はてなキーワード: 番頭とは
社員3人。自分より後に入社した人は4年で10人くらいいたけど、全員半年以内で辞めた。
家族経営の悪い部分を抽出したような会社で、そんなところでがんばってる自分はすごい、えらい、と自分で自分を励ましながら働いてた。
従業員を雇っては辞められ、雇ってはクビにし、を延々繰り返していたのだけれど、社長の気が変わったのか、新規に人を雇わないことにした。
しばらくしたら、退屈したのか社長家族と番頭さんと呼ばれる古株の社員から目をつけられて、えげつなくいじめられるようになって辞めた。
半年以内で辞めた人たちを、根性のない人たちだと思っていたけど、彼ら、彼女らは賢い選択をしただけだった。
あれは「会社」ではなかった、なんで早く辞めなかったのか、という後悔が大きくてつらい。
少し前に「学年ビリだったギャルが慶應に行く」という本が売っているのを見かけた。
思わずこのタイトルを見ただけで思い出してしまった、未だ忘れられない私の高校時
代の思い出を語りたい。
私の通っていた高校は県立の中でもかなり下&定員割れというよくある新興校だった。
基本バカしかいなくて、中学の勉強をほとんど理解できてない人が入る高校である。
不良とギャルが圧倒的に多いのだが、たまたまうちのクラスは雰囲気が明るくて不良
もギャルもオタクも皆仲が良く、担任の若い熱血女教師も皆から好かれていた。
コースが分かれている関係で、クラスは基本1年から3年まで担任ごと持ち上がりな
のでその点でもかなり恵まれていたと思う。
私自身はよくいるキモオタで皆からは「パープル」と呼ばれていた。
これは当時発売されたばかりで流行っていたユニクロのフリース(紫)を愛用してい
たことから名付けられたのだが、まあ私のことはどうでもいいんだ。
ギャル子はバカだけど明るくて人見知りしないクラスのムードメーカー。
当時流行っていたガングロに憧れすぎて、数学のおじいちゃん先生から「サンボ」と
一方、秀才君は不遇の秀才で、中学生時代に大病をして出席数が極端に少なかった上
に一番頭のいい公立高校に落っこちてしまい、二次募集で定員割れのうちに来たとい
う経歴の持ち主だった。ちなみに秀才君に関しては結論から先に言うと慶應大学に進
学し(開校以来初の快挙)今は都庁職員として忙しい日々を送っている。
事はギャル子が突然「先生になりたい」と言い出したことに始まる。
当時、GTOが大流行中で多分に漏れずギャル子も「不良→教師」という分かり易い
感動のツボにまんまと乗せられた一人だった。
言うまでもなく誰も真剣に受け取っていなかったがギャル子は秀才君に勉強を教えろ
と絡みだし、秀才君は最初嫌々ながらも放課後ギャル子の面倒を見ることとなった。
それが確か3年の5月位だったかな。
同窓会で秀才君がしみじみ言ってたけど「小学校からの復習だからね」というレベル
だったらしい。まあ私自身を振り返れば高校がそんなレベルだから仕方ないと言うこ
とは皆分かっていたし、すぐにギャル子も音を上げると思っていた。
「そこまでヤル気があるのなら」と熱血女担任も乗り気になり、担任が仕事をしてい
た教務室の隣の席を開放し、毎日毎日放課後担任が帰るまで2人で勉強していた。
夏から秋・そして冬へとあっという間に時は過ぎギャル子は日に日に変わっていった。
日サロ通いを辞めたせいかサンボの面影も徐々になくなり、二学期が始まる頃には秀
才君が「教え甲斐がある」と言い始めた。大半は就職し(私も就職組)、進学組もほ
とんどは専門という状況でクラスで大学を受けるのは秀才君とギャル子たった2人だ
けだった。
それでも正直、ギャル子が大学に受かるなんて本気で思っていた奴はいなかったと思う。
何でよりにもよって国立なんだ!私立ならなんとかなるとこありそうなのに!
というのが私たちの声だったが、ギャル子は熱血女担任の母校であった埼玉大学に進
学して教師になると決めていた。
この高校生活最後の一大イベントを見逃すわけには行かず、クラス有志でギャル子の
合格発表を見守る集いを募ったところクラスの大半が参加する事になった(ギャル子
は嫌がったがw)。
私達は年明けの自主通学になった後も「祈る!合格」や「必勝」などのポスターや横
忘れもしない。
秀才君が華麗に慶應大学に合格しうちのバカ高校に激震が走るのもつかの間、
その日はどんよりとした天気で北浦和から受験生1人と全く関係のない応援軍団がバ
いつも明るく天然なギャル子はガチガチになっていて、馬鹿な私達は「横断幕はやり
すぎだったんじゃないか?」とか今更な疑問に困惑していた。
テレビで見るような東大なんかの合格発表と違い、たくさんの人がワイワイ賑わって
いるような光景じゃない。時間帯的にもピーク後だったら気持ち程度の学生っぽい人
「いってくるね」
私達は祈った。とにかく祈った。
こんなに頑張ったギャル子にどうか春を迎えさせてやってくれ!神様!!頼む!!
