はてなキーワード: 高度経済成長とは
先日娘が生まれた。
私と妻共に初産で、互いの両親から離れた地方都市で、新生児の娘と3人で暮らしている。
強い違和感を覚えたのは、娘の出生後に私の両親が訪れた際のこと。
ミルク育児を選んだ妻に対して、「母乳でなければ健康な子供が育たない」「愛情が育まれない」などと平気で悪態をつく。私が居ればその場でフォローするなり嗜めるなりのことは簡単なのだが、私が赤子の世話で外している時に限って言ってくるのでタチが悪い。
母親はミルク育児に理解はあり、妻の味方になってくれようとはするが、その場で強く父親を否定できない様子だったそうだ。
その時点では妻もそんなに気にしていない様子だったが、問題は続く。
幸いにも無事に娘が生まれたことは、互いの両親や親戚に祝福され、様々なお祝いもいただいた。妻の両親にとっては初孫ということもあり、日頃の感謝を伝える意味でも「みてね」という写真共有アプリで、互いの両親に日頃の娘の成長を共有している。結論から言うと、これが良くなかった。
動画と写真を共有を開始してまもなく、私の父から「母親に笑顔がないので赤ちゃんが不安になります」「ミルクは太りやすいです」などのクソリプが、連日私や妻の投稿した写真や動画に紐づいたコメントに投稿されるようになってしまった。コメントは妻の両親も見られる仕様になっており、私が「娘は妻のことが大好きなので何も問題ないです」「余計なお世話😎」と応戦するも、まるで意に介さない。さすがの妻も気にせずにはいられない様子で、次第に娘の状況を報告することが少なくなっていった。
私の父親は典型的なSNSをさせてはいけない部類の人間で、ネットリテラシーはおろか、普段のコミュニケーションでも相手の状況や価値観などを想像することもなく、思いついたことをその場で発言してしまう。無論本人には悪気はなかろうが、故にタチが悪い。離れて暮らすには支障は無いが、親戚や、特に奥さんの両親や親族のいる場所に出してしまってはいけない人。
増田諸兄も同様の経験はないだろうか。Twitterで晒しあげられるクソリプ見て、一体どんなやつが投稿しているのやらと笑っていたら自分の親だったという絶望感を味わったという話だ。
以上で話はいったん一区切り。この状況について、今すぐにどうこうする気はないし、対処療法的な策は少し考えれば思いつく。その気になれば父親のアカをBANすることも容易い。いったんはそれで解消する程度のいざこざである。
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一言で言えば、私は父親との関係をミスっている。振り返れば関係構築の機会が十分に与えられることがなかったのかもしれない。
父は高度経済成長期の只中に生まれ、首都圏の大学卒業後にメーカーの営業一筋40年間。定年まで勤め上げ、高校卒業後に専業主婦となった母親と共に3人の子供を育てた。何せ企業戦士という言葉がポジティブに使われていた世代よろしく、私が小学校に入学して以降は単身赴任で全国を転々とし、思い返せば思春期以降にまともに話をした覚えがない。そして、私が高校を卒業後に家出同然で地方へ移住してしまって以降、その機会は完全に奪われてしまった。
様子がおかしいこと自覚したのは、父の定年後に久々に実家に帰ったときのこと。父は大概リビングで無言でスマホをいじっている。何をしているのかと思えばyoutubeで右翼コンテンツの類をヘビーリピートしているのだった。ちょうど『ネット右翼になった父』というwebメディアの記事がバズった頃。当時の私にとってはそのことがひどく憂鬱で、同世代の友人にそのことを共有したりしてとりあえず笑うことにしたのだが、父とは特にコミュニケーションすることはなかった。
