はてなキーワード: 群衆とは
伝統的なメディア企業と新時代のメディア企業が存在する市場空間を分析するとき、顧客の支持を得るために必要な前提条件の1つは「信頼」である。信頼がなければ、人々はメディアを消費することができない。特に、そのメディアがニュースや情報の提供者であると称している場合はなおさらである。
マスメディアに対するアメリカ人の信頼度は急落している。信頼はすべての政治的属性で低下しており、この業界は破壊の機が熟している。ここで、Twitterとイーロン・マスクの登場である。
Twitterの核心は、Trust as a Service (TaaS)をユーザーベースに提供することである。Twitterは「不適切」と判断された情報を検閲する非倫理的なモデレーション戦術に関与することなく、プラットフォーム上での重要な会話のホストを任せられるという考えを、ユーザーに売り込もうとしている。さらにTwitter上で行われる会話は、人々や組織などの信頼を左右する可能性があるため、Twitterは「信頼の仲介役」としてどの程度機能できるかを証明しようとしている。
歴史的に見ると、私たちには、誰が信頼できて、誰が信頼できないかを教えてくれる、現在の「レガシー・メディア」があった。中央集権的な信頼仲介の寡頭政治は、少数の人々に、有罪・無罪の認識を形成することができる程度に、物語をコントロールする能力を与えた。今、レガシー・メディアが、インターネットに伴って増大する透明性に適応できず、偏向報道によって自らの評判を破壊するところまで来ている。
Twitterは、リアルタイムでニュースを更新する場となった。直接の情報源から話を聞き、「群衆の知恵」が情報発信から見ることができれば競争は起きない。従来のメディアの形式では、何でも遅れ、精査されず、偏見に満ちている。一般人が情報や著名人と直接やりとりできる無料のプラットフォームが視聴者に提示されたとき、老朽化したメディアはどう対抗すればいいのだろうか。
年を追うごとに、こうしたメディアは、ニュースや情報の実際の発信者というよりも、過剰な資金を投入したTwitterのキュレーションツール(最悪の場合、プロパガンダの発信源)として機能するようになってきている。Twitterでニュースが流れてから、そのニュースが他の人たちによって報道されるまでのタイムラグがあることは言うまでもない。
ニューヨーク・タイムズやワシントンポストのようなレガシーメディアは、年を追うごとに、コンテンツ制作におけるソーシャル・メディアへの依存度を高めている。Twitterのように、人々が直接の情報源からニュースを入手し、群衆の知恵によって情報の分析が行われる場が存在する場合、レガシーメディアが競争するための有効な手段は次第に少なくなっていく。TwitterがTaaSとしてユーザーから信頼されるために、どのような取り組みをしているのか、気になるところである。
新生Twitterが引き継いだ大きな負担は、恣意的な基準で懲罰を与える技術的な製品であることです。このように、Twitterのモデレーション・プロセスには依然として欠陥がある。解決策となりうる提案としては、以下のようなものがある。
新規登録ユーザーに権限を与えることは重要だが、アカウント作成が悪用される可能性があることを認識することも重要である。すなわち、ボットや、イデオロギーのライバルを報告するために特別にaltアカウントを作成する人たちによってである。新しく作成されたアカウントがユーザーを報告する能力を制限する(おそらくこの能力をTwitter Blue購読者にロックする)と共に、この部門の潜在的な解決策は、ユーザーが報告ツールを含む特定のTwitter機能を使用するために特定のカルマの閾値を満たす必要があるというRedditカルマシステムに似たことを行うことができる。
以前のTwitterの所有者の下で行われた不手際を正すために、すでにいくつかの措置が取られている。#フリーダムフライデー は、不当に禁止されたアカウントを復活させる楽しい伝統となっている。イーロン・マスクが実施した世論調査を通じて、Twitterユーザーはある程度、会社の方針に影響を与えることができる。これは、他の企業の運営方法とは全く対照的で、以前の所有者が、プラットフォーム上の児童コンテンツに対抗するために比較的何もしない一方で、「性別の間違い」の禁止のような政治的主導のポリシーを実行していたこととは異なっている。