みんな固唾を飲んで見守っていると、ギャル子がクルッとこちらを振り返った。
ギャル子は泣いていた。泣いたままゆっくり私達の方に近づいてきた。
鼻水と涙でボロボロになりながらギャル子は私達に抱きついてきた。
横断幕を掲げた怪しげな集団が歓喜の怒号を上げ、ギャル子を胴上げした。
皆自分の事のように喜び、女子や一部の男子(私)は泣いていた。
ギャル子がどんなに頑張ったか知っている秀才君はボロボロ泣いて胴上げしていた。
世間から見れば何てことはない一地方大学の合格発表かもしれない。
でもギャル子にとって、私達の高校にとってギャル子が成し遂げたことは東大合格に
も優らぬとも劣らない大偉業だったから。
私達はわざと熱血女担任には連絡しないでそのまま高校の職員室に雪崩れこんだ。
「先生!受かった!」
職員室は俺達にも引けをとらないほどの歓喜の渦に巻き込まれ、ギャル子と熱血女担
任は抱き合って泣いて喜び合った。
騒ぎを聞きつけた校長先生が職員室に飛び込んでくると何故か校長も泣いていたw。
不良が多いうちの高校で本当に苦労していた校長や他の先生たちは、ギャル子が成し
遂げた事がどんなに凄いことかとてもよく理解していた。
と言うとそれまで泣いていなかった他の先生もボロボロ泣きだした。
と校長が叫んだ。
と書き加えられた。
あれからもう十数年が経過した。
定員割れが続いた我が母校は統廃合されて名前こそ変わったものの
とりあえずなんとか存続はしているみたいだ。
ちなみに私は某鉄道会社の車掌として右往左往する日々を送っている(皆さんに会っ
てるかも^^;)。
そしてもちろんギャル子は、県立高校の国語教師として忙しい毎日を送っている。
【おことわり】
しかし元・ギャルの大逆転劇やクラスの話は間違いなく事実ですので、ちょっと前
にも「学年ビリのギャルが~」のような話が実在していたと思っていただければ幸
いです^^;
学年トップということは、選択科目も含めてほぼ全部の教科をまじめに履修したという事だろうから
(大学は選択科目は取らないという事ができるが、取らなければ成績はその分さがる事にはなる)
学年トップ成績が、その学年で一番頭がいいかどうか?という質問の答は、必ずしもそうではない。エントリーした科目の数がすべて。
つまり、一番頭がいいやつが必要最小限の科目だけエントリして卒業するタイプだと、成績は低い。
ということだけど
学年トップ成績が、その学年で一番真面目かどうか?という質問の答は、それはそうだろうね。全部の科目にエントリーしたんだから。
よく分かんないんだけど、じゃあ、「天才」ってなんなのさ?
1万人に1人くらい、って単に1万人居る中の一番頭いいやつなら1万人に1人だし。。。
お前らが求めてる、「天才」ってなんなんだよ。
http://1000nichi.blog73.fc2.com/blog-entry-2281.html
**以下引用**
ダニング-クルーガー効果 上から目線の人や自信家はむしろ愚かであることが多い「アメリカ人は30カ国中数学25位、科学21位、自信は1位」
個人的な経験と感覚で正確性も何もないものですが、ブログのコメント欄(現在は閉鎖)では上から目線の人や、自分は何でも知っているぞというスタンスの人の方が、幼稚な主張であることが多かったです。
また、有名人でも「自分はすごいぞ」という言動をなさる上杉隆さんなど虚言癖のある方が、論理性のまるでない主張をして一人悦に入るところが見られます。
そういった私のイメージが思い込みじゃなくてある程度一般的な傾向なのかも……と思ったのが、次の話です。
アメリカ人は先進30カ国で数学25位、科学21位、ただし自信は1位
(略)Education.comと言うサイトのコラムでは、アメリカにおける教育の現状を冷静に分析しており、要約すると以下の5点を問題に挙げています。(中略)
2. 国際比較をすると明らかに学力が低い
国際ランキングでは数学が25位、科学が21位。2002年に落ちこぼれの子を出さない誓約を立てながら、8年後の実情はミシシッピで14%、ニューヨークで30%、そしてカリフォルニアで24%のみが数学を習得している。また、全国では24~34%の子供だけがその学年レベルの読みを習得している。驚くことに、数学のレベルの低さとは別に、他国と比べてアメリカの生徒が数学に1番自信を持っているとの結果が出ている。(中略)
・アメリカの子供はいわゆるダニング・クルーガー効果"Dunning-Krugereffect"によって、自信が1位になっているのかも。
・ダニング・クルーガー効果:無能な人ほど自分の能力を過大視するという心理学。認識の偏り。知能の低い人間ほど自分をかなり知能を高く見積もる、あるいはその逆の認識をするケースが往々にしてある。
http://labaq.com/archives/51674348.html
このダニング・クルーガー効果に関する話は後々やりますが、上記で省略した部分も気になるでしょうから載っけておきます。
1. 現在のアメリカでは教育に対する予算カットが頻繁に行われているが、問題はお金だけではない
インフレ率に合わせて、生徒一人当たりに費やされる金額が30年間に4300ドルから9000ドルへと倍増したものの、成績が全く上がっていない。他の低予算の国よりスコアが悪い。(中略)
3. 教師の質が著しく落ちているが、解雇出来ない
他の専門職では失敗をすると失職したり資格を剥奪されるのに比べて、ほとんどの教員はふさわしい資質を持っていなくても職を失わない。イリノイ州では57人に1人の医者、97人に1人の弁護士が資格を失っているのに対し、教師は2500人に1人のみ。巨大化した組合が、教職を2年務めると終身雇用という契約を結ばせるためである。
4. チャータースクール(民間運営の新しいタイプの学校)が質の悪い公立の学校の代わりとなっている
普通の学校でうまくやっていけない子たちのバックアップとなっているが、良い結果を出しているチャータースクールは5校に1校しかないのが現状。
5. 子供を学力別に分けることは不公平であり、多くの生徒の成功を奪う
学力別に生徒を分けることはアメリカでは一般的に行われているが、中レベルから低レベルの位置にいる子供に不利な可能性がある。この学力別システムは1950年に始まり、20%のみが大学に進み、30%が専門職(会計士、経営者、その他の大学の資格を必要としない職)、そして50%が肉体労働者になる。
「3. 教師の質が著しく落ちているが、解雇出来ない」ですが、アメリカの先生は日本の比じゃないほどレベルが低い、より正確に言うとレベルの差が激しいようです。
私はそれはきちんとした教員制度がないせいであると聞きましたが、「終身雇用」ってのもびっくりですね。
学力別に生徒を分けた後が問題であり、この場合下位を切り捨てにしているからということでしょうが、その層に適した教育を重点的にやるということは理論上は可能です。
学力別に生徒を分けないということは高校を全部学区別にするなどして、レベル別にしないということになりそうですが、そうしたとしても結局大学は学力別に生徒を分けます。
