はてなキーワード: くれればいいのにとは
1、私がなんかやらかす
今回は仕事の負荷とか高くて参っててうつぽい感じだったのをどうしたの?等聞いてこられて話す気力もなくてほっといて欲しいと言った
2、注意を受ける
今回は俺を怒らせたいのと強めに言われる
会話もしんどかっただけで、関わってこないでくれたら少ししたら回復した気がする
会話がストレスとか何回か伝えてるのになんで積極的に話したがるのかな、
解決してパフォーマンス上げてほしいだけとか、仕事しろよってことでしょ
心配じゃないでしょ
仕事もキリついたらやめたいし私の能力やらマインドセットやら向上するように頑張っていただかんでいいけどな
伝えてるはずなんだけど
仕事しなきゃーーーしんどーーー
実の母親のことです。
ただ「二人で好きに決めればいい」って言ってくれればいいのに。入籍のみだからいいけどこれ結婚式とかやってたらもっとウザいことになってただろうな。
そもそも私が母親のこともうそんな好きじゃないって知らないんだよな。
昔みたいにベタベタして欲しいのかな?
『娘の結婚』にすげー夢見てるなーって思った。
母親と娘でキャッキャウフフ相談しながら、時々寂しさに浸りつつ娘を送り出す…みたいなことをしたいんだなと。
母親のこと好きじゃないし後で書いてるけど絶対相談とかしたくないから、結婚に関しては最低限のことだけ報告してる。
「娘じゃなくて姪っ子と話してるみたい」って泣きながら言われたけどホントそのくらいの距離感を保ってほしい。
そもそも結婚のことって私と相手でいろいろ決めてそれを親に報告なりなんなりすると思ってたんだけど。そう言ったら「意味分かんない」「普通じゃない」って言うし。
出たよ「普通」
今の結婚相手が一族みんな医療系で勝手に恐れ多く感じて「もっと普通の人と結婚してくれたらいいのに」とか言ったよな。言うかそれ?
これも、私がどんな人と結婚して幸せになるか、てことよりこれからの結婚準備で相手の親とどう接すればいいのか分からんという自分の不安、ストレスを優先してるから出てくる言葉なんだよなぁ。
そのくせ相手の親が金出してくれたり、家買ってくれるらしい、てことを親戚に自慢してる。「なんか自慢したい。なんか無い?」っても聞かれた。これはすごくガッカリした。
母親はまだ私が母親のことけっこう好きだと思ってるかもしれない。
そんなことはない。一人の人間としてはけっこう嫌い。親子としてずっと暮らしてきたから情はあるけど。
でも昔は母親のこと好きでベタベタしてたから、嫌われてること分かってない。
だから、何で相談してくれないの!?と泣いてキレるんだと思う。
私と精神的な距離が近いんだよ。昔は過保護だなーって思ってたけど最近は私と自分(母親)を同一視してるのかな?と気づいてきた。兄にはそんな過保護だったりしないんだよね。まあ大なり小なり息子よりは娘のほうが気にかけるって人もいるかもしれない(逆も然り)ちょっと同一視しすぎて負担なんだよね。昔からそう。
受験とか就職とか私より母親が心配して、めっちゃストレス感じてイライラして私にぶつけてくる。多少はそういうのあるだろうけど、ストレスを当事者の私にぶつけてくるのがほんとクソ。
あと裁縫だったり料理だったり「私の血を引いてるから上手」みたいなことをかなり言ってくるんだけどそれもムカつく。
私が頑張って私が身につけたんですけど?
こういう会話を良い意味に受け止められない自分が嫌とかはあんまり無い。
私のこと愛してるんだよ、娘のこと大事に思わないわけないでしょ、とか言うけど、母親が自分と同一視した娘を愛してるのって結局自分のことが1番好きってことじゃないか?
