「お下がり」を含む日記 RSS

はてなキーワード: お下がりとは

2021-07-25

サイズの合った服を買ってもらえる子が羨ましい

子供の頃、いつもワンサイズかツーサイズ大きい服しか買ってもらえなかった。

ちょっと高いポロシャツを買った時には、大きすぎるサイズを何年も、サイズが合うようになるまでワンピースとして着せられていた。

次女なのに新しい服を買ってもらえる子が羨ましい。

わたしひとりっ子なのに近所の人に貰ったお下がりを着せられていた。

姉妹でお揃いや色違いの服を着ている子供とすれ違うと、あ、いいな、同じ服なのに新しいの買ってもらえるんだと、咄嗟に思う。

今はもう何でも好きな服を着れるのに、未だに小さい女の子が羨ましい。

2021-07-14

IT屋の息抜き

毎日リモートでもう疲れた通り越して気だるい

PCに向かわずにモクモクと作業して仕事忘れたい…せや、パズルや!と思って

リビング向かったらオクサマが無心で1万ピースに臨んでいたという。

というわけで今日自転車の整備。しかも息子のやつ。

友達家族お下がりから10選手、ボロいし錆もあるけど整備すればまだいける。

ハンドル曲がってるので交換、ブレーキレバーは私のお下がりSHIMANOケーブル

は新品でストックしてたやつに交換で、チェーンオイル注して、変速調整っと。

1hで作業完了しちゃったけど、動作スムーズだし、私も何故かスッキリ

さあて、通知飛びまくってるのでSlack処理すっか。

息抜き作業、イイゾー。

2021-07-13

生活水準を上げすぎて貧乏になった時が怖い

小学生の頃、夏はお下がりTシャツ2枚で着回しててぼろぼろのクタクタだった。コートは持ってなかった。

高校生の頃友達マックに行っても水しか飲めなかった(小遣いは文具や衣服含めて3000円ポッキリで、足りなかった)。制服お下がりでぼたんが明らかにボロかった。スカートも穴空いてた。

大学は家から離れていたが交通費が出せず入試から卒業まで、親が来ることはなく1人だった。

大学生活格安の寮、授業料は全額免除奨学金アルバイト暮らしていた。

卵と牛乳が入ってない水だけホットケーキ(ホケミはすごい)、具が納豆だけやキャベツだけのパスタ、肉が申し訳程度しか入ってないめんつゆ鍋などを食べて過ごした。今でもそれらを食べると思い出して泣ける。

親を恨んではいないしむしろ感謝しているが、とにかく貧乏が嫌で嫌で就職給料を優先した。

しかし運が良く、やりがいはありブラックでもなく楽しい結果的には就職についてはよい選択だった。

しかし、金を持ってしま生活水準を上げすぎた。

出社時の昼食では外食コンビニ飯を躊躇いなく買うし、弁当を一切作らない。

自炊自炊目的になっているときだけやる。(作りたいレシピがあるとか料理してストレス発散したいとか)

ハーゲンダッツも値引きされてないパック寿司(うにが乗ってて800円くらいのやつ)も買うことを全く躊躇わない。ハーゲンはもはやご褒美でもなんでもない、常用アイスと化した。

ラップシャンプー、洗剤、家具家電など日用品のあらゆるもの大学の時は最安値か一つ上で揃えていたのに今やサランラップを200円くらいで普通に買うし、&honeyシャンプーリンスを使っているし、洗濯機ハイアールからドラム式に変えてしまった。ない袖が触れなかった時とは大違いで「ラップって安いのは結局ダメだよね」とか言える側になってしまった。

家具家電を買う時の楽天Amazonヤフショメルカリジモティーとのにらめっこもだいぶ減った。

色々考えるのがめんどいからSpotifyicloudにも課金している。

手間や不便さを金で解決するようになってしまった。

でも、自身が不健康になったり子供ができて想定外お金がかかったり夫が病気になったり死んだり身内から金を吸い取られたり(現にその気配がある)したらまた大学時代の貧乏生活をしなければいけないかもしれない。

ハーゲンダッツを知ってしまったのに、チューペットで満足できる自信がない。

そうなったら毎日、いや毎食毎時不満を持ちながら暮らすことになりかねないから、人生幸福度観点では、貧乏価値観のままの方が幸せだったのだろうか。

この間はコーヒーの粉をスーパーの100円/100gのものから引き立てマイルドカルディ(250円/100g)に変えてしまった。うまいけど、めちゃくちゃうまいけど罪悪感が半端ない

なぜこんなことを書いたかというと、インスタのお金アカウントや子持ちのTwitterの皆さんが「自分へのご褒美にアイス食べちゃいました!(スーパーカップ)」とか「(なんか大変なことがあったので)旦那お菓子買ってもらいました!嬉しい😆(チョコパイ)」みたいな投稿をしているのが多々目に入りまして、今の自分価値観と大いに異なっており、今の価値観の方が身の丈に合っていないと思ったためです。