世界大学ランキング2012-2013 東大はアジア1位で27位(3つ上昇)で1位だったマサチューセッツ工科大学(MIT)への入学を学区制にしましょうとは、さすがに誰も主張しないでしょう。
あと、こういう風に現在学力別に分ける状況にありながらも、なお「1番自信を持っている」というのも不思議な気がします。
普通はこうやると自信を持つ生徒が減りそうなものですが……。
こちらを広げると話が逸れていきますが、先の「アメリカ人は先進30カ国で数学25位、科学21位、ただし自信だけは1位」の波紋です。
・ダニング・クルーガー効果もこの現象の原因ではあると認めるが、どっちかと言うとこれは、アメリカの教育が自尊心を増大させていることが一因のように思う。
良いことを実行させるよりも、文化の良いと思わせる点を強調している。アメリカより科学などで抜きん出ている多くのアジアでは、それほど自尊心を強調しようとする概念がない。でもそれなりに満足を得ているか、自尊心が高い国より幸せだったりする。それは幸福の本質が単に自分のことをどう思うかだけではないからだ。
だから失敗を認めたり、訂正をすることは自分自身の見方を脅かす。これが全てを説明してるとは思わないが、好きな解釈のしかただ。
・自分が何をわかってないかをわかってない状態ってやつだな。同じことがスペイン語を学んだときに自分にも起こったよ。習い始めた最初の1学期が終わったとき「もうスペイン語はだいたい何でも言える、次の学期では何をするのかな」。次の学期が終わる頃「やっと過去形が終わった。うわまだ何もわかってねーじゃん」。(略)
・世界にNo.1であることを宣言し続けなくちゃいけないのなら、深刻な不安定さを象徴している。そういう間違った自信が国を滅ぼす。皮肉にもこの手の崩壊をもたらすやつらこそが、愛国者と呼ばれたりしている。
・宣伝工作もだよ。「世界で1番の健康保険」とか「世界1の憲法」とか「我々の民主主義がすばらしすぎるので輸出しよう」とか、「世界1自由な国民だ」とか。
・その「自由」ってのに引っ掛かる。過去15年で5カ国(スコットランド、オーストラリア、カナダ、アメリカ、ドイツ)に住んだよ。で、一番不自由な体験をしたのがアメリカさ。
・単に他の国が、いちいち「我々はナンバーワン!」とか「U-S-A U-S-A!」とか叫ばないだけだ。ちょっと恥ずかしいだろ。オーストラリア人より。
・記事によると同じ試験を受けた他の国の子供たちは、「一番出来るというわけではない」と答えている。(略)
・実際アメリカは世界的には偉大な大学を持って、研究者も世界中から集まっている。それからお金もだ。研究するための莫大な金を持っている。
・確かに世界でもベストといえる施設だが、研究者たちの70%は少数派の民族だ。(アジア人とか東南アジアとか)
・少し誤解を招いている。サンプルのサイズに大きな問題がある(アメリカは他の国と比べて大人数を教育し、さらに国がそれを無料で提供している)。試験の点数は35%もいる黒人やヒスパニックの悪い成績により引き下げられている。アジア系アメリカ人は平均541点で、上海、香港、日本、韓国と似通った点数である。ヒスパニックではないアメリカ人は平均525点でカナダの524点、ニュージーランド521点、オーストラリア515点に匹敵している。それとは対照に平均のヒスパニックは446点、黒人441点である。
・その書き方だとアジア人、黒人、ヒスパニックはアメリカ人じゃないみたいだな。
・カナダもマルチ民族で白人ばかりではない。オーストラリアやニュージーランドもだ。なのでやはり全体として悪いんだよ。
・違いは民族から来るというより文化からだね。他の文化に比べて、学習することを強調するサブカルチャーもある。
・1年レジで働いたが、みんなお釣りがいくらになるかわかってなくて、小銭を嫌い、余計に請求されても感謝していた。
・「近代の基本的な問題の原因は、愚か者が確信しきっていて、賢い者が疑問でいっぱいだからだ」―バートランド・ラッセル
オーストラリア人としてアメリカに6年住んだ経験から、両国の差を次のように考える。
アメリカ人は「NBAにプレイできるように頑張る」とか「NBAでプレイがしたい」というより、「NBAでプレイをするんだ」といった風に育てられる。自身を肯定することが根付いているんだ。利点としては自信を持つことで実現につながるし、ポジティブ思考であり、自分を信じることにつながるが、欠点としては、自身に対する錯覚や思い違いにつながることがある。
オーストラリアでは偽の謙虚さが根付いていて、自慢したり、何が得意だとかは絶対に言わない。がんばるしベストは尽くしても、自分が人より優れているとは思わない。昔はこれが尊敬すべき方法と思っていたが、今は2つの観念の間にはさまっている。アメリカに住むまでは自分が何かを得意だとは思わなかったし、ネガティブなコメントを恐れて言うべきことを遅らせたりした経験もあった。アメリカの「出来る」という態度や大げさな褒め言葉やサポートは気に入ってる。オーストラリアの真面目に働くところや謙虚さも気に入ってる。
最後にバランスの良い意見が載っていましたが、ダニング・クルーガー効果は全体的な傾向であり、絶対的なものではありません。
場合によりけりであり、世の中では自信を持つことが大事という主張がむしろ多いように、これが良い助けとなる場面も存在します。
過ぎたるは及ばざるが如しで、極端に自信がないこともまた問題となるでしょう。
といった点を踏まえつつ、ダニング・クルーガー効果の別のところの説明です。
ダニング・クルーガー効果(Dunning-Kruger effect)
(略)これは、コーネル大学の2人の研究者の実験による理論として1999年に発表されたもので、「知識の少ない人間が、もっと知識の多い人々より自分の方が物事をよく知っていると思い込む」現象のことです。実験に当たって彼らが立てた仮説は以下の4つで、結果的にそれらがほぼ証明されたのです。
1. 無能な人々は、自分のスキルのレベルを過大評価する傾向がある。
2. 無能な人々は、他者が持っているスキルを正しく認識できない。
3. 無能な人々は、自分の無能さがどれほどのものかを認識できない。
4. こうした人々も、本質的にスキルが向上するような訓練を施されれば、それまでのスキル不足に気づき、それを認めることができる。
http://ogasawara.cocolog-nifty.com/ogasawara_blog/2011/06/dunning-kruger-.html
「それまでのスキル不足に気づき、それを認めることができる」とありますが、能力がない人ほど自分の間違いを認めることができないというのは、最初に書いたコメント欄、有名人だけでなく、職場の人を見ていても感じます。
もう一つのブログはかなり詳しいですけど、ダニング・クルーガー効果以外の話です。しかし、内容的には同じ傾向の話があります。
それほど自信のない人のほうが、より成功する?