いや普通の親子愛もあると思うけど、私を一人の人間として尊重して欲しい。世話焼き過ぎ。私が何も出来ないと思ってる。私と母親は同じ人間じゃないんだよ。私の失敗を自分のことのように恐れて心配してストレス溜めてる。
マウント取ってくるのも嫌。
「私があなたくらいのときはすごく痩せてた」とか。なんか女として張り合ってくることが多くなった。
「愚痴と相談なら聞くよ」とか言うけど、いざ言ったら時代遅れの答えが返ってきた後、自分の話を延々として終わるのがパターン化してる。同じ話何回もする。
昔まあまあブラックな仕事に限界きて辞めた時も「なんでも愚痴言いな」と言われ、いざ話したら何故か自分の昔の職場では嫌な思いしたこと無かったっていう話を始めたからね。
説教ぽく言うならまだしも『私の素敵な思い出』みたいな感じで話しだしたよね。
私は何かしら慰めてくれたりしてくれんのかな?と思ってたからビックリした。今このタイミングでその話すんの?って母親の前で泣いたけど何で泣いてんのか分かんなかったみたい。
その時にもう絶対母親には相談とか愚痴とか言わないって決めた。アドバイスくれるでも慰めるでもなくとにかく自分の話がしたくてたまんないんだよねあの人は。
話がパターン化してるって書いたけど、この時のこともおそらく「仕事の話」が話題に出る→自分の勤め時代の話ができる!ってスイッチ入っちゃったのかなーと思う。
とにかく喋りたい人なんだよね。ホント絶え間なく喋ってる。しかも相槌が必須。疲れて相槌が途切れると「今の分かんなかった?」と解釈して相槌打つまで繰り返し説明するから余計話が長くなる。
だからご飯食べてる時でも本読んでる時でもタイミングよく「うん」を言わなければならない。キッツい。母親は私が話を理解してるかは本当はどうでもよくて、とにかく話したくてたまらない。家の中はいいけど外に出ても声がでかいのが嫌。
昔から本が好きで、小学生のときしおりを集めて封筒に入れてたんだけど、封筒ごと目の前で破かれたことがある。笑顔で。泣いて責めたけど面白がってたなー。今考えてもあれは無いわ。
唐辛子入りのチョコを無理やり口に入れられたこともあった。子供の嫌がる反応を楽しむな。おもちゃじゃないんだよ。
距離置けばちょうどいいんだよ。顔見たくないくらい嫌いって訳じゃないんだし。
でも母親はそうじゃないみたい。結婚しても月一は帰ってくるよね?だってさ。帰るわけないじゃん面倒臭い。
誰にも言えなくて溜まってたから、匿名でもこうやって文字にすることで少しスッキリした。
ここまで読んでくれた人ありがとう。
https://anond.hatelabo.jp/20200815111332
先生、今日は以前申し上げましたあの人の話をお聞きいただけたらと思い伺ったのですが、ご迷惑ではございませんでしょうか。
このコロナの時勢の中、顔を合わせてお話しするというのも気が引け、小説のように書き上げてお送りしようと何度か試したのですが、普段書かない身からするとどうも難しくて。
拙い文章お読みいただくのもかえって失礼かと思いまして、身勝手とは存じておりますがお会いしてお聞きいただくほかないと思い参りました。
先生にはいつもご親切にしていただき、ご恩を頂いてばかりでお返しできず大変申し訳ございません。
もう半年近くも前でしょうか、前に少しお話ししましたがその頃私には親しくなったばかりの女性の友人がおりまして、
私は彼女と恋人になれたらと思い、週に1回ほど連絡を取って食事をしたり街歩きをしたりとデートのようなことをしておりました。
その日は彼女が夕方まで仕事だったものですから、私が店を予約しておいて仕事帰りに合流して夕飯を一緒に食べました。
店を出たあとカフェにでも入ろうということになり、彼女が近くにスターバックスがあると言うのでそこに向かいました。
コーヒーとケーキをつまみながら話すうち恋愛の話になりました。彼女が私に恋愛経験を尋ねたのですが、恥ずかしながら私はこの年で経験がないものですから
正直に言うのはためらわれて、中学生の頃にでもいたことにしようかとも思いましたが、
変に見栄を張ってそれが嘘だと知れたときのことを考えますと、相手の失望させるでしょうし、
何よりその時の自分の姿を想像するとなんと哀れかと思い、正直に話しました。
彼女は見たところ特に驚くでも蔑むでもない様子でしたが私に何と言葉を掛けたらよいのか迷ったのでしょうか、
少し間が空いたのち、悪いことではないと思うと短く言ったと覚えています。
今思い返せば彼女の言葉を待つ私の表情は必死のものであったような気がし、それが彼女の同情的な言葉を引き出したようで恥ずかしくなります。
今度は私が彼女に恋愛経験を尋ねました。彼女はこれまでに2,3人ほど恋人がいたとのことで、
どのような人だったかを控えめに尋ねてみると嫌な顔をするでもなく淡々と話してくれました。
彼女の話を聞くと、元恋人らは中々癖があり、いえ、もっと直接に言いますと幼稚、傲慢、共感性の欠如という言葉が似あう方々で、
彼女はそれらに振り回され消耗し、結局付き合いきれず別れてしまったとのことでした。
私はふんふんと相槌を打ちつつ話を聞き、彼女の巡り合わせの悪さに同情しましたが、同時に元恋人たちと比べればよっぽど自分がまともだと感じ、
ある種のチャンスを感じたことを白状しなくてはなりません。
今にして思えば彼女の話す元恋人らが一片の人間的魅力もないことに彼女のバイアス、
つまり都合の悪いことを隠していることを感じとるべきでしたが、捉えたチャンスに舞い上がりそのまま信じてしまいました。
一通り彼女の話を聞いたのち、私は彼女に同情していることを示すために元恋人らの振舞いを取り上げ、この行動はこういう理由でよくないというように説明し、
