はてなキーワード: 新生活とは
高校三年の夏 色々あって父親が解雇された。母からは弟か私のどちらかしか大学に行かせてやれないと言われた。
弟はスポーツ推薦で高校に入学。勉強二の次でスカウトや入学スポーツテストで大学へ入る予定だった。私は全日から通信高校へ転入。それでも大学へ行くために実費で塾へ通っていた。
どうせ弟は国立になんか入れない。
悩まなかったかと言えば真っ赤な嘘になる。けれど、極力悩んでいないフリをして、母を支えるために、弟を大学へ行かせるように言った。当時は就職なんて考えていなくて、「大学が無理なら専門学校でもいいや」とさえ思っていた。しかし、父がもたらしたのは専門学校へ通うことも出来ない経済状況だった。
担任へ就職に変更することを届け出たのが秋。事情は全て伝えた、はずなのに。東京本校にある校内求人を求めても送って寄越してはくれなかった。地方の協力校へ通っていたのだが、「なぜ東京で働きたいのか」と責められた。親が納得してくれているのになぜ第三者から止められなければならないんだろう。
なんとか説得して希望したビューティーアドバイザー職の会社見学に行けたのが冬の始め。華やかな店内。明らかに高級店。福利厚生も充実していて、絶対にここで働きたい、と思った。
面接が冬の終わり。他に面接に出向くほどのお金はなかったので、この会社一本で勝負していた。完璧な志望理由を書いた。こんなにも熱くビューティアドバイザーになりたいと願う学生をあなたは落とすのか?と思わせるほどの熱量で書いた。簡単な自己分析テストのようなものを終えた後、面接官からこのような事を言われる。
「当店はエステ業務を主に行っております。志望理由にはビューティアドバイザーについての記述が多いようですが…。」
ちょっと待ってくれよ。HPにも求人にもビューティアドバイザーの文字があった。なんならエステ業務なんて一言も書いてなかった。どういうことだよ。
その後も挽回出来ることなく、面接を終えた。ビューティアドバイザーの仕事ならせめて綺麗にして行こう、と睫毛をビューラーでカールさせて行ったら「当社ではマツエクは禁止です」と言われた。ちげーよバカ。
担任から当然の如く縁がなかった、と連絡が来た。この時期に内定落ちする生徒にはもう仕事を紹介出来ない、とも。周りは大学や専門学校への進学が決定していて、なんなら進路が決まっていないのは私だけだった。好き好んでこの時期まで就活を引っ張ったわけじゃない。自力で就活をしようとしたら、担任から学校を通せと言われた。矛盾している。そしてそのまま、卒業の日を迎えてしまった。
4月。同級生達が新生活のスタートを切る中、私は未だ地元にいた。申し訳ない気持ちは当然ありながらも3月中に母へ「先に物件を探しておきたい」と言うと、「仕事も決まってない人には住まわせられない」と言われた。「早く仕事を探して。あなたが就職にするって言ったんでしょ?」とも。母が言うことは至極当然だが、そんな仕打ちはないのでは?と思ってしまった。いつ私が就職を希望したのか。
私は今、イオンでレジを打っている。将来の夢は天文学者や言語学者だった。それがダメならビューティアドバイザーや料理人だった。叶えたい夢はたくさんあった。本当に、抱えきれないほど。
父は私へ謝りもしなかった。
1日経過し少し気分が落ち着いたので書いてみる。あと寂しいような重荷が減ったような、まあ正直言うと完全に落ち着いていないかな?ほぼ勢いで書いている文章で申し訳ない。
ソシャゲをする人にちょくちょく会うので話題を作る為に何度か手を伸ばしていた。だが大抵は3日で飽きてしまい最長でも1ヶ月が限界であり、ゲーム内容の大雑把な知識を仕入れただけでスマホからゲームを削除するの繰り返しであった。
4年前だろうか?とある調べ物の帰りであり喫茶店で一息ついている時であった。途中から加わった友人の1人が何やらスマホでゲームをはじめ楽しそうに盛り上がっていた。
「あのソシャゲか?」ネットでは否定的な記事も出ていたのと、自分は他にやる事があったのでその話題に飛びつかず横からチラ見して終わりであった。
だが「春だから新しい事でもやってみようかな?」と思いあのソシャゲをスマホに入れる事にしたのが始まりであった。
