はてなキーワード: 性的嗜好とは
セックスロボットが2017年に発売、もうそこまで来ているんだ!
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米リアルドール社が2017年に次世代セックスロボット発売へ | ロボスタ
http://robotstart.info/2016/11/04/next-generation-sex-doll.html
上記のサイトには、ロボットの温度を上昇させる機能があるとしか書いてない現実。
そりゃまあそんな求愛行動、今の技術ではペッパー君にだって無理だろうよ。
囲碁の世界ランク3位になったAlphaGo、もといディープラーニングの凄まじい成長速度があればもしかして1年後には、アダルトな夢の国が……
ただ、仮に実現しても、セックスロボットの専門家が警鐘を鳴らしているらしい。
この世にセックスロボットの専門家が居るとは。しかも、自らの専門分野に警鐘を鳴らすとは。
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「セックスロボットは人間を過度に刺激する可能性がある」と専門家が警鐘を鳴らす - GIGAZINE
http://gigazine.net/news/20161220-sex-bot-could-over-exert-human-lovers/
そんな勇気あるセックスロボット専門家の名は、ノルドヴェストシュヴァイツ専門大学のオリバー・ベンデル氏。
肩書はセックスロボットの専門家だけど、さぞかし頭のよろしい方なんだろう。(本当にそれでいいんだろうか)
ロボットの方が良くなっちゃって、人間同士の性交がなくなっちゃう
そんな馬鹿な、とお思いですよね?
私にもそう思っていた時期はありました。でも、今の私はベンデル氏の言ってる事は正しいのではないかと思う。
なぜなら、自分にピッタリのオナホを体験した人は、なかなかオナホから抜け出せなくなるというデータが、私の体に刻み込まれているから。
※この結論はあくまで自分の体に刻み込まれているデータを元にしています。
こんな性的嗜好の暴露を自ら行う事は、芸能界にいられないどころか、社会から抹殺されかねない。
匿名とはいえ、そんな危険を冒してまで私はオナホの危険性について警告している。
もう二度と夢の世界から戻れなくなるかもしれないという覚悟を決めてから購入するがよろしい。
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Amazon.co.jp:ENJOY TOYS すごまん4-淫華:ドラッグストア
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00H2DTICE?ie=UTF8&redirect=true
これ、アマゾンがLO及びLOコミックス、あとムーグコミックスとか、ようするに「ロリ系」のエロマンガを扱わなくなったのを受けての延長上の話だよね。
なんだか悩ましい話で、俺はロリエロマンガ大好きだからネガティブ反応なんだけど、法的規制されてるわけじゃないのに販売業者が自主規制的に(多分ユーザからの指摘で)扱いをやめるのって結構つらい話な気がする。
ロリ系を買うのなんて当然ロリコンなわけであって、だからロリ系成人コンテンツに常々ついてまわる話で「なんの為に存在してるの?」「こういうのがあるから(潜在的ロリコンが喚起されて)ロリ系犯罪が起きるんじゃないの?」ってテーゼがあって。
これは本当に、否定しがたい話なんだよね。
「犯罪しない系ロリコン」の人にしてみれば、「俺は絶対実在ロリに手ぇ出したりしないから、せめて二次元で欲望を満たさせてくれよ、ロリエロマンガとかでオナニーさせてくれよ」って話なんだけど、「ロリエロマンガを読んだことによって『なるほど実在ロリをハイエースとかして犯せばいいんだ』って思う層」というのが存在するのかも知れない、というのは否定しがたい、不在を実証出来ない話なんだよ。
これ言うと他のセクマイの人に物凄い拒否反応されるんだけど、ロリコンってやっぱり「性的マイノリティ」なんだよね。
「いわゆる『セクマイ』」とは別物なんだけど、「性的嗜好という面において『少数者(マイノリティ)』である」というのは事実なんだよ。
性嗜好として、多数者ではないし、一般に認められがたい嗜好なのであるよ。
