はてなキーワード: 過激派とは
誤解のないように最初に書いとくと、俺自身、「現代」の先鋭化した「フェミニズム」「ツイフェミ」には反対だし、個別の論者も言ってることとやってることがちぐはぐ過ぎるしカルト化しているとも思う。ただ、対抗する動きとして出てきたアンチフェミニズムはどうかというと、ここ最近のネット論壇は一見説得力があるけど、どこかおかしい議論を展開する論客が支持を集めているように思う。
特に影響力のある筆頭としては白饅頭氏あたり?アンチフェミニズムにとどまらず女性憎悪を煽るような言説を(有料Note内で)ばらまいてるし、支持者も少なくないぽく見える。小山晃弘氏は女性の立ち位置に幾分理解を示してる分はマシだけど五十歩百歩。他にもその手の論客を挙げればキリがないのだけど、彼らの共通項を一つ上げるなら「疑似科学」や「疑似論理」を用いて巧妙に「だから女性が悪いのだ」「男性は迫害されている」という方向に持って行きたがることに尽きる。たとえば「現代日本では女性の幸福度の方が男性の幸福度よりも高い」ので「男性の方が差別されている」のだ、という一見もっともらしい言説が彼らの間では普及しているけど、全くもって論理的じゃない。
実際問題、幸福度に大きく寄与しそうなファクターとしては孤独でないってことが挙げられると思うのだけど、女性の方がコミュニティを作る性質が強いので男性より幸福度が高いかもしれない、とかいくらでも他の可能性は思いつくのに、女性を仮想敵にする言説ばかりをやたら量産している。あるいは、進化心理学を援用した男女の性差議論もだいぶ怪しい。そりゃ、そういう風に説明しようと思えば説明可能かもしれないが、どう考えても反証可能性がない。
もちろん、他の哺乳類でも男女の能力に性差があるように人間でも男女の性差は色々あるのは間違いないけど、彼らはとかく議論を単純化して女性を悪魔化する方向に持って行きたがる。「女性の他責性は本能的なものだ」みたいにね。それでいて、白饅頭氏も他の論客も不要な分断を埋めようみたいなことを嘯くわけで、分断を煽ってるのは一体誰なんだろうとは思う。下手したら、今のいわゆるツイフェミよりも性質悪い存在になりつつあるんじゃない?くらいには思ってる。
過激派ツイフェミ見るとほどほどにしてくれよな…という気持ちになる。
ああいった意見を言いたくなるほど酷い仕打ちを受けた人も大勢いるだろうから、理解はできる。
それが女性全員の意見だと主張されるのはちょっと違う。男無理すぎて女の国を作りたい人もいれば、女を活かして生きたい人もいるわけだ。
どちらかというと「女を活かして生きる」タイプの人間だった。若い女というだけでニコニコしてれば仕事がしやすかった。特別美人でなくても子綺麗にさえしておけば若い男性からも不当な扱いを受けることもなかった。同性の同僚には私を見て面白くないと感じる人もいただろう。
もちろん「女ゆえの損」も受けてきた。
女性の少ない業界で働いているため、女というだけで浮いてしまい他部署の人間も私を知っている。ゆえに顔も名前も知らない男性からビルの下で待ち伏せされることもあった。
損も得もあるから、天秤にかけて女を活かした方がプラスだと思っていきてきた。
「女は愛嬌」と母に教えられてきた。
女社会は疲れるし、女を活かして男社会で生きた方が得が多いと思ったし実際そうだった。
疲れた。
同年代の子が結婚するだけで「増田さん先越されちゃったね〜w」と言われることも
若い子が入社するだけで「増田さんピンチだねw」と言われることも
良い同僚と思っていた男性から「実は胸デカいよねw」と言われることも
昼飯を買いに行ったら不審者に追いかけられ同僚の男性に迎えに来てもらうことも
女って弱いな。弱い弱い弱い。
疲れたし年齢的にもそういうのや〜めた!と思って環境変えるために転職した。相変わらず女性は少なめだけど新しい職場ではヘラヘラチャラチャラしないように努めている。女を必要以上に使うのはやめた。
やめたら楽になった。なったけど、やめたらやめたで苦手なものが増えてくだけだった。
彼氏を見返すための脱毛CM、エロ広告、タレントへのエロリプ、セッ事情を赤裸々に話す一般人
