「オリジナリティ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: オリジナリティとは

2021-01-11

個人的2020年増田の振り返り

1月に入ってから1週間以上が過ぎもう成人の日連休中だが昨年自分が書いた増田の中で気になったものをまとめておきたい。

僕は他人自分の話を聞いてもらいたくて増田を書くことが多い。

聞いてもらいたいといっても大層な主張ではなくてくだらない話が常だ。

しかしくだらない話題であっても小難しく単純明快はいかなかったり重箱の隅をつつくような珍妙話題だったりで、雑談の中に織り込むのは憚られるような自論や疑問である

そういう特定人間には面白いかもしれないが一般的感覚ではつまらない話を増田に投下している。そして何らかの反応があることを期待している。

ブクマカトラバ増田玉石混淆だが、たまに自分では思いつかない気づきがあってそういうことは強く印象に残る。

そして傲慢といえばそうかもしれないが期待したものの全く箸にも棒にもかからないことも当然多い。

印象深い増田も惜しい気持ちがある増田も毎年溢れるほどあるが、読み返して募った気持ちを供養したいので、この場を借りて列挙し読み返して思ったことを書き連ねておく。

ごめんCR超雑食腐女子に見えた…

anond:20200127125713

いわゆる腐女子長文にぶらさげたトラバ。当時はけっこうウケると思った。その気持ち寒い

ちなみに生まれてこの方パチンコはいたことはない。

あれだけパラサイト話題で…

anond:20200216024658

"前田建設ファンタジー営業部という映画オススメ "(https://anond.hatelabo.jp/20200213214854)という増田に下げたトラバ

まごうことなクソリプ。のちのち有名になるがあの豪邸の大部分はCGという事実省みるとアイロニカルな気持ちになる。

3月上旬自粛期間に国や東京都は何してたんだ?

anond:20200327102210

いまでも何してんだって思うよ。

ハリーポッタージャンプ連載作品

anond:20200322113704

ものすごーく湾曲的に現在連載中の作品Mを揶揄してるんだけど、書いてあることが馬鹿すぎて誰にも相手にされなかった。

男だけどこじるりの筋肉発言はわかる気がする

anond:20200504070205

筋トレ自己肯定感が上がる」とかいうの、結局自己満足じゃないですか。ある程度絞れた体見て主観で「オレスゴイ」って言ってるわけで、それができる奴はもともと自己肯定感高いはずなんですよね。

からすれば漫画キャラになりきって周りにお構いなく生活してるのと変わらない気がする。自分がそうだと信じて憚らない人いるでしょ?右手邪神が宿った奴とかヒーローとか魔法少女とか猫の化身とか…

そういう痛い奴、中二病精神病者たちとどう違うんだってどうしても考えちゃう

多分、自分フィジカル客観的評価する視点があればトレーニング尊敬できるんだと思う。明確な数値目標があったり試合とか大会とか結果が問われる環境に身を置いたり。

実際に俺はボディビルダーとかすげえなって思ってるし、オリンピックとかも存在意義はあると思うタイプ

でも筋トレ精神面がー生活の質がーとか言い出す人ってだいたいはちょっとランニングしたりストレッチしたりって程度でしょ?個人でやる分にはいいけどそれをアピールしたり人に勧めたりされると鬱陶しい限りで、それでお前より人間が出来てるって調子マウント取り始めたときなんてもう耐えられないね

暇つぶしで体動かしてるって次元じゃなくて、意義のあって何らかを生み出すレベルに達してる筋トレって絶対何かが犠牲になってると思うんだよね。

それに費やした金銭時間別に回せばあり得た未来を惜しんだり、鍛えすぎて却って体に負荷がかかったり精神的に追い詰められたり。

そんなこと考えずお気楽にやってる程度なら、ラーメン味わったりゲームしてケタケタ笑ってんのと何が違うんだろう。

やってほしくないとかやるのはおかしいとか思わないけど所詮個人趣味なんだから正義面したり他人からの賛美や協調を無理強いしたりは辞めてほしい。だまって粛々とやっててほしい。

豆腐屋って本当に実在してたの?

anond:20200630220407

煽りすぎタイトル。流石に豆腐屋は今でも実在する。

でも豆腐屋経営はどう成り立っているのかは今も疑問。

あるときから小島アジコ氏が描いた…

anond:20200627091810

とあるブクマカについての増田に下げたトラバ

今のアイコンになってからちょっと苦手になったのって俺だけかな。

大河の主演に和泉元彌ってすんなり受け入れられたもんなの?

anond:20200711191757

純粋Wikipedia見てて気になった。和泉元彌ってみんなにとってどういう人だったの?

