ひょっとしたらもっと前からかもしれないが)くらいから、目に見えて酷くなっていった。声なしの子のSSRが来たら「不人気」「売上ガー」とわめく。選挙の時期は圏外になったアイドルを煽る。ついでに上位も煽る。新しいCVが発表されたらまた荒れる。あと最近のSSR衣装のデザインへの文句に対しての「フェミさん」「まんさん」とか言うあの煽り(蔑称?)、自分が女だからというのもあるが、純粋に気持ち悪い。嫌なら見るなということで最近は見ていないが、はっきり言って異常だと思った。
次に、デレマスや中の人への批判を絶対に許さない空気に引いた。元々そういう空気はあったとは思うが、決定打だったのはこずえちゃんに声が付いた時のことだった。思い出エピソード前半の彼女の演技は、はっきり言ってひどかったと思う。合う合わない以前にプロの声優として許される演技ではない、というのが個人的な意見だった。しかしその日ツイッターで一番多く流れてきたのは、「ほかのアイドルも初期とは演技が変わっているから見守ろう」という意見だった。それはまだいい。むしろ過度に荒れないのはよいことだと思う。だが、不満をもらした人に対して「嫌ならやめろ」というのはどうなのか。掲示板などで愚痴を吐いた人に対してそれを咎めるようなレスを送る人がいた。ツイッターで直リプではないにせよ、そういった愚痴に対して苦言を呈するような人もいた。もちろん声優さん本人を攻撃するのはよくないことだが、長い期間待って頑張って総選挙を勝ち抜いて、その末にようやく付いた声がはっきり言って下手だったのなら、愚痴の一つや二つ吐きたくなるのも仕方が無いだろう。それなのに、それすら許されない空気なのは正直担当Pがかわいそうだった。最近も7thライブについて賛否両論があったようだが、「嫌ならやめろ」という言葉を振りかざして批判を押しつぶす様にはうんざりした。
最後に、夢見りあむに対する界隈の空気に心底腹が立った。夢見りあむを面白がって持ち上げて神輿にしておきながら、選挙が終わった途端に次回は圏外かなwwなどと草を生やすオタクどもに腹が立った。りあむのソロが決まったことに対し、もっと先にソロをもらうべきアイドルがいるなどと言って炎上させようとするPに腹が立った。私は最初りあむに大してはすごいキャラが来たな、くらいにしか思っていなかったが、りあむという1人の女の子を完全におもちゃとしてしか見ていない空気に怒りを覚え、りあむのファンになった。アイドルdisや中の人disは許さないなどと綺麗事を吐きながら、りあむをおもちゃにして指を指して笑っているプロデューサーたちに吐き気がした。
これは100%自分の都合だから書くべきかは迷ったが、なんだかんだで一番大きい理由だと思うので一応書いておく。私は6年半前、まだ20代前半のフリーターだった。体力も時間もあったので、ソシャゲを4~6個ほど兼任したりもしていた。しかし、今の私はもうアラサーの正社員だ。昔に比べてお金は増えたが、体力と時間は大幅に減った。ソシャゲももう一個か二個やるのが限界だ。そういった理由で、デレマスにかける時間はどんどん無くなっていき、最近ではゲームにログインすらしなくなってしまった。なんだかんだで、SideMが登場してからはそっちがメインになっていたのも大きいと思う。所詮私も、イケメンが好きな女だったのだ。
担当のことは今でも大好きだし、運営も嫌いな部分はたくさんあるが攻撃したいわけではない。ただ前のように愛せなくなっただけだ。おそらく今後もゲームのアカウントを消すことはないし、担当の出番があればカード絵と劇場を見に行ったりする。サイコミの漫画も引き続き読み続けるし、もし担当に新曲が来て気に入ったら、曲を買ったりもするかもしれない。だが、以前のように担当の為に課金したり、LVに行ったり、担当の布教をすることはないだろう。
