はてなキーワード: お下がりとは
ランドセルについてのTogetterを見て、自分のランドセルに関する記憶が蘇ったので書く。
小学校に入学してから数ヶ月の間、従姉妹のお下がりのランドセルを使っていた。
入学前に母親が貰ってきて「○○ちゃんのお下がりだけど綺麗でしょう?」と言って見せてきたが、傷もあるしなんだかヘタっていて、ボロボロだった。
嫌だなぁ、と内心思ったかもしれないが、「よそはよそ、うちはうち。うちは貧乏」の精神を幼少時より叩き込まれていたから「まぁ、うちはそうなんだな」と思い黙って使っていた。
ランドセルの値段なんて知らないから、恐ろしく高いものなんだろうと思っていた。
(実家の細かい経済事情なんざ今も知らないが、成長してみて思うのは、少なくとも貧乏というほどではない。別に金持ちでもないが、中流という感じ)
当然、周りの子供たちのランドセルはピカピカで、お下がりを使っている子は居なかった。
「どうして入学したばかりなのにそんなにボロボロなの?」「一年生なのにもうそんなに汚しちゃったの?」と同級生に訊かれて恥ずかしい思いをした。
私が乱暴に扱って傷つけたわけじゃないのに、周りからはそう見える。
何と答えたかは覚えていない。何も言えなかったかもしれないし、お下がりだから、と答えたかもしれない。
別にその子たちは意地悪で言ったわけではないと思う。単純に疑問だったのだろう。仮に自分のランドセルがピカピカで他の子のがボロボロだった場合、自分でもそう尋ねていたかもしれない。
入学から数ヶ月経ったある日(ちょうど今くらいの時期かな)、突然母親から新品のランドセルを与えられた。
母親が誰かから言われたのか、自ら何か考えを変えたのかはわからない。
とにかくそこからは新品のランドセルを背負い、卒業までそれを使い続けた。
元々使っていたお下がりは何処へいったのかわからない。捨ててしまったのかもしれない。
私には歳の離れた妹がいるが、彼女の小学校入学時には初めから新しいランドセルが用意されていた。
私よりも内気な妹が、私と同じ思いをすることにならなくて良かったと思った。
私が子供の頃には、今のようにランドセルに多様性などはなく、価格のピンキリはあっただろうが色は黒か赤しかなかった。
性自認に揺らぎのありそうだった子がポツリと、「本当は黒いランドセルが良かったけど、ダメだって言われた」と言ったことを今でも覚えている。
親の意向もあるだろうが、今は色の選択肢がたくさんあるみたいでそれはいいことだと思う。
ちなみに、ランドセルを買ってもらえなかったことで親を恨んでいるとかそんなことは別にない。普段は余裕で忘れて生きている。ランドセルの話題を目にしてたまたま思い出した。
でも、母には他にもなんだかそういうところがあるなぁ、と思った。
本当に貧しくてランドセルが買えないのなら仕方ないが、そういうわけでもないのにお下がりで済ませようとし、子供が新しい環境でどう感じるか、周りがどう思うか、そういう部分への想像力があまり無い。
おそらく「自分なら気にしない」と思っている。
そういう「私ならこうする、私なら平気」という感覚を、数十年ギャップのある子供にも適用でき得ると思っている節がある。
そういう価値観が、私の折々の進学や就職の時にも挟まれることがあったが、成長するにつれある程度聞き流すようになっていったので、いわゆる「毒親に支配される」的な状況にはならなかった。
私が適度に反抗的で、母親はそこまで束縛の強いタイプではなかったからかもしれない。
母親とは話も合うし、尊敬している面もあるが、長い時間一緒にいると喧嘩になることがあるので、今は離れて暮らしている。
たまに会うと楽しくお喋り出来る。
(ここまで父の話題が1度も出てきていないが、子供の頃父親は私が起きる前に出社して寝た後に帰宅するような生活だったのであまり生活面での関わりがなかった。モーレツ社員ってやつですかね、ああいう働かせ方は良くないと思う)
でも、自分が子供の頃に感じていた、一つ一つは大きくないけれど細かく点在するしこりのような感情のことを思い起こすと、子供を持つのは怖いなぁと思ってしまうので今のところ子をもつ予定はない。
引っ越しもして貯蓄が減っているのが現状です。
(以下長文です、すみません)
そのちょっと前から自転車屋さんでバイトを週2回、3時間入る事になりました。微々たる物ですが足しになるかと。
今まで夫の一人暮らし用の部屋で二人で住んでいたため、私は自転車無しでほぼ一年を過ごしていました。引っ越しすると自転車買おうね、という話をしながら。
それで昨日、私から
「やっと引っ越したから自転車買ってもいいし、社割りが効く様になったら変速機付きの自転車を買って、それ夫が使ってよ。通勤大変でしょ?(変速機無い自転車+坂道多い通勤)私はお下がり貰うから。」
と言ったら要らないと。
大変なのに何故?と思いましたが、夫のこだわりがあるのかな…と思い、
「なら、私が変速機付きの買っていい?」
としてたらギョッとした顔で
「俺は二人で頑張ると思ってた」
と答えて、
私は「????」となって
と聞くと、
「贅沢だよ。5千円ぐらい差あるでしょ」と
と聞くとそうだと答えました。
総合すると、贅沢だと。
正直、何が普通なのか分かりません。
ですので、皆さんの意見が欲しいです。
今の時期に、変速機付きは贅沢ですか?
元々贅沢ですか?