自分は何が問題か分かっており、自分はそういうことをしない人間だとアピールしました。彼女は自分を肯定するそれらの言葉を微笑みながら聞いていたように覚えています。
私の元恋人への非難に促されてか彼女はそういえばと言って、最後に付き合った人間はアルコール依存症でセックスができず、
そのせいかやたらと細かいことで難癖をつけてきて鬱陶しかったと加えました。それを聞いて私はそういう行動はお互いにとって不幸にしかならないと、
彼女に共感して怒る言葉を発しながら、その裏側では自分が童貞であることのコンプレックスを刺激され羞恥心を感じ、
心臓がどくどくと鳴り顔が熱くなりました。私が黙ったせいかそこで話が不意に途切れました。
何か話さなくてはと頭を巡らすうち平静さを失っていたせいか気づけば自分が童貞であることを話していました。
言ってすぐにこんなことを言うべきではなかったと後悔しましたが、
彼女は落ち着いた様子で再びそれは悪いことではないと言い、加えていくらか私を擁護するようなことを言ったので私は安堵しながらそれを聞いていました。
すると不意に性風俗に行ったこともないのかと私に聞きました。私は行ったことがありませんのですぐにそれを強く否定しました。
彼女は男が性風俗に行くのはありふれたことだと考えているのか少し驚いているようで曖昧にそうなんだというような言葉を発して細かく頷いておりました。
今にして思えば敢えて言う必要のないことなのですが、私はここで性風俗に行かない理由を説明する必要がある気がし、それを頭の中で探しました。
私が性風俗に行かない理由は明確にある訳ではわけではなく、反社会勢力が絡んでいる、性病の危険性がある、望まぬ従事者がいるといった、
どこかで触れた断片的な知識が組み合わさって行くべきでないという認識になっているに過ぎません。
これらを順序付けて説明しようとも思いましたが、先生もご理解いただけると思いますが、
実のところ性風俗に行くべきでない理由というのは丁寧に述べようと思うと中々に難しく、1つ理由を述べてもそれに色々と反論ができるものです。
また理屈っぽく長々と話すのは気持ち悪い印象を与える気がし、敢えて藪をつつくこともないと考え、細々と理屈をつけるのはやめにして、
すると一瞬彼女が強張った顔をしたかと思うと冷笑するようにはっと息を吐いて、何で自慢げなのと言いました。
その反応が全く予想外でしかも彼女の表情が静かながらも明らかな怒りを秘めていたので私は狼狽え、なんとか弁解しようと自慢げなつもりはないと絞り出しました。
彼女は依然として目を見開いて怒っている様子でしたが、申し訳ない、そういうつもりはなかったと平謝りしたところ、
ひとまず納得したようで、ならいいけどと言いその場は収まりました。
私は実際自慢げだったのかもしれませんがその意図はなかったため私の腹にもくすぶるものはありましたが、こんなことで喧嘩をするのも馬鹿らしいのでそれで終わりにしました。
その後もしばらくは定期的に会って食事をしていたのですが、徐々に細かいことで突っかかってくる頻度が増えました。
私が何となく言ったことに彼女は問いただすような口調でそれはどういうことかと尋ね、
困惑しながら意図を説明すると何かと理由をつけて私を糾弾したり被害者のように振舞うのです。
それまでの彼女の様子とは大きく変わってきたため私のことが嫌いになったのだろうかと思い、私の方も言いがかりにうんざりしていたので、
もう会いたくないのならそう言ってくれればいいのにと思いつつも、他方で非常に熱心に私を糾弾するので私が変革することを望んでいるのかもしれないと考え混乱しました。
結局私は彼女の熱心さに報いるような気分で言いがかりに謝ったり反論したりしていたのですが、あるとき彼女は少し前に恋人ができたから関係を終わらせたいと言いました。
私はこれを聞いて寧ろ安心するような謎が解けるような気がしました。新しい恋人ができたために私が煩わしくなったが自分の都合で切り捨てるのが嫌で、
私に執拗に言いがかりをつけ捨て鉢な反応を引き出し、私が一方的に悪いと言える状況で関係を終わらせようとした。
そう考えると全てが繋がるようで妙に納得し、私が言いがかりに逐一対応していたのが滑稽に思えて笑えてきました。
ええ、それで終わりで、それっきり会っていません。
カゲプロもといカゲロウプロジェクトは8月15日に起こる出来事を描いたメディアミックス作品で、
ニコニコ動画の楽曲から派生し、小説、漫画、アニメ、劇場版等で別々の展開をする面白さが売りだった。
ご存知かとは思うが、おそ松、鬼滅、今ならツイステとかに先駆けて、キッズが多くて民度が最悪、というイメージの代名詞だった。
私は当時成人していた社会人だったがこのジャンルにいたく執心した。
元々じん(自然の敵P)の作る音楽を気に入っていて、小説を出すというので興味本位で読んだ。ハマった。
正直お世辞にも上手とは言い難い小説だったが、楽曲、動画も含めてアマチュアの手による一大作品というのは熱があった。
拙い所も含めてカッコいい!エモい!支援したい!夢がある!割と珍しい感情ではないと思う。それが大人だろうと。インディーズバンドのようなイメージ。
そういう風に素直にハマって、中に入ってみたはいいものの、確かに実際自分より年下の人間しかファンが居なかった。
沢山友人を作ったが、よくて高校生、殆ど中学生、小学生も多くて、成人していてお酒が飲めるような人は片手で数えるほどしか居なかった。
とは言え話が通じないなんて事は全くなかった。自分は大して創作などもしなかったけど、ツイッターで繋がった小学生は敬語で話してくれた。
男の子も居た。CPとか担当みたいな概念も薄くてどんな趣味でも年齢でも人種でも仲良しだった。