あらすじ紹介系Youtuber

anond:20200820005256

語り口調がなんかやらかしてるな。2か月くらいまえにネットニュースとかでこの話題ちょっとバズってて、やっぱりみんなそう思ってたんだってちょっとホッとした。

パプリカ

anond:20200820162005

シュールってこういうことなのかな?って思いながら書いた。

日本が歌下手アイドルの国になったのではなくて洋楽にはもはや音痴という概念がないという話

anond:20200927060919

言いたいことが元増田の内容と少しずれてたり、ブクマカ受けを意識して変に煽り口調や極端な断言をしたせいでやや支離滅裂になってしまった。

要は「カラオケ精密採点で競い合うバラエティ番組みたいな評価軸が海外文化にはなくて、それよりもアドリブで尺を埋めたり即座にハモったりする様な表現力が評価される」

「これがオリジナリティでもあるけどJ-popコード進行に対する拘りが強すぎて曲に拡張性がない。今は二次創作的なリミックスでヒットを広げる時代で、その都合上全世界的にポップスアレンジやすループミュージック主体に変わってきてて日本もいずれそういう流れになるかも」

「『メロディを考えること=作曲』『メロディを考えてからアレンジャーが細部を考える』という認識が変わってきてて、ビートバックトラック)ありきでメロディを考えるというヒップホップのやり方で他ジャンルの歌もの制作されるようになってきてる」

ってことが書きたかった。

人生賛歌かと思ったらただのラブソングで幻滅

anond:20201107114821

反対にお洒落のつもりでMegan thee stallionの下ネタな曲流してる服屋とか見かけるとちょっと笑っちゃう

Megan thee stallionはヒロアカミルコっぽくて好き。

ネット最初のシーン結局何だったの?っていうのの考察ネタバレ有)

anond:20201101080121

無駄に長いし書くのが遅い。

吹き替え版TENET観たいなー。

鬼滅の刃を蹴ってさらざんまい放送するテレビ局ってめちゃめちゃ尖ってるよな?

anond:20201203164559

これも煽ってやらかしてるやつ。なんとなくあの時ノイタミナと幾原作品についてちょっと書きたくなったんだと思う。

当たり前だが三文ゴシップ誌に書いてあるような、作風がどうだとかそんなんで企画が通ったり製作に関わったりが決まるほどテレビ局事情は単純な話ではない。

パプリカ」と嵐の「カイト」と米津玄師

anond:20201231121747

はてなの、それも増田ジャニーズアイドルの話をしてもせせら笑われるのがいいほうで、「カイト」にしても増田では米津玄師に幻滅したというファンエモい心情が何回か吐露されただけだった。

俺は「カイト」という曲が好きで、それはオリンピックアイドル活動休止といった一市民生活に直接は関係のないことを意識的に取り扱いながらも、あらゆる人にとって共感できる曲として昇華されているからだ。

そしてあの「パプリカ」と通底するポイントがありこの二曲を同一世界だと捉えることでイマジネーションが広がる壮大なストーリーに一人感動した。

2021-01-10

anond:20210110112503

銀英伝はむしろ前作がオリジナリティ出しすぎなだけで今作のほうが原作に忠実だろ

余計な要素を追加してるのは前作のほう

そもそも今作は前作のリメイクではなかったはずだし

3大リメイク前の方が良かった作品

ドラえもんのび太の恐竜

宇宙戦艦ヤマト

あと一つは?

もちろん

銀河英雄伝説

やっぱあれだな。「昔より規制が厳しい」「もともとが名作だからリメイクされるので、前作を超えるのはハードル最初から高い」「前作を意識してオリジナリティを出そうとするせいで、余計な要素を追加してしまいがち」といった各種悪条件のせいだろうな。

2021-01-05

INTERVIEW 戸隠神社中社大鳥居 建替えにあたり(戸隠そば祭り実行委員会

戸隠神社中社境内正面に建つ大鳥居。今春から秋にかけて、老朽化に伴う建替え工事が行われました。

新しい大鳥居設計したのは戸隠出身在住の建築士宮川和工さん(40歳日本伝統建築事務所)。

国の重要伝統的建造物群保存地区にあり長野県指定史跡にあり、何より"地域シンボル"である大鳥居の模り役は大変な重圧であったに違いありません。

工事がひと段落して、どこか安堵した表情の宮川さんに、新大鳥居のこと、旧大鳥居のことを伺いました。

四六時中、鳥居のことを考えていました

 旧大鳥居が建立していた19(令和元)年11月新大鳥居の建替えに向け、測量調査が行われました。新大鳥居は旧大鳥居と同じ寸法・形状とされ、そこには時代地域を見守ってきた旧大鳥居と、当時建設に当たった人々への敬意が込められています。84年の時を過ごした旧大鳥居は風食し、建設当初より小さくなっているため「同じ」大鳥居を建てるには、測量値から当初の計画寸法に「戻して」設計する必要がありました。この頃、旧大鳥居設計史料は見つかっていませんでした。

