はてなキーワード: 飲み屋とは
山岡屋とともにずっと気になってはいるけれど、どちらも絶妙にアクセスが悪い。車も乗らないし。
日常の重力というものは中々強くて、行動圏内を逸脱するのにラーメン屋だけではちょっと弱い。そのためだけにわざわざ足を伸ばすのもなんだかさもしいお出かけに思える。
でも普段のおれの過ごし方も大概だ。
頭に浮かんだ単語を自分でこねくり回す事もせず、SNSの検索ボックスに放り込む。そこに出る他人がまとめた言葉に乗っかって、何かを考えたような気になる。もしかしたらコミュニケーションをした気になってるのかもしれない。何度も同じ言葉で検索したりもする。
反復の日々の中で内容を変化させる刺激もなく、何度も同じ話を繰り返す老人と同じだ。
更新など来てないだろうと分かりながら、YoutubeとTVerとWeb漫画サイトをぐるぐるローテーションしたりもする。それにも飽きたら過去の面白かった回を見たり。同じ回を何度も繰り返し見ていれば味もしなくなってくる。
それか、変わり映えしない手癖でギターを弾くか。頭の中で漂う音を取り出したいが、ろくに技術もない。そのためのセオリーを知ろうと知識の検索まではするが、頭に入れようとはしない。開きまくったタブを閉じるのもなんだか惜しくて、ブラウザの隅にグループにまとめられたまま。埃でも積もれば少しはやる気にもなったのかもしれない。
こんな過ごし方なら出かけた方が少しはマシかもしれない。
週末、ジャンガレへ向かう決意をした。
山岡屋もついでに行きたいが、微妙に場所がズレている。まあ折角出かけるのだから両方回ってやろう。
と思っていたが、ベッドでダラダラ過ごしていたら出発時間がズルズル延びていく。
結局山岡家は諦め、比較的アクセスのマシなジャンガレ新所沢店を目指す。
縦の移動を滅多にしないので気付かないが、埼玉は意外と近い。国分寺から西武に乗り換えればすぐだ。
近場でも県を跨げばなんだか旅行気分になる。それが移動の楽しさでもあり、億劫さを生じてもいる。
国分寺線は車内に電子表示がないらしい。イヤホンつけてスマホを凝視している現代の陰気人間に対して実に優しくない。Yahoo路線とgoogleマップで現在地を神経質に確認しつつ、新所沢駅へと降り立つ。
西友と一体化した駅のロータリーは、郊外平均の生活感漂う趣。決して高円寺やそこらの「生活感」ではない。
都心に住んでる者には田舎、郊外に住む者には日常の光景、ガチ田舎に住む者には割と都会。寂れはせずとも活気もない風景は決して気分の上がるものではない。
ジャンガレを目指し脇の通りに出ると飲み屋が並ぶ。町の息づきを隠しやがって、と思うのも束の間、スタスタ歩いているとそれも一瞬で過ぎ去り国道沿いへと放り出される。歩道と車道の曖昧さに少し田舎さを感じる。いやむしろ駅に近いからか。
コンビニかファミレスか、塾やら車屋やらブックオフやらが点在する、ネットでバカにされがちなあの光景。
中高生の頃もほっつき回れる範囲は「コレ」か住宅外の二択だった。
晩飯までの時間制限はそのまま距離の制限になる。電車であっちこっち行くような金もない。楽しげな景色は全て画面の向こう側だったな。せめて河川敷でもあれば良かったのだけど。
歩行者がマイノリティのそういう道を歩く度、当時の事を思い出す。目に入る情報が少ないと意識は自分の内に向きがちなのかもしれない。今も昔も。
小綺麗で小さめの店内にもう一軒ラーメンの入った、二店舗だけのフードコート形式。
卵なしまぜそば(790JPY)の食券を購入し、受け渡し口へ。
店員のおばちゃんの声色と表情が「それだけでええんか……?」的な雰囲気を漂わせる。
別にいいだろ。おれは口の中の味が少ない方が好きなんだよ。
何やらメニュー表の写真を指差しながら説明しているが、ここで掌を返せば自分が不慣れのようではないか。実際不慣れなのだから何ら恥じることはないのだが、意地になってロクに確認もせず「それで大丈夫です」で通す。
そこまで言うからにはよほど質素な素ラーメンが供されるのではないかと若干怯えつつ、10秒程度の駆け引きを済ませる。フードコート特有のブーブー鳴るアレを渡され、テーブル席へ陣取る。
