はてなキーワード: 高度経済成長とは
埼玉県川口市でクルド人の犯罪が激増して問題になり、その対策が川口市政の中心的課題になっている!というエントリが度々ホッテントリ入りしている。またyoutubeのゆっくり動画等でも「クルド人」「川口」のテロップが入ったサムネの動画が投稿されている。
川口市は『広報かわぐち』という広報誌を配布しているが、この10月号で犯罪認知件数が過去最低を記録しているとの広報を打っている。
https://www.city.kawaguchi.lg.jp/material/files/group/3/202310-04.pdf
この一年で白昼の強盗事件、沿道商店に突っ込む大事故や死亡ひき逃げ、クルド人による病院での喧嘩騒乱などの事件が報道されて体感治安が低下している故だ。でも実際には治安は過去最高となっている。
この問題を喧伝しているのはagora出身の石井孝明というライターで、産経新聞と夕刊フジがそれを元に記事を書くという構造になっている。
石井のやり方は、川口、蕨を中心として、肌の浅黒い中央アジア、東南アジア系の人間が事故や事件、不法な業務、反マナー行動をしたものにクルド人を匂わす文言を付けて宣伝するという方法だ。それ故クルド人が毎日事件や不法行為をしているように見える。そんなにクルド人は増えているのか?日本にクルド人は何万人いるのだろうか?
だが実際のクルド人の数は2000人程度である。人口60万人の川口市人口の0.3%だ。「あれもこれもクルド人」の安物ネガティブキャンペーンが成功しているのである。
それで今回はちょっとこの問題の背景を説明するよ。「クルド人とは何か、どういう民族か」などは産経以外の大マスコミや大学人が記事を書いてるからそういうのを参考してくれ。
「埼玉県川口市」でgooglemaps検索すると川口市の県境が表示される。
https://www.google.com/maps/place/%E5%9F%BC%E7%8E%89%E7%9C%8C%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%B8%82
まず、駅の東側にやたら細かい碁盤目で緑の線が入った地域があるのが判るだろうか?ここは芝2丁目と芝4丁目という地域になる。
ここは一見整備された住宅地に見えるが、実は都市計画に乗っ取ったインフラ整備が間に合わなかったスプロール地域なのである。
この碁盤目は元々は大正時代に田んぼを整地したものだった。緑の線は用水路跡で、今でも暗渠化された水路敷きになっている。この付近は江戸時代に作られた見沼代用水が通り、その分水も充実していた。そこで碁盤目に畔と用水路を整備して土地の権利も整理したものだ。
ちょっと脱線するが、こういう整備された元田んぼ住宅地の近くにはL字の道と変形交差点を組み合わせたような地区がある事が多い。またそこには寺や神社がある事が多い。その場合、そこら辺は嘗ての村の集落があった場所である。行ってみるとせせこましい建売の中に突然田舎の農家のような大きな庭付きの家、時に藁ぶきだったりゴルビジェのサボア邸のようなやたらハイセンスの家が建っていて驚かされる事があるのでおススメだ。そこは付近の建売の元地主やマンションの大家である。
この田んぼが戦後の高度経済成長期に売りに出され宅地化されたのがこの芝2、4丁目地区なのだ。
元あぜ道は公道化されているのが多いが、そこから奥に入る道は幅が狭い砂利道のままだ。これは私道だからであり「その道路の権利は細切れになって付近の家の持ち主が持っている。故に権利関係がごちゃごちゃなので
更にこの路地は通り抜けが出来ない。真ん中に水路敷がある為だ。水路は元々の地主が権利を持っている筈だ。通り抜けにはそこに橋を掛けなきゃならないが、誰もその費用を負担したくないので碁盤目に見えて行き止まりの路地ばかりという事になっている。
1990年代初頭に建築基準法が改正されるとセットバックの義務と接道義務が定められた。接道義務とは、幅4m以上の道に2m以上接していない土地には建物建築不可という事である。
これでこの路地の奥にある家というのは建替えが不可能になった。
また、水路敷は舗装されていて道路に見えても道路じゃないのでセットバックの義務が無い。だからいつまで経っても道は広がらないから接道要件を満たす道にならない。散歩する時はこのせいで魅力的なのだが不動産的には不良である。
