はてなキーワード: 性的嗜好とは
小学生の頃から同世代の異性に興奮して、対象はそのままに自分だけが歳を取っていった。中高生になって回りが恋愛を始める頃でも、同世代以上の女性には興味もわかなかった。自分が人とは違うかもしれないと感じ始めた頃から、周囲が女優やアイドルの話で盛り上がる中、怪しまれないように好きでもない誰もが好きそうなアイドルの名前を出してはその場をしのいでいた。社会に出てからも、表向きはどこにでもいるような流行りの女性が好みだと吹聴しては、周囲には絶対に気づかれないように振る舞い続けた。
自分が理想とする相手とはまともな恋愛やセックスまでのプロセスが通用するわけがない。だから行為に至るためには痴漢か強姦という選択肢しかなかった。もちろん実際にそんなことをしてしまったことなんかない。そうならないために、漫画やそれ風のAVなどで処理をしてきた。
そんな自分にも、子供がほしいという願望はあった。それは間違っても性処理のためというわけではなく、純粋に自分の子孫を残したいという願望だ。適齢期を過ぎかけたころ、見かねた親から提案された見合いに乗っかってすんなりと結婚し、さらに何事もなく子供まで授かることが出来た。見合い相手のことは好きでも嫌いでもなかった。ただ、子供を生んで育ててくれそうだという理由だけで結婚した。性的にも全く興味は沸かなかったのだが、お互い未経験同士だったこともあり気持ちが一向に高まろうとしないことを緊張という言葉で置き換えることができたのは幸いだった。
妊娠後、数回目の通院で生まれてくるのが女の子であろうことがわかった。このときは正直不安になった。この子が程よい年齢に至った時、自分からの愛が親からのものであり続けられるのだろうか。自分の子を自分の子として見続けることができるのだろうか。出産が近づくにつれてその不安は強くなる一方だった。そうしていよいよ出産の日。陣痛より前に破水してしまったことで慌ただしいままに病院に行き、そのまま大騒ぎのうちに産声を聞くことになった。あまりの忙しさと、陣痛促進剤によってあれよあれよと野生を露わにし始める妻を前に、つまらない不安を思い返す余裕などなくなってしまっていた。
看護師の大げさに芝居がかった「おめでとうございます。」という言葉とともに、赤黒い顔に拭いきれない鮮血が着いたまま精一杯に泣き叫ぶ赤子が手渡される。両の手でその重さを実感した途端に、全く意図していなかったにも関わらず目から涙が溢れた。自分の命をかけてでもこの小さな命を守らなければならない。そして、自らの命を危険に晒してまでこの生命を産み落としてくれた妻に対して、いままで持ち得たことのないような気持ちが沸き上がってきたことがわかった。
その日を境に、自分を苦しめ続けてきた児童性愛願望はさっぱりとなくなってしまった。むしろ自らの娘がそうなってしまうことを想像しようものなら胃袋ごと口から嘔吐してしまいそうな焦燥感に駆られるようになってしまった。自らの子供を愛するという気持ちは自らの娘を性の対象として見てしまうかもしれない不安をいとも簡単に一蹴してしまうものだということがわかった。それから数年経ち、娘は小学校に通うようになった。娘の周りには、かつて自分の欲求を刺激してやまなかった年頃の女子たちで溢れている。しかしそれを目の当たりにしても、かつてのような邪な衝動は一切湧いてくることはなかった。むしろ自らの娘を見るのと同様に、彼女らが安全に、健全に育つことを願うようになってしまった。
自らの性的嗜好を棚に上げるつもりはない。しかし、自分の性的対象は気付いたときにはすでに決まっていたものでコントロールできるものではなかったのだ。今だに過去の自分を憎む気持ちとどうしようもなかったと同情する気持ちとが葛藤を続ける日々を送っている。世の中の同じような境遇の人間に自分と同じことが当てはまるかはわからないが、少なくとも児童性愛に対して嫌悪感が芽生え始めていることは確かだ。かと言って自分が普通に女性を愛せるようになったかと言われるとそうではない。いうなれば、児童性愛がなくなると同時に性の対象そのものがなくなってしまったのだ。自らの遺伝子を受け入れ命をかけてまで産み落としてくれた妻には今でも変わらぬ感謝と、一緒に生活をしてくれる家族としての深い愛情がある。しかしそれ以外の感情が一切湧き上がってこない。そのことを妻はこれからも受け入れ続けてくれるのだろうか。
じゃあ早稲田法学部のアウティング事件はどうか。性的嗜好を(本人が告白したものであっても)むりやり広めることはなんの侵害か。プライバシーではないならもっと広い人権(生存権など)ではないか。
知る人は知っているので以下はすでに大きな蛇足だが、二次創作で告白されているのは本人の性的嗜好ではなく「わたしはこのマンガについてこのような読解をし、このような感想をもちました」に超絶技巧をのせていくと二次創作小説になるんだ。ここの誤解(×本人がこういうエロやってもらいたいんだろ ○こういうエロを読みたかったんだろ)も生理おしっこ事件と同様、よくトラブルになるので、pixivとツイッターの組み合わせにおける二次創作業界では非常にユーザーのデリカシー教育が盛んで、成功している。大人の女が(同士間に必要なだけのデリカシーをもって)趣味・志向を満たすだけであげつらわれなければいけない法的根拠とは?
うん、その最低限の経緯とか人権への配慮を定めたのが引用の条件である「公正な慣行」なんだ。
引用元を明記するとか、これは著作者人格権の氏名表示権の話にもなるけど、著者名を明記するとか。
柳美里の『石に泳ぐ魚』だとか、中田英寿の卒業文集だとか(これらは全部著作物とプライバシーが争われた裁判になってるものね)、これらは「書かれている内容それ自体が対象のプライバシーそのものを書いている」内容だけど、さて今回対象となった著作物に、実在の人物の私生活を「読んだだけでわかる」ように書かれているものはあったのかな?
「著者がこういう性的嗜好がある」というのは、それ、保護されるべきプライバシーじゃないからね。それを公表する選択の自由は著者自身にあって、現に著者の選択によって公表されているのだから。プライバシー権で問題になるのは、あくまでも著者以外のプライバシーだ。
そういう性的嗜好(幼児だけでなく乳幼児、妊婦、病人、老人、死体ですら)を持った人間が一定数存在していることは当たり前のことでしょ。
ただ、それが周囲に居るかどうかは分からん。というのも児童に対する欲情や性的行為は社会・世間が絶対に許さないので、そういう嗜好を持っている人はそれを隠すし行動にも起こさないから。で、たまーにペドエロ漫画でのオナニーじゃ満足出来なくなった奴が出てきて、犯罪を犯して注目を集めると。
あと男ばっかり注目されるけど女にもいるよね。まあ行動に起こす割合が男よりかは低いんだろうな。
でそういう人間については、それが生まれつきなのか、それとも後天的になったのかは分からんけど俺は可哀想だとすら思うよ。だって自分の性欲を満たすには犯罪に走るしか無いんだから。
俺は自分と同年代の異性との、フッツーのセックスが好きなフッツーの性的嗜好/指向を持って生まれることが出来て良かったよ。社会的に許されない性癖持ちは大変だな。いつか全ての性欲が被害者無しに満たされる(仮想現実とか)、もしくは矯正できる世界になるといいね。
横だけどはてブにあったぞ
http://www.sankei.com/affairs/news/170416/afr1704160008-n1.html
一方、少女の裸の場面が描かれた成人向けコミック誌を愛読していたといい、一部の知人には「若い子が好き」と性的嗜好(しこう)を明かすこともあったという。
http://anond.hatelabo.jp/20170528064815
「オートバイと性的興奮のこじつけ」もダメな聖域ではないか。昔には鉄道フリークなんてなかった。それに比べれば「オートバイフェチ」はある。一見すると良いようになっている。しかし、鉄道おじが「オートバイガー」「自転車ガー」になるということは、とんでもない。カルトと一緒だ。
私が嫌悪しているネット民のひとりが鉄道おじのシンパのC君だが、Cが若い頃に描いたという漫画もやはりこんな感じで、オートバイガーと無縁なことに気づくことができる。
鉄道おじは基地周辺の飛行機の飛行音やかつての暴走族の車両やその車の走行音を「造型ポルノ」「音響ポルノ」などと呼ぶ、サイコパス・障害者予備軍である。しかし、実際には、あの迷惑的な物を美化する様子を見ると、彼らは同族嫌悪、近親憎悪のように見える。どちらもなんとかフェチではないかと。それを卒業しろよと。卒業する前に高校を出て大学を出た挙句の果てに職に就いたのなら、もう手遅れだ。
「造型やサウンド」で快楽を覚えるように、鉄道おじは自転車やオートバイの形や走行音で興奮を感じる。鉄道おじはサーキットを彼らのための娯楽施設と言っているが、鉄道おじは自転車やオートバイの走行風景や造型などで性的まがいな興奮を感じているの事実である、逆にそれにまたがる人自体には性的興奮を感じない。
鉄道おじは2003年の普通二輪免許取得と同時に行った250ccのオートバイの乗車は「オートバイで興奮を覚えた」一番最初の機会である。で、同じく好きなクラシック音楽感覚でヘッドホンで走行サウンドを聞きながらストレス発散をしていると思われる。つまり鉄道おじのアレなのである。そのようなオートバイフェチと常識を外れた性的嗜好を、鉄道おじのオートバイや自転車の造型で性的興奮していくことが、のちにあのように発展していくのだ。
私がこのような違和感を感じた最大の要因は、ロードバイクやオートバイの大群に興奮を覚えた鉄道おじを批判した人が、逆ギレした鉄道おじによって糾弾されたことにある。楽しさをわからない子供だと。しかし、その後に不正改造車のネタ消費を記事にした鉄道おじは、なぜか「竹箒に跨って飛び跳ねて遊ぶ女性」を批判していた。
もしオートバイや自転車の造型や騒音で性的興奮を覚えるのは良いというのが「竹箒を使った魔女や魔法使いや魔法少女の真似は下品」なら、鉄道おじの主張は明らかなダブルスタンダードになるが、実際はそんな問題ではないし、何より成り上がりである鉄道おじが下品な趣味を捨てていないのだから、鉄道おじこそ「下品」である。
鉄道おじは魔法少女ものの漫画を持っていないし、1990年代から今日に至るまでアニメオタク活動をしているとあるが、魔法もののアニメについて触れたこともない。その際、一度もを調べずに自分の無知や低知識をもとに娯楽論もどきのまとめを投稿したわけだが、オートバイからの興奮のリミッターが鉄道おじの人間性をダメにしていないか。
これが鉄道おじである。もちろん当然、鉄道おじの自宅部屋に行けば、本棚には古今東西の不良漫画やオートバイ漫画が、PCやその周辺にはオートバイや自転車に関する画像を集めたディレクトリやゲームソフトや機械があるから、その時点で問題である。本当にオートバイからの性的興奮は脳内から追放したほうがいい。そして、鉄道おじの異常な性的嗜好をどうにかしたほうがいい。
偉大なる英国放送協会がまた何か日本特集をやったようで、日本のオタクたちはそれにかかりきりである。内容はいつもの如くである。日本男はロリコン趣味が酷い、カワイイへの執着が酷い、外見差別が酷い、云々。反論もいつもの如く――二次元は関係ない、対象が成人でも批判されるのはおかしい、外見では中身は分からない、云々。そうではないのだ。
いわゆる外人の男性はイージーゲームである。増田諸賢は白人か黒人男性のテンプレートを思い浮かべて欲しい。日本人女性のテンプレを考えて欲しい。カップルの成立である。これを読んでいるあなたが特定の男性をどう思うかは別にして、実際うまく行くかは別にしてだ、少なくとも"外人ボーナス"の存在自体はほとんど自明のこととして想像されるであろう。
一方、いわゆる外人の女性はモテない。その実情まで増田は知らないがその嘆きは見ることができる。彼らは人並みに恋愛関係を学んで仕事に邁進しスキルを付けて極東へやってくる。仕事では日本の労働者を蹴散らすことだろう。しかし恋愛となるとこの超過密都市東京、渋谷の街へ繰り出してもナンパ一つ来ないのだという。何かがおかしい、真理からかけ離れていると彼らはフラストレーションを高め、そして同じ境遇同士集まって、まだこの国の慣習こそ完全には理解していなくとも、容姿にも性格にも能力にも問題のない"外人女性"たちが、十人が十人とも共通して異常な非モテ問題を抱えていることを知るのである。いわく、同僚の外人男性が差別で困ったことはないと宣う。ピクリとも来ない同郷のオタク男はカワイイ女子を侍らせている。いわく、スタバで空気扱いされる。日本女性の友人には奥手だから攻めろとか言われ、道を尋ねれば逃げられる。土曜の夜にも関わらず誰も捕まえられず一人ラーメンを啜る……それらの事象が「日本には外国人差別が根強く、日本男は古い奇習を引きずっていて、成人女性に興味がなく敵対的である、と考えられる」という"事実"となって立ち上がってくるのであろう。
さて、日本男は外人女性に興味がないのだという説に対する反論が一つ決まっている。無修正である。それら映像には主に外人が取り上げられ、日本男はそれを好んで見る。無修正が好きなのだから外人女に正常に興味がある、はずだ、という。しかしこの反論は破綻している。先日、そういった作品に出演した人物が警察に逮捕されたというニュースがあった。その是非を論じることはまた別の機会に譲るが、出演した人物は訪日外国人ではなく日本人であったようだ。修正がないことを好むのであって、登場する人物に対しての嗜好が反映されている訳ではないのだ。問題はおそらく、日本社会が多様性では米国や欧州の一部ほどには豊かではないことから、外見の認識を形成する際にこれら対象外と扱われてしまう人々を彼らが求める方向性で認識できないということなのだが、しかし外国人差別があるとか古い奇習を引きずっているというのはまあ事実ではあろうし、訪日外国人が現地民の性的嗜好に強い性差を見て取り、精神的な負担を感じてしまうということのほうがより単純で重要で明確な事実なのであろう。
オチは無い。あるのは、BBCの女性記者がなぜか東京を根深く侵す日本人男性のいびつさを暴かなければならないほどの精神的苦痛を感じているという事象である。これを読んだ増田諸氏はぜひ国際理解のちょっとした課題として解決への糸口を探ってほしい。
(余談だが、増田が育ったころには英語に敬語はないなどという大嘘がまかり通っていた。ジスイズアペンに敬語は要らないが、自分が適当な日本の古都出身だったとしてお宅の方言には敬意を表す表現が有りませんなと言われたと思ってみて欲しい。公然と嘲笑うよりも、へえ劣等言語は中々使いこなすのに骨でして貴方様の言語が羨ましい限り、とでも誤魔化して後々慇懃無礼におちょくった方が楽しい。それくらいの陰湿さは万国共通である)
私は同性愛者。
ゲイでもレズビアンでも良く見る「自分の性的嗜好を柱にする人」は多分
迫害されてきたからこそアイデンティティになってしまっているという矛盾を抱えている。
恋愛なんて人間の9割9分がすることで、とても強い感情だけど大抵は異性愛だから
よっぽど独特の恋愛観もってない限りそれが自分のアイデンティティになることはない。
だけど同性愛者は未だに、少なくとも日本では生きにくい環境。レズビアンはまだマシだけど
ゲイなんて未だにメディアで"気持ち悪さ"というステレオタイプがネタになってる。
だから自分が同性愛者であることを強く意識し、コミュニティを築いたりして
同性愛者であるというアイデンティティに誇りを抱こうとしている気がする。
少なくとも私のまわりはそういう感じの人が多い。
広告やCMなんかでたまにある、実写の顔が大きく加工された女優やモデルを見ると、勃起が止まらなくなる。とにかく、顔(頭)が不自然にでかくなった美女が好きだ。どうもそういう特殊な性癖らしい。原因はわからん。
原因がわからんので、うまく人に説明することができない。物心ついたときからそうだった。気がつけば雑誌広告、新聞広告のスクラップ、テレビCMのエアチェックが日課になっていた。日課といっても好みの広告と出くわすのは年に数回だが。最近はYouTubeがあるから便利だ。生まれる遥か前のCM動画、または世界各国のCM動画を漁りながら、未知の世界を開拓している。
そんな人、自分のほかにいるんだろうかとか、普通の生身の女性に恋はできないんじゃないかとか、ずっと不安を抱えて生きてきたが、5、6年前あたりから、似たような趣味のある人が外人ばかりだがちらほらと見かけるようになり、どうやらおかしいのは自分だけではなさそうだということがわかった。幸い、このままではまっとうに生きられまいと危機感を持って暮らしていたためか、生身の女性を問題なく愛せてもいる。
しかし、いくら変態野郎にやさしいインターネットと言えども、いまのところ自分を含めて世界で4、5人くらいしかいないような気がする。Yahoo!知恵袋でも似たような性的嗜好のありそうな質問者が散見される。本当は同好の士を見つけたいのだが、こんなアブノーマルな趣味はツイッターでもフェイスブックでも言えるわけがない。ではなぜ急に匿名とはいえカミングアウトする気になったのかというと、昨日から始まった滝川クリステルのトヨタのCMが、数年に一度、世界レベルでも滅多にない逸品だったからだ。体内の精液を根こそぎ吸い取られてぼんやりとした頭で、試しに増田に正直な気持ちを書き出してみようと思った。こんなこと、人に話したこともなければ、自分で考えをまとめたことすらない。こんなんでわかってもらえるだろうか。どれだけ反応があるのか知らないが、これで誰も同意してくれる人がいなかったら、いよいよ海外に活路を見いだすことになるだろう。でも英語はヤダなぁ。なるべく日本語でやりとりしたいなぁ。
追記:
意外に反応が大きかったので、今夜ブコメのお返事も兼ねてもう少し詳しくご説明したいと思います。
追記2:
当方ブラック企業勤務なもので、昨晩はどうしても追記を書いている時間が取れなかった。すまん。それにここまでバズるとは思わずビビッてしまったこともある。昨日の朝の段階ではせいぜい20~30くらいのブクマだったと思うが、明け方に帰宅してその10倍以上の数字が輝いていたので腰を抜かした。誰にも言えなかった悩みを聞いてもらえた喜びより、こんなに広まってしまった戸惑いのほうが正直大きい。だがせっかく話を聞いてくれそうな人たちがいらっしゃる貴重な機会だ。前述したようにこんなことについてこれまで考えをまとめたことすらないので、基本的にはトラバとブコメのお返事を書きながら話を進めていこうと思う。なかば全レスのような形になるので読みづらくて嫌われるかもしれないが、なるべく読み飽きないよう工夫するのでお許しいただきたい。
バズったぶんだけお答えしたいコメントも膨大な量になってしまった。なのでもう少々お待ちを。重要度が低いと思ったコメントはスルーするつもりだが、あるオカズに対するストライクとボールの基準は、股間が反応するかどうかというシンプルかつ原始的なものなので、そこについてはどんなにくだらないコメントにも真摯に答えるつもりだ。それから、今回は参考資料としてこれまでの人生で貯めに貯めまくった画像フォルダから惜しげもなく放出したいので、興味のある方はそちらもお楽しみに。
追記3:
追記しました。
①女性の社会進出を促し(恋愛も含めて晩婚化を促進)、生む機会を逸失させ、子供を減らす。
高校卒業後にすぐ結婚出産するのと、大学就職を経て結婚出産するのとでは生む機会に雲泥の差が出来る。
女性が30歳までに一度も出産を経験したことのない場合、それ以降の妊娠確率が極端に低下する。また、奇形児の確率も増える。(30歳までに1度でも妊娠出産を経験していると、歳をとってからでも妊娠出産ができる)
②都市に居住させることで、居住空間の減少および生活費の負担増(自給自足経済の崩壊)を引き起こし、子供を生みづらくさせる。
③さらに都市に居住させることで、多様な娯楽を提供し、妊娠より、娯楽を選ぶ女性を増えさせる。
④ハーフや外人を頻繁にテレビに登場させ、外人に対する良いイメージを植えつけ、混血を増やし、純粋な日本人を最終的に根絶させる。混血による侵略はポルトガルの南米での植民地支配の方法。
昔は、女性を経済的弱者として、一人では暮らせないレベルに追い込むことで、
自立できない女性とそれを養う男性というカップリングを成立させてきたんだから、
それが男女平等によって収入格差が解消されたら、以前のようなカップリングは激減するでしょうね。
でもいくらカップリングが減っているからといって、昔の状態に戻すのは間違ってると思う。
もっとIT技術を発達させて、価値観的にピッタリなカップリングを自動的にみつけてくれる仕組みを開発するべきだよ。
政府が、5年ごとに個人の性的嗜好やら価値観や希望する相手のタイプを全部調べあげて、
良さそうな相手を5人紹介するとかやればいい。
構成がやや難儀だな。
主要人物の語られるバックボーンや、ロマンスもろもろが中途半端、或いは余計に感じるというか。
なぜこーなったかってことは理解できるのに、それに感情移入できない。
「どーいうテーマ、物語か」っていう観点で評価しにくいし、仮に評価できるとしてもそのテーマによって紡がれるものが希薄なのだ。
良くも悪くも、非常に圧迫感を覚えた。
隠し事をしている男と、復讐心に駆られて危うさを漂わせる少女との奇妙な交流は、どういう展開になるか最後まで読めない緊張感があり、実際ラストまでそれは変わらない。
けど絵が拙いのは一目瞭然で、ドアップな構図やフキダシ、文字もでかくて圧迫感を覚えた。
ある意味プロットと噛み合っているとも言えるが、それでもクドさを覚える。
ワンアイデアの設定と、それに合わせた主役のキャラクターによって可笑しさはあるものの、ほぼ静的なプロットは盛り上がりに欠けるのは否めない。
結局のところテーマの主体が先生の性的嗜好で、それで何か大きなドラマが紡がれているわけでもないからね。
絵は似たり寄ったりな構図が気になるが、粘液の質感はこの作品のテーマと関係していることもあって気合入れてるね。
とある女の子の問題と、とある教師の問題が平行しつつ、二人の交流によって展開していく構成かな。
気になるのは、女の子側の問題が教師の励ましによって大きく解決に向かうのに対し、教師側の問題は女の子が大したカンフル剤になっていないところだ。
あと、所々「ん? どういうこと?」というセリフと場面がいくつかあって、描き方の問題もあるのかもしれないが、自分がコンテクストを理解できていないことに不安になった。
プロットは理解できているのに、恐らく私はこの作品を肝心なところで掴みきれていない。
奇抜なワンアイデアを基盤に物語を展開させるってのは、モアイで読める受賞作品では定番なんだよね。
ただ、それをちゃんと活かしてテーマもしっかりしつつ、物語をドラマティックに紡いでいるのって案外少ないから、その枠組みではかなりレベル高いんじゃなかろうか。
物言わぬ人間となった妻と、それに相対する主人公の心労が丁寧に書かれている。
ラスト近くで描写される首がない赤ん坊や看護師は、主人公の順応を表現しているのか(赤ん坊も泣き声が描かれているし、看護師も普通に喋っているので、実際には首があるはず)。
38ページ目に丸い線があって、これが主人公に重なっていくつか描かれている。