すぐさま脳内で自分反省回を開く。おれのトッピングは変だったのだろうか。
数m先のメニュー表を確認することなく、インターネットで無料トッピングの情報を探る。
ニンニク。入れた。
ベビースター。いらん。カリッとしたもんをわざわざふやかすのは嫌いだ。
辛味。まあ初回だしいらんだろう。
あ、アブラを入れ忘れてた……
まあ致命的なミスはなかろう。
スマホを置き店内を改めて見渡すと、数割の埋まり具合といったところ。
二郎(系)特有の窮屈で急かされてるような雰囲気はない。もう一軒普通(?)のラーメン屋も入ってるしな。
これを求めてたんだよ。家で手間をかけることもなくゆったり食える。
二郎は好きだけどあのガツガツした空気は嫌いだ。早食いが美徳とも思わない。回転率とか店の都合だし 。
ナイト・ホークスとまでは言わないが、郊外の週末夕方の気怠い空気が心地よい。
時間がゆったりと流れるような感覚。でも給水器の水の出がやたら遅かったのは多分気のせいではない。
呼び出しのブザーが鳴る。
ネットで確認して尚も素ラーメンが出てくるのを若干恐れつつ、受け取りへ。
受け取り口脇で紙エプロンが目につく。周りに目を遣ると着けてる奴はいない。こういう時、なんかお上品ぶってるみたいで使うのが恥ずかしい。だが、週末のお出かけだしと着てきたお気に入りの白シャツは守りたい。
と悩んでいると、店員から「よければ紙エプロンどうぞ」の声が。渡りに船。まあ、勧められたなら使っといてやるか。
席へ戻る。卓上のカエシを垂らし、ヤサイを除去するように喰らう。コショウをドバドバ振り撒いてブタを喰らう。ニンニクをかき混ぜて麺を喰らう。
他の二郎系と何が違うのかはよく分からんけど、かねてから実行しかねていた欲求をきちんと消化し、しかも美味いのだ。何の不満があろうか。
一気に萎える。
シミ抜きめんどくせえな。忘れないようアラームをつけ、自分で抱えてると気の滅入る記憶を外部委託する。
最後の一啜りを慎重に済ませ、退店。
まだ7時頃だかすっかり日も暮れた。もう夏も終わりか。
道路沿いで光り輝く塾の中でガキ共が勉強してやがる。こいつらは幸せなんだろうか。幸せになれるんだろうか。まあおれの知ったことではない。
完全に一服の口になってきたので、googleマップで喫煙所を探す。駅前にタバコ屋があるらしい。
喫煙所のある街は良い所だ。目に楽しい街は傾向的に大体パブリックな喫煙所が設置されている。寛容さとか、そういう抽象的な理屈じゃなく。
プライベートサービスの灰皿があるだけとなると、ギリギリ及第点といったところか。まあそれもすぐ消えゆくのかもしれない。
タバコ屋へに辿り着くと、分煙もへったくれもなく灰皿だけが置かれたストロングスタイル。
くどいラーメン後の一服は実にうまい。肉体作業でもした後ならさぞ染み渡るんだろうな。まあそんなんしなとも十分満足だ。さて帰るか。
駅でオシッコしようとしたら、トイレは仮設らしい。小×2と大×1の窮屈なボックスが3つ並ぶだけ。駅の規模の割に小さい。ええんかこれで。
このまま新宿まで行ってしまおうか。映画でも観て、バスタか高島屋でボーッと夜景でも眺めたら締まりのある週末だ。
乗り換えるまでの数駅分の猶予で、まあ今日はもういいかなと思った。
車窓の向こうは晩夏か初秋の暗闇。団地とタワマンの灯りだけが浮かぶ。
なんというか、西武線に揺られ所沢に降り立ちジャンガレを啜るという全ての体験に所沢感、というか郊外感があったな。非日常にすら感じるほどの、絵に描いたような日常。それに抗うつもりでゲーセン行ったのがむしろ更にそれを強める。
これをいつもの週末にしたくはないなって思いと、そうなりそうな予感があった。
帰ってフロがてらシャツのシミをシコシコ落とす。かったるい。汚れてもいいTシャツで近所をうろつくばかりの日々はもうすぐそこまで来てるのかもしれない。
後日山岡家も行った。
最寄りは箱根ヶ崎とかいう温泉街のパチモンみたいな名前しといて、実態は八高線の田舎駅。ドアの開閉はボタン式。狛犬ポジションの罪は重い。