美容室でガッツリ切ってもらう時の「モテなくなりますよw」←モテなくていいんだって…
自分が性的に見られることに抵抗がめっっっちゃある。散々性を安売りしてたっつーのに………。
これフェミなのかな?ポリコレとも違うしなんて言うんだろうなー。別に枠にはめたいわけじゃないけど今の自分の思想が多数派なのか少数派なのかすら見当がつかない。
https://news.livedoor.com/article/detail/23201385/
まんだらけ社長、ビニ本は倉庫においてあるだけだと主張して不起訴になったのに、行政指導は入った
https://booth.pm/announcements/616
ブース通販にレイプ、親近相姦、人体切断、ロリペド、性虐待を置いてはいけないカード会社指導がきびしくなる(12月半ば~
ブース運営もカード基準にのっとって審査し、アウトだと勝手に商品ページを非表示されたり、繰り返すとアカウント削除することがある
山田太郎さんどうなったんですかね
ついでにクソコンテンツをエログロだけで子供の目を引いて売ろうとする過激派に教育もしろよな
・ロシアで売るな、買ったやつが死ぬぞとか。しらんで売るやつおるし
・泣き叫ぶようなえぐいのやったあとは出演者のバーベキューシーンをいれて「実は演劇だったり合意なんです」って示唆するアメリカ式もあるぞとか
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彼らの1人は来館者に向かって、「美しく、金に換えられない価値のあるものを突然目の前で破壊されたらどう思う?」と、英語で問いかけた。その上で「怒りを覚えるか? なるほど。ではそうした感情は今どこにある? この地球が我々のまさに目の前で破壊されているときに」と続けた。
抗議行動のメンバーはさらに「この絵はガラスで守られている。全く問題ない」と発言。「弱い立場にあるグローバルサウス(訳注:主に南半球に偏在している開発途上国)の人々は守られていない。我々の子どもの未来は守られていない」
先日かぐや様は告らせたいが最終回を迎えた。
これをもって一時代を築いた貧乏な学生が主人公のラブコメ(貧乏ラブコメ)3作品※が全て完結を迎えたことになる。
※かぐや様は告らせたい、ぼくたちは勉強ができない、五等分の花嫁のこと。
これらは同時期に連載していて同じような設定の主人公で同じような時期にアニメ化したことからまとめて語られることも多く、それでいて全く違う終わり方をしたことからよく比較対象になっている。
各作品の終わり方
ラブコメ漫画はとかく完結後炎上しやすく、どういう終わり方がいいのか議論になることが多い。
同じような時期に同じような設定で始まり全く違う終わり方を迎えた3つの漫画。これほど比べるのにちょうどいい環境もそうそうないだろう。
せっかくの機会なので各作品の軌跡を振り返っていきたい。
ミラクルジャンプで連載開始。好評のためかその後ヤングジャンプに移籍。
ラブコメというジャンル名でありながらほぼラブがメインなことが多いラブコメ漫画の中では珍しく、コメディを中心に据えた作風で人気を博し、貧乏ラブコメ仲間の一つである五等分の花嫁に抜かれるまでの2年以上、全週刊漫画誌で連載中のラブコメで売上No.1の座を守った。
白銀とかぐやが付き合ってからはコメディの割合が減ったり裏主人公である石上メインの話が増えたりしたために若干不評な時期もあったが、白銀たちが1年生のときの生徒会や思わせぶりな新キャラなどで考察好きのファンの間では変わらず盛り上がりを見せ、アニメ化の成功や実写映画化の大ヒットも手伝い最後まで人気のまま完結を迎えた。
シリーズ累計発行部数は1900万部(Wikipediaによるとうち100万部以上はスピンオフ)。仮に原作が1750万部とすると1巻あたり発行部数は約65万部。
週刊少年ジャンプで連載開始。
ラブコメとしてはオーソドックスなヒロインと主人公の交流を繰り返していくタイプであるが、ストーリーの連続性の薄さやヒロイン同士の交流がほぼ皆無であることなど、1話完結を繰り返しストレスなくキャラの可愛さを愛でるという構成はライトなラブコメの一つの究極でもある。