あのソシャゲはリリースから1ヶ月目あたりだったらしい。それから毎日自分はログインしており通算ログイン日数がかなりの数になってしまった。
正月は新年イベントに参加しエイプリルフールでは運営の斜め上の発想に笑い1周年記念…2周年…3周年と長く続くゲームに感謝しその辺りから気持ちとして少ないが課金もした。夏は夏で夏休みの旅行で外出先でも協力戦に参加し秋には山に入りながらもプレイし冬はコミケに逝きながらも地獄からほっこりともしもの私を楽しんでいた。
1章の区切りのエンディングテーマは神曲ともいっていいだろうか?音楽CDも購入したまに1人で歌ったりしていた。鼻歌で戦闘シーンの音楽も歌ったりとかなり痛い事をした。iPodに入れてガンガン聞いている。
キャラのセリフも気に入っており「この子またこんな事いっているよ!」とテンプレ会話に突っ込んだり、毎月頭に始まる漫才調の会話も楽しみでありゲームの操作性と世界観も十分にあっていた。だが終わりもあっけなかった。
2章の区切りのエンディング曲は物足りなさも感じていた。あとアニメ化したが話題にならずアニメ系のまとめブログから相手にされず、増田でもソシャゲ名を伏せて嘆く声が聞こえたが「艦これかな?」「バハムート?」とかこっちでも全く相手にされず【悪口を言われるよりも酷い状態】を目の当たりにする始末となった。(こっちも同様にソシャゲ名を伏せて書きます)
前々からちょっとした不満もあった。「武器を装備する枠が増えない」というのが一番の不満だろうか。1人のキャラに装備できる武器の枠が当時では足りていたが年数が経つうちに足りなくなり「いつ増えるか?」とアプデが終わる度に期待を込めたが状況は改善せず。
あとボス敵も使い回しが多く最初はワクワクしながらイベントに参加したものの、最近は2年連続で色変えすらない無い同じ敵が出たのもちょっと残念であった。まあ味方キャラの新演出もいいが個性的な敵もわりと気に入っているのでもう少し、なんて言うか…
あと羊年は羊系のモンスターが現れ次は猿系など1月のボス戦は干支にちなんだモンスターが出たのだが今年は完全に干支は出てなかったのが残念だった。ちょと期待してたのに残念。
あと戦闘方法も同じままであり、多少は改善されたが4年も同じ事ではやっぱり飽きたというか負担が溜まったのだろうと思う。
確かに複雑な操作方法ではプレイする側も大変だし運営もリソースが限られているが、贅沢言ってすまんがもう少し楽しませて欲しい。
エイプリルフールのネタて作る方はかなり苦労すると聞いたが今年と昨年のネタは物足りなかった。多分1年目と2年目のネタが強烈すぎて目が肥えたのだろうすまない贅沢になってしまって。
まあ色々あったが辛い時をあのソシャゲと一緒に乗り越えた事もあり、課金した事もあるのでせめてサービス終了まで付き合いたいと思っていたが、残念ながら自分が折れてしまった。
イベントの報酬が取れなかった事にある。この程度のミスは何回もあったが最近プレイするのがしんどくなってきた。いわゆる【やらされている感】が強くなったのだろうか?
ミスして無駄にアイテム消費しても「ロストの数だげ強くなれるさ!」と何度か笑ってられたが今回は違っていた。
「潮時かな?」新生活に突入しまた他の趣味もできてきた。創作関連でありそろそろこっちは1年ぐらいになり、波には乗ってないが色々内容を考えるのも楽しい。ソシャゲの経験も創作に役立ったりとスマホゲームは自分の中で役目を終えたのだろうか?まだ混乱しているのか色々長々と失礼した。
一番残念な所は自分の走る回数の予測がミスったのにゲームのせいにした所だろうか?我慢して続けずにゲームを辞めるという選択をとった自分に幼稚さを感じた。ごめん近日に大型アップデートがあるが、そこまでまで付き合えなかった。
以上、自分がプレイする最後のソシャゲになるだろう。だがオンラインバックアップはとってあるので今回は葬式ではなくて悪友を見送る送別会的なノリで少し良い物を食べながら「また会えるさ」的な明るく締めたい、また何処かで会えればと思った。
《不足分の追記》
1アニメ化
アニメ化の辺りの説明が悪かった。アニメは2017年であり「何月?」と聞かれても、もうあのアニメは次元の果てまで 飛んでっ…という気分なのであまり話したくない。
2武器