引っ越しもして貯蓄が減っているのが現状です。
(以下長文です、すみません)
そのちょっと前から自転車屋さんでバイトを週2回、3時間入る事になりました。微々たる物ですが足しになるかと。
今まで夫の一人暮らし用の部屋で二人で住んでいたため、私は自転車無しでほぼ一年を過ごしていました。引っ越しすると自転車買おうね、という話をしながら。
それで昨日、私から
「やっと引っ越したから自転車買ってもいいし、社割りが効く様になったら変速機付きの自転車を買って、それ夫が使ってよ。通勤大変でしょ?(変速機無い自転車+坂道多い通勤)私はお下がり貰うから。」
と言ったら要らないと。
大変なのに何故?と思いましたが、夫のこだわりがあるのかな…と思い、
「なら、私が変速機付きの買っていい?」
としてたらギョッとした顔で
「俺は二人で頑張ると思ってた」
と答えて、
私は「????」となって
と聞くと、
「贅沢だよ。5千円ぐらい差あるでしょ」と
と聞くとそうだと答えました。
総合すると、贅沢だと。
正直、何が普通なのか分かりません。
ですので、皆さんの意見が欲しいです。
今の時期に、変速機付きは贅沢ですか?
元々贅沢ですか?
私は所謂「パパ活」と呼ばれる援助交際によって生計を立てている者です。
私の育ちは豊かとは言えないがそこそこ幸せだったように思う。
お金はそんなにない家庭だった。
まあでも、無くても無いなりの幸せってのはあるもので親元を離れるまでは地元で楽しく暮らしていました。
勉強はそこそこだったが突出して良いという訳ではなく、スポーツや一芸に秀でていることもなかった。
両親は共にヤンキー上がりで、私が問題を起こすたびに「若さは大事だからそんなに気にしないの。子供の行いは親が責任取るものだから」なんて言って励ましてくれていたが、流石に退学処分を食らったときは泣いていた。
そんなこんなで学もなく、真面目さの一つもない私が持っていたものは両親から譲り受けた"可愛さ"だけだった。
未成年だったので朝9時から夕方の6時まで、有名雑貨店でバイト仲間と駄弁りながら時間を浪費していた。
家に帰れば大好きな両親と兄弟がいた。
休日は地元の不良仲間とカラオケ、プリクラ、安い古着屋で服を漁る。
今思えば私の暮らしは何の不満もなかったはずだ。
私の地元はお世辞にも発達しているとは言えない、辺鄙な所でした。
そんな土地で十数年暮らしていた不良少女が華やかな東京の街を見てしまった。憧れないわけがない。
車の免許費用として貯めていた40万円の貯金を元に突発的に上京した。
ここから私の生活は一変、彩度が低い田舎町からカラフルでキラキラ輝いている街を闊歩するように。
当時の私にとって全ての体験が新鮮で刺激的でした。
とりあえず東京暮らしをするためにガールズバーで働き始めた。業務内容も、時給ひとつとっても全て田舎の比ではないくらい良いものだったし。
毎月20〜30万ほどの収入があって、こんなにお金が貰えるなんて...と感動した。
人とは愚かなもので一度甘い蜜を味わってしまうとさらに上を求めてしまうんですね。
家はもっと立地がいいところ、服や鞄はブランド物じゃないと嫌、一流のデパコスで顔を彩りたい。
とにかく貪欲になっていく。
当初は満足していたバイトですら物足りなくなって風俗嬢になった。
ここで私は可愛く生まれたことを激しく両親に感謝した。整形しなくとも指名は入り、バンバン固定客を掴んでいった。
月収はゆうに100万を超えていたと思う。ただ、それ以上に出費がとにかく多かった。
新宿で家賃は20万くらいのマンションに住み毎週のように百貨店でブランド品を買う。貯金なんてしなくても稼いでるからいいでしょ?と自分に言い聞かせ。
働けど働けど一向に貯金は増えなくて、いよいよ生活費を賄うことすら厳しくなってきた。
つくづく私は運の良い人間だ。
いつもの様に出勤し、太客から指名が入り開口一番「君のことを本当に愛してる。僕に養わせて欲しい」
なんて言われた。
その瞬間私が思ったことは、やはり可愛く生まれて良かった と、傲慢過ぎる感覚だった。
金以外何も見えていなかった。
こうして私は水揚げされ、彼と暮らすことにした。
早速住んでいたマンションから退去し、都内有数の超高級住宅の部屋を与えられた。
詳細は伏せるが有名人御用達の高級マンション。家賃は3桁万円。これだけでなく毎月うん百万のお小遣い、それだけで軽自動車が買えてしまう服に鞄に家具。
こうして私のパパ活が始まった。
初日から1ヶ月目くらいまでは興奮のあまり寝ることすらままならなかった。
自分の通帳を何度も開き、これは嘘でも夢でもないんだと都度幸福に浸る。
エルメス、セリーヌ、バレンシアガ、ディオール、ルブタン、ジバンシー、フェンディ、ヴィトン、バーバリー。まあなんとも成金臭の強い物ばかりだが部屋の中で買い込んだブランド品で自分を着飾っては恍惚した。
片田舎で1000円以下の古着を漁っていた頃の自分はもういない。今の自分は、一枚10万もするシャツを惜しみなく買える。それも際限なく。
もう私の頭の中はとにかくお金でいっぱいだった。
専属の運転手に毎日ブランド品を取り扱う店に走らせた。使わなければ溢れてしまうほどのお金があるのだから。
約半年ほどこの様な生活をしてみたが遂に、またしても「飽き」に到達した。
欲しいものはもう買い尽くした。新商品が出たら別に欲しくなくても、惰性で買っていた。
たしかに生活水準は地元にいた頃とは比較にもならないぐらい上がった。
それでも、何かが足りない。
あぁ私に足りないのは無償の愛だ。という答えに辿り着いた頃にはもう遅くて彼から受ける一方的、暴力的とも言える施し。私は1秒も彼を愛していなかった。
只々与えられ続けブクブクと肥えた心を得ただけでした。
そういえば上京してから家族と連絡をあんまりとっていなかった。
みんな何をしてるんだろう、と思い友人数名と母親のインスタを覗いた。
...。
結論から言いますと、あまりにも私の家族や友人と私自身生活の差に号泣してしまいました。
仲が良かった友人らは相変わらず某ショッピングモールで屯し、安いフードコートでスイーツを食べ、プリクラを撮って、カラオケに行っている。