単行本1巻発売時にはあまりの人気に重版が追いつかない事態となり、当時としては異例の紙書籍と電子書籍がほぼ同時に発売するという措置を取られた。(当時は紙書籍から1ヶ月遅れて電子書籍が配信されるのが当たり前だった)
その後アニメ化決定あたりをピークとして徐々に人気が落ち着いていったものの、本編最終回と同時に週間少年漫画としては前代未聞のパラレルストーリーを発表したことで大きな盛り上がりを見せた。
ただそれ以降はあまり話題には上がらず、その影響もあってか最終回でのTwitterトレンド入りを逃すという、アニメ化作品としてはある意味異例の結果を残した。
シリーズ累計発行部数は440万部。仮に原作が420万部とすると1巻あたり発行部数は約20万部。
とかくキャラ人気に引きずられて話が本筋から逸れて冗長になりがち(キャラの魅力が大事なジャンルなので冗長になった部分こそが魅力だという面もあるが)なのがラブコメというジャンルだが、その中で珍しく一切の無駄を省いて本筋だけを通って完結まで走りきった。
元々人気作ではあったがアニメ化をきっかけにさらに人気が爆発。貧乏ラブコメ仲間のかぐや様は告らせたいから全週刊漫画誌で連載中のラブコメで売上No.1の座を奪取した。
原作の完結時には結末に納得の行かないファンたちや駆け足での完結に反発したファンたちでネット上は荒れたものの、引き伸ばしがなく人気絶頂のまま完結したためか一般層の評判はさほど変わらず、完結後も売上が伸び続けるという異例の大ヒット作となった。
シリーズ累計発行部数は1600万部仮に原作が1500万部とすると1巻あたり発行部数は約107万部。
(2022年12月現在2000万部。仮に原作が1900万部とすると1巻あたり発行部数は約135万部)
高クオリティの作画に鈴木雅之の主題歌という話題性も手伝いヒット作となる。
テレビアニメは3期まで放映され、新作アニメーションの劇場先行公開も決定。4期もおそらくやるものと思われる。
声優ユニットを組んでCDを出すなど音楽面には力を入れていたように思うが、アニメ自体はそれなり。ぼく勉の前クールに放映していた超豪華声優陣の五等分の花嫁や高クオリティのかぐや様に食われてしまったためか、ヒットや原作読者の獲得には繋がらなかった。
緩いラブコメが好きな層からはそれなりに好評だったが、アニメ2期最終回で途中から唐突にアニオリ展開が始まり、原作の完結より前に原作の結末が明かされ炎上した。何だったんだこれ。
1期は不安定な作画が、2期は原作の取捨選択がそれぞれ原作ファンからは不評。一方でヒロインは花澤香菜、竹達彩奈、伊藤美来、佐倉綾音、水瀬いのりという超豪華声優陣に恵まれアニメとしてはヒット(もちろん原作の面白さがあってこそではあるが)。
YouTubeでの頻繁な無料公開で若年層の獲得にも成功し、今年上映した映画は小中学生連れの家族や女子高生など幅広い層が見に来たうえ原作ファンも絶賛。上映規模が100館程度の作品としては異例の観客動員数150万人以上、興行収入22億円以上の大ヒットを記録した。
主人公の白銀にジャニーズの平野紫耀、ヒロインのかぐやに橋本環奈を採用した実写映画は興行収入22億円超えの大ヒット。続編も作られそちらも興行収入10億円を超えるヒットとなった。
スピンオフも活発で、かぐや様は告らせたいの二次創作同人を描いていた作家を起用したかぐや様は告らせたい同人版をとなりのジャンプで連載したり、新聞部の2人を主人公にしたかぐや様を語りたいをヤングジャンプで同時掲載するなど幅広い展開を見せた。
その他にノベライズがオリジナルストーリーが1冊。漫画、映画のノベライズが計5冊。
強いて言えば単行本の有償特典として付属したボイスドラマがヒロイン5人中4人分存在する。
スマホゲームとしてごとぱずと呼ばれるゲームが配信されており、その他にコンシューマーゲームとしてADVが2作発売されている。コンシューマーゲームのADVは好評のため3作目も決定していて、さらにごとぱずの1年目のストーリーをまとめたものもコンシューマーゲームとして発売することが決定している。