他方Twitterでは同僚が頻繁にお取り寄せグルメ旅行を楽しんでいたりする。私の身の丈はどこなんだろう。ただの貧乏性なんだろうか。見ている子持ちアカウント特に貧乏なんだろうか。何も分からない。

とりあえず不安なのでハーゲンパリパリバーにするところからゆっくり倹約を心がけていこうと思います

2021-07-07

anond:20210707185218

古文学習してて新品1万6千円のパソコン学習動画流しつつお下がりipad miniテキスト表示してるけど不自由ないわ

タッチパネル式の2in1パソコンの方が良かった可能性あるけど

2021-06-17

anond:20210617024632

寮の先輩のお下がり炊飯器ホットケーキを何回も焼いてたら壊れて、しかたなく米をフライパンで炊くようになってから、なんかいろいろ開放された気はする。

2021-04-27

貧困キャラ扱いされてる

めちゃくちゃ倍率が高い保育園子どもが入れてしまったのだが、うちの区は世帯年収が低い方が入れるので、大学時代友達に「低年収最高!」とか言ってたら子どもお下がりとかもらえるようになった。ありがたい。

子どもはまだ小さくて何着せても文句とか言わないし、どんだけいい服でも泥だらけにされてこすり洗いして傷むので、子どもの服は消耗品と思って中古のものばかり着せている。自分センスがなくて、高い服は無駄なのでしまむらとユニクロで済ませている。

年収は確かに高くはないが、服や外食に金を使わないので貯金は2000万ある。旅行舞台鑑賞にはそこそこ使う。何より子もの教育に金をかけたい。

けど、話してるとめちゃくちゃ貧乏だと思われてるんだろうなと思うことがある。高年収ではないので否定するのもおかしい気がしてそのままにしてるけど「お金がない」とか言ったことないのになー。

2021-04-25

anond:20210425204548

俺がめちゃくちゃにしたあとのお下がり女拾ってあげたんだ

糞ついたけつの穴まで舐めるいい女だったよ

大切にしてやってな

2021-03-18

下方婚した彼女の話

 友人に、地方の旧家のお嬢様がいた。大学生ながらに「おばあちゃんお下がり」のケリーバッグを持っちゃうような、仕送りさらっと松濤マンションに住んじゃうような子だった。

 彼女はおっとりしていて大人しい子だった。アルバイト先で知りあった太ったフリーターと付き合っていて、彼に百万単位お金を貸しているらしかった。友人一同で別れた方がいいと進言してみたが、「でも悪い人じゃないから」と取り合わなかった。そして気がついたら浮気されてフラれていた。なお、お金は戻らなかったらしい。

 商社就職した彼女は、仕事の傍で夢であるセレクトショップ設立のために尽力していた。その頃、彼女は同期の男性から告白された。彼は優しそうだったし、仕事も申し分なかった。私たち友人は彼と付き合うべきだ、もうあの大学時代のロクでもないフリーターみたいな男と付き合うべきではないと言った。彼女はその後、彼と結婚した。

 新居においでよと言われて遊びに行くと、ごく普通アパートだった。商社二馬力にしては控えめな家だなと思っていたら、なんと夫は会社を辞めていた。お笑い芸人になりたいらしい。彼女は彼は私を笑わせてくれる、と幸せそうに笑った。まあ本人が満足なら、と私たち彼女の嬉しげな顔をただ見ていた。

 1年経っても2年経っても彼女の夫はお笑い芸人になれていなかった。なんなら、養成所もすぐに辞めていた。独立してECストアを運営する彼女から小遣いをもらって暮らしているらしい(彼女はなかなかに商売センスがあったので、繁盛していた)。私たちは、彼女にそれでいいの?と聞いた。彼女は、でも彼にもいいところもあるからなあ、と取り合わなかった。

 ある日、彼女が泣きながら私の家に押しかけてきた。夫に殴られたらしく、右目に紫色のあざができていた。彼女に頼まれて、私は彼女実家に連絡した。お父さんが慌てて迎えにきた。そして程なくして、彼女離婚した。

 2年ほど実家にいた彼女が、久しぶりにこちらに戻ってきた。父親の知り合いの、会社経営者結婚するとのことだった。彼女は、知らない世界を教えてくれる男性が好きだったけど、私はそういう人とうまくいかいから、と言った。私が知ってるような世界の人と、一緒になるのが向いてるんだと思う、と力なく笑う彼女の指には、ハリーウィンストンとブシュロンのダイヤモンドがこれでもかという存在感で輝いていた。

2021-02-23

anond:20210223143808

制服なんて取っておいてあるの相当の変態女くらいだろ

皆知人にお下がりとして譲ったか売りに出すかしてるわ

てかダサい高校制服も多いし。特に偏差値高校

2021-02-04

追記しました】知らない英単語を調べたいだけなのだ

 子ども勉強を見ていて「知らない英単語を調べる方法」が定まっていないことに気づいた。

 学校で一律購入したPCにはもちろん英和辞書が入っている。しかし紙のワークシートに行う英語宿題のためにPCを手元に置いて必要時立ち上げてパスワードを入れ、アプリから調べる、というのはめんどくさいのだそうで、本人はこれまで教科書をひっくり返してなんとか探し出していたようだ。

