はてなキーワード: フィルターとは
いや使ってから評価するでしょ普通。期待してるならせめて★4でしょ。
使って気に入らない★1の方がまだスッキリする。
・平気で発送処理後にメールで「送付先こっちに変更して」みたいな人、くっそメンドイから準ブラックリスト入れてるからな!
・平気で郵便番号間違えてる人、google先生に住所打ち込んで郵便番号変換してるの俺だからな!お礼も何も言われないけど!
・クレーム入れる人の購入額ほぼ2,000円未満!数万でのクレーム1回もないわクソ!
・トリプルはクソ。
昨日の仕事帰り、母親がコロナウィルスが怖いというのでマスクと消毒液を持っていった。
きれい好きな俺なら持っているのではないかと母親から連絡が入り、案の定十分なストックはあった。
ただきれい好きなだけではなく、花粉症やカビアレルギーがあるために現実的に必要なのだ。
連日の報道でかなりビビっているらしく、家には引っ張り出してきたという加湿器付き空気清浄機が2台並んでいた。
ところが、この部屋に一歩踏み込んだ途端に鼻がうずきだしくしゃみが止まらなくなってしまった。
目の前には二台の空気清浄機。
まさかと思い恐る恐る蓋を開けてみる。
大げさではなく、2cmはあろうかというホコリの層がフィルターを完全に隠していた。
それだけではない。
加湿フィルターも、中のファンも、吹出口までがカビでびっしり。
聞けば国内で最初の感染者が発見されたと同時に引っ張り出してきたと言うので、少なくとも一週間以上はこの空気の中で生活していたことになる。
なんということか。
まだ遠くにある未知の脅威を恐れるあまり、目の前で確実に命を削るリスクを選んでしまうとは。
https://www.youtube.com/watch?v=6uhUcjii2Tg
この動画をたまたまyoutubeのレコメンドで見かけたので開いたら辛い気持ちになった。
説明文ではこの動画は手描きで一枚一枚描いたかのように書かれていて、それはすごいなと観てみたのだが、
明らかに手描きやトレスではなく動画の手描き風フィルターを使用しているのだ。
再生数に寄与してほしくないので観なくていいが、観ればわかる。
ところがコメント欄を見るとそれを指摘しているコメントは一切ない。
たしかに一昔前に比べて手描き風フィルターが進歩しているとはいえわからないものなのだろうか…
怖くなって俺はそっと動画を閉じた。
大学時代の友人
「被告は『職員が死んだ魚の目をして希望なく働いている』と話すこともありました。しかし『でも障害者はかわいい。いつも寄ってきてくれるし俺がいないと生きていけないんだ』とうれしそうな口調で言っていて、ようやく被告が楽しく仕事をするようになったと安心しました」
大学時代の後輩
「就職活動について相談したところ、被告は『仕事は金のためじゃなくやりがいだと思う。入れ墨を入れている自分でも、障害者の人たちはきらきらした目で接してくれる。自分にとって天職だ』と話していました」
自己の尊厳の低さを、障害者という依存的存在への奉仕という行動で自己の尊厳を満たしてるんだろうなって感じが見受けられる。
「俺がいないとこいつら生きていけない」という状態に喜びを感じているんだろうなと感じた。そこに健全さを感じない。
恐らくだが、被告は当時の自分に自己肯定感は抱いていないんじゃないかな。
「入れ墨を入れている自分でも、障害者の人たちはきらきらした目で接してくれる。」は高い自己評価を持つ人間だったら出てこない発言。
