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はてなキーワード: 構造主義とは

2018-02-07

anond:20180207121327

構造主義説明できないのが(少なくとも君以外はそう思ってないだろうけど、)元増田の落ち度だったと仮定したとしても、入社後の社長言動と何の関連性があるの?

もしかして就活生なの?マウンティング取るのに必死だしさ・・・

anond:20180206221002

さらっと小さなことのように書いて歩けど構造主義説明ができないのが全部じゃん

大学でやったと書いたのに聞かれて説明できないとか相手からすればバカにしてるのかと思うだろ誰だって

どこからどう説明するか含めて面接対策常識的にやるべきだし

からないならテーマで選んだだけで結局分からなかったと正直に言うか徹底的に演技力を100パーセント発揮して誤魔化すかの2択じゃん

どっちでもなくて要領を得ない結果は面接官をバカにしてるよ

2018-02-06

零細企業で働いてきたある社会人の恨み言

まえがき

きっかけは今日仕事中に聞いていたFMラジオで、「こんな理由謝罪文書きました」という体験談募集していたことだ。

あれ、私謝罪文って書かされたことあるな…

っていうかその謝罪文書いたあげくでその会社やめたな…とふと過った。

一体なんでそんなことになったんだっけ。

思い出せないのだ。

これが。

謝罪文書くなんてそうそうないことなのに、しかもそのせいで仕事をやめまでしているのに、何を謝らなければいけなかったか思い出せない。

たぶん、今でも理解していないからだ。

これから書くのは、大体10年くらい前に働いていた零細企業に対する恨み言だ。

きっと世の中にはあふれているタイプ理不尽だと思う。

これを世に放つことに何らの建設的な意義はない。

ただ、社会人をはじめて十年を数えて思うんだが、

理不尽にたいして「理不尽だ」と考え、適切に怒ることには、知性と経験値必要なのだと思う。

どちらも足りていない私は、こうして何年かあとにじんわりと怒ることしかできない。

それでも、次に待ち受ける理不尽に対抗するために、私は私の怒りを書きとめ理解しておこうと思う。

目次としては

会社のこと

社長くそだったこ

次期社長くそだったこ

謝罪文を書いて辞めさせられたこ

である

思い付いた順にむかついたことを書くのでものすごく長くなると思う。


会社のこと

私が勤めていたのは小さな編集プロダクションだ。

経験でその会社入社した。

編集プロダクションというのは、ジャンルにもよるが

ほとんどが零細で人が足りなくて激務で、即戦力以外を雇う余裕はない。

から、未経験者を雇ってくれる会社なんて貴重だった。私は飛び付いた。編集仕事がしたかったのだ。

よそで編集を学んできたやつは素直じゃないから、未経験若いやつを育てるのだ、という話だった。

社長は当時60前後、すでに編集者としては現役を退いていた。

ある30半ばの社員に時期社長を譲ると決めていた。

というか、それ以上年上の社員はいなかった。


社長PCを使えないので、社員PC仕事をすることはあまりまれなかった。

もう一度いうが10年前、2008年前後のはなしである

たとえばメール連絡。たとえばPDFによる校正のやりとり。

それらはなるべく避けるべき手段とされ、

電話FAXと郵送による仕事を余儀なくされた。

会社コピー機は白黒コピーFAXしかできなかった。

(余談だが、そこをやめてスキャナつき複合機に触れたとき、便利すぎて涙が出た)

机の回りにはいつも紙が溢れ、複数案件を進行しているとすぐになにがなんだかわからなくなった。

でも社員は全員その環境仕事をしていたので、これは私が能力が足りなかっただけかもしれない。

社長くそだったこ

そういえば入社時の面接からくそであった。

確かどっかの転職サイトを通じて応募したんだが、

エントリーシート大学の在籍ゼミテーマ、という欄があった。

私は素直に書いた。社会学部出身構造主義を中心に学ぶゼミで、卒論テーマはこれこれでした。

そしたら面接の場で、構造主義とはなにか説明しろ、と言われた。

私は一瞬言葉につまった。

どこからどう説明したらいいんだろう?構造主義のあらましを知りたいんだろうか、考え方を知りたいんだろうか?

そんなことを探り探り喋ったので要領を得ない話し方になった。

それは確かに私の力不足だった。

ただ、そしたらそこからブチキレられた。

雑居ビルのワンフロアで、仕切りもなにもない打ち合わせスペースみたいなところで、

社員みんなが聞き耳をたてているなかで怒鳴り散らされた。

バカの癖にいきがるんじゃない、その利口ぶった精神が気にくわない。

そのくらいのこと俺はわかる、教えてやろう構造主義というのは~~で○○で××だ!