 そこで、宮川さんは江戸時代初期の木割書「匠明(しょうめい)」を参考に寸法を「戻して」設計したといいます。匠明には柱と柱の間の距離から各部の寸法を割り出す比率が記されており、これを基に当初の旧大鳥居の寸法、つまり新大鳥居の寸法を予測していました。

 しかし、測量調査の結果、貫(ぬき:地面に近い方の横木)が木割書より長いことが判明。これにより、笠木や島木の切り口の勾配が変わるため「古い鳥居フィットする」よう設計し直す必要がありました。言うは易し行うは難しとはまさにこのこと。宮川さんは、旧大鳥居の「オリジナリティ」を生かすため、この山場に挑みました。

 宮川さんが設計の山場としてもう一つ上げるのは、笠木や島木(かさぎとしまぎ:貫の上にある横木。島木の上に笠木が重なっています)の反り具合「反り形状」の決定です。こちらも「戻して」設計する必要があり、何パターン計算して反り形状を算出。 旧大鳥居に一番合うものを編み出しました。

 年が明けて2月初旬、「原寸検査」の日、宮川さんが頭を悩ませた末、出来上がった設計図が敷き詰めたベニヤ板に実寸大で描かれました。集まった関係者とともに大鳥居上部の笠木や島木の反り具合や寸法・形状を入念に確認しました。

失われた技法

 3月下旬、旧大鳥居解体工事の無事を祈る「清祓式」が執行され、4月中旬、新しい大鳥居材木戸隠の地へ。いよいよ建替え工事の始まりです。まずは、旧大鳥居解体作業クレーンで笠木と島木が取り外され、貫と柱がゆっくりと地面に横たわりました。「地域住民観光客の皆さんにご覧いただけるように」と、分解された旧大鳥居中社近くに保管。旧大鳥居には、当時建設に携わった面々の名前が記されていました。

 実は5月ごろ、旧大鳥居建設に関する文書戸隠神社中社境内発見されました。文書から、旧大鳥居のそのまた前の大鳥居は1934(昭和9)年の正月吹雪の中倒れたこと、その2年後の昭和11年に奥社のスギを使って旧大鳥居が建てられたことが判明。そして、今回、新大鳥居建替え工事を監修していただいた「日本建築工藝設計事務所」の前身設計者が旧大鳥居設計を手掛けていたことも分かりました。

 また、柱の下には十文字の土台が据えられ、そこに柱が刺さっている状態であったこから、旧大鳥居は持ち上げられ、上から土台に下ろす方法で建てられたと考えられます。それも、人力で。

僕たちは、昔の人たちがやってきたことを踏襲しているだけ

 新大鳥居工事は着々と進められました。柱は、宮大工職人の手作業によるかんなかけで、八角から六角形に、十六角から三十二角形に、そして丸に。並行して行われた基礎工事も順調にいき、迎えた9月1日。多くの戸隠人が見守る中、新大鳥居が建ちました。職人たちが地上で柱に貫を差し込んだ後、それをクレーンで持ち上げ基礎に差し込む。そして、島木、笠木と重ねる。「建て方」と呼ばれるこの工程が終わったとき自然拍手が湧きました。祝福と労いの音が戸隠に響き渡った良き日。一部始終を見届けた地元の子供たちの歓声も印象的でした。

一流だけど戸隠が好きだから居るっていうのがかっこいい

 地元の子供たちは、新大鳥居工事見学だけでなく、実際に柱にかんなをかける体験会にも参加していました。かんなかけ体験会は宮川さんが企画新大鳥居に親近感を持ってほしい、将来「あの鳥居の柱にかんなをかけたんだよ」と語り継ぎ過去の積み上げを大切に思ってほしい、そしてプロ仕事を見て将来楽しく仕事をしてほしい…。いろんな想いが込められた体験会で、真剣に丁寧にかんなを進めていた子供たちの表情は大変頼もしいものでした。

 コロナ生活が一変しました。これから居住地と勤務地にこだわらない生活スタイルが主流になっていくかもしれません。宮川さんはいます。「戸隠のおそば屋さんって一流で、その技術日本そば好きを戸隠でもてなしている。一流になれば日本からオファーがある中で、それでも都会に住まず戸隠が好きだから戸隠に居るってかっこいいですよね」。謙虚宮川さんの代わりに言わせてもらうと、宮川さんも一流で、とてもかっこいい戸隠人です。

 11月1日、工事を無事に終え、竣功祭が執り行われました。生まれ変わった"地域シンボル"を一目見ようと多くの戸隠人の姿がありました。これから平穏ときが続き、一流の姿と想いが受け継がれることを祈って。