家族を経済的に成立させるという点において、父は立派な人間だった。子供の頃はよく遊んでもらったし、海外旅行や外食はほぼ無かったが、進学費用をはじめ経済的に苦しかった記憶は無いし、不倫やDVなど、いわゆる毒親と呼ばれる要素は皆無だったので、総合すれば素晴らしい父親に恵まれたと今でも思う。一方でコミュニケーションに難があり、また、個人の思想やライフスタイルの多様性が尊重される時代において、価値観をアップデートする機会に恵まれなかった結果として、前述のような問題として表面化してしてしまったと感じている。
勝手にアプデ済ませとけと思う一方で、父にとって最も身近な若者である私と兄妹が、その役目を果たすことができなかったことに責任の一端を感じないでもない。父同様に、これまで私も父との会話をサボってきたのは事実なのだから。
こうした問題を世代間における価値観のギャップと切り捨て、ともすれば縁を切れと脊髄反射で発言する輩がいるが、私はそれをサボりたく無いのだ。現実的には、両親のサポートが必要な場面は今後も生じるだろうし、観念的には、そうした家族の面倒ごとは大袈裟に言えば私のアイデンティティそのものに関わってくる問題だと思う。こういう事象をサボった結果として、自分が将来娘と絶縁する世界線もないとは言えない。無論、努力した結果絶縁されるのは仕方ないとして、それをせずに絶縁するのは違くない?と。
少し極端な物言いになってしまったが、要するにアプデに失敗した老人の暴走という問題として片付けたくはなくて、家族のコミュニケーション不全を見直す良いきっかけにしたいと思っている。昭和の終わり〜平成の初めにかけて生まれた人間にとって、同様の問題を抱えている人は多いと思う。死ぬほどだるいしムカつくけど、一緒に頑張っていきましょう。
最後に妻よ、私と父親のサボりによって被害を被ってしまって本当に申し訳ない。時間はかかるし、今後も問題は起こるかもしれないけど、少なくとも今よりは改善できるよう努力します。
娘よ、私の至らぬところで君の祖父という人間について、希薄な情報しか残すことはできないかもしれないけれど、父ちゃん頑張るので許してくれ。
均質な労働力の大量生産と出荷が日本の高度経済成長を支えた根幹だ。
当人の望みとは無関係に、大学という労働力生産ラインの最終工程までの進学を社会が実質的に強要し、生産ラインから外れた者は爪弾きにし、新卒一括採用という製品出荷を迎える。
ここまでの仕組みを構築しているのに大学卒業という最終検品が雑なのは笑える。
時代が変わり、その生産ラインが生み出す製品の価値がかつてほどの価値を持たなくなっても、過去の成功体験を忘れられず、同時に変化を恐れ、過去と決別する判断を下す責任を恐れ、ガタの来ている古ぼけた生産ラインに固執している。
この日本という美しい国(笑)がそうやって過去の栄光に縋って停滞している間に世界は先に進み続けていた。
その部品工場も、他国から下賜された技術と金ではしゃいでいる。
なんというか、この国は有能な労働者を生み出す仕組みは作れても、有能な指導者を生み出す仕組みは作れなかったんだなぁ。
これから作れるようになるのかな?
冷静に考えてみような、雇う企業がなけりゃ女は外で働かない
どこか段階で政府が「女も外で働きましょう」なんて命令しましたか?