コミュニティの中での喧嘩や、男の子も居る事で色恋沙汰が始まる事もあったけど、むしろ今まで自分が経験してきたどのジャンルよりも平和だった。
確かに痛い、と表現されるような事もあったかもしれない。でも人に迷惑をかけるような子は誰も見た事がなかった。
カゲプロにハマった事で、コスプレや同人誌に初めて触れた子も沢山居た。どの子も知らないなりに、人に聞いたり調べたりしていた。
同人誌即売会(オンリー)では、親御さんと一緒に本を買いに来る人やスペースの後にお母さんが座っているサークルなどもあった。
本来即売会にはサークル側に年齢制限があったりするが、低年齢層のこのジャンルではイベント側からきちんと許可があった。
別に子供が趣味を楽しんじゃいけない訳でもないし、許可されているなら取りざたされる事でもない。
でも他のジャンルの所謂大人たちからはとっても笑われた。まあ、珍しい事ではあるかもしれないけれども。
私はただの買専だったが、プラバンで作ったストラップだったりとか、手作り感のあるものも多くてそれはそれでよかった。
皆このジャンルが好きで、色んな工夫をして楽しみたいと思ってるのがすごく感じられた。
そんな風に内部に居ると、カゲプロ厨、なんて言葉を投げつけられる事もむしろなかった。
あれはカゲプロのことを特に好きではない人間が使う言葉だから、好きな人間とだけ過ごしていたら聞かない言葉なのだ。
そういう中で、ニコニコ超会議が開催された。ニコニコ動画が主催する一大イベント。
カゲプロも当時大きなブースを作り、そのブース内で新曲を先行して聴く事ができた。私ももちろん朝から並んだ。
学生で中々会えない地方の友人達もこの日ばかりはみんな揃っていて、新曲を聞いたり、グッズを買ったり。とても楽しんだ。
超会議はとっても広いイベントで、ほかにも回り切れないほど催し物があったんだけど、自分たちはずっとカゲプロのスペースに居た。
もちろん皆視聴ブースでは静かに並んでいたし、話す時も出来るだけ邪魔にならないように端っこに居た。
なんと超会議のカゲプロブースで暴動が起きたらしい。視聴ブースが壊された、とか。
カゲプロ厨ではない大人の皆さんは、「カゲプロ厨こわw」「やっぱガキは・・・」みたいな事を言っていたが、
当のカゲプロ厨である面々は皆揃ってクエスチョンマークを飛ばしていた。
なにしろずっとそこに居たのだ。そんな警備員が始末するような事態が起きたらさすがに気づくだろう。
当日そこに居た人間が誰一人としてそんなものは見ていなかった。でも、起きた事になった。
待望のアニメが始まった。
私はカゲプロに利用しているツイッターアカウントのほかに身内友人のアカウントを持っていたんだけど、理解のある友人から「ログインしない方がいい」と言われた。
カゲプロのアニメが始まる前から、そちらのアカウントはバカにするような文面で埋まっていた。
「バカにしたいから今期はカゲプロ見る」等と堂々と言っている人も居た。何故全く内容を知らないのにバカにする前提なのか、腹が立つより悲しかった。
実際のアニメを見て、クオリティがどうだと言われたらそれは受け止める。でもガキが好きな作品だからゴミ、という構図しかそこには無かった。
自分に向けられた作品でない事がわかるなら、ほっといてくれればいいのに。
私はカゲプロが好きだということを殆どの人に明かさなかった。明かせばバカにされ、場合によっては引かれた。
カゲプロに興味があるけど、周囲がものすごく叩くから手が出せないと言われた事もあった。
いっそカゲプロの情報を何にも持たないおじさんとかの方が優しかった。前提条件が無ければ好まずとも「こんなんあるんだ」程度の気持ちで聞いてくれた。
「カゲプロ厨の素行が悪いからだ」と言うには私はその悪い素行を殆ど目撃したことが無かった。
若いからはしゃいで痛々しい事はあったかもしれない。でも流血沙汰とか、木の枝折ったとか、ブースを壊したとか、見ていない。
私の見ていない所であったと言えばそれまでだけど、でももうそんなのは「犯罪者は皆パンを食べている」理論で、カゲプロが悪いから何かをした訳ではないと思う。
ただ、私はカゲプロの事が今でも好きだし、人生で一番楽しい時間だったことに違いはない。
8月15日なのでそんなことを思い出した。
とある漫画を読んだ。それを読んで引き摺り出された「努力と普通」に関する自己嫌悪と自己愛を吐き出す。
死にたいけど死ぬための努力もしたくない。なんにもなれないならボタン一つで苦痛なく死にたい。そのための苦労は他人が負ってほしい。この考えはエゴなんだろうか。
ずっと努力していない状態が「普通」で、努力しているのは「がんばっている」だと思っていた。がんばることは辛いからがんばっている人は偉い。偉くなりたくなければ、努力しなくてもいい。
なぜかそんな思考が染み付いている。
でも、成長したら普通になるために努力するのが「普通」だと叩き付けられた。何かにつけて、普通の人との差を見せ付けられるたびに自分の本当の順位を見せられて痛い。
私は現実の見方が、受け入れ方がわからない。「こんなはずじゃなかった」といえばいいのか。そういう処世術を誰も教えてくれなかったじゃないか。
本当は小さいころから努力のやり方を学ばないといけなかったのだ。小学校のときから努力が大嫌いで、適当にやってもテストで平均点取れてるからみんなの言う「普通の学校」に進学できると思っていたんだ。
この普通は100点中、50点だ。本気で私は50点の人間だと信じ込んでいた。競争の真っ只中に放られるまで。
それがどうだ?勉強をすべて投げ、かといって趣味もなく、何にも打ち込まない。コミュニケーション不全を拗らせたぼっちが、どこの世界の50点なんだ?