イーロン・マスクの最も重要な決断のひとつは、大手ハイテク・ソーシャルメディア企業と政府の癒着の裏側を明らかにしたTwitterファイルを公開したことである。そうすることで、彼はテック企業の透明性がどのようなものであるべきかについて、新たな基準を設定した。
流出したメッセージは、Facebook、Microsoft、Verizon、Reddit、Pinterestなど他の企業でも同様の事象が発生していたことを示している。Twitter Filesは、以前の所有者のもとで、Twitterが金融機関の一部門として運営されていたことを明らかにした。
新生TwitterがTaaSとして成功するためには、レガシーメディアからのプラットフォーム上での会話を抑制する圧力に抵抗し、市民ジャーナリズムに力を与え、信頼仲介における古い寡頭政治の役割を置き換えることによって、反抗勢力として行動する必要があるのである。
これまでアニメはあまり見なかったがアニメや漫画が好きな妻の影響でSPY×FAMILYを見始めた。アニメ自体も面白かったがBUMP OF CHICKENの歌うOP「SOUVENIR」にハマってしまった。イントロとかすごいワクワクして、まさに「オープニング!」って感じ。見始めて以降、毎朝俺の頭の中で勝手に再生されてる。
朝激弱妻の半分寝たままのお見送りで小学生の娘二人と家出て、交差点の所で娘たちとお別れして総務線に詰め込まれ、新宿のオフィス街に陽の光が差してるのをを眺めながら通勤する平日の朝。
早起きの長女と散歩しながらパンを買いに行き、寝たまま歩く妻をリビングに引っ張ってくる娘たちを眺めながらご飯作る土日の朝。
キャンプや旅行に行くために家族みんなで車に荷物を積み込む連休の朝。
時間は止まらない。ハレルヤ・チャンスは来なかった。一度だけスポットライトを眩しく感じて、もしかして、と、一縷の希望を抱いてみたりしたけれど、キザなシルクハットの初老の妖精が私の前に現れることも、テーブルの芽キャベツを摘んで飲み込み、私の過ちを揶揄することも、「後悔しているか」、と問われてどうしようもなく狼狽える瞬間も、ついに空想のままで終わった。当たり前だ。
彼女は数少ない私の貴重な友達の内の一人だった。そしてそんな私とは反対に、彼女にはたくさんの友達がいた。学生時代というのはこの世で最も尊く煌めいて、同時に最も残酷な数年である。特に女の人生にとって。
女の子は可愛ければ自然に友達ができる。綺麗な女は同性の好意さえ簡単に集める。綺麗でなくては、女の子の特別にはなれないのだ。というのは、私が散々惨めな高校生活を経て脳裏に刻み込んだ偏屈極まる私見である。器量が悪くても幸せな女など無限に存在していることに薄々いや割合はっきり勘付きながら、私はなんとブスであることに諦めがつかないとんと哀れなブスだった。要するに学校で一番痛ましい存在である。悲劇はブスに生まれた所からではなく私だって美人になりたいと望み始めたところから始まる。一軍になりたい二軍、美人になりたいブス、男にモテたい喪女、目立ちたい陰キャ…………。
そんな救いようのない私の目前に彼女はまるで天使のごとく現れた。今で言う「たぬき顔」みたいな甘たれた顔立ちで、柔らかく日焼けしたセミロングの髪を緩やかに編んで両耳の下から下げ、私より背が高かった。本当にかわいい子だと思った。入学と同時にバスケ部に入部し、放課後はいつも臙脂色のハーフパンツを履いていた。
私の何を気に入ったのか知らないが、彼女は私に本当に良くしてくれた。二人で写真を撮ってくれたし、連絡もマメに取り合った。ビタミンカラーのペンケースは色違いでお揃いだった。勉強で多数の上に立つことにしか一生懸命になれない私だったが、彼女に誘われればテスト前だろうと遊びに出かけた。
当時の私は所謂一軍グループに属することしか考えていなかった。そしてその野望は結論から言えば5割方は達成されていた。要するに、キラキラグループには入れたが当然自分自身がキラキラにはなれず、なぜか一軍にいるぱっとしない子、という塩梅にそれでも自分の立ち位置にそれこそしがみつくようにして生きていた。自分自身の最も忌むべき点は、身の程知らずに一軍になりたいと望んだことより、そこにいる友人たちをステータスとしか捉えていなかったことにある。
7人グループは8年の時を経て解体し、彼女の式に呼ばれたのは私を入れて3人だった。
何人かで約束した日は良かった。でも二人きりの日は不安だった。なんのために私と二人で会い、何を求められているのかまったく不明だったからだ。私にとって、彼女がかわいいというだけで彼女を好く理由は有り余るほどにあった。だからその逆が本当にわからなかった。けれど、顔を見れば不安は消えた。彼女はいつも本当に楽しそうに笑う。