昔はどこも農村社会だったから妻も娘も夫や父と一緒に農作業してたの
「女も外で働かせせろ運動」なんてなかったんだよ
実際にあったのは「すでに働いてる女の労働条件を良くしろ運動」
あのね女性の勤労者の圧倒的大多数は中卒高卒の店員と工行員なんだよ
その人たちは別に女も社会進出するのが時代の戦端でかっこいいとか
厚生労働省の統計だと九州とか四国とか地方ほど女性の就労率は高い
すぐ嫁にやる予定のない娘は親が都会の工場に働きに出したんだよ
元増田君は子沢山のアフリカ貧困国よりいい暮らしができてるワケ
便乗。俺が働いている訳じゃ無いけど。
資源回収・解体業。いわゆる産廃処分業である。創業社長、現在の会長が高度経済成長期に帰郷して立ち上げた会社。
現在はその息子が社長(66歳で高卒)孫が専務(37歳で大阪の大学を出て、商社勤めしていたことがある)と言う布陣。
従業員数はたぶん100名はいるんじゃないか。専務曰く、フルタイムで働いているのは20人ぐらい。残りは正社員の肩書きは持っているが、年寄りが多く、半日勤務とか、働ける範囲で働いているとのこと。
昔は農家が農業だけでは喰っていけず、アルバイト的に兼業で来ていた従業員が主力だったそう。今たぶん違う。
そして、日系ブラジル人とか5人はいるし、暴力団だったという噂のあるじいさんとかもいる。女性は社長の奥さんと専務の奥さんだけ。常にハロワに求人でているが人が集まらない模様。落とした奴は一人しかいないとは専務。
創業者の代から、中卒で入ったら会社が金を出して定時制なり通信制に行かせる、と言う事をやっている。が、十年以上在籍しても卒業できないんだよ、とかネタにしてる奴がいる。いや専務の目笑ってないけどな。
外に出しちゃ駄目なやばい奴と、出してもいいやつの二種類に分けられている。やばい奴は電話も出るなと徹底されている。
そうして持ち帰られたものを、外に出しちゃ駄目な奴が工場で分別などの処理をするという流れになってる。
敷地には、専務が作った自動プラントが聳え立っており、同業者や自治体が取材に来るぐらいのインパクトがある。社内でゴールデンタワーと呼ばれているが、これは借金借金言いすぎたら借金タワーという名前が定着してしまいそうになったため、ゴールデンタワーと呼べと徹底がはかられた結果らしい。
敷地がむちゃくちゃ広く、何処からともなく拾ってきた車を緑色に塗って巣を作っているやつがいたりするし、養蜂をやってる奴とか、ゴミの中から出てきた物を修理してジモティやメルカリで売り払ってる(業務上横領)話を、自慢げに専務に話す愉快な連中。
社名で検索すると、金属泥棒の片棒を担いで処分を受けたと言う新聞記事が出てくる。
金属泥棒をやって持ち込んでた奴はさすがに警察に突き出されているが、何故かそいつは今は社員として働いている。
こいつがどうしょうもないクズ野郎で、金属泥棒の経験が解体業に役に立つと公言したのを見たことがある。素行が悪いとしか言いようがない。クズは所詮クズ死ぬまでクズ。
時給制と日給制。安い。
だが、残業はし放題なので稼ぐやつは残業が出来るし、ここが面白いところなのだが、売上げや利益の額がオープンにされていて、この利益の半分はボーナスに回すと言及している。なので、年5ヶ月分とかボーナスが出る。
業務や資格ごとに手当が出る仕組みになってる。外勤手当が5万円、重機が使えれば月1万円、高卒なら5000円、大卒なら8千円、と言ったノリ。それを全部入れれば人並みの給与にはなるっぽいが実際は知らん。
これを専務は「ジョブ型労働」と呼んでいたが、それは、なにか、違うと思う。
行くといつも休憩室にいるおっさんとか、持ち場についているのに何もしてないように見える奴とか、そういうのがいるのでたぶんまともじゃ無い。
また、この仕事の9割が儲からない仕事だと言うのが口癖。え。じゃあ残り1割ぼってるってこと?
社内のノリは完全に年功序列。年寄りが一番偉い。外勤担当のエースであっても、年齢が若いので子ども扱いされる。
おそらくパワハラセクハラだと認識してないハラスメントが多数降り注ぐ感じ。昭和まではいかないが、平成中頃の内輪のノリと行ったらいいだろうか。
なお、経営者一族はゴリゴリの自民党員で、選挙が始まると仕事そっちのけでフルコミットするので仕事が遅れて酷いことになるが、みんな知っているのでその時期はみんなで諦めている。
もちろんそのとおり。高度経済成長期以降の話だよね。(でもそんなこと大抵の人は知ってるだろうし、北欧は特に働かねばならない状況が強かったと強調したかったまで。あんなに寒くて日照が弱けりゃ農業も大変だろうしな。)
別に悲しくないし当然とも思える
そこまで生き残ってほしい民族ならなんでアイツら政治に積極的になれない?