よく考えてみなくても、友達も実績もどこかからか湧いてくるわけではない。誰かが努力の末に手に入れているものだとという視点は皆無だった。そもそも人への興味を持とうとすらしなかった。
手に入れた人は運が良く才能があって、結果的にそうなった。だから私にも運と才能があれば、他人みたいな普通の幸せがやってくる。
だって、自分が何もしてこなくて平均以下であることを認めたくない。私は普通だ!まだ人生はやり直せる!ああ、努力する才能さえあれば!
なにをいってる。身の程を知れ。20年間何もしてこなかったツケを今払ってるだけだろ。
でも、こんな文章を書いて自己正当化を図るくらいにはプライドは高くなって、自己愛は素晴らしく自分の性分を肯定する。
ようするに自分のことを理解できている人のふりして長文を書き、気持ちよくなりたいだけだ。何かを実際にしたいわけではないし、本質は目を逸らしたいところにあるので自分への理解さえ十分にできない。匿名世界ですら悲劇のヒロインでいたいんだろうとは思うが。
せめて言い訳ぐらいは上手くなってくれればいいのに、それすら「他人のせい」の一点張り。薄っぺらすぎてつまらない。何にもない。
もうだめだ。クズがクズのまま許容される社会を真面目に望むし、評価される社会が嫌だ。それって、努力する全ての人を馬鹿にしているだろうか。
そういう系の人でまとめてくれればいいのにー
内容には全く関係がないが、「文字をギュッとね!」というフレーズが浮かんだ。ああいかん、こうして見栄えのことだけに触れることもまたルッキズムだな…。
おっさん乙。
すまん、実は『炎の蜃気楼』読んでないんや。存在は知ってるってだけで……
北田の論文ではちゃんと「この論文では二次創作に興味があるオタクのことを二次オタクって呼ぶよ」っていう定義がなされた上で使われてるのでまあ問題はないと思う。この論文の中ではこういう用語法にしますよ、という話だから。
なのにtwitterでグラフの画像だけ切り取って拡散するやつがいるから勘違いされちゃうというね。その論文では一般的な用法とは違う用法をしてるって理解してくれー。
そんなに酷い本なのか、指摘されてる点が素人でも分かる程酷い
北田(2017)はあくまで本の1章やで……他の章に罪はないやで……参考文献にはちゃんと何ページから何ページまでって書いてあるんだからちゃんと見てほしいやで……
もとの調査は2010年やで。10年前のデータってのは古く思えるけど、2010年にデータ採って、それをもとに色々分析して、本の形で研究成果を発表したのが2017年でしょ? これだけの共同研究で7年なら、早くもないけど特別遅いってわけでもないよ。さすがにそれは言いがかりすぎて北田が気の毒。
『北田は、東浩紀(2001)のデータベース消費論に依拠しつつ』まで読んだが、その時点でもうほとんど相手する必要ない感がすごいある。謎の『二次オタク・非二次オタク』だったかの分類も意味わかんなかったけど。
いやその分類それ自体は別に悪くないやで……ただ分類に際して「興味がある」をそのまま「好きである、実践している」と同一視してる点とか、二次創作への興味を表す項目を腐女子の操作的定義に使ってるのが論理的におかしいって話やで……そういう分類も仮に適切に定義して適切に運用できるならまったく問題ないやで……
これ、「オタクの研究」じゃなくて「若者の趣味に関する共同研究」なので……他の章では音楽とか読書とかも扱われてて、オタクのジェンダー観の分析はその1章というだけ。
別に難しいことじゃないんだけどなぜか変なことしてるなぁ、という感じ。山岡(2016)の操作的定義は割とマトモだと思う。
なんで二次創作好きに絞って調査したのか気になる。一次創作好きと二次創作好きで分けて著作権意識について調査するとかなら必要性もわかるけど
それには、
という2つの要因がある。
北田は、男オタクは東浩紀の提唱した「データベース消費」をしているけど、腐女子はそれとは違う「関係性消費」をしていて、前者は既存のジェンダー規範に対して親和的だけど、後者は既存のジェンダー規範に対して批判的で、むしろ古臭い既存社会の構造に挑戦している、という議論をしているのね。
その文脈で二次創作に注目する、というのは、(議論の妥当性はさておき)まあわかる。
でも、北田のおかしいところは、「二次創作に興味がある」という項目から、これに賛同したやつはディープなオタクだろうとか腐女子だろうとか定義してるところね。「マンガの二次創作に興味がある女≒腐女子」ってのはデータがどうこう以前に論理的におかしい(『炎の蜃気楼』や『刀剣乱舞』で掛け算してる腐女子は「マンガ」で二次創作してるわけじゃないし、商業BL専門の腐女子もこの定義からは外れてしまうし、男女CPで二次創作やってる女オタクなんていくらでもいるし、好きなマンガをBLにするな! って毎日のようにBLを叩いてる女がいたとして、そいつは定義上「マンガの二次創作に興味がある女」ってことになるけどそれを腐女子と呼ぶのはどう考えても間違い)。これは山岡も皮肉ってる。
例えば、与野党の政治家、報道関係者、一般国民に至るまで、多くの者が総理大臣の言動に興味を持っているだろう。「興味を持つこと」と「好きであること」を同一視すれば……驚異的な支持率になる。……(山岡 2019: 21)