 なるほど使われる単語が限られている現在はこの方法が一番早いのだろう。

 が、この方法は早晩行き詰まることが予想される。

英和辞典物理)で調べる

PC内の辞書アプリで調べる

ググる

Google Homeにきく

スマホ文字認識翻訳アプリで調べる


 我が家環境だとざっと考えただけでもこれだけの方法が考えられる。

 調べ方を身につけることも勉強ではあるのだが、今の主目的はそこではない。その時々で簡易と思われる方法を使い分ければ良いとは思う。

 ただしググるといってもスマホでちまちまアルファベット入力しなければならないし、Google HomeSiriアレクサに聞くにしろ、前提として正しく読めなければ話にならない。知らない英単語を調べる方法としてはいささかハードルが高いかもしれない。

 少なくとも親としてはやり方を示してそれぞれに一長一短があるよ、というような手助けは必要になるだろう。

 紙の辞書一択であれば教えるのは辞書の引き方のみで良い。

 選択肢が多ければ多いほど試して比較検討して……という作業が増える。それは英単語の調べ方に限らず、全てのことに言えるのだろう。時の経過と共に選択肢を増やしていった我々と違って、今の子どもたちには最初からたくさんの選択肢が用意されすぎている。

 そのうち友だちに訊くなどしてうまいこと自分に合った方法を探し出す術を身につけていくのかもしれない。それまでもう少し、自分も学びながら水先案内人を勤めていこうと思う。

追記

思ったよりたくさん反応いただきました。アドバイスありがとうございます

中1なので、スマホ学習に使うのはちょっと難しいかなと考えていました。

そしてとりあえずお下がり(でした)の辞書ではなく軽くて使いやすそうな中学生向けの辞書を買いました。3000円くらいだし、コンパクトカラフルものがたくさんあって、餅は餅屋だ……と思いました。使用状況を見て電子辞書検討したいと思います。あと机を広く使えるようにします。

どうもありがとうございました!

2021-01-25

anond:20210125161234

うちとぜんぜん違うな

・服は全部イトコのお下がりだが、弟が着る頃にはあちこち傷んでいて、結局弟用の新しいのを買う事もしばしば。(弟の服はまた別のイトコへお下がり)

漫画ゲームは基本買ってもらえない家だったが、弟はちゃっかり爺ちゃんにねだって買ってもらってた。弟が飽きたら兄へお下がりならぬ"お上がり"

・食い物は兄弟基本的に等質等量。弟は兄に負けじと同じ量を食おうとするので、兄の10歳時点と弟の10歳時点では弟のほうが多く食っていた事になる

赤ん坊の時の写真は兄のほうが多いが、それは弟の時は親が飽きてしまったため。チンコ丸出しの写真を親戚や親の知人に見られまくるのは主に兄の役目

・兄は家から自転車で5分の貧乏臭い公立保育所。その後親の収入が上がり、弟は車で15分、幼児教育(漢字リトミック)が評判の幼稚園に通わせてもらってた。

・兄は成績が良かったので塾も通信教育もなし。弟は成績が芳しくなかったので塾に通わせたり、家庭教師をつけたり、進研ゼミやらせたり散々親が世話を焼いた

・弟の結婚式は親が費用全額持ち、会場に宿泊の手配等全部親がやった。兄は結婚してない

ちな北関東40代半ば

次男っていうだけでこんなに不遇なのは普通

現在アラフォー。幼少期から大人になるまで次男だというだけでいろいろとひどい目に遭わされてきたので以下に記す。

なお、両親と兄はこれでも兄弟は公平に扱っている、贔屓などしていないの一点張り

・何も買ってもらったことがない。服はお下がり制服学用品文房具も全部お下がりバットグローブテレビゲームも全部兄のお下がりおやつは兄が食べきれなくて残したものだけ。朝と夕の食事家族の残り物。受験勉強参考書お下がりジャンプも兄の読み終わったものしか読ませてもらえない。お小遣いはなし。

・お祝いされたことがない。生まれた時から幼稚園に入った時も、七五三も、小学校入学も、中学校入学誕生日も何もお祝いされたことがない。入園入学の時に写真を1枚撮ってもらっただけ。誕生日は「あーはいはいおめでとうー」の一言のみ。生まれから成人までに撮ってもらった写真は5枚だけ。兄の写真アルバム3冊分。

・俺にまったく関心がない。幼稚園の送迎なし。幼稚園の送迎バスも金がかかるからという理由で俺だけなし。徒歩で幼稚園に通園。どんなに怖い目に遭っても、ケガをしても無関心。兄の成績が良くなかったときには塾やら進研ゼミやらなんでもやらせてもらえるのに、俺の成績が悪くなっても「なんでそんなにバカなの。恥さらし。」と罵倒されて終わり。頭に来たので高校大学私立に進学したら今の今までずっとごく潰し呼ばわり。浪人は認めない。兄は浪人でも予備校でもなんでも可。