母親は100円ショップで可愛い小物を探すのが楽しみです♪なんて投稿をしていた。服なんてもう何年も新しいものを買っていないだろう。私の母は美人だ。美人だが、金はない。ルックスと身につけている物の落差で余計にみすぼらしく見えてしまう。
妹もとびきり美人だ。勉学に勤しみ、運動神経もずば抜けている。なのに、私のお下がりを着続けてボロボロになったランニングシューズを大事に使っている。
ショックだった。
私は、最悪だ。
金に塗れ、周りの事など見ていなかった。
思えば収入が増えた時点で実家に仕送りをすれば良かったのにそれをせず自分にお金を使い続けた。
本当なら、母にはいつまでも綺麗でいてほしいし妹にはもっと自分の可愛さに気づいてほしい。これは押し付けかもしれないけど、私はそう思う。
お金は一番の麻薬。与えられれば与えられただけ、求める量も増えていく。
現に私はまだパパ活を続けている。
今の生活を手放すのが怖い。
ただ変わった点はいつ見限られてもいいよう貯金は常に2千万を切らないようにし、家には毎月20万の仕送りをしている。
本当なら100万でも200万でも送ってあげたいけど、私がどのようにして稼いでいるかを知ったら、ひどく悲しませてしまう。
20代前半にしてこんな暮らしを覚えた私の行く先は、どうなってしまうのだろう。
この身体が私の商売道具だ。身体さえあれば稼げるが、逆に言えばそれ以外何もない。
私の幸せが飽和してしまった分、家族や友人らに幸せを与えることが、今後私の役目だろうか。
お金以外で感情を表現することができなくなった私は、毎月お金を実家に送り、使わなくなったブランド品も定期的に送っています。
正しい愛を誰か私に、再教育して下さい。
私は所謂「パパ活」と呼ばれる援助交際によって生計を立てている者です。
私の育ちは豊かとは言えないがそこそこ幸せだったように思う。
お金はそんなにない家庭だった。
まあでも、無くても無いなりの幸せってのはあるもので親元を離れるまでは地元で楽しく暮らしていました。
勉強はそこそこだったが突出して良いという訳ではなく、スポーツや一芸に秀でていることもなかった。
両親は共にヤンキー上がりで、私が問題を起こすたびに「若さは大事だからそんなに気にしないの。子供の行いは親が責任取るものだから」なんて言って励ましてくれていたが、流石に退学処分を食らったときは泣いていた。
そんなこんなで学もなく、真面目さの一つもない私が持っていたものは両親から譲り受けた"可愛さ"だけだった。
未成年だったので朝9時から夕方の6時まで、有名雑貨店でバイト仲間と駄弁りながら時間を浪費していた。
家に帰れば大好きな両親と兄弟がいた。
休日は地元の不良仲間とカラオケ、プリクラ、安い古着屋で服を漁る。
今思えば私の暮らしは何の不満もなかったはずだ。
私の地元はお世辞にも発達しているとは言えない、辺鄙な所でした。
そんな土地で十数年暮らしていた不良少女が華やかな東京の街を見てしまった。憧れないわけがない。
車の免許費用として貯めていた40万円の貯金を元に突発的に上京した。
ここから私の生活は一変、彩度が低い田舎町からカラフルでキラキラ輝いている街を闊歩するように。
当時の私にとって全ての体験が新鮮で刺激的でした。
とりあえず東京暮らしをするためにガールズバーで働き始めた。業務内容も、時給ひとつとっても全て田舎の比ではないくらい良いものだったし。
毎月20〜30万ほどの収入があって、こんなにお金が貰えるなんて...と感動した。
人とは愚かなもので一度甘い蜜を味わってしまうとさらに上を求めてしまうんですね。
家はもっと立地がいいところ、服や鞄はブランド物じゃないと嫌、一流のデパコスで顔を彩りたい。
とにかく貪欲になっていく。
当初は満足していたバイトですら物足りなくなって風俗嬢になった。
ここで私は可愛く生まれたことを激しく両親に感謝した。整形しなくとも指名は入り、バンバン固定客を掴んでいった。
月収はゆうに100万を超えていたと思う。ただ、それ以上に出費がとにかく多かった。
新宿で家賃は20万くらいのマンションに住み毎週のように百貨店でブランド品を買う。貯金なんてしなくても稼いでるからいいでしょ?と自分に言い聞かせ。
働けど働けど一向に貯金は増えなくて、いよいよ生活費を賄うことすら厳しくなってきた。
つくづく私は運の良い人間だ。
いつもの様に出勤し、太客から指名が入り開口一番「君のことを本当に愛してる。僕に養わせて欲しい」
なんて言われた。
その瞬間私が思ったことは、やはり可愛く生まれて良かった と、傲慢過ぎる感覚だった。
金以外何も見えていなかった。
こうして私は水揚げされ、彼と暮らすことにした。
早速住んでいたマンションから退去し、都内有数の超高級住宅の部屋を与えられた。
詳細は伏せるが有名人御用達の高級マンション。家賃は3桁万円。これだけでなく毎月うん百万のお小遣い、それだけで軽自動車が買えてしまう服に鞄に家具。
こうして私のパパ活が始まった。
初日から1ヶ月目くらいまでは興奮のあまり寝ることすらままならなかった。
自分の通帳を何度も開き、これは嘘でも夢でもないんだと都度幸福に浸る。
エルメス、セリーヌ、バレンシアガ、ディオール、ルブタン、ジバンシー、フェンディ、ヴィトン、バーバリー。まあなんとも成金臭の強い物ばかりだが部屋の中で買い込んだブランド品で自分を着飾っては恍惚した。
片田舎で1000円以下の古着を漁っていた頃の自分はもういない。今の自分は、一枚10万もするシャツを惜しみなく買える。それも際限なく。
もう私の頭の中はとにかくお金でいっぱいだった。
専属の運転手に毎日ブランド品を取り扱う店に走らせた。使わなければ溢れてしまうほどのお金があるのだから。
約半年ほどこの様な生活をしてみたが遂に、またしても「飽き」に到達した。
欲しいものはもう買い尽くした。新商品が出たら別に欲しくなくても、惰性で買っていた。
たしかに生活水準は地元にいた頃とは比較にもならないぐらい上がった。
それでも、何かが足りない。
あぁ私に足りないのは無償の愛だ。という答えに辿り着いた頃にはもう遅くて彼から受ける一方的、暴力的とも言える施し。私は1秒も彼を愛していなかった。
只々与えられ続けブクブクと肥えた心を得ただけでした。
そういえば上京してから家族と連絡をあんまりとっていなかった。
みんな何をしてるんだろう、と思い友人数名と母親のインスタを覗いた。