メディア展開とは異なるが、ごとぱずが公式のDiscordサーバーを設置しておりそちらでもファンの交流が活発。
その他には映画までのアニメをノベライズしたものが5冊。各ヒロインのキャラクターブックが5冊。フルカラー版のコミックスが原作と同数出ている。
ここまで貧乏ラブコメ3作品の辿ってきた軌跡を追った。どれも押しも押されもせぬ人気作品と言って良いだろう。
ただ連載中の売上やアニメ化に伴う売上の増加は終わり方の良し悪しとは関係がない。終わる前の話であるから作品の面白さやアニメの出来に左右されるものである。
では何が終わり方の良し悪しを決めるのかといえば、やはり完結後のメディア展開や語られ方、盛り上がりといった雰囲気から見る他ないだろう。なのでそういった観点から、全く違う完結を迎えた3作品の終わり方はどう評価されたのか見ていきたい。
※終わって間もないが、付き合った時点で終わるのがラブコメのスタンダードのため付き合った後も続いた場合はどうかという視点で考える。
付き合った後も続けるのは蛇足と言われがちだが、かぐや様は付き合ってからも3年以上連載が続いていた。読者からの不評の声がなかったわけでは無いが、人気が落ちたようなことは見受けられなかったため大きな影響はなかったと判断して良いだろう。
付き合った後もアニメは人気で、実写映画化も果たした。かぐや様を語ったり考察したりするファンも大勢いた。最終回を惜しむファンも数多くいて、作者のツイートには27万以上ものいいねがついた。
そもそもハーレム系ラブコメではない、ラブよりはコメよりの作風だった、というのもあったかもしれないが、付き合った後も続けるという手法が悪いと言えないことは明らかだろう。
今ぼく勉について語られるのはパラレルストーリーの是非がそのほとんどを占める。作品の内容自体が語られることは限りなく少ない。
読者が一番見たい主人公とヒロインが結ばれるところとそれまでの話に連続性がないのだから、それまでの話を語る意義がないため当然ではある。実際にパラレルストーリーが始まった後に更新を止めた考察(感想)ブログもあった。
パラレルストーリー発表後の連載中も作品の盛り下がりは顕著で、掲載順はぼく勉史上初の最下位を記録し、単行本も右肩下がりを続けた。最終回では作者が全感想にリプライ返しをするという読者サービスをしていたにも関わらずトレンド入りを逃してしまった。
メディアミックスという点で見ても、ボイスドラマという低予算でできるであろうものすらヒロイン5人中4人で打ち切りと相成った。(作者に嫌われているから残り一人は出なかったのだという過激派も散見されるが、おそらくさすがにそれはないだろう)
これはぼく勉のそれまでの実績から見れば異常と言ってよく、パラレルストーリーによって読者の熱と興味が失われた結果だろう。
発表当時は二次創作需要を取り込んだといわれていたが、むしろファン活動の土壌ごと壊してしまったという印象を受ける。
作品の内容が語られることはなくなり、ファンの熱意が冷め、メディアミックスも打ち切られる。
完結当時から結末に納得の行かないファンや終わり方が駆け足だったことへの批判は少なからずあったものの、同時に考察好きなファンが今までの描写を振り返って数々の伏線を見つけ出すなどファン交流は非常に活発だった。
完結後に配信、発売されたスマホゲームやコンシューマーゲームもヒット続きで、グッズも出せば出すだけ完売するなどファンたちの熱量も衰えず映画の大ヒットへと繋がった。
完結してから2年以上経つ今でもファン同士の交流は活発であり、今も新規グッズが毎週のように発売されて完売している。新しいゲームも発売するなど今もコンテンツとして生き続けている。
原作が本筋だけを描いたために、脇道に当たる部分をゲームが補完している面もあるので一概にこれが正解だということは出来ないが、少なくとも主人公とヒロインが付き合って終了という終わり方が悪いと言えないことは明らかだろう。
ラブコメにおいてオーソドックスな終わり方だが、オーソドックスになったのには理由があったということがわかる。
