2022-10-15

just stop oil/物の価値解釈

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6441663

https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/338

上ふたつをよんで思ったこと。

"ゴッホの「ひまわり」にトマトスープ、環境団体が抗議で" というなかなかに衝撃的な見出しにそそられ、この環境団体について調べた。元々は、「額縁ボンドを手でくっつける」という抗議活動を行なっていたらしい。文化政治は密接に繋がっている(らしい)ので、文化施設を抗議活動の主戦場として選んだようだ。その、恐らく過激派環境団体の中でも、更に過激派が行ったのが今回のトマトスープ騒動だろう。

①抗議の形式自体面白い

"アートひまわり大事にするのにリアルの(温暖化によって失われゆく)ひまわり大事にしないのか"というこの団体の主張は、私個人として極めて面白く感じる。その通りだと思う。ただ、主張する相手もの)が違うのではと思うが。

環境大事に思い額縁を軽んじる環境団体、そして美術館

ボンドで手をくっつけるパフォーマンスの際に、実行している環境団体メンバーと美術館スタッフが心を通わせた、という文が下のニュースに書いてある。

額縁だってから作られているわけだからある種自然産物と言えると思うのだが、それはボンドで傷をつけても良いのだな、と思った。あと美術館スタッフも、額縁は傷つけられても、そこまで痛手に思わないんだなと思った。

まり両者にとって額縁はモノであるのに対して、絵画はモノではない。

同じように、環境団体にとって環境はモノではない。守るべき大切なものであって、だからこそ抗議活動をしている。然し多くの人、或いは政治家にとって環境はモノ、言い換えればリソースである

環境という一つのものに対する解釈の差で、こういう騒動が生まれているのかなと個人的に思った。

こうした解釈の差、あるいは考え方の差を埋めるためには、対話必要であり、その過程共通前提を作る必要がある。つまり、ここまでは認識が同じで、ここから認識が違う、という思考における線引きが求められる。

環境団体政治家に必要なのは対話であり、器物を損壊する事ではなかった。イギリス環境団体あの手この手で、なんとか社会的ムーブメントを作ろうとしていた訳だが、どうにも空回りで終わってしまうのかなという感がある。

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