「2年ぐらいたったときに、『障害者はかわいそう。食べているごはんもひどくて人間として扱われていない』と話すようになりました」
3年経過。社会に貢献している、素晴らしい仕事に従事しているという認知フィルターが外れた状態。
もし健常者が体験するなら地獄のような非人間的環境に対する冷静な評価。その状況に対するリアクションを行えない事に対する重度のストレスも見受けられる。
「6月ごろ突然『意思疎通できない障害者は生きている意味がない』と私に言うようになりました。あんなに仕事に満足していたさとくんがそんなことを言うようになったので仕事で何かあったのかなと思いました」
地元の友人
仮説1:
『何もできない障碍者をケアするという社会的意義のあり、必要とされる仕事に従事している』(入社時)
↓
『地獄のような環境に障碍者を隔離、放置する倫理的に許容しかねる状況に加担している』(2,3年経過)
↓
「正しい事は何だろうか」
↓
主張
想定しうる主張の論拠
・社会的情勢として、社会に対する生産性の低い、貢献度の低い人間が積極的に排除されている
・介護従事者が現在の倫理的に許容しかねるような非人間的環境の維持、加担というストレスフルな状況から解放される
・障碍者の尊厳死という考え方。障害者施設に隔離され、介護従事者から「尿と便の詰まった袋」扱いされながら一生を終える状態を人間として尊厳を保ってないのではないかという考え方
多分被告は死ぬ直前まで自説の正しさを疑わないだろうなと思う。
・非常に高ストレスな環境にも関わらず、相応の報酬が得られない
こういう環境なわけでしょ?よほど自己犠牲的な傾向が高くないとやれない仕事だと思うわ。
俺は絶対こんな仕事就かないし、働いているやつはホントすごいと思うよ。
れいわの議員さんとかがこういった構造に対する認知を広めていってるけど、
結局のところこれ、こういう福祉に対する予算、人員、ルールをどう整備するかって所でしか解決できない問題だよな。
後期高齢者に対する医療費が天文学的に膨れ上がってて、他の予算がshrinkしてる現状だと、
正直現場の人や、障碍者の人達は報われて欲しいと思うけど、多分そうはならないんだろうなって思う。
あまりに多くてウザいのでいろいろ試してたんだけど以下に落ち着いたのでシェア。
余程釣れるんだろうな。実際自分も何度もリンク踏みそうになったし。
なおメーラーはThunderbird。
例えばAppleからのメールを騙る場合、自分のとこに届くものは以下の特徴がある
全ての条件に一致:
差出人に 次を含む apple
差出人に 次を含む twitter
というフィルターを新規作成。(差出人にappleとtwitter両方入れるバカは普通のメールではまず無いと思われる)
またこれをgoogleとyoutubeそれぞれにも新規作成した。
google, twitter, youtube分それぞれ作成した。
これでやっと平和な夜が戻ってくることを祈る。
https://anond.hatelabo.jp/20200118002721
たくさんのコメント、少数ながら同意など、本当にありがとうございます。
いくつか質問が寄せられているようだし、これだけ賑わせてしまったからには説明責任はあると思うのでいくつか答えさせていただきたいと思います。
元記事を読んで不快になった方や、謎は謎のままがいいという方はUターンを推奨します。
まさにこれです。この記事にリンクを貼ると万が一バズってしまったときに謎のアクセス集中が起き、総本山(ニトリ)に激震が走らないかという危惧があったのだが、その結果がこれだよ!