大人になっても不遇。兄が結婚した時は結婚式の費用結婚資金に何百万円も支出したのに、俺が結婚した時は、こんな親でも一応報告しないとと思って報告したら「おめでとう」だけ。もちろんお祝いなんてしてもらってない。祖父母お葬式ときはずっと受付や雑用係。

ちなみに九州のド田舎出身。父方の祖父母からして長男贔屓。

俺があまりにも不憫でかわいそうとお小遣いをくれたり服を買ってくれるのは東京に住んでいる叔母(母の妹)だけ。しかし、叔母が俺に何かしてくれると「迷惑をかけるな」と母に怒られるわ、「甘やかすな・甘やかしてない」で叔母と母が喧嘩になるわで最悪。

2021-01-01

anond:20210101120028

童貞は正直どうでも良い。むしろお下がりじゃないのでアリ。

童貞は外見や内面問題があるから童貞場合が多い。

外見内面問題があるやつは童貞だろうとなかろうとナシ。

ゆえに童貞の多くはナシになる。

2020-12-23

妻は細かいことを気にしてずっと恨みをため込むタイプ

ひょんな事からこういう話を聞いた。

妻の勉強机は妻の母のお下がり(ただし高級品、ヴィンテージ扱いでいいと思う)で、妻の弟は新品(量販店の安いやつ)だったそうだ。妻は今でもそれを憎らしく思っているそうだ。

またある時、妻は弁当を持っておばあちゃんの家に行った。弟がサッカーをしており、遠征があるので親が付きそう必要があり、よく預けられたそうだ。これも恨みに思っている。弟だけが愛されていたと。

でも妻は運動が苦手で本が好きタイプだし、小さい頃は水泳を習わされたが懇願して辞めたと言ってたのもある。

私はなんとなしに「考え過ぎじゃないか?」とつい言ってしまって、妻がショックを受けたような目で私を見たので、やっちまったなと思った。これも妻は何十年と覚えてるのだろう。

2020-12-21

anond:20201221162602

逆に、あいつ俺のお下がりの機嫌取ってるwwって思わない?

2020-11-27

二人目も娘産みたい

今日スタジオ撮影だったんだけど、衣装の持ち込みのために前々からレースひらひらの素敵なドレスをいくつも用意してて、私が選んだドレスを着てスタジオにいる娘はかわいかった 親バカ

色々と反省点があり、スタジオ撮影リベンジしたい。もっとこうすればよかった!って撮影が終わってから気づく。ドレスは買ってしまったものだけどもう娘に着せるつもりもなく、二人目の子供が男だったらメルカリに売るしかない

男児だったら女児みたいにでっかいリボンレースがついたドレスが楽しめない……

男児誕生は私の夫が強く望んでいるため、息子が産まれたらそれはそれで嬉しいけど姉のお下がり100%着せることができない

ってかドレス着せたい!

次女が希望するなら新しくドレス買ってもいい

どっかの悪趣味なお母さんがまだ赤ちゃん男児ドレス着せて撮影して、男児が大きくなって言うこときかなかったらドレス写真をみんなに見せるよ!って脅すらしい

ドレスは脅しの道具じゃねえ!!

男児まれたら当然ドレスは着せない。マツコやミッツ・マングローブみたいな男児ならともかく。

娘のために買ったドレスリベンジを果たしたくて、ドレスの出番を一回切りにさせたくなくて二人目女児がほしくなる。

女の子の服が好きで、見た目で性別がわかる服が好きなので娘には極力ピンクや赤の服を着せる。メゾピアノ大好きだよ!

はぁぁぁまた娘産みたい。自然分娩して耐え難い激痛くらって出産トラウマだけど。はぁぁぁん娘をまた産みたいよおおお

まぁ男の子ならそれはそれでかわいがるううううう待望の男の子から

2020-10-26

anond:20201026003439

地方はそれなりにの件だけどさ。

お前が突然変異として扱われたのは身に覚えがあるだろう、地方に金をかけるコストと有能な人材期待値が吊り合わないんだよ。

遺伝的に優れた個体東京で同じような個体と何代も交配してきたんだ。たまにお前みたいな東京に来た変異体を入れたりしながらな。

俺は東京大卒夫婦の家に生まれ適当に遊び暮らしながら育って早慶上智の下位学部を出た。確かに有名予備校テキストは良い代物だ。俺は先輩のお下がりで受講はしてなかったけど、校内テストで下から2番目のバカ偏差値60まで押し上げるには充分な武器だった。

学費格安だったからかお前みたいな奴はわんさかいたよ。でも誰一人として地方教育発展を推進する方向になんか進まなかった。みんな当時の流行りの浮ついた業界に行って東京結婚もせず未だに浮ついてる。何というか、あいつらには文化的素養と志がないんだ。