界隈にはいたくないがアイドルたちは好きだ。こんな私はもう彼女たちのPではなく、ただのファンなのだろう。なので、ファンらしくこれからは少し離れたところで彼女たちを応援しようと思う。
http://ant-gamevent.hatenablog.com/entry/2019/11/11/230940
鷺沢文香を演じる声優のM・A・Oが、どういうわけかデレマスのイベントにもLIVEにも出演しないことが続いているので、声優を代えろという意見が物議を醸しています。
本来ならば、デレマスひいてはアイドルマスターシリーズというコンテンツにおいては
キャラクターとしてのアイドルと、そのアイドルを演じる声優の結びつきは分かちがたく唯一無二のものであり
LIVEに出演しないだけで声優を代えろなんてとても軽々しく言えるものではありません。
萩原雪歩の声優が長谷優里奈から浅倉杏美に交代するという事態でも、一人のアイドルを演じるのは一人の声優という原則が守られました。
ミリシタにおいても、田中琴葉の声優である種田梨沙が活動休止している間は、代役をたてずに田中琴葉の活動も縮小するという徹底ぶりでした。
しかしながら、デレマスにおいてはアイドルと声優の結びつきは形骸化しつつあります。
いつの間にか多くの人がアイドルと声優の結びつきを唯一無二だと思っておりません。
木村夏樹というアイドルがいます。演じる声優は安野希世乃です。
このアイドルはギターを演奏するという設定がありますが、安野希世乃はギターを弾けません
そのために木村夏樹が参加する楽曲、そしてアニメでギターを演奏するシーンでは、木村夏樹のギターを演奏する担当としてIMAJOというギタリストを起用しています。
そのIMAJOが、安野希世乃が出演しない大阪公演「Glowing Rock!」に、生バンドとして出演します。
その出演に対して、木村夏樹が出演したようなものだという声が多数聞こえております
おかしくないですかね、木村夏樹の声優であるはずの安野希世乃が出演しないにも関わらず、木村夏樹が出演したという声が当たり前に聞こえるのは
これはすなわち、木村夏樹と安野希世乃の結びつきが形骸化している、アイドルと声優の結びつきが形骸化している唯一無二のものではなくなっているということではないですか。
いや、それは違う。木村夏樹の場合は特殊なケースだ。公式に起用された木村夏樹のギター担当であるIMAJOが出演するのだから木村夏樹が出演したも当然だ。という声もあるでしょう
だったら鷺沢文香もそうなればいい、鷺沢文香の声優ではなく別の誰かを代わりにLIVE出演するための代役を公式で起用すればいい。
M・A・Oの代わりにLIVEで歌って踊るための代役をたてればいい。LIVEにおいては鷺沢文香の声優は代えろ。
木村夏樹のギター担当が出演することを木村夏樹が出演したも当然だという理屈が通るならば、鷺沢文香のLIVE担当が出演することを鷺沢文香が出演したも当然という理屈が通るはずだ。
大阪公演では、おそらく木村夏樹と関係が深いアイドルやユニットの楽曲が歌われるだろう、そしてIMAJOがギターを演奏するだろう。
アスタリスクが「ØωØver!! -Heart Beat Version- 」を歌うだろう、木村夏樹不在でも「Wonder goes on!!」を歌うだろう、多田李衣菜は「Twilight Sky」「 sparkling girl」を歌うだろう。
まるでアニメ19話の再現じゃないか、夢にまで見たセッションじゃないか、そのように否が応でも木村夏樹が演奏していると思う人が出てくるだろう、そこに木村夏樹が居ると人は見るだろう
安野希世乃が出演していないにもかからわす、木村夏樹がLIVEに出演していると人は言うだろう
同じことが鷺沢文香でもできないはずがないだろう
M・A・O不在でも、鷺沢文香のLIVE担当の代役が、LIVEに出演して歌って踊れば、そこに鷺沢文香を人は見る。