ゲーム内の固有名称を避けて書いている。混乱させて申し訳ない。これが昔から変わらず2枠であり明らかに足りない。10連ガチャとかで得られるメチャクチャに高い武器などが(ランキング報酬もあるが)そろそろ3種類目を迎え課金武器すらも余る。(例 キャラAさんの場合・超級に高い武器X2・弩級に高い武器X1・あと無料武器沢山…枠不足で全部装備出来ない)あと他の子の武器を装備させると本来の力を発揮出来ないのでダメ。
またまた文書がぐたぐたである。メモを取ってないせいもありまた書き漏れがあったらすまん。力《チカラ》が足りない。今後はよくメモを取りメモカを付けたと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20180416085302
このページを見たのですが、私は春に一人暮らしの新生活を迎えたばかりです。女子としてお風呂は欠かせないので困っています。
技術者の皆さん、そうでない優しい方、不動産に詳しい方、教えてください。
一般に大家は都市ガスが通っている地域でも、わざわざ高いプロパンガスを賃貸物件につけているようです。そうするとガス業者が各種設備を大家にプレゼントしてくれるようです。
富裕層が搾取することで貧窮を作っている面があると社会学で教わりました。益々公正化の流れを乗り切れるであろう団塊世代の資産家への憎悪が増してきたと教授は語ります。
私の物件の大家は父です。父は資産家で皆から搾取して、私はいい暮らしができました。でも皆が私のようにいい暮らしをすることは日本の新自由主義という構造上できません。
人の能力値や継承する資産が均一でないのに、平等に競争しているなどと述べる経済学者がいますよね。
私たちは、今回のプロパンガス問題に代表される、公開市場主義に基づく自由競争を阻害する要因をまだ多く残している中で、自由競争している気になっているそうです。
こういった不正をシステム的に排除する流れが、現金廃止の欧米の流れだそうです。しかし日本は世界的に保守的な国なので、国に任せられません。
何を作ったらいいか思いつかない、作りたいものがない技術者さんに作ってもらいたいものがあります。
インターネット上の登録制の仮想国家サービス(参加者全員が社員のLLC)を作ってください。通貨は仮想通貨です。
登録者は身分や国籍、性別、年齢に関わらず登録情報の演算によりシステム的に平等に扱われます。給与としてベーシックインカムがあります。財源はソーシャルレンディングやスタートアップ支援、マイニング、所得、資産に応じたプレミアムアカウント料金、金融、Web業界の新技術を導入します。戸籍はFacebookや各種SNSと提携します。
自然界では弱いものはグループになることで強者に脅威を与えることができます。皮肉にもこの資本主義のルールを活用して、日本の中に新しいインナー国家を作るという案です。エストニアはもう始めています。
ここの現場製造ラインの人間はほとんど高卒。いまでも高卒がメイン。
高校を出たら、就職祝いに車を買ってもらって(値段は格安中古、親のお下がり(親が新車を買う)、新車を買ってもらうさまざま)車で自宅から通勤。基本朝8時から夕方5時まで。
結婚すると、親の土地の一部に家を建ててもらう(自分で買う場合もある)もしくは2世帯3世帯住宅へ建て替えとか。
兼業農家なので、親が高齢になるにつれてじわじわ農作業の手伝いが増える。
だいたいこのパターン。
追記
年収は400万切ると思うけど、昔みたいに5人兄弟とか少ないので、親パワー土地バワーがあるため、実入りは少なくても出費が少ないため暮らしぶりはそんなに悪くない。ボーナスが多ければけっこういい年もある。大きい工場だと組合がある程度あるんで、あんまりひどくない。工場づとめで自転車通勤だったときは、社員食堂で昼夕食べられて天引きだったし、寄り道する商店や飲食店すらなかったら平日は財布すらもっていなかった。あの低コストライフは東京都内だと味わえない。派遣だと給料より、家賃とか食費の初諸経費が多くてツライ。
追記2
友人二人と自分の間に壁を感じまくってる。
そのオタクの友人二人は絵の人で、わたしだけ文。めちゃくちゃ疎外感。細かく何があったの話はもう面倒なので割愛。ほんとに文のジャンルは陽が当たらない。