 最後に、宮川さんはじめ、今回の建替え工事にご尽力いただいた皆様、本当に本当にありがとうございました

2021-01-04

逃げ恥の新作「ガンバレ人類!新春スペシャル!!」を見た

後半のコロナをメインでやりたかたから仕方ないのかもしれないけど、色々盛り込みすぎじゃないか

前半の夫婦別姓の話とか無痛分娩とか同性愛者(男女両方)とか、今っぽいワードを出すだけ出して

ポンポンとすすんでいく。

よく言えばテンポがいいが、

悪く言えばとりあえず全部話題に出しておけばいい、

私たちはその辺理解ありますよ〜」と言ってるだけみたいに見えた。

想像以上に保守的な考えが多い日本お茶の間には、それだけでも意味があるのかもしれないけれど。

結婚出産に関しても、もっと大変な事が沢山ありそうなのに難なく進んでいって

その辺りのディテールというかオリジナリティが欲しかった。

前半はあるある話だけで終わっている。

後半のコロナの話は良かった。

忘れかけていたけど初期はああい感覚だったのだというのを思い出させてくれた。

今も気を抜いてはならないのだ。

あと脚本野木さんは主張がストレートだ。

MIU404の時も思ったが、言いたい主張の内容は共感できるんだけど、正面からストレートにぶつかっていく。

今回原作者がどれくらい関わっているのか分からないが、

しかしたら原作者もそういう人なのかもしれない。

特に今回一番しんどかったのは、平匡が上司の灰原に対して沼田日野達と一緒に論破するところ。

あれはもうスカッジャパンであり、SNSだと思った。

分かりやすい悪役。みんなの前でみんなで復讐。たじろぐ灰原。

後半良い人物にしようとしているがそれも取ってつけた感がある。

現実でああい発言をする男がいるとしても、その人なりの人生正義がある筈だ。

別に回想でウェットに過去を掘り下げなくてもいい。

他にもう少し人物描写の仕方があるのではないかという話だ。

あとは言い方に絞っても、平匡もみくりも、自分正義だと思っている主張にはストレートに物を言う。

勿論、みんな言いたい事を言える世の中が良いと思う。

しか欧米人が身につけている様な、相手尊重した上で自分の主張をきちんという、そういう言い方だってあるのではないか

難しいけれど手本の様な物を映像お茶の間に見せることは、大事なことだと思わないか

(これを映像演出に置き換えると、上の段の話になる)

日本人は口下手で言いたいことを我慢しすぎて、創作の中ではスカッジャパンを求めてしまうのかもしれない。

でも現実では関係がこじれるだけだ。

みんなで少しずつそういうコミュニケーションができる様になって、完全懲悪物が求められない社会になるといいと願う。

自分努力します。

2020-12-30

にじさんじのB級バラエティ(仮)って

あそこまでオリジナリティなくていいんですかね?

終わった番組から表現方法をまねても訴訟リスクはないって判断なのかなあ。

だとしても企画する人の自尊心とか大丈夫なのかしらん。

テレビ番組を下敷きにしてるのに敬意ゼロっぽくてすごい。

とはいえテレビの人がコラボ相手になると「あの大人声優であらせられる」みたいなノリになるしなあ。

多分利害関係にないからそうなるんだろうなー。でも怒られなければ借用上等ってのもどうなのかなー。

2020-12-28

確定申告freeeつかいづらすぎワロタ

なんでそんなオリジナリティあふれる仕訳方法になんだよという感想しかない

マネーフォワードのほうが数倍ええわ

2020-12-27

香水の例のフレーズのところ替え歌したいんだけど

どうしても良い歌詞が思い浮かばない。

これはなかなかオリジナリティが高い

2020-12-22

少女漫画工業化

少女漫画について衰退しただの色々言われているけど、個人的には単に工業化しただけだと思う。少女漫画より以前に女性向け小説もっと以前、70年以上前から工業化を迎えていた。主な要因は、ロマンス小説界隈ににおける寡占企業とも目されるハーレクイン社の方針である。この企業は自らを「ロマンス工場」と銘打って、システマチック小説生産体制を作り上げた。システマチックというのは比喩ではなく、作家に細かいガイドラインを渡し「これに沿って描いてくれ」と指示し出来上がりにも具体的にNG要素を指摘する等して「規格外品」が出荷されないように気を配っている。作家募集素人原稿募集の際にも同じくガイドラインを示し「これに沿って描ける人」を基準にし、選考することによって沢山の作家を抱え次々に新作を発表しながらも「ハーレクインらしさ」を喪うことなく読者の期待を裏切らず作品の質を一定に保つことに成功している。これは発足当時の(大衆文学コミックも含めた)文学には盲点の発想で、作家独自個性とか奇抜な展開とか新しい視点の開発とか「売れる物語にはオリジナリティ必要」という固定観念を打ち崩したのである。そして、そういった固定観念と共に打ち壊されたのが読書ハードルであり、複雑な設定や作家による当たりはずれをたのしめないタイプの読者を大量に増やすことに成功した。即ち、激しい「喜び」はいらない… そのかわり深い「絶望」もない…平穏読書生活とを求める顧客開拓したのだ。これは所謂オタク(物語精神力や頭を使いたい人々)以外の層にとって非常に効率的であり、今の日本における少女漫画はこれに近づいてきたのだと思う。文化の衰退ではなく、少年漫画とは進む方向性を変えた発展といえるのではないだろうか。

