はてなキーワード: ピンポイントとは
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nishimorimichiyo/20140113-00031521/
上の記事だと視聴者の内面やツールの変化によってテレビの視聴率に影響が出た、という論調だけど
ネット自体が番組視聴やイベント会場やCDコンポやシアターの役割を一手に担った状態になってるから
どうしてもテレビが暇潰しのメインコンテンツから陥落してしまうのは仕方が無いように思われる。
でもネットでは常にテレビをネタにした話がされてるワケだから、ぶっちゃけ
「テレビにはリアルタイムで視聴したいと思える程の刺激が無くなってきた」ってのが一番大きいと思う。
芸能人の内輪話なんて、情報として小耳に挟む程度で、別にワクワクしないもの。
ピンポイントで面白い所をピックアップして、それで充分っていう程度。
昔、巨大水槽の中で酸素ボンベつけてちゃぶ台で向かい合い無理やり普通の食事シーンを再現するコントとか
基本スペック
一人暮らしを始める際、「ずぼらな俺が4年間の一人暮らしでたどり着いた部屋作り&暮らし方http://anond.hatelabo.jp/20110828154004」を大変参考にさせていただいた。
次に異なる点
その他付け足し
あるとはかどる
あれはそもそもヒューマノイドなのか? サイボーグの可能性は否定していないのではないか?
そのため外見は人でありながら、実はその焦点はその中身にある。
あれは、どこからが人で、どこからがロボットか。人の中身とは何なのか。という問いかけでもあるのだ。
アイボやルンバだったら問題ないのに、限りなく人の形をとった途端問題になる、なぜか。
それは人の形を採りながら中身は人ではないということを、人にピンポイントに意識させるからであろう。
その訴える違和感が、思考とは、心とは何かという問いとなって、実に巧くその瞬間が表紙で表現されているのだ。
いきつけの美容室の店長が言ってたけど、「無名なサイトに無料でも登録しようと思わない。それならホットペッパーに登録する」的な事を言ってたよ。
で、新規サイトだから無名なのは仕方ないけど、知名度のなさを覆せるようなサービスが必要だね。君の場合、美容業界の事を全く勉強していないので、他の人も言うように、機能や技術だけの紹介になってる。
そもそも、
髪を切りたい場合、美容室単位でしか予約できないので、スタイリストから選んでピンポイントで予約できたら良いのでは。 -スタイリストから髪を切りたい人を見つける場を作れたら、新人スタイリストはカットモデルを探しやすいのでは。 -家にいながらにして、自分の現状の髪型と理想の髪型をスタイリストと共有できたらなぁ~
これがありえないよ。スタイリストは美容室に属しているわけで、フリースタイリスト・美容師ってのはほとんどいない。だから、当然店の都合に合わせるし、個人活動なんて出来ない。(しようもんなら契約違反で解雇される)
君の案は悪くないけど、逆だと思うんだ。各お店を紹介し、その中でスタイリストをアピールする。そしてカットモデルになりたい人を募集してコンタクトを取れるようにし、カット後の写真を掲載する。そのカットを見てお店やスタイリストは技術をアピールできるし、ユーザも「この人と同じ髪型にしてほしい!」って、サイトに登録するようになるんじゃないかな。
というわけで、君はまず仕様・方向性を再考するべきだと思うんだ。マーケティングとか営業とかもっと先の話だよ。テーマを見直そう。
いろいろ面倒なのではっきりさせておくと、大学で民俗を専攻してました。隣接分野として文人&歴史&考古の教養は有ります。更に文人サブジャンルの宗教学に関しては「馴染みがある」「概説書、エッセイを読んだことが有る」程度です。
そのうえで、この増田はすごくいい疑問を持ってると思う(ウエメセ)。
これはそのとおりで、逆に言えば「宗教の教義が十分に煩雑で多方面にわたっていれば、それがたとえ非論理的でも教義内で無謬となり諸々の事象を教義で説明できる」っていう仮説があって。イメージとしてはユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学みたいな(こちらは両方とも論理の枠内だけど)。
なのでその場合は「はさみをつかえばおまもりを切ることができる」に対応する屁理屈なり禁忌なりが形作られるのだと思うよ。
宗教と政治が一緒にならないようになったりとかは宗教上の定義とほかの何かの定義が一致しないことに基づいてじゃないかなと思うんだけど
これも逆説的にそのとおりで。
言ってしまえば「政教分離」を是とする現在の日本の状況は、人類全体で見ればたいへん特殊なんです。
200万年前に人類が猿から別れて、その後どこかで「宗教」が発明された。
発掘で確認されているのは10万年前くらいなので、仮に10万年とするけど、
その後、9万9千9百30年間くらいずっと宗教と政治権力は同一だったわけで、
「あれ? これじゃいろいろまずいんじゃね?」と気づいたのがここ数千年(ギリシャ・ローマとかのピンポイントの特例を含む)、
必死に血を流して実効が上がってきたのがここ数百年の話(プロテスタントとかイギリス国教会とかフランス革命とか。これも「別のより穏当な宗教」に置換しただけだけど)、
やっと成功例ができてきたのが大戦期からのここ数十年(共産主義、政教分離)。
といっても何百年後かの人類からは「21世紀のヤツらってまだ○○してたんだって」「やべーwww」と言われるんだろうが。
なので歴史=宗教=政治なのは普通で、上の「いろいろまずい」ってのは、あなたの言う「宗教上の定義とほかの何かの定義が一致しないことに基づいて」とほぼ同一なんだけど、たぶんまだ現生人類はベースが宗教=歴史=政治=パラダイムなので、色んな場面で宗教的感覚は染み出してくる、というのが俺の私見。
渋谷スクランブル交差点地下道入口へ登ることが禁止されてるのは? 禁止しないとやっちゃう人がいっぱいいるから。
何かが禁止された記録というのは、それをやっちゃう人が現実にわりといっぱいいたから。
というのが歴史学の基本的な考え方の一つです。
なんか読みやすい参考資料とかパッと浮かぶといいのだけど。プロ倫の解説書とかかなー。微妙か。
現役じゃなくなって久しいので、だれか現役の人頼む。
VPSサーバ | AWS EC2 |
---|---|
言語 | Ruby2.0p245 |
フレームワーク | Rails4.0 |
画像のリサイズ | carrierwave |
ストレージ | AWS S3 |
DB | AWS RDS |
処理はRuby on Railsで実装。 ログイン処理はdevice 画像のアップロードやリサイズはcarrierwave carrierwaveってすごいのね。たった数行書くだけでアップロードした画像を複数サイズにリサイズし、S3に保存までしてくれます。 インフラ周りはAWSにお任せ、THE最小構成ですね。 同時に7人アクセスしたらあぼーんです。 本来ならELBとAuto Scalingでミディアム2台くらい使いたいところですが、我慢。 RDSもmicroインスタンスなんで、これもクソ遅いらしいですが、ゆくゆくはミディアムにはしたいです。 あと、前回作ったWebサイトのAMIを利用したんですが、本当に便利ですね! 動くものを作るまでの時間がほぼ0でした! AWSは個人利用者には少々割高かと思いますが、こういった便利なところがいいんですよね~。
色々書いたけど、ここまでの文はリリースしたときにテンションがあがってた時に書いた文なののよね。
ぶっちゃけローンチして一ヶ月たつけど、登録数4人。しかも全部知り合い。
興味があったらみていただければと・・・と思ったけど宣伝乙とか言うんだろ。
実装から今まで頭の中で思い描いたことの9割は裏目にでてるか失敗してるかうまくいってない。
こんな難しいのか、サイト運営って。
メジャーリーグのワールドシリーズがついに始まりましたね。そこで、5日ほど前のものですが、アメリカ3大ネットワークの1つNBCによる上原の記事を翻訳してみました。誤訳があったらご指摘ください。
ウエハラ・フェノメノン
http://hardballtalk.nbcsports.com/2013/10/18/the-uehara-phenomenon/
さて、君もおそらく、今年のボストン(レッドソックス)の上原浩治が、野球史上の全投手と比べて、最も塁に出るのが難しい投手だったということをご存知だろう。それはとてもいいことだ。ここにWHIP(1イニングあたりの被安打と与四球の合計。少ないほど出塁されていない)の歴代トップ10、少なくとも50イニング以上を投げた投手のリストがある。
2. デニス・エカーズリー, 1989年, 0.607
3. デニス・エカーズリー, 1990年, 0.614
8. J.J.プッツ, 2007年, 0.698
興味深い小ネタを2つほど――リストの11位はまたも上原で、2011年のことだ。12位は? ペドロ(ペドロ・マルチネス)だ。それは2000年のことで、WHIPは0.737であった。彼がほかの選手の3倍のイニングを投げたことを考えると(訳注:ペドロ・マルチネスは先発投手)、彼の三振四球比(K/BB)が284割る……まあ、多くの人々が、ペドロの2000年のシーズンこそ野球史上で最高のシーズンであったと信じるのも、驚きではないだろう。
とにかく、トップ10を見れば君も気づくだろう……クローザー(抑え投手)だ。いや、そのうちの2人――ベノワとメレディス――はセットアップマン(セットアッパー、中抑え)だが、残りは全てクローザーである。歴代のWHIPトップ10のうち8人がクローザーだという事実は「9回はアウトを奪うのが最も難しいイニングだ」という神話に小さな短剣を投げつけるかも知れない。だが、今日のポイントはそこではない。我々が焦点を絞っているのは上原だ。
上原がキャリアをスタートさせたのは日本である――大阪大学(訳注:大阪体育大学の誤り)を出て、ドラフト1位で指名されたのだ。上原は1年目に20勝を挙げて、読売ジャイアンツの先発投手として活躍。また、オリンピックやWBCなどでは、日本代表の先発投手としてめざましい活躍を遂げた。2007年、32歳のときに、上原は読売のクローザーになり、そこでも周囲を圧倒した。2008年のシーズン終了後、上原は先発投手としてボルチモア・オリオールズと契約する。(しかし2009年)彼はもがき苦しんだ。彼は故障した。翌年、オリオールズは上原をブルペンに送った(リリーフに転向させた)。上原は驚くべきコントロールを見せ(44イニングで与四球は5個)、いくつかの試合では実際にボルチモアのクローザーもつとめた。だが、誰も彼に熱狂することはなかった。
そして2011年、当時は誰も驚異とは考えなかった驚異のトレードが行われることになる。
オリオールズは上原と幾ばくかの金銭をテキサス・レンジャーズに送った。レンジャーズはトミー・ハンターという悩める先発投手と、クリス・デービスというマイナーリーグの一塁手を送り返したのである。
私は、彼らが言うことも正しいと思う。将来の50本塁打男(訳注:デービスは今年のアメリカンリーグ本塁打王・打点王)と、年間WHIPの史上最少記録保持投手を、小さなトレードが生むことになるなんて知るよしもない。OK、それがことわざだかどうかは分からない(訳注:ここら辺ちょっと自信なし)。上原はレンジャーズでいい投球をしたが、怪我なしで居続けることはできなかった。テキサスでのWHIPは驚天動地の0.685。純粋に安打を打たれなかったし、四球も出さなかった。だが、1年半でたった54イニングしか投げなかった。そしてともかく、ただ1つ、誰もが本当に注目したのは、上原が2011年のポストシーズンの3試合で苦しんだということだった。それはおおむね1試合のことだ。2011年の地区シリーズ、タンパベイ(レイズ)との一戦で、上原は7対3でリードする7回に登板。すぐさまデズモンド・ジェニングスに四球を与えると、B.J.アップトンにライナー性の安打を打たれ、エバン・ロンゴリアに本塁打を打たれた。そして降板させられた。
上原はまた、デトロイト(タイガース)とのアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズにおける、次の二度の出番でも失点を許した。しかし私は、それが酸っぱい後味を残した初めての出番だったのではないかと思う。上原はそれまで、アメリカの野球ファンたちの心に、何一つ印象を残してこなかった。無地のスレート(屋根葺き用の石板)のようなものだったのである。ロンゴリアの惨事のあと、誰もが皆、上原に(悪い)印象を持った。翌年、上原はボルチモア(オリオールズ)とのワイルドカード決定戦に、レンジャーズがすでに3対1で負けている状況で登板。トレード相手のクリス・デービスを三振に仕留めた。アダム・ジョーンズも三振に仕留めた。マット・ウィータースも三振に仕留めた。だが、それは大事な局面ではなかったし、ロンゴリアの記憶を消し去るのに十分ではなかった。
レッドソックスは、425万ドル(約4億2500万円)という以前と同じくらい少額の契約で、上原と1年契約を結んだ(とはいえ、今では2年契約になっている。付与オプションが有効になったからだ。ボストンにとって大変嬉しいことだろう)。上原はクローザーではなく、セットアップマンでもなく、セットアップマンのためのセットアップですらなく、単なるチームの6イニングの選択肢になろうとしていた。レッドソックスの本来のクローザーは剛速球投手のジョエル・ハンラハンであった。ハンラハンは9試合で肘を破裂させ、トミー・ジョン手術を受けた。
そこで全員1つずつ繰り上がった。つまり、今やアンドリュー・ベイリーがクローザーになったということだ。ベイリーはアスレチックスのクローザーとして2009年に新人王を獲得し、翌年もまた周囲を圧倒していたが、その後はあらゆる怪我と辛苦を経験していた。ベイリーはレッドソックスのクローザーを3カ月弱つとめ――そして肩を故障した。6月26日、レッドソックスは上原をクローザーに指名した。
ではここで、上原の残りのシーズン(クローザー指名後)の成績をご紹介していこうと思う。拍手喝采は紹介が終わるまでお待ちいただきたい。
投球回:44 1/3
被安打:14
ふざけてるよな:分かるよ。
失点:3
被本塁打:1
三振:59
与四球:2
待った、今すぐ止めろ:2四球。よく見ろ。
被打率:.094
被長打率:.152
早く言えよ:ちゃんと頼め。
WHIP:0.358
紳士淑女の皆様、ご来場ありがとう。気をつけてお帰りください。
どうやって? OK、これはたった44回1/3でサンプルとして少なすぎるし、クローザーは1試合でたった1イニングしか投げないし……、どうやって?? 上原浩治は剛速球を投げない。Pitch f/xは上原の速球が平均で89.2マイル(143.6キロ)だと示しており、これは彼が日本から来たときとだいたい同じままだ。上原のマネーピッチ(決め球)、スプリットフィンガー・ファーストボールは約81マイル(130.4キロ)。102マイル(164.1キロ)の速球の世界で、一体どうすれば上原は対戦相手に出塁するのが無理だと証明できたのだろうか?
もちろん、コントロールの話から口火を切ることができるだろう。これはマリアノ・リベラの栄光の輝きの中で、常に最も過小評価されてきた部分の1つである――そう、リベラは対戦したみんなのバットをへし折ってきたし、同じ球を繰り返し繰り返し投げ続けてきたが、四球で自滅することはまずあり得なかった。リベラの最高のシーズンはおそらく2008年だ。彼は70回2/3で6人の打者にしか四球を出さなかった。
上原は、大リーグでのキャリアを通じて常に、気が狂うほどコントロールが良かった。2012年のレンジャーズでは、わずか36イニングしか投げなかったが、四球を出したのはたった3人だ。我々は、キンブレルの代名詞である剛速球を投げるようなクローザーと恋に落ちている(訳注:ここら辺自信なし)。しかし、剛速球を投げない代わりに、ピンポイントコントロールと多くの惑わし(投球術)で成功した名クローザーたちは、これまでにも多数――デニス・エカーズリーを筆頭とするが、偉大なるダン・クイゼンベリーとダグ・ジョーンズも含まれる――存在した。上原も明確にそれらを備えている。
2つめはこれだ:上原の投球――特に、ツーシーム・ファーストボールとスプリッター――が非常に鋭く動き、メジャーリーグの打者たちはしばしば当てるのに失敗しているということ。それがストライクゾーン内であったとしても。これは重大だ。大リーグの打者はストライクゾーン内のボールにバットを振るとき、一般に大成功を収めるものである。今年、打者がストライクゾーン内でスイングした上原のボールは、31.1%が空振りだった。これはいうまでもなく球界で最高のパーセンテージだ。
ストライクゾーン内のボールで打者を空振りさせた投手のトップ5は:
2. エルネスト・フリエリ, 26.9%
3. アロルディス・チャップマン, 25.6%
さて、同じトップ5の速球の平均急速は:
ああ、そうだ。君にも違いが分かるだろう。彼らは打者のバットを吹き飛ばす。上原は打者のバットの上下を通り抜けるのだ。上原には、大きく違う方向に動く2つの球種がある。ツーシーム・ファーストボールは右打者に向かって突っ込んでくるかのように見えるし、左打者を引き剥がす――リベラの代名詞カッターの逆バージョンのようなものだ。そして、スプリットフィンガー・ファーストボールはチェンジアップのように機能する傾向がある(速球より8マイル遅い。これは理想的な差に近い)上、遅くになって急降下する。打者の観点からすると、これは見たところ(飛び回る)スズメバチと、地中から現れるゾンビの手に、攻撃されるかすら定かではないまま、草原に踏み入れるようなものらしい。打者はどこを見ればいいのか分からないのだ。
全力の上原を前にしては、今や逃げ場などどこにも存在しないのだ。
特に、上原は今38歳で、レッドソックスは上原をクローザーとする前に2人の男たちを試していたということを考慮すると、これは極めて異例な才能の行列である。ここまでのポストシーズンで上原は7試合に登板し、そのうちの1試合でタンパベイのホセ・ロバトンにサヨナラホームランを許した。ほかには、落ち着く前にタイガースの2人から安打を打たれたが、失点は許さずにイニングを終わらせた。木曜日、上原は1回2/3をパーフェクトに抑えた。
全体として、このポストシーズン、上原は8イニングを投げて安打を4本で抑えた。WHIPは0.500。ここまで、一人の打者にも四球を出していない。
最後の捨て台詞みたいなのはどうかと思うが(金にならない知識も沢山持っていることで金になる知識を活かすことができるわけで、金になる知識だけをピンポイントで所有しようとする奴はその知識すら中途半端なのが常)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/コーシー分布
この分布は平均を計算しようとすると発散してしまって定義できないような分布だ。
データがコーシー分布から発生している場合でも、データの(標本)平均値を計算することはできる。
でもこれは本来定義できない量をデータから無理矢理計算していることになるわけで、その計算された値には全然意味がない。
具体的に言うとデータを取って計算する度に全くバラバラな値が出てくる。データの数を増やしてもなにか意味のある値に近づくとかいうことはない。
コンピュータとネットワークがあるなら、Rをインストールして(タダだ)
mean(rcauchy(100))
http://www.jwstudy.com/docs/study_hours_per_baptism/
誰も興味がないだろうけれども。
エホバの証人がやたら来るのは、一ヶ月にどのくらい伝道活動をしたかを報告するシステムがあるから。
日本人はこの数字上げに関して世界一熱を入れている。他国の信者が驚くくらい。
互いに愛し合うことより数字入れることの方がわかりやすいし、記録として張り合いやすいからかな。
組織は誰が何月に何時間伝道していたかという記録を過去何年分も遡って記録している。
伝道時間とは、エホバの証人じゃない人間にエホバの証人の教義を伝えるためにかけた時間を指す。
正規の伝道者になったら最低一ヶ月1時間は伝道活動を報告しないと「不活発」ということで、頭数から除外される。
どんなに熱心に聖書を読んでいようか、仲間の信者を助けるために奔走していようが、伝道してないとダメ。
「奉仕活動」と呼ばれているんだけど、地域ボランティアや被災地支援、介護なんかは含まれない。
そんなわけで現役エホバの証人として神に、そして仲間に受け入れられたかったら伝道は欠かせない。
この伝道時間というのは実質信者の格付けランキングになっていて、時間が多い人ほど重んじられる傾向にある。
伝道時間により伝道者、補助開拓者、開拓者、特別開拓者、宣教者というクラス分けがあるんだけど
海老名市にあるものみの塔聖書冊子教会日本支部、通称海老名ベテルの精鋭に選ばれた場合
何歳から何年間開拓奉仕をして来たかで、休みの日も違えば割り当てられる部屋も違う。
まず家を訪ねる場合、伝道開始した最初の家を訪ねた時間から、最後の家を訪ねた時間までを計算する。
途中道ばたで喋っていたり、移動したりする時間をどの程度記録に入れるかは個人の裁量に任される。
また手紙やメール、電話の場合は手紙を書き始めてから書き終えるまでを数える。
さて、補助開拓者から宣教者までは伝道時間のノルマがあるから1時間でも多く伝道したい。
特に月末・年度末は切羽詰まって、勢い質より量になる。
そのため伝道時間の「経費」とみなされる活動に自ずと力が入る。これを「時間を入れる」という。
遠くの家と遠くの家をピンポイントで訪ねてみたり、同僚に唐突に聖書の話をしてみたり
エホバの証人でない親族や友人知人にご機嫌伺いの手紙を書いて、最後にちょろっと聖書の言葉を書いたり
すごい人になると、一回家に帰って小一時間くつろいで、それも「休憩時間」とみなしてしまう。
そんなわけでエホバの証人は聖書の話を聞いてくれる・断らない相手にしがみつく。
聖書研究を始めた途端にいろんなエホバの証人が何かと話しかけてきたり、手紙を寄越したりするのもそのせい。
同じ相手に話しかけると「再訪問」という別枠のカウントも入り、これも熱心さの目安とされる。
もちろん出版物を提供したり、聖書研究を司会したらそれも件数でカウントされる。
こういう数字がいいメンバーは集会や大会で「模範的な伝道者」として賞賛される。
どれだけ長年熱心に仲間を支援していても、信者でない人を隣人として愛してきても
布教の成果が出て相手がエホバの証人になると、そこから数字はカウントされなくなる。
もちろん「時間が入らなくなる」ので、難癖つけて献身を渋るような本末転倒な事態も起きる。
(そして献身した後は「奉仕が忙しいから」とアフターケアをしなくなる。)
ブルックリン本部の出版部から来た人が「聖書通読をしましょう」という講演で
「日本は数字を出すのが好き。もしも聖書通読の数字を報告することになったら、年間1000時間とかすごい人が出るだろう」
と言っていたが、その通りだと思う。
日本のエホバの証人は他国と比べてとりわけ熱心に伝道活動をしているわけではない。
ただ数字を上げることへの熱中度は群を抜いている。
ちなみにどれだけ寄付したかは発表されないので、寄付への熱意はかなり低い。
施設維持費として最低いくらかかるかは明確にされており、簡単に計算できるけど、しょっちゅう赤字。
■追記■
もうすぐモンハン4発売
http://www1.capcom.co.jp/monsterhunter/4/
ということで、弓使いの自分としてはいわゆる「モンハン持ち」をしてやりこみたい。
・
まさか、公害の推進に誰も賛成しないでしょう。人権の蹂躙についてもです。
戦争については、国家の政策の一環です。故に、正義の戦争も、悪い国家も存在しません。
・
独裁は悪ではないし、国民への虐殺も、それを理由に他国への武力行使が許容されるわけではない。その逆もそうですが。
これは、事実です。
・
翻って、今回の話。
①アメリカの主張……シリア政府が国民に対して毒ガスを使用した疑いがある。
・
後付での大義名分をつけられなかったことにより、単なる侵略戦争となりました。
・
シリアで毒ガスが使用されたとして、政府側が使用したか、それ以外が使用したかでまったく話は変わります。最悪、アメリカの関係者が流布した可能性も否定できないのです。
でも、アメリカは反米の現政権が使用した、と断定して空爆をしようとしています。
米空軍のピンポイント爆撃はおそらく世界一の精度でしょうが、それでもミスがあります。
また、これは頻繁にあるのですが、目標物を間違えます。そもそも、調査が出来ないで、何を爆撃するのでしょうね。
・
シリアを信用しろ、と言う話ではなくて、気軽に武力行使に走るな、てことです。
率直に言って、軍拡を目指す方針であればあるほど、核武装論を捨て、平和憲法を維持すべきだ。
「不可侵」「世界の警察」「大国への対抗」それらしい綺麗事こそ、軍拡の隠れ蓑に必須だ。
9条も、軍拡の極北として提示される核武装も、「~さえすれば攻められない」という観点では同じだ。
絶対に攻められない保障はない、というなら、軍縮でも軍拡でも核武装でも同じだ。
この中で、どれが最も対抗手段として有効か、と考えれば軍拡だと思うのではないか?
9条という題目を維持して地味な軍拡や、食糧・原料の保障の拡充を図るのが最も現実的ではないか。
一体誰がどこでいつどうやって核を運用するのか、方法が確立されない限り、核で実動兵器には対抗できない。
アメリカさえ民間人や自国民の犠牲で批判を浴び、無人偵察機やピンポイント攻撃に腐心している。
厳罰化・厳格運用するが、刑罰自体からは恣意運用や主観に関わる要素を排除する。
軍拡・タカ派外交を行うが、軍隊自体からは大量破壊兵器を削減する。
これらは本来セットで語られるべきものだ。
和民に代表されるブラック企業があるから貧富の差が広がるという主張を散見します。
しかし、それは全く間違っており、実際には逆だと考えます。和民の存在こそが貧富の差の拡大を防いでいます。
貧富の差を一定の範囲内に抑えるためには、生産性の低い人は、生産性の高い人の何倍も働いて埋め合わせなければいけません。
ここに生産性に5倍の開きがある、AさんとBさんがいて、
Aさんは1時間に5000円の付加価値を生み出し、Bさんは1時間に1000円の付加価値を生み出すとします。
■Aさんの労働状況
1日に8時間働き、4万円の付加価値を生み出しました。そのうち半分の2万円を給与として貰いました。月給にすると40万円です。
■Bさんの労働状況
1日に8時間働き、8000円の付加価値を生み出しました。そのうち半分の4000円を給与として貰いました。月給にすると8万円です。
■Bさんの低い給料をどうにかするために、日本社会が生み出したメソッド
1日に16時間働き、16000円の付加価値を生み出しました。そのうち半分の8000円を給与として貰いました。月給にすると16万円です。
→法律は守れてませんし、若干嘘もついていますが、Bさんは生きていけます。
Bさんの給与をどうにかするためのメソッドが厳密に禁止された場合、どうなるのでしょうか?
私は生産性が一定以下の人の雇用は全て失われるのではないか、と推測します。
安易に所謂ブラック企業の存在を否定すると、あとに残るのは溢れかえる失業者、貧富の差、それらに起因する治安の悪化などかもしれません。
和民に代表される所謂ブラック企業は日本の貧富の差の拡大を防ぎ、日本社会に多大な貢献を行なっていると言っても過言ではありません。安易にバッシングするのは止めましょう。
<追記>
時給500円ですか?という声がありますが、その通りです。
アルバイトより低いじゃん?と感じるかもしれませんが、アルバイトは生産性の高くなるタイミング(金曜など)にピンポイントで雇うことが可能なので、ある程度生産性を高く保つ事が可能です。
http://anond.hatelabo.jp/20130629195836
そりゃ言いたいことはわかるけど、無理だろ。
はっきりと言うが、
ゾウと、ネズミぐらいの違いがある。
あたりまえのことをいくつか書いておこう。
まず誰にでもわかる直接的な問題は
たとえば、こういうことが起こる
気持ち悪いし・・理解できない。
お前には、何も期待していない。」
そう吐き捨てた。
カミングアウトの結果なんだろう。
僕は・・・・。
父に会うと・・・発作が起きるようになっていた。
父は、僕を怒鳴り威圧的だ。
きっと父も混乱していたのだろうと、今では思えるけれど
当時は思えるはずもなかった。
まあ、ごく単純に、親しい人や、
家族に否定されたら、生きていくのがかなりハードモードになる仕様。
そんなわけもあって、多くの同性愛者は、カミングアウトする相手をかなり慎重に選んで
カミングアウトしているというのが実情っぽい。
一対一の場合は、相手がゲイであることをdisるような相手かどうか、
を慎重に、慎重に見極めながら対応すればある程度どうにかなっているようだけれども、
http://toyokeizai.net/articles/-/14514?page=3
職場の誰かにカミングアウトすることは、人間関係を「非常に良好」にすることもあれば「非常に悪」くさせることもある、言うなれば、「両刃の剣」であることを示しています。
…と、要するに人間関係が悪化する危険はかなり高いというのが実情っぽい。
アウティング、というのは「同性愛者本人の同意を得ずに言いふらされてしまうこと」
慎重にカミングアウトした相手本人は「あっそうなんだー」ぐらいの対応だとしても、
その人があまりにも、「あっそうなんだー」的なあっけらかんとした人でありすぎると、
「あ、うん、××くんはゲイだから、合コン興味ないよね?」とか、
そういう何気ない発言を周囲の人を気にせずにサラッと言ってしまうことが多々発生する模様。
まあ、今の日本だと8割~9割の人は同性愛者だということがわかっている人の前では、
まだ「うわっ、マジでゲイなの?やべー、俺狙われちゃってる?」とか、
クソおもろくもないタチの悪い冗談を飛ばすバカも多数いるし、
センスが悪いとかってんじゃなくて、
ダイレクトに「ゲイ、キモい!不自然!」とか言う人もいるんで、
まあ、そういう人とどう関係を結ぶかは辛いよね。
結果的に「したほうがよかった」ということに落ち着くことのほうが多いけれども、
あくまで確率論の範囲。
たとえばだけど、
「このクジを引くと、7割の確率で、
なお、このクジを引けるのは一回限りです。」
みたいなクジがあったときに、
ためらいなくそのクジを引けるっつー人間はほとんどいないと思う。
超コワイでしょ。
結果的には、「良かった」「何の問題もなかった」
結果だけみて、「カミングアウトすべき」なんてことを外野が言うのは乱暴な話だと思うよ。
(これは「アウティング問題」という話になっている。興味があったらググってくれ)
まともなゲイはそんな十把一絡げにしないだろ。
問題は、ゲイが実質的に生き辛い世の中を作ってる行為や、人々に対してであって
「すべてのノンケが悪い」みたいな言い方をするバカはごくごく少数派のはず。
「バカなゲイ」は、確かにそういうバカなことを言ったりするかもしれないが、
そんなの、どこの派閥にでもあることだろ。
そういうバカな主張をとりあげてdisるのはそれこそ、
「十把一絡げ」なので、やめたげて。
あと、
そこんとこよろしく。
あえて、汚い言葉使いをさせてもらうけど、
おまえの「盗聴された気分」なんて、はっきりと言って
おまえが盗聴されたら、それがなんなの?
おまえは、苦しくて苦しくて、たまらなくて、ふさぎこんじゃうの?
もっとも、
「それってマイノリティの面をかぶった強者じゃねーの?」みたいな話はもちろんある。
もちろんあるよ。
そういうバカをあげつらうのは反対しないけど、
でも、マイノリティはマイノリティであることによってごくごく普通に苦しんでいる人がやっぱり沢山いるわけで、
そういう一部のバカをあげつらうために、
ごく真っ当に苦しんでいる相手に、流れ矢あててしまうというか、
一部のバカを標的にしたいなら、ちゃんと誤爆回避して、ピンポイント射撃してくれよ。
Googleが7月にリーダーをやめるというのでRSSという情報収集そのものを見直すことにしてみた
情報源の移行先はtwitterとfacebookページを中心に組みなおして、大体90%ぐらいはフォロー出来るようになった
何が一番変わったのかというと、未読が貯まることへの強迫観念が全くなくなったということ
今までは、朝起きたら枕元のスマフォに手を伸ばしてまずリーダーをチェックすることから一日が始まってた
その後も通勤中、お昼休み、トイレの中、布団に入って寝る前と、ちょっとでも時間があればリーダーを起動して未読を0にする生活
一日に1~2000記事くらいは目を通してたと思うのだけど、それなのにリーダーを開いたら未読が0のままだったなんてことも何回もあった
たまに出てくる自分にピンポイントに響く記事に出会った時のあの感覚が病みつきになってたのかもしれない
今思うとそれってパチカス中毒と全く同じで、たまにしか餌のでないボタンを狂ったように押し続けるハトの話を思い出してしまった
今もfacebookやtwitterを同じようにチェックしてしまうのだけど、前みたいな「未読を0にしなきゃ!」みたいな感覚は全くない
というか、最新情報を見逃してもソーシャルでは何度も上がってくるので、別に最新じゃなくてもいいやって気持ちになれたのも大きい
むしろこまめにチェックするのが面倒くさくなって、最新からある程度の記事を読んだら未読全てチェックしなくてもいいって気にすら今はなった
それで気づいたことは、RSSを使っていたときは、意識の片隅にずっと「チェックしなきゃ!」っていう強迫観念が残り続けていたということ
今はその意識がなくなって、脳がスッキリしてることが明確に自覚できてます
今までは目が覚めて出勤するまで、トイレの中も合わせて30分くらいRSSの消化に費やしてたけど、その分を英語の勉強とストレッチに変えたら精神的満足感が桁違いになったよ