賢いフリをして地獄に落ちるだけならまだしも、同じような人間を量産して地獄に導いてんだよ
その矛盾に気付かないバカばっかりでそれが普通だとしてるから衰退する。
まぁそれだけではないし
ぶっちゃけ言えば適切な日本人の数がこんなもんなんだろうな、と思える。
高度経済成長期に馬鹿みたいにプリプリ産ませたけど馬鹿だから自分らの先祖代々の土地を気軽に売って国の上に立ってる馬鹿も“労働力足りねえから海外の穀潰し達をこき使うわw”とか言って海外の人間を奴隷みたいにして連れてきて何の対処もせずに放置してたらムラが出来てしまい日本に海外の人間の日本支部を点在させている。
減るのは仕方ねえよ、だって日本人は賢いから性欲も切り離して生きていけるもの。
海外から来る日本の企業に奴隷みたいにされて何としてでもこの土地で生きていこうとしてる奴らは全部の欲が出てるから当然子供なんてそこら中に居る。
日本の企業の上のカス共も「ンー頑張ってる奴はエライ!」って言いながらミソでもカスでも正社員にするからその血が純日本人じゃなくても半分日本人の血を引いてるだけでもむしろ海外同士のカップルだとしてもゲイだとしてもニコニコしながら雇う訳
で、日本で義務教育という名の去勢をされた日本人達は頭に弱者の冠を付けて『年収がン』とか『子育てがン』とか『恋人がン』『陰キャがン』とかほざきながら死んでいく訳
あのね!日本の偉い奴らはお前らアホのことはどうでもいいのよ!
自分らの会社の利益だけ欲しいの!国益?とかいうのよりも海外から安く手に入れて安く金払って高く売ってウハウハってして日本で哀れに生きてるお前ら金無し独身若年層のことを笑って生きてたいの!
お前らの世話で何年取られてんのかわかってねえのか!!!
そのくせに“この子は真面目で優しい子”の称号しかもらえねえんだわ!!!
はよしね!!!!!
子供に負担を強いるのがわかってっから無理なんだよ、寂しくても無理はよ衰退しましょうや
だから何も考えず生でセックスしまくって命が芽吹いた時に責任感に追われて金金金で狂っていく低偏差値のバカしか子作りしねえんだよ
だからまぁ悲しくても減って当然だと思う
きっとバランスが働いてんだよ
以下のくだりが、とても印象的だった。
その時にわたしの出身地の名産が好きで、通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね、とさりげなく話題をそらしてくれた年配の男性がいた。
その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分も神戸出身でさ」と言われた。
恥ずかしい話、「神戸出身だから」と言われて私は何も分からなかった。
私は自分が地震と津波の被災者で、東北で育った私たちが一番の被災者で、今後数十年はわたしたちが一番のかわいそうな立場だという感覚を持っていた。
「なぜ急に神戸?」とポカンとして「はぁそうなんですか…」と雑に返した気がする。
その後、関東に戻ってしばらくしてから、何がきっかけか覚えていないがオウム真理教の話になったとき、
上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウムの事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて
やっと気づいた。
ひとの災害経験というのは、ほんと様々で、一概にかわいそうな被害者としてのっぺらぼうな面をみるわけにはいかないよね。
自分だけが被害者面していたかも、という気づき。こういうちょっとワンクッションおいて、時間が経って考えること、こういうのが大切なんだと思う。
ただ、被害者という言葉で共通項を見出したとしても、阪神淡路大震災を経験したひとと、東日本大震災を経験した増田がこうして、何かのきっかけでお互いの体験の共通部分に触れようとしたときでさえ、お互いが経験したものの奥行や背景は全く違う。でもそれは、もっと言葉を交わさなければみえてこないもの。
多分、増田は上記の言葉を交わしたとき、その手前でふと立ち止まって考えたんだと思う。
ひるがえって自分の親戚の話。自分語りをトラバに混ぜるのはなんだかな、と思うところもあるが、テーマの性質上書かせてもらう。津波から数日後、東北のもっとも大きな漁港のひとつで、親戚が経営していた漁業関連会社と生産工場が全滅したとの一報を受けた。一方、杜の都に住む息子娘世代は全員無事だったという朗報にほっとしたことを思い出す。