by creiajp on 7月 12, 2012 • 12:30 未来の人事を見てみよう
The Worse-Than-Average Effect: When You're Better Than You Think
平均以下効果: もし自分が思っているより自分がマシだった場合
http://www.spring.org.uk/2012/06/the-worse-than-average-effect-when-youre-better-than-you-think.php
そして、
Less-Confident People Are More Successful
それほど自信のない人のほうが、より成功する
http://blogs.hbr.org/cs/2012/07/less_confident_people_are_more_su.html
最初の記事で話題になっているのは、Worse-Than-Average Effect (もしくはBelow-Average Effect) で、ここでは「平均以下効果」と訳しました。(中略)
"もし自分が何かが得意だったとき、同様に他の人にとってもそれが得意だと思いこむ傾向があること。したがって、もし自分が得意な物事において難しいタスクにぶち当たってしまった時に、自分の能力を過小評価してしまう〔なぜなら他の人は得意に違いないから〕"(中略)
この説を唱えているクルーガーという学者は、一般的にはダニング・クルーガー効果で知られています。(中略)
"人々は、チェスやギャグ、ジャグリングやプログラミングといった、ステレオタイプ的に難しいとされる能力について過小評価する傾向がある。"
ということで、自分がある程度学習して出来るようになった能力は、自分でも出来たんだから誰でも追いつけるはずで、自分はそれほど大したことないはずだ、という思い込みですね。実は習熟するまでにはそれなりの時間を投資しているにも関わらず。
http://www.creia.jp/blog/2012/07/12/6
平均以下効果はダニング・クルーガー効果の"逆パターン"だそうです。
本当はよくできているのにも関わらず、そうではないと思う方ですね。
なお、"それほど複雑ではない簡単な内容については、先のダニング・クルーガー効果のほうが当てはまる確率が高い"そうです。
ということは、高度な分野においてはダニング・クルーガー効果はあまり現れず、平均以下効果の方が現れやすいということでしょうか?じゃあ、今日の最初で書いた上杉隆さんは例外になっちゃいますね。
どうにも扱いの難しい「自信」の取り扱いですが、Harvard Business Reviewに載った2番目の記事では、自信のない人のほうが、より成功する、という説を唱えていて、このメディア上ではコメント欄が200近くに達して軽く炎上しています(笑)。(中略)
"自分への自信は低い時に限って助けになる。"
とのこと。ただ、extremely low (極端に低すぎる) のはダメ、とのことで、その案配がどうにも難しいところなのですが。
先のクルーガーの「平均以下効果」が発揮されているような自信のない人のほうが、自信満々の人よりも成功する要因は、以下の3点にあるとのこと。
1.Lower self-confidence makes you pay attention to negative feedback and be self-critical
低い自信はネガティブなフィードバックへの傾聴を促し、自分自身に対して批判的になれる
2.Lower self-confidence can motivate you to work harder and prepare more
低い自信はさらなる勤労・勉強と、さらなる準備に向けたモチベーションを起こさせる
3.Lower self-confidence reduces the chances of coming across as arrogant or being deluded
低い自信は傲慢になったり勘違いしたりといった傾向を減らしてくれる
他人の無知を指摘することは簡単であるが言うまでもなく人間は世界の全てを知る事は出来ない。ギリシアの哲学者ソクラテスは当時、知恵者と評判の人物との対話を通して、自分の知識が完全ではない事に気がついている、言い換えれば無知である事を知っている点において、知恵者と自認する相手より僅かに優れていると考えた。また知らない事を知っていると考えるよりも、知らない事は知らないと考える方が優れている、とも考えた。
なお、論語にも「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」という類似した言及がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E7%9F%A5
適度に謙虚でかつ貪欲にという姿勢が大切なのかもしれません。
(12/8追記:こういうコピペがあるそうな。
「パソコン詳しいですか?」
工学系「(寄せ集めで自作PC作ったくらいだし…)いえ、そこまでは…」
情報系「(周りの奴のほうが詳しいしな…)まぁ、人並みには…」
文系「(パソコン?毎日YouTube見てるしな…)あぁ、詳しいっすよ」
2012-01-10■僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった しのごの録
"(中略)高校の成績は、いままでずっとAを取りつづけていましたが、去年始めてBをとってしまいました。もしそのBがなければ、卒業生総代に選ばれていたでしょう。
総代にふさわしいのは自分だ、つまりクラスで本当に一番頭がいいのは自分だと思いたいです。でもこの一年で、僕にそれほどの知性はないし、僕より頭のいい人はたくさんいるんだということを思い知らされました。
また僕は、自分の頭のよさについて、少なくとも自分自身に対して嘘をついているところがあります。成績表からAがひとつ盗まれちゃったんだということにして、自分自身を納得させようとしているんです。(中略)昔は、自分はMITに行けるものだといつも思っていました。でも、その可能性はゼロに等しいんだという厳しい現実が明らかになってしまいました。(中略)"
対する返信。
"私は意気揚々とMITの寮に引っ越してきました。(中略)一年生の微積分と物理の単位をすでに取っていました。(中略)
時間が経ち、壁にぶち当たりました。私は高校時代それほどよい生徒ではありませんでした。悪い成績をとれば、適当ないいわけをしたものです。そんなものどうでもいいとか、忙しすぎたとか、やる気がでないとか(中略)自分はちょっとやる気がないだけで、他の誰よりも頭がいいんだと思えました。しかしいまや、そんな考え方は通用しませんでした。(中略)ほんとうに惨めな気持ちでした。