書いても書いても反応は微々たるものだし、かっこいいイラストや可愛いイラスト、面白いマンガでバズってるツイートはよく見かけるけど2次創作小説でバズったツイートなんかそうそう見かけないでしょ?ほら。もうやめたくなる。
最近はやっと書きたいと思ったものができて、それを完結させるまでは…と思ってまだツイッターのアカウントも消さずにいるけれど。もし書き終えたら本当に消そうと思ってる。だって書いても書いても陽に当たれないんだよ…人に褒めてほしいから創作するのは間違いだけど、書いたものに反応来なくて悲しいのはそれとは違うでしょ。悲しい。泣きたい。
新生活に不安がありまくりで今日の日記はそれにしようと思ったけど、こんな悲しくなったのは久々だったからまたグダグダ創作の愚痴になった。
反応のために書いてるわけじゃないけど、あんまりにも絵との格差がひどい。いくら絵の人が「絵のエロは規制が厳しくなってるけど文はないから、読み終えた後の満足感が違う」みたいなこと言っても読まない人は読まないんだよ…。そんで読んでみようと思っても、大体の人はブクマ数とかで見るからほんっと陽が当たらないんだ…。じゃあブクマされるように良い文を書けって言われそうだけど、いくら良い文でもブクマつかなきゃ新規の人には読んでもらえないんだよ。それで埋もれてる名作を何度も見てきた。
カプ名で検索して(18以上の方なら特にここで「18禁か否か」がプラスされる場合が多い)、とりあえず「ブクマ数が多いやつ」のキャプション覗いて良さそうと思ったら見る、だと思う。満遍なく見てるよって人もいるだろうけど。
全員が全員満遍なく見てるならなんで全年齢であげたやつにはそんな閲覧もブクマも付かなくて、今まで見向きもされなかったユーザーなのになんで18禁であげた途端閲覧が付くんだ。
母方の婆ちゃんが自殺した。まあ長生き願望がある人ではなかったから、病気で自由がなくなるって時点で死にたくなったんだと思う。気持ち、よく分かる。
なんというか、メンヘラ気質な家なんだよね。爺ちゃんも昔、手首切ってたらしい。おばさんは引きこもりを乗り越えて子育て、うちの母は動いてないと死んじゃう人で、多分スケジュール詰め込みまくる病気。なんか心理学者がテレビで言ってた。私も私で、軽い自傷癖がある(かさぶたほじるとかその程度)。従兄弟のことは分からないけど、学校に通えなくはなってた。
増田を含めてインターネットがあってよかったな、と思うのは乗り越えた人もそうでない人も、自分の経験を吐き出してくれているところ。無かったら、どうなんだろう、他にいろいろ見つけてたかもしれない。でも、ああ私は人に迷惑をかけるな、って思えたから良かったと思う。とりあえず、1人で生きる準備が終わった。
風の強い日曜日、母が、恐らく死んでいるであろう年齢までの、私のライフプランを考えて、これで生きていけると思った。春の憂鬱に引きづられてるのは私自身かもしれないけど、いつかこの通りにできたら、私の人生は上出来だな。メンヘラは終わらせるからね。
新生活が怖い。
やっとやりたい仕事の切符をつかんだので、今年いっぱいバタバタ臨時をしていた職場から離れ、春からはとうとう正規の職員として働くことになるのだが、とにかく怖い。
きっとやってみたら案外なんとかなるかもしれない、と考えてはみるのだが、やっぱり怖い。
私の仕事は1人職なので、おそらく対応すべき人数が増えるとダイレクトに負担が増すのだが、他の新規採用職員の職場と比べて、やや人数が多めのところに配属されてしまったというのが効いている。
春からどうなるのだろう。
一人暮らしもするし、本当に大丈夫なのか、不安で不安で仕方ない。友達も全然いないし、同僚と仲良くなれるかも不安だし、もうなんだか全てが怖い。怖すぎる。
みんなこうなのか、私がネガティヴだからこうなのか。頑張るしかないと分かっちゃいるけど、なんだかいろんなことを見たくなくて、今日も炬燵でぼーっとしてしまっている……
新生活が怖い。
これの続きです。こっちを先に読んでくれるとありがたいです。
https://anond.hatelabo.jp/20180312213603
その一部始終を文字に残しておきたいので覚えてる限り書きます。
当日は自分ができる最大のおしゃれをして行きました。
相手の服装もいつもとは違う感じの雰囲気でイメージとのギャップにドキドキしました。