2020-12-20

anond:20201218190955

日本個性重視志向に移って来た割に自分と違う文化否定する島国精神丸出しで、社会が一律同じ行動を取るよう圧力がかかり過ぎてる。

から自治警察みたいなのが頭ごなしにフリーダム若者叩くし、お互いの居心地良さの為に寛容になるという姿勢が抜けている。

たとえ誰かが苦しんでいても見てみぬ振りをするのが当り前、自分利益が最優先。

その癖、美談を好むし海外の真似ばかり。

オリジナリティもないのに日本賛美したがる国民ばかりで自分の頭で考えたり判断したり、現状を変えようとはしない。

出る杭は死ぬまで打ちまくり老人が政権を握っている。

そんなんじゃ良い社会が生まれる訳無いんだよな。コロナ禍にも如実にあらわれてるよ。

2020-12-07

anond:20201207191519

これは仮の話しなんだけど、現在進行系の特定詐欺とか文書偽造とかマネーロンダリング手法とか、多分書いたら面白がられるとは思う。

でも、バラすと具体的にどこのグループの誰かが俺の親族だとバレてしま可能性があるから、直接そのまま書く事はできないんだ。

というか、俺がバラしたとわからなきゃまだいいけど、わかったら何をされるかわからないし、そう考えたら怖くて不眠症がぶり返すからね。

でも、確かに言われてみて思ったけど、もうちょっと独自性とか情報量を落として創作物っぽくできれば、嘘をもっと沢山まぜてみればいける……のかなぁ?

話の骨格や部品既存ハードボイルド系、アングラ系の小説とかノンフィクションとかを盗作にならない範囲で借りてきて適当リミックスするだけもいいんじゃないかな。

でも、自分しか書けないリアルな心情描写ってあると思うんだよね。そういうの前面に押し出して書いてみたらどうかな。それって絶対オリジナリティ出せると思うし、心情描写からバレる心配もまず無い。

あと、思いっきりぶっ飛んだ設定にするとか。ダークファンタジーとかSFの枠組みだったらバレにくいと思う。

 

詳しい事情はわからいから何とも言えないけど、応援してる。

2020-11-29

追記あり】「原稿修羅場」をやっている同人オタクが許せない

かなり火力の強いことを言う。

私はコミュニケーションツールとして同人誌を作っているオタクが嫌いだ。正直言って憎い。

オタクとしての歴はそこそこ長いと思うが、私はこれまであまりオフでの交流を行ってこなかった。ぽつぽつと作品投稿して、信頼できる解釈オタクだけをフォローする。

ネット上での交流は当然あるし、仲良くなれば会ったりもするが、同人誌即売会交流の場だと思ったことはなかった。本を出したことがないからだ。

原稿きつすぎる」「原稿やってないけど遊びに来てる死んだ方がいい」「原稿?なにそれ知らないですね……」

こう言って本を出すことに苦慮している様子のオタクツイッターを見ればいくらでもいる。私はそのたびに、悪意からではなく純粋に疑問だった。

小規模ジャンルオンリーならともかく、そんなに時間がないなら原稿が完成してから参加するイベントを選べばいいのでは?

そんなにギリギリ状態で本当に自分の満足のいくものが書けるのか?

自分が本を出すようになって初めて分かった。彼女たちは、同人誌即売会コミュニケーションの場だと考えている。だから「そこに参加するために」本を出さなければならない。

まず初めから動機が違うのだ。私は同人誌とは、「自分の書きたい、書かなければ気が済まないものがあって、どうしてもそれを形にして残したいから」作るものだと思っていた。

私が初めて出した本はカップリングでもなんでもなくてただ自分の思う推しはこれだ、という解釈を煮詰めて小説にしたものだった。原稿が書きあがってからこれをどうしても活字にして残したいと思って、それから読みたいと言ってくれる人がいたので、イベントに参加することにした。

それが正しいと言いたいわけじゃない。ただ周囲を見たらどうやら多くのオタクはそうではないようなのだ


即売会を通してできたフォロワーを見ていて思うのは、彼女たちは作品推しへの愛情よりも、そこを通して発生するコミュニケーションに重きを置いているようであることだ。

「○○さんの小説読みました」「新刊楽しみにしてます」「天才じゃないですか?」「○○さんの書くAB最高です!」「好きです」「マジでよかったです」

そこにおいて発生するのは自己への肯定であることが初めから確約されている。作品を書けば、本を出せばたくさんの人に肯定してもらえる。同人界隈において作品は「交流のためのツール」としての一側面を持つことは確かである