そうこれを恐れているのよ。でも今のところネットニュースになったりみたいな騒ぎにはならなかったようで胸を撫で下ろした。
なんかもう1万回再生行ってるが俺が初めて見た3日前はせいぜい2000回だったような気がするけどそれとこれの因果関係は気にしないことにした。
記事への反応の中の指摘にもあるように、おそらくこのYouTubeの動画は時期が来れば消えるだろう。
そうなったあと、CMの内容を知らない人が一体どんなCMだったのか永遠の謎をさまよう事態になり、たとえ真実に辿り着いても、それを知った瞬間の失望を考えるととても哀れになる。
いやどう見てもお姉さんでしょうこれは…間違いない。
いや間違いがあると俺が困る。いろんな形の愛があっても構わないとは思っているが、こんな俺でも開きたくない扉はある。たとえもし間違いだとしてもその事実は俺が墓に入るまで俺の耳には入れないでくれ。
正鵠を射た指摘だ。マネキンを使うのではなく、血の通った生身の人間を人形のように捉えているところが良い。
ソファに着地した瞬間にわずかに体が揺れて人間らしさが現れるところが、頑張って人形してるなと思えてポイントが高い。
なんというか、ほんと、ありがとう…でも無理しないでねホントに。
俺の性癖を振り返ると、現実ではありえない非現実的なシチュエーションに置かれている女性という通底するひとつのテーマがあって、そのシチュエーションが謎であればあるほどツボを刺激されるようだ。
モノによります。たとえばこれなんかすごく良い。
Twitterで時間停止AVというものが流れてきたんだけど、なんか違った。それは、「時間を停止しますよ」と企画として断っているから、なるほどそういう話なのねと脳が納得して完了して冷めてしまう。
それに対しこのニッセンのCMは、何の説明もなく香里奈が停止していたり、香里奈が増殖してワチャワチャしている。この荒々しい世界観が素晴らしい。
同一人物が増殖するというのはフェチとして有名なのでわざわざ触れないが、増殖は特殊なシチュエーションとして非常にポイントが高い。
たぶん例のニトリのCMよりはわかりやすいと思う。ニトリとかニッセンとか家具屋フェチってわけではないよ。これで答えになったのかな。
ラピュタかあ。いいよね。普通に好きですよ。期待に応えられず大変申し訳ないが、特に下半身が反応したりはしない。
こうした質問があるのは当然だと思う。あんなCMでムラムラしたとか言ってたら、女性がふわりと下りてくるのに興奮する特殊性癖と思われても仕方あるまい。
たしかに空から女の子がってシチュエーションは唐突だ。しかし、ペンダントの石が光り輝いたことで空を飛べたというのは絵として十分な説明になっており、話として納得できるので、特に俺のフィルターに異常は起きない。
ちなみにラピュタで一番好きなのはシータをムスカのところから救出するシーンです。無駄な一般の感性アピール。
確かに変形というのもやはり非現実的なシチュエーションとしてポイントが高い。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm28454420
このCMで女性がぞうきんをかけているとスーッと掃除機がけに移行していくさまが、妙に機械的な動きをさせられていて実に良い。
これも十分いいのだが、これと別に、細身の普通の女性が掃除機をかけているとぞうきんがけに移行した瞬間モーフィングで力士に変身するというバージョンがあって、その動画が残っていないのが返す返すも悔やまれる。力士のぞうきんがけのようなパワフルさをもった掃除機というコンセプトは理解できるが、女性が自身の体を力士に変身させられるというあまりありがたくはない役回りをさせられているところに強く心を突き動かされたものだった。
さっきから質問の答えになっていない気がしてならず大変申し訳ない。
さっきから例に挙がるものが全部CMだと言われそうだけど、CMはアピールの塊だからそれだけ注目を集めることしてくるからCMは危険よ。
このベッド欲しいな。掛け布団を片しておく空間を用意しないと駄目だけど。
お世話になってしまっといてアレなんだけど、家のスペース的にこのソファベッドは買えないかなぁ。同じ寝る&座るなら俺はコタツ派です。最後にしつこく一般の感性アピール。
sonzincさん
あなたは何も悪くないよ!いつかは貼られると思ってたから気にしてないよ!てか第三者が貼るならともかく俺本人が貼ると必死でキメェなと思ってたからむしろありがたいよ!
フィルター取るか両切りの買えばよくない?