好きな人がいるの、と、仲良くなってすぐ彼女は私に打ち明けた。あいつに可愛いって思ってもらえたら、他の誰に思われなくても構わない。校外学習に行くバスの中でひっそりと告げられた声の温度も、一緒に口ずさんだ阿部真央の曲も、午後3時半頃のあつい夕日も全部はっきり憶えている。
私も気になる人がいる、と、口から出まかせのように呟いた。そうしないと彼女がどこかに行ってしまう気がした。彼女に好きな人がいたから、私にも男の子が必要だった。彼女と恋話をするために必要だった。クラスメイトを脳内で全員スキャンして一人の名字を口にした。彼女のくりくりしたタレ目がおおきく見開いて、絶対いいよ、とひどく嬉しそうに笑った。
咄嗟に名前を上げた男の子のホームベースのような顔の形がバスの前の方に見えていた。彼女の「絶対いいよ」、を聞いて、私もなんか、そんな気になった。
同じ教室で過ごしたのはたった一年のことだったが、その後の文理選択で教室棟ごとクラスが離れたあとも、彼女と私の友人関係は変わらず続いた。休みの日には二人でカラオケに行ったし、相変わらず毎日のようにラインも続けた。何でも話せるふたりだった。けれども、いつまでたっても彼氏ができない私に気を遣ってか、いつしか恋愛の話だけはしなくなった。
高校3年生の頃、私が隣町から通っていたその市で一番のお祭りに一緒に行こうと誘われた。テレビ取材もくる大きなお祭りで、5月の連休という時期的条件もあり、受験の年を迎えた同級生たちが最後の楽しみにと、こぞって一番の関心を寄せるお祭りだった。その高校生にとって特別な1日に、彼女はどうしてか私を選んだ。彼氏でも気になる人でも他の多くの華やかな友人たちでもなく、私を。やはり意味がわからなかった。
彼女がお揃いにしようと言ったから、一緒に服を買いにいった。その頃の私は醜形コンプのまさにピークにいて、服屋の商品に触れるときすら手が震えた。それでも、明るい彼女に悟られたくなくて我慢してひょうきんに振る舞った。
当日のことはよく覚えていない。彼女が知り合いとすれ違って挨拶するたび居た堪れない気持ちになっていた気がする。その日もやはり最後まで、彼女がどうして私なんかといたかったのか、ほんの少しもわからなかった。ただ、群衆を避け、駅前の寂れかけのイオンの屋上で見た小さな花火だけはなんとなく覚えている。幼い日の名残りか、彼女はいつまでもその建物をダイエーと呼んでいた。いつ行っても盛れないプリクラ機のある小さなショッピングモールだった。
いいのか、と問うと、いいのだと答えた。疲れたからいいよと。彼女にとっては、十数年住んだ街での最後の祭りだった。それなのに、小さな花火でいいと言った。暗がりの中の少し眺めの顎先まで好きだった。
長く続いた私達の友情がぷつりと途切れたのは大学に入学してすぐのことだった。互いに遠く地元を離れたあとも私達はまめに連絡を取り合っていたと思う。夏休みに私が彼女の家まで行き、二人で遊園地に行った。例のごとくおそろいのワンピースを着て、髪を染めてまた綺麗になった彼女はとても目立っていて、キャストによく声をかけられた。それっきりだった。
その後私は整形をし、地元に顔を出さなくなった。加えて、正しくいなくても済む大学での人間関係に夢中だった。何より、また性懲りもなくその内の一人のことをしごく特別に感じていた。その子もまた、私には釣り合わないくらい可愛い子だった。
たまにインスタで見る彼女はやはりあの本当に楽しそうな顔で笑っていた。気がつけば同じ高校の別の友人とおそろいの服を着て旅行していることもあった。もしかしたらそこにいたのは私だったかもしれない。そういう写真を見るとき、私はいつもそういうことを未練がましく考えた。自分から手を離しておいて全く自分本意な話である。けれども横に写っているのは私達の高校で一番かわいかった女の子で、その方がずっと彼女に釣り合っている気がした。
彼女から招待状が届いたのは、それから数年後、すっかり社会に出て2年が経つ頃だった。
式は、まったく素晴らしいものだった。
私のイメージにあるステレオタイプな挙式とは全く違って、カジュアルで、愛に溢れ、来てくれるすべての人に楽しんでもらおうという新郎新婦の人柄がこれでもかというくらい詰め込まれた温かな数時間だった。遊び心とホスピタリティに溢れ、ほんのひと時も漏らさず楽しめる、本当にいい式だった、と、思う。円卓に集められた同じ高校の友人たちは皆美しく、ドレスの中で綺麗だった。
数名の友人代表が立ち上がり、彼女のために手紙を読んだ。どの子もとても綺麗で、どの子も同じように泣いていた。泣いていたのだ。チャペルのドアが開いた瞬間、披露宴に現れた瞬間、新郎が亡き父親に手紙を読む瞬間に、その場にいる大勢が泣いていた。