貧乏ラブコメ三国時代を彩った3作品はそれぞれ人気作であったが、終わり方によってその後の評価に大きな差が出てしまった。
五等分のようなスタンダードな終わらせ方も、かぐや様のような付き合った後も続けるやり方もそれぞれに良い面があるが、ぼく勉のようなイレギュラーは望まれていないと言って良いだろう。
貧乏ラブコメ三国時代は終わったものの、その後もカッコウの許嫁や甘神さんちの縁結びなど貧乏ラブコメの灯火は絶えることなく続いている。
貧乏な主人公が勉強などを通してヒロインと仲を深め、ヒロインはその人間性で主人公を成長させる。王道の類型であり、個人的にも好きな設定だ。今後ともこういった設定の漫画を読みたいと思う。
後に続く貧乏ラブコメたちもこれらの人気作たちの終わり方を参考にして、それぞれがより良い最終回を迎えることをいちファンとして期待している。
それはそうだけどこの増田では同時期に争った三国志の話をしたので始皇帝の話を持ち出されても……(ハヤテが始祖という意味じゃないよ)
時代が違いすぎて受容のされ方もまた異なるだろうし、そもそも最後まで付いていった読者が減りすぎてるので比較対象には適さないかと思う。
すでに言われてるけど古見さんとか高木さんとかトニカクカワイイとか人気よね。最近も帝乃三姉妹あるし。
同じ時期のサンデーラブコメなら"古見さん"かな?メディア展開は最も遅かったけれどコメディ重視で群像劇風かつ未だ継続中。発行部数からいってもハブられる存在じゃないと思うんだけど。
大量投票を重ねたら他ファンも対抗してきて、泥試合になりそうになった最後の最後の投票では目先を変えてガラスの靴を贈ったのはスマートすぎて惚れる。
マリーの見合いの相手になったのはまあマリーファンじゃなかったから個人的には素直におめでとうなんだけど、マリーファン的にはどうなんだろね。楽が嫌われてたからOKなんだろうか。
全くその通りで、ここまでdisってはないけどアニメ評論家の藤津亮太氏も同じような着目点でコラムを書いてたからそれを参照すると分かりやすい。
「テレビ離れ」から考えるアニメの近未来「バズらせて知ってもらう」では通用しなくなる(藤津亮太)
このコラムの中で書かれてるのは
・生活時間調査から見たテレビ利用率とインターネット利用率とテレビ離れの進行について
・2020年代を境にテレビ文化は転換点を迎えるべきなのではないか
・テレビ文化とSNSの相性のよさ(テレビで放送されるとバズる)、でも次の10年でそれは持たなくなるんじゃないか
・今バズってるのもテレビ利用率が高い40代以上がそれなりにネットやってるからでは(調査を参考にすると40代以上のネット利用人口の実数は10・20代のそれと同程度)
・テレビ離れが進んで視聴人口が減っていく将来、テレビでやったから話題になりますみたいな度合いは減っていくだろうし、媒体としての力が弱まるテレビで宣伝して円盤を買ってもらうみたいなビジネス戦略のままやるのか?ネットも新規層への訴求力弱いからそこも考えないとね。
雑にまとめるとこんな感じだろう。詳しくは読め。
藤津氏は基本的にアニメビジネスについてどうこうって観点しか持ってないだろうけど(今回のnetflixの記事にしても「Netflixが配信にこだわりすぎで、金あるんだから、TVなり、映画館でイベント的な誘導をいっぱいやれば? という気持ちはある。」とtwitterで言ってるし、ビジネス側の工夫が足りないっていうスタンス)
でも俺からすると、話題性ガーとか金ガーとかでギャーギャー言ってるアニメファン側の努力が足りてないとしか思えない。
俺は別にタイバニを追ってて発情してたようなファンでもないのにタイバニ2見てるしさ。
結局はテレビ文化にどっぷりつかった高年齢アニメファンが自分の気力・体力・財力の欠如の言い訳をnetflixに当てこすってるようにしか見えんのよ。だってnetflixでバズる作品はきちっとバズってんだからさ。
自分に視聴する気力がない、話題を追うだけの知的好奇心がないから言い訳として金の無駄とか話題にならないからとか言っちゃってるだけでしょ?