それと、男オタクと女オタクのデータベース消費うんぬんの話で東園子の先行研究を引いていて、これは私はまだ読んでないからなんとも言えないんだけど、『ヘタリア』と『東方』の差異で男女の消費の差異を論じてる箇所があるらしいんだよね。……『ヘタリア』、普通にギルエリとかヘテロCPもあったよな? 『東方』、男オタク界隈でも早期から百合(つまり関係性消費)の勢力が根強かったジャンルだよな? まあでもこれは東園子を読まないと何も言えないのでまずは読んでみますわ。
で、北田(2017)のツッコミどころはたいてい指摘されてて(てゆーか北田も一部については自己批判してる)、正直私がここでこんなこと書くのって車輪の再発明でしかないんだけど、あのグラフは画像として独り歩きしてて「男オタクは保守的、女オタク/腐女子は進歩的」の論拠として用いられることがまだまだ多いんだよね。だから、いやもともとの論文もけっこうおかしいよね? そんなとこから無批判に持ってきて男オタクを云々されるの困るんだけど? というのをブクマカ諸氏に訴えかけておきたかった。
ちなみに北田はその後noteで山岡(2019)に応答してるけど、今んとこ山岡からの再反論はなし。
https://note.com/gyodaikitada/n/nf3ec68635b4e
https://note.com/gyodaikitada/n/n64fa34704698
https://note.com/gyodaikitada/n/n1c5f282be513
ただこの夏に山岡が新刊出すらしいんでそっちで反論があるのかも。個人的には北田の反論もnoteとかでやってないでどっかの紀要とかに載っけてくれればいいのにと思うけど、まあ印刷物はすぐにはできないので気長に待つとしましょう。仮に去年の夏ごろに紀要に原稿投下してればそろそろ刷り上がってくるころかな(『現代思想』では江口聡のtweetを引用してdisってるんだから、ウェブ上の論争を紙でやることに抵抗はないのだろうし)。
フェミニズムの人って文献を批判的に吟味出来ているのかな?なんか北田のグラフをそのまま鵜呑みにしている反応を見たんだけど...
まあ畑違いの分野だったり自分に馴染みのないテーマだったりすると批判的に読むのすら難しいしねえ。同じドイツ近代史の真面目な研究者さんでもキリスト教に詳しくないとカール・レーフラーを見抜けなかったので……あと、フェミニストでも腐女子じゃなければ操作的定義のおかしさに気づくのとか難しいだろうし、腐女子でフェミニストでも研究についてよくわかってなければ吟味する能力がないのは仕方ない面もあるし。でも腐女子を自認してるフェミニスト研究者はさすがになんかおかしいと思わなかったのかよとは思う。
一応全部読んだんだけど、北田氏の言説がアレげな事はおぼろげにわかったが、それを突き詰めるために原典全部に当たろうとはとても思えない話だった
北田(2017)は日本語で50ページくらいの分量やで……選書だからページあたりの文字数もそこまで多くないしグラフも含めてのページ数やで……
引用しちゃダメな文献なんてないんやで。どんな文献でも引用してよくて、その中に肯定的に引用すると信頼度が落ちる文献とか自説を補強する目的で引用するとバカにされる文献とかがあるだけだから、もしも引用に値すると思うのなら匿名記事でもガンガン引用してええんやで。まあこんなガバガバ増田から引用するくらいなら素直に北田(2017)や山岡(2019)を引用しよう!
山北(リバあり)
そもそもがミソジこじらせてる連中が言う「俺らオタク」の定義がガバガバで、ジェンダー論に行く手前でもう突っ込みどころが満載なんだよなあ。アニメ漫画ゲーム以外にも山程オタはいるわけだし
【追記】
トラバおよびブコメのみなさん、追加の情報ありがとうございます!
茨城マルシェ!!!福井館!!!何か忘れてるんだよなーって思いながら書いていたんですが、それだ!どちらも凄く良く利用しています。茨城マルシェはリニューアルして名前も変わっていたはずです。入りやすくなったよね。あそこですごいメロンなメロンパンを頻繁に買います。すごくメロンなんだ。あと笠間焼のよいものとかを眺めます。福井館で買ったサバのへしこすごい美味しいんでリピートしています。
宮城(池袋)は池袋に行く用事があまりないんで数回しか言ったことが無いんですがいいですよね。あと新潟(表参道ネスパス)は、岩手と同じぐらい、スーパーマーケット使いが出来るアンテナショップなので大好物です。福井と新潟は戦略的に面白くて、物販系のアンテナショップと食品系のアンテナショップが分かれているのです。青山の福井291はうっとりする美しさの越前漆器などの伝統工芸品が並んでいて壮観なので、青山の方に行くときには必ず行きます。日本橋にある新潟のアンテナショップは元々物販系のイベントスペースみたいな感じだったのだけどリニューアルして食べ物とかお酒も少し増えているのでありがたいです。サラダホープを常に売っててくれればいいのになと思っています。
あとは青森の物産館が飯田橋と新富町にあるんですよね。北海道とかもそうなんですが、自治体が主体でやってるところ、観光公社がやってるところ、第三セクターぽい会社がやってるところなど、複数出店してる自治体もあります。都道府県じゃなくて市区町村レベルのアンテナショップは特にレアものでたまらないよね!