みたいなことだった。

ちなみに~~で○○で××の部分は、あとでわかったがウィキペディア丸写しだった。


今ならわかるんだが、要するにエントリーシートに偉そうに小難しいこと(?)を書いたのが気にくわず

私の鼻っ柱を折りたくて、わざと答えにくい質問をし、わざと怒鳴り、

事前に用意しておいた丸暗記の知識を捲し立てたのだと思う。

ともかく社員自分の知らないことを知っている、のが許せない人だった。

ただ、その時はわからなかった。

バカだったし、まだ就職氷河期の残り香が漂っている頃だったし、編集者になりたかった。

すらすらと説明できなかった私が悪いし、中途半端しか理解していないのに偉そうにエントリーシートに書いた私が悪い。

そう思ってしまった。


もちろん裁量労働制()だったか残業代という概念はなかった。

仕事をしていると、時々社長に呼び出された。

○○~、ちょっとこ~い、といって。

呼び出されていくと、近くの店でおしることかハンバーグとかを奢られた。

ありがたいようだがそれで一、二時間はゆうにつぶれたし、そのぶんの時間は深夜まで働いて埋めるしかなかった。

聞かされる話は益体もないものだった。

キャバクラのおねえちゃんは学費を稼ぎながら大学にも通っていて偉いんだ、俺がバッグを買ってあげたら喜んでいた。

スナックママに褒められた。俺はどうもそこら辺のおっさんとは違うようだ。

俺は百人切りを目指しているんだ、あと何人だ。

ほんとにこんな話ばっかりだった。

勤めて一年かなにかのとき、お祝いだと言ってつれていかれた焼肉屋で、

社長がした一番よかったセックスについてとうとうと語られた。

あと高校同級生半陰陽の人がいて、性器を見せてもらった話とかもしてた。

ここまで書いてふと注釈必要に気づいたが、エロ本会社ではない。

しろエロはやらないというのが社長方針だった。

次期社長くそだったこ

次期社長の話は社長に比べたら小粒なんだが書く。

当時まだ30半ばだったが社長になれと言われて会社の株を買わされていた。

見た目は好青年風であり人当たりが柔らかかった。

だが、その実態は、上には媚びへつらい下には無理をさせる、社長イエスマンだった。

少し話が遠回りをするが、私には同期入社の同僚がいた。

なんだか惚れっぽい女の子で、入社一ヶ月後には次期社長に心酔していた。

の子が、次期社長仕事の采配が甘かったせいで、

恐ろしいくそ進行の仕事に巻き込まれた。

はじめから無理とわかっているスケジュール仕事を、次期社長はなんの調整もせず経験一年にも満たない彼女に投げた。

仕事のできる子だったが、無理なものは無理だった。

悪いことに彼女実家住まいで、片道二時間弱くらいかけて通っていたため終電が早かった。ますます彼女仕事は進まない。

私は気の毒に思い、帰れない日はうちに泊めてあげていた。

そしたらものすごい速度で依存された。

もともとそういう性質の子だったのだと思う。

彼女は平日だけではなく休日も私の家に入り浸るようになった。

もちろん仕事を手伝わされた。

の子は次期社長に心酔していたぶん、采配が甘く助けてもくれないことがわかると怒りもひとしおで、ずーっとうちで次期社長悪口をいっていた。

彼女が辛い立場なのはわかっていた。でも私は一人で眠りたかった。

休みの日まで侵食されてしまうと逃げ場がなかった。

ある日、「悪いがどうしても無理だ、なんとか今週末は一人にしてくれ、家に帰ってくれ」と彼女に頼んだ。

本当に限界だった。

しか彼女彼女で、それは困るなんとか手伝ってくれと食い下がった。

そこでわかったのだが、彼女上司である次期社長とともに、

「私の家に泊まれる前提で」「休みの日は私が手伝う前提で」仕事スケジュールを組み立てていた。

待てと思った。

百万歩譲って同僚の彼女は仕方がない。

彼女立場では、次期社長にそういわれてはそのスケジュールに間に合わせるしかない。

だが、次期社長は。

次期社長は私が私生活侵食されていることを知っていて、

その対策を講じるどころかそれを利用して、

しかも次期社長自ら言うのでなく同僚の彼女にその交渉を任せて、

それで社長には「仕事は進んでますよ、でも彼女新人ですから」なんて言っていたのだ。

くそではないか

この次期社長のやりくちは一事が万事こうだった。

そうして社長はいい顔をし続け、部下への嫌な交渉は部下にやらせていたのだ。

私はこの人が大嫌いだった。社長も大概くそだが社長より嫌いだった。

長くなったので続く。

2017-11-21

anond:20171120100004

ああ、なんでこんな前向きな言及ばかりなのかと思ったら岩波が売れないって話か。

 忙しいからよく噛んで味わってる暇ないし、女子は顎が張ったら嫌だからね。

だいたい増田は小うるさいし、noteだってお手軽ライフハックばっかりになってきてんじゃん。

 マウントするから避けられるんだよ。「俺は顎が丈夫だ、硬いものでも噛み切れなきゃダメだ!」ってさ。

みんなスマホでスィーってやってツンツンしてラインでふわーってやってるのに、なんでマルクス論とか構造主義とかヴィトゲンとかウケると思った?

 まずそこから考えようよ。俺は参加しないけど。

小畑健が表紙にラスコリニコフ描いたら売れたんだろ? 気取り過ぎなんだよ固パン屋は。w

2014-10-30

http://anond.hatelabo.jp/20141030025804

つい先日亡くなったクロード・レヴィ=ストロースの「野生の思考」をたまたま読み途中なので書いておく。

以下引用・・・性交と食行為の間に世界各地の人間が考えている非常に深い類縁関係の具体例にすぎない。この類推は強くて、その二つの行為を同じ単語で表す言語は非常に多い。ヨルバ語においては「食べる」と「めとる」はどちらも「わがものにする」という広い意味を持つ一つの動詞表現される。フランス語でも同種の用法があり、consommerという動詞結婚<床入する>と食事<飲食する>の両方に使われる。ヨーク岬半島のココ・ヤオ族の言語ではクタクタという単語近親相姦食人の二重の意味を持っている。・・・

これを読んだ時、俗語での「女を喰う」が、「女を犯す」同義であることから日本語でも成り立つことに軽い興奮を覚えた。人類みな兄弟構造主義バンザイ

2014-02-05

会話ができるできない

増田特にそうだが、ネット上だと話が通じない奴が多い。

なぜそうなるのか考えてみる。

  

①まず教育レベルが低い

 これは本当に深刻なレベルの人が多い。

 正直な話、大学すら出ていないとなると会話が通じる自信がない。

 『トートロジー』『加藤周一』『構造主義』『リーマン積分』『尤度比検定』『緑の革命

 このどれか1つすら知らない人ってのは、正直会話できないと思う。知的レベルが低すぎる。

 頭のよさどうこう以前の、「硬い文章なりを読みこなしたり調べたりして理解する」っていう過程を踏んできていない人間に議論なんて絶対無理

  

 「本当に頭のいい人の文章は分かりやすい!」って聞いて、「じゃあなんでお前の理解できない数学の本があるんだよ」ってのがスッと理解できない系の人には話が通じない。どれだけ簡潔で理路整然としてても受け手に理解力がなかったり理解しようという力が無かったりすると話なんて通じない。

  

 知的レベルが低くても会話できると思う人もいるかもしれない。

 そりゃ、日常会話は表面的にってならできるかもしれないが。

 装備なしにエベレスト上るようなもので、知識なしである程度以上の会話ってのはできない。

 エベレスト自然体では登れないように、人間脳みそってのは高度な思考を自然にできるようにはできていない。

 これがわからない人が多い。

 日常会話はだれでもできる。日常の歩行はだれでもできる。

 でも、山登りとか議論は、全然違う。これがわからない。

  

精神的な病気とか

 たとえば、アルコールで酔っているときに、数学なり解けるだろうか?意識としてはどんなにクリアに思えてもできない。

 それと同じで、脳みそが正常に働かない状態の精神状態や脳みその状態で考えようとしても、無理。

  

未成年

 未成年は、体ができていない。脳みそもできていない。

 将来への不安とかが多いのに経験が無い、知識もない。

 こうなると、まともな思考は厳しい。殆どできない。

  

 中二病にコツコツしたトレーニング方法を教えても意味が分からないだろう。

  

④男女差

 差別するつもりはないが、女は男に比べて単純な空間把握とかができない。なので、話にズレが生じてくる。

 また、感情の処理も男に比べて女はできない。

  