国道沿いの道は片側二車線で、より歩行者の疎外感が強い。リサイクルショップの掲げる「作業靴買い取ります」の文言に色々な想像を浮かべる。
15分ほど歩き山岡家に着く。駐車場はかなり埋まってる。思ってたほど臭くねえ。
醤油大盛り
店内は金髪ツーブロの兄ちゃんと家族連れ。一人者にテーブル席は許されず、肩身の狭いカウンターへ。
しばし待たされ着丼。
啜る。なんなシメの雑炊の出汁みてえな味がする。気がする。分からん。濃くてうまい。
ニンニクとコショウをドバドバ入れると、叩かれがちな壱系とあんまり変わらん気がする。まあ美味いのでいい。
おれの人生から非日常はどんどん失われて、着実に「これ」へと染まりつつあるのかもしれない。
2ch脳じみた考えもとっくに薄れてきて、そういう日常をバカにする気もあんまりなくなってきた。自分が楽しいか、満足してるか、納得してるか。それが全てなんだし。
いや何様なんだよ接客業辞めろ。これはマジで接客向いていないからその仕事辞めた方が良いと思う。お引きこもってオナニーでもしてろ。互いにとって良くない。その程度のコミュニケーションにすら嫌悪を感じるのに何故接客業やってるんだ。他にもっと向いている職種あるだろ。こういうのがダメな人が接客業に向いてないってのは事実だと思う。こういう客は絶対いるし続けると擦り減る一方じゃん。だってこれからも同じことが何度もあると思うけど、我慢して接客業するの?俺はハッキリ言って向いてないと思う。別の仕事のほうが精神が楽だろこれが嫌かどうかで接客業というかコミュニケーション向いているか別れる気がする。たいした人格じゃないからこんな事にいちいち反応するのでは? 接客向いて無さそう。コミュ障が過ぎる。他人のどうでもいい発言を受け流せない人なんだろうな。生きてるだけで毎日嫌なこと、不快なことだらけでヘトヘトになりそう。違う日には同じ口で「いらないの一言だけ言う人が嫌だった。人扱いされてないと思った」って言ってそう。望んで不幸になりに行ってるように見えてしまうけど、本人にはどうしようもないのだろう。この程度でイラつく人が接客業やってるのは怖い。知り合いがこんなことを言ってたら距離取るわ。接客業向いてないアピールいらんて。この程度で嫌とか言ってたら人生何もできないだろいちいち気にしすぎだ。マンボウかよ。デリケートすぎるだろ。人のやることなすこと◯◯アピールって言い出す人がこういうこと言いそうで今現在嫌な気分です。
理由言っても言わなくても「はーい、承知しましたー。◯◯円になりますー」とか言えばいいだけじゃないの?「要る」「要らない」以外の発言はノイズとして処理すればいいだけ。質問してるのに無視する奴よりはマシだろ?お前の丁度いいなんてこっちは知らんし。まぁ、ノイズだよね。他人の出すノイズは許せない。自分の為の必要な情報以外は出すなってのは、ちと社会性がないよ。今の時代、こういうこと言うと「スモールトークができない人=コミュニケーション能力が低い人」という烙印を押されるよ。そんなに嫌か?人生生きづらそう。お互いもっとおおらかに生きようよ。いちいち理由言う必要ないのは分かるけど、わかりましたーで軽く流せばいいだけなのに、わざわざSNSに書くって時間の無駄&余計に疲れないんか?
そういうの飲み屋のネタとしてなら成立するが、本気だとしたら人間力低いと見做され見下される。これ以上傷つかないよう接客業をやめたほうがいいんじゃないかと思う人は非人間的か?モンスターASD自己中店員だ。そう尋ねる理由は特定条件でそういう鳴き声を発するように職場で命じられているからが唯一の理由かもしれないし、以外の理由かもしれないし、客も個別店員の事情なぞ知らんがな。
喋りたいんだから喋らせてやれよ、それが接客業っつーもんなんだから。この人はいちいち100%全部自分の中に入れるから大変なんだわ。スルー力を見につけろよと。 「そうですか」で終わりのことにいちいち反応せんでよろしい。他人は変えられないから自分が変わるしかないの典型例。勝手に嫌な気持ちになるのは損でしかない。生きるのつらそう。
手で食えっていうのか!とか言ってくる訳じゃないし気にしなきゃいいだけでは?