物産館と現地の旅行が違うのは当然で、私は自粛したくてしているので旅行は我慢して、代わりに少しでも、と言う楽しみを見つけています。食べ物とか産物には興味がない方には参考にならないかもしれませんが、実は、それぞれの物産館やアンテナショップを複数比較する目線で買い物に行くと、たかがアンテナショップでもお国柄や「自分たちの地元をどうアピールしたいか」が見えてきますよ。それぞれ個性的でとても楽しいので、興味がない方も、空いてそうな時間に近くに行く用事があったら、ぜひ!と思います。
追記以上!
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もともと、このご時世に旅行に行っても色々楽しめないだろうなぁと思っていたのでGoTo使えなくてもまぁ、と思ってはいるのだが、元々は国内旅行が好きだったので遠出出来ないのはとても残念だ。
国内旅行が好きというのは、飛行機が好きじゃないことと、自分もご先祖も東京(4代前まで確認)で東京以外のことをあまりよく知らず、地方に強いあこがれがあるからである。その地域の地元の人からは苦情を言われがちなケンミンショーだって、うっかりすると異国情緒を受信してわくわくと楽しみにしていたりする。
旅行が好きだが出かけられない慰みに、仕事などで避けようがない外出のついでに地方のアンテナショップを覗くのが今の楽しみだ。増田は、銀座まで歩いていける東側の東京に住んでおり職場も東京駅近くなので、アンテナショップがなぜか大集結している銀座~日本橋かいわいに散歩がてら行くのにとても便利である。
そもそも、有楽町駅前の交通会館(パスポート作りに行くところ)だ。
ホント色んな自治体のショップがある。よく行くのは北海道のどさんこプラザだが、博多の物産店というのもあり福岡みやげで気に入ったお菓子とかうまかっちゃんのいろんな味セットとかを買う。あと「むらからまちから館」という店も入っていて、端っこから棚を見てるだけでわくわくしてくる。どこか架空の「地方のスーパーチェーン」にいるような気持になれる。秋田の物産館ではバター餅をいつでも買える。他にも地下~2階ぐらいまで色んな物産館があるので交通会館だけで一日過ごせる。
その一方で、交通会館は一つ一つの店が小さくて少し物足りない気持ちも出てくる。そういう時は、有楽町から晴海通りの方に出る。有楽町には老舗?の物産館であるかごしま遊楽館、銀座熊本館がある。かごしまの方はさつま揚げが旨い。そりゃあ鹿児島に行けばもっと安くてもっと旨いのは知っている。知っているが、東京のスーパーでは売ってないムチムチしたさつま揚げが食べられる。熊本館では馬刺しを買う。これも普通のスーパーではなかなか売っていない。
銀座周辺にはその他に、知ってるだけでも、広島、山形、高知、長野、沖縄、島根、群馬、岩手などのアンテナショップがある。もっとあるかもしれないけど。新橋の方に行くとせとうち旬彩館(香川と愛媛)、ももてなし(岡山と鳥取)という合体型のアンテナショップもある。
沖縄は「わしたショップ」と言って、アンテナショップの草分け的な店だ。今は支店?があちこちにあるらしいが銀座が元祖である。広々していて店の奥の方でサーターアンダーギーとか沖縄そば、ブルーシールのイートインスペースがあるのでサーターアンダーギーをかじって一休みできる。
広くて商品の種類が断トツに多くて楽しいのは、岩手銀河プラザだ。ちょっと銀座からは離れているが、ほぼスーパーとして使えるんじゃ…と思うほどの品ぞろえである。海のものも山のものもある。あとソフトクリームが旨い。
おいしい山形プラザも山形から直送の野菜を売ってたり野菜の加工品もたくさんあって普段使いできるのがいい。更に同じビル内に山形の食材でおしゃれイタリアンのコースが食べられる店がある。アンテナショップの枠を超えて普通に上手くて上品なイタリアンレストランで何か笑う。でもすごく旨い店だよ。
広島TAUでは、国産無農薬レモンと、カープおじさんの知人にカープみやげを買う。お好み焼き屋さんもあって、物産館の店、というより普通にお好み焼き屋である。旨い。
あと日比谷の方になってしまうが、日比谷にある島根館、これは以前は日本橋にあったが出世?して日比谷のデカいビルに引っ越した。日本橋にあったころは、新米の季節には仁多米を買ったりおじいちゃんの縁でDAIGOがラベルになってる酒をひやかしたりしていたが、個人的には出西窯、湯町窯という「民藝ブランド窯」の食器がずらっと並んでいたのがとてもお気に入りだった。現地に行かずに山ほどのスリップウェアをあーだこーだ眺めつくしてお気に入りの皿を捕獲したものだ。都会に引っ越したので今はどうなってるのかまだ見に行っていないのだが、まだずらっと並んでるといいなぁ。長野の物産館はちょっと笑う感じでりんご押しである。いろんな種類のりんごが売っている。