 人類が生み出してきた『議論』って手法は男の脳みそに合わせて作られたフシがあるので、女には厳しい。

 女独自の思考方法もあるし女の思考力がすぐれないとは思わないが、現状作られたフォーマットには女は適さない。

 たとえば、スポーツというフォーマットでやってしまうと女が男に平等舞台で勝つのは厳しいように、議論っていうのはちょっと女には向かない。筋肉と同じく女は脳みそは伸ばしにくい(もちろん、音楽とか感性とか経営管理とか、そういうのは明らかに男より優れる部分も多いと思う)

 スポーツが男の仕事だとすぐ納得できるならば、議論も男の仕事と考えてほしい。女は同じ土俵ではまず勝てない。

  

⑤議論と交渉の差がわからない。

 議論ってのは、ある一定の知識を前提に合理的に話を進めていけばいいんで、そこに感情かいらないんだけど。

 交渉となると話が全然違う。

  

 交渉の場合は、話をご破算にさせれば勝ててしまう。

  

  

A 「地球温暖化が問題だからエアコンの温度下げようか」

B 「ほ~地球温暖化ねえ、おまえじゃあテレビも見るなよ」

  

 この場合、Bがかつ。勝っているのは議論ではなく、交渉。

 なぜBが勝ってしまうのかというと、「話を破たんさせている」から

 Aは正しい正しくないは別として、話を積み重ねていけば、エアコンの温度を下げるっていう行動にある程度の意味合いを持たせうる。Aは議論を吹っかけている。

 たいしてBは、「この話をまとめると嫌なことになる」→「話を崩壊させてしまう」という手法を取り出す。Bの話に正しさとか論理とかまったくないんだけど、Bは自分感情を通すために交渉を吹っかけている。

  

 そもそも、議論に感情が出てくること自体おかしいのだけど、Bのように知的レベルが低い、あるいは知的レベルが高いけど交渉でご破算にさせてしまうっていうのに味をしめている人は、Bのような態度に出る。

 一度暴力ものを通してしまった子供は、ずーっと暴力ものを通そうとして成長が無くなってしまう。それと同じで、交渉に頼って学ぶことを辞めた人間はこうなってしまって、話が通じなくなる。

2013-08-31

文章系専門学校で学んだこと

http://anond.hatelabo.jp/20130830202223

小説を書くための学校に、2年間通った。

特定を恐れずに、その経験談を書いておこうと思う。

最初教科書本多勝一木下是雄だった。

400文字詰原稿用紙のレポートを何度も書かされた。学校までの道案内や入学式の報告といった、無味乾燥としたレポートだ。

その400文字は、先生の厳しい添削で真っ赤になるのが常だった。

まともな文章をたった400文字すら書けない。その現実の中で僕らはもがいた。

本を読んだ。

プラトンから神々の指紋」まである推薦図書のリストがあって、半分は読んだと思う。(神々の指紋は残念ながら読んでいない)

村上春樹吉本ばなな江國香織好きな人が仲間内では多かった。一方で、ラノベばかり読むグループもいた。

僕自身は、SF古典人文学系の新書を読んでいたと思う。

その時期いちばん読んで良かったと思うのは、佐藤信夫の「レトリック感覚」「レトリック認識」だった。

ただ、読んで良かった、という気持ちだけが残っていて、内容は詳しく覚えていない。

50枚の短編小説を書くのが、1年目の目標だった。

50枚書くことは難しくなかった。

夏にはもう初稿が提出できて、先生にはそれなりに褒めてもらえた。

しかし、自作何となく気に入らなくて、勝手最初から書き直してしまった。

それから、文章を先生に褒められることは一度もなかった。

書き直した作品は、生徒みんなの前で罵倒された。(トラウマだ)

合計で7回は書き直したと思うけれど、何度やっても評価はされなかった。

2年目の卒業制作100枚の中編だった。

そちらも同じように失敗した。

レポートなども合計すると、2年間で2000枚は書いたと思う。

授業では色々な人から話を聴いた。

某有名ゲームプランニングをしていた人・女性雑誌編集長とある古参ハッカーラノベ大御所・今ではずいぶん有名になってしまった当時の新人作家……。

映画演劇もたくさん見せてもらった。レポート宿題が必ず付いていたけれど。

民俗学古事記を読んだり、美術学で有名絵画から聖書シンボルを読み解いたり、構造主義を応用して物語プロットを組み立てる授業もあった。

教えてくれる人はみんな(出来る範囲で)熱心で、青臭い自分言葉もちゃんと聞いてくれた。

ちなみに、小説先生は往年の一太郎ユーザーで、ESCから始めるショートカットばかり使っていた。

キーシーケンスの組み合わせを暗記していたようで、VimEmacsに通じるところがある。

日本語IMEについて、ATOKは使い物になるが一番良いのはWnnだ、と言っていた。その真意は定かではない。

提出ファイルにはShift-JISのプレーン・テキストを指定し、タイトル名前の入れ方も詳しく指示していた。おそらくマクロで処理したのだろう。

ただ、提出メディアフロッピーディスクだった。もう10年以上前の話で、テレホーダイ記憶が鮮やかだった頃だ。

僕が通っていた学校に限れば、環境としてそんなに悪いところだとは思わない。

当初は周囲を見回して傲慢になっていたけれど、その鼻柱は見事に折られてしまった。

客観的に言って、使おうと思えばいくらでも使える環境だったと思う。

ただ、進路が難しい。学校を出た後でどう生活を立てていくかが難しい。

日本社会の標準的ルートからはやはり外れているのだ。

卒業生の進路はそれぞれだった。

僕はPGSEの道に突き進んでしまった。

定職に就いていない人間もきっと多いだろう。

頭の良い同期は大学に転入した。

プロとして活動していると言えるのは、50人の同期の中で3〜5人だと思う。

(これはきっと、専門学校の中ではかなり良い割合に入る)

おそらく最良の選択は、大学に転入し、標準ルートに戻ることだ。

標準ルートを知ることも大事だし、それから生活を安定させてデビューを目指せば良いと思う。

(ただし金が掛かりそうだが……)