この路地をストビューで見れば判るが、公道に面した家は新しい低層アパートで路地は4m拡幅、その奥の一軒は新しい戸建て(公道側隣家のセットバックで接道要件クリア)、その奥は築30年以上の古い戸建てや古アパート、となっている。奥の方の家は建替え出来ないので古いままなのだ。
奥の方の家やアパートを借している場合、家が古くて車も入れない砂利道なので客付けが困難である。蕨駅から徒歩5~10分という好条件なのだがこういう状態なのだ。
高度成長期中期の昭和30年代後半からこういうスプロール現象が問題になって規制が強化されたのだが、その前に家が建てこんだ地域なのだ。私有地である用水路の暗渠化は市が行ったが、これは下水道整備が間に合わず、水路に垂れ流しとなった為の代替政策だ。
さて、外国人というのは部屋が借り難い。これは差別の問題もあるが、家主としては万が一の時の連絡の問題、家賃不払いや退出後の内装補償、突如国に帰ってしまうリスク、それと土足の問題などがある。室内に靴を脱いで入るのは日本だけなのだ。最近じゃ米国都市部も日本式になって来てるが。だから土足で生活されて畳床等がダメになるリスクがある。
故に外国人が部屋を借りるのはとても大変だ。一方、建替不可で古くて前が砂利道で引っ越しのトラックも入れない、なんていう借家やアパートの大家は客付けが全然できない。この両者の利害が一致して賃貸借契約、とあいなる。お互い「こんなボロ屋なのに高いが…」「外国人でリスクが高いが…」という妥協の産物だ。
このやたら細かい碁盤目地区はもう一か所ある。駅の反対側に線路で分断された川口市の飛び地みたいな三角の土地があるだろう。
ここは芝園町と芝富士という地区なのだが、そのうち芝園町は元鉄道車両工場のUR団地(電車から見える屏風みたいな建物)、芝富士は元田んぼの細かい碁盤目地区だ。この芝富士地区は先の芝2・4丁目地区と全く同様の特徴と来歴を持っている。
路地のセットバックが進んで4m以上が確保されて建替え可能になっている所が多いなど、スプロール化の程度は2.4丁目よりも改善されているのだが、それでも水路敷による路地分断などはあり、また建替不可家屋が密集する地帯もある。更にここは飛び地状態なので見捨てられた感もあり市政が行き届きにくいという特徴もある。中学校や幼稚園が線路の反対側で遠いのだ。
「蕨」なのに「川口市」であるのはこういう事で、駅の左右に川口市の不良宅地地区がありそこのアジア系の住民が住む事が増えたというのが原初としてあったのだ。
「川口市は小規模の鋳鉄工場があり外国人工員を必要とした」という説明をしている記事もあるが間違いだ。鋳鉄工場地域は西川口から南側であって、蕨周辺は田んぼから住宅地に転換している。その転換が早すぎてスプロール化してしまったのだ。
クルド人問題がおかしな奴らの飯のタネになっている問題の根幹は在特会のヘイトデモに遡る。
2009年に在特会はオーバステイフィリピン人の子息が通う中学校付近で「叩き出せ」といシュプレヒコールを上げるデモを行うようになった。この中学校や居宅は蕨駅の南側、西川口駅寄りだ。
このデモに左翼運動からの転向者が合流すると一気に過激化し、「殺せ」「殺しに来た」というコールになり、警察に掴まらないような巧い仕方の暴力や、近所のヤジに対して「○○人の家だ」「お前日本から出ていけ」「殺せ」と連呼したり、お散歩と称してデモの後に落書きをしたり通行人に因縁を付けたりという行動をするようになった(後に警察官が解散地から駅まで随行するようになった)。転びアカが合流すると大抵こういう事になる。
これに呼応して掲げられる旗も日章旗から旭日旗やハーケンクロイツとなっていった。
そんな中で在特会は芝園団地付近でクルド人に住民が迷惑しているという情報を掴む。
そこでヘイトデモの開催地は蕨駅~西川口駅から蕨駅北方になる。そこで鍵十字の旗が沢山はためき、「悔しかったらクルド野郎出てこい殺してやる」などのデモがされるようになった。
但し、彼らは居住地区を知っていたから疑問なので警察がそこから外れるルートを許可していても判らなかったかもしれない。
こういう経緯で中東系や中央アジア系の人間の犯罪、不始末を「クルド」と称する動機が生まれてきた。事件が有る度に「これは在日朝鮮人」という差別デマがずっと流れていたが、それの中央アジア版だ。