そんなことはない、M・A・O以外が鷺沢文香として出演しても誰も喜ばない。代役を鷺沢文香なんて思わない。そう思う人もいるでしょう
しかし、大多数のプロデューサーにとって担当アイドル以外はどうでもいいようです。歌わなくても踊らなくても木村夏樹はギター弾いていれば木村夏樹のようですから
代役でも鷺沢文香として歌って踊れば鷺沢文香だと大多数のプロデューサーは思うことでしょう当たり前のように。デレマスでアイドルと声優の結びつきなんてそんなものです。
デレマスにおいてはアイドルと声優を分けて考えることが当たり前になる。木村夏樹の存在がその証明だ。
LIVEに出演しないアイドルの声優を代えろという意見を支持します。LIVEには声優の代わりにLIVE担当の代役が出演すればいいのです。
この間のライブの意見なんかもそうですけど、もっと前では新アイドルの追加のときとか出番についてや曲の良し悪し、衣装の感想についても
ただの不満と擁護の対立、言い合いならまだ理解出来るんですけど、”嫌ならやめろ”や”他所に行け”というようなコンテンツから追い出そうとする行動が結構見えたことがちょっと理解出来なかったんです
例えば、この間のライブであれば、DJkooさんを呼んだことや、出演者の中に目立った出番が少ない人がいたり、オリジナルのメンバーが揃っていたりグッズを売っていた曲があってもやらなかったことなんかが争点でしたよね
それについて、事前に予想されていたことや望まれていたもの、以前までの方向性と違うものが出されたとき不満が出るのは普通なことだと思うんです
新しいことに挑戦すること、意外性に挑戦することって得てして不満が出てくるものですよね
そういう不満って要はもとに戻せというか、今まで同じようにしてほしいというようなことだと思うんです
そこで不思議だったのが、今回のことで”嫌ならやめろ”という人も以前までのものが好きになれたからこそ今も続けているのだと思うんです
なので、不満を出した人達の改善点通りに、今まで通りの確実に好かれているものを出したとしても楽しめるものになれると思うんですけど、どうして”嫌ならやめろ”や”他所に行け”と過剰に排除したがるのかが不思議なんですよね
こういうことって最近になってかなり増えたように思うんですけどどうしてなんでしょうね?
アイドルマスターシンデレラガールズのライブが、アイドルの出番の多さの偏りとか、今回はライブ全体がクラブ系に寄らせすぎたとかで賛否あるけど、ソロライブをしたらよくないか?
あとVtuberも、合同フェスや箱イベとかで、イベント全体はよくても、特に好きな出演者の出番とか曲数とかに物足りなさを覚える声を見る。ソロライブをしたらよくない?
渋谷凛ソロライブとか、でなければニュージェネレーションソロユニットライブとかさ。
こういうところで不満の声が出始めるのは、グループの規模と人気に比べて、イベントの回数と時間が少ないからだろう。
箱推しじゃない層からの不満が目立ち始めるってのは、箱推しじゃなくてもファンやってる人が目立つほど多くなってるってことで、基本的にいいことだよ。
スポーツで言えば、人気が微妙でオリンピックとかオールスター戦でしか集客が見込めなかった競技が、各地方チームや選手を好きなファンが十分増えてきてるようなもの。
じゃあもうオールスター=箱全体イベに頼らなくていい。
ウサミンに二時間歌ってもらったらええねん。対バンでウサミン一時間ラブライカ一時間でもいい。
そしたら、オールスターのマンネリ化を防ごうとクラブ系にしなくてすむし、「俺はアイドルポップが好きでアイドル追ってるのに……」ってならないじゃん。
もしくは、オールスター箱イベは特殊なコンセプトをされても、推しの推しらしい醍醐味はソロライブで分かってるから特殊アレンジもそれはそれで楽しい、となる。