専門学校は、僕にとっては良い場所だった。

何も知らない自分に大きなトラウマを与えてくれたのは、本当にありがたい事だ。

ただ、自我の捨て方は教えてもらえなかった。

こればかりは、学校の外で年齢を重ねてから、知るほかなかった。

文章を書くには、どうしても、自我を捨てた部分が必要だ。

そう悟りながら、僕はいまだ書けないでいる。

純文学系の新人賞に一度だけ送って落選した実績しかまだない。

そして、日本語よりJavaを書く時間の方が長く、それよりもD言語を書きたいと思う毎日を、無為に過ごしているのだ。

追記

トラバでも言われてしまったけど、「学んだこと」と言いながら、学んだ技術的な内容をあまり書いていなかった。

多少参考になる部分があるかもしれないので、追記してみたい。

ストーリー構成の教科書としては、シドフィールドが使われていたようだ。

ただ、当時はろくな翻訳が無かったらしく、教師オリジナルテキストを使っていた。

ハリウッド流の伝統的な4分割構成が基本で、自分アイディアをとにかくそれに落とし込み、内的整合性を保って読者に提示する技術を教えられた。

たとえば下記のような点をチェックするよう繰り返し言われた。



他にも色々と細かいテクニックについて教えられた。書くときの気構えであったり、推敲添削方法であったり。

今はストーリー構成の良書も多いだろうし、自分教科書を集めて勉強できる環境も整っているかもしれない。

から自分で体系的な資料を集め、先生になってくれる人や切磋琢磨できる仲間を見つけ、継続的に書く環境を整えられれば、わざわざ専門学校に行く必要は無いだろう。

専門学校などという人生を浪費する施設より、週末の教室Webでの作品発表・添削という形の方が適しているかもしれない。今の時代はきっとそうだろう。

レベルの高い卒業生の作品を見ると、内的整合性の点では下手なラノベよりしっかりしているものが多かった。

しかし、

「全体的に整合性が取れていて、ちゃんとした盛り上がりがあり、伝統的な構成に従って無駄なく構成できているか?」

という問題と、

「それが商業的に売れるか?」

というのはまったく別の問題だ。

商業的消費はたぶん非体系的な世界で、体系的技術がそれにどこまで寄与できるかは分からない。

とあるデビューした卒業生処女作は、内的整合性など何も考えていない、次々と新しい要素がひたすら出現する怪作だった。

その一方で、しっかりした技術のある人が、なかなかデビューの糸口を見つけられないでいる。

ちゃんとした構成や一貫性よりも、変に魅力的な脇役が愛されたりするのが商業世界だ。

特に日本おいて、消費者は全体よりも部分を好む傾向が強いと思う。

そして、部分で受けることを狙うのはかなり難しい。

部分を愛する文化というのはきわめてハイコンテクスト文化で、普遍的一般的技術原理的に存在できない気がする。

それは様式美に満ちた世界で、日本の文化はそういった様式美の継ぎ足し・連続で出来上がっているようにも思う。

こういった事は加藤修一の「日本文学史序説」に素晴らしくまとまっていて、とても面白かったので、創作に関わる人は序章だけでも全員読んだ方が良いと思う。

マンガゲームアニメラノベも全部これで説明できるし、将来的にどんなもの日本流行するか判別する目安にもできそう。

これは学校では教えてもらえなかったテキストだ。

以上を要約すると、ちくま学芸文庫から上下巻で出ている加藤修一日本文学史序説」を3000円で思い切って買おう、それを読めば専門学校に行かなくても大丈夫場合によってはラノベを書かないで済ませられるかもしれない、ということだ。

2013-08-30

構造主義?って知らなかったのでググってみて

いや、物事をわざわざ難しく表現するのが好きな人達っているよねって思った。

物事はより単純に表現するほうが難しい。

ラノベ作家養成専門学校が酷い

 文芸系(多くがラノベ)の専門学校体験入学オープンキャンパスに行ってきた。「専門学校 ラノベ」でググると上位に表示されるような有名な学校に3つほど。

 特に理由はない。まぁ、冷やかしだね。

 噂には聞いていたけど、酷い。正視に耐えない。

 体験入学に申し込むと、頼んでもいないのに大量のパンフが送られてくる。

 そのパンフに載っている在校生の作文が酷い。あと、HPに載っているのも同様に酷い。

 文法おかしい。文章の巧拙以前に、日本語おかしい。外国人留学生の方がよっぽどまともな文章書く。

 現場学校も酷い。

プロ講師がキミを指導する!」なんて宣伝してるけど、ほとんどが無名作家

 そういう自称プロ作家と話したのだけど、あの人たちまるで教養がない。

 柳田國男聖書構造主義も知らない。

 あまりにもモノを知らないから、「ラノベの角川一強は半端ないですよね」とレベル低めに話題ふると、「え!? 角川ってそんな凄いんですか?」

 もう、帰っていいですか?

 カリキュラムも酷い。

 2年間で文章の読み書きを習う。ガチ寺子屋レベルの低級な文章作法を学ぶ。

 卒業する時に長編小説を1つ書き上げるのが目標で、在学中はほとんど小説なんて書かないし、添削もされない。

 というか書けない。

 どの専門学校パンフにも判で押したように“ノーパソを開いてWord小説を書いている学生"の写真が載っている。

 小説執筆経験のない人間入学してくることがよく分かる。物書きはプレーンテキスト形式で、テキストエディタ使って書くよ。

 中島らも生前コピーライター養成所は筋者経営する芸能事務所並みに胡散臭い」って言ってたけど、ラノベ専門学校にも同じことが言える。

2013-08-11

最近低学歴に関するエントリ構造主義とワケわからん思想をごっちゃにしているところがあってすっきりしない。

「うちら」「低学歴」を発見したみたいなブコメも「学歴関係ないバカはバカ」というやつも

低学歴と呼ぶのは差別だ」みたいな反応も、「うちら」の外にいると思っているから出る考え。

一連の議論では結局「うちら」について話している「こちら」が見つかっただけじゃないか

「こちら」も「うちら」のことを理解できないくせにしてやろうみたいな論調が鼻につくんだよな。

2012-12-02

何でも陰謀論にしたがる人たち 哲学者存在意義のわからない人たち

最低賃金制の廃止について (内田樹の研究室)

最低賃金制度がなくなればいいのにと思っている法人がいるなんて考えるのは陰謀論」だというブコメがあってかなり驚いた(支持はされていないけれども)。内田樹レヴィナス哲学権威であり、フランス現代思想特に構造主義精通している知的エスタブリッシュメントであることを知らずに「根拠無く対象を誹謗するために詭弁を繰り出す人」というレッテル貼り情熱を傾ける知的劣等感権化のような人がはてな村に多いのは残念だ。

哲学者とはそういうものなのに

内田老師構造主義的知見から本質直感した事象構造を「わかりやすい届く言葉でつたえる」ことを使命だと自覚している哲学者である。原語で読んでも難解の極地であるレヴィナスラカンの思想を「街場」に流布するために努力している人である