<注意事項>
※この記事は「個人の信仰の自由」や「特定の団体」を批判・否定するものではありません
私が言いたいことは、
匿名ダイアリーでも散々語られてきた話題かもしれないが、こういう体験をしている人は意外と多いのじゃないかと思う。
長い文章になり、途中で少し口調が荒くなってしまうかもしれない。でも、もし興味が湧いたら読んでいって欲しい。
ここからは私の“個人的な”経験だ。私の家族はある宗教を信仰していて、私自身は産まれたその日に入れられたらしい。物心ついた頃から行事などに連れて行かれ、わりと宗教色の強い生活をしていたのを覚えている。小さかった私は疑問を持たず、それが普通だと思って成長していった。
だがいつかは必ず分かれ道がやってくる。信じ続けていくか、信じないか。
私が強烈な違和感を感じたのは、思春期の頃だった。学校のことで酷く悩んでいることがあり、たまらなくなって両親に相談した。すると両親は口を揃えてこう言った。
「祈れば分かる」
と。
ここで何か思い出した人は、この時の心境がどれほどのものだったか想像できると思う。私はそんな答えが欲しかったわけじゃない。両親が“自分の頭で考えた言葉”が欲しかったのだ。経験、あるいは何かしらの感情によって。
さっき、いつかは分かれ道がやってくると書いたが、私にとっては「祈れば分かる」がそれだったのだ。その日から、両親の発する言葉には“信仰”というフィルターがかかっているのだと知ったのだから。不信感が生まれるのは自然な流れだっただろう。
問題はそこからだった。私は一気に懐疑的になった。今まで当たり前だと思っていた自分の思考も、宗教が土台になっていたのだろうかと考えるようになった。フィルターのかかった両親には、疑問をぶつけても満足のいく答えをもらえるどころか、「信仰が足りないのではないか」と叱責されたり白い目で見られることが何度もあった。何をするにも、何を話すにも必ずと言っていいほど宗教がまとわりついてくる。
私は、家族との「共通言語」をあっという間に失った。同じ土台に立とうにも、私はとっくにそこから転がり落ちてしまっているのだから。
自分の置かれた環境に勇気を持って必死に立ち向かう子供たちは世の中にたくさんいるけれど、小心者の私は不信感を隠して生きていく道を選んでしまった。それと同時に私は信仰心を捨てた。
知識が足りないのかと宗教について学んでみたりもしたけれど、論理的に理解するよりも先にやってくるのはいつも悲しみと喪失感だった。
私はこの家で食べて、寝て、話して、育ってきたのに。 もうここは、私の「帰るべき場所」では無くなったと感じたことが何よりも辛かった。物理的には家には帰れても、もう家族とは同じ目線で会話が出来ないのだと気づいてしまったから。
少し感傷的になってしまって申し訳ない。今、私は信仰心を捨てたまま元気にひとり暮らしているが、どうもこのことに関してだけは平静ではいられない時がある。両親は健在で、正月に顔を合わせるくらいだが相変わらず同じ土台には立っていない。
人間の、人生の寄る辺なさというものは、とても居心地の悪いものだということは分かるのだ。
それでも、産まれてきたばかりの何も知らない赤ん坊や、自分で考えることを覚える前の小さな子供を、勝手な判断で宗教に入れることだけはしないでくれ。
その子供たちが自分の意思で同じ信仰心を持って生き続けられるなら良い。だけど、そう出来ない子供たちもいるのだということを知っていて欲しい。出来なかった時の、あの胸を抉るような絶望を、親たちは想像してくれ。そして、子供たちには“自分の頭で考えた言葉”で接してあげてくれ。
本当に、お願いだ。
小保方氏の不正が発覚してメディアで取り上げられたのは大学生の頃で、小保方氏が記者会見をしたあとの研究室の人間は2種類の人間に別れたものだと印象に残っている。
・「ありまぁすw」「教務のあの人小保方に似てね?w」など積極的に言う人
俺は前者の人間とは絶対に仲良くなりたくないとわかったので、ある意味有用なフィルターを作ってくれた小保方氏には感謝すらあるのだが、研究と学業がうまくいってたのは、どちらかというと前者の人間だったとも記憶している。というのも、前者のような人間は、うまく人に頼ることができる人間だった。
4回生で研究室に配属されているにも関わらず、未だ単位が足りていない2人がいた。単位を落とすとまずい科目を2人で分担して取り掛かろうと話し合い、レポートを協力してすることになった。一人は前者、一人は後者の人間だった。後者の人間は、協力者にもわかるように1つのレポートを作成したが、前者の人間は、「わからんかったw」という理由で、担当分のレポートを結局2人で協力してやっていた。つまり、前者の人間は実質0.5で、後者の人間は1.5の作業量であった。
卒論に関して言えば、前者の人間は指導教員に積極的に話しかける人間だった。指導教員と仲良くなるし、わからないことがあればすぐに周りに聞く人間だった。指導教員のサポートもあり、卒論レベルでは十分な成果を出せていたと思う。当然卒業した。
後者の人間は、コミュ障を自虐し自称するも、この人なりに努力して色んな人にわからないことを聞いていた。だがこういうタイプに多いのは、できるだけ自分ひとりの力でやろうとするという特徴がある。この人もそうだった。たいてい、心配になった指導教員がみかねて話しかけると、「実は環境構築でエラーが出てて…」みたいな感じのやりとりがあった。その調子で研究が進んでいっていた。この人は1月になっても実験を繰り返しており、M1の協力もありつつ、徹夜に次ぐ徹夜で提出締め切りギリギリで卒論を提出した。無事卒業した。
俺が小保方の名前を見て思い出すのは、彼女の不正とか、誰かが死んだのは誰のせいとか、そういうのよりも、「性格」というのが人生を決定づける大きな要因だということだ。自分でやらなければ自分の力にならないと信じる人間は存在して、その努力はなんの成果にもならず、ただ時間を無為に過ごすことを繰り返すことを努力と履き違えることに気づいていようも、それでも何かの力は身についていると信じているか、あるいはそれが自分というものだからと言い訳し、専門家から見るとお遊びのような自己研鑽を積み続ける。たとえ実験の間違いに気づいていても、反論するだけの知識もなく、とにかく口が回らないので、指導教員のアドバイスどおりにやった結果、怪しいがそれでも成果とも言える何かが生み出され、その何かに軟膏を塗るように後付けで理由を貼り付けて、からまった因果関係をひねり出し、論理を組み立て、それで最終発表をやり過ごし、それでもこの苦しい経験は自分の生涯の力になったと信じている。その錯覚は「自分は研究には向かなかったが、企業人としてこの経験を活かして生きよう」という呆れた人生の指針を生み、呪われた性格を背負ったまま次の修羅場へと自ら進んでいく。不憫で無能で仕方がない。
正社員で4〜5回は転職して、現在はパートやアルバイトで点々としてる25歳。
しかし、パートを転々と変えているのにもかかわらず正社員にならないかと誘われることが多い。 勿論断っている。
何故なら入ってみて仕事に慣れてくるに連れて駄目なところがモロにわかってくるからだ。
よく思うのは合理的でない所。
最初は仕事を覚えるために必死になるから気が付かないが、慣れて余裕が出てくると無駄か多いことに気がつく。
そしてそれを改善できないことが多くやる気がなりやめる。
因みに、まじでこいつ転職してくんね?ってやつ程残ってる。
転職回数よりも、合理的な考えと人間的な感情を考慮できる人なのかをしっかり確かめたほうがいい。
最低でも後者だけでいい。
書類でバサバサ落とされるけど、通るところは糞ブラック(誰でもいいからほしい)かホワイト(人柄などを重視)なので転職回数の多さがいいフィルターになってる気がする。
絵描いて月に1000円しか稼げてない。
ゲー厶(unity)作っても遊ばれない。
django学ぶもデブロイ出来ずに死ぬ元ポンコツエンジニアのパート介護士には
EXCELペタペタ、なんのドキュメントもねぇクソプロジェクトにゴミカスパソコン。
Itとは名ばかりの非効率な業界にいたときより数倍ましたけどな。
もしやるとするなら小規模デイがいいらしい(聞いた話)
おばヘル以外はいい人多いから割と辞めずにいちゃったんだけど人間関係の良さはまじで大切だと実感した。
仕事なんて大抵やれば出来る。
Twitterでバズるようなすごい人ってホントにそんなにいない。
レッツ転職
2010年代が終わるわけだが、2010年代のアニメベスト10を独断と偏見で決めてみたくなった。ので増田に放流。
見てない作品は語れないので見た作品だけ挙げる。見た作品の数が少なくラインナップが偏っている結果チョイスが偏った点については先に謝っておく。また、順番は順位ではなく放映順である。
長いゼロ年代の終わりを飾るというか10年代の始まりを告げるというか、とにかくエポックメイキングな作品だった。紛れもなく一時代を画すアニメであり、こんなに議論が盛り上がって人々の印象に残ったのってマジでエヴァ以来なのではという衝撃があった。
2010年代には『Fate/stay night [Unlimited Blade Works]』(2014/2015年)と『Fate/stay night [Heaven's Feel]』(2017, 2019年)がアニメ化され、さらにはFGOや『Fate/Apocrypha』に『ロード・エルメロイII世の事件簿』もアニメになり、いずれも素晴らしい出来だっただけにどれを入れようかすごい迷ったのだけれど、Fateシリーズに新しい客層を開拓したという点でZeroの存在感がなんだかんだで大きいかなと。切嗣の重要な台詞が微妙に原作改変でそれはどうなのかと思わなくもなかったがラストの桜ちゃんを原作ではなくボツになった原案通りに作ってくれて素晴らしかったですね。人間オルガンちゃんが再現されなかったのは残念だけど仕方ない。Heaven's Feelも本当に素晴らしかった……。何も言うことはない。俺たちの見たかった最高の桜ルートだ……。2010年代はFateアニメ化で盛り上がった10年だったと回顧できるだろう。セイバールートも作り直して。
一作くらいは細田守を入れておいてもいいんじゃないかと思って挙げてみた。細田守、はてなでは評判が微妙だが普通に『おおかみこども』は良い作品だと思うんだ。純粋に家族愛の物語として見ると違和感とかも出るのかもしれないけど、歪められた関係性も理想化された田舎も、すべては花の回想をもとにして雪が語ったことであって、花というある意味信頼できない語り手を通して見た世界なんだよね。加えて言うなら、花が雪より雨を構っていることに批判的な意見も多々見られ、それは雪から見ればそうなのだろうし実際にきょうだいより構われなかった思い出を持つ人にとっては良い気持ちはしないのだろうけれど、でも完璧な人間でないと母親になってはならないか、といったら違うわけでしょう。母親も欠点を持つひとりの人間だし、それでも母親なのだ、という話だと思いますよあれは。それらの偏愛や歪んだ世界像を卓越した映像美でくるんで提示してくるところに、細田守が色んなひとの神経をざわつかせる理由みたいなものがあるんじゃないのかな。
アニメ映画を1つだけ挙げろ、と言われたらこれを推す。名作名作アンド名作。何を語ってもネタバレになりそうなので最高のSFアニメ映画だという当たり障りのないことしか言えない。ボーイミーツガールSFの傑作。いいから何も言わずに見やがれください。
単純なアニメ業界の楽屋ネタに留まらず人間ドラマとしてしっかり作り込んでいてくれて良い作品だった。23話はみゃーもりにつられて泣いちゃうでしょ……。5人の歩く道は凸凹していて、正解はわからずに手探りで進んでいくしかなく、それでもアニメに関わりたいという意志を持って進んでいけば夢に手が届く。そういう話の筋としてはありふれた成長譚を細やかな人物造形と堅実な脚本で良いアニメにしてくれていた。「万策尽きたー!」「どんどんドーナツどーんといこう!」などのフレーズも印象に残る。ただアニメというフィルターを通してもなおアニメ業界のブラックさが滲み出ており「これは美談にしてはいけないやつでは」みたいな感もあって、アニメの放映スケジュールが狂うことがあちこちで頻発しているのを放映予定の変更とかで視聴者目線でも感じ取れるだけに複雑な気分である。
紛れもないジュヴナイルSFアニメの傑作。可愛らしい格好をした魔法少女たちが土星の輪に突入するとか太陽系外縁部を探査するとかブラックホールを反転させるとかのハードSFな冒険を繰り広げるギャップがすごいし、荒唐無稽なファンタジイとリアルな宇宙描写を融合させた映像美はアニメだからこそ実現できるものだろう。ちょっと宇宙が出てくる魔法少女ものだと思って見始めたわけだけど土星の輪に穴を開けてエンジンを探し始めた辺りでガチのSFをやろうとしてるんだと理解したし実際かなりSFだった。降着円盤の温度まで考察されてるのすごくない……? そして根底には傷つきやすい繊細な心と他者を思いやる優しさが流れていて、映像の美しさと相まってリリカルさに心が洗われるような気持ちになる。放映終了後の喪失感は半端なかった。『サカサマのパテマ』と並ぶ2010年代SFアニメの金字塔ですわ。これが星雲賞を獲るべきだったのでは。
アクションのキレの良さ、百合描写の濃密さ、黒星紅白キャラの可愛さ、音楽のテンポの良さ、細部の丁寧さ、どこをとっても娯楽アニメとして超一級の出来だったと言うほかない。特に5話の剣戟シーンはここ十年で一番の殺陣だと思う。梶浦由記のオサレ音楽をBGMに美少女たちが流れるような作画でチャンバラするの控えめに言って最高としか言えない。また「神は細部に宿る」を地で行くような作品であり、アンジェとプリンセスの手紙の遣り取りとか、脱出用の荷物に書かれた文字とか、さり気ない描写のひとつひとつに込められた情報量が半端なく、それによって世界観と百合に奥行きを持たせることに成功していた。アンプリ、いいよね……。劇場版むっちゃ楽しみ。
素晴らしい作品だった。2018年はTVアニメ豊作の年であり『ゾンビランドサガ』『SSSS.GRIDMAN』などオリジナルの良作が次々と放映されたわけだが、なかでも別格だと思うのが『よりもい』。毎話毎話が最終回のごとき余韻を残し話ごとのメリハリも利いていて軽くシネマっすねという感じだったし、「先に行けって言われて先に行く薄情にはなりたくない!」「友達ってたぶんひらがな1文字だ!」などの印象に残る名台詞の数々は記憶に焼き付いて離れない。花田! 神回しか作れずに恥ずかしくないのか? 視聴者を泣かせて食うメシは美味いか? なかでも特筆すべきは12話で、まさか受信メールフォルダを映し出した画面に泣かされるなんて思ってもみなかった。アニメ史に刻まれる名シーンですわ。
岡田麿里が本気を出してファンタジイをやったらなんかすごいのが出力されてきた。失ったものにいつまでも抱いてしまう妄執とか、恋と愛の区別があやふやになって煮えたぎる思いとか、無理やり連れ出されて見せられた世界の美しさとか、そういったドロドロした感情を叩き込んだ闇鍋から人は互いに織り上げあう物語であるというテーマを掬い上げて観客の前にどーんと呈示してくる素晴らしい映画作品。ただただ名作と言うほかない。15歳しか離れていない不老の種族の美少女なお母さんに育てられたいだけの人生だった……
『君の名は。』(2016年)で俺たちの新海が一気に一般人にも知られるアニメ監督にのし上がってしまい、遠くに行っちゃったんだな……とゼロ年代に魂を囚われたオタクたちが訳知り顔でホロリとしていたところに投げ込まれた傑作。いや~原作PC版のクライマックスを忠実に再現してくれてましたね! 私は原作だと夏美ルートが好きで、彼女が晴れ渡った青空を見て浮かべる笑顔の爽やかさと、その青空の意味を後続のルートで種明かしされて味わうことになる切なさがめちゃくちゃ印象に残ってるんですよね。でもやっぱりあの長編エロゲから1ルートを取り出して劇場アニメにするとなったら陽菜ルートになるのも納得がいくわけで(甲高い早口)