というか、いつも散々旧来メディアのことをバカにしといてその影響下にあり続けるのってアホらしいと思わん?
いい加減他人のせいにするのやめて、自分から情報発信したり、積極的にアニメ視聴したりすればいいだけの話だろ???ずっとテレビに流されるままの愚民でいるの?
どっかのブクマカじゃないけど、睡眠、野菜350gを取る。運動、瞑想をしない者の末路はいつも悲惨なんだよな。アニメ視聴にとって大事なことは心身の健康が第一なんだって理解しろよボケ老人ども
売れてないしネトフリも縮小していると言う事実ベースからの,つまらないし手法がまずいと言う分析だと言うことを認識した方がいい。新しけりゃ正しいわけでもない。
どこにそんな分析があるんだよw
ネトフリは会員数減少してるんだあああああああって言うバカ老害オタクが理解してないのは、ネトフリの会員数減少の原因として大きいのは映像サブスク事業が失敗してるというものではなくて、ディズニー傘下の配信サービスが過去最大の購読者数になっているっていう裏返し(つまりパイの食い合いが始まった)の面と、会員が家族でない人間と不正にアカウントを共有する文化が海外で広まってるって点なんだよ?
ネットフリックスの魅力が相対的に弱まっているっていう面はあるんだとしても、映像サブスク事業自体が間違ってるなんて話にはならないんだよね。
新しけりゃ正しいわけでもないなんてまさに老害って感じでいいですね~w
やめろとは言ってなくね?全話一斉配信してるから面白みないのかもねって元増田が言ってるだけで。アニメ過激派は極端な曲解するよね。そういうとこやぞ。
えーと、元増田ってのがトラバ付けてる「タイバニ続編が~」のことを指してんなら、書いてる人は同一人物ですし、元増田に「全話一斉配信してるから面白みがない」なんてことは全く書いてません。
単純に作品として出来が悪いから話題にならないだけだろ?って言ってるんだよ!!!!