しかし、それよりも震災から半年くらい経って、父が一言つぶやいた言葉のほうが忘れられなかった。
他界した親戚一家は、さかのぼると、昭和8年の津波の前から漁港で生計を営んでいた。1933年の津波で多くの財産を失った親戚は一から再建する際に、同じ場所でやり直すのはやめるべきだと再三にわたって、周囲から助言されていたという。しかし、結局、同じ場所で人生をやり直し、次世代が引き継ぎ、そして次第に事業規模が大きくなり、津波の記憶が遠ざかっていくなかで、そのまた次世代の方々が財を成し、地元の名士として羽振りよく、親族のなかで存在感を持つに至る。そんななかで、半世紀以上前、東京に出て行った東北の令嬢が結婚前の父と出会う。
大切な令嬢(大地主の長女)をどこの馬の骨ともわからないよその県の小作人の末っ子風情に嫁がせるわけにはいかない、という大反対の嵐。本家筋からなにから親戚中の冷たい目線。結局、結婚は許されて、父は母の家系に婿として入ることになるのだが、その時に受けた屈辱を忘れられないらしく、東日本大震災で全滅した親戚に対して、天罰、という言葉で自身のつらみを含ませて表現したのだった。
父にとっては、かわいそうだね、では決して片づけられない感情。
個人的には、なにより、貧しい者も栄華を誇った者も等しくなぎ倒した大津波の、客観的な、物理的な力に圧倒せざるを得なかった。
たとえ、誰と震災の経験の話をするとしても、このようなパーソナルヒストリーの違いによる温度差は避けることができない。そう思っている。
震災を経験していようがいまいが、あるいは同じく焼け出された隣人でも同じではない。大地震大津波の破壊力を前には、あの家は無事だった、無事でなかった、そういうさまざまな経験がそれぞれにあるにすぎない。
こうしたファミリーヒストリーな視点でそれぞれの思いがある一方で、
上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウムの事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて
やっと気づいた。
という上司の言葉。そして、「やっと気づいた」という言葉。このつながり方は、大変興味深い。「あの年は~」というのは個々の経験の違いを超えた、歴史を振り返った俯瞰的な総括を含んでいるからだ。1995年という時代、そういったマクロな視点での気づきをもたらすのも災害だ。
そして、それが何かの理由で、自分自身のファミリーヒストリーや神戸出身者とのちょっとした会話と結びついたのだとすれば、それは自分のある意味「かわいそうな」私的な思いを、歴史の一コマのなかに着地させようとする、そういう覚醒だったのかもしれない。
実をいうと、よりマクロな視点で、それぞれの災害にはそれぞれの社会的な背景があり、その脆弱性が被害を増幅させている、という視点を最初に提起したのは、阪神淡路大震災だった。
1990年代以前は、災害被害者というのは、災害管理の文脈で救援対象として、比較的ステレオタイプに捉えられていた。しかし、その認識を大きく変え、都市の社会構造の脆弱性に関心が高まったきっかけが1995年の震災だった。こう書くとなにやら上から目線風だけど、阪神淡路大震災が自分が仕事として防災の世界に入るきっかけを作った。
神戸の都市としての成り立ちは、明治の初め、神戸港が開港された時から始まる。以降、港湾労働者が多く流入、低所得層が脆弱な埋め立て地や条件の悪い内陸部へ集住するようになる。他方で、20世紀の鉄道の時代に入ると、阪神間の交通網が充実し、六甲山ろくに高級住宅地が開発されるようになる。高度経済成長期には六甲の開発で切り崩した丘陵地に住宅地を建設、その残土で海岸が埋め立てられ、工場用地や港湾建設が進められていく。おりしも公害問題が深刻化した時代、都市の生活環境はますます深刻化していった。そんななか、オイルショックを契機に産業構造の転換という時代の変わり目を迎え、神戸の産業のシンボルであった造船、鉄鋼は停滞してゆく。それは関連する神戸の零細地場産業を苦境に陥らせ、今度は人口流出が起こり都市部の空洞化が始まった。都市部に残っているのは、流動性の低い層つまり高齢者、低所得者ばかりとなった(インナーシティの形成)。