もう一つの理由がトルコの少数民族問題で、トルコは親日国で、そこで問題化している少数民族のクルドは敵だ、という単純な世界観によるもの。元々国際問題を親日反日でしか捉えれない人間の頭の中なのでこれ以上はバッファオーバーフローである。そもそも少数民族問題は国家の宿痾であって国際政治学では必ず履修する項目であるのにそれを焚きつけて利益にせんとするあたり、ガソリンスタンドでタバコを吸うバカの如しである。
故にそれよりこの方ずっと「クルド」はやべぇ奴らの間の符丁となり、民族問題を理解するという動機にはならずに、彫りが濃い人間の不祥事は「クルド」とする文脈が生まれたのである。
三度寝した後、昼ごはんに彼氏にもらったノワールを食べる。それから、図書館へ向かう途中でコンビニに寄り、からあげクンとだしおにぎりを買う。
図書館の前のベンチで買った二つを食べる。からあげクンは、期間限定フレーバーなんて買わずに、素直にホットを買えばよかったな、と後悔するも、だしおにぎりは、値段の割に美味しかった。
軽くお手洗いを済ませて、なんとなく、クリスタルを読む。登場人物の暮らしぶりや、横文字の固有名詞がたくさん出てきて、高度経済成長期直後の70年代後半から80年代の一般市民にも余裕が出てきたイケイケな日本の雰囲気がよく伝わった。特に私が気に入ったのは、生まれてきてから苦労や不安といった暗い感情とは無縁な若者の浅はかさや薄っぺらさがよく現れている点だ。小説を読んでいて、やけに注釈が多く、無視して読んでいたが、思ったよりも早く読み終わったので読む。これがなかなか面白い。例えば、
エルメス …馬具商からスタートしましたのに、今や超高級ブランドになりまして
モデル …大した顔でもないのに、自己顕示欲の塊で、モデルをやっている女子大生もいます
サマセット・モーム…なんたって、由利(主人公)は一応、英文科ですもの
もはや筆者の皮肉混じりの感想となっているものが、ほとんどだった笑 また、最後に暗に少子化時代へと進む事を示しているであろう日本の出生率を示したデータが唐突に現れる。これは、10年後もシャネルを着たモデルをやっていたい主人公の、将来もモノに囲まれた裕福な生活が送れると思っている主人公の行く末でも表しているのかと思った。オシャレで裕福な生活を送っている若者たちの生活→筆者の彼らの暮らしに出てくるモノに込めた皮肉混じりの注釈→日本の出生率からそんなに長くは続かないであろう今の生活、という一連の流れは、実に見事だった。
まあ、選ばないよね。スーパーでコメ買うとき福島産じゃないかどうかとか確認して買ってるわ
福島の食材が危険だと言うのは風評被害だったとして、じゃあ安全性を理解したうえであえて福島産を選ばないって行動はどう言うの?
安全が確保されてマイナスがゼロになったように見えて、でもイメージが悪くなった分完全に元には戻らないんだよね。うんこが載った皿をきれいに洗ったとして、その皿でメシ食える?って話
この食材はトリチウムゼロ!ストロンチウムゼロ!とかって売り文句になると思う?ゼロで当たり前なんだよ…厳密に言うとゼロにはなり得ないとかのまぜっかえしはノーサンキュー
なんかそういう化学物質の名前を前面に出される方がかえってイメージ悪いのわかるよね?栄養素ならまだしも。でも福島産ってなるとそういうのアピールしないといけない。ある意味呪いだよね
食べて応援なんてのも本当にクソ。国の不始末を国民の努力で補わさせようっていう魂胆がイラつくから絶対にそういうキャンペーンには乗らない…いやどんだけ安くなるかにもよるがなw
つまり、仮に牛丼屋のコメが福島産だったとしても何も思わないが、俺が選べるんなら積極的に福島産は選ばないよって話
まあとにかく風評被害だのイメージ汚染だの、これらもすべてまとめて原発事故のツケなんだよね。これらはしっかりと原発のリスクに計上しないといけないはずなんだが、ジャップランドは
風評被害だのなんだのは国民のモラルの問題だとして(つまりお国が責任を取る必要はないとして)捨て置いてるんだよね。汚染水放出で風評被害が出たら保障とか言うけど
あのメガネが太っ腹に金なんて出すんですかね。理由つけて金出さないと思うけどね俺は。ワクチンで死んだらいくらもらえるんだったっけ?
まあ、結局福島の人々はずっと自民党の議員選出してきたわけでしょ。原発ももろ手を挙げて建設に賛同して。地震起きたときどうするのって聞かれたときに第一次安倍がそんなこと
起こらねえよwとか言ってた答弁も飲み込んで。その結果地震が起きて、事故起こって。ネトウヨがご執心の竹島の何倍もの国土を失ったようなものだよね。農家も漁師も苦しくなって。
まあ農家も漁師もどうせ自民支持だろうが。事故後も何も産みださない汚染水だのぶっ壊れた原発だのにリソース使いまくって。水資源をずっと陸にため込み続けて、その間もずっと
どんだけ払ったの?どんだけ損した?ま、極論自業自得だよね?自民支持してた結果だよ?まあトータルではまだプラスってとこか
ジャップランド全体で見ると、高度経済成長のツケを払わされてるんだよね。あの時代はジャップにしてはできすぎだったんだけど、その時前借していた未来を今後の若い世代が払っていくってわけ
なんかとりとめもなく書いていたけど、なんでこれ書いたかっていうと今日の配信で兎田ぺこらがなんか4人ぐらいで宝鐘マリンとかと全国の名産品食うって言ってて、福島の時に出てきたのが
赤べこだったわけ。牛の置物。食い物を食おうって企画だったのに福島県の名産品は食い物じゃなかったの。
別になんかVtuberを責めたいわけじゃなくてさ、そりゃ福島の食材って存在自体が政治的な問題を孕むものなんだから忌避したいよねって話。彼女たちも政治的な話に巻き込まれたくないだろ
だからバカなフリして、うっかりのフリして、そろそろお腹もいっぱいになってきたころかなと思いましてなんて理由をつけて、赤べこを出したわけ。最悪、本当の理由はコメントやチャットが荒れるかもしれないからってもっともらしいことを言えばいいわけだ。福島の食材は存在自体が政治的だってこと自体飲み込めない奴はそういないだろうし。
福島の食材は、俺も選ばないし、ぺこらも選ばない。俺もぺこらも風評被害はしてない。別に福島の食材が危険だなんて言ってない。ただ選ばないってだけ
まあ、どんまい。って俺は思ったね
アメ公はマジで日本人のことなんて黄色い土人だと思ってるからな
あいつら根本的に建国以来一貫してジャパン・アズ・ナンバーワンの頃の日本人の精神のままだからな
最も人格的に貧しかった高度経済成長期〜バブル期の日本人の似姿が過去から現在までのアメ公だから
あいつらはソビエトの対日参戦で確実に勝利を確信していたのに新しい玩具の破壊力を試してみたくて広島と長崎で大量殺人を行った事実を歪曲して戦争の早期終結の為には必要だった人道的判断だと考えてるわけ
あとその後の世代も、全共闘世代が教育分野などで幅をきかせてたから教育もその影響を受けてた。
それが変わったのは安倍元首相をはじめとして自民党が結構強力に教育委員会とかに手を入れたから。
だから今の教育は基本的に自民党の思い描いてる教育になっている。
人間は最初に与えられた教育が常識だと思うから、お互いそこのズレが生じてると思うぞ。
まあ、その上で安倍政権・岸田政権を全否定しかできない奴は考える力が無いと思うがな。全肯定もしないが。
経済分野では安倍政権は取り得る手段の中ではかなり良い判断をしたからな。岸田政権もまだ分からんけど、やってることはそんなに間違ってない。
まず生まれが、<数千人の従業員を擁した一族が経営する宮崎航空興学の役員を務める一家の4人兄弟の二男として、1941年1月5日に東京市で生まれた。>だからね?そりゃあ金持ちとして文化資本が高い生活を送ったことだろう。この時代子供に家事やらせたり働かせるなんて当然の時代で一般人は余裕がない中本は読めるわ、当たり前のように大学進学という選択肢も選べたし
幼少期に空襲を体験してるっていうのも創作者として格が違うしな
まだやってないストーリー、キャラ、動き、世界観だらけで何やっても新鮮でやりがいがあって最高の環境だっただろうな
創作者に限らず人のピークは20代から40代あたりだろう。創作者としての良い時期と日本が成長していく時期が完全に重なってた。
観客の質も良かったんだよな。宮崎世代は娯楽が少なかったから本を読むのと映画を見るのが当たり前で教養があって、作家主義的な映画にも敬意を持った観客がたくさんいたけど今やYoutubeの動画すらも長いと感じてショート動画見まくる時代だよ
こっちは、経済政策の失敗で30年間経済が停滞して、異次元の少子高齢化で国がすごい勢いで衰退していく中、これからとどめの南海トラフ巨大地震に首都直下地震、原発問題だってあるし、気候変動問題で自然災害は増加する一方で、政治は韓国のカルト宗教統一教会と自民党が繋がって良いようにされてるし、国際情勢は露宇戦争もどうなるかわからない、なにより中国が台湾侵攻するのも時間の問題で沖縄だって狙ってるんだから日本は第一線で戦わなきゃいけないの確定してるわ・・・
こんな暗黒の時代を生きなきゃいけない俺たちに時代に恵まれた82歳の老人が「君たちはどう生きるか」なんて言葉投げかけるな
興味深い、というような気がしてくる。
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ええと、どこかの段階では自分の場所を作るべきなんだろう。ただ、今はここに書き記しておきたい。
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今起きているフランスの暴動――黒人系・アラブ系二世に対する日本のコメント欄での無理解と、暴動を起こす側の無理解はよく似ている。
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前トランプ大統領がその流れを「生んだ」というわけではないだろう。むしろ、議事堂襲撃や退任によって世界的な流れは若干緩んだかもしれない。
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ロシアはどうだろう? どちらかと言えば、無理解は加速したが中国の拡張主義の速度は緩んだと言える。
そう、中国はと言えば国内の急速な失業率悪化が報じられている。まぁ、その原因は欧米と同じく「日本化」、いわゆる人口問題による先進国の老化ではあるのだが。
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新型コロナは明けたが、それでも世界はより悪くなっているのだろうか?
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答えは、わからない。そもそも「より悪くなっている(気がする)」というのが100%個人の主観による感想だからだ
そして客観的な研究によると、『FACTFULNESS』が何年か前にこれをテーマとしてベストセラーになったが、
「世界はより良くなり続けている」のだという
https://www.gentosha.jp/article/23545/
他にも、同様の研究がある。「昔はよかった。今はダメだ」と、紀元前の古代シュメール人の粘土板にすら書いてあるという。
エジプトのピラミッドにも「最近の若い者は」と落書きがある、というのはネットミームだそうだが、そう遠く外してもいなかったわけだ。
https://newspicks.com/news/6972076/body/
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「世界はより良くなり続けている」とはどういうことか?
すなわち、世界の乳幼児死亡率、栄養失調率、極度の貧困率、乳幼児のワクチン接種率及び病死率などはいずれも改善されているということだ。
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そして、人間の脳には本来「世界はより悪くなり続けている」と考える仕組みが備わっている。
より厳密には、「昔の記憶を良い思い出に書き換える」「現在と未来について悲観的な予測をする」「恐怖やネガティブな要素を重要視する」といった本能だ。
いずれも、昔のことはポジティブに考えて悪いことはさっさと忘れた方が健康的だし、危険を悲観的に予測し、重要視して避ける。
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その辺りは『FACTFULNESS』本編の序章に詳しいのでここまでにするとして、
ではそれを前提にすると? 少し興味深い見方もできる。
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つまり、「世界の荒廃も一時的で、一側面的で、見方によるものでしかない」のだとすれば?
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たとえば戦争。ロシア-ウクライナ間で起きていることは悲劇だ。
だが、統計的にはどうか。約35万人の死傷者数と見積もられている。
1980年代のイラン・イラク戦争では約100万人以上。しかし、世界の人口総数が当時は44億人、現在は80億人を超えていることを鑑みると、
「人間一人当たりの死の悲劇性は半減しているのだから、状況は統計以上に改善している」と考えることもできるかもしれない。
まぁ、世界人口総数あたりの戦死者比率は間違いなく減少している。
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何故なら、本能や直感とは反する結果だからだ。とても科学的だ(科学史では直感に反する事実がしばしば証明される)。
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もちろん、日本の経済や人口問題、「先進国の老化」、人種差別、などなどの諸問題は間違いなくある。
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一つには、「今は揺り戻しのターン」だという捉え方がある。
そもそもが、一つ前の時代の悲劇とは世界大戦であり核戦争寸前の冷戦である。それに比べれば、まぁ差別も暴動もテロも局地的戦争も、大した問題とは言えない。
歴史的にはヨーロッパでは毎日のように戦争を起こしていた時代もあるのだし。
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冷戦終結から2010年代まで、長らく続いた平和の次の「戦争の、あるいはネガティブのターン」だと捉えることもできるだろう。
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冷戦終結から2010年代までを最も幸福に過ごしたのは、やはり先進国の人間だろう。
日本もまた、高度経済成長期からバブル崩壊辺りまでの期間はきわめて幸福だったに違いない。
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だとして。そうした時代の主役ともいうべき人々が、舞台を他に譲るのだとしたら?
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西側諸国の次はアジア、その次はインド、その次はアフリカ……と、予測されている。人口動態からは。
それが、「次のターンで幸福になる人々」なのかもしれない。
まぁ、その理屈になる場合はアフリカの番が来るのは次の次、ぐらいなのだろうが。
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世界は改善され続けている――それは、言い換えれば、「今見えている景色よりも過去は遥かに地獄だった」ということを保証するに過ぎない。
もっと言うなれば「過去の一時点は現在よりもネガティブな要素があった」と言うべきか。縄文時代の労働時間は2-3時間だったらしいのだし。
『サピエンス全史』は「農業を人類史上最大の詐欺」と語り、科学は素晴らしき発明だと言う。
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「その時代に最も幸福な人々」が語る言葉は、真実であると同時に欺瞞なのでは?
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つまるところ。荒廃も幸福も、大した違いなどないのかもしれない。
だからそれが、興味深いと思った。
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その二つに大差がないのなら、あるのはパターンの違いであり、ディティールの異なる時代像なのだろう。
それは、面白いと思わなければ損だ。
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だが結局のところ、人は自分の見たいように世界を見るし、それは一つの観点としては真実なのだ。
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迫害される黒人・アラブ人にとって「世界は極めて攻撃的」だし、
そのどちらでもなく平穏な母国で暮らす黒人・アラブ人の人々にとっては対岸の火事にすぎない。どうだっていいことだ。
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幸福だと思う人にとって世界は幸福で、悲劇だと思う人にとって世界は悲劇的だ。
ならばどこまで行っても、最初からそんな世界は喜劇的なのだろう。
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興味深く、楽しむべきなのだろう。
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興味深い、というような気がしてくる。
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ええと、どこかの段階では自分の場所を作るべきなんだろう。ただ、今はここに書き記しておきたい。
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今起きているフランスの暴動――黒人系・アラブ系二世に対する日本のコメント欄での無理解と、暴動を起こす側の無理解はよく似ている。
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前トランプ大統領がその流れを「生んだ」というわけではないだろう。むしろ、議事堂襲撃や退任によって世界的な流れは若干緩んだかもしれない。
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ロシアはどうだろう? どちらかと言えば、無理解は加速したが中国の拡張主義の速度は緩んだと言える。
そう、中国はと言えば国内の急速な失業率悪化が報じられている。まぁ、その原因は欧米と同じく「日本化」、いわゆる人口問題による先進国の老化ではあるのだが。
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新型コロナは明けたが、それでも世界はより悪くなっているのだろうか?
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答えは、わからない。そもそも「より悪くなっている(気がする)」というのが100%個人の主観による感想だからだ
そして客観的な研究によると、『FACTFULNESS』が何年か前にこれをテーマとしてベストセラーになったが、
「世界はより良くなり続けている」のだという
https://www.gentosha.jp/article/23545/
他にも、同様の研究がある。「昔はよかった。今はダメだ」と、紀元前の古代シュメール人の粘土板にすら書いてあるという。
エジプトのピラミッドにも「最近の若い者は」と落書きがある、というのはネットミームだそうだが、そう遠く外してもいなかったわけだ。
https://newspicks.com/news/6972076/body/
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「世界はより良くなり続けている」とはどういうことか?
すなわち、世界の乳幼児死亡率、栄養失調率、極度の貧困率、乳幼児のワクチン接種率及び病死率などはいずれも改善されているということだ。
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そして、人間の脳には本来「世界はより悪くなり続けている」と考える仕組みが備わっている。
より厳密には、「昔の記憶を良い思い出に書き換える」「現在と未来について悲観的な予測をする」「恐怖やネガティブな要素を重要視する」といった本能だ。
いずれも、昔のことはポジティブに考えて悪いことはさっさと忘れた方が健康的だし、危険を悲観的に予測し、重要視して避ける。
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その辺りは『FACTFULNESS』本編の序章に詳しいのでここまでにするとして、
ではそれを前提にすると? 少し興味深い見方もできる。
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つまり、「世界の荒廃も一時的で、一側面的で、見方によるものでしかない」のだとすれば?
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たとえば戦争。ロシア-ウクライナ間で起きていることは悲劇だ。
だが、統計的にはどうか。約35万人の死傷者数と見積もられている。
1980年代のイラン・イラク戦争では約100万人以上。しかし、世界の人口総数が当時は44億人、現在は80億人を超えていることを鑑みると、
「人間一人当たりの死の悲劇性は半減しているのだから、状況は統計以上に改善している」と考えることもできるかもしれない。
まぁ、世界人口総数あたりの戦死者比率は間違いなく減少している。
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何故なら、本能や直感とは反する結果だからだ。とても科学的だ(科学史では直感に反する事実がしばしば証明される)。
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もちろん、日本の経済や人口問題、「先進国の老化」、人種差別、などなどの諸問題は間違いなくある。
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一つには、「今は揺り戻しのターン」だという捉え方がある。
そもそもが、一つ前の時代の悲劇とは世界大戦であり核戦争寸前の冷戦である。それに比べれば、まぁ差別も暴動もテロも局地的戦争も、大した問題とは言えない。
歴史的にはヨーロッパでは毎日のように戦争を起こしていた時代もあるのだし。
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冷戦終結から2010年代まで、長らく続いた平和の次の「戦争の、あるいはネガティブのターン」だと捉えることもできるだろう。
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冷戦終結から2010年代までを最も幸福に過ごしたのは、やはり先進国の人間だろう。
日本もまた、高度経済成長期からバブル崩壊辺りまでの期間はきわめて幸福だったに違いない。
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だとして。そうした時代の主役ともいうべき人々が、舞台を他に譲るのだとしたら?
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西側諸国の次はアジア、その次はインド、その次はアフリカ……と、予測されている。人口動態からは。
それが、「次のターンで幸福になる人々」なのかもしれない。
まぁ、その理屈になる場合はアフリカの番が来るのは次の次、ぐらいなのだろうが。
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世界は改善され続けている――それは、言い換えれば、「今見えている景色よりも過去は遥かに地獄だった」ということを保証するに過ぎない。
もっと言うなれば「過去の一時点は現在よりもネガティブな要素があった」と言うべきか。縄文時代の労働時間は2-3時間だったらしいのだし。
『サピエンス全史』は「農業を人類史上最大の詐欺」と語り、科学は素晴らしき発明だと言う。
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「その時代に最も幸福な人々」が語る言葉は、真実であると同時に欺瞞なのでは?
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つまるところ。荒廃も幸福も、大した違いなどないのかもしれない。
だからそれが、興味深いと思った。
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その二つに大差がないのなら、あるのはパターンの違いであり、ディティールの異なる時代像なのだろう。
それは、面白いと思わなければ損だ。
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だが結局のところ、人は自分の見たいように世界を見るし、それは一つの観点としては真実なのだ。
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迫害される黒人・アラブ人にとって「世界は極めて攻撃的」だし、
そのどちらでもなく平穏な母国で暮らす黒人・アラブ人の人々にとっては対岸の火事にすぎない。どうだっていいことだ。
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幸福だと思う人にとって世界は幸福で、悲劇だと思う人にとって世界は悲劇的だ。
ならばどこまで行っても、最初からそんな世界は喜劇的なのだろう。
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興味深く、楽しむべきなのだろう。
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