はてなキーワード: 高畑勲とは
新海誠はデビュー以来屈折したアニメを作り続けていて、それが『君の名は』で漂白されて大ヒットした。その成功を旧来からのファンは「新海誠もそっちに行ってしまうのか」と半分祝福、半分寂しい思いをして見届けた。
そして次作の『天気の子』。この映画で新海誠は旧来からの期待に答えて闇の部分を出そうとしていた。天気の子は『キミ』と『セカイ』を天秤に載せて葛藤するよくある話だが、昔からあるこの手の話は『セカイ』の描き方に重きが置かれておらず、葛藤が成立していなかった。そこで新海誠は自分の才能を活かし、皆が生活する『世界』を圧倒的に美しく描き、失うものの重量を重くして天秤のバランスを取ろうとした。
新海誠はインタビューでこの作品は賛否両論を巻き起こすだろうと語っていたが、しかしその試みはうまく行かなかった。なぜならこの映画が公開されていた2019年は個人の人権が最も重視されていた時代だったからだ。ブラック企業問題が社会問題になり、社会と個人どちらを取るか問われたら、みんな個人と答える、それが正しいとされた最後の時代だったからだ。だから天気の子は葛藤が成立せず、作中でくどいくらい穂高が犯罪を重ねても、それを責める観客はほとんどおらず、ただのラブストーリーとして消費された。
しかし今は違う。コロナ禍で世界は変わってしまった。恋人と会うために病院から抜け出すカップルがいたら、社会は容赦なく糾弾するだろう。『火垂るの墓』の高畑勲監督は80年代にインタビューで「いつかまた時代が再逆転したら、あの未亡人(親戚の叔母さん)以上に清太を糾弾する意見が大勢を占める時代が来るかもしれず、ぼくはおそろしい気がします」と語っている。『天気の子』もまた『火垂るの墓』と同じく観る時代によって見方が180度変わってくる映画だった。
その時の所感を思い出話も兼ね、ここにエントリーを残そうと思う。
拙い文章だしまとまりの無い雑記で恐縮だが、もし興味があれば最後まで付き合っていただけると幸いだ。
そこまで興味ねえよ、って方は『デルタの羊』(著:塩田武士)を読むか、
『アニメーション制作進行くろみちゃん』(制作:ゆめ太カンパニー)を観れば良いと思う。
大分アニメ業界をマイルドに表現しているが、ある程度リアルな現状が分かるだろう。
大学を卒業後、国家資格が必要な仕事でそれなりに安定した生活を続けていた。
そのうち、毎日の仕事に退屈さを覚え、自分の好きなことに関われる仕事をしたいと考えるようになった。
そう決心してから実行に移すまではそう遅くなかった。
一度だけの人生、自分の想いには素直になりたいと思って転職をした。
中途採用の面接は驚くほどアッサリとうまくいき、無事志望していた制作会社に入社することができた。
他にも経験したポジションはあるのだが、書きすぎると特定されかねないのでここで留めておく。
そうして入社したアニメ制作会社に、新卒時代の仕事よりも長い年数身を置くことになる。
一般企業からすれば規模は小さいように見えるが、業界内からすれば大手制作会社といえる。
今の職場で、制作に携わったアニメをオタクじゃない先輩に話したら「あー、あのアニメ作ってたの?」って
言われるほどには結構作品自体の認知度は高いし、結構覇権認定された作品も制作していた。
会社についても、そこそこアニメオタクからは話題に上がるほどだ。
毎年新卒の制作進行が複数人入社するし、抜けた数だけ中途採用ですぐに補填できるほど、
ひとことで言えば「縁の下の奴隷」と称すのが正しい。
制作進行という仕事について、「立派な名前は付けられているが、テレビ番組のADと変わらない」という認識かもしれない。
概ね合っている。
付け加えるとすれば、漫画の編集者の仕事の一端も担っていると言って良い。
漫画の編集者は、大体一人の編集者が一人の作家を面倒見るものだと思う。
アニメの制作進行は一話につき約10~30人の原画担当、そして数人程度の作画監督、
監督の追っかけまでするのはスタジオによってまちまちだろうが、概ね他社も似たような状況だ。
クリエイターからすれば、アニメ自体に何の付加価値も与えていない使い捨ての道具程度にしか見られていないが、
実際のところ制作進行が居なければどんな作品が作られるだろうか。
高畑勲監督作品『かぐや姫の物語』のように、制作期間と制作費をドブに捨てた「儲からない作品」のできあがりだ。
制作進行、制作デスク、ラインプロデューサー、こういった旗振り役が存在するからこそオンエアのスケジュールに沿ってアニメ作品は作られる。
全く軽んじられている仕事に見えて、実はアニメ制作の仕事においては重要な役割だ。