しかも揶揄してるのは元増田じゃなくてそこについてるブコメね。
マジで書いてないことを読み取る人って存在するんだなと思ってびっくりしとるわ。どういう頭の構造してんだ?曲解してんのは自分だろww
何が「そういうとこだぞ」だよダボ
一気配信云々の前に、そもそも独占有料配信の時点で…ねぇ。独占配信系からリコリコや水星の魔女の様な流れが生まれるか?っていう。
こういう馬鹿が一番嫌いなんだよね
自分の購買力のなさ、熱意のなさをすり替えてるだけ。どうしても見たいという気持ちや、それを呼び起こすような作品があったら課金するよね。
せめて毎週配信にしろ!って主張は百歩譲って理解するとしても、独占配信系は流行らない!と言ってる方はもう老害確定なんですわ。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6441663
https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/338
"ゴッホの「ひまわり」にトマトスープ、環境団体が抗議で" というなかなかに衝撃的な見出しにそそられ、この環境団体について調べた。元々は、「額縁にボンドを手でくっつける」という抗議活動を行なっていたらしい。文化と政治は密接に繋がっている(らしい)ので、文化施設を抗議活動の主戦場として選んだようだ。その、恐らく過激派の環境団体の中でも、更に過激派が行ったのが今回のトマトスープ騒動だろう。
"アートのひまわりは大事にするのにリアルの(温暖化によって失われゆく)ひまわりは大事にしないのか"というこの団体の主張は、私個人として極めて面白く感じる。その通りだと思う。ただ、主張する相手(もの)が違うのではと思うが。
ボンドで手をくっつけるパフォーマンスの際に、実行している環境団体メンバーと美術館のスタッフが心を通わせた、という文が下のニュースに書いてある。
額縁だって木から作られているわけだからある種自然の産物と言えると思うのだが、それはボンドで傷をつけても良いのだな、と思った。あと美術館のスタッフも、額縁は傷つけられても、そこまで痛手に思わないんだなと思った。
つまり両者にとって額縁はモノであるのに対して、絵画はモノではない。
同じように、環境団体にとって環境はモノではない。守るべき大切なものであって、だからこそ抗議活動をしている。然し多くの人、或いは政治家にとって環境はモノ、言い換えればリソースである。
環境という一つのものに対する解釈の差で、こういう騒動が生まれているのかなと個人的に思った。
こうした解釈の差、あるいは考え方の差を埋めるためには、対話が必要であり、その過程で共通前提を作る必要がある。つまり、ここまでは認識が同じで、ここからは認識が違う、という思考における線引きが求められる。
環境団体と政治家に必要なのは対話であり、器物を損壊する事ではなかった。イギリスの環境団体はあの手この手で、なんとか社会的なムーブメントを作ろうとしていた訳だが、どうにも空回りで終わってしまうのかなという感がある。
30代首都圏在住男性。近くに横須賀基地があって米軍が身近にある。この問題に関する自分の認識をまとめてみる。
•年配の人は戦中•戦後大変な苦労をした
•ウクライナの例のように、ある日突然戦争を仕掛けられる可能性はある
•万一の備えで軍事力は必要。コロナでも感染予防できれば良いけど感染したときの治療の備えが必要なのと同じ
•日本の現行の軍事力では中国•ロシア•北朝鮮への備えには不十分
•それを考えた時に世界最強国のアメリカと同盟関係にあることは有利
•なので今の状況だと基地を無くすのはリスク。コロナが収束してないのに治療施設を閉鎖するようなもの
•現状出来ることは市街地から離れたところに基地移設、地元に丁寧な説明をしつつ補償をするしか無い
•ソ連崩壊のようなことが起き、軍備を削れる状況になれば基地の縮小、廃止をできる準備は必要
•いつのまにかマスコミのコメンテーター枠で活躍するようになった←理由がわからない
•地頭いい人的な扱いで若者に人気←理由がマジでわからない。詭弁多い、専門知識がか無い分野でも知ったかする等で信用できないイメージ。
•そもそもいつから2ちゃんねるを知らない若者の間で知名度上がったの?
•必要以上に過激化している印象。首都圏在住者としては成田空港反対闘争している過激派をイメージしてしまう。
•沖縄のマスコミの反応が本土の朝日新聞のように見えて嫌悪感を覚える。プライドが高く、大義のために平気で嘘をついたりするところとか。
•横須賀基地の反米デモをよく見るけど、うるさかったり交通渋滞の原因になったりするので迷惑としか思わない。デモののぼりを見る感じだと、北海道や広島といった遠くから乗り込んでくる人も多く、地元の人が声を上げているというよりは活動家のイベントという認識。自分は米軍より中国ロシアがヤバいと思ってるので主張にも同意できない。
そんなわけで、自分はひろゆき側にも基地反対派にも肩入れしたくなくて冷めてみてるのだけど、目立たないだけで割とこういう立場の人多いんじゃ無いかな?