ついに私は親友にもなれず、それでもなぜかここに呼ばれて、のこのこ顔を出しては無理に笑って突っ立っていた。
ありえないほど似合わないドレスに妙な頭に、他の友人達とはとてもじゃないが釣り合わない不器量な面構えで、たった一度も笑顔で手を振る花嫁の目を見れないまま。
久しぶりに会いたくて、と、彼女は電子招待状と一緒に添えてきた。思い切って招待状を送ったのだと、だから、こ断ってくれても構わないのだよ、と。
そういうところが好きだった、私の臆病も偏屈も一息に飛び越えてなんでもないような顔で笑うあなたの、正しいところが好きだった。数年言葉をかわさない友人を、同窓会もキャンセルするような私を、逢いたいと言う一言で誘ってくれるような貴方のその身軽さが、屈託のなさが、あなたのことが好きだった。
"嬉しいときは私より喜んで、悲しいときは自分の事のように泣いてくれる"
知っている、と思った。
知っている、そんなこと。だから好きになったのだ。そういうあなただから、私はあなたを好きになった。
もしも私が男だったら、と、百万回近く考えた。もしも私が男なら、私はあなたと付き合いたい。
本当は違った。本当は、女のままでも、私のままで、私はあなたと添い遂げたかった。真っ白なドレスを着たあなたの、あなたの立っているのは私が良かった。スポットライトの当たるソファに私と一緒に腰掛けて、私の物語に泣いて欲しかった。
名前の知らないたくさんの参列者が、かつて同じ制服を着ていた友人達が、あなたの幸せを願って涙する中でたった一人わたしが、私だけが、私のためだけに泣いていた。あなたのことが好きだった。たった一つ、その気持ちだけで泣いていた。ピンクグレーのカクテルドレスに身を包んで笑う、彼女は世界一綺麗だった。
性格の悪い私は、あわよくばこれを読んでくれないだろうかとさえ思っている。ほんの小さな爪痕でも残せたら。
それでも、正しい彼女ははてぶなんて見ない。だからこのまま私の恋はここでゆっくり死んでいく。
ご祝儀袋に手紙を入れた。マナー違反かもしれないが、知るかと思ってぶち込んだ。「あなたのことが大好きだった」「今も、そしてこれからも」
大好きだよ、愛してるよ。
高校時代、彼女はよくハグをしながらそう言った。大好きだよ、愛してるよ。
何でもないことのように付け加えた、大好きの意味はきっと伝わらない。それでも、私はあなたが好きだった。今も変わらず、好きだった。
その話をきいていてたまたま最近見聞きした話を思い出したんだけどさ
数量限定フィギュアや同人誌って店頭にものすごい中国人とかが並ぶわけ、整理券も複数くれない店員にくってかかったりするの
そんで直後から路上で5万円とか定価の五倍程度でメルカリに出したりする
それがまたはたからみていると着々と売約済みマークつくんだよね
でも数日するとお金振り込みませんでしたとかで「取引とりけし」になって売約済みの売主の評価が全然増えないの
つまり、サクラ。どんどんうれちゃいますよ、これ価値ありますよ、って素人相手に仕手戦しかけてるだけなの
信じて待ってるとそのうち増版されるんで、数ヶ月まてば転売屋が金がなくなって定価より安く放出しだす
ファンのマナーがいいとそれさえ買わないから転売屋は在庫と心中するの
そんなことよりたった今ネットの群衆の目を何かから徹底的にそらしたい人がいるんだろうなぁ
サクラじゃない、本当にふりこまれた応援資金としたらそりゃあさわいで恩返ししないとだよね
軍備費とかかなあ
はてなでもTwitterでもこの三人は「叩いてもオッケー」「叩くと気持ちよくなれる」ってことになってるみたいだけど、その空気が正直気持ち悪い。ターゲットが少しずつ移動して、「年に一度のお祭り」みたいになってるのも怖い。
叩かれるには叩かれるなりの理由があるんだろうけど、叩きすぎて常軌を逸してるように感じる。叩かれた側は大量の人格否定の言葉に晒されて、どういう心情なんだろうと思う。
叩いてる人に対して「てめえらの血はなに色だーーっ!!」って気持ちはあるんだけど、正直「空気に流されて魔女狩りして火炙りにしてもいい」って思ってる人たちが気持ち悪すぎる。デビルマンの終盤で美樹ちゃんを殺害して生首を掲げてる群衆っぽい。怖すぎるので、リアルでは声を上げられない。
集団心理でメチャクチャ簡単に人間やめちゃってる人が多くて怖い。
で、こういうこと書いたとしても、これが目に止まった人って「人間やめた状態」から戻って来れるのか?というのもよくわからん。願わくば多くの人が人間に復帰してくれますように。
当たると評判の占い、染心堂?