からこれは単純に比重問題だ。初めに原作キャラクターへの熱情があって、そこに交流が付随するのか。初めにコミュニケーション肯定への欲求があって、そのために同人活用しているのか。

本当なら「利用」と呼びたいくらいだ。後者、『コミュニケーション同人』のオタク交流の機会を確保するためにイベントに参加し続けなければならない。

もちろん一般参加という手段もあるが、そこでの奇妙な一体感を味わうためにはサークル参加しかない。

結果、「書きたいものは決まってないけどとりあえず参加する」という事態が発生する。

この話がどうしても書きたくて、作品として出力しなければ気が済まない! という熱意は存在しない。そのためギリギリスケジュールしか書けなくても、本来よりも低くなってしまたかもしれないクオリティに疑問を抱くことはない。

それは同人活動の本当に誠実な在り方なのだろうか? 私は甚だ疑問に思う。

二次創作自分推している作品に対する熱意や解釈をぶつける場じゃないのか。私の小説に送られてきた感想を読んでも分かる。この話に本当に感動したわけじゃなくて、フォロワーから、仲良くしておきたいから「○○さん天才です〜」と言っている人のことは分かる。

コミュニケーション同人をやっているオタクは全員同じだ。作品にも感想にも"味が無い"。

どうしてこうも無味無臭なのか分からないけれど、それは本来第一に優先されるべき場所に「作品への熱情」が乗っていないからなのではないかと思う。

もちろん、それを好きな気持ちが確かにあることは否定しない。だが二次創作を通して交流を求める気持ち比重デカすぎるのだ。

そのキャラクターについての解釈を詰めようという気もない。だから時間の経過とともに原作時間軸の創作が減っていき、パロディや転生ものオメガバースや異常性癖ものといった「オリジナリティ」を演出するための要素に縋るしかなくなる。目新しいものを書くにはそれしか手段がないからだ。

もちろんどんな作品二次創作である以上、原作からは明確に隔絶したただの妄想である。それを充分に自戒とした上でなお、それでも原作に寄り添った解釈二次創作を書くことはできるし、できるだけそう努力すべきだと思う。

だってキャラ崩壊みたいな創作はどのジャンルに行ったって同じことができてしまうからエロ特にそう。


私はどちらかと言うと、キャラクター解釈をきちんと詰めた、原作物語の穴を埋めていくような二次創作が好きだ。解釈に厳しすぎて読めない作品が多くなってしまう厄介オタクである自覚もある。だからこそ、コミュニケーション同人をやっているオタクが許せない。

ネット上で信頼できる解釈の人とだけ繋がって、ひたすら自分の好きなものだけを書いていた時には気付かなかった。無味無臭同人誌は買いたくないけど同じ界隈の人たちと○○さんの同人誌ここがよかったよねという話になることが多いから圧を感じる。

このジャンルを抜けたらもう深い交流を持つのはやめて本当に好きな作品にだけ感想を送って本当に信頼できる作家の本だけを買いたい。


もう本当に、ただの愚痴だけど。そうやってどのジャンルに行っても似たり寄ったりの作品を量産して、同じく似たり寄ったりの感想を送ったり受け取ったりし続けているコミュニケーション同人オタクに思う。

そんなことをしていて虚しくならないのか?





【※追記】(2020/12/1)

そろそろネタバラシ。みなさん色々と言及してくださってありがとうございました。すでにお察しの方もいる通り、この記事炎上目的とした嘘増田です。

先日二次創作者を呪いたい自称漫画家増田を読んだとき、私はすぐに虚言だと思った。他者への攻撃性・嫉妬感情自己矛盾の三連コンボ。こんなの誰にだって書ける、ということを証明たかった。炎上しそうな要素をたくさん詰め込んだら案の定学級会になってウワ……と思った。

あんなもんは要点さえ掴めば簡単に書ける。頼むからこういうしょうもない増田コメントをつけることの不毛さを分かってほしい。「チキ増」が二次創作者を呪うというのなら、私はお前を呪いたい。一刻も早く増田起点の学級会がこの世から滅ぶことを願っている。

みなさんこれからは嘘を嘘と見抜いて快適なインターネットをやってください。

2020-11-26

二次創作クリエイター

色々あるけど二次創作しかしてない同人作家クリエイターと呼べるのか?