まあネットでたまに見かける「店員に顔を覚えられたら店変えちゃうくらい嫌」な客と相性がよさそうな店員さんだ。接客業をルーチンワークだと思ってると、決まったこと以外が嫌なのかな。店員も無駄な動きを一切しないのかな。不寛容が極まっている感がある。自分もかつては子供だったことを忘れたのかな。どうでもいいことでお気持ち表明する繊細くんがネットに多すぎる。
しかもなんで嫌だったのか説明がないのでモヤる。こういうツイート (ポスト) すごく嫌だ。こういう主張見ると、本当に多くの人が心を病んでいるんだなと感じる。こんなことを「すごく」嫌だと思う人は先天的か後天的か知らんがキャパなくなってるんだろうな。
コミュニケーションが嫌なのに客が店員にありがとうとお礼を言うのが良しとされる風潮はおかしい。どちらも距離を詰める行為ではないか。"コンビニ接客なんぞに自分の大事な人格を使いたくない"客も同じだよ。キモくて金のないオッサンのくせに、コミュニケーションしようとしてくんな!ってことでしょう?横浜流星みたいな若くてイケメンの客だったら「そうなんですか~!ありがとうございます」(にこ~)だろうよ。
この人は関西、特に大阪に住まないことをオススメする。このレベルで無理なら関西で接客業とか卒倒するんじゃないかな?おばちゃんとか天気なんてざらでツレなの?レベルの会話繰り出してくるぞ!知らんけど。客の”いちいち説明”部分がツッコミ待ちの可能性すらあるから、無機質な人にはストレスマッハでしょう。内面まで効率的なオペレーションに最適化されてしまうことのない人生経験積んだおじちゃんおばちゃん店員に当たるとほっとするよね。ほな、さいなら。他人とのコミュニケーションに一切コストを払いたくないって人とは友達になりたくない。
マチアプは競合が多すぎるからもっと男が少ない場所に行けばいいんじゃね?
そしたら増田が一番いい男に見えるじゃん。
人間なんて単純なもんで、世間一般と比べる必要なんかなくて、その箱の中で一番なら良く見えるんだよ。
あとは増田がどういう女性と知り合いたいかにもよると思うけど。
派手で遊び好きの女性が好きなのか、あるいはおとなしい女性が好きなのかとかで探す場所も変わってくるじゃん。
派手な女の子だったら行きつけの飲み屋とかクラブとか通うとかそういうのから出会う可能性とかもあるんじゃね?
おとなしい女の子だったら手芸とか読書会とかそういう趣味の集まりとかなんじゃないのかね。しらんけど。
そりゃ下心丸出しで参加したらきしょがられるだろうけどそこまで期待しないで趣味楽しむつもりで行けばいいじゃん。
ワインバーとか創作居酒屋とかどうみても酒飲むための店に突撃して文句垂れてる下戸の☆1が多い
なぜか下戸はカウンターメインの小さな飲み屋に突撃して腹一杯食おうとする
飲むのがメインで注文もドリンクを優先に裁いてフードはその合間という店の呼吸が理解できないらしい
「最初の料理が出てくるのに30分もかかりました」じゃねーんだよ、黙って待ってろ
「料理が全部出てくるのに5時間待たされた」とかなぜワインバーでそんなチャレンジに挑むのか理解不能
さすがに店主が「お待たせすることは事前にお伝えしたし、当店はお腹を満たすための店ではありません」って反撃してたけど正論すぎる
なんであいつらはわきまえないの?
男の自分が社会人になった後、数社で受けたハラスメント一覧をまとめる。
社内で出来婚報告してた同期の△△君が先に昇進した際に言われたこと。
無計画に出来婚するような男が、果たしてマネジメント勤まると思っていたのだろうか?