悪くないが違うね。全然違う。
1番に向かうべきは地下の生鮮食品街だ。
基本となるイモや玉ねぎ、ニンニク生姜のほか、季節の野菜としての青菜、大根などをしっかりおさえつつ、バジルやミントなどのハーブ、フルーツにんじんや、ウクライナ料理のボルシチに欠かせないビーツ、青森が生産量日本一、今が旬のやたら甘いぶどう・スチューベンなど、なかなかみない野菜や果物がそろっている。
どうせ安いのだから、いつものレギュラーに加えてチャレンジングな野菜を一品ほど買うのがいいだろう。
ビタミンとミネラルと食物繊維を摂ったとして、それだけでは片手落ちで、タンパク質も健康にか欠かせない。
豚や牛、鳥の各部位だけでなく、冷凍の餃子やロールキャベツもあるし、自家製ハムもある。
ここのボンレスハムはスーパーのペラペラの感じじゃなく、「肉!」って感じでうまい。
そして、ここで注目なのが350gで480円というアホみたいな安さのアメリカ産牛バラ切り落としだ。
牛と言っても切り落としなので、血の滴るような塊を口に放り込むという食べ方はできないが、牛丼や肉豆腐、オイスター風味の牛野菜炒めなどならこれで十分。
これを1回に使う分だけ小分けにして冷凍しておけば、夕食のメニューはかなり決まる。
おまけに卵も買えるので、牛丼の上に生玉ををオンしたい時にも安心だ。
ところでみんな知ってると思うが、認知機能を健全に保っている人は魚をたくさん食べている。
なので、1週間に1回は魚介類をメインディッシュにしようじゃないか。
もちろん好きなら毎日でもいい。
地下一階を歩いていると嫌でも目にとびこんでくる密!
群衆が品定めしているのはマグロのサク、牡蠣、サーモンのカマ、鯨の刺身もあるし、いまならサザエもあるぞ。
おっさん、おばさん、時々兄ちゃんなどをかき分けて、好みの海の幸を手に取ったら会計だ。
混みすぎててレシートとかでないし、キャッシュレス決済とかそういう話でもないからそこは注意だ。
宝屋の向かいにある韓国家庭料理 キムの家ではキンパやチヂミなどをテイクアウトできる。
中華天心もいけるぞ、手作り点心 また明日。では蒸し立ての肉まんやシューマイがモウモウと湯気をあげている。
人気すぎて肉まんなんか売り切れてることがよくあるぜ。
和食だって負けてない、天ぷら千代田で揚げたてサクサクの天ぷらもテイクアウトできる。
大丈夫、幸福物産店にいけば見たことない色のイモ団子とか、皮の食感を楽しむ中華の冷凍餃子、どう使うのか皆目見当つかない調味料などがあるぞ。
地下一階を回って大満足だが、帰りは1階のシャトレーゼを覗いて、午後に食べるアップルパイなどを検討するのもいい。
ただし、シャトレーゼはどの時間に行ってもレジが行列なので、生鮮の鮮度が落ちるのが嫌なら、先に行くのもいいかもしれない。
代表的な店舗だけを紹介したが、ブロードウェイの食料品店舗はまだまだある。
中野に来た際はぜひ地下に向かうエスカレーターに乗ってほしい。
あれ、なんで降りしかないんだろうな、謎だ。
じゃあな、いい夕食を。
簡易的な甲冑のようなものを着ていればだいぶ違っただろうとは思う
てっきり雪崩のように崩れたんだと思ったんだけど
現場の自撮りをしていた人の映像を見ると徐々に圧迫されたような感じなんだよね
でも別の日本人の生配信の映像では、何かのタイミングをきっかけに群衆が押し戻されている
時系列が謎なんだけど
道の左右からひたすら押されてたのでは?と疑ってしまう、じゃないと説明がつかない
もしくは徐々に圧迫された結果、坂の下で将棋倒しが起こったのか
元動画は削除済み
https://www.youtube.com/watch?v=Ev8hwk-OXXw
19分あたりからひたすら押されてる
22分あたりで全体が映るが、この時点で救出活動はされていた?
じゃあなんで更に押されるんだ
てっきり雪崩のように崩れたんだと思ったんだけど
現場の自撮りをしていた人の映像を見ると徐々に圧迫されたような感じなんだよね
でも別の日本人の生配信の映像では、何かのタイミングをきっかけに群衆が押し戻されている
時系列が謎なんだけど
道の左右からひたすら押されてたのでは?と疑ってしまう、じゃないと説明がつかない
もしくは徐々に圧迫された結果、坂の下で将棋倒しが起こったのか
元動画は削除済み
https://www.youtube.com/watch?v=Ev8hwk-OXXw
19分あたりからひたすら押されてる
22分あたりで全体が映るが、この時点で救出活動はされていた?
じゃあなんで更に押されるんだ
これ、人が絡まってるのか?
電車を降りた直後は地上階へ上がる手段が少ないから人で混み合っていて、エスカレーターへの列に並ぶ際に人とぶつかりそうになる
電車を待つ間は座席も少なく、人も多く観るべきものもないので、窮屈で退屈な場所だと思う
ストリートピアノが音楽を作るように、土俵があれば取り組みが生まれるのではないだろうか
血気盛んな浪人生と脂の乗り切ったサラリーマンの一騎打ちを次の電車を待つ間眺めていたい
どうせ避けるなら人波ではなく、土俵という戦場をよけて歩きたい
せっかちな両人が先を急ごうとうっかり土俵に足を踏み入れ、「そこに入ったからには、さあ、相撲だ」と群衆に囃し立てられ、その気もないのに己がプライドをかけて急に相手に土をつけるべく覚悟を決め、四股を踏む姿を写真に撮りたい
老若男女関係なく、土に塗れ、汗をかき、負けて泣き、勝って泣いてほしい
会陽
即ち裸祭りは、天下の奇祭として広く知られているが、その歴史は遠く奈良時代に始まる。
東大寺良弁(ろうべん)僧正の高弟、実忠(じっちゅう)上人が創始した修正会即ち新年の大祈祷を開山の安隆上人が伝え、毎年旧正月元日より14日の間厳修されていた。
永正7年(1510年)忠阿(ちゅうあ)上人の時、修正会の結願の日参詣の信者に守護札を出したところ、これを戴く者は福が得られると希望者が続出し、やむなく参詣者の頭上に投与したので奪い合いとなり、身体の自由を得るために裸となり、無垢の信仰心は水垢離となり、遂に修正会と不離一体の今日の会陽の形が成り立ったと伝えられている。
どういうことかというと、寺の中央で札を投げる→それをみんなで群がって奪い合う→持ってた一人が幸運、という日本版バトロワなのだ
この祭りの攻略法は4人以上のチームを組んでアタッカーとディフェンダーに分かれて守護札を奪うのが肝になる
チーム組むのが卑怯では?と勘のいい増田なら思うだろうが安心して欲しい。守護札をゲットしたら他の人も一緒に祝ってくれるのだ
これは意味不明だがそういうものなので安心してチームを組んで臨んで欲しい
と言っても動画を見てくれれば分かるが群衆雪崩クソ喰らえなレベルで揉みくちゃになるので参加者は殴り合いになり血を流したり骨を折ったりしててヒョロガキは参加しない方がいいので身体をムキムキに鍛えた人か揉みくちゃの中合法的に殴れる機会が欲しいヤンキーが参加すべきだろう
人は楽な方に移動する生き物だと思う
であれば過密状態で苦しくなった人は楽な方、つまり人の少ない方に移動するはず
すると群衆の過密具合は少しずつ治まって少なくとも死者が出るほどの過密具合にはならないだろう
と直感的に思うのだが…
しかし韓国の事件では群衆は楽な方へ移動するのではなく、むしろ苦しい方に行ってしまった
その結果、群衆の中心部では死者が出るほどの過密具合になったわけだ
でもどう考えてもわざわざ自ら苦しい方へ移動した人がここまで多数いたというのは直感的に腑に落ちない
一体どうして群集事故が起こるのだろう
韓国の群衆事故を見て「日本の満員電車で事故が起きないのって凄いんだな」という意見が見られるが、実は「満員電車のプロ」であるはずの電鉄会社も甘い見立てでとんでもない失敗をした事があるんだな。
自分は鉄オタじゃないからそんなマニアックな話じゃないので安心してくれ。
因みに2014年に相模大野駅で脱線事故が起きて小田急全線不通になったが、その脱線した電車というのはこれだったんだな。
あの電車は混雑解消と遅延防止の為に作られたが、そのせいで小田急線は大混雑と遅延続出とケガ人の走る地獄エクスプレスと化したのだった…。
以前Wikipediaを確認したところ、これは停車駅が多い各駅停車用に作られたと書かれていたが(今は削除)、これは間違いで、混雑が酷い急行に使われていた。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E6%80%A51000%E5%BD%A2%E9%9B%BB%E8%BB%8A
ところが混雑と大遅延を惹き起こし乗客に大顰蹙を買って混雑なんて殆どない各駅停車専用に左遷されたのだな。
座席を縮小させてドアを広くすれば立客のスペースが増えるから余裕が生まれるじゃん、ドアが広いから乗降も早く終わるじゃん、というのがデカドアのコンセプトだ。
ところが、バカな工業デザイナーはそのドア前の広大な空間につり革も手すりも付けなかったのだ。しかもドアの上もドア自体もまっ平らなデザインにした。
だから普通の電車の2倍以上、面積と収容されている人数的には4倍以上の広大な空間に、手すりにもつり革にもつかまっていない乗客が詰め込まれることになった。
ラッシュ時に電車が揺れると手すりのない客の揺動というのは手すりにつかまっている客がブロックしている。
でも広大な空間に誰もどこにもつかまっていないのだから、客はずっとつま先で全力で踏ん張り、揺れでよたよたし続ける事になった。強烈な苦痛だ。
当然こういう状態だから雪崩が頻繁に発生する。普通の電車なら一瞬ドドッと動く程度が、この電車の場合は人が大勢倒れるまで行ってしまう。
そういうわけで、この電車が終点新宿に着いた後というのは悲惨で、千切れた腕時計、腕時計の金属バンドコマ、メガネ(踏まれてぐちゃぐちゃ)、千切れたボタン、カフス、パンプス、ハイヒールのヒール、血痕などが散乱するという状態になっていた。暴動でもあったんですか?
座っていても安心できない。乗客雪崩がロングシートの方に逸れて人が降ってくる事があるからだ。メガネをしていたらイチコロである。金属フレームであったら眼窩を大きく切って出血する事を免れない。
吹っ飛んだメガネも拾うのは無理で、向こう側のドア間で苦闘する乗客に蹂躙されてグチャグチャになるのを座視するしかない。
雪崩に押し出された小学生は座席下のヒーター付近に押し込まれ、降車駅まで男性客の股間に立っていた。
自分の場合はペンチでしか開かない鍵束の鉄リングが伸びて6の字になっていた事がある。転倒した誰かの時計のバンドが入って引っ張ってしまったのだろう。
また言語学習で支給された頑丈なバインダーが二つに折れ&押されてぐちゃぐちゃになり買い直した。更に誰のだか知らぬ血がカバンや服についていた事もあった。
90年代前半は混雑が今より酷く、他の路線でもボタンや時計が落ちているという事はままあった。しかしこの電車は頻度が異常というか終点で人が捌けると必ずという頻度であった。
また、ドア前の空間につり革を付けないのというのは当時は当たり前で、他の電車も同じだった。だがこの電車は構造が特殊なんだから同じように付けないと雪崩が続出するのは当たり前だ。何故こんな事をデザイナーは考えなかったのか?