給料は中堅拘束アニメーターや演出の拘束費よりも、自分の新卒時代の月給よりも少ないのに。
また、大手のアニメ会社といえど、社内の作画スタッフだけで作品を作れるかと言ったらそういうわけでもない。
フリーや他社のアニメーターに声をかけて「うちの仕事しませんか?」と営業するのも制作進行の仕事だ。
これについては、大変なおもいをしてアニメーターに罵倒されつつも満身創痍で人集めしていたかと思うと
実はそこまで酷い目に遭ったことは少なかった。(全く無いわけではない)
結構ウチの社名と参加タイトル出しておくと集めやすかったというのが他社スタジオに籍を置いていた先輩の感想だ。
他にも、「外回り」といって作画担当の上がりをアニメーター宅やスタジオまで回収しに行く仕事もほとんど無かった。
会社のブランドによるアニメーターの集めやすさ、物理的にしんどい外回りが不要であること、これらは大手ならではの強みだろう。
アニメ業界にいる人間は大体低賃金で働かされるという問題が取り沙汰されるのは、業界の外の人間にとっても聞かない話題では無いと思う。
年齢が50代後半を迎えたベテランにも関わらず、相変わらずボロアパートに暮らしている人間は少なくないし、
税金を未納しているほど経済状況に困窮しているアニメーターも知っている中で若干名存在する。
キレイな上がりを出して作品に多大な貢献している人は月に50~100万、中堅でも安定している上がりを出せれば20~30万と、
作品に対して一定以上のクオリティを保っていれば普通に生活できているのが実情だ。
そんな実情なのに生活に困っているアニメーターは、新人である以外に思い当たる大きな要因としては以下の三つだと考えられる。
①病気のためしばらく仕事ができていない(激務だし生活サイクルが安定しないので、結構体を壊しやすい)。
②上がりは平均程度なのに性格に難があるから、次の仕事に繋がりにくい(この手の人は作品の納期がヤバいと起用される傾向にはある)。
③そもそも上がりのレベルが落書きだから仕事を干されている(なおかつスケジュールも守れないパターンも割とあるのでかなりタチが悪い)。
性格に難があったり、上がりを出すまでが遅くても使われ続けるアニメーターって、結局押さえるべきクオリティを押さえられている。
にも関わらず「アニメーターは低賃金だ! 彼らの生活を安定させろ!」と騒ぐのは業界をよく分かっていないモグリの発言だ。
新人アニメーターの生活を安定させろという話もあるが、これについても新人なら新人なりにキャリアの無いうちにフリーにならず、
どこかのスタジオに籍を置けば実はある程度解決できる話に過ぎない。
じゃあ稼いでいるアニメーターって具体的にどんなアニメーターだろう、と聞かれたら真っ先に以下の三点が挙げられる。
①納期厳守
②安定したクオリティの上がり
①さえ守っておけば仕事は来るし、②だけが強みな人も生活できるレベルで稼げる、③については納期を平気で破ろうが高い拘束費を貰って仕事ができる。
③をできる人が居なくても①と②を心がけられる人が居さえすれば生活なんてできるし、一ヶ月程度の休暇を取ったとしても生活している人だって居る。
制作の人間からすれば、あまりクオリティ追求しすぎず納期を守ってくれさえすれば文句は無い。
その理由は次項で話そう。
原画担当が演出指示に従って構図とキャラ等の位置関係等を下描きする工程。
最近では3Dモデルを使ったレイアウトを制作会社が用意して、その上に作画担当が描くパターンもある。
出来上がったレイアウトを演出担当が指示通りに描いてくれているか、
もしくは気が変わったからこういう風に直してくれという指示を挟む。
あまりに酷い上がりだったらこの時点でリテイク指示して作画に差し戻し、もしくは制作進行にブチ切れる。
演出の指示がしっかり作品の雰囲気や世界観に沿っているか確認する工程。
監督が演出を兼任している、監督の業務負担が重すぎる、演出の力量が高い、などの時には
作画監督(作監)が②③の工程で出た修正に加え、絵柄の統一を図る。
基本的に①で出てくる上がりは作監以上のクラスの人間が描かない限り、全く絵柄が作品に合っていないパターンが圧倒的に多い。
というか原画担当にキャラクターデザインの通り描かせたら時間がかかってしょうがないので、
総作画監督(総作監)がキャラを大写しにしていたり、動き方が大事なカットを修正する。
これに関しては、必要最低限なカットだけを修正させることで、総作監の業務負担を減らすことになっている。
④もしくは⑤の工程が終わった戻しのカットを、基本的には①の作業者が清書する。
演出、監督、作監などのメインスタッフが起用NG出したり、作業者のスケジュールが合わないなどの場合は、