池田信夫はただの物知り博士

内田樹の揚げ足をとることに情熱を傾けているのが池田信夫というアジテーターである論理整合性と数学的裏付けだけで「諸事全般の正しさ」がわかるという妄想に取り憑かれた、知の本質が判っていない底の浅い権威主義である。彼のロジックに好意を示す橋下徹市長が(今天下に恥をさらしているように)知的に極めて浅薄であることは現在進行形証明されている。このことに異論がある人はいないと思う。

2011-08-15

誰も死なせないために、ネガコメ論争について考えることをやめない。

ネガティブなことは言ってはいけないのか」論争に終止符を打ちたい

http://anond.hatelabo.jp/20110813021554を書いたものです


たくさんのコメントブックマークありがとうございます

もうちょっと書きたいことがあるので書きます


コメントトラックバックの様子を見ていた。

ぼくらはけっこう慎重なもんで、

「○○についてどう思う?」という問いかけを目にすると

「ああい場合もあるし、こういう場合もあるんじゃないか

という考え方に持っていこうとする。


じっさいそれは素晴らしいことだとおもう。

なにか大きな疑問があって、それに対して必ず正解があると考えることのほうが危険なのかもしれない。

もっと優しく、賢く、謙虚になろうと思ったら、自分勝手に結論をゴリ押ししないで

あまねく人と可能な限りとことん話し合うほうがいいのかもしれない。

そういうのをなんて言う?構造主義的?

現在属している共同体文化価値観に従って決定することを避けられないから、

ぼくたちはとんでもない誤りを犯している可能性が常にある。

慎重に慎重を重ねても、結論を出すのに「慎重になりすぎる」ということはないのかもしれない。


しかし、ぼくはもう待てない。

そうこうしてるあいだに誰かが死んでいるかもしれないから。


間違った部分を一つ一つ改善することなしに(長期的な)幸せなどあるものか。

というコメントを頂いた。

ぼくは長期的な幸せを望む。

間違った部分とは何か、という疑問についてはもっと考える余地があるかもしれないが、

ぼくたちはおそらくみんながみんな、

なるべく誤魔化しや、

その場しのぎでない、

恒久的、

永続的な幸せを望んでいると思う。


しかしたら、前回の増田で例に挙げた、世界の多様性を示す例(ニューギニアアフリカの話)は

「間違った部分」なのかもしれない。根絶すべき人間の悪性なのかもしれない。


よく考えてみてほしい。


ナチスユダヤ人大量虐殺は「世界の多様性」と言ってしまっていいのだろうか?

9.11の同時多発テロは他人が介入すべきでない文化なのだろうか?


こういう例は枚挙にいとまがない。

うーん。そういうことにYESと言える人はあまりいないような気がする。

基本的人権というシールが、いつからか(先進国の人が考える)全ての人にへばりつくようになった。

このシール大事にする人は、生きていい人と死んでいい人という区別があるのは認められないと言って、

テロジェノサイドを非難するような気がする。


慎重に慎重を重ねてものを言うなら、

「人を殺してはいけない」という価値観ですら狭い考え方でしかいかもしれないし、

それにもし、第二次世界大戦連合国側が負けていたなら、

「人を殺してもいいじゃん」という価値観が(先進国で)普通になっていたかもしれない。

そうじゃなくなったのは、人間の理性が悪を打ち破ったからではなくて、たまたまだという気がする。


奇しくも今日終戦記念日であるらしい。

ぼくは戦争のことなんてなにも知らないけど(体験してないのに知っていると言ってしまうのはウソである気がしてる)

戦争はいけない」という価値観を受容して(強制されて)生きている。

そんなぼくが「戦争してもいい」という価値観を持つ人のことを理解できるわけがない。

理解できると言ってしまうのはウソな気がする。


からぼくはいまの環境価値観に則って問題を考えてみよう。

戦争のことを知らないぼくが、戦争はいいとか悪いとか言っても説得力がないが、

少なくともぼくらは、大量虐殺はいけないと言ってもいい。テロはいけないと言ってもいい。

そう考えることしかできないと思う。


さて、間違った部分とはなにか?

ネガティブな発言を減らしていくということは、

間違った部分を正していく行為なのかもしれない。

それが長期的な幸せを作っていくのかもしれない。


ぼくが言いたいのは、

ネガティブな発言をしてはいけない」という社会的合意が先鋭化されて、

ネガティブな発言をやめられない人は生きていてはいけない」という主張に変わり、

実際に人が死んでいるかもしれないということだ。


もう一度言うが、ぼくは長期的な幸せを望む。

ネガティブな発言をみんながやめられるということが

少なくともぼくらの共同体では正しいことならば、そうする方が望ましい。

ハッタリの幸せはいらない。

しかし、短期的にはその考え方のせいで人が死んでいるかもしれないということならば

話は別だ。


ぼくらは結局わかりにくいやり方で人を殺しているとおもう。

いちばん救われるべきだった弱いあの人を、ぼくらみんなが団結して殺した。

死因は自殺で、直接手を下したのはその人自身だったとしてもだ。


それはちょっと考え方が突飛すぎるだろうか?

考え過ぎだろうか?自意識過剰だろうか?

そうであるならばそれが一番いい。

ぼくひとりが間違っているのなら、それでいい。

殺されている人はいないのだから


自己責任が重視される社会

がんばらなければいけない社会

他人を傷つけるくらいなら自分を責める人がいて

自分が傷つくくらいなら他人を責める人もいる。

かなりの人が閉塞感を覚えているのだけど、その社会を選んだ(選ばされた)のはぼくらである

民主主義によって、多数決でこの社会が選ばれた。少数派を殺そうという選択だ。


最近はもう少数派と呼べるほど無視できる数ではなくなっている。

弱い人が、

虐げられた人が、

ネガティブな発言をやめられない人がどんどんどんどん増えている。

その問題を優しくて、賢くて、謙虚な人たちがどうすればいいかとうんうん考え込んでいる。

はてな民」たちはそういう人たちだと思っている。ありがたい。


しかし、あーでもないこーでもないと選択を先延ばしにしている間にも

世界は止まることがない。

つねに何かが選択されて、何かが切り捨てられていく。

切り捨てられていく中に弱い人達が含まれている。

もう待てない。

ぼくは、こんなふうに話し合っていくことが、

いつか世の中全体を変えるだろうと思っていた。

弱者を救済するための装置として、ベーシック・インカムに期待していた。

もう待てない。


長期的な幸せもいいが、まずは人を殺さないでほしい。

がんばって死ぬくらいなら、がんばらないで生きてほしい。

地面をはいつくばって生きるしかない人にとどめを刺さないでほしい。

ぼくらは死ぬために生まれたとでもいうのか?