もしお前が地方自分みたいな突然変異体を救いたいならどうぞ文科省なり何処なりで活動してくれ。

2020-10-23

「私と違う意見を言うのは、私への攻撃」という錯覚

長く書くとかえってブクマして貰えないから手短に言うね。

軍隊教育お下がりから換骨奪胎出来てねえ日本教育委員会が悪いので上に居座ってる奴ら全員今すぐクビにしろ

短く言えたから褒めて

2020-10-18

anond:20201018221914

自分で買って持ってるのは少ないかもしれないけど、

はよくあるよ。

2020-09-29

anond:20200929193332

いずれスカート廃止したいんじゃないの?

一種類に統一した方がその分安く出来るだろうしお下がりなんかも容易になるし

田舎女子だと下級生がスカート生意気みたいな変な文化出来そう

田舎でわざわざ途中で買い替えるのを前提に出来るほど裕福な家庭は多くないだろ

しろ田舎ほど保守的から同調圧力事実上女子スカート強制になりそう

都会の方がスラックス選ぶ女子普通に増えて定着していくんだろうな

2020-09-10

学校貧乏認定されるといじめられる

とか見たけど、貧乏な方がカッコいいという風潮の学校はなかったか

卒業式和装やらランドセルやら制服の質に金をかけないといじめられるというのにどうしても違和感がある

俺の出身小学校中学校ではランドセルは本革などでお高くて質が良く、6年生になってもピカピカなやつほどダサいとされていた

ランドセルは合皮が剥がれてボロボロになり、原型を留めないほどペチャンコになるのが強そうでイケてるとされていたので、俺は自分ランドセル必死に踏んで潰そうとした

卒業式時代的にだろうけど和装なんて1人もいなかったし、中学に入ると制服ジャージ兄弟や親戚のお下がりボロボロであるほど上級生の後ろ盾があることを示せて強そうでイケてるとされていた

特に自学年では仕様変更されている部分が旧仕様だったり、学年カラーが違っていたりすると最強だった

ジャージの袖のゴムが全て抜けてしまって萌え袖になっているのがトレンドだった

俺は授業中シャーペンで新品のジャージの袖のゴム必死に抜いた

基本的所謂貧乏人の方が強かった

なぜなら家が貧乏なやつほど兄弟が多く兄や姉が現役の不良で、親も元ヤンであることが多かったか

家が貧乏ではない俺の親は元ヤンではないので俺の通う治安最低公立校トレンドに疎く、兄弟もいないので上級生の後ろ盾もなく、それでも舐められないように必死貧乏ぶっていた

なので貧乏認定されるといじめられるというのはそれはそれで地獄だが、金がある方が強い風潮の学校があるならそっちに行ってた方が楽だったと思った

2020-08-22

姉が嫌い

姉が嫌い。嫌いじゃないときもあるけど姉が嫌い。今日喧嘩たからすごい嫌い。

怒りを持続させるのは得意ではないから沈静化させるために書き込む。

姉のここが嫌い

計画性なしに猫を貰って結局育てられずに実家に預けっぱなし

なのにこの子自分の猫!というわりに避妊手術の費用ワクチン費用も餌代も猫砂代もださない。

挙げ句のはてに寂しいから連れて帰ろっかな発言。許さん。

看護師で高給取りなのに。こっちは手取り20万もいかないんですけど。

ダメにして中古で車買ったのに費用は払わず70近い親が払ってる。税金も払わない。

そもそもダメにした車も親のお下がり

看護師病院の寮に住んでるのにしょっちゅう帰ってくる。帰ってくるのはいいけどあなたの勤めてる病棟コロナ患者受け入れてるんだよね?あなた重症化してる人たち相手にしてるんだよね?

感染には充分気を付けてるのは知ってるけど万が一があるよね?

ネットで見る医療従事者の人はホテル暮らししてる人もいるのに。あなたちゃん一人暮らししてるよね?何でわざわざ帰ってくるの?しか帰宅理由は寂しいから。

実家には年老いた両親(しかも片方は肺に病気もち)と免疫抑制剤使ってて免疫がだだ下がってる私がいるんだけど?万が一コロナ持ち込んだら重症化待ったなし!な人間しかいないのに何で帰ってくんの??