食事の場ではいろいろ相手の過去の恋愛や家族の話を聞きました。
大学時代にミスコンで優勝したことや高校から大学までずっと付き合ってた人に別れた後3回告白したこと。
恋愛の話を聞いてたら相当モテてきたんだろうなってことがわかりました。
家族のことについて話してる姿がとても可愛くて素敵だなって思いました。
それと、自分がいる世界と相手の世界が程遠いところにいると感じてちょっと悲しくなりました。
やっぱり大人なんだなって。
ご飯を食べた後、二人で公園のベンチに座りました。
「初めて会ったとき一目惚れしました。名前を聞く前から好きになりました。もっと一緒にいたいので僕と付き合ってください。」
こんな感じだったと思います。実際はこんなスムーズに言えるわけなくて、あの。。とかええと。。とかめちゃくちゃ使ってたと思います。
(長い沈黙)
でもやっぱり、可愛い弟って感じで初対面でそういうところから入ったからひとりの男としてはう〜ん。
タイミングがもっとあってたらね。まだ出会って一か月も経ってないよ!早すぎるよ!しかももう辞めちゃうしね。」
沈黙があった瞬間にこれはダメだなってわかりました。頑張って笑顔をキープしてましたが相当顔が引きつってたと思います。
その後は僕のこれからの話をしたり、バイトの話をしたりしました。
最後に彼女を家まで送って行ったあと、ハグしてサヨナラしました。
薄々はわかってたけど、フラれるってつらいものですね。
結果はダメだったけど、彼女と出会えて良かった。告白して良かった。
増田たちよ、ありがとう。まだ若いからってコメントに救われました。二人で過ごした時間は短かったけど、とても楽しかったです。
次会ったら、カッコよくなったねって言われるようにしたいです。
すごく好きな曲がある。とある作品のとあるキャラにすごくぴったりで、柄にもなくパロディ動画やってみたいなあなんて思った。もちろん絵も描けないし人力もできないから本当に作るつもりはなかったけど、この曲このキャラじゃないですか!?ってどこかで言いたい気持ちがあった。
気持ちがあっただけじゃだめだった。
他の人が先に作ってた。もちろんその人を責めるつもりも何もない。むしろわたしが一人妄想してるだけじゃなくて、同じこと思ってた人いるんだ!と嬉しくもある。けど同時にどこかが虚しかった。どこかが冷えてしまった。
すごく、みっともない。
なんか色々ダメだなあと思う。だめだめだ。生きてるのがつらい。
春になる。4月になると新生活が始まる。嫌だ。始まってほしくない。嫌だ。どこにも行きたくない。進みたくなんかない。できることなら一生子供がよかった。社会なんか知りたくなかった。嫌だなあ。春なんて来なけりゃいいのに。
このまま世界が止まればいいのに。時間が還流すればいい。ずっと同じところをぐるぐるして、変わらないままで。時折、すごく昔が懐かしくなる。毎日決まって登校して決まった友達と喋って代わり映えのない授業を受けて何もないまま一日が終わって、また同じような明日。すごく羨ましい。変わりたくなんかない。成長拒否したい。
春なんて来るな〜春になったら幸せそうな人が歩くようになる。みんな幸せそうになる。いっそわたしを深海に沈めるなりなんなりしてほしい。
やだなあ。目覚めるのも嫌だ。一生眠って、眠ったまま消えたい。
でも結婚式という因習の概念がこの世から消えてなくなってほしい。
1.ダルい
式場の下見とかプラン選びとか招待状とか云々
やってる暇ある?貴重な休日潰すなよ。
スマ婚とかいって楽にできるよ~みたいなプランもあるけどそれすらダルい。
歩いたってケーキ切ったって盛り上がらねーだろなにが楽しいんだよクソ茶番
3.家庭環境が複雑な人どうしてんの
入念な準備のもと盛大に結婚式を挙げたカップルの3組に1組は離婚。
どっちかが片親で…て場合とか気まずくなんないの?
うちの例を挙げると、親族や親同士の仲はめちゃくちゃでとても一堂に介せないけど
子としてはどちらにも良くしてもらったので親の再婚相手も呼びたいし実親も呼びたい。
どちらかを呼ばない式なんかやりたくない。
4.金が無い
これが最強の理由。
やるとしてもちょっとショボかったね~wくらいの結婚式しかできないだろう
そうやってチマチマ貯めた小金
普通に愛する伴侶との新生活に使いたいって皆さん思わないのでしょうか?