別の作業者を制作進行が第二原画担当を探してお願いすることになる。
エンドクレジットに出てくる第二原画はそういった「レイアウト作業者の尻拭いをしている人」という認識でいると良い。
上がった原画がしっかりレイアウト修正を反映しているか演出がチェックする。
問題なければ、動画検査に回して動画会社や社内動画に描いてもらう。
これでも直っていなかったら作監にまた修正をお願いすることになる。
細かい工程は少し省いたが、一覧で見てみてもご推察いただけると思う。
上がりが上手ければ上手いほど、③~⑦の工程で省ける箇所が増えるのだ。
その省ける工程のおかげでアニメ制作がスムーズに動き、それができる作画担当はアニメ業界において重宝され、
貢献度に応じて対価が支払われるようになる。
作画担当のそうした活躍は拘束費の引き上げ、作監以上への格上げ、更には演出や監督デビューにも繋がる。
中にはずっと絵を描いていたいということで、生活が少しくらい苦しくても作画のままでいるアニメーターもいたりはする。
ここが前項で述べた「クオリティを重視し過ぎなくても良い」と言った理由だ。
昔のアニメに比べて、今の時代のアニメだからこその進化がある。
出来上がった作画に光の陰影だとか、無機物ののっぺり感を抑える処理。
これを撮影班や美術担当が加工することで立体的でリアリティや臨場感を与えてくれる。
『鬼滅の刃』を制作したufotableが、自分が思うにこの技術力は随一だと思っている。
あそこは動画については、海外の動画会社に撒いているので動画枚数にこだわりがあるというわけではない。
その分、撮影や特効によってリアリティのあるごまかしで、キレイな上がりになっているように見せている。
少し話題は変わるがtwitterのTLを巡回していたときに「あの作画やべえええええええ」って3Dモデルが動いているだけのカットを
絶賛していて、アニメ観ている人ってその程度の認識でしかないよなあって少し落胆してしまった。
演出助手になっても、制作デスクを担当しても、上がる給料は少ない。
それでも嫁と二人暮らしで、嫁の方もフルタイムで働いていたのでこれまでは問題無かった。
先立つものがなくなる不安で仕事にも集中できなくなり、再度新卒時代に携わっていた国家資格が必要な仕事に戻ることにした。
アニメ業界は、左うちわで稼げるようになるまでの時間が途轍もなくかかる。
特に制作側で入った人間は一層そこに至るまでに苦労を強いられる。
これを詳細に語ると当時を思い出して気が滅入るので、箇条書きで記載する。
・上がりの納期を守ってくれる作画が知り合ったアニメーター数百人中両手で数える程度しかいない。
・今でも当時の罵詈雑言の日々が夢に出てきて真夜中に起きる。
同年代の新卒社員と中途で入った自分とで、自分の方が給料が高い、なんてこともあって
大手の制作会社でも決まった給与テーブルが存在しないパターンがある。
あと、規模さえ考慮しなければアニメ制作会社の面接は驚くほど簡単に通りやすい。
簡単なコミュニケーションや、自分がこれまで経験したことをありのまま受け答えして、
最後の質疑応答でアニメ業界に興味ありげな質問さえしておけば大体通る。
落ちたらよっぽどのコミュ障か、社会不適合者レベルだとも言えるのではないだろうか。
そんな割と適当な業界でもあるので、ある程度新卒で働いてから考え直しても良いと思う。
10社転職してから入った人も居るような業界だし、思った以上に門戸は広い。
それでもアニメ制作会社に入りたいのであれば「アニメが好きなこと」と「アニメを作るのが好きなこと」は違う、
これは肝に銘じておいたほうが良い。
入りたての頃、自分が制作に関わったアニメのオンエアが観れなかったほど、アニメが嫌いになりかけたことがある。
そこを経て色んな感覚が麻痺し始めてから、真のアニメ業界人の一歩だろう。
道のりは前途多難だが、アニメで成し遂げたいことがあるならば健闘を祈る。
異様に温かい人々に飛び跳ねまわる元気すぎる子、憂鬱な感情を持っても周囲に発散しまくってお咎めなしな登場人物。
わけの分からぬ家族の談笑。だけのこの人のウソは美しい。夢を見たい人々には良い酩酊剤として働くのだろう。
実際の宮崎ワールドは風の谷のナウシカの原作に求められるように思う。権力と自分足りの理由に奔走して世界を悪くする人々。ただこの人には一つの抜けがあって、純粋に世界を壊すことを楽しんでいる下らない人間がいることを描いていない。人間は基本的に善性で動いており、成り立ちや理由によって悪になったり悪の如き正義を振るったりするのだ、という発想で描いている。まさかネットストーキングをするような糞がいるなんて想像だにしてない。もっとも人をおもちゃにするような人種を描くことに関して抵抗があるのかもしれないが。多分監督がリベラル左翼だからこその発想なんだろう。