そんな職場なのにやたら人混みに行きたがる。しかも体にガタがきてる親に無理やり運転させて。止めろって言ってるのにヒステリーおこして聞かない。

親を自分下僕か何だと思っているのか気遣うふりはするけど全然気遣ってないしお礼もほとんど聞かない。

何がママー服脱がせてーだよ。三十路をとうに過ぎた女が気持ち悪い。母はあんたのお世話係りでもマッサージ係りでもないんだよ。

自分は私のことを否定したことないって言ってるけどしょっちゅう人のことブスとか性格悪いとかかわいそうなやつとか言ってバカにしてくるよね。

今日喧嘩最後のほうは呆れて何も言えなかった。こんなのが姉で恥ずかしい。

本当に価値観が合わない。無理。

2020-08-03

俺の姉は強かった。

俺は5人家族、3兄弟末っ子で上には兄と姉が居る。兄は絵に描いたような優秀な人で、頭のいい大学を出て新卒入社した会社でも上手くやっているので、周囲からはよく「自慢のお兄ちゃんでしょう。」と言われる事があるし、肯定している。下の2人の手本になる様な人であれという両親の言葉を苦にもせず実行する姿を俺は尊敬している。

対する姉は、そんな兄の妹とは思えない様な人で、昔から小学校中学校では「あの人の妹なのに」と言われていた様だし、俺も先生から「君はお兄ちゃんに似ていて良かった。」と言われる事が多かった。「あの人の弟とは思えないくらい真面目だね。」と言われる事すらあった。ここでは、そんな姉の話をさせて欲しい。

我が家学歴コンプレックスを持つ母とそんな母に言いなりな父に育てられ、母は俺達が幼い頃からいい大学に出て、良い会社就職するんだよ。」と教え込んでいた。兄は幼い頃からの子達よりも優秀で、褒められてばかりの少年だったので母は自慢に思っていた様で、その頃兄と同等程度の学力を発揮していた姉を小学校1年生の頃から塾に通わせ、学校の授業の範囲を先取りする形でどんどん吸収させ、兄より優秀な娘を作ろうとしていた。また、ロングヘアも可愛らしい服も似合わないと笑われた過去トラウマとしていて、それの当て付けの様に姉の髪を伸ばし、可愛らしい服を着せていた。姉はそれを従順に受け入れていたし、身内の贔屓目もあるが姉はかなりの美人であった為、幼少の頃の姉は俺にとって「可愛いお姉ちゃん」だった。

転機が訪れたのは、姉が小学校4年生、俺が小学校1年生の時だった。よく一緒にケーブルテレビ放送されていたスラムダンク兄弟3人で観ていた俺達は、3人で地元バスケチームに入りたいと両親に相談をした。

父は「スポーツを習うのは良い事だ」と賛成していたし、母もスポーツに興味を持った俺達を喜んでいたが、入部を認めて貰えたのは俺と兄の2人だけ。姉は「お姉ちゃん大事な塾があるからそんな暇無いでしょう。」と却下されてしまった。その時姉は「それもそっか、塾と被るもんね。」と笑っていたが、その後子供部屋に戻った時、ボロボロと目から涙を零して「行きたくて塾行ってる訳じゃないのに。」と泣いていた。俺はそこで初めて、姉の本心を知った。兄はそんな姉を見て「母さんを説得しようか。」と声を掛けていたが、泣きながらも姉は「いい、無駄やと思う。」と首を振っていた。

それから姉は、塾をサボる様になった。塾の時間に外に出て居るものの、友達の家で遊んでいる事を俺は知っていた。姉の友人の弟もまた、俺の友人であったからだ。でも俺はそれを両親に報告もしなかったし、姉に知っている事も言わなかった。しかし、なんだか俺は悪い事を姉と一緒に隠しているつもりになってしまって、落ち着かなかった。

からはいつも、姉が居ない事について電話が来ていたらしい。父がよく連絡を受けていたらしいが、父にも思う事はあったのか母には姉が塾をサボっている事を伝えていなかった様だった。悪い事は、父も一緒に隠していたのだと思うとなんだか安心したが、偶々その日家に居て塾からの連絡を受けてしまったのは母で、母は全てを知ってしまった。そして、帰宅した姉の髪を掴んで家の柱に顔を打ち付け、殴り、11月の寒空の下、ベランダに締め出した。姉は泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返していて、兄も俺も助けてやりたかったけど、母はそれを許さなかった。あの日、父が母を説得して家の中に入れてやるまでの3時間程度の間、俺と兄は母がトイレに行った隙にこっそり姉にカイロを渡す程度しかしてあげられなかった。

やがて、両親が離婚した。原因はまだ幼かった俺に説明は無かったが、兄と姉は知っている様だった。でも姉は「知らない方がきっとお前の為だから」と言っていたし、兄は「両親がお前には教えないと判断したなら、俺もお前には言えない。」と言っていたので、理由は知らないままであるが、兎に角離婚した。そして、俺達兄弟は父に引き取られた。母は少し離れた場所引越し、1ヶ月に1度程度会関係になった。

母の引越しが行われた日。母が出て行ったのを見送った姉は、そのまま一人部屋を得ていた兄の部屋へと向かった。俺も暇だったので何をしているのかと着いて行くと、姉は兄に「ねえ、お兄ちゃんの着れなくなった服ちょうだい。」と言い出した。「男の服だからお前が着ると変だよ。」と言う兄はそれでも、持っていてもどうせ着れないからと姉に小さくなった服をあげていた。いつか、俺が大きくなったらお下がりで貰おうと思っていた服もその中には混じっていて、姉はそれを嬉しそうに受け取るとリビングで着替えた。女の子らしい、可愛らしい服ばかりを着ていた姉が、男の子の格好をしているのにそれはそれは強烈な違和感があったし、見ていた父も何事かと首を傾げた。