幸運なことに、私のとなりの部屋にはRという賢いやつが住んでいました。Rは、控えめに言っても、優秀な学生でした。(中略)微分方程式に半学期悩まされたあと、プライドを捨ててようやくRのところへ助けを求めに行きました。確か彼は私の教科書を一晩借りて復習して(彼は小学3年生からの全ての授業内容を憶えているわけではない)、その後、私の分からないところをひとつひとつ丁寧に解説して教えてくれました。その結果、学期末に私はB+をとり難を逃れることができました。ここでひとつ大切なことがあります。それは、彼が教えてくれたことのなかに、頭の回転が速くなければ理解できないことなどひとつもなかったということです。彼のことを知るにつけ分かったことは、彼の知性と実績のほとんどは、まさに勉強と鍛錬によってもたらされているということでした。(中略)
「頭がいい」ことが成績の良し悪しを決めるのだと言って自分自身を欺くのは簡単なことです。とても多くの場合で、これはあり得るなかで最も安易な説明です。なぜなら、これを認めれば努力をする必要もありませんし、自分の失敗をただちに正当化してくれるからです。(中略)(おもしろい事実:SATの成績と最も相関の高い変数はSATのために費やした勉強時間です。)
http://d.hatena.ne.jp/tictac/20120110/p1
ダニング・クルーガー効果と平均以下効果のどちらかが現れるかの境目とも関係するんじゃないかな?とちょっと思ったので、ここで紹介しました)
ちょっと仕事に待ち時間が出来て、昔のことをぼんやり思い出したので書いておく。
バイト先の別高校の男の子と付き合ってたAちゃん(唯一のモテ?彼氏持ち)
NちゃんとAちゃんが特に仲良しで、二人とも勉強も運動もそこそこ
私とF子は勉強も運動もサッパリだったけど、オタク気質で話が合った。
私は部活の仲間ともよくツルんでた。でも一番長い時間を一緒に過ごしたのは同じクラスのこのグループ。
でも周りから浮かないように適度にギャルギャルしく、ラルフのカーディガンと、
まだ大人しかったルーズソックス(ようやく90cmとかが出てきた頃だった)を履いて
スカートは校則では膝丈だったけど、3回折り曲げて短くしてた。
化粧はしないけど、身だしなみはそこそこ整えて。
就職組のF子と、進学組のその他3人。
頭が一番良かったAちゃんは、絶対に大学に行くんだろうなって思ってた。
ケンカの愚痴とか聞きつつも、離れたりくっついたりしてる当時の彼氏と結婚するんだろうなって思ってた。
Nちゃんが、他県の大学に推薦で受かって、私は地元の大学に進学することが決まって
F子は無事に就職が決まって、Aちゃんは…一番頭が良かったはずのAちゃんは
専門学校に進学した。
大学に入学したら、みんなバラバラの人間関係になってしまって、
特に連絡を取り合う事もしなかった。
1回だけ成人式のあとに同窓会があったけど、その時私は部活のメンバーとばっかり話してて
F子ともNちゃんともAちゃんとも会わなかった。
バッタリAちゃんと会った。
「あー!」
って声をあげて、懐かしいね!って。
「結婚したんだね!」
なんて話をした。
Aちゃんの旦那さんは、坊主頭でイカツイ感じで、明らかに高校のときの男の子とは別人だった。
「職場結婚だよー」
Aちゃんは言ってた。
AちゃんからNちゃんは他県に住み着いてて、連絡取ってなくて
F子も今何してるかわかんないやーって話を聞いた。
(私はコウモリみたいにAちゃんとNちゃんからのお互いの愚痴を聞いてて
心の底ではお互いがお互いを見下してて、仲悪いっていうのを知ってたから
卒業後、連絡とらなくなるだろうなーっていうのは予想してた)
その場でAちゃんとは別れた。
連絡先の交換もせずに。
私達の友情なんてそんなもの。
その後、ふと思い出した。
Aちゃん、高校のとき、いっつも左の鼻の穴からハナクソと鼻毛出てたなーって。
指摘したら絶対怒って(Aちゃんは若干ヒステリーで怖い)無視されるから
1回も指摘できなかった。
F子と「今日も出てるね…」「言ってあげたほうがいいよね…」「怖いよね」「私達、何も見なかったよね…」みたいな。
もしかしてモテる秘訣は頭良くても鼻毛出してるあたしおっちょこちょいテヘペロ★みたいなキャラ?!
Aちゃんは鼻くそと鼻毛出てても彼氏が居て、結婚も出来たのに、私ってば…!
人生ってままならない。
結婚の予定も相手もいないけど
私も強く生きてこ!
大学はまあそれなりに楽しかったけど4年にあがるのを目前に辞めた。
半年ほどニートをした後に「働かねば」というマストに駆られ就職活動を開始。
~面接~
僕「資格とりたいので御社の求人(バイト)で働きつつ勉強を 」
社長「バカヤローそんなの儲かるわけねーだろやめとけ!この前(その資格の人)から営業の電話かかってきたわ!営業するってことは儲からねーんだ!俺が稼ぐ方法教えてやる!」
僕「はあ(変な人だ)」
4時間を超える面接が終わった後、うなぎを食べに連れていってもらった。
良い人だと思った。
~面接おわり~
1週間後、内定通知をもらった。
クロネコビジネスレターの中に内定通知書とチョコレートが入っていた。
変な社長だと思った。
当時は創業3期目で社員も何か癖のある人が3人いただけだった。
雑居ビルの一室で下は弁護士、上は極道が事務所を構えるカオスな職場だった。
最初の1か月はバイトで週4日働くことになったのだが気づいたら正社員になっていた(してもらっていた)
その後は色んな人が入ったり辞めたりを繰り返しながらも
業績は毎年右肩あがりでいつの間にか僕は社歴だけみると古い人間になっていた。
8年かけて5人、7人、10人と増え15人~20人をいったりきたりした。
いつの間にか管理職を任されながら組織を大きく出来ない自分に苛立った。
今風に言えばブラック会社(社長)の気質を持っていたかもしれないけど、
残業していると下のコンビニで肉まんやオロナミンシーを買ってきてくれたり。
疲れていると社費でマッサージに行かせてくれたり。
仕事でいろいろあって会社を休んでいると、自宅までお見舞いにきてくれたり。
いつでもタクシーに乗せてくれたり。
うちの犬が死んだ時はお前にとってプライオリティー高いんだろ!と言って帰らせてくれたり。
人の事でいつも悩んで、打ち手はあんまりうまくない様子だったけどものすごく情にあつくて。
お前が一人で生きていける力をつけたいといってくれた社長。
途中、迷うことは何度もあったけど今はっきりとわかります。
僕は社長に恩返しがしたくて働いてる。働いてた。
それだけでした。
社長はお金もあるのに使わないで貯めてて僕らスタッフの商機を待ってくれてた。
だからちょっと前までお財布はアディダスかなんかのビリビリなるやつだったし。
時計はやっすいのだったし。
ゆっくりと時間が流れてそれなりに組織となった頃、問題が起こった。
それは僕を原因として起こった。
こんなはずじゃない。こんなはずじゃなかった。
時すでに遅しだが僕は「いつか起業をして社長になりたい!」と言っていたけど、
いまはちょっと違って番頭としてこの会社、社長の手助けがしたいと改めて気付いた。
7年を通して初めて退職願を書いた。
その結果は時の流れに任されるだろうけど、近いうちに答えが出る。
大好きなこの場所だけど、
さみしい。
あのさあ、別にそういう学生は意味ないよな、って言うことくらい許されないの?