なお、反論した場合「そんな言い訳ばかりだと永遠に彼女できないよ?」というカウンターアタックを食らう模様。
言われたときは「?」となったが、いざ終業まで待ってたら役職者の吞みに連行され、役職者(と飲み屋のねーちゃん)の前で一発芸をさせられたという。
「大丈夫、君はモテるよ」と訳の分からない励ましを受け、終電までおっさん達の酒(と粗相)に付き合わされる。
何がヤバいって↑のセリフを女性社員もいる前で役職者が普通に言ってたという。
どうやら俺と他の女性社員をくっ付けようと上司なりに画策したようである。(上司に言ってないけど俺は彼女持ち)
余計なお世話じゃ。
何が言いてぇんだこのオヤジは…?要は分りづらいと言いたかったらしい。
会社でのセクハラを相談した友人(と思っていた相手)から言われたセリフ。
関係あるか?なんでもかんでも男らしさに結び付けるのやめろやカス。その後絶縁。
おそらく、女性が受けるセクハラとは異なり、男のセクハラは直接的な性欲を向けられる類のものではない。(勿論そういうものもあるだろうが)
寧ろ「男性的魅力の欠如」を叩き棒とした人格否定が主なやり口なのではないかと思う。
つまり「モテないから○○が出来ない」のような根拠のない否定。
あるいは、「○○が出来ないからモテない」のような、現状否定と男性的魅力の否定のサイクルによって人格を否定し続ける。
憐れ被害者はその否定のサイクルによって永遠に追い詰められ、自信を喪失していく。
ただ、何となくヤバいな、と初対面で直感的に感じる相手は結構いた。で、結構な割合で実際にセクハラをしてきた。
言語化は難しいが、経験則的に以下のようなタイプは近寄らない方がいい気がする。
このタイプは苦労と努力によって現在を勝ち取ってきたという自負があるため、ナチュラルにマウントを取りたがる。
また、顔によってか努力してか、女を手に入れたという実績もある場合、男性的魅力によるマウントを取る可能性がある。
チー牛であるにも関わらず結婚できてしまったという故の選民意識を肥大させているパターンをよく見る。
このタイプは非モテ層に対しての造詣も深いのと、そもそもチー牛故デリカシーが欠如しているため執拗なマウントを取る可能性がある。
言わずもがな。このタイプは「男性的魅力」を絶対的なものとして信仰しているパターンが多く、セクハラとアドバイスの違いを理解できない場合が多い。
この手のタイプは相当厄介である。不都合な指摘を受けても「そんなんだからモテないんだよ」の一言を言えば済むと考えているため、建設的な議論は不可能と考えた方がよい。
近づいてるんだかなんだかよくわかんない台風。
矢のような雨が降ったと思ったらスンと止んだり、けれどぬったりとした湿気がまとわりつく8月締め日の金曜。
今日は朝9時から人生であまり経験することがないハリソンの世界(住宅ローンの契約)に足を踏み入れてきて、246は地面師も溺れるような冠水してるし、仕事ではなんかみんな余裕ないのかな、みたいな塩対応やら激おこされるし、カーテンも無いし花を入れる花瓶もないから港町のスーパー銭湯にやってきた。
デカい湯船に浸かってサウナに一回だけ入って、マッサージで意識を飛ばしてやってきましたお食事処。
公共と私的空間のグレーゾーンをスーファミのゼルダみたいに何台もの配膳猫がぐるぐると哨戒するエリアを潜り抜けて着席注文。
グラスもよく冷えた生ビールを「油淋鶏ソースの冷やしトマト」を舐めながらいただいていると、隣の席に初老の男女と、直毛がそのまま伸びた芝刈りくん13日目くらいの朴訥とした青年の3人グループがやってきた。
それにしても油淋鶏ソースってなんなんだ。油淋鶏の主体たる揚げ鶏は不在だけどこれアレだ。油淋鶏の肉抜きだ。玉ねぎサラダにポン酢薬味がかかったものを「オニオンスライスの鰹のたたきソース」として提供してるようなものか。マーケティングだ。
隣席の芝刈り青年のはだけた作務衣の胸元からは青々とした光進丸がセイルオンしており、Kちゃん、と母親らしき女性から呼ばれていた。
Kちゃんはその世話の焼かれ方や呼びかけに「僕はチーズに目がないです」と目を合わせずに繰り返している様から、ちょっとしたハンディキャップを抱えている御仁のようだった。
向かいに座った父親らしき男性は女性から「Mさん」と呼ばれており、どうやらこの3人グループは血縁関係ではないようだ。
飲み屋のママとハンディキャップを持った息子、と常連さん、といった関係性なのか、何も考えずにはたから見たら3人家族の睦まじい団欒に見えたがどうやらちょっとイレギュラーな店外デートのようだった。
車で来ているため風呂上がりにビールを浴びたいであろうところを小瓶のノンアルコールビールで乾杯するMさんとママさん。その横でアツアツのチーズ揚げを手づかみで食べ嗜められるKちゃん。
Mさんの握り寿司を「食べたいです」と屈託なくおねだりするKちゃん。キレてるのか照れ隠しなのか「いいよいいよ!もう全部食えよ!」とMさん。「ちゃんとごちそうさまを言うんだよ」と訓告するママさん。KちゃんとMさんは浴室で男2人きりでどのような会話を交わしたんだろうか。盛りそば握り寿司セットや韓国風冷麺やよくばり天丼やデザートを注文するたびにスキャンされるMさんのリストバンド。うまいな、とポツリと呟くMさん。きょとん、としているKちゃん。その景色を横目に見ながら、私は単品650円の生搾りレモンサワーの3杯目のレモンを絞りながら、「飲み放題1800円なら単品にしなければよかった」と愁嘆した。
まるでこの夫は妻が憎くてしょうがないからこんな意地悪をしているか、あるいは人の心がないサイコパスかのように見えるだろ?