……という感想を諸人こぞりて口にしはじめる辺り、完全にゼロ年代のエロゲだった。テン年代最後の年にゼロ年代を煮詰めたような要素てんこ盛りの作品を公開してしかもそこにセカイ系を力強く肯定するオチをつけるわけですよ。ゼロ年代の亡霊が昇華された感があり、なんというか新海誠すげえわ、一生ついてくわ。
ようやくパソコンのスペックが現代に追いついたのでスペック的なフィルターがなくなったのだけども、すでに色々積んでしまっててライブラリ眺めててこんなゲーム買ってたっけとなるくらいだったのでとりあえず安くなってたステラリスとアサクリオリジンズだけ買った。
ぼくの好きな人
25歳だった
ぼくより3つも下だった
「煙草はだめだけど、これならいくらつけていてもいいよ」と、シャネルの5番をプレゼントした
恋人に激しく攻められて嘆くぼくに彼女がマルボロの箱を差し出すあの瞬間をぼくはまだ忘れられない
ぼくは喫煙者ではなかったけれど、彼女にもらった煙草はフィルターギリギリまで絶対に吸った
それでもぼくは喫煙者にはならなかった
彼女はなんというか奔放なひとで、自分に恋人がいようが相手に恋人がいようがいまいが、フィーリングで生きていた
でも彼女はぼくに抱かれることはしなかった
ぼくも彼女を抱こうとしなかった
抱こうとしたら終わりな気がして、抱かなかった
ぼくらはそうして何年かの綱渡りをした
抱かれない彼女と抱かないぼくだった
「ぼくが次にプレゼントするのは何がいいと思う?」
煙草じゃねえのかよ、とぼくは笑った
「もう煙草はいいの、化粧品も香水もアクセサリーもいらないの。身につけるのはシャネルの5番だけでいいの」
という彼女の横顔が忘れられない
高い鼻と重たいまぶたが忘れられない
ぼくはあの画像を見たくなくて、必死で背けていたけれど、ぼくはぼくである以上に医者であるので、見ないということはできなかった
ガサガサの肺も、ぐちゃぐちゃの脳も、見たくなかった
何より、たまにしか目も開かないような彼女を見たくなくなっていた
それでもぼくは医者であると同時にぼくであったので、彼女には会わなければならなかった
ぼくは彼女に聞こえるかどうかわからないようなボリュームで、聞いた
「最後、誰と一緒にいたい?」
彼女は目を開けていた
少し口が動いたような気がしたけれど、聞こえていなかったのかもしれない、なにを言っているのかはさっぱりわからなかった
日に日に彼女は苦しむようになった
最後はあっけなくて、彼女という奔放な命は、雨の日に吸った煙草が水滴で消える時みたいに、ぽつんと消えてしまった
涙も出なかった
好きだったと気付いただけだった
誰が彼女にシャネルの5番を纏わせていたのか、よくわからないままだった
ある日ぼくはなんとなく緑のマルボロと100円ライターを買った
火をつけて一口吸った
少しだけむせた
端的に、ぼくのことをそう思ってくれていたんじゃないかと、そう期待したのだ
違った
あのとき彼女は、ぼくの名前を言っていたんじゃないかと、期待した
今度はむせなかった
「菅田将暉」
人気俳優だった
「……ぼくじゃねえのかよ」
隣で電子たばこを吸う女性からは、シャネルの5番のにおいはしなかった
ぼくを訝しむような顔でちらりと見て、彼女は立ち去ってしまった
帰って一箱全部吸って一晩泣いた
この話、おしまい
サブ垢を作って自分とは全く違う価値観の人間を演じて生きてみないと世界の正しい形は見えてこないのに
もしかして、自分の検索した情報がとっくに自分自身の価値観に合わせて処理されているのをご存じない?
言ってしまえば僕らは常に「不可避の忖度的な検閲」を行われて情報を手にしているんだよ。
正しい情報を手に入れるためには自分が何者であるかを偽るしかない。
自分が右翼的なら左翼を演じたアカウントを作るべきだし、アニメが好きならアニメなんて興味がなくドラマしか見ない人間を演じたサブ垢を持つべきだ。
「体にいい食べ物なんて存在しなくて、バランスのいい食生活だけがある」とは語り尽くされたアンチテーゼだけど、その発想を情報摂取に対しても応用してかなきゃ駄目だよ。
現状に疑問を持ち、それに対して対抗策を講じることを辞めたのなら、それはもう人間とは呼べないと思うね。