次に姉は、そんな父の所へ行って「髪の毛切りに行きたい」と言い出した。父は了承すると姉に美容室代を渡して、姉は通い慣れた地元美容室へと一人で出掛けて行った。リビングでそれを見ていた俺についでと言わんばかりに父はお小遣いをくれて、「これで駄菓子屋美容室の隣にあった。)行ってお菓子買って、姉ちゃんとわけっ子して2人で帰っておいで。姉ちゃんの事待っとくんぞ。」と言った。俺は了承してウキウキ駄菓子屋自転車を走らせ、駄菓子を沢山買って店の前で姉が美容室から出て来るのを待っていた。

店の前に出て20分くらいだろうか。美容室のドアが開く音がして顔を向けると、そこには男の子の服を着て、髪をすっかり短く切った、ジャニーズ風の雰囲気髪型になった姉が立っていた。「え、そんな切ったん?」「うん、長いの嫌やったっちゃん。てか何でおるん?」と会話をしている相手は姉なのに、見たことも無い姿にやっぱりなんだか違和感があった。離婚を機に、姉は塾も辞めたらしい。「ホントはずっと塾も長い髪も嫌やったっちゃんね。男子の服の方が動きやすそうやし、かっけーしさ。」と笑った姉は、何だかいつもより楽しそうだった。

中学生になった姉は、優秀な兄と比べられるストレス、兄が優秀な分同等の価値を求められるストレスから段々とおかしくなっていった。ちょっと悪い人達と一緒に居るようになって、学校サボる様になった。髪を染めてピアスを開けて、知らない人みたいになっていった。偶に会う母と姉の関係は冷え切っていた。理想とは真逆を進み始めた姉を母は受け入れられなかった様で、居ないものとして扱うようになってしまったし、姉は「元々ね、うちと母さんは理解し合えんのよ。やけん仕方ないね。」と笑い飛ばした。結局姉はそのまま中卒で社会に出た。

俺が高校生になった頃。よく姉が仕事休みの日に家に連れて来る女の子が居た。その子と姉は休みの度に会っているようで、なんだかやけに親しげだった。

姉は俺のテスト期間や週末に休みが被ると、よくご飯に連れて行ってくれて、多少値が張る店でも俺が好きそうな飯がある店によく連れて行ってくれていた。その日は個室タイプ居酒屋ランチ営業に2人で行っていて、聞けるのはこういう時しかない、と思って俺は口を開いた。

「ねえ、姉ちゃんってレズなん?」

姉は驚いた様に目を開いて、暫く迷う素振りを見せた後静かに首を振った「違うよ、でも、最近連れて来るあの子と付き合ってんの。」そう零した姉に、俺は首を傾げた。女と付き合ってるならレズなんじゃないの?そう言おうとした俺に姉は「今からね、お前がびっくりする話すんね。でもお前にしか言わないから皆には秘密ね。」と続けた。

話によると、姉は性自認が人と少し違う人だった。でも、性同一性障害という訳でもないし、自分が女であるというのは理解している。でも、自分が女だという事に強烈な違和感があり、だからといって男なのかと聞かれればそれも違和感がある、所謂性自認がどちらでもない人」だった。後で調べた話、こういう人をどうやら「Xジェンダー」と呼ぶそうだ。

そして、姉はレズビアンではなくて、性自認がどちらでもない関係上、女も男も異性であり同性。そして、自分とは違う人達という認識で、そこに差を持たない生粋バイ・セクシャルだった。でも、男と付き合うと女である事を強く求められるけれど女と付き合うと自分のままでも受け入れてもらえるからと、女性と付き合う事が多いのだと話していた。

その頃の姉は奇抜な髪色に、耳と顔に沢山のピアス。そしてやっぱり、男性物の服を着た性別も年齢もよく分からない様な見た目をしていて、「そういう格好もわざとなん?」って聞いた。そしたら姉は「女を押し付けられたちっちゃい頃の反動。分かんない、反抗期なんかな。」と煙草を片手に笑っていた。俺は姉を「姉ちゃん」と呼ぶのを辞めた。友達みたいに、名前で呼ぶようになった。姉はそれに気付いたみたいで泣きそうに潤んだ瞳で一言「弟のくせに生意気」と言った。