...。
結論から言いますと、あまりにも私の家族や友人と私自身生活の差に号泣してしまいました。
仲が良かった友人らは相変わらず某ショッピングモールで屯し、安いフードコートでスイーツを食べ、プリクラを撮って、カラオケに行っている。
母親は100円ショップで可愛い小物を探すのが楽しみです♪なんて投稿をしていた。服なんてもう何年も新しいものを買っていないだろう。私の母は美人だ。美人だが、金はない。ルックスと身につけている物の落差で余計にみすぼらしく見えてしまう。
妹もとびきり美人だ。勉学に勤しみ、運動神経もずば抜けている。なのに、私のお下がりを着続けてボロボロになったランニングシューズを大事に使っている。
ショックだった。
私は、最悪だ。
金に塗れ、周りの事など見ていなかった。
思えば収入が増えた時点で実家に仕送りをすれば良かったのにそれをせず自分にお金を使い続けた。
本当なら、母にはいつまでも綺麗でいてほしいし妹にはもっと自分の可愛さに気づいてほしい。これは押し付けかもしれないけど、私はそう思う。
お金は一番の麻薬。与えられれば与えられただけ、求める量も増えていく。
現に私はまだパパ活を続けている。
今の生活を手放すのが怖い。
ただ変わった点はいつ見限られてもいいよう貯金は常に2千万を切らないようにし、家には毎月20万の仕送りをしている。
本当なら100万でも200万でも送ってあげたいけど、私がどのようにして稼いでいるかを知ったら、ひどく悲しませてしまう。
20代前半にしてこんな暮らしを覚えた私の行く先は、どうなってしまうのだろう。
この身体が私の商売道具だ。身体さえあれば稼げるが、逆に言えばそれ以外何もない。
私の幸せが飽和してしまった分、家族や友人らに幸せを与えることが、今後私の役目だろうか。
お金以外で感情を表現することができなくなった私は、毎月お金を実家に送り、使わなくなったブランド品も定期的に送っています。
正しい愛を誰か私に、再教育して下さい。
俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。。。
すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。
「ファミコン持ってない奴が怪しい」なんて、真っ先に疑われたっけ。
貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!って悪態ついたときの
母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ、、。
これでようやく遊べると思ったんだけど、ニチイのゲーム売り場の
前まで来て買うのやめた。そのかわりに小3の妹にアシックスの
ジャージを買ってやった。いままで俺のお下がりを折って着ていたから。
母にはハンドクリーム買ってやった。いっつも手が荒れてたから。
ハンドクリームの缶を見せられた。
泣いたね、、。
初めて言ったよ「生んでくれてありがとう」って。
まあ、給食費盗んだのは俺なんだけどね。
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おじいちゃんの遺言でApple製品は使わない – NorthPage
父親がApple信者だったのでお下がりのPerforma 588を使っていた。
当時からMac系の雑誌では「MacOSはもうダメだ」と言われていたと思う。
元記事で指摘されている「マルチタスクができない」なども悩みの種だった。
「システムはWindowsが良いがGUIはMacが素晴らしい」というのが大方のApple信者の認識だった。
もちろん対外的には「すべての面でMacは優れている」と主張するのが当然だったが。
次期MacOSではそれらの欠点がすべて解消され、夢のようなOSになると言われていたが、
その開発に失敗したことでApple社への不満は頂点に達した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Copland
正確には、私がMacを使いはじめたのはコープランド開発中止のあとなので、リアルタイムの感想は分からない。
しかし雑誌などでは「コープランドが成功していればこうなるはずだった」というようなことがたびたび書かれ、
まるで理想国家建設に失敗して「どうしてこうなった」と嘆く共産主義者のようだったことは覚えている。
もちろん対外的には「MacはWinに負けてない」と主張するのが当然だったが。
「Macはディレクトリでなくフォルダだから素晴らしい」というのはよく分からない。
もっと昔はそういう言説もあったのかもしれない。
たとえば「マニュアルを見なくてもドラッグ&ドロップの意味が分かる」みたいなことではなく、
「このファイルをここにドラッグ&ドロップすればこうなりそう」という直感が当たる、といったような話だった。
このあたりは現在のiOSなどにも引き継がれているところだと思う。
まあ、どの企業もGUIデザインに気を遣うようになって相対的な優位性は無くなっているが…。
自分にとってジョブズは「教祖」というよりは「過激派の司祭」だった。
Windowsを攻撃するぶんには頼りになるが、彼の言うことを何でも信じていたわけではなかった。
MacとWinPCの性能比較には無理があったし、過去に言っていたことをすぐにひっくり返すし。
もちろん対外的には「ジョブズは素晴らしい」と主張するのが当然だったが。
とりあえずジョブズが復帰して、iMacが発売されて、Appleは勢いを得た。
同時期のWindows2000の画面と比べてみてくださいよ。
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/990628/desktop.jpg
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/20001018/wpe05_04.jpg
完全に未来でしょ。美しすぎるでしょ。これは調子乗っちゃうでしょ。
マカーが「MacはWindowsより美しい」と言いはじめたのはMacOSX以降じゃないかと思う。