それに噛み付くのはいいんだけどさ、そうやって矛盾ばかり、どんどん噛み付くとこ変えて、
なんとかいい頃してやろうっていう姿勢、まあ、それ自体が益田っぽいんだけども。
でも、やるならもうちょい頭良くやってくれない?最初からどんどんどんどん攻めるとこ変えてさ。
一番頭悪いやり方ね、それ。
もう一度言うね、そういう学生が修士に居ることは無意味。それは誰もが分かってる。
でも、入試前にそういう学生をきっちり区別することは不可能。本人すら入る前はまじめにずっとやっていきたい、と本気で思ってる人も多くいる。
で、入ってから、研究室として、そういう人間をないがしろにしたりはしない。しっかりと指導しようとする。
でも、就職活動などで全然研究室に来なかったらどうしようもない。
それで、2年の後半辺り就活終わってからいきなりやってきて修論書かせろという。取り敢えず、適当にできる事を考えだしてでっち上げて出させる。
これはやってる。愚痴ってようが何してようが、そこはきっちりやってる。本人たちに文句いうこともない。
それが今の大学でやってることだと思うけども。
で、それで何がいけないかね?その様な意味のない修士の学生が増えてきてるのは事実だし、
それ以上に意味のない学士が増えてるのも事実で、その辺なんとかしたほうが良い、と言うのはそれなりに状況知ってる人なら一致する意見でしょう?
違う?貴方は何がしたいの?
無能だとかなんだとか、別に、何もしないで文句だけ言ってマースなんて言ってないし、単なる一般的な意見として言っただけのつもりだけど。
しかも、どんどん説明してくと、皆、それには反論できないから、最終的にこちら一人が無能お前が要らない、とかいう個人攻撃に変更。
議論できなくなると個人への人格攻撃に変わる。
最低で一番愚かな行為だよね。しかも、この場合、この増田自体が実際どの程度なにしてるかすらも知らないのに。
まあ、逆に言うと、だからこそそれ反論できないんだろう?になるんだよね。便利だよね。
別にいいけどさ、だから、どうしたいの?この増田が大学辞めようが辞めなかろうがそれは別に世の中に大した影響ないと思うけど、
あんたの怒りの先は何なん?ただただ個人を攻撃したいだけ?
修士の学生で意味がないのがいるどうこうはまったくもってどうでもいいわけね?
ただただ、益田で自分の考えを言いたいでもなんでもなく、ただただ、攻撃しやすい人間をみつけて攻撃して、
うかつに噛み付いたらおもいっきり反論されて、仕方なく隅を隅をついていったら、どんどん逃げきれなくなって、
最終的に知りもしない相手の人格攻撃に切り替えて。
楽しかった?
http://anond.hatelabo.jp/20130903002317
この人、自分と同じ高校の出身だろうか。少なくとも高校に関して書いてあることは全部一致しているので、似たような環境で育ったことは間違いない。高校時代は学年最下位クラスの落ちこぼれだったが、東大・京大クラスの大学には入れた。大学でやった予備校のバイトで、「MARCHは夢」という世界を目の当たりにして驚いたところまで一致している。
昔、高卒で派遣社員の彼女と付き合った。お互いにグルメ好きだったので意気投合し、バラエティ番組とか、お笑い芸人とか、密度の濃い友人関係とか、今まで全く知らなかった世界に驚き、毎日のできごとの一つ一つが新鮮だった。が、まじめに結婚を考える段になると、子供の教育とか、未来像が全く描けなかった。
結局、その彼女と別れて、同じような学歴の今の妻と結婚した。それまで彼女とは学歴のことなど問題になったことがなかったけれど、あらためてそのことを指摘されて複雑な気持ちになった。それでも、子供の教育方針では良くぶつかる。今から考えても、高卒の彼女と結婚することは考えなくて良かったと思う。
上のリンク先の記事を書いた人との、考え方の違いの最大の原因は、学歴に対する見方の違いだと思う。おそらく、自分の能力に本当に自信がある人間は、学歴をあってもなくても良いものだと思っている。未来には無限の可能性があると信じていた大学時代の自分もそう思っていた。
ただ、実際働いてみると、学歴がないと、高度な仕事を与えられる機会が激減するということがわかった。学歴があるから、仕事の機会が与えられ、成長することで、次の仕事の機会が与えられる。大学卒業/大学院修了直後から、このサイクルを高回転させられる人と、下積みから初めて、ふるいにかけられ、それで初めて高度な仕事が与えられる人とでは、10年後20年後のキャリアの違いは歴然としている。卓越したコミュニケーション力+技術力 or 体力でもあれば別だが、そうではない自分のような一般人は資格とか学歴に頼るしかない。特に自分の業界では取得困難な資格はなく、プロジェクトの効率が、「一番頭の悪いメンバー」に依存することから、採用側から見ても、学歴は非常に重要だ。