違うよ。この夫はどこにでもいる普通の人間だよ。この夫が酷い男に見えるのは我々が現代日本の価値観を内面化して生きているからなんだよ。
→女が子供を産むのは息をするのと同じくらい当たり前だよ。「呼吸しながらお茶なんて入れられない!」とか言う奴おらんよね? 病気でもないことで甘えちゃダメだよ。
陣痛中は隣で寝てた
→女の出産に男なんか役に立たないのにそばにいてくれるなんて優しい旦那さんだね。そこらへんの亭主なら愛人のとこか飲み屋へでもシケ込んで浮かれてるよ。
→家事は女の務めだし妊娠出産は病気じゃないんだから普通のことだね。命懸けで働いてる旦那さんに出来合いの飯なんか何日も食べさせたら失礼だよ。
→育児は女の義務なんだから旦那様を煩わせちゃダメだよ。育児なんかさせて命懸けで働いてる旦那さんの仕事に差し支えたら大変だよ。
→育児は女の義務なんだから旦那様を煩わせちゃダメだよ。育児なんかさせて命懸けで働いてる旦那さんの仕事に差し支えたら大変だよ。
どれだけ寝不足でも朝は必ず起こされて朝飯作らされたし夜帰りが遅くても起きて待ってなきゃならなかったし
→旦那さんより遅く起きちゃいけないし早く寝ちゃいけないって歌があったから当然だね。その程度の事もやらないぐうたら妻は不倫されるよ。
一度体調が悪くてベッドで倒れてたら何で起きねえんだよ!と怒鳴られたし
→わ〜体の弱い妻なんてもらっちゃって旦那さんかわいそう。そんな妻捨ててもっと丈夫な奥さんもらったらいいのに。
夫の転勤に帯同する為に仕事辞めて保育園も入れないから働けなかったのに、職場の女性たちはみんな働いてるのに何で君は働かないの?って言われたし
→単身赴任なんかさせたら女作られるよ。妻が夫の転勤についていくのは当たり前でしょ? 子供の手が離れてきたなら家でゴロゴロしてないで家計に貢献しないと寄生虫って言われるよ。
→子供なんかまたいくらでも仕込んで産みゃいいじゃん。終わったことをいつまでもグチグチとうっとうしい。
はてブの皆はちょっと前のコロナ禍で自分が何言ってたかも忘れちゃうくらい記憶力に乏しいから年取ってても忘れちゃってると思うんだけどね。
ほんのちょっと前まで日本の男と女はこういう価値観の中に生きて、結婚して子供産んで育てるのが当たり前だったんだよ。男だけじゃなくて、普通に女もこういうことをよその奥さんから言われて、自分もよその奥さんや娘さんに言って生きてきたんだよ。
だから今でこそ、ミソジニストすら「こんな男と結婚したのが悪い」としか女叩きしようがないようなボンクラゴミクソサイコパス亭主に見える元増田の旦那も、昔の日本人の男としては普通のことを普通にやっているだけだよ。多分この亭主が自分のやってきたことを皆に批判されたら「このくらい皆やってる。俺は産前産後に風俗行って奥さんに性病うつしたりしてない(※行ってないとは言ってない)分全然マシな方」とか言うよ。
そりゃあ産前産後の恨みおじさんだってガックリきちゃうよね、この増田の夫みたいなそこらへんにゴロゴロいる凡百の父親と違ってここまで酷いことせずに立派な父親やってきたのに。仕事が大変で疲れてたから子供が夜泣きしてても妻に任せて寝てた程度のことを20年もグチグチ根に持って恨まれたら嫌になっちゃうよ。借金も女遊びも暴力もせず、大黒柱として妻に楽させて、たまには育児手伝ってやってたのにあんまりだよね。
みんな忘れちゃうんだよね。昭和平成で自分たちが何やって生きてきたか、子供にどういう家庭を見せてきたのかをさ。
多分増田の夫は父親がやってたように、その父親は祖父がやってたように、自分も同じことをしただけだよ。当時は誰もそれを酷いって指摘しなかったからね。