絵描きだけじゃなくてにはアレンジしかしない音屋とかもそうだけど他人の褌でクリエイター気取ってる奴見ると反吐がでる。

1番しんどいのが二次創作内でも他の作品パロディを多用してるやつ。オリジナリティカケラすらない。

一次創作って本当に面白い作品じゃないと人気が出ないと思うし、だからこそそれで成功した人には相応の報酬を受ける権利があるはずだよ

2020-11-21

anond:20201121002444

もっというと、自分の好きな要素を分解・分析して、要素を生きる形で構造の中に入れ込み、構造を動かしてみんなが求める形に整えるってのが創作醍醐味なわけで。

絵柄、描き込み、文体ボキャブラリーなどの選び方が味付けとかオリジナリティになるってだけの話じゃ無いかなぁ。

もっとも、漫画小説総合メディアの種だからパクリがわかりやすいと売りづらいところではある。

俺が一次創作してるかって?別にモグモグには困らないのでそんなめんどくさいことはしない。

創作料理と同じでは無いか?素材はじゃがいもたまねぎにんじん豚肉などありふれたものを、煮る焼く炒めるなどわかりやす調理法で作り、味付けや甘みえん味でオリジナリティを出すのがヒットの法則

トルコの坊さんのびっくりやアイヌのオハウをみんなヒットさせたいわけじゃ無いわけだからさー

anond:20201120234809

でも面白いものや求められているものって、新しくて新しくないものから

今まであるものを下敷きにしつつ、オリジナリティがある、みたいな…

2020-11-20

このまま日本一眼レフは死んでいくのか

一眼レフの落ち込みが凄く、撤退する企業も出てきて、このまま市場が消えていきそうだ。

写真動画に対する需要スマホに飲み込まれしまった。


仮説① 一眼レフを買って儲かるジャンルが終わった

Webが出始めた頃だと写真クオリティによって変わるので、綺麗に撮るために一眼レフ需要があったのではないだろうか。

それがフォトストックで探してきたのとアクセス数が変わらなくなったのではないだろうか。

YouTuber動画需要はあるし、スマホで撮ったのと差別化もできているが、動画編集は手間がかかり過ぎるし、Webサイト以上に素材が必要となる。

結果、ゲーム実況というのに落ち着き、ゲームという盛り上がる演出が既にされた素材を組み合わせて儲ける方が楽だと気づいた。

映像素材、演出BGMテロップなどを1人で一から作っても広告収入は得られない。

見てる側はそこまでのオリジナリティなんて求めていないのだ。


アイドル業界だとチェキ流行っているが、あれは画像価値があるというより、手渡ししてもらえるとか、

横に並んで撮影できるとか、そっちのほうが重要だった。

チェキも儲かるから買われているのであって、儲からないなら費用がかかりすぎるので減ってくだろう。


仮説② スマホの端末割で、消費者価格基準がくるってしまっている

スマホ一眼レフ比較で、数値化しやすい性能面比較されがちだが、スマホは端末割がある。

携帯電話の時からそうだが、端末割でかなり消費者価格基準おかしくなっているのではないだろうか。

スマホならこの価格で出来るのに」というのが基準としてできてしまった。

割賦で買えるスマホと、現金で買う一眼レフというのも違うだろう。


仮説③ ハード制約と加工やネットワークとの相性の悪さ

スマホのように熱が多少出ようが高速で処理ができ、かつ外付けバッテリー対応してくれるハードと、

熱は出せず、大きなバッテリーを内蔵できない一眼レフで差が出ている。

じゃあスマホと合体できるようなハードにすればいいじゃんというのもあるが、結局データ転送するIFだったり、

2年置きに交換するスマホ更新タイミングを合わせられない一眼レフとで互換性が取れない。


あと自然な色が出るのを強調していたりするが、ディスプレイが一体となっていて、表示される色までコントロールできるスマホの方が一歩上だった。

普通の人はディスプレイキャリブレーションなんてしないし、わざわざそれ用に万単位お金は使わない。



追記中古市場

加えて中古流通さらに複雑にしている。

多くの人が、新品と中古での価格差が少ないのを望んでいる。

Apple製品を買う理由の一つに、中古での値下がり幅が小さいというのがある。

買う時にこのスペックだったら1年後の新作が出る前に価格はそれほど下がらないだろう、といったのを考えるだろう。

M1チップが載ったMacの8GBを見て、今時8GBか、という素直な意見と同時に、8GBだったらすぐ価格下がりそうだなというのがあるだろう。


一眼レフだと新作が出たら10万下がるといったかんじで、最低価格は安定するが、ハイエンド価格急落が激しい。

新作のたびにそれだけ負担するのはできないな、となる。

しか組み込みとして独立しているので、1年後のOSアップデートで重くなって使えなくなるといったこともない。

他にも理由があるだろうが、買い替えサイクルが長くなって市場が衰退していく。


2020-11-18

anond:20201118173734

まず、頼むからうっぴーは信用しないでください。あの人ほど信用ならないソースはないです。

どれくらい信用ならないかと言うと「ラノベ界の失礼クリエイター」ぐらい信用ならない感覚です

まり、「うっぴー曰く」と本文に入った時点でその発言ラノベを読んでる人間やなろうを読んでる、書いている人間から見ると

鼻で笑うレベル発言になります

アゲ圧が常にあり続ける場合ってアニメ化した「本好きの下克上」とか今マガジンで連載している「シャングリラフロンティア」とか出来なくないですかね?