MARCHも難しいと考えている子供の前で、「東大なんか入って当たり前」と言い放って、子供を追い込んでしまうような親にはなりたくないけれど、自分と似て、ちょっぴりコミュニケーションが苦手であろう子供には、それを克服して、グローバル社会を楽しむ方法を見つけてほしいと思っている。新興国の労働者と競争しつつ、上司に媚びず、客に媚びず、体を壊すこともなく、自分の成長を感じつつ、楽しく仕事をするための、有力な方法が、学歴だし、少なくとも自分はそうだったわけだから、結婚相手の学歴は無視できない。大学生の自分には、こんなことは理解できなかっと思うけれど、今はそう思っている。
そういえば、小学生の頃の自分は、なぜか、貧しい女の子が王子様と結婚するというストーリーの小説を良く読んでいた。そして、「王子様になって、貧しくてかわいい女の子と結婚するんだ」というよく分からん夢を描いていた。増田で言われている「高学歴の世界」を王子様にたとえるのは趣味が良くないが、少なくとも、「自分と違う社会階層の女性と結婚しない」という、物語の王子様と正反対の選択をしたことには変わりないだろう。
友達と話していても、似たような話は良く出るから、多くの似たような環境で育った人間が、同じような判断をすると思う。もちろん、そういう話はごく限られた友人でしか話さないから、表には出てこないけれど、実際にはそんな風に考えている。だから、自分から高学歴の彼と別れた元増田の判断は正しかったのではないかと思う。少なくとも本人が傷つきたくないという気持ちをかなえるためには・・・。
社会の問題と個人の問題は違う。
この問題について言えば、多くの社会調査が示す通り、学歴は再生産され、社会の階層は固定化されている。そしてこのことは、長期的な社会の安定の維持のために大きな問題であり、これを回避するためには、奨学金の充実が必要という意見があるかもしれない。しかし、学歴の再生産が問題だから、異なる学歴の人との交際を継続しないといけないとか、した方が良いということにはならないだろう。
ちょっとちょっと。そこの通りすがりのお兄さん、お姉さん、おじさん、おばさん、学生さん、あたしのつまんない愚痴でもお暇なら付き合ってくれないかね。ちょっと特定を避けるために事実を少しぼかすけど、言いたいことは変わんないよ。
私、短大卒で契約社員や派遣やったりして、今は某販売員で31歳。漫画やアニメが好きで、ちょいとBでLな同人誌も買ったりする程度のオタクです。150センチのFカップ。顔は剛力彩芽を横に太くした感じで、ちょいと目が細め。おっぱいの大きさだけが自慢です。
そんな三十路オーバーのBBAの私に彼氏ができました。付き合うきっかけは、某漫画が好きという共通項があって、twitterで絡むようになり、住んでいるところもわりと近いってことで、何人かでオフ会しよっかー、って流れ。オフ会の時は他に何人もいたんだけど、彼ともちょいちょい話したら、彼のリアル友人の中に私の知り合いの知り合いくらいの人がいて、その人も含めて飲もうかー、って感じで仲良くなって、その後は2人で飲みに行ったりしているうちにセックスして付き合うようになったのね。
彼氏のスペックは、地元で一番頭の良い高校を卒業して、某旧帝国大学入学、大学院まで行って、卒業後は誰もが知ってる某一流企業の研究職。年収は20代後半で650万。顔もちょいと濃い目だけど、好みのタイプ。セックスの回数は少ないけど相性が悪いわけではない。話も、最初に会った時から気が合うなーって思ってた。対する私のスペックから考えると超優良物件でお嫁さん切符ゲットでこのまま結婚まっしぐらだと思うでしょ?
でもね、付き合ってから2ヶ月ちょっとで、私の気持ちが離れてきた。
理由は、彼の頭が良すぎること。
彼、漫画やアニメが好きだって言ってたけど、それ以外にもすごくいろんな本読んで勉強しているの。私が名前しか知らないような有名な作家(三島由紀夫や太宰治、夏目漱石など)も読んでて。私も、銀河鉄道の夜とか京極夏彦とか読んだことはあるけど、彼の読書歴には自分の想像を超えてた。それ以外に、高校の世界史で勉強したようなジャン・ジャック・ルソーとか、ジョン・スチュアート・ミルだとかも読んでた。家に遊びに行った時に本棚に置いてあって、線引いたりしていたから、「なんでこんなの読んだの?」って聞いたら「大学一年生の時に教わった教授から勧められたら面白かったから他のも読んだ」って。自分と世界が違う人だなーって思ってしまった。
あとね、彼氏の友達も頭良かった。一回、彼氏の友達(某大学の講師だって!)と三人でカフェで話したことあったんだけど、彼氏が友人の専門的な話を聞いたりしながら時々質問して、「へぇそうなんだ。それはわからなかった、教えてくれてありがとう。」とか言ったりして知的で洗練された態度なのはわかったんだけど、あたしには最初から何の話なのかついていけず、ただ愛想をふりまくだけだった。
それに、短大とはいえ、英文科卒の私よりも英語ができて、ペラペラ。「大学生の時に二ヶ月オーストラリアに語学研修に行ったんだー」って言ってたけど、それでも別に自慢したりするわけでもなく、ごく普通に自分ができることを示していた。なにこれ旧帝大の人ってこれくらいのスペックが普通なの?