この点高畑勲は妹への恋慕のあまり妹を餓死させてしまう火垂るの墓を淡々と作った。ここにある断絶はなにかといえば、人に対する信心があるか、あるいは人は単なる観察対象かだ。この意味で宮崎と知り合いの押井守はより人に寄り添っていない。彼にとって重要なのは人ではなく形式や構造のように思える。そもそも人間に対する信心という感性そのものが人間らしいという皮肉めいた構造があるように思える。翻って、リベラル左翼という思想は大変構造的だ。それは無機質にすべての人は許容され、すべての人や権力は批判されるべきだというフラットな発想に基づいている。むしろ思想であるからフラットでなくてはならない。実はこうした思想と宮崎駿の人間力は非常に相性が悪いのではないか。
宮崎駿的人間力は非常に理想的で恣意的で、思想的ではない。彼が言う老後の入院生活を描いた絵にはたくさんの欠点が存在する。理想を維持するのに多大なコストがかかる。しかも彼は革命家であったので、スタジオジブリを給料制にして一度は倒産寸前にまで追い込んでいる。宮崎駿が全てを仕組みと制度で考える人間なら人間の不条理もそのまま無感情に描いていたように思う。ナウシカ原作ですら全ては情熱によって動かされれており、無感情なのは墓所の先人たちだけだ(もっともこの墓所の住人は旧癖の形象化だとは思うが)。つまり彼はリベラル左翼的でありながら、リベラル左翼すら鼻白む感性で批判しているのだ。この点でむしろ非常に左翼的なのはアンビバレントな監督らしい。概ねあたっているとする予測でしかないが、インテリ左翼はムスカのように道化として描き、権力も嫌い、同じように抑圧的な共産主義も嫌い、それでいて人間には希望があるべきだという大矛盾の分断された心象を監督は内包していることになる。だからこそ宮崎駿のウソは今でも世界で輝いている。
で「母をたずねて三千里」という文字が出たので語りたくなった。個人的に高畑勲監督の最高傑作だと思ってる。
主人公マルコの親父は医者としては良い人なんだよ。貧しい人からもお金を取らずに診療をしてあげたり、本当に医者の鑑みたいな人間だった。
ただ父親としても夫としては良い人ではなかった。借金のカタに女房をイタリアからアルゼンチンまで出稼ぎに行かせるとかどんな男だコイツは、と今でも腹が立つ。
それでもマルコの母はアルゼンチンに行ってから1年間は働いてたんだよ。それが1年後には手紙が故郷のイタリアに全く届かなくなった。
そりゃお母さんが大切なマルコは心配するよな。ところがあの親父は「便りが無いのは元気の証拠」みたいな事を言ってろくに妻を心配しなかったんだよ。
それどころかもしお母さんが病気にでもなっていたら、と心配するマルコを怒りやがった。テメエがろくに稼がないからそのツケを女房が払ってんのにな。そういやマルコの兄も進学を諦めて働いてたっけか。
知っての通りマルコは最終的にブエノスアイレスでお母さんと再会する訳だけど、お母さんは悪い病気になって死にかけていた。手遅れになる前にマルコが到着した事で何とか気力を取り戻して一命を取り留めた、って感じだった。
良い話なんだけど、これマルコが10歳でありながら無理をしてイタリアからアルゼンチンまで行かなきゃお母さん死んでたんだよね。親父はろくに嫁の心配もしなかったけど、あいつの不甲斐無さと無責任な行動のせいで嫁が死ぬ所だった。
「母をたずねて三千里」は正しく「世界名作劇場」の名に相応しい名作だけど、マルコの親父は今でも大嫌いだ。フランダースの犬のハンスも嫌いだけど、マルコの親父は人格者とか善人的な立ち位置で描かれてるのが本当にムカつく。
40年以上前の作品も多いけど世界名作劇場は面白い作品が多いから見て損は無いと思う。宮崎駿・高畑勲・富野喜幸の三巨匠が同じ回に携わってる事も多いからアニメが好きな人には本当にオススメだ。古典っていいよね。
確かにあちこちの台詞回しにナウシカっぽさが感じられるし、改心後のリルルの言動は明らかにナウシカをモデルにしていると感じられる。修理中のリルルとしずかちゃんのやり取りは、クシャナと風の谷のじいや達のやり取りを彷彿とさせるようでもある。
竜の騎士はキャラデザインや背景、BGMなどにナウシカっぽさが見えたが、鉄人兵団は心理描写にその影響が強く出ているなと思った。
トラバにもあるけど、私も竜の騎士、鉄人兵団、宇宙小戦争の三作がドラえもん劇場版の中で別格に好きです。
ストーリー展開にはアラやご都合主義もそりゃあるけど(ロボット達が鏡面世界に気づくの遅すぎだろ、とか、タイムマシンはさすがに禁じ手だろ、とか)子どもの心をあんなに惹きつける作品はやっぱりなかなかない。
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アマプラを物色していてふと目に入った「ドラえもん のび太と竜の騎士」、そういやこれ子どもの頃大好きで何度もビデオ見てたなーと思い出して30年ぶりぐらいに見てみたら、ものすごく「風の谷のナウシカ」でびっくりした。
検索してみたら、監督の芝山努氏と宮崎駿氏は東映の同期入社組なんですね。
さらに芝山氏は高畑勲氏と一緒に仕事をしたこともあるようで、それでなんとなく腑に落ちるところはあるのだけども。
にしても似方がすごい。
鎧と兜は土鬼(アニメではトルメキアの下級兵)、胸の紋章はペジテ。
乗用の小型竜はトリウマ。
地下世界の郊外には、ちょうど風の谷の郊外にもあるカッパドキアのような砂漠の光景が繰り返し描かれる。
ドラえもんの地下世界は高度に科学文明が発達した社会で、街並みは近世ヨーロッパに20世紀当時のSFっぽさを付け加えたような雰囲気だ。そこにトルコ的な何かは見えない。
未開の部族が住む秘境も点在しているが、それもアフリカや中南米の原住民文化がベースになって描かれているものだ。
すなわち、わざわざカッパドキア的モチーフをあんなに時間をかけて画面に出す必然性は何もない。にもかかわらず何度も出てくる。
ドラえもん一行が、地上人に脅威を知らせるべく竜の騎士の家からひそかにタケコプターで逃亡するときの情景は、BGMも含めてまるきりオマージュ。ナウシカが風の谷の住民達に脅威を知らせるためペジテのブリックからメーヴェで飛び立ったシーンのオマージュだ。これをオマージュと言わずして何を言うかというぐらい、立派なオマージュだ。
地上人を守りたいドラえもん一行と、地上の覇権を取り戻したい竜人達は最終的に全面戦争を始めることになる。
ここにも一瞬オマージュがある。
風雲ドラえもん城に竜人達が攻城櫓を運ぶシーンが、酸の海でクシャナがあの娘の帰りを待たないで進軍を始めたときと同じだ。これも状況がそっくり。BGMも。
そしてそこにクライマックスとなる天災(風の谷のナウシカのほうは人間が引き起こした天災なので本当は人災なのだけど)が訪れ、両軍ともに戦争どころではなくなる。
キャラデザインや風景、BGMのみならずストーン展開のこの重なりよう。
意図しないとここまでの重なり方はしないと思う。
ただ最後、ドラえもんは人類の科学技術の粋であるところのひみつ道具をバンバン使って本来なら絶滅していたはずの恐竜を安住の地へと導き、竜人達の始祖の神となってしまう。自然を破壊してるわけではないにしても自然の摂理に強く介入する行為であることに間違いはなく、人類が自然の営みを支配しコントロールすることの是非という点ではナウシカではなくクシャナ寄りの価値観と行動だ。ここがナウシカとは決定的に違うとこで、まあそこはドラえもんが『ドラえもん』というアニメ作品の主人公としての役割をきちんと果たしているということで、どちらが正解でどちらが間違いという話ではない。
この相似、たぶんいろんな人が言ってることだと思ったんだけど、ちょっとググった程度では見つけられなかった。
芝山氏は何を思ってこんな作風にしたのだろう。この作品だけでなく当時のアニメはみんなナウシカの二番煎じみたいな作風だったのだろうか(そんなこともなかったと思うのだけど)。
それが知りたいな、と思った。
そういや鳥山明氏も宮崎駿氏に影響を受けたって聞くよね。ドラクエ2の三人にはナウシカのデザインが色濃く反映されているという話は有名だと思う。
最高の人生の見つけ方、いい映画ですよね
ですが日本版は少しだけ、本当に少しだけしっくりきません
そこで、僕がかんがえた最高の人生の見つけ方を発表したいと思います
けれど、いきなり僕がかんがえた最高の人生の見つけ方のあらすじを書いてしまうと、みなさん混乱してしまうと思います
なので、吉永小百合と天海祐希という組み合わせを少しずつ変えながら紹介します
家庭のために生きてきた吉永小百合と、会社のために生きてきた志田未来。
全く違う世界に暮らしてきた2人が偶然に出会い、自分たちの唯一の共通点は余命宣告を受けたことだと知る。
主婦業と仕事以外に何もやりたいことのない人生の虚しさに気づいた吉永小百合と志田未来は、たまたま手にした12歳の少女の「死ぬまでにやりたいことリスト」を実行するという無謀な旅に出る。
ジブリのために生まれたアリエッティと、ポノックのために生まれたメリア。
全く違うスタジオで生まれた2人が偶然に出会い、自分たちの唯一の共通点は監督が同じだと知る。
ジブリ業とポノック業以外に何もやりたいことのない人生の虚しさに気づいたアリエッティとメリアは、たまたま手にした西村義明歳の「死ぬまでにやりたいことリスト」を実行するという無謀な旅に出る。
M78星雲で生きてきたウルトラマンと、地球のために生きてきたハヤタ。
全く違う世界に暮らしてきた2人が偶然に出会い、自分たちの唯一の共通点は平和を守ることだと知る。
地球を守ることに何もやりたいことのない人生の虚しさに気づいたウルトラマンとハヤタは、たまたま手にしたゼットンの「1兆度の火球」を食らってしまい死ぬのであった。
アニメのために生きてきた庵野秀明と、アニメのために生きてきたわけではない山賀博之。
全く違うわけでもないけど同じではない世界に暮らしてきた2人が大阪芸大で出会い、自分たちのそこそこある共通点はアニメが好きなことだと知る。
アニメと特撮以外に何もやりたいことのない人生の虚しさに気づいた庵野秀明と山賀博之は、たまたま手にしたオタキングの「死ぬまでにやりたいことリスト」を実行するという無謀な旅に出る。
アニメのために生きてきた宮崎駿と、会社のために生きてきた鈴木敏夫。
全く違うわけでもないけど同じというわけでもない世界に暮らしてきた2人が出会ってからもう何年もたってから、自分たちの唯一の共通点は高畑勲がすこすこだったことだと悟る。
映画以外に何もやりたいことのない人生の虚しさに気づいた宮崎駿と鈴木敏夫は、必然的に手にしていた高畑勲の「死ぬまでに食べたい菓子パンリスト」をパクパクするという無謀な旅に出る。
声優のために生きてきた日高のり子と、アナウンサーのために生きてきた長谷川太。
全く違う世界に暮らしてきた2人が偶然に出会い、自分たちの唯一の共通点はニッポン放送の吉田に対する気持ちだけだと知るが、それは声優アニメ系ラジオ業界で生きるもの全ての共通点だった。
声優業とアナウンサー業以外に何もやりたいことのない人生の虚しさに気づいた日高のり子と長谷川太は、たまたま手にした文化放送取締役放送事業局長片寄好之の「死ぬまでにヤリたいリスト」を実行するという無謀な旅に出る。
漫画のために生きてきたあだち充と、漫画のために生きてきた高橋留美子。
全く同じ雑誌で連載してきた2人が編集との繋がりで出会い、自分たちの唯一の共通点は面白い漫画がかけることだと知る。
漫画以外に何もやりたいことのない人生の素晴らしさに気づいたあだち充と高橋留美子は、たまたま手にした雷句誠の「死ねリスト」を見て怖いなあ、と思うのであった。
メガネとして生きてきたゆうきまさみと、犬として生きてきた押井守。
違う種族の世界で暮らしてきた2人がバンダイの会議室的な場所で出会い、自分たちの唯一の共通点はガンダムが好きなことだということに今からして押井守版ガンダムとか見たくない? カイが主人公でいろんなコロニーの立ち食いそばを巡る感じのでさ。
そんなこんなで、ゆうきまさみと押井守は、ニンテンドースイッチ版グルーブコースターに出演したメグッポイドを通じて知り合った月ノ美兎の「死ぬまでにやりたいことリスト」を見て、アニメや漫画といったオタク文化が今こうやって若者たちに広く愛されている現状に満足するのだった。
犬の王を描くにあたって、犬界では一番アニメを監督するのが上手な押井守に教えを請わないわけがない。
そんな密接な関係にある二人はもはや、月野うさぎとまもちゃんの関係といっても過言ではないに決まっている。
マーキュリーは頭がいいとなれないが、東大出身で頭がいいから絶対なれる。
以上です。
※ネタバレは当然のごとくにする。
・いきなりハイライトの感想から言うけど、百鬼丸が目を取り戻したら度を超えたイケメンに超進化したので、私エネル顔。
昔話の『鉢かづき姫』みたいだなと思った……。
・百鬼丸VS多宝丸のシーン、シリアスなはずなのだがめちゃめちゃ笑ってしまった。多宝丸がいきなりお部屋紹介を始めたからだ。
「ここは私の部屋だァ!!」
ってなんだよwwwww先週「もう話すことはないな」って一方的にコミュニケーション遮断してきたのは何だったんだお前可愛すぎだろう。
・からの、回想に幼い頃の陸奥・兵庫を入れてくるのずるい。そんなん泣くに決まっている。
・というか、ここら辺の百鬼丸の心理が今一つわからないんだけど、派手に暴れたらストレスが解消されたのか冷静さを取り戻したのか、よくわからないんだが急に物分りがよくなったのはなぜ。
・まぁよくわからないがお互いに欠けているもの同士として響くものがあったのかなあ?
・最後の鬼神、あんな所にいたんだ。へぇ。案外あっさり倒されたなぁ。
・ご都合展開の極み的に寿海ママと縫ママが百鬼丸のピンチに駆けつけたけど、この手のご都合展開は本作の醍醐味というかなんかもう慣れた。
・抜け道から百鬼丸達が闘っていたフロアまで結構高低差があるはずなんだけど、そこを縫の方がどうやって濡れた打掛を被って上がって来たのかが気になって仕方がない。
・百鬼丸が二人のおっかちゃんの愛情を感じられて良かった。良かったのでその前の滅茶苦茶な展開も許せる。
・多宝丸には生き抜いて欲しかった。でも最期を母上に看取って貰えてよかったね。
・シリーズ後半までずっといい子だった多宝丸が終盤に思い切り我を出して来たのは良かった。親近感の湧く少年であることよ。
・百鬼丸が初めて見るものは多宝丸の死体かどろろの顔のどちらかではないかと予想をしていたのだが、二人のママだったのがとても良い。
・しかし寿海ママの指差しポーズが爽やか過ぎて笑う。CV.大塚明夫で「気を付けて帰れよ!」って言いそうな顔だし現にCV.大塚明夫なのである。
・井戸の底から引き上げてもらうときに百鬼丸に抱えられたどろろが猫みたいで好き。
・「空、きれいだ……。どろろ、きれいだ」セリフだけなら良い場面っぽいのに殆どギャグだった。"溜め"とか無いんだ。
・目を取り戻してから燃え落ちる城を見詰める場面まで百鬼丸がものすごく美少女である。本作の真のヒロインは百鬼丸、君だ!
・様々な問題をどろろは親の金で解決しようと決める、というまさかの展開にびっくり。え?それでいいんだ???
・どろろの父・火袋の埋蔵金は果たしてちゃんと手付かずで残っているのだろうか。埋蔵金の隠し場所に人が来られなかったのは、しらぬいの次郎丸と三郎丸があの辺で人喰ってたからだろうに。次郎丸・三郎丸が討たれた後は……。
・景光と百鬼丸が会話してる……!百鬼丸、こんなに喋れるようになって………(ハンカチで目頭をおさえる
・ついに景光が敗けを認めたのでせいせいした。ほんと嫌な親父だったなぁ。国の為民の為と言ってたけど結局、功名心だけの人だった。
・刀も持たずどろろを伴わず、みおの種籾だけを持って旅に出てしまう百鬼丸。みおの種籾はもはや完全に忘れ去られたアイテムだと思っていたので、再登場してよかった。
・みおの種籾が百鬼丸からどろろに託されたり、百鬼丸とどろろの二人で田んぼに植えて育てるという展開は正直嫌だったので、百鬼丸が種籾を懐に仕舞い直したことにホッとした。
・みおとの初恋の思い出を、どろろとはいえども他の女の子と共有するのはどうなのかと私は思っていたので。
・異論あるみたいだけど良い終幕だった。
・本作は批評される際に手塚治虫の『どろろ』の後継(というよりコピー)としてアリか無しかということで見られがちなのが気の毒だと思った。
・原作付きアニメの宿命ではあるけれども、それにしても手塚治虫がビッグネーム過ぎるので……。
・原作漫画を100として減点法で採点されるばかりで、アニメそのものの出来を評価されるってことがあまりないんだよなぁ。
・私としては、2019年版アニメ『どろろ』の出来はあまり良いとは言えないと思う。
・前半はかなりよかったのに、後半はずいぶん失速してしまった。一体どうしてこうなった?と観ていて戸惑う部分が多々あった。
・シリーズ構成・数話の脚本を担当した小林靖子氏のインタビュー記事や前期エンディングと第15話の演出を担当したコバヤシオサム氏のツイート、後期OPスタッフのツイートやインタビューなどから、制作スタッフのなかで何らかの内輪揉めがあったのかなぁ、と、邪推かもしれないが、思った。
・せっかく時間をかけて企画を練っていたようであるのに、後半からいきなりごちゃごちゃのグダグダになっていく様が非常に勿体ないと感じる。決して詰まらないストーリーではなくアニメーションの技術が低い訳でもない、むしろクオリティ高くやれそうなのにそうならなかったから残念なのだ。
・アニメは多くのスタッフのチームワークによって作るもの、ということの悪い部分が表面に出た感じ。
・宮崎駿や高畑勲の作品みたいに細部にわたって監督の思い通りに作るアニメには勝てないのだろうか?