前者は研究開発パートとかあるし、後者は蠍パート修行アイテム集めが面白いである

初めの方にクライマックス連続させる手法はわりとアニメとかドラマでもあるんですが、

そのクライマックス連続から徐々に色を出す段階で落ち着いたり差別化が入ってくるものなんですよね

「24」みたいな作り方ももちろんありますが)

この辺り音楽ではない「シリーズであるからこその変化ですかね。

多分シリーズ一貫してでクライマックスを続け続けるのはわりと至難では???というのはあります

テンプレとパクりって何が違うの?というのは、

テンプレってフォーマットとしての再現性があったとしてもオリジナリティ余地があるんですけど、パクリ場合はそのまま100%コピーって違いは結構はっきりするかなと。

まり、例えば同じシチュエーション(「学校の裏で告白」とか「正義の味方必殺技で悪を倒す」)からいろいろ書かせてもわりと十人十色になったりしま

学校の裏で告白」だとノーマルものを書く人も、百合だったりBLだったり書く人もいるでしょう

もっというと「実は宇宙人なの」って告白を書く人もいるかもしれません

ランキング流行している「パーティを追い出されてそのあと元パーティピンチに陥って見捨てる」っていうのはシチュエーションです。

あらすじぐらいのレベルしかありません

パーティからどう追い出されたのか(主人公人格問題能力が目立たなかった?)

ピンチの種類(主人公が索敵を担当していたので敵が索敵できず囲まれた?)

・どう見捨てるか(死ぬのをじっと見ているのか、笑いながらギャグとして演出するのか)

みたいな演出の部分ではどうとでも味付けできるわけです

この辺り、あらすじが同じであればパクリ、というのであれば

それこそ古今東西パクリだらけになるわけで言い方と定義問題かなと思います

2020-11-17

anond:20201115212549

話が逆で、エロゲがほぼ春樹みたいなもん。

90年代ラノベだのエロゲだのを書き始めたやつらは、思春期の時に村上春樹とか読んでたに決まってるんだから

でも凡俗の春樹フォロワーが春樹のコピーをしてる間に、天才肌のエロゲライターたちは漫画表現を組み合わせて好きかつオリジナリティのあるものを作り出したんだ。

エロゲ全体が春樹の孫みたいなもんだよ。数多いる孫のなかでも、ちょっと変わってるけど優秀な方のやつ。

2020-11-07

anond:20201107183840

鸚鵡返ししか出来なくてオリジナリティもなくて脳味噌のどっかにまずいもんできてるんじゃないの?

一回脳外科のMRI入ってきなよ。安いもんだよ2万くらいだよ。

そうでちゅか、増田はお母さん大嫌いでちゅか。図星でしたでちゅか。

2020-11-01

anond:20201101213943

何でオリジナリティなこと言わなあかんねん

道理で考えてそういうやり方なら課題解決できるやろって言ってるだけや

それがオリジナリティないなら、筋としては実は近道なんちゃう

対面とネット対戦のそれぞれに意味があるというオリジナリティをe-スポーツは獲得した

光が地球を一周するのに0.15秒かかることに文句をつける人種世界にどれだけいるだろうか?

そうでありながら、海の向こうの相手と日々研鑽を積むことに意味を求めるような数奇な連中はいるのか?

本物の格闘技ネット対戦はありえない。

将棋のようなボードゲームであれば、0.15秒の差を気にするほうがおかしくなる。

ジャズセッションWEBカメラ越しでやれば0.15秒の致命的な差は許されない。

ギリギリで何かが成立し、それでいてそれでは失われるものをどこかで埋めようとする文化存在する場所はe-スポーツだけだ。

それはたとえば、オンライン自転車レース、走る性能を競うことは出来るが、路面コンディションの絶妙な差や瞬間的な風向きの差が産む偶然は再現されない。

それはたとえば、ポーカー世界大会人間の出す匂いとして知覚することの出来ない僅かなフェロモンの差を、プロの嘘つき達は感じ取る。

ネットワーク世界空間的な差を無くすことで生まれ繰り返される365日の終わらない予選会場、そして対面のみで可能になる本物の真剣勝負

その究極の形として、e-スポーツ存在する。

戦う場所はともにデジタル空間、握るコントローラーも見る画面もいつもと同じ、それでありながら、オンライン対戦と対面は別のゲームに変わる。

遅延の差がキャラ性能を全く別のものにし、tierリストが、ダイヤグラムが書き換わる。

対戦画面の向こうに海底ケーブルがあるか、目の前の対戦相手にすぐ繋がるか、それだけの違いが絶対的な差となる。

オリジナリティ

技術限界が、e-スポーツに与えたもの

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん