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はてなキーワード: 高度経済成長とは

2023-03-03

anond:20230303082323

終身雇用制度ライフタイムコミットメント)が便利な理由

普通に働いてさえいれば来月も来年10年後も給料が入ることが強く期待される。ローンなども組み立てやすく、金を貸すほうも貸しやす

企業としてもほいほい辞めないことが期待できるので来月来年10年後を見越して従業員投資できる

退職金制度が作りやすい。従業員にも企業にもメリットがある

こんなところである。つまり高度経済成長期をがっつりサポートできたのはこれのおかげである

なお、本質的には終身雇用制度転職流動性は両立可能である40歳で中途入社したならその会社40歳ルートにいきなり乗せてあげればよろしい。

転職してきた人はまた転職して行ってしまうのではないか、という考え方になりがち。間違ってないけども。それをシステムサポートするのが特定派遣だったんだけどもさ。

2023-02-25

anond:20230225132823

今の世の中で高度経済成長ときみたいな何もできないアホでもなんでも数でゴリ押せる戦略が成り立つのかはわからんけどな

昔のおっさんたちは無能でも存在するだけでいろんなものが増えていっていい時代だぁ~今の時代なら就職できんやろってやついっぱいいるからなぁ

2023-02-24

戦後日本高度経済成長は「宝くじ」か「ラッキーパンチ」か。

宝くじの一等が当たった(機会+運)」と思ってる人間は、運を使い果たしたので、「もう二度と当たらない」と認識する。

ラッキーパンチが当たった(実力+運)」と思ってる人間は、当時と似た状況を再現できれば、「もう一度当たる」と認識してる。

ラッキーパンチ認識して、「過去成功体験再現するために」金をつぎこむのは、パチンコ中毒と同じ。

2023-02-22

昔は日本貧乏でその後高度経済成長があったから、子供が親の面倒を金銭的にも見るってのが当然だったみたいだけど、いまだに子供に金をせびる親とかもいるのかな

しろ親に金渡すと後々相続税で持っていかれるだけで損だと思うんだが

anond:20230222091646

今も世界でGDP4位だぞ。

高度経済成長期とバブル期の爆上げしすぎた振れ戻しがきてるだけだろ。

2023-02-20

一番濃い体験をした世代は何歳あたり?

寿命を80歳とする

 

昭和8年まれ2013年

戦争体験して、高度経済成長体験し、スマホ登場も体験して、大震災体験する

 

1960年まれ2040年

テレビの登場前あたりからまれて、高度経済成長バブル崩壊体験し、スマホの登場、大震災を経て、AI全盛期、ワンチャン宇宙旅行まで見ることができる

2023-02-18

anond:20230218191108

戦後高度経済成長期に蔓延した幻想だよ

見知らぬ誰かが人生を投げ打って得たものを預かりながら、それを自分が受け取って当然の「まっとうな」ものだと勘違いしていて、日向の犬みたいな怠惰日常を消費し、他者の苦しみに興味がなく、作らず戦わず変えず、税金だけ払って寝転がっている人たち

そんなものももちろん生きる価値はあるけど、できればそんなものにならないほうがいい

2023-02-05

日本て昔より今の方が遥かにエコノミックアニマルだよな

日本高度経済成長期には、欧米から日本人はエコノミックアニマルだとバカにされていたよな

金持ってかもしれないが、金の使い道は知らない稼げても賢く使えない野蛮人という意味

当時からしばらくはそういう文化コンプレックスがあったか美味しんぼみたいなグルメマンガウケる土壌がてきたわけだよな

稼ぐだけじゃなくて、本当に美味いものを知ってるんだぜという文化ポーズができるようになりたかった

スポーツ競技場とか美術館とか全部似たようなもんだよな

それ比べて今はオリンピック施設作るのにも採算だ、芸術支援なんて無駄遣いだという批判がいっぱいあるわけよ

稼げない文化死ねって話

当時の金は持ってても文化面の劣等感を突かれると必死になって文化に金出して格好つけてた日本人よりも

今の日本人の方が遥かに拝金主義エコノミックアニマルになってきてるよな

anond:20230205161644

日本戦後高度経済成長を遂げたのは「人口が増えたから」なんだけど、

そんなこともご存知ないの?

2023-02-04

北海道帯広市百貨店藤丸」が閉店したことについて

概要

1月末日をもって、北海道帯広市にあった百貨店藤丸」が閉店した。

創業明治33年で、122年間経営したことになる。このあたりではよくあるパターンで、開拓地呉服商立身昭和初期にデパートへと展開してきた地元百貨店だった。

例えば釧路市の丸三鶴屋や野付牛(北見)の丸い伊藤系列は異なれど同じような環境で、開拓地百貨店として成長してきた。

諸賢ご存知の通り、百貨店などという業態今日び全く下火となっている。

北海道田舎においては高度経済成長期以降、郊外に新興市街地が伸長し、多くの人が自動車で移動する時代になった。

そして平成10年大規模小売店舗法廃止大規模小売店舗立地法の制定が運命を定めた。

この20年、みんな車で郊外の大規模店舗に行く。「中心市街地」の意義は消えた。


人々のリアクションへの違和感

1月に入ってから藤丸は連日客でごった返し、最終日には閉店後まで人々が店に集っていた。

藤丸に入っている店の常連だったり日常的に地下食品街で買い物をする人ならわかる。

あるいは藤丸に実際に働き、藤丸と共に生涯を送った人も惜別の念を抱くだろう。

藤丸文化催事も多かったから、藤丸で展示や展覧会をした人々も特別な思いがあるだろう。

藤丸を外部から支える市民団体もある。そうした主体的に取り組んできた人たちはさぞや残念だろう。

けれども、そうじゃない人が大半なのではないだろうか。

なぜなら、如上のような日常的に中心市街地に赴き消費や活動をしている人が本当に十分に多ければ、

日常的に藤丸は閉店直前のように賑わったはずだ。

そして当然閉店などとならなかったはずだ。

閉店間際に賑わいを演出した人々は、普段自動車郊外の広い駐車場のあるヨーカドーイオンに行っている。

なぜなら普段こんなに混雑しないからだ。

そんな人たちがマスコミ取材に答えて「残念です」とか「寂しいです」とかは、決して言ってはならないセリフなのではないかと思う。

言葉と態度が噛み合っていない。私はここに大変な違和感を覚える。

人々のリアクションへの違和感2

メディア扇情的報道ばかりで「思い出」探しに躍起である

出てくる思い出は子供の頃の昭和平成初期のキラキラした思い出ばかりで、例えば110周年120周年の話題はほぼない。

これは、この人たちが長じてから藤丸で思い出を残してこなかったからに他ならない。

よく子供の頃の思い出だけをいけしゃあしゃあと言えたもんだ、と思う。そしてそれをありがたがるマスコミ脆弱報道イメージおかしい。

近頃の思い出がないというのが問題本質であると思うし、そもそも昔のことしかさない人は藤丸の傷口に塩を塗っているように思える。

なぜ、この20年くらい、平成の後半まるまんま藤丸はそこに間違いなくあったのに、そこで思い出を残さなかったことに無自覚なのか。

そしてその無自覚さでなぜ「藤丸がなくなって残念です」と言えるのか。

消費行動への自意識

地元出身フリーアナウンサー安住紳一郎が以下のように述べている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/433f558335f529f99b35f767731703687434e508

ネットショッピング郊外のお店が便利でお客さんがそちらに流れていることはよくわかります私たちも便利とか安い以上に自分の残したいお店は、ちゃんと不便でも高くても買いに行く消費行動がこれからきっと自分たちの理想とする社会の実現に関わってくるんじゃないかなと思います

私の抱えている問題を的確に表現しているように思う。

なぜ他の百貨店と比べて十分な時間的猶予があったのに、地元人間藤丸を存続させるような消費行動をしてこなかったのか。

そして、なぞそうであるのに(直接携わってきた人は別にして)、「残念です」「ありがとう」などと安直に言えるのか。

この点を、本当に「残念」と感ずるならば20年くらい考え続けてこなければならなかったはずで、「残念」と言語で言える人は、少しでもそのような事柄に携わってきた人だけなのではないだろうか。

普段イオンで買い物してるくせに「残念」はおかしいのではないか

から私は、この期に及んで藤丸がなくなってしまって残念とは思えないし寂しいとも思う資格がない。

なぜなら私はイオンで買い物しているからだ。身体が残念がっていないのだ。


マスコミナイーブさについて

中心市街地をどうするかは各地域で本当に難しい課題で、実際のところ商工会経済界の人々が何年も策を講じながらも充分な成果を挙げられていない。

こんな難しい課題を、藤丸がなくなっただけのこのタイミングでどうにも論評などできないのだ。

から浅薄な「昭和の思い出」や「従業員の裏話」的なものばかりが踊る。

実はマスコミ20年間、中心市街地の活性化話題を見ているようで見てこなかったのではないか

結局は自分には関係がないから、人々がどこでどう買い物しようがそれを報道すればいいだけの話だから、充分なコミットをしてこなかったのではないか

藤丸がなくなったのは1月31日だが、問題20年間継続しており、以降も続いていく。

藤丸がなくなっただけのタイミングで急に問題一夜漬け的に取り上げても、いずれも浮ついた論にしかならないのだろう、と諸報道をみて思う。

じゃあどうすれば

今となっては郊外の大規模小売店舗群こそが中心市街地なんじゃないですかね。

2023-01-25

原発再開なんて頭おかしい!」

太陽光ゴリ押し辞めろ! メガソーラー景観を崩す! 東京の戸建てソーラーパネル必須化は狂気!」

これ同じ人が言ってるからなw

なんなんだろうね、煙突から煙がモクモク出てくる、高度経済成長期の日本、みたいなのが原風景にあるのかな...

2023-01-12

anond:20230112123516

ホンダソニーパナソニック最初町工場だった。高度経済成長人口ボーナスがあれば大企業になっていけたのが昭和時代

いま岸田首相スタートアップへの投資って盛んにいうけど・・・今の市場環境で成長できる産業って葬儀とか終活遺産整理とかそんな感じかな?

2023-01-05

anond:20230104182250

インフレにした次、自分たち合致する供給を作れば給料などが上がって好景気、作れなければ物価高だが収入が上がらないスタグフレーションになると分かれるぞ。

からインフレにした次は自分たち合致する供給を作ることが大事だ。

結果としてインフレになった以上、次やるべきは合致する増産をすること。

ただし、反リフレ派は新自由主義緊縮財政派が多い。インフレについて供給不足起因か、好景気ゆえの需要過剰かを区別していない輩が多い。

高度経済成長期の平均インフレ率が4.5%だから人手不足による給料上昇も付随して5%ぐらいまでは許容範囲だと思うけど、3,4%のインフレでも高すぎるインフレだとのたまう始末。

リフレ派を自称しているやつは今でも緊縮財政や、過剰な金利上げを叫んでる。金利設備投資との関係無視するやつまでいる。緊縮財政や過剰な金利上げをすれば、増産を妨げてスタグフレーションに導くか、デフレに再び叩き落としかねないな。

必要なのは合致する供給の増産だよ。財政も狙った設備投資支援研究投資支援をするべきだな。

2022-12-23

背が低い人がモテないのは貧困を疑われるせい

韓国人男性の平均身長が173cmで、北朝鮮男性の平均身長は165cm。

同じ民族なのに、飢饉の有無でこれだけ身長が縮んでしまうんだよね。

日本江戸時代など低栄養状態時代男性身長も160cm台だった。

高度経済成長によって栄養状態が良くなって平均身長がぐんぐん伸びて170cm台になった。

まり身長って、低栄養貧困により背が伸び悩んだのではないかって疑われるわけ。

から避けられる。仕方ないね

2022-12-15

anond:20221214233039

ほんそれ。「ここでは稼げないから出て都会に出ろ、帰ってくるな」って教育してるんだぜ。

そんな教育が最も激しかったのは、高度経済成長期に親をやっていた世代。で、その団塊世代ちょっと上が今過疎地の最もボリュームのある世代になってる。そりゃ衰退するだろjk

歴史的経緯はあるから、仕方が無いんだけども。なんとかせんとまずい。

歴史的経緯というか

昔は良かった(←よくない)

その世代戦前・戦中派を親に持つ。その世代までは、実家兄弟のうち誰かに集中的に相続させる。

一方、そうでは無い兄弟には外に出す代わりに、教育を施すという習慣が残っていた。

当時は、実家を継ぐ長兄は高卒だが、次男以下は大卒という様なことも普通にあった。家は継がせてやれんが、その分大学はいれてやる、と言う思想

そうして教育を受けた兄弟達が、都市部労働力として送り出された。文化的には丁稚奉公時代からの流れではある。

それは、江戸時代から続く、地方で生み出される富を都市に集中させて国全体の発達を促す、という流れだ。このとき地方から都市に出てきた者たちは、平均寿命から見ても決してよい生活ができていたとは言えない。そもそも小作以下は、貧しい世代が喰わせる事ができず、外に出していたと言うところもある。

その頃は、地元実家を継いだ者が一族の要になって、外で安い賃金で働く兄弟後ろ盾になっていたわけだが、戦後からそれが変わってくる。

問題のアレ

戦後高度経済成長期。国全体は生産性を上げ、どんどん工業的に豊になっていくが、物価上昇も激しく、従来は土地という確実に富を生み出す資産価値が急速に衰えていく。

そこで、低学歴農山漁村民は収入が増えず衰退していった。一方、都市にいった兄弟はしっかり収入を得て故郷に錦の旗を飾りに来るという構造になったわけだ。

さらに、地方それらの世代思春期日活時代全盛期、加山雄三が出てきて、おら東京さいいぐだ、で吉幾三(よし、いくぞう)がヒットした世代

そりゃ、そういった世代はその子世代に「都会に出ろ」と言うよな、と言う感じはする。

そして、そうして送り出された世代さらにその子供が子育てをしているのが今。子供は親世代がやっていることなおかしいかどうかを考える事ができるが、同じ事が二代続くともうそれが当たり前になってしまう。

それが続いた結果、誰も地元に戻ることがなく、衰退しているのが現状。

自営業若旦那とかもそれなりにいるんだけど、彼らは都会に出ろと言われたけど、それには必ず、都会で修行して、いつかは帰ってきて家業をつぐんだぞ、と言われていて、それが当たり前だと思っていた、と言うから、裏返しだよなあ。

どうすんの?

どうすりゃいいんだろうなあ。決定打は無い。

とりあえず「ここは駄目だから都会に行け」というのも「お前は必ずここに帰ってくるのだ」というのも同等程度に呪いだと思う。

まずはそこはやめようと言う話は、総論としては同意ができるとは思うんだけど、典型的ミクロマクロが相反している問題なので難しい。

関係人口(笑)

今やってるのは、関係人口作りという安易方面。せっせと公園を整備して、遊びに来てくれたよその人と話をして大事にする。

けど、関係人口なんてのは国が人口衰退の中でなんとか体裁を整えるためにぶち上げた幻想で、こんな緩いもの過疎地が救えるのかよと思っている。

でも、これしか無いんだよ。もう。駄目なのはわかってるけど。

ダッシュ村←手垢つきすぎ

今は、放置集落をまるごと借り上げができないか地権者をまわって話をしてる。買取はしない。あくまでも借り上げ。そして、趣旨を話して、ほとんどタダ同然で貸してもらう。

そうして、集落まるごと基本的には何をやっても良い会員制の遊び場を作ろうとしてる。イメージとしてはかつてのダッシュ村と、プレイパークを足したような存在にしたい。

同時に、土地を借り上げた地権者の方々には、今どのように使われているかちゃん手紙で知らせることで、我が郷里を忘れないでいてもらおうとしてる。

これはもうやってるけど、暖かい手紙をもらったりして家宝にしてる。

猿をぶっころがしたい

その中で、目下直面している敵がリアルである

放置集落が長かったので、そこにあった放置果樹園で飯が食える事を学んじゃったんだよな。それで群れが居着いている。

ほんと、なんで猿ってぶっころがしちゃいけないの????(過激派

保護動物とか言うなら言う奴らが責任もって追っ払ってほしいんだよなあ。

2022-11-21

少子化とは言っても、じゃあ高度経済成長の頃みたいにバカスカ増えれば良いのかって言うと違う気がする

山ばかりで居住可能面積の少ない国土

2億3億の人口になって耐えられるのかと言うと難しいだろうし

現在の1億2000万も実は適正数よりは多いんじゃないかと思う。

少子化対策もなんでもいいかバンバン若者優遇して子供の数を増やそうということではなくて

人口ピラミッドを緩やかに適正な数に戻したいって政府厚生労働省は考えているんだろうけど

それはある程度以上の金を持った人間だけ産んでくれって話になるから大っぴらには言えなくなる。

2022-11-20

なんだっけ。忘れないうちにメモ


最近ゴッホ絵画など芸術作品トマトスープをかけたり、ウォーホルアートカーに小麦粉をかけたりする気候変動対策を訴えながら過激抗議活動が耳目を集めている。

ブクマもよくされているが、ほとんどが環境テロ、という認識で眉をひそめたコメントにあふれている。

もちろん許されない犯罪として国内外報道されているわけだが、しかし、海外メディアでは、テロという表現ラベリング)は少なく、抗議団体自称するCivil resistance市民抵抗)という表現を紹介していることが多い。正直、この種の活動で昔から有名なグリーンピースもそうだが、テロ呼ばわりされてもおかしくない運動ではあることは確かだが、報道ニュートラルに構えているのだろう。

そんなおり、斎藤幸平が、「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解しないのは、日本人想像力の欠如だ、と述べてブコメから総すかんを食らっていたのをみかけた。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/631285

しかそもそもテロという認識日本では強いのはわかるけれど、実は欧米での反応というのはそれほど強くなく、むしろ彼らが自称するCivil resistanceへの一定の理解の上に立った報道も多く見受けられるように思える。

https://time.com/6234840/art-climate-protests-margaret-klein-salamon/

そして、よく考えると、そもそもテロまがいのデモというのは、現代人権歴史を振り返ると、一定程度、社会変革の不可避な副産物として、憲法などのシステムビルトインしてきた経緯がある。典型的かつ最初の事例は、20世紀初頭の資本主義社会における労働環境を前提とした社会権。

この問題は二つの視点から興味深く、注視している。

ひとつは、抗議のコンセプトの抽象性。

もうひとつは、抗議運動市民社会的な価値

抗議運動抽象性について。

https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/508によると、世界的な環境活動グループ「Extinction Rebellion」の共同創設者であり、ジャストストップ・オイル活動に加わっているサイモン・ブラムウェルは、アートニュースインタビューで、若い活動家がこの抗議行動のスタイル選択した理由を次のように説明する。

「これはアートの美しさを否定するのではなく、今の私たち優先順位絶対的おかしいということを言いたいのです。アートに美を見出しギャラリーを訪れる人たちがいる。にもかかわらず、消えつつある太古の森の美しさや、日々絶滅していく何百もの生物たちには目を向けないのです」

アートの美しさを否定しないといいつつ、美の概念の相対化というか、再構築といった意味では、形而上学的な禅問答である

この説明を聞いて、素直に納得できる人の割合が多いか少ないか、という視点でみると、ヨーロッパに比べると恐らく日本人は少ないだろう。

アリストテレス時代から愛だの美だの徳だのといったことをテーマに発展した形而上学から学問が枝分かれしてきた欧米と、近代以降のすでにたこつぼ化した個々のジャンルとして完成形をみた成果を受け取ってそれを解読して発展してきた日本では、こういう抽象的なテーマの抗議の趣旨理解できるのは圧倒的に少ないだろうと想像できる。

これは、作品の美の価値が分かればわかるほど、スープをかける行動の意図もわかる、という構図でもあり、実際、被害を受けた美術館環境問題の意義に言及するなどしている。作品に接したこともなく、それこそ「ウォーホル」だ、「ゴッホ」だと資産的な記号程度にしか理解していない人ほど抗議行動の意図自体を測りかね、なんじゃこの奇行は?という反応になっているようにみえる。

そういう意味では、当然、環境急進派の行動は、そもそも抗議の意図が分からない地域では成功しない(日本ではテロ以外の認識は生まれないだろうし、絶望的に無理だろう)。

しかし、欧米では、意外と功を奏しているのかもしれないと思える。感心はしないが、ああ、なるほどね、くらいの素養のある人は日本よりは多いだろう。

おおざっぱにいうと、日本人経験から教訓を得て社会設計をしていくのが得意。いわば帰納法的な解決が染みついている。一方、欧米、ひろくラテン系言語圏含めて、日本人とは比べ物にならないほど、なにかにつけ演繹的な入り方をする。言葉定義からまり指導原理を引き、タスクを明示する、という物事の進め方へのこだわりが強い(日本人自分からみると)。

組織でも、経験常識が共有できていないと不安なのが日本人

一方、構造化された概念ルール化された行動原理(法)にのっとって行動する、という相互の信頼がないと不安なのが欧米社会。そこに、デモ過激運動の機会に、自分たちが共有していない別の概念オルタナティブとして提示されたときにみせる反応というのは、おのずと異なる。


そのもうひとつ理由が、市民不服従という考え方や人々の認識の違い。

日本人社会迷惑をかけるのがとにかく大嫌いなのだ

欧米では、恐らく日本人想像している以上に、Civil resistanceというアプローチ自体価値社会変革のダイナミズムとして認めている。

それが今回の場合、限度を超えたものであり、法的に違法である、というときに、運動趣旨理解はするが違法である、という具合に飲み込みながら。

この違法性というのは、実は重要視点。それを理解するには、市民社会根本から支える憲法など、法について考えないとわからない。

近代から現代20世紀に法の考え方が近代法が大きくバージョンアップした際に、社会権が組み込まれたのは、中学生で習う話。

日本学校では昔から社会権を生活保護など、上から目線な形で教えてきた傾向があった。

しかし、社会権のうち、争議権を思い出してみればわかるように、実際はボトムアップな契機をはらんでいる。

他者危害禁止近代法の原則をはみ出した形で、ストやピケなど市民的な抵抗暴力性を認める市民権が存在する。

考えてみれば、他者に損害を与え暴力的な行動をとっていい、というのが「労働」に関してのみ例外的憲法に組み込まれている、というのは、よくよくなぜなのか歴史を知っておく必要がある。一歩間違えれば、革命トリガーになりかねないボトムアップ暴力。これをあえて憲法に明記するのは、明記することでコントロールしたいという、上と下のせめぎ合いのようなものも感じる。しかし、なんだったらいつでも政府おかしければ転覆して革命をおこせるんだぜ、と市民に思わせておく、オーナーシップ感覚絶妙バランスで持たせる機能果たしているともいえる。

マルクス時代、そしてワイマール憲法時代社会権を育んできた思想運動社会歴史のなかで、当時「労働」が最重要課題で、社会権の大きな柱として考えられたのは自然な流れだっただろう。抵抗暴力は、労働問題を争うツールであるというのが20世紀だった。しかし、抵抗暴力資本主義社会のなかで、たまたま労働キーワードになっただけであって市民社会としては、労働である必然性はない。20世紀には「環境」といったテーマシステムビルトインされなかったわけだけど、80年代後半にブルントラント委員会が「我ら共有の未来」といって今日SDGの原型となるコンセプトを立ち上げたときに、労使間に代わる、世代間の闘争といったことがテーマになりうることはうすうす予測がついていたように思う。

なので、抵抗暴力労働問題ではなく、環境をめぐる世代問題だとしても、その新たなムーブメント市民社会における意義が注目されるのも自然な流れだ。

ここで、はい違法です、はいテロです、といってしまうのは簡単だが、思考は停止する。


一方日本では。

労働」というキーワード戦後日本ははじめて市民不服従権利を手にした。市民社会における抵抗という考え方に「労働」というコンセプトが、時代要請でむすびついていた、というのは押さえておくべき文脈

GHQの五大改革から。勤労者から労働者への主体認識の転換。

しかし、その権利過激行使は、1950年代から60年代大衆の心を猛烈にイラつかせた。

日本高度経済成長を支えた大手企業は、大規模な争議に悩まされた。

民間では、1960年三井三池炭鉱紛争など半年を超える争議も珍しくなかった。しかし、ほぼ100%ユニオンショップで、従業員全員が労働組合員という会社組織風土のなかでは、会社家族みたいなものであり、労使一体みたいなのが当たり前であり、60年をピークに民間の争議はピークアウトする。そのなかにあって、国鉄だけは年中行事のように、順法闘争ストライキを繰り返して市民生活に甚大な影響を及ぼし、会社のみならず社会的に損害を与えた。さらベトナム戦争反対や成田闘争など、新左翼政治闘争が加わっていくなかで、日本人のいら立ちは頂点に達していく。

国鉄やら共産党やら新左翼にひどい目にあわされた、という日本社会のこの経験というのは、争議だなんだといっても社会迷惑をかけてはいけない、という教訓を強く残し、憲法に組み込まれ暴力的な契機をできるだけ抑制的にするべきだ、という認識支配的になるきっかけだったんだろう。1973年最高裁は、それまでリベラル保守裁判官の間で揺れ動いていた官公労組の争議権の是非について、完全に保守化の方向に舵をきり、封殺する結論に至る。公労協のスト権奪還スト(1975年)を時代の潮目に、公社民営化路線が進められていく。争議権だかなんだが知らないが、憲法に書いてあったとしても、市民としては正直、うんざりしてしまったというところだろう。戦後、長い間、政治闘争旗手として大きな存在だった総評、そしてその大半を国労が占めていた時代は終わる。

ということで「労働」をキーワードにせっかく手に入れた不服従暴力は、迷惑をかけんじゃねーという市民社会常識を繰り返し強化する経験を重ねることにより、空洞化した。

その後の日本社会では、エスタブリッシュメントと化して長い間、社会運動の先頭に走っていた労組が今度は勢いを失うと、どういうことになるか。

例えば、正規雇用非正規雇用ギャップみたいに新たな問題が浮上してきたとしても、ユニオンショップ非正規も入れてあげたほうがいいんじゃない?、という手続き的な、上から目線的な議論の仕方に収れんしてしまう。日本社会があまりにも保守化してしまって、そもそも争議という暴力的な手法は何のために憲法というシステムに組み込まれたのか、根本的な思想がわからなくなってしまっているようにも思える。言い換えると、憲法さらメタ視点からとらえる思想的な背景がさらに弱くなっている。

歴史を振り返ると、20世紀初頭、メタ視点があったからこそ、資本主義社会の現状と課題に即して、社会権という新しい権利が組み込まれたのだが、現行憲法を頂点とし、人権普遍性憲法の最高規範性を強調してしまうと、憲法思想根拠はと問われたときフリーズしてしまう。日本では制憲者の意思議論は起こらず、代わりに基本書読め、といってなぜか憲法学者に振られるのが定番。(制憲者があいまいなのも諸悪の根源かもしれないし、ステートに対するネイションオーナーシップの違いとも思える。)

欧米環境運動というのは、あるいはLGBTも同様だけど、恐らくそうじゃないんだと思う。

既存規範に書いてないものであっても、新たなムーブメント意味真剣に見極めようとする思想文化があるんじゃないと思える。

そのムーブメント暴力性を違法認識しつつも、時代ダイナミズムとしてとらえようとする、というか。

繰り返すと、

・美の概念など、概念の構想力、概念について深く考えたがる文化の違い。

憲法など国の根本的なシステムアップデートするのに必要社会ダイナミズムへの関心の低さ。

この二つをひとまとめにして、斎藤平氏のように想像力の欠如といってしまえるのかもしれないが、因数分解すると、社会設計をするのに基本的重要な2つの能力、この二つには欧米社会と大きく差があるように思える。

2022-11-18

年金を積み立て制に!!

月3万を 20~65歳の45年間積み立てると 約1620万円

女性平均寿命87歳まで生きると仮定して積立金を22年で分割して取り崩すと 月6万 89歳以降は0円


健全インフレ率は、2-3%といわれているので2%を仮定した場合

65歳時点での 積立金の実質的価値は 約1070万

月の取り崩しは4万 現在価値にして1.6万円程度


積立金が0円になるリスクを許容して 年4%の資産運用した場合 インフレ率も考慮すると

65歳時点での 積立金の実質的価値は 約2500万

月の取り崩しは12万(現在価値にして4万円程度) 87歳時点で残積立金 約70万円



月々の入金に+国庫負担5割を仮定すると

65歳時点での 積立金の実質的価値は 約5100万

月の取り崩しは24万(現在価値にして9万円程度) 87歳時点で残積立金 約143万円


月々の入金15万+国庫負担5割を4%で運用した場合

65歳時点での 積立金の実質的価値は 約2億5000万

月の取り崩しは60万(現在価値にして24万円程度) 87歳時点で残積立金 約5300万円


https://b.hatena.ne.jp/entry/s/president.jp/articles/-/63432

積立方式インフレ率、賦課方式人口増加率に依存

日本年金制度は積立式でスタート

高度経済成長期の高インフレにより実質的賦課方式に移行

2022-11-09

生涯未婚率がどんどん上がってきてるって言うけど

・昔は男女ともに同率→見合結婚が主流で殆どの人が結婚してそのまま生涯を終えた

高度経済成長からバブル崩壊までは男が低い→金持ってるから「養ってやるドン!」で結婚できた。恋愛結婚が主流になり、このころから緩やかに生涯未婚率が上昇していく

バブル崩壊以降→女性のほぼ倍のペースで男性の未婚率が上昇していく。既婚男性離婚後に女性売れ残りを貰う

しかし逆は無い。バツイチ子持ちの財布になるためにわざわざ傷物と結婚する男はいいからだ。

これを解消するには「夫が妻を養う」や「離婚時の親権母親」みたいな常識を取っ払って本当の男女平等にするしかない

でも女がこの優位を手放すことは絶対に無いから、生涯未婚になりそうな男は同じく生涯誰から相手にされないようなブサイク障碍者ターゲットにしていくしかない。

ちなみに俺は結婚してるのでメイドインアビスのミーティにチー牛が「可愛いよ」って言ってるのを見ながらゲラゲラ笑う立場です

2022-11-03

anond:20221103171247

昔は、

社員-主任-課長-部長-社長

で上から4番目の偉い人だった。

ところが、高度経済成長団塊の世代をたくさん雇って、

彼らが年功序列的に上にあがってくると、何かしら名目を付けてでも出世したようにしないと

辻褄が合わなくなって、やれ、●●代理だ、●●補佐 だと、

課長職・部長職を細かく細分化していった結果、

主任は下から2番目の低級職になり果てた。

2022-10-30

韓国って一応は先進国ということになっているんだよね?

あのような群衆事故は、アフリカ中東のような発展途上国で起こるものだと思っていた。

日本でも、戦後復興期や高度経済成長期に似たような事故が起きている。

韓国という国の立ち位置というものがよくわからない。

発展途上国から先進国になるにつれて、大規模火災炭鉱事故などの「発展途上国らしい出来事」は滅多に起こらなくなるものではないか

2022-10-25

anond:20221025135938

男の子なら、成長とともに実力をつけてくれば、女の子のようにガラス天井に阻まれることもなく社会的成功者になることができる。

でも逆に、男の子で大きくなっても自立が難しい状態になると、女の子のように結婚したりシェアハウスに行くことも難しく、体力だけは有り余っているので自宅で暴れるリスクもある。

社会高度経済成長期やバブル期のように上昇気流に乗っている時代なら、男の子の方が将来を期待できるかもしれないけど、何があるか分からず見通しの暗い今後は、女の子の方が安心だと思う。

2022-10-24

anond:20090503072508

> わたしたち社会に出る頃には、支配者層の世代交代が始まっています。痛みを知っている世代層が、社会の中枢を担っていきます。こうしてようやく、高度経済成長期の遺物年功序列大量生産・輸出型経済のような旧世代産業構造が崩れていき、日本社会ニッチな高付加価値製品の少量生産サービス産業を中心とした、新しい情報化社会適応するのです。

  

この15年で日本も見事に変革を遂げました。見ていますか、ゆとり増田

2022-10-22

氷河期世代はしっかりと社会に対して意思表示していると思う

家は買わない、車は買わない、恋愛しない、結婚しない旅行へ行かない。

1990年代バブル崩壊後の日本の消費は下降し続けている。

第3次ベビーブームも起こらず、日本は縮小している。

これ以上ない意思表示を示して、実際に社会に対して大きな影響を与えているではないか

少なくとも、安保闘争学生運動で何も変えることが出来なかった親世代団塊の世代)よりも、賢い人達だと思う。

団塊の世代人達も「高度経済成長を潰す」というやり方もあったのに、なぜ思いつかなかったの?

2022-10-16

anond:20221016171745

全部放り投げて東南アジアとか暖かい国に独りで遊びに行ってみろよ、2ヶ月くらい。日本のせせこましく狭苦しく息苦しいコミュニティ社会のしきたりの中で暮らすのがアホらしくなるぞ。フィリピン人底抜けにポジティブだし、タイ人は超三枚目だし、ベトナム人は強かで高度経済成長エネルギーを感じさせてくれる。他の国もそこで暮らす人たちもそれぞれ特徴があって、行けば例外なくおもしろい。

人生で1年なんて誤差だ。目の前の試験を捨てたところで、増田の親は金持ってそうだし、その過保護干渉ぶりから察するに、なんだかんだ増田を捨てたりしないだろ。親に利用されるだけでなく、したたか駆け引きして利用しろ。せっかくの太いスネだ、そのスネはかじれるだけかじって自分の役に立てろ。

反抗しろ、鎖を引きちぎれ、自分普段居るコミュニティ日本を飛び出せ。そうして視点を変え、視野を広げてみるんだ。

東南アジアはそろそろ乾季だから旅するには良いシーズンだぞー。

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