大多数の「ロリコン」は、「本当の正直な本音」として「チャンスさえあったら少女・幼女とセックスしたい」と思ってる。思ってるんだけど、「拉致・誘拐・略取して、強姦(自主的同意なく、事実上無理矢理セックス)」とかは避けたくて、無理矢理(少女・幼女を悲しませる、痛い思いをさせる、辛い思いをさせる、及び自分が犯罪者になる、ということを)するくらいならオナニーで我慢する、と思ってる。
世紀末荒野ならまだしも、現代社会で、先のことを考えずに「幼女・少女とセックスしたい・する!」と思うロリコンはごくごく少数だ、と思う。
http://gigazine.net/news/20161125-sparrow-with-four-sexes/
http://b.hatena.ne.jp/entry/gigazine.net/news/20161125-sparrow-with-four-sexes/
この鳥の研究では、遺伝子で規定される性・セックス(生物学でも性をジェンダーと言うが、社会的性との区別のために
器質的性をセックスとここでは呼ぶことにする)がつがいの行動として発現していることがわかった。
一方、人間のLGBTは、先天的な要因であれ後天的な理由であれ、主に社会生活上の立ち位置という意味での
性・ジェンダーの問題であり、本人そして受け入れる側の社会の問題である。
仮にLGBT固有の遺伝子が発見されたとして、遺伝だからしょうがない、おまえ遺伝子持ってないのにLGBT名乗るなよ、
「性の定義の曖昧さ」という言葉をは、ジェンダー人間の社会的性・性的嗜好とセックス遺伝子的な性の現れ方の多様さ
俺はホモでゲイだから、そのことについて話す レズのことは知らん
一見極めて当たり前の話に聞こえるかもしれないが、俺は異性愛者の友達の方が多いゲイである
これは実はちょっと珍しいことで、ゲイってのはゲイとばっかりつるみたがる
ゲイと遊びたがって、ゲイと一緒に働きたがったりする(はっきり言って性的嗜好にそこまでこだわるのは俺には異様にしか見えないが)
俺の友人の中でも俺のことがゲイと知ってる奴もいれば、単なる非モテだと思ってる奴もいる 別に一緒に飲んだり旅行に行ったりする中で、どんな性的嗜好かなんていうことは普通は問題にならない(お前たちだって友達の性的嗜好なんて知らんだろう。スカトロものばっかり見てる奴やジュニアアイドル好きの奴や陵辱ものが好きな奴がいるかどうかなんてどうでもいいはずだ)
だが、ゲイの連中は違う 相手の性的嗜好が気になるし、性的ネタが異常に好きな奴が多い
異性愛者も同性愛者もなにも変わらないとリベラルで良識的で善良な人は言うだろうが、それは俺から見たら丸っきり嘘だろうと思う
年寄りと若者の価値観が違うように、ゲイと異性愛者の価値観は相当違う
例えば、年間10人の相手と性交渉を持つ人間をどう思うだろうか?
異性愛者の中では、そこそこ遊んでいる方にはいるのではないだろうか?
はっきり言って、ゲイ・コミュニティの中では年間3桁と性交渉をもつ人間というのはそう珍しい存在ではない 年間10人としか性交渉をしていないって言ったら、なんて道徳的な人間なのだろうと思われるだけだ(もしくはよほどモテないと思われるかだ)
俺は異様にしか思わなかったが、彼らは彼ら自身そういう中でつるんでいるので好きにしたら良いだろう
きっとこれを読んでいる人も、勝手にすれば良いとしか思わないだろう
だが、もし、これから同性愛者の結婚が認められれ、同性愛者同士が養子をとれるように社会が変わっていったとしたら、これらの問題は一気に顕在化する
当たり前だ 結婚なんていう紙切れ一枚の契約を交わした途端に純潔な生活ができるようになんてなるわけがない
養子をとったら性的に落ち着く可能性もなくはないが、彼らの考える”あまり遊んでいない”という概念は異性愛者のそれとはかけ離れている
父親が2人いる子供ではなく、父親が5人いたり10人いたりという子供が増えるだろう
結婚と離婚というハッキリと統計に現れる形で、ゲイの異常さは広く知れ渡るだろう
今の日本で、俺がゲイだと職場にバレるのはそれほど恐ろしくはない
奇異な目で見る人はいるだろう アホなOLが影で噂をするだろう 男性の同僚は俺と二人で飲みに行くことはなくなるかもしれない
だが、それでも大きな変化はないだろう そういう仕事を選んだという部分もなくはないが、今ならそうなるだろうと思える
しかし・・・これから同性愛者の結婚などが認められ、そのコミュニティと生態の実態が広くかつ言い逃れできない形で広がった後に自分がゲイだとバレるのは恐ろしい
エロゲー界隈のコミュニティで言われてる名作、良作、人気作は大体やってきたつもりではあるんだが、
エロゲーでいう『名作』のハードルというのはアニメや漫画などに比べるとかなり低めに設定されているのでは?