どうにもEDM嫌いな人が、イベント機会が少ないからEDMコンセプトライブでも無理して参戦しなきゃって思うこともなくなり、不満を覚えることもない。
Vtuberも、キズナアイや花譜やヒメヒナがソロライブで成功してるんだから、いわゆる箱に所属してるとこもソロライブもっとやってよ。
卯月コウに二時間歌わせてくれや。アイシーを三回歌って20分トークしてアイシー二回歌って50分トークしてアイシー歌ってくれや。
それはデレマスも一緒だろ
私は2年前くらいにデレマスに入った新参Pだ。担当はここでは伏せさせていただくがかなり愛情があると(勝手に)思っている。ライブは6thが初参加、7thは幕張には行ったがナゴドはどうしても都合がつかず行かなかった。在宅のお気持ち表明と見る向きもあるだろうが別に今回のライブの内容にとやかく言うつもりはあまりないのでご容赦願いたい。
今回のライブについてはいつも以上に批判意見を目にしたと思う。今回は行けなかったので後でTwitterで楽しかっただろなぁ今度は行きたいなぁと思って見てると思った以上に批判意見が多かった。内容はオリメン揃ったのに曲がなかったとか担当のソロが干されたとかで、その意見も最もだかわいそうだなぁと思いつつ見ていたが、今回私は在宅だったため口を出すのは控えようと思う。そのうちTwitterも先ほどの批判に対する批判が飛び交うようになり、やれお気持ち表明だなんだと(現在進行形で)燃え続けているように思う。ここで一つ目について有り得ないだろうと思ったのは
「デレマスが好きなら箱推しになれ、そうじゃないならミリオンにでも行け」
この意見を見て思ったのがいわゆる「箱推し」についてである。これを主張してる人を見て思ったのは「プロデューサー」というよりは「ファン」だなぁという気持ちである。別に批判してるわけではなく、単純にコンテンツへの接し方が違うんだなぁと思ったのだ。私がライブに行く一番の目的は「担当が歌ってるところを見て感動して(そして泣く)」なのであるが、彼らが一番目的にしているのは「デレマスの曲で盛り上がりたい」といった感じのものであるのだろう。まあこの違いは仕方ないことであるし、今までライブは絶妙なバランスでこの問題がそこまで出てこなかったが、今回のナゴドでいわば方針転換した故にこの問題が出てきたのであろうと思う。
ただ、先程の意見で本当に許せなかったのは「箱推しじゃないならミリオンに行け」というものである。
言っておくが、私はミリオンも少し触っている(担当は定まりきっていないが)。別にデレマスの世界観も好きである。ただ、シンデレラの私の愛する担当はシンデレラにしかいないのである。ミリオンにはいないのである。最初この意見を見たときに
馬鹿にしてるのか
と思った。私は担当をプロデュースしてるプロデューサーである。どうして他人がそういうことを言える権利があろうか。そもそもアイドルマスターというコンテンツの仕組み上、担当に愛情を抱いてる人を多いはずである。コンテンツへの接し方は人それぞれだが、そういう人間を馬鹿にしないでほしい。
あと、もう一つ思ったのがこれからコンテンツが衰退しかねないという危機である。そもそもコンテンツが新しい方針をとった時に批判が出るのは仕方がない。かと言ってフォローしないと、間違いなくコンテンツは衰退していく。(個人的には今はまだ本業(ゲームであったり、コラボ以外の楽曲であったり)に力を入れているようには思うのでまだ大丈夫だと思うが。)その上合わないなら他所に行けと言っているファンがいるなら余計である。オタクが揉めているコンテンツはどんどん人が減っていくように思う。私はデレマスが好きだし、衰退してほしくないと思っている。
私は今回のコンセプト形式のライブもいいものだと思っている。が、今までのような形式のライブもして欲しいとは思っている。ライブ経験が6thと7th幕張だけの新参であるがデレマスのライブが好きな者の願いである。今後もデレマスがますます発展することを願ってやまない。
これは鬱病が再発したアイマスPがダラダラと書く、チラシの裏のような内容なので読まなくていいです。
頭と心のわだかまりを書き連ねて気持ちを整理したいだけなので。
※下記に書くアイマスライブ関しては全てライブビューイングでの視聴。
アイマスのライブもだが、他に好きなアーティストのライブを見ても気持ちとしては楽しいが、どこか何か物足りなさを感じて100%盛り上がれきれない。
恐らくこの時点で一度は寛解してた鬱病がジワジワとぶり返していたのだろう。セットリストを見返しても、盛り上がるの間違いないので演者側の問題ではない。
ただこの時点では気持ちとしては前向きだったり、行きたいと思える場所やイベントは多かったし、実際行動を起こせていた。
結果的に100%では無かったが、それでも7~8割は楽しめていたからお金と時間作って見に行った事は後悔してない。
ライブを見に行っている頻度としてはアイマス関係が多いのでアイマス基準で考えてしまうが、少なくとも2018年の初星宴舞やSS3Aの次点ではまだ楽しめていた。
正直な話、一度寛解するのに10年以上掛かった事もあって、鬱病がぶり返してきているという現実を直視出来ず、なんとなくその事に目を背けていた。
でも目を背けるのも限度があって、デレマスの6thの時点でとうとう鬱病の気配を無視できなくなっていた。
というのも、私の中で言う程盛り上がれなかった。
これもセットリストや演出は楽しめるものだったし、理屈としては不満なんて無い。寧ろ良いライブだった。
ただ、これをちゃんと楽しめないという事は病気の影響なのだろう。
そして「また鬱病と向き合わないとダメかと」諦め半分で思うようになった切っ掛けが今回のデレマス7thライブ。
2ヶ月前にやった公演に関しては、上記の事もあり行くかどうか悩みつつも結果的に行く事にした。
見た感想としては5割楽しめたかも微妙になっていた。行かなくてもよかった気がする反面、行ったことに対する後悔はしてない。
そしてまた、今月の公演に関しては行くかどうかかなり悩み悩んだ結果、
仮にチケットの抽選に応募した所で「チケットの抽選に外れてくれればいいのに」と考えてしまったので行くはやめることにした。
毎度の事なら振り返り上映もあるだろうしと思い諦めた瞬間、心の中が少し軽くなった。多分、自分が思ってた以上に重荷になってたんだろうな。
でもって今月の公演が終わり、セットリストやサプライズ関係を見てても、心があまり反応しなくなっていた。
中でもショックだったのは、自分の担当アイドルが久々にソロ曲歌ったり新曲貰ったりしているなんて本来なら歓喜するハズなのに、その担当の出来事すら興味を持てなくなっている今の自分が一番ショックだった。
あれだけ好きだったデレマスにもうここまで興味持てなくなっているなんてな。
いっその頃コンテンツ側がやらかして嫌いになれる事があるなら楽なのにな。
好きだった物に対してジワジワと興味を失っていくのって悲しいというか虚しさを覚える。
実際、公演を見なかった事に対して後悔の念が一切無い。
以前鬱病を患った時とはまた違う方向性で精神をジワジワと削られているんだなと思い知った。
ここまでつらつらと書いたものの、別に嫌いになった訳じゃない。
寧ろ、また好きになれたらいいなって思う。
7thライブに呼ばれなかったアイドルの担当をしている。今回のライブは初めから申し込んではいない。
なんとなく、複雑な気分。
カバー、コラボ、盛り上がったみたいだね。カバー、いい曲もらったね。だけど、こんなに外の力を使いたかったっけ?担当の曲のMV、いつなんだろう。というか、あの時見せられたシルエットは嘘だったの?