産前産後の恨みおじさんだって、増田に書いてないとこで暴力とか借金とか浮気をやらかしてた訳じゃなきゃ、当時は別に悪いことしてない普通の父親だったんだよ。
だからそれを令和の価値観で他人事みたいに棍棒振り上げて叩いてるばかりじゃダメだよね、そういう父親を作ってきたのは時代そのものだったんだから。
自分が「→」の後に書いたようなことをむかし思ったり自分で言ったりしたことがある人は反省してね。あなたたちが産後恨まれおじさんを作ったんだよ。
この増田をフォローするわけじゃないしこの増田が何歳で子供作ってどういう職種なんかも知らんから関係なかったらごめんけど、
若手の頃って上の誘い断れないじゃん。わたしも二十代の頃は上司の突発の飲みの誘い断るなんてできなかったし、ゴルフもやらされて休日も出てたし、帰宅してても「◯◯さんと飲んでるけどお前と会いたいって!」って電話きたらタクシー読んで飲み屋に駆けつけたりしてたし、望まれれば100時間でも残業してたし。
とうぜんこのフッ軽努力のおかげで引き立ててもらえたことはいっぱいあったし、やっぱりこの努力をしない同期と比べたら出世もした。
夫も似たような感じだった。
当時小梨だったから、お互い突発の飲みや残業続きを許容しあうだけでうまくいったけど、
子供がいて、どっちかがキャリアを諦めざるをえなかったらわたしたちも終わってたな。
今は子供ふたりいて、夫婦ともども時短勤務で家でしか飲まないけど、それでも問題ないくらいの職場の立場になれたのは、若い頃の努力のおかげだしなー。
討論番組で全員がただ喋ってるだけなのがずっと納得できない。
あれは口喧嘩なんだってわかってるけど、みんな自分の言いたいことを好き勝手言って、好き勝手喋って何も相手のことを理解してないし自分の考えてることも伝わってなくてずっと解決してない。
視聴者は視聴者でみんなが何言ってるかわかってない。ただ「こっちの方が強そうだ」と雰囲気で見て「雑魚w」とか「強いw」とか楽しんでるだけに見える。
ホワイトボードなど使ってまとめたりしない時点でなんというか低次元な議論だなって思う。全員の記憶力を無駄に要求する。
討論番組のよくない点はあれを見た人が「これがディベート」だと思うところ。まともな議論をしたことがない人は討論番組がふつうの会議の手法だと考えていそう。
ホワイトボードを使ったら暴言も自然と減るし目線も合う。暴言が減るのは直接「おまえはバカだ」や「もう少し頭働かせてください」などを議事録にそのまま載せる形になるからで、目線が合うのは他人の言葉を言語化することによってみんなが「そういうこと」とか「それはちょっと自分とは違うな」とか「確かにそういう考え方もできるな」とか「そういう観点があったのか」とか考えが広がるから。
俺はテレビほぼ見ないけど、飲み屋の口喧嘩みたいな議論もどきを見かけると「やっぱりホワイトボードとかは使わないんだなあ」と思って、そのままその低俗さに悲しくなる。
視聴率をとるためかもしれないけど、視聴者側が「ホワイトボードすらねえのかよ。三流の議論だな」と一蹴できる程度には社会人として大人になってほしいなと思う。
そんな訳分からんスキームのせいで制作費が上がってる割に忖度し放題で無駄が発生するんだよ。