そんな話から3年後。姉に珍しく彼氏が出来た。親や兄の前では特に触れてなかったが、彼氏の紹介を終えた姉は俺の部屋に来て「あんね、彼氏ね。うちの性自認理解してくれる人なん。」「女の子やなくてね、うちのままで居ていいって言ってくれたん。」と嬉しそうに笑っていたし、性自認を打ち明けられない息苦しさと、女性と付き合うことによる周囲から偏見の目に晒されていた姉の言葉に俺は夜じわじわと一人で寝る前に泣いた。幸せになって欲しかった。姉は派手な見た目と素行から誤解をされがちだったが、いっぱい我慢して来た人だった。そして、誰より優しい人だった。自分を殺してでも、周りが求める理想従順である努力を、ほんの幼い頃から出来る人だった。ふたつしか貰わなかった大好きなクッキーを、「兄ちゃんと弟にあげるから」と食べずに持って帰って来る様な姉だった。人の為に、が出来る人だった。反発の仕方が分からなくて、反骨の仕方が上手くいかなくて、すっかり周りからは「グレたヤンキーのどうしようもない娘」だと思われていたけど、俺にとっては大好きで大事で、自慢の姉だった。

社会に出るまでの道筋は兄が示してくれた。でも、人に優しくする方法は、いつだって姉が示してくれた。

半年後、姉は彼氏同棲を始めて家を出た。寂しくて、荷造りする姉の手伝いをしながら、昔話を2人でして、引越しの前はアルバムなんか俺が引っ張り出してきて、あんな事あったこんな事あったと話して2人で泣いた。随分派手な見た目になった姉は、それでもやっぱり昔のままで「うちの事受け入れてれてありがとう」と嗚咽混じりに告げた。髪が長くて可愛らしい服を着た「可愛いお姉ちゃん」は、見た目が変わってしまってもやっぱり美人で、俺にとっては「かっこいい兄弟」にランクアップしただけだった。姉は泣き腫らした顔で翌日旅立った。俺はその日、寝る前にまた一人で泣いた。

姉には幸せになって欲しかった。やっと姉が、姉のままで居られる環境に旅立てた事が自分のことの様に嬉しくて、次会った時にもっと男みたいになってて、俺よりよっぽどイケメンになってたらどうしよう。なんて再会を楽しみに思っていた。

思っていたのに。

2年後姉はボロボロ状態で帰って来た。

髪を伸ばして、派手な色もやめて、ピアスだって全て外して、綺麗めな女性の服を着て、パンプスなんか履いていた。一人称は「私」になっていた。父には「やっぱ私さ、実家が好きだわ〜!嫁に行けんでごめん!」とか言って笑い飛ばしていた姉は、荷解きをする為に戻った自室で1人で泣いていた。

「びっくりした、めちゃくちゃ女になってて。」

だって、そうしろって言われた。隣に並ぶの恥ずかしいってさ。」

嗚咽混じりに聞いた話はあまりに酷い話だった。

彼氏が姉の性自認を受け入れてくれたのなんて嘘だった。姉と付き合いたいが為に理解者のふりをしていただけで、同棲開始直後からである事を求められ、髪は伸ばし黒く染め、持っていたメンズユニセックスの服は捨てられた。一人称も、喋り方も矯正させられ、前の喋り方が出ると「気色悪い」と詰られた。

「お前みたいな厨二病メンヘラと付き合ってやってんだから」と姉に言い聞かせ、2年間ずっと都合のいい存在として消費されていたらしい姉の話は、俺の心にずっしりのしかかって来るなにかがあった。姉には幸せになって欲しかった。姉にはありのままの姿で生きていて欲しかった。泣いて帰って来てなんて欲しくなかった。

俺は財布から金を抜いて姉に渡した。「俺、お前のショートヘア大好きだったよ。かっけーもん。」

俺のお下がりの服は、体格差から姉にはかなり大きかったけど、それでも小さいサイズのものを選んで貸した。あの日から10年以上経って、姉は今度は兄ではなく俺の服を着て美容室へ向かい、長い髪の毛をすっかり短くして来た。ツーブロックまでした姉を俺はあの日と同じ様に駄菓子屋で待ちたかったけど、駄菓子屋改装して雑貨屋になっていたから、雑貨屋で姉の部屋に飾るアクセサリースタンドを買って、袋を提げて店の前で待っていた俺に姉は「お前もおっきくなったね」と笑った。やっぱり中性的な姉は美人だった。

俺は5人家族、3兄弟末っ子で上には兄と姉が居る。兄は絵に描いたような優秀な人で、頭のいい大学を出て新卒入社した会社でも上手くやっているので、周囲からはよく「自慢のお兄ちゃんでしょう。」と言われる事があるし、肯定している。下の2人の手本になる様な人であれという両親の言葉を苦にもせず実行する姿を俺は尊敬している。

対する姉は、そんな兄の妹とは思えない様な人で、昔から小学校中学校では「あの人の妹なのに」と言われていた様だし、俺も先生から「君はお兄ちゃんに似ていて良かった。」と言われる事が多かった。「あの人の弟とは思えないくらい真面目だね。」と言われる事すらあった。しかし、俺は幾らだって言いたい。俺を優しいと言うけれど、その優しさは姉から貰ったものだった。優しくて、生きづらくて、それでも決して誰かを悪く言わない強い姉だって、昔から兄と同じくらい自慢の姉だった。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん