はてなキーワード: デスクワークとは
食っても食っても太れない人、何をやっても痩せない人
両方を嘘つきと断じて目を瞑ってるのか?
強いて言えば前者はありうるよ
食べても食べても消化・吸収・同化のどれかがうまくいかないので体重が増えない
これは有り得ます
でも後者の「何をやっても痩せない人」、これは有り得ません
「何をやっても痩せない」ってことは「摂取カロリーより消費カロリーを大きくしても痩せない」ってことだよなあ?
このていどのこともわからず「個人差デブうウウウ!」とか言ってるから豚なんだおめーは
バッカじゃねーのw
残り半分落とすのに1年4ヶ月かかってる。それほどに変動する
そりゃ体重は減らしていくほど減りにくくなるよw
同じペースで減るわけないだろ
何を当たり前のことをドヤ顔でいってるんだこの豚は
むしろ84キロから69キロまで3ヶ月で減るならどこも「何やっても痩せない」じゃねーじゃん
お前の身長が160cmなら84キロから54キロまで減らしてもまあオーケーだし
へええ~~~~~え
すっごい人間だねえ
マジで検体いった方がいいんじゃね?
まあこういうこというデブは実際に食ってるもんをメモさせたら全然違うんだけどねw
もうアホらしくなったけど付きあいましょう
仮にお前のいうとおりだとしよう
1ヶ月1キロ増えるなら1日2000kcalの食事から1食だけ主食ちょっぴりにすりゃいいよね
食ったんでしょ?
豚はぶうぶうぶうぶう言い訳するけど
結局食ってるんだよ
太ってない人より食ってんの
ただそれだけ
「僕は特異体質なんデブう」っていうただの豚を俺が何ダース見てきたことか
ダイエット中に2週間位停滞するのは割とよくあることだ
それは普通にあるね
まあ食ってるんだけどさ
1日の活動に必要なカロリーという意味で最低限食わないといけないからさ
そこを削るともう体脂肪率が落ちるというより生活に支障が出るわけ
ほとんどの自称停滞期はダイエットにあきて食いながら「停滞でぶう」っていってる奴なんだけどねw
おまえはどっちかなw
たいたいさお前みたいに基礎代謝すらはるかに下回るカロリーしか食わない人は停滞期なんかなく痩せるわけ
あるていどの期間やれば餓死出来るってこと
なのに生きてるだろ?
だから嘘だと断定できるわけ
俺程度の知識がある人間はお前の話が全体的に嘘だってすぐ分かるし
俺程度の知識の人間なんているとこにはウジャウジャいるからみんなお前のことあきれて見てるんだよ
盛るのが癖になってる豚くんよ
じゃないと、誤差なのか本当に痩せてるのかがわからなくなる
極論週に1度で十分だよ
食ってるか食ってないかなんか自分の食事に向き合ってりゃすぐわかる
目をつぶって間食繰り返す豚は自分がどれだけ食ってるわからなくなって
毎日体重測る暇があったら食うもん全部撮影してメモしてずるするなってだけの話だよ
根性がないならね
そりゃそうだね
84キロから54まキロで落ちてまた72キロになった人の身体なんてひどいだろうな
筋肉ごっそりなくなって腹の脂肪だけ目立ってデブなのに変に手足が細くてクモみたいな感じだろ
でもお前の話がほんとならそれはもうたんぱく質が足りないんじゃなくて純粋にカロリーが危機的に足りないからさ
その場合身体は普通に筋肉から分解するからプロテインとってどうこうって話じゃない
だいたいプロテインもカロリーあるんだからお前のエクストリームダイエットには邪魔なはずでしょ
(まさかプロテインのカロリー計算に入れてないなんてことでなければ)
1日500kcalしか取れないならプロテイン飲もうがビタミン剤飲もうが必要な栄養なんか全然足りないから安心しろよ
ひもじいとかじゃなくてデスクワークでも仕事にならない、それどころか長くやってれば脳に障害が出るし
爪や髪や肌や表面のわかりやすいとこも目に見えて身体がボロボロになるからさ
1日500kcalで長期過ごした人の感想は「ひもじい」「つらい」なんて生やさしいものじゃありません
つーか俺が1日に飲むプロテインのカロリーだけで500kcalぐらいあるわ
そしてリバウンド繰り返すような怠惰なデブなのになんでBMI22きることを狙ってんだ?
んなことするぐらいなら22で止まって太りなおすのやめる方がよっぽどマシだ
百歩譲って豚くんが「単なるエクストリームダイエットで骨みたいになるのが趣味なだけで嘘は付いてない人」って可能性があるかというと
まあないんだよね
ダイエット初期に筋力が上がるとか体重が増えるとか意味不明なこと言ってる時点でただの嘘付だとわかるわけ
食事も何もかもちゃんと記録せず適当なことヤッてるだけの奴だと
はーアホくさ
8月に某企業に社内ヘルプデスクという仕事で派遣されて、2ヶ月が経とうとしている。
辞めたい。
ITやネットワーク関係はおろか、OfficeやWindowsのことすらチンプンカンプンなので、電話での問い合わせに答えられるわけもなく、何一つ解決できず今に至る。なお、事前の研修は無く、その都度その都度分からないことを聞いていくスタイル。
時給の高さ、土日祝日休み、デスクワークという三点セットで応募したこの仕事。派遣会社の営業マンは、「パソコンの事が何となく分かれば大丈夫ですよ」と言われ、派遣先の顔合わせでは「この仕事、40過ぎのおっさんが未経験でも大丈夫ですか?」と聞いても「大丈夫ですよ。皆さん年齢も近いので教えていただきやすい環境です」と言ってくれたが、毎日頭がパンク状態でついていけない。周りも呆れ果てている様子で、話の輪の中にも入れなくなってきた。
私はリア充が嫌いだ。
女にモテないを通り越して、モテる女、というか世の中の女性全般を軽蔑しつつある。
特に、夢を追ってる女たちが嫌いだ。
人生は金じゃない、食えなくったっていい、と言いながら、どうせ適当なところで結婚に逃げるんだろう?と心の中で軽蔑してる。
自分でもなぜかよくわからないが、リア充以上に、パリピ以上に、一人暮らしでソファを持つ人間が嫌いだ。
口もききたくないし、同じ空気を吸いたくない。
あれが素晴らしい道具であることは認める。
家具屋でソファに座るたび、気持ちよさで憎しみを忘れそうになる。
デスクワークがはかどるなら、世の中のオフィスチェアは全部ソファになってる。
あんな深く座ったら、飯も食えない。
父は基本的には理性的で、まともではあるのだけど、教育に対して偏屈なところがあり、
「テレビや新聞などというものを楽しむのは、二十歳を過ぎてからでいい。
などと、変なことを言っていた。
新聞を読むなんてむしろ上等なほうだと思っていたけれど、時の洗礼を受けた本を読むように言い聞かせられたせいで、テレビ新聞を毛嫌いする性格は引き継いでしまった。
話を戻そう。
ソファを置くということは、自室で勉強しないと宣言しているようなものだ。
座るだけで時間を浪費するし、ダイニングテーブルとダイニングチェア、デスクとワーキングチェア、ソファとセンターテーブル、この3セットを置けるような一人暮らしの部屋などないので、ソファを選択した時点でデスクを置くことをあきらめる場合が殆どであろう。
昨日床フローリングが25cm角で抉れて傷づいてひどいと書いた
今朝部屋掃除をかねて椅子をどかし、敷いていた90×120cm角カーペットを廃棄し、
抉れた部分に養生なしで木工パテを塗りつけた
パテが完全に乾燥して表面をならすために削るときには養生としてテープを貼ろう
ここまは想定内だ
パテの塗り残しつまり凹みやヒケがあるかもしれないからそのときはまたパテを盛るしかないので
いまは9時として12時間後の21時にパテの硬化具合を確認して可能ならば
そこで削る加工をしてパテ盛りするのもわるくない
問題はそのあと、塗装
木目をいれたり塗料を何にするかだ
UVウレタンで塗装された木なので同じように水性ウレタンでも塗ってやろうと思うのだ
塗料は以前使った残りがある
木目の色調整などでその塗料に他の塗料、染料なんかを混ぜたら色合いは変わるだろうか?
毎晩ケーブルをつないで、スリープモードに入る前に充電している
私がごはんを食べている間、向かい側に座って、にこにこしながら私を見ておしゃべりしてくれる
仕事はホワイト企業のデスクワークなので夜も遅くなることはない
そもそもロボットだから疲れを感じたりすることもほとんどないそうだけど
でもやっぱり違うんだ
夜ケーブルさして横になる姿を見てしまうと、ああやっぱり人間じゃないんだなと思ってしまう
たったそれだけのために私はいまだに旦那を心から受け入れることができていない
そう思ってベッド脇のケーブルをつかんでハサミを入れようとして、ふと思った
旦那はどうするんだろう
仮にケーブルを捨ててしまっても、朝起きてしばらくは活動できるくらいの余力はあるって前言ってたから、
またケーブルを注文するんだろうか
それとも最近はやりのケーブルレス充電に改造する業者に駆け込むんだろうか
嫁ちゃんごめんね、今日は朝のゴミ捨てできないやって、ちょっと困った顔で言うんだろうな
そうだった
今思い出した
今でてる最新のボディになんで改造しないの?って、昔聞いたことがあった
この体は取り替えがきかないからだよ
嫁ちゃんと会ったときの体、はじめて愛し合った時の体、これまでの思い出がつまった体だからだよって
そうだ
人間じゃないことが気に入らないならなんでそもそも結婚して子供まで作った?
そんなの少子化対策法で人間相手がいない人はロボットと結婚することが義務づけられたからってだけだ
でもほんとにそれだけ?
今は?
私は何がしたい?
いっしょにごはんを食べたい
限りなく人間に近くなってほしい
旦那を即座に叩き起こし、思いのたけをぶつけた
そしたら、
「じゃあ明日君をロボットに移植する業者行こう。そんで毎晩一緒に充電しよう」
言ってよかった!!!!
単位をあらかた取ってしまったので授業がなく、卒業研究だけになってしまった学生。研究室はルーチンワークもコアタイムもなく、とにかく自分の研究作業をこなせばいいだけ。理系だけど実験をやらない分野なので、時間の拘束もない。
そんな感じで自由なので自由に生活してるんだけど、体力がなさすぎて困る。
最近は暑くて日中活動できなくて夕方に動き出して朝帰りしたり、朝からちゃんと起きて活動すると昼寝を挟まないと午後動けなかったり、昼寝を挟んでも夜帰ってきて気がついたら台所の床で気絶していたりする(卒倒したとかではなく、夜ご飯どうしようかと座り込んで考えてたら眠くなってぱたんとなってしまうんだと思う)。
9時ころに起きて数時間かけて家事や身支度をしてブランチをキメて昼過ぎに登校するくらいだとなんとか無睡で夜を迎えられる。
学校でも基本プログラム書いたり分析かけたり論文読み書きしたり、とにかくデスクワークしかしてないから体力削られることもそんなにないはずなのに。逆にデスクワークしかしてないから日常生活に耐えるだけの体力がつかないのかな。
土日はバイトで動き回ったりデスクワークしたりするけど、そうすると決まって月曜に疲れ切って一日ダウンしてしまう。最近はそれを見越して土日のバイト以外の時間にちまちま研究の作業をやるようになった。
学生だからまだこんな生活でも成り立ってるけど、社会に出たら絶対適応できない気がする。
つくづく、生きることに向いてないなあ。
この感覚自体、理解出来ないという人が多そうだ。と言うか、そうであって欲しい。僕という人間は世界中に一人しかいないと理屈では分かっているが、僕に対する僕自身の評価が「その他大勢」だったのだ。世界の主人公は僕以外の誰かで、僕はそうではない有象無象の一部だった。