だいたいキャバクラや飲み屋でまともな人間に響く何が刺激されんだよ。あんなもん肯定してる連中が提供会社から大枚はたいて出させた金をどうしようもない頭の悪いビジネスに突っ込んだるだけじゃん。そんで実力もない奴を使い勝手よく使うために広告代理店や芸能エージェントが裏で手を引いて作品作りに口出し手出しして作る側が意図してなかった質の悪いドラマ見させられるんだろ。もういいからそういうクソみたいな流れ。日テレのセクシー田中さんとか思い出せよ。あれだって脚本家が作品の評価が極悪なのになぜか広告代理店に気に入られててバンバン仕事入れられててつまんねー作品ばっかり出してたのがデカい顔してた結果だろ。しかもクリエイティブな人を潰して。こういう仕組みのせいでデカい金が動いてるのにクソみたいなドラマばっかり流れる事が起きてるの。
そうこうしてる内に真っ当な倫理観も失せて社会的通念への問いかけも弱くて、ただ芸人上がりの役者出せば面白くできなるだろう(視聴者的に全然面白くない)みたいな制作費の無駄みたいな作品だけできてるの。他の国は役者や演出家が芝居の専門家や心理学や文学史学を学んで議論するレベルの知性をつけてる間にな。日本のギョーカイ人(笑)が飲み屋で遊んで挨拶回りが仕事と勘違いしてる間に国際的に作品として俎上にも載せられない位に品質が開けられちゃってるの。その国でビジネスするお情けで載せてる程度しか配信できない。
何が昭和だよ。バブル期みたいなあぶく金もない時代に引き合いにしてくんなよ。連れてってもらったってお前はどんだけ若い衆渡れ回せる位の立派な人生歩んだんだよ。大した事してないならすっこんでろ。
あんなもんが肥やしになるようなのは芸でもなんでもないんだよ。一般より金を使ったという記憶と自負による勘違い。ばっかじゃねーの。
今ふと疑問に思ったけど、男って美人なら誰とでもセックスしたい!ってなるもんなん?
あの当時の福山雅治とかがかっこいいのは分かるし付き合いたい!っていう気持ちもまあ分かるけど、抱かれたいはピンとこない
知らん人と至近距離で接するなんて気持ち悪くない?って気持ちが先に来てしまう
元々仲いい人なら大丈夫だけど
どれだけ男前で所謂清潔感バッチリな人とでも、いきなりセックスしたい!という気持ちにはならない
綺麗な女の子とセックスしたいって思うのは当たり前なことだし、
仮に、もしそういう機会があれば嬉々としてセックスするんじゃないかな
飲み屋で知り合ってそのままホテル行くみたいな話は聞くし、出会ってすぐにセックスすることに抵抗のない女性もそこそこいるとは思う
野ブタをプロデュース。の著者も「自分はバカとエロの大縄跳びが嫌いだった!」って言ってるし、男の中でもそういうものを忌避している奴はいるんだよね
その手の人ってやっぱ、アニメやゲームもなんか小難しくアカデミックな感じにふれたがるんだよ
批評、評論だとか、社会に与える影響が~とか、創作物を通じて意味を汲み取り、自分が生きている現実を考える~とか
スターウォーズの背景には黒沢映画が、ロール・フリンの海賊映画、米国のスペースオペラの系譜~がみたいなことを言ってるやつもいたな
飲み屋で楽しく「あれ面白かったよな~!」って友達とワイワイ感想言いあうんじゃなくて、
朝まで生テレビの空気感でお偉い先生方が作品の深~いところをガチ議論しあうようなイメージ
結局今のオタクコンテンツってまあ程度の差はあれどもやっぱシコリティ高めのキャラがガンガン出てくるわけで、ざっくりいうとエロが支配的じゃん
ブルアカもストーリーはしっかりしてるけど、エロいキャラじゃんじゃん出てくる
アカデミックな人たちにとってはそういうのがどうしても受け入れられないし許せないわけなんだよな
ガースーが学術会議の教授の任命拒否しただとか、国公立大の法人化だとか、世間的には三角関数古文漢文いらないで学問が軽視されがちだとか、性的消費は家父長制による男>女の考えが原因だとか、いろいろなものが複雑に絡み合って「性的消費を許さない、男らしさを許さない、保守思想を許さない」みたいなことになってるんだろうけどな…