混雑時に大きな駅に電車が到着すると、下りる客の邪魔になるのでドアの前の客は一旦ホームに降りなきゃいけない。この下りる人数というのは普通の電車なら2~4人程度だ。
だがデカドア電車ではこれが6~10人程度になってしまう。するとこれが邪魔になって降車がなかなか進まない。
更に、小田急には下北沢、登戸という、乗降客が多くてホームが狭い駅があった。(現在は建て替えで両方とも解消)
下北では狭いホームに井の頭線の橋脚がそびえるという無茶な構造、登戸は南武線乗り換え駅なのに駅が鉄橋の上にあるという造りでホームが狭い。客が多いので階段を大きくせざるをえず階段ケース横のホームがとても狭い。
ここで「一旦降り」客が多いと橋脚の向こうや階段ケースの裏側から階段にくる客の流れが詰まってしまっていつまでも降車が終わらないという事になった。
そして電車が出て行った後にも乗客の移動が続き、そこに次の電車が入ってくるので大変危険である。
デカドア電車では頻繁に乗客雪崩が発生して、転倒に至る事も多い。それ以外の時間ではずっと何にもつかまれずに乗客の大きな揺動に耐えて踏ん張る事になるので非常に苦痛だ。
特にヒールやパンプスの女性の苦痛は余りある。更にヒールのある靴では転倒したりヒールがもげるリスクが大きくなる。ヒールがもげたら百貨店の靴修理店が開く時間まで待たねばならないから出勤できるかという問題にもなる。
この客らは降車客の移動の邪魔にもなるし、次の急行にまとめて乗るので次の急行が大混雑になる。混雑が酷いと乗降に時間が掛かるので遅れてしまう。遅れるとホームにその分乗客が溜まるので更に混雑→遅延というフィードバックが加速されてしまう。
こういう感じで、デカドア電車を先頭に遅延が常態化してしまった。「次の電車は5分遅れです」とアナウンスがあると果たしてデカドア電車で、その電車に乗って数十分デカドアサーフィンエクササイズ(転倒出血付き)するか、その後の急行で大混雑&遅刻するかを選択せねばならない。
またこの為に途中駅では入場制限もしばしばしかれるようになった。
こうして多くの乗客、駅員に怨嗟と絶望と遅刻を、ミスターミニッツには靴底修理の商売繁盛を齎したカサンドラエクスプレスことデカドア電車だが、終わりは突然にやってきた。
ある日を境に急行でデカドア電車が来なくなったのだ。戦力外通知、三行半である。彼は各駅停車専属に転属となっていた。小田急では各駅停車は全然混まないので、使えねー奴でも何でもいいのだ。新規投入から半年も経っていない。
小田急では大混雑する急行対策が全てであって、そんな路線で各停にしか使えない縛りの資材を抱え込んでしまった同社の悩みは幾ばくかとも思うが、見立てが甘かったのだから仕方がない。怪我したりメガネや服や時計を破壊された人の身にもなってみろと言いたい。
混雑対策にはノウハウの蓄積とその参照が必要なのに銀の弾丸求めてコンセプト優先で足元をおろそかにした工業デザイナーのせいである。3日占領目指して引っ込みつかなくなった頭プーチンかよ。
その後この思い付きだけで出来た愚劣な電車はずっと各停だけで使われていたのだが、今どうなってるのかというと、つり革を付けてドアがあまり開かない改造をされて走っているようなのだ。阿呆である。完全に最初からコンセプトが破綻していたってこった。最初からやるな。
デザイナーのリサーチ不足のせいで多くのケガ人と憤怒と遅刻とふくらはぎの筋力とミスターミニッツのインカムと各停にしか使えない不良資産を産んだのがこのデカドア騒動だった。
だが我々の社会はまた過去のノウハウの蓄積を軽視するようになっているように思える。失敗データベースなどにこの失敗は収録されて参照されるようにもなっていない。
そういう時我々は声を大にしてこう言うべきである。
・第二次世界大戦後すぐの闇市列車つまり昭和20年ごろが混雑がすごくて
通学のために乗り合わせた童貞さん(若い尼僧学生のこと)が圧死して哀れ!みたいな新聞記事になったのどっかでよんだ
国会図書館にあるかもしれない
・昭和45年あたりで混雑度250%が常となっていた千代田線の窓に手をついていて群衆雪崩で窓が割れて大けがした人が何人も出た事件
このあと責任を問われた電鉄会社の総裁がいなくなった事件もおきた(自殺といわれているが状況が謎で拉致ともいわれている)
このあと平成で自分が千代田線で通○することになったが、うっかり窓に手をついた瞬間、となりのオジサンが危ない危ない!枠にしなさい!って言ってたので不思議で心にのこってたそのあとでwikiで事件のことを知った
強化ガラスでも危ないっちゃ危ないよな