恋人はいつも式どうしよっか~みたいな話ししてくる。歴代の相手いっつもそう。
人の結婚式にだって正直知り合い程度なら金払いたくないし休み潰したくない。
親も親戚も会社の上司も友達も誰も彼も当然結婚したら結婚式をやると確信している
というか結婚式をやらないと貧乏人不幸可哀想サイコパス人間失格みたいな扱いしてくる
各方面それぞれ食事会やお礼送ったりなんかどうかなと提案してみてもハァ?みたいな反応
自分はマジで社会不適合者としてこのまま結婚せず死んだほうがいいのではないかとすら思えてくるよ
本当にこんな悪しき風習は滅んでくださいと祈る日々です。
アメリカの大人気TVシリーズ「セックスアンドザシティ」などにも登場し、「フレンド(友達)」と「エネミー(敵)」から作られた造語で、いわば友達の顔をしながらも実は敵である人を指す言葉だ。
かげながら悪口を言ったり、マウンティングしてくる人などを思い浮かべる人もいるだろうが、フレネミーのなかでも厄介なのが「居場所をとる」「対象と成り代わる」人たちだ。
私は最近、中学時代からの友人Aをこれを理由に音信不通にした。
Aと友達であった時は、得体の知れないモヤモヤを感じながらも「私の心が狭いのかも」とあまり考えないようにしていた。
ある日「フレネミー」とい言葉を知りぐぐると、ネットにかかれた説明はまさにAそのものだった。
そして多くの人、とくに女性で悩んでいる人が多いこともビックリした。
私のように長年「なにかおかしい、でもなにがおかしいんだろう?」とモヤモヤしストレスをためながら、でもどうしていいかわからない人たちの少しでも助けになればと思って書こうと思う。
初めに結論を述べるとフレネミーへの対処法は「距離をとる」というのが一番効果的だ。
穏便に済ませたい人には申し訳ないが、フレネミーと普通の関係を築くのはほぼ無理だと思ったほうが良い。
Aとの付き合いは長い。中学・高校と一緒で、よく遊んでいたし連絡も取り合っていた。
ある日、中学の同窓会があった。そこでAと2年ぶりに再会しまた連絡を取り合うようになった。
専攻が近いためレポート前などはお互いスカイプしながら徹夜したり、彼女が東京へ遊びに来ることもあった。この頃のAは私にとって何でも話せる気の合う友人だった。
大学卒業後、Aは地元で社会人になり、私は地元にはもどらず東京でフリーターをしながら資格の勉強をしていた。
Aは志望していた業界が人気だからと諦め、近いけど違う業界に就職した。お互い新生活に追われながらも時々連絡をとりあっていた。
私が資格をとってやっと社会人になれたのがそれから3年後の春、ある日Aから「東京で改めて学生をすることにした、初上京だから色々よろしくー!不安がいっぱいだー!」とラインがきた。
私は嬉しかった。中学からの友人が近くに住むぞ!と意気揚々で東京で仲良くなった友人達にAを紹介しようと飲み会などをセッティングした。
私の電車が人身事故で遅延し走ってカフェへいくとAが店前で待っていた。そのとき「あれ?」と思った。
彼女が着ているスカートが私がお気に入りのものだとSNSに何回かあげているものと全く一緒だった。
でもブランド品だしかぶることだってあるかな、とその時は何も言わずそのスカートについても触れなかった。
諦めた業界へ30歳までにもう一度挑戦したい、と専門学校へ入りなおすことを決めたA。
夢を語る彼女の姿に私も嬉しくなったが、Aがふとカフェ内のすみの方で手を握り合っているカップルに対して「あんな顔でよく人前でいちゃつけるよねー気持ち悪くない?年齢考えてって感じ!」と周りに聞こえる声で言った。
私は突然のことにビックリしたし隣の席にいたおじさんたちは怪訝な顔をしていた。
この頃はAのこういう行動に対して「東京生活でストレスが溜まっているのかも」「環境がかわって神経がたっているのかな」と思っていた。
これは私に非があるが、あまり深く考えないようにしていた。同級生の悪い方向への変化を認められるほど私自身大人になっていなかった。正直このときの違和感を信じていれば、と今でも思う。
私はAをよく遊ぶグループや趣味のグループ、習い事や同僚など様々な自分が属するコミュニティの人たちに紹介した。
Aは少しシャイだが、私の長くからの友人ということもあり私をネタにしつつ徐々に皆と仲良くなった。
18歳で上京したとき友達ができるか、親元を離れて生活できるか不安だった自分を思い出し、なるべく彼女が孤独を感じないよう色々なイベントにも呼んだ。
春はお花見、夏はバーベキュー、秋はおうちパーティー、冬はスキー、クリスマスパーティーに忘年会などなど、私が今まで毎年していたことにAが加わった。
冬のある日、お台場のイベントに大人数で遊びにいくことになった。