なーんか、彼氏の優秀なところを見ていると(見せつけられていると)、萎えた。この理由はどこにあるんだろ。彼氏に非の打ち所はない。でも萎えた。彼氏は全く悪くないんだけど、私が引いた。なので、私から別れました。多分、彼には、私なんかよりもっと良い人がいると思う。彼は、私にはハイスペック過ぎた。はいBBAが一人でビール飲んで愚痴吐いてます。長文にお付き合いいただきありがとう。良い9月を過ごせよ。
その子の両親は世間的に「先生」と呼ばれるタイプの職業に就いており、
生活レベルはおそらく田舎にしてはいい方だったかと思うけど、それらを鼻にかけること、
事あるごとに自分age他人sageしてきたり、とにかく「お高くとまっている」という表現がぴったりの奴。
自分のセンスを疑いもしない所も嫌だったし、そのくせ私が買った漫画雑誌の付録を盗みやがったから嫌いだ。
あとは共通の友達を取り合うよう状況になった際、友達を物で釣るような真似をした所も嫌だったし、
書道でも体育でも学芸会の練習ですらスカートで来るのも鼻についた。
そんな腐れ縁は義務教育終了まで続いたが、奴は自分で言うほどには、外見も内面も追いついてはいなかった。
「歳をとってババアになりたくないから、50歳くらいになったら自殺したい」
などと学校の帰り道に嘯いていたムカツク姿を思い出す。お前は織田信長か。やっぱり嫌いだ。
けどお前、その50の半分にも満たないうちに予定を前倒ししてんじゃねーよ。
あとは名前は知らないけど首都圏郊外とかの私大に行ってたわけじゃん。浪人だか留年までしてさ。
そういえば成人式から1、2年後にあった同窓会に珍しく奴も来ていたけど、
奴の着ていた服は、小学校6年生頃に着ていた服と同じもののようだった。
うまく言えないけど、その服がこの女と自分が会うことのなかった数年間での、この女の人生経験すべてを
表しているかのようで。内心愕然とした。
お前の孤独を慰める気はさらさらないし、ムカツク奴だったから風の噂で近況でもきけば鼻で嗤う位はしたと思う。
人により情報のメイン摂取手段が紙の上の活字であるか液晶の上のフォントであるかそれとも動画(地デジやらつべやらTEDやら)であるかの違いにすぎないよ。
本よまないけど新聞読む人も昔は多かったし、それで十分だった。
自分はたくさん読んできたけれど現在の生活ではもうあまり読まないし、人にも強制しない。
語彙は通じてこそだ。自分は場合により一般的なものを選ぶのに時間が余計にかかる。候補がいっぱいありすぎて耳で聞いた言葉の変換に時間がかかるだけちょっと不利。
子供には速読とキーボードは身に付けてほしいから本は読めというけれど、コンテンツは選定しないで自由に選ばせている(結果恋愛冒険が多い)。
速読へのモチベーションという以上の意味を持たないから強制しない。
温故知新もいいけれど、それを独り占めして人をけなすのにつかっちゃいけない。
いい本はアウトプットして人にすすめてあげるのが自分の価値をたかめる上でいいとおもうよ。
んじゃーね。
======
ちぇ、みっともないけどきたよ。
なんかレスついて嬉しいんだけど、わがやの速読ってのはテクニックじゃなくて慣れ。それによる情報の取捨選択速度。
遅いてのは「適度にストーリーおっかけることができる」程度の処理時間がその人にはちょっと余計に必要なのだ。
実例を挙げよう。
同居家族が2人いるが、自分と子はマンガ喫茶で一時間に4冊以上、3時間で最高15冊のマンガを読む(平均)
もうひとり、情報摂取が動画の人はマンガ喫茶で一時間に2冊がせいぜい。こいつはアニメは週に20本ほど録画して全部1.5倍速でみる(たまに聞き取れなくても)。
のこりの二人は心情描写が見たいがために気に入ったアニメのラノベかってきて2時間で1冊くらい黙読。
さてだれが一番頭が良いと思う?というのはおいておくとして
ひとりの男が、大通りを歩いていた。
いや、「歩いていた」というのは正確ではない。
男には手も足もないからだ。
その男は、意のままに動く車で移動していた。
やがて、男はある店の前に止まった。
なんということのない、小さな店だ。
途端に店の中から、主を始め番頭丁稚にいたる全ての者が転がるように飛び出してきた。
「堪忍してくだせぇ!どうか堪忍してくだせぇ!どうか!どうかこのとおり!」
店の者は皆、揃って頭を地面にこすりつけ、慈悲を請う。
その様を、身を隠しつつも凝視しているのは、周囲の店の者達だ。
「あぁ、あの店も終ぇだ…」
「気の毒に…何も悪いことせず、これまでやってきたのに…」
「でも、仕方ねぇ」
「「「おったけさまに目をつけられちまったんじゃ、仕方ねぇ」」」
店の主は、夜も昼もなく身を粉にして働いてきた。
自らが早くに二親を無くし苦労したため、同じような境遇の者を努めて雇うようにしていた。
ただただ愚直なまでに、真っ当に商いを営んできた。
「おったけさま」の気分を害した。
それだけだ。
それだけで、この店は潰れるのだ。
間を置かず、「おったけさま」の使役する式神が、この店を取り囲むだろう。
千か。
万か。
否、それをも超える数で。
口々に罵声を浴びせ、虚実綯交ぜに店の悪評を、主の落ち度を、周囲に喧伝する。
もはや、店を救う手立ては何もない。
「おったけさま」は、また通りをゆく。
次の店を探して。
http://anond.hatelabo.jp/20130315113616
「短所はあらかじめわかってもらわないと不誠実だと思って」。
最初に会ったときに、人生まるごと理解されることを望まれてもなあ。通常状態ではどうなのかってことが、初対面のとき一番知りたいことだよねえ。それにわざわざ言われなくても、表に出てくるようなわかりやすい欠点なら、1時間くらいで出てくるからわかるって。わざわざアピールとかいらないし。女の子は自分の頭で考えないから、俺が教えてあげなくちゃとでも思ってるんじゃないの? そういう格下に見られる態度ってのが一番頭に来るなあ。女としちゃ。
最初に知りたいことは「あなたと一緒にいると、どんな楽しいことがあるの?」だよねえ。趣味が合うかどうかとか、話のテンポが合うかどうかとか、無口でいても窮屈に感じないかどうかとか。ネガティブな話ばかりされると(この人と付き合ったら、ずーっと、こんなくらーい話ばっかり聞かされるんだ)と思って、また会おうとは思わないよねえ。フツー。そういうの好きな子もいるけどさあ。たいがい「お母さんタイプ」で男つかまえて赤ちゃん扱いしたい人だよねえ。
で、甘えタイプの男と、甘やかしタイプの女がくっつくと、男に依存症が起こって、甘やかすほうが共依存起こして、2人でどんどん落ちていくんだよねえ。ドラマで見る分には面白いけど、友だちでいたくないねー。こっちまで景気悪いことになりそうだ。
だから、元増田が心配するほど「モテない」って事態には陥らないと思うよ。モテても好きになってくるタイプはいつも同じで、いつまで経っても成長しない、そのお友だちに嫌気がさしたり、女の子が成長して(この男ダメじゃん)と気がついて逃げ出したりされるだろうけど。いつか、長続きする彼女も出来るんじゃないの。そして、だんだん、生活レベルが落ちていって、元増田とは関係ない人間になっていくさ。
元増田こそ、その友人とは手を切ったほうがいいんじゃね?