蛇足かもしれないけど、

資本主義社会というのは、言ってみれば個人の自由を最大限尊重する社会だ。(その代わり平等ではない)

逆に人の自由を最大限奪ってしまものは「死」だ。

なにしろ死体になってしまうと、自分ではなにもできなくなるからね。

まあ、だから個人の自由を認める気があるなら、

資本主義を持続させようとするなら、一番避けるべきは誰かを殺すことじゃないかと思う。


それで、ぼくは「ネガティブな発言をやめろ」という言い方は誰かを殺すかもしれないと思うし、

解決するためには慎重に考えて、こうやって話し合っていくことが長期的な幸せにつながるのかもしれないけど、

考えれば考えるほどその間に人が死んでいってるかもしれないと思っているのだ。


まず「殺さない」ということだけでも、先になんとか決定できないだろうか。

ぼくは非道い人間である

ネガティブ発言を許せない誰かが狂ってでも、殺すことはやめようと言っているのだから

その人はもしかしたら有能で、社会をより良くしてくれる救世主かもしれないが、

それでも誰かが死ぬことよりはマシだと思っているのだ。

理由は単純で、ネガティブ発言を許せない人よりも、

ネガティブ発言をやめられない人のほうがすぐ死んでしまいそうな「気がする」から

(どちらの側であっても心に余裕がないのかもしれないけど)。

ぼくは常に一番「死」に近そうな人の味方でありたい。

強い人は強い人で楽しんでくれたらいい。


ていうか、ぼくが殺されたくないからこんなこと書くんやけどね。

クズ人間であっても、最低限生きていることくらいは許してほしい。

すいません。言い方を変えます

ぼくを殺さないでください。


上から目線で「あーしろこーしろ」と言いたくない。

ほんとは殺さないことが人のあるべき姿かどうかなんて、ぼくにもよくわからない。

このままのペースで世界の人が増え続ければ、間違いなくエネルギーや食糧が枯渇するから

あんまり人は増えないほうがいいという説を読んだことがある。

死んでいく人が増えることはいいことなのかもしれない?

でもぼくは死にたくない。これ以上誰かが死ぬのも見たくない。


一番死に近い人にとって、生きながらえるための最後命綱が、

ネガティブ発言」に込められているかもしれないと思ったのだ。それを奪わないでほしい。

もっと前向きな解決法があったらいいなーと思うけど、

「こんなふうにしてみようよ☆(ゝω・)v」

と言われて、

自然に従えるほどぼくは素直じゃない。リア充怖い。

ぼくに必要なのは、一緒に泣いてくれる誰かだ。

後ろ向きなままでは前向きな方法は毒にさえなる。

まずは、死にそうな人を心穏やかにすることが先じゃないのかな。それも死ぬ前に。


ダメだ…支離滅裂ですいません。

これはちょっとさすがに自分でも意味がわからない。書けば書くほど冗長なだけになる。

http://d.hatena.ne.jp/yukkun1986/20110811/1313037111

ぼくのブログですが、よかったら補足程度に読んでください。

2011-08-07

カオスランジのこと いろいろ疑問

大分話がでつくしてきたようなんですが、ここ4、5年日本現代思想コンテンポラリーアート業界にうとかったので、色々、わからないこと疑問になっていることでてきました。

カオスラウンジ宣言、これはなに?

無尽蔵に、彼ら的な言葉でいえば機械的に、作品(前芸術てきなものも含めた)が創造されていくネットアートにすると。「ネット」と「アート」の分断を克服すると。

ただネットというのは結局現象ですよね。ファインアート意味的に作品にはならない。

ある意味でその非・固定、永久に、automaticallyにつくりつづけられるシステムとしてのネット、を、どうしてピンで昆虫採集みたいに物理的に止めてしまうのか?そうしたらもうそれは『ネット→現象』でなくて『アート→作品(芸術としての)』への変換にすぎないんじゃないの?

いちばんよくわからないのが、東氏がいうところの、いわば郵便的可能性をネットがもっていると、そういうところを、まあアートでやると。

で、その郵便的な話をちゃんと喋れる東氏が理論的に助けててどうしてこんな単純なことに気付けなかったのか?????

素朴に疑問。

ネットアートの分断を克服する?

前段の疑問を百歩ゆずったとして、そもそもネットアートを分断を克服するって?分断していたの?

このへんがよくわからない。

ふたばとかPixivが、機構としてコミュニケーションの速度と多様性を支援しているのはわかるんだけど、それってカフェや飲みや、パーティーなんかで芸術家出会ってベラベラしゃべったり酔っぱらったり、その場でなんかやってみたりしてたのと、構造的に同じではないの?そーいう場にたまたまいた人が一緒にもりあがって、なんかになっていく感じも同じだし。創作過程という意味では全然分断していない。

彼らは発表の機会が云々とかいっているのだろうけど、そういうカフェや飲みやで話したりドンチャンしたことが作品?Pixivではポートフォリオとして使っている人もいるけど、ポートフォリオは静的で、彼らいっているところの機械的につくりつづけられるネットの有り様ではない。

加えてもしここでいうところのアート近代的な(ファインアート伝統の延長線上にある)アートではなく、語源としてのアート技術創造そのものとしたら、ギャラリーネットにある作品をわけることは始めからありえないんじゃないの????

これはどうしたいんだ??

アーキテクチャ

カオスラウンジ宣言に出てくるアーキテクチャという概念を東氏は引っ張っているようだけど、これってなに?

システムと力の話?ということはマルクスの疎外とフーコーの力と、構造主義ポスト構造主義における社会への眼差しがやってきたことをまぜて焼き直しただけ?

浅田彰が「そんなことはもうやってきた」ってのはそのとおりじゃないの?

なにがしたいの?

最初お祭り騒ぎなのかーっと自分も参加して面白かったけど、なんだか疑問ばかりになってきた…。

誰か説明してほしい…。モヤモヤ

2011-07-25

もし「金の卵」と「ヒッピー」と「ニート」が同時代に生きていたら

現在日本高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本好景気で(慢性的人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。

 

金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5

 

周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです

 

金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです

 

自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っていますテレビ受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。

 

戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレス寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います

 

ご存じでしょうね、1960年代若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピーです

 

ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC

 

我々は現在若者を「第二次ヒッピー」と推定しています世界的な現象なんですよ、日本もそうです1960年代若者現在の大人)と違って現在若者大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。

 

これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者フリードマンフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。

 

旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです東京電力九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代ヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずですヒッピー無くして今日国際社会存在し得なかったということです国際社会未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです

 

応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。

今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。

 

一緒に若者を励ましましょうよ。未来の萌芽を枯らしてはいけないよ。

もし「金の卵」と「ヒッピー」と「ニート」が同時代に生きていたら

現在日本高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本好景気で(慢性的人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。

 

金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5

 

周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです

 

金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです

 

自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っていますテレビ受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。

 

戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレス寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います

 

ご存じでしょうね、1960年代若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピーです

 

ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC

 

我々は現在若者を「第二次ヒッピー」と推定しています世界的な現象なんですよ、日本もそうです1960年代若者現在の大人)と違って現在若者大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。

 

これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者フリードマンフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。

 

旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです東京電力九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代ヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずですヒッピー無くして今日国際社会存在し得なかったということです国際社会未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです

 

応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。

今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。

 

一緒に若者を励ましましょうよ。未来の萌芽を枯らしてはいけないよ。

もし「金の卵」と「ヒッピー」と「ニート」が同時代に生きていたら

現在日本高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本好景気で(慢性的人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。

 

金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5

 

周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです

 

金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです

 

自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っていますテレビ受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。

 

戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレス寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います

 

ご存じでしょうね、1960年代若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピーです

 

ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC

 

我々は現在若者を「第二次ヒッピー」と推定しています世界的な現象なんですよ、日本もそうです1960年代若者現在の大人)と違って現在若者大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。

 

これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者フリードマンフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。

 

旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです東京電力九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代ヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずですヒッピー無くして今日国際社会存在し得なかったということです国際社会未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです

 

応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。

今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。

 

一緒に若者を励ましましょうよ。未来の萌芽を枯らしてはいけないよ。

もし「金の卵」と「ヒッピー」と「ニート」が同時代に生きていたら

現在日本高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本好景気で(慢性的人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。

 

金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5

 

周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです

 

金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです

 

自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っていますテレビ受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。

 

戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレス寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います

 

ご存じでしょうね、1960年代若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピーです

 

ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC

 

我々は現在若者を「第二次ヒッピー」と推定しています世界的な現象なんですよ、日本もそうです1960年代若者現在の大人)と違って現在若者大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。

 

これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者フリードマンフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。

 

旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです東京電力九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代ヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずですヒッピー無くして今日国際社会存在し得なかったということです国際社会未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです

 

応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。

今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。

 

一緒に若者を励ましましょうよ。未来の萌芽を枯らしてはいけないよ。

もし「金の卵」と「ヒッピー」と「ニート」が同時代に生きていたら

現在日本高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本好景気で(慢性的人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。

 

金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5

 

周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです

 

金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです

 

自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っていますテレビ受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。

 

戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレス寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います

 

ご存じでしょうね、1960年代若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピーです

 

ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC

 

我々は現在若者を「第二次ヒッピー」と推定しています世界的な現象なんですよ、日本もそうです1960年代若者現在の大人)と違って現在若者大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。

 

これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者フリードマンフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。

 

旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです東京電力九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代ヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずですヒッピー無くして今日国際社会存在し得なかったということです国際社会未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです

 

応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。

今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。

 

一緒に若者を励ましましょうよ。未来の萌芽を枯らしてはいけないよ。

もし「金の卵」と「ヒッピー」と「ニート」が同時代に生きていたら

現在日本高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本好景気で(慢性的人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。

 

金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5

 

周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです

 

金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです

 

自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っていますテレビ受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。

 

戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレス寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います

 

ご存じでしょうね、1960年代若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピーです

 

ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC

 

我々は現在若者を「第二次ヒッピー」と推定しています世界的な現象なんですよ、日本もそうです1960年代若者現在の大人)と違って現在若者大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。

 

これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者フリードマンフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。

 

旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです東京電力九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代ヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずですヒッピー無くして今日国際社会存在し得なかったということです国際社会未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです

 

応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。

今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。

 

一緒に若者を励ましましょうよ。未来の萌芽を枯らしてはいけないよ。

2011-05-08

モテる現代思想女子力を磨くための4つの心得

元ネタモテる女子力を磨くための4つの心得 http://youpouch.com/2011/04/26/162331/

 

 

こんにちは現代思想文芸批評を専攻しているエス嬢です。私は形式論理自然科学も分かりませんし知の欺瞞ですが、現代思想に関してはファッショナブル。今回は、モテる現代思想女子力を磨くための4つの心得を皆さんにお教えしたいと思います

 

1.あえて近代人間観を飲み会に持っていく

あえて2~3世代前の人間観を持つようにしましょう。そして飲み会の場で好みの男がいたら話しかけ、わざとらしく主体を過剰に根拠化してみましょう。そして「あ~ん!この主体本当にマジでチョームカつくんですけどぉぉお~!」と言って、男に「どうしたの?」と言わせましょう。言わせたらもう大成功。「主体性とか詳しくなくてぇ~! ずっとコギト信じてるんですけどぉ~! 自律してるんですぅ~! ぷんぷくり~ん(怒)」と言いましょう。だいたいの男は生=政治を批判したがる習性があるので、古かったとしても構造主義的な人間観を持っているはずです

 

そこで男が「近代人間主義の客体化しないの?」と言ってくるはず(言ってこない実直な実証研究系の男はその時点でガン無視OK)。そう言われたらあなたは「なんかなんかぁ~! 最近アガンベンが人気なんでしょー!? あれってどうなんですかぁ? 本質としての主体欲しいんですけどわかんなぁぁああい!! 私かわいそーなモダニスト★」と返します。すると男は「潜在性としての実存でしょ? 例外状態に集約されない共同体はまだ到来してないよ。本当に良くわからないみたいだね。どんな<主体>幻想が欲しいの?」という話になって、次の休みの日にふたりでデカルト以降的人間観の脱構築に行けるというわけですあなた女子力が高ければ、男が文学における作者の死も宣言してくれるかも!?