駅で合流し、Aもそこにいた。私と全く同じコートを着て、同じカバンをもってそこにいた。
周りは「おおおーさすが中学からの仲だね!」「おそろい可愛い!」と盛り上がり、Aは「私このブランド大好きだからなあ~」と何食わぬ顔で話している。
このとき「もしかして真似されてる?」と、前のスカートの件とあわせて疑うようになった。
その日はあまりAと話さないようにした、なんだか話す内容から次なにか真似されたら嫌だな、となんとなく思った。
そのあとも真似は続いた。一度違う友達に「真似されるのってちょっと辛い」と漏らしたときに「あなたのことは大好きなのよ」「そんな真似とかなんとか中学生みたいな悩みもつなんて」と笑われた。
なんだか自分の心が狭く子供っぽいことで愚痴ってるように感じてその後、このことは誰にも言わないようにした。
新しい服やアクセサリーをつけて次にあったら彼女が同じものを持っている、それについて特に触れるわけでもなく、周りも「おそろいだ~」と笑うのみ。そのたびにちょっともやっとしてる自分は人間として未熟なんだと落ち込んだ。
その後、Aの真似はファッションだけでなく趣味や考え・意見にも及んだ。
私が軽い気持ちで参加したボランティアで関わったスウェーデンの伝統工芸に惚れ込み、実際にスウェーデンへいったり友人にも「本当に好きなんだね、いつかスウェーデン人と結婚したりして」と笑われるレベルにその話をしていた。
Aは最初興味がなさそうにしていたが、「最近スウェーデンに興味がある」に始まりあたかも自分はずっと前からスウェーデンが好きというような態度をとるようになった。
私が参加しているボランティアにも来て「私の友人なんです~」と色々な人たちと仲良くなっていった。
この頃になるとAの髪型や服装は後ろからみれば私と区別つかないレベルに一緒になっていた。
私はこの頃には彼女のまるで私の居場所というかコミュニティ内のポジションに居座るかのような、私の成り代わりになるかのような態度にかなりイライラしていた。
しかし、最初に色々な自分のコミュニティにAを紹介したことからどのコミュニティで遊んでも彼女がいる状態になっていた。
どのコミュニティでも私が誰かと話していたらAが寄ってきて、いつのまにか私が話していた人とAが話し、私が傍観者のような立ち位置になることが繰り返された。
Aの他者に対する暴言はますますひどくなり道端で「あんなデブでよくあんな服着れるね」「ババアのくせにあの髪型痛い!」と言ったりしていた。
私はそういう言葉をきくたびに疲れるようになっていった。
この頃一度ネットで「友達に居場所を奪われる」「友達にコミュニティを乗っ取られる」と検索したことがあった。
ヒットしたのはほぼほぼ中高生の悩みで、それに対して「人をとるとかとらないとかものじゃないんだから」「まねしたっていうけど自意識過剰では?」という意見を読み、自分がモヤモヤしていること自体が間違っているように感じた。自分が性格が悪い心の狭い人間だといわれてるような気持ちだった。
段々私はAに限らず友人たちと会うのが億劫になっていった。
何か買ってもそれを着たり使ったりするのが怖くなり、何か新しいことに興味がわいてもそれを人に話すのが嫌いなった。集めたスウェーデンの工芸品も全部売り払った。
不思議なことに私が中々イベントなどに顔をださなくあると毎日あったAからのラインはパッタリと途切れた。
Aに真似されるというのが、大げさだが自分のアイデンティティをどんどん奪われていくような感覚だった。
同じ趣味の教室に通う同僚が心配して声をかけてくれた時、いっそぶちまけてラクになろうと思ったときに「Aも心配してたよー!」と言われ何ともいえない脱力感に襲われた。
Aはその後も私の友人達と遊んだ様子などをSNSにアップしていた。
最初は同郷の長い付き合いの友人が自分の友人達と仲良くなっていくのが楽しかったし嬉しかった。
なのに私はなぜか友人達と会いにくくなり、孤独を感じるようになっていた。
28歳にして人間関係を丸ごとAにもっていかれたような感覚だった。
春先に会社帰りにバーへ立ち寄った。
久々にお酒が飲みたくなったけど誰かを誘うのも面倒だし、誘って「Aも呼ぼう」ってなるのが怖かったので一人だった。
しばらくぼんやり飲んでると隣に40代くらいの女性が座った。とても身なりが綺麗な人、仮にBとする。
マスターを介してBさんが話しかけてきた、彼女は大手アパレルの企画をしている人でいわゆるキャリアウーマンだ。
しばらく他愛もない話をしてたが、私はふとAのこと、今の自分の現状を話したくなった。
バーで会った私のことを今日知った人、私の属しているコミュニティのどこにも属していない「他人」だから話せると思った。