ライブ、楽しかったならよかったね。うちの担当も歌った曲をやったみたいだね、楽しかった?初披露、一緒に歌わせたかったんだけどな。
新曲、新ユニットおめでとう。うちの担当にも2人ユニット曲欲しいな。わがままなのかな?もう曲いっぱいあるよね、と言われると黙るしかないけれど。
ボイスおめでとう。アニメ出演おめでとう。うちの子、映ったらいいな。
モバマス。ちょっと前からデレステからの輸入が多いね。うちにもその波が来たけど、なんとも言えないね。新しい綺麗な衣装を着せたかったよ。
お隣さんで、次のライブには全員出すって明言してくれた。なんだかそれですごく安心した。こんな安心、知りたくもなかった。
きっと順番とかもある。今がたまたまその時じゃないだけ。そもそもちょっと前はこんなにってぐらい恵まれてた。
だけど、遣る瀬ないよね。ライブに行かなかったお前が悪い?それもそうだけど。
どうしたらいいんだろう。わからないけど、まだもうちょっと待ってみようとも思う。
また、楽しめたらいいな。
XYでメガシンカを2つ得た上に、今回もフシギバナカメックスよりも先にキョダイマックス内定。
優遇されすぎでは。
デレマスPのときは日下部若葉ちゃんのPやっていたので、若葉ちゃんに声がつかないことに怒り狂い、2周目、3周目と実装されるデレステのSSRに狂い、「もういい、私モバマスやめる!」とTwitterに書き殴ったあの日の自分がTLに顔を出す。
俺もバクフーンはかっこいいと思うし、ゴウカザルは4世代の時すごく使ってたし、エンブオーとマフォクシーは、まぁ、それは置いといて、他の炎御三家も好きだから複雑ではある。
俺の「リザードン、キョダイマックスいいじゃん」の一言も、彼らにとっては毒なのだろう。
リザードンはメガシンカがなければ確かに弱いが、別にガチ環境で戦えなくても俺はいい。だから他の御三家もいっぱい優遇してやってほしい。
俺の初めてのポケモンはヒトカゲだった。でも別の誰かはヒノアラシだった。そして別の誰かはアチャモだった。ヒコザルだった。ポカブだった。フォクシーだった。ニャビーだった。そして、ヒバニーかもしれない。
S担当Pです
同じようなことを思っている人に出会えて少し心が救われています
文章読んでて「わかるわ」連発した
CさんがS担当というのは後日知ったんだけど、それでもモヤモヤが消えない
Sというアイドルは強烈にぶっ飛んだ個性とかアイテムを持っていないから、正直言うと彼女について描かれたキャラソンでも何も知らない人にとっては無難なありふれたものに聞こえると思う
Sの性格や背景を知ったら「そうだよねSはそういう子だよね」と楽しめて、でも知らない人も「良い曲だね」と思えちゃうような曲
Sのキャラソンの歌詞はP(やファン)に向けた感謝の言葉が散りばめられているんだけど、それをそのまま歌ったCさんにファンが「こちらこそありがとう!」みたいな感想返してるのもしんどかった
Vとデレマスだったらデレマスの方が規模は大きいのは分かるけど、それでもSのキャラソンを初めて聞いた人に「Cさんの曲だ」とか思われたらどうしようとか、どうしようもないことを考えてる
ホワイトベリーの夏休みを聞いたジッタリンジンのファンもこんな気持ちだったのかな
あとこれはすごくゲスな話なんですけど、少なからずS担当の拡散力を利用しようと思ったのかなと見ている
Sの名前、愛称、所属グループが書かれたツイートは発見次第即いいねリツイートするから、例えフォロワー数1桁のツイッタラーであってもS関係のツイートは高インプレッション稼ぐことになる
(「S可愛いかも」みたいな独り言すら補足されるから暇な人は呟いてみるといい)
で、彼らはもちろんS担当以外のツイッタラーとも繋がってるから、拡散力が必要なVtuberなんかはS関連を狙い撃ちするだけで割とお得
皆さんすごく大らかだから、Cさんを知らない人も今回の歌ってみたに好意的な反応
総選挙にランクインすらしてなかった頃に比べたらキャラソンがカバーされるなんていうのはSが有名になった証拠なんだからって喜ぶべきなのかな
あーーーでもやっぱそんな大きな心持てないや
言及先の>>「エモーション」のための餌にされるのが、死ぬほど嫌だったのだ<<というのが本当それ
Sを、Sの曲やそれに関わった人たちをもっと大事にしてほしかった
私もまとまらないけど同じこと感じた人がいるってそれだけで少しだけ救われた(2回目)
これからもSのことは大好きです