という気がしてならない。
まあ、根拠を上げるとしたら、2010年以降、エロゲ原作でアニメ化された作品の
売り上げを見てみると、Fateという例外を除き全て爆死している。
爆死、とこき下ろすほど売れてないわけでもないアニメもあるにはあるが、まあ2期が期待できる程度に売れたアニメは0に等しい。
2010年以降、と言ったが実際人気が出たエロゲアニメを見つけるとなるとSHUFFLE1期とかAIR、ダ・カーポ辺りまで遡る必要がある。
「エロゲ界ではアニメ化を待望されるほどの人気作でそれなの?」と何度思ったことか。
エロゲがアニメ化しにくい媒体であることやアニメの人気が作品の面白さに必ずしも直結しないことはわかるが、
ADVという媒体まで広げればシュタゲやひぐらしみたいなアニメの人気がある上に名作と名高い作品が
存在している以上、この打率の低さは単にアニメスタッフのセンスの所為とするのは違う気がする。
あと、エロゲユーザーが増田で名作やオススメを語ってるのを見ると、未だに
自分もそれらは非常に好きな作品ではあるんだけど、「そこまで遡らなきゃ人に勧められる作品がないの?」って思ってしまう。
あ、ちなみにこれは抜きゲーは除く話ね。
これを書いた増田や同様の感想を持つ人は萌え絵にお世話になりすぎて感覚が麻痺してるんじゃないかと思わなくもない。
http://anond.hatelabo.jp/20161024172830
上の増田の中で挙げられている問題になった事例(人工知能学会の表紙、碧志摩メグ、のうりんポスター、くまてつ、駅乃みちか)の萌え絵は、男の私から見ても気持ち悪い。
この感想が男の多数派かどうかは知らない。タイトルでは(一部)としたが、どうなんでしょうね?
ネット世論が一般世論を代表している場合と代表していない場合があるが、このあたりはネット世論と一般世論のかい離が大きい分野なのではと推測する。
萌え絵の定義は知らないが、上に挙げられた事例に関して言えば、男に都合の良い性的対象感満載であり、一部の男性の性的嗜好を具現化したものを見せつけられているという点で気持ちが悪い。
ビールの水着ポスターは時代の流れで既に廃止されているが、水着ポスターよりもっと拒否感が強いのは普通と思う。
問題になった事例のような萌え絵が老若男女の目に触れるポスターなどに使われた場合、気持ち悪いと感じる人が相当数出てくることを当然のこととして理解できないとすると、感覚が麻痺しちゃってるんじゃないの?と言いたいだけである。
犯罪抑止にも役に立っているのではと思う。その意味で、有害どころか社会的に有益なのではないか。
なんでもないような部分に勝手に性の要素を見出してるだけですよね?
「私はこれに性的要素を見出します」と言っているんですよ、あのイラストが「エロい」と主張するということは。
あのイラストに性的要素を見出さない人間は、あのイラストを「エロい」とは感じない、などというのは、どこ情報もクソもない自明な話であります。
人によって臭いと感じるかどうかに差があるかどうかと、それが解釈によるものかどうかには何の関係もありませんね。
「臭い」というのは要するに「匂いが不快」ということで、つまりは単に「不快」ということを言っています。
不愉快に感じた、というだけですから、単なる快不快という感覚そのものであり、解釈の余地はありません。「暑い」「寒い」が解釈ではないのと同じレベルで「不快」そのものは解釈ではありません。
一方「エロいから不快」というのはつまりは「性交渉を連想させるから不快」ということですから、ある事柄から性交渉の要素を見出す、つまりは、ある事柄について、「性交渉に関係するものである」という解釈が必ず存在します。
自覚的にせよ、無自覚的にせよ、そういう性的嗜好の持ち主以外にとっては、あのイラストはせいぜい「恥ずかしがり屋の女性」のイラストでしかないからですよ。
それで? 何の関係もない話を突然始めないでくださいよ。
なにがどうなると↑になるの。
自覚的にせよ、無自覚的にせよ、そういう性的嗜好の持ち主以外にとっては、あのイラストはせいぜい「恥ずかしがり屋の女性」のイラストでしかないからですよ。
僕は増田書いてるくらいだからお察しかと思うがコミュ障で友達がいない
そんな僕からすると(ネットに染まってない人のことを便宜的にこう呼ぶけど)「一般人」のいう「変態」という言葉は基準が違いすぎる
なんというか
「性欲が強いこと」を変態と呼んでいる気がする
僕としては
(普通に男女がセックスする)AVたくさんもってるとか、シモネタをよく話すとか
そういう方向性だ
僕にとって変態とは
女の子の腹を裂いて腸がはみ出してる絵に興奮するとか
そういう方向性だと思う
横にどれだけズレてるかが変態の度合いだと思う
「セックスのフィニッシュで外出しするときどこに出すか」を語り合ったりするのは変態とは言わないと思う
彼らは「男性器を女性器に出し入れするだけの行為」に興奮する(興奮できる)のだから
「変態」とは僕のような通常の「性器の出し入れ」に興奮しない(できない)人間のことじゃないかと思う(正直僕程度の「偏り具合」で変態を自称するのはおこがましいと思っているが)
でも彼らからすれば僕のような「性欲は強くないけど嗜好が普通?じゃない」人は「変態」じゃなく「キチガイ」にカテゴライズされるんたろう
「ロリコン」という言葉が世間一般では女子高生くらいを好むことを意味するのに対し
ネット上では年齢一桁くらいが好きな人がイメージされるのに似てると思う
もしよろしければ増田の皆さんの
煽られたので書きました。聡明な青柳さんがわざわざ煽ってきたからには深い理由があることを期待しています。
こういう基礎的なことはもちろんご存知でしょうけど、まずgoogle検索結果はアクティビティを無効に設定しないと個人の訪問履歴などから検索結果が変わってくる可能性があります。
https://support.google.com/websearch/answer/54068?co=GENIE.Platform%3DDesktop&hl=ja&oco=0
Google のサービス全体でより関連性の高い検索結果やおすすめが表示されるようになります。
なのである国は性暴力を推進してる文化があると強い確信をもつ人がその根拠集めにひどい資料ばかり検索閲覧していた場合、検索サイトが効率よく「資料」を提供できるように検索結果を変えてくる可能性は十分あります。
それをビジネスにしている会社もあります。SEO企業とよばれています。有名なところではフルスピードとかでしょう。
だから、検索結果の順位(検索用語のレコメンドも)と言うのは公共性も公平性もなにもなく一部の人間によって人為的に操作可能なので検索結果の順位だけで議論を展開するのは危険です。
更に言うとgoogleは1ネット企業です。政府機関でも国連機関でもではなく営利企業に過ぎませんので、公共性、公益性、公平性といったものを前提として議論を展開する態度は果たして正しいのでしょうか?例えばgoogleの検索結果で悪評ばかり上がってくる弁護士の方は極悪人なのでしょうか?
無論こんなことはネットリテラシーでは常識の範疇なので、ネットでライターをされている青柳さんはご存知でしょう。深い理由があって煽ってきた事を期待しています。
元記事で、 アメリカ人がrapeを性的に消費する目的で検索をされていることは述べられています。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/furuyayukiko/20160831-00061682/
同じトレンド分析をアメリカの過去5年分について行ったところ、やはりレイプ動画に関する検索が上位をしめていました。 https://g.co/trends/CDtYX
こうして見てみると、日本では「レイプ」も「強姦」もAV動画などの性的嗜好と結びつけられる単語であり、必ず撲滅しなければならない凶悪な犯罪であると認識されている単語ではないのだという実態が浮かび上がってきます
高畑容疑者の強姦事件が起こる前の状況を調べる為、検索設定を2006年7月30日から2016年7月30日にして「強姦」で分析をかけてみたところ、トップ5の関連検索は「レイプ」「レイプ 強姦」「強姦 動画」「強姦 事件」「エロ 強姦」でした。
とありますが、これは飽くまで検索結果では「なく」。検索された用語なので状況はアメリカと代わりません。
更に言うと「レイプ」というのはそもそも俗語です。英語で言うとboobsやtitsのようなものです。
強姦という法的にも使われる用語ではなく「レイプ」という俗語の検索結果を利用するのはboobsで検索してxvideosが引っかかるというのと変わらないのでは?
(ついでにこういう意見もあり真面目に話をするのであれば性暴力という方が良いのでは? https://twitter.com/emigrl/status/756664654949027840)
なので、アメリカに比べて日本だけとくに批判するのはチェリーピッキングなのではという疑問が消えません。
もちろん青柳さんはネットライターをされているのでこの程度の恣意性に気づかないとは考えられないので、わざわざ煽ってらっしゃったのは深い意味があるものと期待しています。
また、ネットでライターされている青柳さんはヤフーという多くの人に触れるサイトで文化論というエスニック集団への偏見に繋がることもある微妙な問題をこのような怪しい根拠で決めつけることにどう思っているのでしょうか?
例えば中国の検索サイト百度で強姦に相当する言葉の検索結果はこんな感じなのですが
https://gyazo.com/aded79174a6c37b349c4a51b3a6b65db
これをもって中国は酷いと決めつけるのは正しいことでしょうか?
所詮ネットのメディアなど信じるほうが愚かだと思われてるのでしょうか?
数日前に話題になった記事で、もちろんご存知でしょうが。このような記事がありました。
23歳以下の若い男性379人が参加したこの調査では、半数以上の54%の大学アスリートが「性交での強制行為(sexual coercion)を行ったことがある」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42282
「大学で勉強している女子学生の5人に1人が、在学中に性的暴行を受けていると推定されています。5人に1人ですよ。(中略)これは許しがたい事実です」
とあるようにアメリカのキャンパス内の事情はかなり深刻で、現在でも改善が見られているとは到底思えません。
アメリカと日本のどちらがひどいのかという話ではなく議論の恣意性を問題にしています
自殺志願者のように検索サイトに広告をうつというのは特に異論はありません。しかし、途中の議論がチェリーピッキングな詭弁でありやらなくてもよい文化論に足を突っ込んでいると感じました。
「ナマモノ」とは、実在の人物(3次元)を題材にした二次創作物の総称です。
簡単に言うと、タレントや俳優、アイドル、お笑い芸人などを登場人物として使ったフィクション(虚偽)です。
そして、この「ナマモノ」の取扱は慎重に行わなければならない、とされています。
①題材とされている本人、及び関係者の目に触れられるような環境に置かない
②そういった嗜好を持たないファン、また一般の方の交流とは区別する
などがあります。
それは、題材とされた本人やそれを取り巻く環境にいる人の感情を尊重し、また、肖像権を守るためです。著名人と言えどもひとりの人間です。自分の人格や行動に脚色やフィクションが加えられたものを見て、どういう感情を抱くかは人それぞれです。もちろん「何とも思わない」方もいるかもしれませんが、不快に思う方もいるかもしれません。いわばこれは、グレーゾーンです。そんなグレーゾーンなことなら、わざわざ公にしてやる必要は全くないのです。
さて、本題に入らせていただきますが、先日このようなナマモノ界隈のルールに対し、真っ向から異論を唱える性差別反対派、表現規制反対派の方々を幾度かお見かけしました。
その方々の主張することには、
「本人から嫌悪感を持たれるかもしれないという危惧自体が性差別で不快、よってナマモノルールなど不要」
「表現の自由が保障されている日本で、ナマモノルールを遵守することは表現の自由の侵害にあたり、出版妨害と同等」
だそうです。
日本では表現と言論の自由が保障されているので、今から私が伝える主張も保障されます。もちろん表現規制反対派の方はこの但し書きをすんなり受け入れられますよね?
論 点 が お か し い 。
じゃあ表現の自由掲げてあんたらのフィクション妄想小説書かれても文句言わないのか。あんたらの子供や親や親戚や恋人や配偶者や親友や上司や部下も題材にされて、他人の公衆オナニーのオカズにされてるの見かけてもなんとも思わないのか。例えそれがあんたらの性的嗜好とは著しくかけ離れていても?これは感情論じゃない、人権問題の提起だ。
それとも著名人には有名税があるから、その対象にされることは当たり前でしょうがないって言うのか?それこそ今度は職業差別じゃないのか?
そんなの強姦致傷で逮捕された某俳優が好意持ってたセクシー女優に関して「あの女が一発やらしときゃ」って言い放った某女形コメンテーターと同じだろ。
表現する場所を区別することが表現規制?渋谷のスクランブル交差点のド真ん中で「性差別反対!」ってセックスしてるカップルを見かけてもそれが言えるのか。
島が違う。論点が違う。こっちにはこっちの意義を持ったルールがあるんだ。自分たちの信念と主張を通すために、よく内情を知りもしない界隈にズケズケと入り込んでくるな。
ナマモノ界隈では常に「最悪の事態」を想定してルールが定められています。こっちにはこっちの複雑な事情があってそういうルールがあるんです。明文化されたものだけがルールじゃないことは、もう皆さん大人ですからわかりますよね。
アニメの二次創作や、表現規制反対派の方々が守ろうとしている表現の対象と違い、こちらの表現の対象は、いち個人として生きています。感情を持っています。だからこそ、表現の自由や性差別問題以前に、「人権」と「公序良俗を守ろうとする人としての良心」が最優先になってくるのです。本人が気分を害する、あるいは法に基づき対処するという「最悪の事態」を未然に防ぐためにある程度の規制線を張っているのです。
しかしそれは「公共の福祉に害を及ぼさない限り」です。自由だからといって、公共の場で何を表現してもいいとは限らないのです。レストランで「うんち」と発言した小学生が叱られるのと同じ道理です。
ナマモノ界隈において、「このジャンルも規制されて閉鎖的になってしまってる!新しい表現者がかわいそうだ!私たちが開拓させてあげなければ!」という正義心は本当にいらないです。ましてやそこに差別問題や違憲問題を絡ませるなどもってのほかです。お門違いも甚だしいです。
表現規制反対派の皆さん、性差別反対派の皆さん。お願いですからナマモノ同人界隈に関しては放っておいてください。何事にも例外はあるものです。私たちは私たちで意義があり独自のルールを守っています。今の状態で安定しつつある田畑に、勝手に肥やしを与えないでください。お願いします。
私は29歳の男性、自分の性欲を極めて異常で汚らわしいと感じている。私は自分ほど価値のない人間はこの世に存在しないと思い、早く殺されるべきだとも思う。
中学の時、アンデルセンの自伝を読んで、親を殺した17歳の少女が恋人共に斬首される描写があり、非常に興奮した覚えがある。
それ以来、若い女性や子供が、(性的暴行を受けて)殺されることを見聞きしただけで、勃起・射精する。よくAVにあるような拷問には全く興味がない。私が興奮するのは、以下のような素材である。
・古代ローマでキリスト教信者の女性が、輪姦され乳房を抉られて殺された話。
・同じく古代ローマで、宰相セイヤヌスの10歳の娘が、「処女は処刑できない」という理由で、強姦されてから死刑に処された話。
・近現代のイランでも、若い女性が処刑される前に強姦されることはあるという(サトラピの漫画でも言及されていた)。
・戦国時代に、親に連座した子供などが、串刺しや牛裂き、釜茹などの、苦痛の多い残虐な方法で処刑された話。
・清朝で、反乱を起こした20歳の女性が、囚人たちに輪姦された後、凌遅刑(公衆の前で裸にし、乳房をはじめ体中の肉を時間をかけて削ぎ落す刑)で処刑された話。
・19世紀英国で7~10歳の男の子が、窃盗や放火などの罪で、公衆の前で絞首刑となった話。しかもその絞首刑はロングドロップが発明される以前なので、窒息により十数分苦しむ方法。体重の軽い子供が、中々死ねずに悶え苦しむ様を、皆が楽しく見物していたということ。
・現代のイランで、若い女性がクレーンで絞首されて、なかなか死なずに足をバタバタさせて悶え苦しむ映像がある。
・18~19世紀の西欧や日本で、刑死者が本人の意志に関わりなく強制的に献体され、特に女性が男性医師に興味本位で性器や子宮などを解剖された話。あるいは少年が皮を剥がれて本の装丁にされ、骨は標本として最近まで展示されていた話。
・性的なポーズを取らされている「人体の不思議展」が、実は死刑囚の体を同意なしに加工しているという噂。
・20世紀のアメリカで、14歳の黒人少年や16歳の黒人少女が電気椅子で処刑され、少女は強制的に献体させられた話。
・アメリカの猟奇殺人犯A・フィッシュが、誘拐した少年を、棒で全身を殴って痛めつけて肉を柔らかくしてから、殺して食べた話。その他様々な、子供を対象とした残虐な殺人事件。
・コンクリート詰め殺人事件や台湾の白燕燕ちゃん事件、ルーマニアの女子大生暴行殺人事件などの詳細(被害女性がいかに酷い性的虐待の末、命を奪われたか)。
・現代における女性死刑囚と、その死刑執行のニュース。最近では江藤幸子さんや吉田純子さんといった女性が、絞首された後、遺体を全裸にされて、漏らした大小便を拭かれたのだろうと想像すること。
・中国の若い女性が死刑執行前に見せる無念そうな顔と、その女性が頭を打ち抜かれて、物言わぬ肉塊となっている写真。1990年代~00年代に自分と同じ空気を吸っていた若い女性が、今は腐って土となっていると思うこと。
こういった話や映像を見聞きするたびに、何度でも勃起・射精する。おそらく、一人の人格(女性・子供)が、地獄のような苦痛と辱めを感じながら、短い人生の長い最期の時を過ごしたという事実に、強烈な万能感のようなものを感じるのだと思う。
宗教を信じていれば、苦痛の中で死んだ人も、来世で報われると信じることができるだろう。しかし、私は信仰が無いので、短い人生の最期の瞬間をこのように悲惨な形で終えた人は、それでお終いなのだと思うしかない。この人たちの人生は、犯され辱められ、いたぶられて殺され、墓にも入れてもらえない、そんな目に遭うためのものだったのだと思うことが、快楽なのだ。
死刑が好きなのも、おそらく死刑囚の死は社会が望む死で、殺人被害者と違って悼まれることがないからだろう。あるいは自分を死刑執行する権力の側に置くことで、いい気になっているのだ。
精神科医に簡単に話したことがあるが、「性癖は治療の必要はない」と言われた。確かに私は、痴漢や暴行、動物虐待などの犯罪はしようと思ったこともなく、表面的には紳士的な人物として通っている。
しかし、私の内面はこのように鬼畜にも劣る人格の持ち主だ。本当に死刑に相当するとさえ思う。しかし、今のところ自殺はする気にならないし、遺書に何て書いてよいのかもわからない。
誰かが私を誘拐し、「因果応報だ」と言いながら、私が自慰のネタにしていた方法で私を拷問し、処刑することがまっとうな気がする。
スーパーの精肉コーナーに行くと、ここが私の居るべき場所のように思う。屠畜される牛や豚が羨ましい。私は「死にたくない!」と泣き叫びながらも屠殺場に引きずられ、そこで全裸にされて、股間から鋸で切断され、内臓を取り出され、枝肉にされたい。そして全国の大人や子供に食べられたい。食べられて消化され、大小便となって排泄されたい。あるいは、家畜の糞尿と混ぜてミミズの餌とし肥料にして畑にまき、あるいは肉骨粉となって家畜の飼料となって、牛糞や豚の糞となるのもよいだろう。あるいは猟奇殺人犯に捕まって、嬲り殺された後、トイレに殺人犯の糞尿と一緒に流されるのもよい。とにかく、私が死ぬことで誰も悲しむ者がいなく、逆に喜ぶ人がいるような、そんな死に方をしたい。墓や葬儀は嫌だ。生ゴミとして処理されたい。世界中から永遠に忘れられたい。
私は死にたいのではない。でも生きていても空虚でしかない。自分を殺したい。命乞いする自分を無慈悲に殺したい。なんのために生まれてきたのだろう?
男性が男性に告白されて恐怖を感じるのは、「突っ込まれる」ことへの恐怖だ。人生において突っ込まれる可能性の恐怖を感じたことがないのに、初めてその可能性に直面したわけだ。以前あった痴漢論議において、女性が男性から痴漢被害を受ける恐怖は、男性がより屈強な男性から痴漢被害を受ける恐怖と等しい、とあったように。
ずいぶん以前、メディアでの「オネエ」の扱いや、BLなどの創作におけるゲイ男性の扱いについて、性的少数者から「セックスモンスター扱いはやめろ」という声をネットでよく見かけた。男性はあまりご覧になっていないかもしれない。
性的少数者は、いまだに性的に逸脱した存在だと見られがちだ。逸脱した存在は容易に「普通ではないおかしな人」=「異常者」に置き換えられる。異常性愛者と見なされると、彼/彼女は「性的な存在」カテゴリに置かれてしまう。「あいつは性的におかしい。(あまたある事象の中で特に)性に関係する存在だ。きっと性のことばかり考えて、しかもそれが異常なのだ。頭がおかしい奴だ。何をするかわからない、性的妄執を抱えたモンスターだ」というわけだ。
言うまでもなく、性的少数派は、性の指向が多数派と異なるだけだ。性指向以外については、性的多数派において多様な嗜好が存在するのと変わらない。わたしたち誰もが、恋人や配偶者と過ごす時間もあれば、仕事をしたり、自転車に乗ったり、映画を見たりするのと同じ。
ついでに言えば、これも多くの人が言うことの繰り返しになるけれども、同性愛者の好みだって人それぞれだし、サラリーマン的な社会生活を営む同性愛者の場合、過剰に性的な言動をしない人が多いだろう(リサーチ数が少ないので断定はしない)。あなたは会社でも過剰に異性に対して性的な言動をするのか?(そういう男性がいることは知っている。そういう人が見ている同性愛者は自身の鏡だ)
始めに戻ると、なぜ男性は同性に告白されたときに、過剰な恐れを抱いてしまうのか。それは「突っ込まれる」のではないかという恐怖だ。性欲をはらんだ視線だ。自分を害する可能性をはらんだ、性的な視線だ。(自分はアナニー上位者なので大丈夫とかいう戯れ言には、もちろんそういう性的嗜好の人もいるだろう、多数派にも少数派にもとお答えしておく)
ところでどんなに不細工であっても、女性はそれなりに性的視線にさらされて成長する。実体験で申し上げると、不細工側の体験しか披露できなくて申し訳ないが、たとえば品定めしたうえの侮蔑とか、品定めしたうえで「お前程度なら」という軽視、顔も見えない満員電車での痴漢などなど。そこに「突っ込まれる」恐怖は、自覚するにせよしないにせよ、幼い頃から常に存在している。でも、女性が女性から告白されたときに、即座に「突っ込まれる」恐怖は感じにくいよね。
喜ぶか、驚くか、嫌悪感を抱くか、そこは人それぞれ、ケースバイケースだと思うけど、「セックスモンスターが近づいてきやがった!」という恐怖は感じにくい。だってついてないものね、あの棒が。
あなたに告白してきた相手が、性欲むき出しで「いますぐやらせろ」というセックスモンスターならば、告白されたのは欲望でしかないから、願ったり叶ったりという人以外は速やかに逃げるがいい。
あなたへの告白が、まずはお付き合いしたいという甘酸っぱい愛の告白ならば、熟慮もしくは即断でお返事すればいい。もうこれは、胸を焦がすようなフィクションから、増田の隅の日記まで、参考には事欠かないだろう。
あなたへの告白が、堪えきれない懊悩の告白ならば、あなたが抱えられる範囲で耳を傾ければいいし、無理ならプロに任せればいい。ただし悩みや問題には、天才的な助言で万事解決するものばかりではなく、誰の手にも負えない、厄介なものもあるし誰にも救えないこともある。プロがいないこともあるし、災難を招くこともある。だからもしも仮に、あなたがここから口をつぐんで逃げたとしても、それは仕方のないことかもしれない。
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>「自分の気持ちに嘘はつけない」とわざわざ表明する人は自分の気持ちだけが大事で、他人を傷付けていることに鈍感なので、「正直に言えばなんでも許されると思うなよ」と言いたいです。— 龍堂薫子 (@ryudokaoruko) 2015年9月15日
この龍堂薫子さんのツイートは男性からの告白について言ってるのだとは思うのですが..。
http://life.letibee.com/hitotsubashi-suicide/
ただ告白したA君は、ノンケがゲイに告白されることでもたらされる不快感を軽く見積もっていたと思うんです。
率直に言いますが、基本的にノンケがゲイから告白された場合、正直不快に思う方がほとんどだと思います。
少し前に、小学生だか中学生のアイドルの女の子が、中年のおっさんファンにふつうに親切にしてたら、そのうち「結婚しよう」とか言われて、ノイローゼになったという事件があったような気がした(うろ覚え)が、たぶん、告白されたZくんはそんな感覚を持ったと思う。
で、ゲイだってだけなら大丈夫だったんだけど(ほかの同級生がてゲイに対してネガティブな発言をする中、それに参加しておらず、だからこそA君もカムアウトしようと思ったことから推測)、お前が好きだってことまで含まれてしまうと、申し訳ないけど、ノンケの立場からすると、もはやそれは加害とほぼ同義なんだよね。
これは男同志だからわかる感覚だけどその時点で「お前でいっぱい抜いてる」って言ってんのと同義だからね。ノンケからしたら、超不快なわけですよ。
もともとゲイだって知ってて付き合ってれば別だけど、そうじゃないわけだから、騙し討ち的な感覚を持ってしまったと予想されるわけです。
小中学生の姪っ子とかが、突然親戚のおじさんから「実はお前を性的な目で見てる」とか、はては「お前でいっぱい抜いてる」って言われたら、確実に不快感いだくだろうってのはわかるでしょ?
そういう種類の不快感です。
自分が男性で、かつ偶然自分の性的嗜好が男性好きだというだけで、通常の告白という自分の気持ちを正直に告白しただけなのに、なぜそんな風に思われないかんの?と思う感覚があるだろうってことは、良くわかるのだけど。
でも、先の例に出した中年のおっさんファンだって、親戚のおっさんだって、「自分の気持ちに嘘はつけない」と正直に小中女児に自分の気持ちを告白したわけでしょ。
だからって、純粋なおっさん達の気持ちが尊重されるべきとは、みんな思わないと思うんですよ。
万が一あっても、黙っとけよと。
おっさんだろうと、女子だろうと、男子だろうと、ゲイだろうと、そのほかの性的指向であろうと、告白を行う前に、本当は事前に結果は予測出来てるはずで、相手に心理的瑕疵を負わせないように、どうするべきか考えるべきではないかと思うんですよ。
何か世の中的に、男女問わず、相手に断られる可能性が高くても、無責任に告白するのを良しとする空気が確かにあって、それが今回の悲劇を招いたような気がします。
Z君からすれば「何で俺だけ嫌な思いして傷つけられて、あいつはのうのうと..くそっ」と思った筈で。
A君だって世の中の恋愛信仰が「とりあえず告白するのは良し」ってプレゼンをしてなかったら、きっと考えたと思うんですよね。
でも、告白で明らかにZ君が傷ついたのは間違いないと思うんですよ。やり返したい気持ちはどうしても出て来てしまうと思うんですよね。
ところが、Z君はノンケですからアウティングしてやり返すことで、どの程度のダメージをA君に与えるかまではリアルには想像できないわけで。そもそも自分には言ってきてるんだし、テレビとかで見る同性愛者は凄くメンタルが強いように見えますし。
自分が25歳ぐらいで、一方的に傷つけられて、やり返さないって選択を出来るかなあって。
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>一方的に好意をぶつけ続けることを熱意や誠意だと思っている人は、相手のことなんかどうでもいいんでしょう。そんなに自分の気持ちだけが大事なら、軽々しく人に好きだとか言うべきではありません。— 龍堂薫子 (@ryudokaoruko) 2016年1月13日