これに対して1980年代、神戸市の政策的な対応としては、財政問題の打開が先行した。バブル前の当時の考え方では、大規模開発こそが地域経済の再生をもたらすと信じられていた。埋立地の利用による、ポートラインラド、六甲アイランド建設、物流機能強化のための明石大橋建設、最先端技術産業の誘致、ニュータウン建設など、新たな付加価値の創出が事態打開の切り札だった。
その一方、社会の脆弱層への支援、行政による市街地の再生は後手に回っていた。
オイルショック後の産業構造の転換で取り残された低賃金労働者の町、老朽化の進んだ木造住宅密集地域、長屋建ての住宅の占める割合の多い市街地(長田区のスラムのようなオールドタウン)は新陳代謝が進められなかった。地震対策の上でも洪水対策の面でも取り残された街となった。どのような地域であったかは番町地区で検索をしてほしい。
このような経済格差や脆弱性が生み出された、マクロな構造変動のなかで襲ったのが1995年の大地震であり、被害が社会経済的に脆弱な人々に集中した。暴力団員が懸命に救助活動していたエピソードを覚えている人もいるだろう。そういう街だった。
社会学的な視点でみれば、この地震の教訓として、被害が高齢者、低所得者に集中したのは、ある意味、歴史的必然だ。格差が生み出された背景などのマクロな政治的・経済的な動向と切り離せないということだ。
そして、このような格差や脆弱性という切り口でみる構造分析は先月発生したトルコとシリアの大地震でも、当てはめることができる。
このように、可哀そうな存在というのを社会学的に脆弱性として構造的にとらえる、ひとつのきっかけは、やはり他の災害を知るということであるし、昔の災害を知るということだと思う。
パーソナルヒストリーとしてお互いに触れあうことで、お互いに違うバックグラウンドにあることがうすうすわかってくる、それもまた、大切な気づきなのだと思う。
また、パーソナルなコミュニケーションが、例えばまさに「通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね」みたいな会話、これが実はマクロな特性を知るうえでも、その人のパーソナルヒストリーをしるうえでに、もっとも重要なエントリーポイントだったりする。仕事上、ひとから話を聞くときにいつも気に留めていることでもある。
だから、トルコとシリアで現在進行形の震災について全体状況を大きな視点理解している国際機関よりも、よりミクロな視点で、特定の家族や地域の人たちにコンタクトがとれる小規模のNGOや支援団体に私自身は微力ながら支援金を送付している。たまたまシリア難民支援をしている人と知り合いの知り合いくらいの関係でSNSでつながっていたのがきっかけだ。アサド政権が物資を止めてしまう現状も現地の声としてより関心を持つようになった。そのほうが確実に、受け取った人の顔がみえ、困っている状況がミクロにもマクロにもわかってくる。自分が支援したお金が支援先の一家族あたりの支援額(しかも第一バッチ)の1/4にも満たないことを知る。こういうことも大切だと思う。
そのように、何かをきっかけに、他の災害に対して接点を持つ機会を大切にしたい。
というのは、居酒屋のトイレの洗面所とかで何気なくかわす会話、とか想像していたのだけど、そういうのが大切だよね。そういうのが心の残って覚えている、ということがさ。もちろん完全にひとのことを理解するなんてことはどんなに会話を交わしてもない。でも覚えてさえいれば、そのなぜか覚えていた思いを何かにつなげることができる。その「きっかけ」というのはとても大切に思う。
災害を忘れない、というのはそういうことだと思うので。
・ 普通に働いてさえいれば来月も来年も10年後も給料が入ることが強く期待される。ローンなども組み立てやすく、金を貸すほうも貸しやすい
・ 企業としてもほいほい辞めないことが期待できるので来月来年10年後を見越して従業員に投資できる
・ 退職金制度が作りやすい。従業員にも企業にもメリットがある
こんなところである。つまりは高度経済成長期をがっつりサポートできたのはこれのおかげである。
なお、本質的には終身雇用制度と転職流動性は両立可能である。40歳で中途入社したならその会社の40歳のルートにいきなり乗せてあげればよろしい。
転職してきた人はまた転職して行ってしまうのではないか、という考え方になりがち。間違ってないけども。それをシステムでサポートするのが特定派遣だったんだけどもさ。