それまでは「Macは可愛い」とか「人間味がある」「愛嬌がある」といった評価が多かったのでは。
話の落とし所がわからなくなってきた。
自分がなぜApple製品を使っているのかを考えると「最初に使ったから」という刷り込みが大きいのだが、
もう一つとして「Apple信者だから」というのがあるように思う。
Apple製品は良くも悪くもユーザーに使い方を押し付けるようなところがある。
これに関してはひとつ思い出がある。
初代iMacの「ホッケーパックマウス」は非常に酷評されていた。
しかし当時のAppleは「そもそも持ち方が違うのだ」と主張していた。
それまで(というか現在でも多いと思うが)マウスは「手のひらで包むように持つ」のが普通だった。
しかしホッケーパックマウスは「指で摘まむように持つ」ようにデザインされていた。
手首ではなく指を動かして操作するから腱鞘炎になりにくいのだ。
私はちゃんと摘まむように使っていたので、ホッケーパックマウスはコンパクトで使いやすいとさえ思っていた。
みんな、どうしてAppleの言うとおりにしないのだろうかと不思議だった。
信じる者は救われるのだ。
多分親戚縁者の中には戦争に行って亡くなった人、
空襲で亡くなった人、
成人するまでに病気なりなんなりで亡くなった人がいる。
小学校は新制かな。
教師は戦時中に教育を受け軍国主義を叩き込まれてたのに戦争が終わってGHQによってそれまでの価値観すべてを否定された人たち。
もう教育勅語は教えてはならん。
但しせっかく教育した子どもたちを戦争に送り出さないと非国民扱いされる恐れがなくなりホッとはしてるのかもしれない。
そんな人たちに教育される。
家に帰ったら食べ物はない。
焼け野原などに勝手に作った畑で家族総出で作った野菜と闇市で着物と交換してきたお米ばかり食べて成長する。
遊びといったらお金持ちの家ならおもちゃも多少あっただろうけれど、
兄弟にも食べ物を分け与えなくちゃならないからいつでもひもじい思いをしている。
ただそこらに落ちている不発弾を小さくて何もわからないから触ってしまって死んでしまう近所の子はいたかもしれない。
とにかく国には何もない。
外貨がない。
海外旅行は許可されていないどころか、明日生きていくためのお金もない。
ただ活気はあるし人でも足りないから、戦争を生き残れた壮健な父親の働き口ならいくらでもある。
父親が戦争から帰ってこなかった家ならお母さんは働き口に困ったかもしれない。
それでもなんとか仕事を選ぶことはできないけれどそれでもやっとこさ見つけた仕事をこなして帰ってくる。
父親の場合は仕事の後は軍隊式の上下関係が残っているから飲み会に誘われたら飲めなくても参加しないわけにはいかない。
そんな家族に育てられるので、ちゃんとした家庭教育なんて受けられない。
近所のお兄ちゃんお姉ちゃんたちにずっとかまってもらったりして日が暮れるまで外で遊ぶ。
生き残ったお年寄りが親代わりなこともある。
新制中学に通うことになる。
多分義務教育が長くなったことで家族からごちゃごちゃ言われてる。
その高額な費用はどこから出すんだって話でまた親から嫌な顔をされる。
もしかしたら近所の人やお兄ちゃんからのお下がりで我慢させられたかもしれない。
世は高度経済成長。
中卒でもなんとか頑張れば給料がもらえる。
よほど気に入らないのでなければ所帯を持った。
所帯を持ってしばらくすればなんとか関係も安定させられる。
子供も戦争で人口が減ったのだから増やさないといけないから嫌でも作る。
子供には自分が経験できなかったことをすべてやらせてやりたいので、
塾も行きたがるだけ行かせてやる。
自分が本当はやりたかったことだというのは言いたいけれど言えやしない。
そのうちに子供が反発し始める。
自分が反抗期の頃はもう就職していたから自由に物を言うのもわかるが、
お前はまだ親のすねをかじっているのに何を言うのか?
(おしん並感)
せっせと働いて大学まで出してやる。
同僚は定年までに成人病で何人か死んだ。
もののない時代に食べられなかったものを食べすぎたといえばそうだが、
企業戦士として働き詰めでようやく楽ができるようになるというのに、
定年前に死んじまうとはな…
俺もあと何年生きられるのかわからんが、
せっかく平和な世の中になったのだし、
生きられる限りは頑張りたいものだ。
部下の首を切れというのか…
みんな真面目に働いてきた奴らだぞ…
なんで首を切らねばならんのだ…
労組は何をしているんだ!
孫は可愛い…
もう二度と戦争なんて嫌だ…
ん?なんだ?
『老害』とは何のことだ?
俺たちのことを言うのか…!
平和で勉強も自由にできて欲しいものも買える世の中に生きているのに、
まだ足りないというのか!
時代が変わったというが、
誰が変えてきたというんだ!
今は若くて何でもできるだろうが、
人生は短い、
お前だっていつか年を取るんだぞ!
年を取れるんだぞ!
そこまで生きていたくてもできなかった者たちのことも考えたことがないのか!
今どきの若者は何を考えているんだ!
以上戦中派の親から聞いたことなどをもとに想像した仮想の80歳の男性の人生ですが、
世代ごとに苦労する内容が変わるだけで、
まあ誰だって余裕がないときにはそこまで考えられないでしょうけれどね。
また自分の考えも伝えられたら、
という思いをほんの少し持てたら素敵だとは思います。
授乳から戻ってきたら、「ハイハイ〜」と言いながら私の腕から息子を抜いていった。
「抱っこさせて!」と言ってくれたら全然問題ないけど、無言で連れて行かないでほしい・・・。
「これ、夫くんが使っていたのよ〜」と言いながら用意されていたのは、
夫が使っていたこども布団、バスタオル、バウンサー、よだれかけ。
「ハイハイ〜」という声とともに引き取られていった息子は、そのまま10人くらいの親戚に抱っこリレーされてた。
ぐずり出しても抱っこさせてもらえず、ギャンギャン泣いている状態になって戻ってきた・・・
仕事が忙しく、親戚のあつまりを欠席している人がいたんだけど、
外出先から帰るってタイミングで「これからちょっと寄って抱っこしてもらいに行こうよ〜」と。
たぶん他人の子どもってそんなに可愛くないと思うし、仕事の邪魔では・・・?
そしてお腹がすいてぐずってるから早く帰りたいって言ったよな・・・?
だいたい一人はいるよね。
やめてほしいよね。
まだ0歳で免疫なくなってきてる時期だから、それ知ってたら来なかったよね。
しかし、洋服はサイズが小さいし、エプロンは薄すぎて水気がダダ漏れしてしまう・・・。
ひとこと聞いてくれれば・・・
予定日を過ぎても一向に中の人が出てこないので、促進剤を打って強制出産する。本当はもう少し様子を見ることもできるらしいが、年末年始を挟むと病院側も色々あるらしい。オトナの事情だ。
妊娠する前、正直に言うと、妊婦なんて腹が大きくなるだけで何でもないと思っていた。
実際になってみると、意外としんどい。
ついでに頭も全く回らない。文章を読んでも一回では頭に入ってこないし、口頭での指示は言われたそばから抜けていく。
動悸や息切れもあるし、腰は痛いし、電車や車で酔う回数も明らかに増えた。
1日外をウロウロすると、あまりに疲れて顔色が真っ青になってしまう。
私は体力に全く自信のない自営業なので、妊娠が分かってからすぐに仕事を減らし、妊娠中はほとんど働かずに過ごしていた。
こんな状態でどうやって働き続けているのだろう。女の人ってすごい。
電車に乗ると、妊娠マークを見てすぐに席を譲ってくれる人がたくさんいた。
ヘロヘロ妊婦だったので、譲ってくれると本当に助かった。譲ってくれた人には、もれなく一生幸せに過ごせる呪いをかけておいた。
でも、面白いことに、席を譲ってくれる人は全員おば様。
若い人や男性は譲ってはくれない。譲ってくれないのか、妊婦マークに気付いてないのか、気付いても譲る必要性を感じていないのかは分からない。
ちなみに私も妊婦になる前は席を譲らない側の人間だった(席を譲ろうと思うほど妊婦に興味がなかった)から、譲られなくても格段何も思わなかった。
逆に譲ってくれたおば様たちは、きっと妊娠中に大変な思いをしたのだろうなぁと思うと涙が出そうだ。
私も妊婦さんを見たら、席を譲るようなオバちゃんになろうと思う。
妊婦は空気を吸っても太る、と聞いていたからビクビクしていたら、なんとびっくり体重が増えずに医者に怒られる、というレアな体験をした。
普段は食べないオヤツを1日2回食べ、カロリー気にせず食べたいものを朝昼晩と食べ、炭水化物を多めに取っても効果なし。
何が腹立たしいって、妊娠する前はこんな生活してたら普通に太っていたという事実である。
胎児、羊水、増加分の血液、胎盤の重さを全て足すとそのぐらいの重さらしいので、産んだら元の体重に戻りそうだ。
戻らなかったらどうしよう。
美味しいお店があると聞いて、父と豚足を食べに行った。
汚い立ち飲み屋のようなところで豚足を食べ、あまりに美味しいのでお持ち帰り。
翌日お持ち帰りを嬉々として食べたら、その日の晩に盛大に吐いた。
1つ言えることは、豚足はおいしいということ。
電車に乗って出かけようとしたら、人身事故の影響で混んでいた。
とりあえず乗った各駅停車。その中で、頭の先から冷たいものが足元まで降りてくる、という初めての感覚があった。
ああこれダメなやつ、と、次の駅で転がるように下車し、壁を伝って何とかベンチに腰を下ろした。
人でごった返したホームの中で、一緒に電車に乗っていた夫が温かい飲み物を買いに走り、全く回復しない私を見てすぐに駅員を呼びに行ってくれた。
私がベンチで気分の悪さと戦っていると、電車待ちの行列の中から2人のおば様がやってきた。
「大丈夫?」
「あら、あなた妊娠中?駅員さん呼ぼうか?ああ旦那さんが呼んでくれているのね。」
「顔が真っ白よ。」
そう言って見ず知らずの私の背中を撫で、大丈夫大丈夫、と励ましの呪文をかけてくれた。
まさかの優しさに号泣してしまった私を見て、泣かなくていいのよぉ〜とおば様たちが笑った。
「妊娠ははじめてかしら?」
知らない妊婦の腹の事情なんかに興味を持ってくれて、私はその質問に答えることで何とか気持ちを立て直すことができた。
あの優しさは一生忘れない。
そして、私もそういうことができる人間になりたいと思った。
これ以上電車に乗せるのは不安だと、夫は電車で家に帰り、車で迎えに来てくれることになった。
電車に乗った意味が全くなくなってしまったが、夫があまりに優しいので、将来介護は任せろと心の中で呟き駅長室でお留守番。
駅員さんはとても優しく気遣ってくれて、毛布やら枕やらを準備し、何かあったら声をかけてと丁寧に言って、仕事場へ戻って行った。
人身事故の最中なので、駅長室はたくさんの放送が飛び交っていた。ドコで電車が止まってるとか、駅のホームで何が起こったとか。
向こうの方で駅員さんの
「うぉおぅ…。こりゃもうダメだわ…。」
という、この世の終わりを見た人みたいな呟きが聞こえた。
その間にも、忘れ物をしたとか、切符がないとか、道に迷ったとか、迷子を見つけたとか、お客さんがドンドンやってきて、一つ一つ優しく対応する声が聞こえ続けていた。
ソファでまどろみながら、駅員さんってすごいなぁと思った。
お仕事、本当にご苦労様です。
私が倒れた駅のホームで、対応が遅いとか情報がないとか客の誘導が出来てないとか、ずっと大声で文句をつけているオッサンが1人いた。
でも、私におば様たちが駆け寄って慰めている姿を見て、声を荒げるのをすぐにやめていた。
気遣ってくれてありがとう。でも、駅員さんにも優しくしてほしいな。
妊娠して明らかに変わったのは、バストサイズと乳首の色だ。バストは大きくなり、乳首は真っ黒になった。
それはもうまっくろくろな乳首で、こりゃ「乳首をピンクにします」みたいな怪しげなクリームが売れるわけだと妙に納得した。
そしてお腹には、正中線と呼ばれるらしい、一本の黒い線が浮き出てきた。
胃のあたりから股の上にかけて、まっすぐ引かれた黒い線。妊娠週数が進むにつれ、ちょっとずつ濃くなっていった。
これは最初の細胞分裂の跡だと、どこかに書いてあった気がする。本当ならおもしろい。
切り取り線に見えるので、てっきり帝王切開の時はこの線を目印に縦にメスを入れるのかと思っていたら、横に切るらしい。
なんだ、キリトリ線じゃないのか…。
黒くなったのは乳首だけじゃない。
脇のあたりとか、背中の上の方とか、局所的に黒くなっているところがいくつかある。何故かはサッパリ分からない。
私は毛深くない方だが、明らかに産毛の量も増えた。背中も気持ちフワフワになり、お腹にも毛が生え、腰にも産毛のクッションができた。
毛が生えているところは弱いところだと聞いたことがある。胎児を守ろうとしてこうなっているのなら、私の身体は私の気持ちなんかよりよっぽどお母さんだ。
私は普段から化粧を全くしない程度には美容に興味がない。だから黒くなったところで、そういうものか、ぐらいの感慨で済んでいる。
でも美容にしっかり向き合っている女性は、この黒くなったり毛が生えたりする現象をどう受け止めるんだろう。
やはり、ショックを受けるのだろうか。
それとも、子が産めるのならと受け入れるのだろうか。
まだ見ぬ子のために自分のこだわりを一旦置いておけるって、すごいことだ。
一方では「妊婦は動くな、ゴロゴロすべし」と言われた。お腹が張ったりすると、赤ちゃんも苦しいらしい。
もう一方では「妊婦は動け、何でもやっちゃえ」と言われた。動いてはいけない場合は指示をするから、それ以外はお産に向けての体力作りのために動いてほしいらしい。
仕方ないので、都合のいい方を日替わりで信じることにした。おかげで楽しい妊婦生活だった。
おかげで好き勝手、ストレスもほとんどなく過ごしてきた気がする。
夫は優しさが服を着て歩いているような人で、義両親は付かず離れずの距離で気を回してくれる。
実の兄弟とも仲良しで、義兄弟やイトコ、ハトコとも、深夜まで話し込むことができる程度に仲がいい。
友人もそれなりにいて、出産経験のある子からのお下がりとお祝いで、赤ちゃん用品はほとんど買うことなく済んでしまった。
これだけ味方がいて、みんなに励まされているけど、やはり出産は怖い。どれだけ痛いのか考えただけで震える。
そして妊娠中は苦しい。何の理由もないのにメソメソ泣いて夫を困らせたり、何もしていないのに疲れて一日中寝ていたりした。
それでも周りは許してくれて、慰めてくれて、私の好物を買って来てくれたりする。
だから何とかここまで耐えることができた。
そこには必ず、DVを受けていませんか?と書いてある。
世の中にはいるのだ。人に恵まれず、望まない妊娠をして、苦しい妊婦生活を一人で過ごし、出産の恐怖に怯える人が。
私が大勢に支えられて何とかやってきた生活を、ただ一人で耐え抜くのはどんな気持ちなのだろう。
幸せになってほしい。
つわりで気持ちが悪いと「腹の中の人のせいだ!」と思うし、胎動で眠れないと「ちょっとは静かにしてよ!」とウンザリするし、思うように動けないと「お腹重すぎるよ!」と悪態をついたりする。
そもそもお腹が膨らんでいったところで、その中に人間が1人入っている、というのが信じられない。
でも、もし本当に産まれてくれたら、精一杯かわいがってみようと思っている。
私は子どもを産んで育てたいと思っているけれど、別に子ども好きではない。
だから泣き声を聞いてうるさいと思うことだってあるだろうし、イライラすることもあると思う。
ついでに家事も上手くないから、子どもにいい環境なんて作ってあげられない。
それでも休み休み愛して、一緒の時間を過ごして、ゆっくりお母さんになっていけたら素敵だ。
明日産まれたら、お腹の中の人は初めての肺呼吸と初めての哺乳で大パニックだろう。
その前に、狭い産道を通ることでヘロヘロかもしれない。
一緒に頑張ろう。
痛いのは怖いけど、私も何とかやってみるよ。
中学入学時、親が近所の卒業生にもらってきた他人のお下がりのアルトリコーダーを使わされていた。
全くサイズの合っていないぶかぶかのジャケット、引きずるように長いスカートを腰のところで折り返して三年を過ごした。
私服は親がもらってきた近所の既婚女性が若い頃に着ていた洋服。
お小遣いは月に1000円。同級生には「それでなに買うの?」と馬鹿にされた。
当時は、うちは貧乏だから仕方ない、我慢しなくちゃいけない、と思っていた。
親にもなにも言えなかった。
実際は、うちは年収2000万越えの比較的裕福な家庭。(大人になって源泉徴収を見て気がついた)
決して、買えなかったわけではないと思う。
母は節約好き、というよりもケチで。電気や水道など大した意味もないのに執拗に消して回るタイプ。
わたしの平穏な学校生活よりも自己満足のための節約が大事だったか?
時々思い出して、「リコーダー」「他人のお下がり」とかで、検索してしまう。
兄弟間のお下がりで悩んでる人はいても、さすがに他人の唾液のついたリコーダーを我が子に使わせようとしている親は見かけない。
そんなにあり得ないことなのかと、今更傷つく。
そう思っても、大人になって反芻した時に傷ついたり、怒りがこみ上げることもある。
私はケチ。夫はケチではない。無駄遣いもしないけど見栄っ張りなタイプ。夫は本当はケチが嫌い。でもなぜかケチな私と結婚してくれた。私はケチだからそのせいで私は夫に時々嫌われる。私はポイント乞食。そんな私を夫は(冗談で)小馬鹿にしてくる。ポイント目当てで導入した楽天カードを夫は渋々使ってくれているが、本当はアメリカンエキスプレスのカードなどをスマートに出したいらしい。ごめんよ夫。電車は正規の値段を払って乗る夫。チケットショップで安い切符が売っていると勧めても取り合ってくれない。
別にウチはお金に困ってるわけでもなく、共働きで貯金も人並みにはあるが、生まれもってのケチなのでお金が実際にあろうとなかろうと、私がケチなのは変わらない。使えるお金は十分あるのに。
夫は別に客観的に見て浪費家ではないと思う。適切な場面で適切にお金を使うことのできるタイプだ。私がケチすぎるのが悪いのだと思う。松竹梅だと迷わず梅を選んでしまうタイプ。いや、梅を選べるならまだいい。実際にはタンポポと言うメニューには載っていない一番安い隠しメニューがないかと店員さんに聞いてしまうタイプだ。たとえ松を選ぶお金があっても。そんな私を夫は醜いと心底軽蔑している。
最近また、まあ詳しくは書かないが、私がケチなせいで喧嘩をしてしまった。(普段はラブラブ❤) 仲直りはしたんだけれどいつも同じようなパターンで喧嘩をしている気がする。いい加減ケチを直したいが、生まれ持ってるものなので簡単に直せるとも思わない。そこで、私は浪費家になることにした。きっと心の底からの浪費家にはならない、なれないと思う。だから普段一人でいる時は今まで通りケチを貫き、夫の前でだけ浪費家のフリをしようと思う。夫を驚かせたい。
私の愛する大好きな夫は、私が浪費家になるのを喜んでくれるだろうか。気が狂ったのかと思って驚くだろうか。
浪費すると言っても根っからケチな私、あまりにも無駄なことには使いたくないのでどうやって気前の良さを体現するのか迷う。宝くじを買うとかコンビニや自販機でジュースを買うとかソシャゲのガチャに課金するとか毎月分配型ハイイールド投資信託を買うとかそういうのは無し。たとえ演技でも私の魂が許さない。
家電などの実用品は普段から高くても買うので、ルンバやドラム式洗濯機は私の普段の人格でも買いそうなので無し。
今のところ思いつくのは、
①よくランチに行くお寿司屋さんで私はいつも900円の並の定食を頼むのだが、何の前触れもなく唐突に3000円ぐらいの特上を注文する
②今度ベッドを買おうという話が出てるのだが、ニトリなどの量販店ではなくシモンズなどの高級品を買おうと言ってみる
③セールではない時期に、デパートで定価で3万ぐらいのコート、バッグ、1万ぐらいのトップス、ボトムスを買う
どれもそんなに変な話ではないと思うが、普段の私のケチ人格からしたら考えられない行動なので気が狂ったと思われるかもしれない。
夫の反応が楽しみだ。他に良い浪費(というか相対的に高価なものを選ぶ)案があれば教えて下さい。
【追記】
①おそらく大喜利のつもりで冗談で書いてくれたんだろうけど、QJV97FCrさんの「イートイン申告で買った弁当を持ち帰る」というのはあまりお金がかからない割にケチじゃないところを見せつけられる最高の案だ。感銘を受けた。こういうのでいいんだよ、こういうので!!!普段イートイン使う場面はあまりないけど、私ら夫婦のパターンからすると、私が持ち帰りを申告して買ったものをイートインして夫に蔑まれる、ってのが予想されるいつものパターン。しかしもし実行したら、普段の人格と乖離しすぎて、夫には「イートイン脱税しようとしたのに慣れてないから意図したこととは逆のことをしてしまった馬鹿なケチ」だと勘違いされそうだ…
②プレゼントという案を頂いた。私ら夫婦はあんまり物欲がないので、良いプレゼントはすぐには思いつかないが、夫へのプレゼントなら10万でも20万でも惜しくないのでいいものが見つかればやってみようと思う
③旅行という案を頂いた。旅行はいつも私が予約してて、いつも竹レベルのところにするので、次の機会に松レベルのところに行ってみようと思う。
④ランチ定食並900円の寿司屋は、かなりボリュームがあって美味しくて、地元のお客さんで繁盛してる人気店。量を考えればお得なので、ケチな私でも通いたくなる店なんだ。
【追記2】
私がどんな風にケチかというと、同じものを高い値段で買ったり(定価商品、コンビニとか)、買ったものがすごい勢いで値下がりする(新築、新車)が耐えられない。リユース品が大好き。
子供の保育園の洗い替えはリサイクルショップで1着100円の服を買う。ヤフオクメルカリ大好き。しかし夫は「他人のお下がりなんて絶対うんこ付いてるに違いない💩(笑)うんこ付きの服なんてよく買えるね(笑)」と言ってくる。なんなら買う方じゃなくて売る方ですら、「タダであげれば良いのに中古品で金を取るなんてあさましい行為」と思っている。
私も、本当に良いものに相応のお金を払って良い気分になるのは良いことだと頭では理解している。ただ、体がついていかなくて、ついケチなことを口走って、その度に夫に嫌われているんだ…本当に貧乏根性だよ。
あ、浪費じゃなくて贅沢が正しいね。指摘してくれた人ありがとうございます。
今日はほぼ社内に誰もいないので機器の再起動やバックアップのバックアップなどが捗ります。
何台かNASがあるのですが、NAS→HDD→NASと1つのNASに対してそういうバックアップ構成をしていて二世代目のNASはお下がりを使っており現状機器の調子悪く動いてなくHDD→NASのバックアップが出来てなく非常に好ましくない状況です(これがうまく運用できていたらメインのNASが壊れても予備のNASに即切り替えたらOKなのでロスタイムはほぼゼロです)。
全部NASを新品にしてお下がりにしたいところですが、なかなか難しいです(予算的に)。新しいのを買ってもらえたら移行作業に2週間ぐらいかけて平日の通常業務稼働しつつデータも移し替える作業を並行して行うのですが(社内の誰にもそう言う作業を業務中にやってることを気付かれずにするこの作業は好きw)なにせ新しいNASがしばらく買えそうにないです。それが悩みのタネだったりします。
いつも新品を買ってもらえる(お下がりはNO