銀座には他にもたくさんあるのでぜひ一通り見たら中央通りに沿って日本橋方面に向かう。途中で京橋の先、東京駅の手前あたりに山梨、山口のアンテナショップがある。いつだって信玄餅を買えるし、山口のアンテナショップでフグのひれ酒の「ひれ」だけを売ってるので、冬場はそれを買って帰って家でひれ酒を楽しむ。
東京駅の八重洲側の地下商店街には北海道フーディストという店があって、ここもとても充実している。お気に入りはサッポロクラシックとさけとばチップである。あとここで売ってるカチョカバロがすごい旨い(何度も書くが、現地に行けばもっと安くてうまいのだろうが私は都民なのでこれで十分幸せでありがたいのだ)。
そして更に日本橋方面に歩いていくと、日本橋長崎館がある。壱岐で取れた魚とか売ってて一体物流どうなってるんだ…と敬意を持つばかりなのだが、すごい種類のカステラとか、あごだしとか、五島うどんとか、波佐見焼とか、見ていて楽しい食べて美味しい。あとたまにV・ファーレン長崎の名物マスコット、ヴィヴィくんが一日店長をしているらしい。今は出来ないだろうがV・ファーレンの試合のパブリックビューイングもしてるらしい。
日本橋の交差点の前に残ったど根性ビルにあるのがここ滋賀、がある。鮒ずしが買える(買ったことはない)。ここで買ったほうじ茶がすごくおいしくてアタリだった。どうでもいいが殆どのアンテナショップで地元産のお茶を売ってる。お茶と言えば静岡とか八女とか宇治とか思っていたが、お茶っていろんな場所で作ってるんだなぁ。
日本橋の橋を渡るとすぐに日本橋富山館がある。比較的新しいアンテナショップだが、ここはバーコーナーがあって富山の日本酒の飲み比べセットというのをやっている。これが、たまらなく良い。常時20種類ぐらいの日本酒のなかから3種類を選ぶ。つまみもあって、富山のかまぼことかサバのなれずしとか、富山産の酒のつまみがまたうまい。ここで飲み会をやりたいぐらい(今は飲み会は難しいが…)。奥の方には本格的な和食の店もあってこちらはガチの和食で普通に上手くてまた笑う。
更に少し先に行くと、でかいせんとくんが軒先に立っている奈良まほろば館、その先にはブリッジにいがたがある。奈良はすごく旨い柿の葉寿司とすごく旨い油揚げを売ってるのでそれで晩酌ができる。更にその先に行くと、三重増田がおススメしていた伊勢うどんが食べられる三重テラスがある。さらに先に行って神田方面に行くと、淡路島の物産館、福島の物産館がある。福島の物産館は週替わり?とかで色んな喜多方ラーメンの店が出店してたりして良い。あと酒の種類が半端ない。
まだ他にもあるんだろうけど増田が出没するのはこのあたりがメインである。有楽町から神田まで3㎞弱、普通に歩けば40分ぐらいであるが、あっちの物産館、こっちのアンテナショップ、とウロウロすると一日潰せると思う。そして両手にどんどん増える荷物…。スーパーマーケットではあまり出会うことが無い食べ物や珍しくておいしいものをみやげに抱えて帰宅する。地ビールとか地酒とその土地のおススメのツマミで一杯やる。デパートでも地方の産物はもちろん売っているが、デパートとは違って「現地感」があるのがとても良い。ケンミンショーで取り上げられた!とPOPが付けられて横澤パンやサラダパンを売っていたりするのもかわいらしくて良い。北海道や岩手などでは塩水ウニも買える。高いけど。
GoToから締め出され、遠出も帰省もままならないとしょんぼりしている地方好きの皆さん、アンテナショップ巡業してみませんか。店に入る時にはマスクは必須で!GoToには参加できないけど地方にカネを回そう!
付き合って3年になる彼氏がいるんだけど、最近会おうとか言われてもワクワクしなくなってしまった。
なんでだろうと考えてみると、
・大学時代のバイト歴1年くらいなのに、受けてもいない企業に受かる気しかしないと言う、勉強してもいない資格を取れるとか言う
・うちの親が病歴あること知ってるのに「人間全員一回コロナになればこれはおさまるんだよ」という無神経な発言をした
心が折れやすいのは知ってるから大学生の時はもっと支えてあげたいとか、相手のことを幸せにしたいとか思えていたのに最近思えなくなった。
ちゃんと働いてる人の方がいいなあとか、当たり前といえば当たり前のことを思い始めた。
元々月に3回くらいしか連絡もしないし会わないしという感じだったからコロナ期間急に会えなくなったとかではないんだけど、会わなくてもすごく寂しいわけじゃないんだなあとも思った。
会わなきゃ寂しい=彼氏がいなきゃマイナスの状態ってことだから、そうはなりたくないっていうのもあるけど、わくわくすらしなくなっちゃったのってどうなんだろう。
いついつ暇?ってラインして、
暇だったら飲みに行って、
相手の家でセックスするっていう流れしかなくて、どこか遠くへ行くようなデートなんて数えるくらいしかしたことなくて、
この先もこの流れが変わらなかったらすごく嫌だ。
でも3年付き合ってるから振るのもかわいそうだし、なんて切り出せばいいか分からない。
振ってくれればいいのにとさえ思う。
どうすればいいんだろう。
別れる方向でも、続ける方向でもどっちでもいいのでアドバイスがほしいです。
20代前半です