ポツポツと話し出しBさんは真剣な顔で聞いていた。
私は「子供っぽいんですが」「本当こんな悩み馬鹿馬鹿しいんですけど」「自分の心が狭いのはわかっているんですが」「女子中学生みたいですよね、ほんとしょうもないんですが」とそういう前置きを何度も使った。
話している最中に、自分が寂しいと思っていることをやっと受け入れられるような不思議な感覚だった。
大学でできた友達、大学の外でできた友達、フリーター時代にであった人たち、就職してから一緒に働いている同僚、ボランティアで一緒に一生懸命になった仲間…それまで考えたこともなかったけど、人間関係というのは自分が築き上げてきた財産だ。
それが、その財産が急に人の手に渡ってしまったような感覚、Aに対する不信感とそれを誰にも相談できない孤独さ、私がいた場所に私と同じ服やアクセサリー、カバンをもっているAがいる違和感。
話しながら涙と鼻水がでていた。Bさんがティッシュをくれたけどたりなくてマスターが箱ティッシュをくれた。
Aとの楽しかった思い出がいっぱい頭をかけめぐった。でもAが東京にきてからは辛い思い出の方が多くなった。
Bさんは「それってフレネミーってやつよ、辛かったね」といってお酒を一杯奢ってくれた。
「年齢の話はしたくないんだけど」と前置きしてBさんが話してくれた。
人間は年齢と共に人格が少しずつ変わること、それがいい方向に変わる人もいれば悪い方向に変わる人もいる。私はながいAとの付き合いのなかで無意識にAの味方をして自分の直感や違和感を信じずそれでストレスが溜まっていること。
子供っぽいというが誰だって自分が見つけたものや持っているものを真似されたら気分が悪いこと。自分のテリトリーに必要以上に入ってくる人間には注意しなきゃいけないこと。
そして、Aは私がいたポジションにおさまることで優越感や承認欲求を満たしているのだから、それはもう友人とはいえない、と。人との関係には寿命があるということ。
決定的だったのは「あなたはAさんを色んなコミュニティに紹介したけど、Aさんはあなを彼女のコミュニティに紹介はしてくれた?」という質問だった。
私はハッとした。Aは学校での友人の話やイベントの話をしてくれるが私をその人たちにあわせたり、イベントに呼んでくれたことは一度としてなかった。
Aは他の友人たちに悪口を吹き込んだりはしてない(と思う)が、なんというか私と他の友人達を遮断する影のようだった。
私の前にAがいて私は彼女の影のなかにいるような、段々彼女が私のオリジナルで、私がコピーのような感覚というか、成り代わられるというのは自分を消されるような恐怖感があった。
今でも何でAがそういうことをしだしたのかはわからない。私は真似されるような魅力のある人間ではない、もしかしたらAはAで寂しくて必死だったのかもしれない。
決定的なことをしたわけじゃないが徐々に食い込んでくるあの不気味さから、私はもうAに会うのはやめようと決意した。
Bさんは別れ際少しこわばった顔で「彼氏か旦那ができたときに、彼女に紹介しちゃダメよ」と言った。
私は帰って「フレネミー」で検索をかけた。冒頭にのべた通り、多くの人々がこの厄介な存在に悩んでいることを知って、不謹慎ながら少しホッとしてしまった。
Aとの関係は綺麗には切れない。
自分が所属しているコミュニティに彼女もまたしっかり根を下ろしているから共通の友人が多い。
でも、Aとは今では全く会っていない。何度か会う機会はあったが私がそういう場には絶対に行かないようにしている。
友達の結婚式などどうしても会わざるえない事で今後会う可能性はあるが…。
そういう制限のなかでなかなか会えない人もできてしまったが、前より心が平穏だ。
周りは不思議がっている人もいるし、友人伝手にAの話も聞くことがあるが、それはもうあまり気にしないようにしている。
夏になって私は新しい趣味に手を出しそのつながりで新しい友人ができた。
前に比べ人に警戒心を抱くようになったけど、やはり人との繋がりから得るものは大きい。
自分が着たい服、身につけたいもので遊びに行き、好きな話をしても真似される心配がないのが嬉しい。
「フレネミー」は十人十色、Aのように真似をしてポジションをとろうとする人や、マウンティングしてくる人、心配するふりして不安を煽ってくる人…色々いるみたいだ。
今もし、友達のことでしんどい思いをしている人がいたら、一旦冷静になって考えて欲しい。その人は本当に友達なのかどうかを。
「そんなことぐらいで」と他人が言う事でも自分がしんどいのなら、それは「そんなことぐらい」じゃないのだ。
時々Aと過ごす時間が多かった十代を思い出し少し悲しくなったりもする。