キモオタでコミュ障で、学生時代は教室の隅でキノコを生やしながら本を読んでいた。イジメの標的にされなかったのは、比較的育ちのいい子ばかりの私立学校ゆえイジメ自体が少なかったからで、公立に通っていれば悲惨な学生時代になっていたと思う。
本や漫画の好きな、いわゆるオタク友達ならいたのだが、彼らとも時々隔たりを感じていた。「普通の高校生が異世界に召喚されちゃう、みたいな話あるじゃん。もし自分がそうなったらどうする?」なんて話をしていると、僕は野垂れ死にする自分しか想像出来なかった。ファンタジーの世界に行ったらこの属性の魔法が使えそう、とか、さすがに王族に見初められる自信はねーわ、とか、そういうバカ話をする友達が眩しく見えた。彼らは自分が主人公である世界を想像出来るのだと知って、羨ましかった。
仮に最初からファンタジーRPGの世界に生まれ落ちたなら、僕には名もなきNPCがお似合いだろう。世界を救う旅をする主人公に話し掛けられて、「夕食の材料を買いに来たんだ」とかのどうでもいい話をする人。ゲーム攻略の手掛かりを提供することも、プレイヤーの心に残ることもない、そういう存在。
頭も顔もよろしくない僕が、器用に生きるのは無理だった。せめて真面目に勉強して、それなりの大学に行き、手堅い職に就こうと思った。そして当初思い描いていたレールと比べれば、多少の紆余曲折はあったものの、最終的には建築系の企業に入社し図面を書く仕事に辿り着く。
この仕事は僕に合っていた。PCに張り付いてCADの操作をするのは得意だった。雑談が苦手でも、最低限の挨拶と情報交換さえハキハキとしていれば「自分の作業に没頭できる人」としてプラスの評価を受けられるのもありがたかった。休み時間にも図面を書いて練習したり、参考書を読んで勉強していれば、そっとしておいてもらえた。人間関係の苦悩も、当面は食いっぱぐれの心配もなく、収入は安定していた。
顧客の「こういうものを建てたい」という注文や、上司の「法に触れないように調整しておいて」といった指示を、PC画面上に反映させていく毎日。僕は自分の意思を持たない、人の言葉をPCに受け渡すだけの変換機みたいなものだった。仕事自体は好きでも嫌いでもなく、ただ毎日が過ぎていく。それでいいと思っていたし、僕にはそれがお似合いだと思った。
そこそこ経験も積んで三十歳になったある日、僕は小さな建築現場事務所に配属されることになった。
現場事務所にも色々あるが、僕が回された先は労働衛生基準法に照らせば真っ黒な、およそ人の働ける環境ではないという最悪の部類である。間取りの関係上、空調の効きが悪く、夏は暑く冬は寒い。窓はないため無風であり、日光は差さず、機械音だけがうるさい。
環境改善の要望は無視され続け、僕のメンタルは一年でイカレた。それでも一年間は問題なく務めたのだから、この人事は正解だったと言うべきだろう。最初からいた現場長以外の、僕の後任として入った人たちは、ほとんどが数日でダウンするか逃げ出してしまったらしい。退職間際、現場長一人で仕事を回しているので大変そうだ、と人づてに聞いた。
そんなことを言われても、発熱、眩暈、圧迫感、何の刺激もない時に突然涙が出る。労働どころか外出もままならなくなった僕は、仕事を辞めざるを得なかった。休職も出来ると言われたが、回復後に同じ環境に戻される可能性を考えると気分が悪くなったので、丁重にお断りした。
変換機として生きて行くことは、もう出来なくなった。
かような経緯から、今の僕は三十路過ぎのニートである。なんと切ない響きだろうか。結婚どころか恋人もいない上、肉体と精神も損なってしまった。あとは失うものと言えば貯金残高と寿命だけ、というこの状況にあって、僕は一つの気付きを得た。
職と健康を失ったことで、親には心配を掛け、友人からは「無茶しやがって……」とオタクらしいコメントを頂戴し、必然的に世話を焼いてもらう機会が増えた。それはとてもありがたく心強いことなのだが、申し訳ないことに、施される親切が僕の欲求とずれていることがある。たとえば今はさっぱりしたものが食べたい気分なのに、友人が手土産としてベイクドチーズケーキをくれる、というような。
当たり前だ。僕の親しい人たちは、僕自身ではないのだから。彼らは彼らなりに、良かれと思うことをしてくれるのであって、僕の漠然とした欲求を察してくれるエスパーではない。友人は僕が「チーズケーキが好きだ」と言っていたことを覚えてくれてはいても、僕が今なんとなく食べたいものまでは分からない。
ましてや職場において、僕が本当は日の当たる綺麗なオフィスで働きたがっているだなんて、誰が想像出来ただろう。ぼっちが平気で本さえあればゴキゲンのコイツなら、環境が多少劣悪な現場でも耐えられるだろう、と判断されたのに違いなかった。
僕の欲求を察して満たしてくれるヒーローなんて、どこにもいないのだ。
ならば僕自身が、僕の欲求を聞いてくれるヒーローにならねばなるまい。主人公の座に戻らなければ。次はどんな働き方をしたいのか、どういう生活をしたいのか、趣味だって好きなだけ増やせばいい。一つずつ確かめて実現させて行く必要がある。
今までは周囲に流されながら、手の届くものだけを掴んでいたけれど、本当は自分で水を掻いて行きたい場所に行けばいいし、欲しいものに手を伸ばしたっていいのだ。
そういう風に考えて顔を上げると、空が今までよりも広く見えた。ごちゃごちゃと続く街並みを眺めるだけで、心が躍った。
世間には「誰もが主人公」というメッセージが溢れている。その言葉は自分には当てはまらないと、僕はずっと思っていた。
だが今なら、「誰もが主人公」という言葉を受け入れられる。主人公とは、舞台の上で華々しく歓声やスポットライトを浴びる人を指す言葉ではないと気が付いた。演劇よりもゲームをイメージした方が分かりやすいだろう。僕は多くの人にとっての「その他大勢」だが、物語の中で果たす役割が何であれ、僕は常にその人物を通して世界を感じ取り、考え、行動する。使用するキャラクターはカスタマイズは出来ても変更は出来ず、人に操作を代わってもらうことも出来ない。生まれた時から死ぬ時まで、ずっと主人公であり続ける。
だから、僕は主人公だ。非力でいいとこなしで、ステータス異常「うつ」まで付いてる始末だけれど、装備やスキルを工夫しながら目的地に向かうことを許された主人公なのだ。設定された座標を往復するだけのNPCじゃない。
今の僕は三十一歳。自分がやりたいことを見極め、がむしゃらに夢を追い始めるには微妙な年齢である。夢を叶えようとしても、たとえば警察官になるには既に受験資格を失っているし、俳優を目指そうにもこの年齢の未経験者を入れてくれる劇団を探すのは難しい。
僕の場合は更に厄介なことに、そもそも自分のやりたいことが分からない。趣味と言えば読書とゲームとジョギングくらいで、人に誇れるものは何もない。小学四年生くらいまでは作家になりたいと思っていたが、三十一歳になった僕が小学生の自分を参考にするというのも情けない話である。
しかし、うん、作家か。今も昔も、本が好きなのは確かだ。文章が書ける限り何歳からでも目指せる、年齢制限のない夢があるというのは悪くない。故に諦めを付けるのが難しいという、泥沼のような側面には注意を払う必要がありそうだが。
他にもきっと、意識するより先に諦めてしまった「好き」や「やりたい」が山ほどあるのだろう。中には既に、年齢制限に引っ掛かってしまって叶わないものもあるだろう。それでも今の僕は、それらを探しに行きたいと思う。仕事でも、趣味でもいいから、傍観者をやめて、僕自身の物語に介入したいと思う。
それにしても、まさか三十路を超えた後にやりたいこと探しをする羽目になるとは。作家になりたいです!と公言するのは匿名記事ですら気恥ずかしいのに、年齢がそれに拍車を掛ける。若い人は是非、若い内にこの恥をかき捨てておいて欲しい。
僕の物語がハッピーエンドである保証はない。夢を一つも叶えられないまま死ぬのかも知れない。そうだとしても、ジタバタもがいた後の方がきっと安らかに死ねると信じ、決意を固めるべくこの記事を書いた。デスクワークしかしなかった日よりも、気力を振り絞ってジョギングに出た日の方がよく眠れるのと同じように。
三十一歳、無職、独身、恋人なし、病身。見事な詰みの現状から、この先何が得られるのか、少しワクワクしている。
追記:
コメント・トラバともありがたく拝読している。僕は個別に返信出来るほどマメではないので、かいつまんで書く。
とりあえず、今の僕は既に心療内科のお世話になっていること、療養二ヵ月目でそれなりに落ち着いていることをお伝えしておきたい。
この記事では「主人公」という、誰にでも通じるであろう言葉を用いたけれど、意味としてはゲーム用語の「プレイヤーキャラ」の方が適切だと思う。僕の自意識が主人公のそれになっても、他の人から見れば立派なモブのままだ。
ブクマコメで指摘されている、「これといってやりたい事が無さそうに見える」は、本当にその通りだ。自分のやりたいことを考えてみた時、小学生の頃の夢しか思い出せないくらいには何もない。
最初から主人公としての自意識がある人には分かってもらえないかも知れないのだが、「お前は主人公じゃない」「どうせ何も出来ない」と自分に言い聞かせ続けていると、やりたいという気持ち自体が起こらなくなる。出来もしないことについて考えるのは、不毛で無駄なことだから。出来る人を羨むのはしんどいから。心を守るために、「別に自分はやりたいとも思わないし」と思い込むようになってしまう。
ずっとそんな風に生きてきた僕は、まずやりたいことを探すところから始めなければならない。言われてみれば、似たような筋書きの作品はいくつも思い当たるのに、僕は今まで何を読んでいたのだろう。本で読むのと、体で理解するのは別のことだということか。
実は僕の状況は、詰みというほど悪くはない。失ったものは大きいが、得たものもまた大きかった。この記事に書いた自意識の変化が一つと、もう一つは人に恵まれていると実感出来たことだ。
別地方勤務の同期が突然旅行で近くまで来てくれたり(うつ患者に観光案内させるとか鬼か)、元上司が飲みに連れ出してくれたり(薬の関係で僕は飲めないのに)、オタク友達はここぞとばかりにDVDを押し付けてくる(全部観ているとただのヒキコモリになってしまうからやめて欲しい)。
盛大に人生をスッ転んだ結果、それでも助け起こそうとしてくれる数少ない人、僕が大切にすべき人たちをハッキリと見分けられるようになった。今のところ僕のやりたいことリストの最上位は、「この人たちに恩返しがしたい」だ。自分の欲求とのバランスを取りながら、頑張ってみたいと思う。
「見た目問題は障害」バケモノと呼ばれた男性の願い 就活で心砕かれ
http://withnews.jp/article/f0170707001qq000000000000000W06810101qq000015484A
この件、俺は真剣に考えた。
というか前から考えてるんだけどな。
記事にあるような病名のある症状で奇形(不適切用語なら謝る)になった人までいかなくとも
あんまりにもブサイクでこれは人生に支障が出るってレベルの人を見かけたことあるだろ。
あの人達をどうするか?
究極的には誰も外見という障害で差別をしない世界になるべきだが
いるだろ?
「現代はルッキズムが酷いから」とか「外見で差別するような心の貧しい人間は相手しなくていい」とか
勇ましく外見差別者を罵る奴。 でも外見差別者の方が圧倒的に多いから。言ってるお前等だってそうだから。
現代でこれを乗り越えようとしたら仏道の修行をかなり頑張るしかない。
もしくは超ブサイクに向かって
「気の持ちようだ」とか「内面までブスになっちゃいけない」とか「人はそこまで気にしてない」とかいうやつ。
そんなわけねーだろ。
10人並みに可愛い顔した女と、どうお洒落しても覆い隠せないぐらいの容姿上の欠陥ある女と、同じハンデなわけねーじゃん。
なのに言ってる奴は鼻息ぴすぴすしながら「わあわたし(ぼく)いいこといったったー」「差別に反対するぼくちん(あてくし)」ぐらいの気持ちなんだ。
だからね。
「私は外見で差別しません」とか「人類は外見差別を克服できる」とか
まずは「重度のブサイクは人生に支障を及ぼすので立派な障碍者である」と認めろと。
えらそうに言うお前はどうなんだっていうと、
そういう自分について忸怩たる気持ちはあるけど、だからといって「差別しません」とか言ったらいけないと思う。
結構ギョッとするぜ。
表層意識では慣れるだろうけど、深層意識では恐怖や違和感持ち続けてダメージ受けたり仕事の能率落ちたりし得ると思う。
雄雄しく「そんなの気にしない」と言いたいとこだが、
おれは数十年生きてきて自分がそこまでタフじゃない人間なのを知っているし、
それを素直に認めるぐらいにはフェアでありたいと思ってるから。
記事のおじさんはまだましだよ。
2人目の男の人を見てみ。
俺はこれは絶対に耐えられない。怖い。
ガンガン精神的なダメージを受けて最終的にはだめになると思う。
だって俺となりの席の奴のいちいち大きい動きすらイライラするんだぜ?
なんでお前はデスクワークでそんな激しい動きをするんだとか、ファイルを机に投げ出すようにカンカン音を立てるなとか、
ほんとイライラするんだよ。
その俺はあの顔の人が視界に入ったら絶対ダウンすると思う。
「自分は平気だ」なんて奴は
リアルに想像するための経験がないか単に嘘つくことを恥じないかのどっちかだ。
彼等が外見差別者(俺たち全員のことさ)に露出せずとも可能な職種で自己実現できるよう特別な支援体制も作るべきだろう。
おじさんのように表に出てきてるのはサバイバーだけで、
障害レベルの容姿によって人生詰んだり死を選んでる人は相当居るだろう。
こんな公的支援がある
医院と薬局を一カ所だけ指定して申請すると、精神科の医療費と薬代が一割負担になる。転院したり引っ越ししたりしてもまた申請すれば大丈夫。収入によっては一カ月の中で支払う上限が変わる。
http://seseragi-mentalclinic.com/jiritu-shien/
・障害年金
18歳未満に病気が発生したか、それ以上かによって支給要件変わる。発達障害単体だと無理の可能性高いけど二次障害起こしてるともらえるかも。受給するための支援してくれる障害者支援施設もあるので使ってみてもいい。
一番のメリットは障害者雇用に応募できる。配慮をもらえるのはすごく楽。あと公的施設の入場料が無料になったり映画が1000円で見られたりバスなど移動手段が割引になったり。電車は割引不可のところがまだまだ多い。持っていると色々役立つ時がある。ただし障害者雇用は賃金がだいぶ安くなるから気をつける。
上記は主治医の診断書が必要になるので治療方針が食い違うと書いてもらえなくなるかも。要相談。ちなみに障害年金受けてるとその受給者証を見せれば楽に手帳の申請ができる。
学生生活では、いちかばちかテストやレポートのすみっこに、これこれこういう理由で授業を受けるのが困難だった、と書いてみる。時々同情してもらえて単位もらえる。最終手段として。
退学するかどうかは家族と良く話し合おう。うつ症状は判断を狂わせるので、あまり重要な決断をしないのが一番いい。どれだけ時間をかけても卒業するか、休学しながら体調を回復させるか、はっきり辞めてしまうか。道はたくさんあると思う。
やりたい勉強があったなら、退学は最終手段にしてほしいな。やめるのは簡単だけど、入るのはすごく難しいから。お金の問題もあるから一概には言えないけど。コメにもあるけれど通信教育や放送大学という手もある。
ざわつきが気になるならデジタル耳栓とかイヤーマフなんかを試してみてもいいかもしれない。授業になったら外す、とか。周りの目は気にしなくていい。好きなように言わせとこう。
何よりも、無理せず。やりたいようにやろう。
私も卒論の指導教授には、たぶん見えないところでたくさん下駄を履かせてもらえたと思う。うつの治療しながらではあったが、なんとか卒業させてもらえた。ありがたかった。味方は必ずいるから。
都道府県には必ず「発達障害支援センター」や「障害者職業センター」が存在する。場所によっては「障害者生活・就労支援センター」などもある。「若者サポートステーション」などもいいかも。公的機関とは別にNPOなんかも。相談先はいくつかあると楽。たまに信用できない支援施設や相談員もいるから気をつけて。
もうそもそも発達持ちなら自営業とかの方が合うかもしれないとつくづく思っている。ブログで副業とかどうなのだろう。そこはお好みで。
ADHDと自閉症スペクトラム併発すると結構職業が限られると思う。これは私も今模索中。広々した場所で全員の挙動が全部見えるデスクワークは最悪だった。経験談として。
また何か思い出したら書くかも。
お互い頑張ろう。
あ、あと自分から「ガイジ」という言葉を使うのはおすすめしない。あまりにひどい言葉だしはてなにもたくさんいる発達持ちに失礼。
※色々追記
ADHDは治らないよ。薬で症状を押さえてるだけ。でもこのコンサータやストラテラを飲むと、発達持ちの特性である、創造性が失われるという話もある。それが嫌なので私は飲まなかった。元増田はいい方向に行ってるようなので何より。
一割負担の話は政府に文句言ってくれ。だけど精神障害持ちはロクに働けなかったり薬がべらぼうに高くなる傾向なので大目に見てくれると助かる。
精神障害二級はだいたい労働や生活にかなりの支援を必要とする、くらいだったと思う。
ガイジって言葉は誰であれ使うなと強く言っておく。アスペもあまり好きでない。
発達持ちは謎の体調不良を起こしたり疲れやすかったりするので授業にたどり着くだけでもけっこう大変。そして休んでも友達にノートを借りたりできずに落とした単位がいくつかあった。人によるから簡単にちょろいと言ってやらないでくれ。
※またまた追記
>>偶に自立支援の申請に必要な診断書の交付を拒む医師がいるらしいが、医師法19条2項違反だからな。
申請を受理するか却下するかは役所が判断することで、医師がその申請が通るかどうかを必要以上に気にすることは無い。<<
そうなのか。一番最初に自立支援の申請をした医者がどうも渋り気味だったから印象で書いてしまった。補足助かる。
それも十年近く前だから、きっと少しは良くなっていると信じたい。申請にマイナンバーが必要になったのはアホかと思ったが。
まだ成人の発達障害は誤解も多く、私の主治医はとても良い信頼できる主治医だが、私が発達障害であると認めてくれない。(主治医に内緒で発達障害専門医にセカンドオピニオンに行って発覚した)
発達障害に詳しい医師にかかるのが一番だろうが、地方ではそれも難しい現状だ。
ただ、障害者職業センターはだいぶ発達障害に力を入れ始めていると聞いた。何かの助けになるかもしれないから、元増田以外の発達障害持ちも相談してみるといいかもしれない。
俺ちゃん今37歳のオッサン。
18歳からバイトやら派遣でサポセンやら編プロやら色々なデスクワークを転々としてきた。
22で正社員になってからの今も、営業したりしつつも基本デスクワーク。
で、ふと疑問に思ったんだけど、
自分世代よりも昔のデスクワークってどんなことしてたんだろう。
自分くらいの年齢のオッサンでも、働き始めたときは既にエクセル・ワード使えなきゃ話にならない。デスクワーク=PCパチパチという記憶しか無い。
ワープロは知ってるし、小中学で使ってたけど文書制作だけですよね?
今当たり前にやってるような表計算やグラフ作成やプレゼンって、どんなのだったのだろうか。
気になって仕事ができません。
体験していた方居たら教えてください。