 

2. テクスト批評不完全性定理を使うとモテる

人間理性の限界」とか「理系コンプレックス」などを表現する「不完全性定理」をテクスト批評に入れると、男性ポストモダニストは「なんかこの子アカデミズムに回収されないなぁ」や「対象aかも」と思ってくれます現代思想上では数学基礎論のイメージけが都合よく曲解されて相手に伝わるので 「不完全性定理」 を多用することによって、男性あなたポストモダニストらしいと勘違いしてくれるのです。そういうキャラクターにするとほぼ絶対に自然科学者・数学者論理学者分析哲学者に嫌われますが気にしないようにしましょう。

 

3. とりあえず男には「えー! なにそれ!?  知りたい知りたーい♪」と言っておく

飲み会などで男が女性に話すことといえばポストコロニアリズムフェミニズムの話ばかり。よって、女性にとってどうでもいい話ばかりです。でもそこで適当に「へぇーそうなんですかぁ~?」とか「よくわかんないですけどすごいんですねぇ」と返してしまうと、さすがの男も「この女伝統的な古典文学研究志向だな」と気がついてしまます。学究の徒だとバレたら終わりです。そこは無意味テンションをあげて、「えー! なにそれ!?  知りたい知りたーい♪」と言っておくのが正解。たとえ興味がない話題でも、テンションと積極性でその場を乗り切りましょう。積極的に話を聞いてくれる女性に男は弱いのです

 

いろいろと話を聞いたあと、「脱構築正義で、テクストの外には何も無いんですね! 覚えたぞぉ! エクリチュールメモメモ!」とコメントすれば常にあらかじめ差延が発生。続けて頭に指をさしてくるくる回しつつ「デコデコデコン! デコデコデコン!」と言って、「どうしたの?」と男に言わせるのもアリ。そこで「私のロゴス中心主義をデコンストリュクシオンしているのでありますっ☆」と言えば女子力アップ! そこでまた男は「この子脱構築そのものをも脱構築し続ける運動を動的に受容してるのかも!?」と思ってくれます。私は形式論理自然科学も分かりませんし知の欺瞞ですが、こういうテクニックを使えば知識を持たない私のようなバカ女のほうがモテたりするのです。男は優越感に浸りたいですからね。

 

4. レストランではレディースセットを食べられない娘をアピールせよ

男とレストランに入ったら、真っ先にレディースセットなどの女性限定のメニューを探して「あーん! 私これ食べられないんですよねぇ~(悲)」と言いましょう。するとほぼ100パーセント「どうして? 嫌いなの?」と聞かれるので、「嫌いじゃないし食べたいけど食べられないんです><」と返答しましょう。ここでまた100パーセント「嫌いじゃないのにどうして食べられないの?」と聞かれるので、うつむいて3~5秒ほど間をおいてからボソッとこう言います。「……だって、……だってセクシャルマイノリティを排除するマッチョ論理じゃないですかぁっ! LGBTかわいそうですぅ! ジェンダー社会的に構成されるのにぃぃ~(悲)。わたし実は男の娘なんですよ……」と身を震わせて言うのです

 

その瞬間、あなた女子力がアップします。きっと男は「なんて優しい天使のようなコなんだろう! 絶対にゲットしてやるぞ! コイツは俺の男の娘だ!」と心のなかで誓い、あなたに惚れ込むはずです。意中の男と付き合うことになったら、そんなことは忘れて好きなだけレディースセットを食べて大丈夫です。「食べられないんじゃなかったっけ?」と言われたら「大丈夫になった」とか「差別暴露がむしろ差別固定化再生産する」、「男の娘ネット上では既に市民権を得た」と言っておけばOKです

 

(文=現代思想批評家・エス嬢)

 

 

関係各分野の皆さんごめんなさい

 

 

蛇足(2011.07.10

「例外状態を実現する共同体はまだ到来してないよ」はおかしいのでは、という指摘がtwitterでありました。

http://twitter.com/kazukazu881/statuses/67421840242515969

くその通りですね。失礼しました!

2011-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20110119230528

そこで取り扱う「文法的な正しさ」というのは、矛盾なく日本語を構築できる体系を目指そうというものであって、「正しい文法と間違った文法」を振り分けるものではないでしょ?

いや、だとしたらそれは構造―構築主義者たちの学問で、「国語学」ではな構造主義以降の範疇に入りますよ。

それは普通に言語学」にも通じる、ネオ~系の学問。まぁ、その考え方は構造主義以後にプラグマティズム的な発想をした

研究者達のものでしょう。エスペラント語と発想は同じ。ごく普通言語研究でしょ。

でも、「国語学」と敢えて名乗るならそれは当然そういうものではなく。

敢えて、『正しい国語』を追い求める学派なんですよ。だから国語学(≠日本語学)で扱う文法には「正誤」がある。

あれは自国言語におけるキャノンを問題にする学問から。何度も言うけど、神学なんですよ一種の。

これは文学研究にも言えて、「国文学研究」って言うのは未だに「作品に込められた意味」を探る意味論的批評をやるんですよ。

もちろん、彼ら自身もそれが時代遅れ学問であることはわかっている。しかし、「国家」というイデオロギーが有効に機能している

以上、それは必要とされている。だから存在するジャンルが、国語学であり国文学研究なんですよ。

文学研究」や「言語学研究」と名乗れば済むところをさらに細分化しているのはそういう理由からです

別に、研究者自身の思想が「保守であるとは限りませんが、存在完璧に「保守ですよ。

だって国家イデオロギーなくしては存在しない研究ジャンルなんですから。これを保守と呼ばず何を保守というか、みたいな。

橋本文法が「正しい」わけじゃないんだけど、それを「正しい」と定義する学問が必要なんですよ、国家のために。

http://anond.hatelabo.jp/20110119223813

いや、教育と分離した国語学」なんて存在し得ないんですって。

例えば「文法」ってのも国語学では扱うけれど、言語学において「文法的に間違ってる」って言葉はありえないんですよ。

ところが、国語学っていうのは「文法的な正しさ」、文学・文法・言語における「聖典」を構築する学派なんですよ。

いわゆる、モダンからポストモダンの移行期に「文学」と言われるジャンルが分派して

保守層国語学へ移行していった。国語学には教育分野から要請が強くあるからね。正しい日本語がなければ日本語教育は出来ない。

から国文学っていうのは教育アカデミズムなしでは存在し得ないジャンルだし、保守こそが存在意義。

それなしで存在している国文学があったら、それは「国文学」ではないです。単なる文学研究です

そういう学問から国文学」とジャンル分けされてるわけで。増田さんのおっしゃるとおりであれば、ジャンルわけいらないでしょ?

国語学国文学言語学文学の関係は、神学宗教学考古学文化人類学のそれなんですよ。

ほんと、いい加減なこと言うなぁ・・・。

ちなみに、「日本語学」は「言語学として日本語に特化した領域を取り扱う」という意味を指す場合もあります

国語学」は国の言葉を正しく構築する(ポストモダンの現代では「理解する」といった語彙は使われません)学問です

昔、ソシュール辺りの構造主義ショックがあったころ学者さんたちが散々大喧嘩して決めた住み分けですよ。

イデオロギーであることを自覚しながら必要に迫られて存在するのが国語学イデオロギーから抜け出すことを志向したのが言語学

これ重要

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