・しかし各話の演出家の裁量に任せてるっぽい所、嫌いじゃないんだけど。特に15話はかなり異色な回だったけど面白かったし好き。
オタクの人ら、70年代から内でも外でもひたすら喧嘩してる連中のあつまりなんですが…。
宮崎駿や高畑勲が組合作って労働争議やったり、庵野秀明らがアマチュアから商業業界に無理くり入り込んだり
ポルノ分野で力をつけてメジャーに乗り込んだり(Keyとかニトロ)、タフな人はたくさんいるんですよね。
もちろん弱い人もいるでしょうが、それはどのような属性の人にもいるかと思われます。
社畜が会社を訴える物語は、経済小説という分野になるのでファンタジー路線のライトノベルには向いてないという話ですよね。
オタクが逃げている、というのは全くそぐわない。やろうと思えばできるけど、市場に対して有効かどうかという問題です。
高畑勲「50億円位かな?」
ネトフリ限定、上から順に増田に合ってそうなもので、最近の作品。下に行くほど個人的なお勧めになってます。
たぶん他の人が散々薦めると思うのでそっちに任せる。
人と違う事とかマイノリティとかをきちんとした優しさで包み込んだ名作。
少年シャンプのスポーツものだけど、努力してリアルに頑張って強くなっていく感じとか、上手い絵が動くのが凄く良い。
まどマギの脚本の人が基本を書いてる。少年が異世界にやって来る冒険ロボットものだけど、SFとしても脚本が秀逸、何度見ても最終回で泣いてしまう。
2009年放送なら11話まで見て26話から見る。次に映画(涼宮ハルヒの消失)観ればOK、途中のエンドレスエイトは最初と最後だけ見ても良いかもしれないけど、それ以外は苦行。いわゆるセカイ系ってやつで、主人公が巻き込まれてやれやれ、とか言う奴だけどSFとして面白い。
CLAMPの絵にクセがあるけど、不思議な力を手にした主人公が支配された日本で、知識と力で成り上がって革命を起こす話、海外ドラマみたいに毎回最後のヒキと突然変わる話の展開がすごい。
サクラクエストのP.A.WORKS制作の現代ロボットものSFで侍が主人公。ロボットアニメ好きならお勧め
ゲームセンターのゲームが好きな完全なるおっさん向け懐かしアニメだけど、ボーイミーツガールの切ない感じとかが良い
宮崎駿と高畑勲が組んだラピュタの原型となった古典テレビアニメ、NHKのアニメ第一号古。臭い表現がキツいが話としてものすごい面白い。最初はしんどいかもだけど、5話くらいまで観るとたぶんやめられなくなる。モンスリー最高。攻殻、エヴァ見て答え合わせした感あるならたぶんイケる。劇場版とかは当時の制作事情から酷い編集なので観ちゃダメ。
上記とほぼ同様、古典として面白い、あーこのセリフがー。とかもあるけど、戦争ものとして少年たちが巻き込まれながらも生き残るお話として見ても秀逸。当時は毎回怪獣みたいなロボットが攻めてきて、主人公がロボットでやっつける!みたいなアニメしかない頃に、突然こんなのが出てきたら、そりゃみんなハマるし、歴史に残るわって感じ。
これも古典だけど面白い。2時間位の映画なので観ても良いかも。最後に昭和の名曲の主題歌が流れた時が泣ける。