はてなキーワード: 校長とは
昨日2/28(木)18時30分。「全国の小中高特、3/2(月)から一斉休校の要請」が発表されたのはご存知の通り。
でもね…「18時30分」!
校長帰っちゃってるじゃん!
成績は!?
来年の1年生のために頑張って作ろうね!って子どもと約束してた制作物どうするの!?
荷物の持ち帰りは!?1週間かけて持ち帰るもの1日じゃ無理じゃん!
子供たちとどうお別れすんのさ!
それでですよ、まあ今朝8時に出勤するじゃないですか。
あ、ご存知でした?小学校って8時15分始業なんですよ。みなさん子ども送り出してから会社行くから、その分わたしたち普通の方より朝が早いんですよ。
で、案の定、教育委員会はとにかく午前中で方針をまとめて、お昼には全教員に通達、今日で終わりにするのかどうか決めると。
まあ、終わりにするつもりで動きましたとも。
そしてお昼にはやはり休校が決定したむねを聞き、1年生たちに今の日本の状況と、これから4月までの過ごし方を伝え、
そして、いま直接子どもに返さなきゃいけないものを全て無理矢理返し、1年間がんばったね、大きく成長したね、と一緒に過ごした子供たちとのお別れを済ませ…。
ああ…こんな終わりかたってないよ…せめてあと1週間あればもっとっちゃんと伝えるべき事を伝え、学習をまとめ、しっかり立派に1年生を終わらせてあげられたのに…。
そうしんみりしていたら、11時15分の段階で
政府「時期や期間は各地の教育委員会などが柔軟に判断するよう」
って発表が出てるじゃないですか。
ていうか13時35分から始まる5時間目はこの学年閉めるための最後の授業はじめざるをえないんだよ!
いまさらそんな発表されても、遅すぎるんじゃああああああ!!!!!
子供たちは「重い~!」って言いながら普通は1週間かけて持ち帰る荷物を、1日で持ち帰ったわ!
いや、あとでおうちの人に持っていってもらうから…って言っても、「自分でできる!自分でもってく!」って言ってな!
せめて「負担をかけるが、休校は必用なことだから、みんなここはどうか頼む!のんでくれ!」って言ってくれた方がまだ救われるわ!
はてなのネット界隈でも年に数度道徳の教科書の問題が俎上となる。最近も子供が持ち帰ってきた道徳の教科書が「変なこと」を吹き込んでいるというtwitterの投稿がブックマークを集めていた。
私はこれから、原文やブックマークのおおよその論とは逆さに「こういう道徳も必要ではないか」という観点から考えてみたいと思う。
大きな論点は二つある。
私たちブックマークする人間は十分に教育を経てクリティカルな思考が(ある程度には)できるから、あの教科書に対して批判ができる。
ところが初めからそうではないだろう。小学校二年生の時を思い出して欲しい。
まずは周囲の仕事に気づき、それにより身の回りが成立している感覚を基礎的に学ぶことは重要だ。
まずそうする。そうしないと、子供に基礎的な社会性すら涵養されないのではないだろうか。
私たちは徹底的に(あるいは歴史的に)これを体験し修学してきた。
だからここは批判的になりがちだしなるべきだが、全く愛校心や「軍隊っぽさ」がないと、それはそれでバラバラになり立ち行かなくなると考えられているのではないか。
バランスを見極めていくべきて、少なくとも私はこれくらいは十分に必要と思う。
小学校二年生の時を思い出して欲しいのだけれど、教科書が世界の全てではない。
例えば校長の話は意味がわからなかったりたまにしか会わないから会話や指示にぎこちなさがあったりする。
保健の先生はトイレを濡らした犯人を俺だと決めつけて掃除をさせた。
小学二年生は、友人関係を含めて人間関係のるつぼの中にいよいよ参画していく時期だ。
改めて小学二年生を思い出して欲しい。テレビや教科書の「お題目」と現実との折り合いに、わずかでも気がつき始める。
ここで重要なことは「お題目」を知り、かつ「実態」を生きると言うことだろう。
「社会の規範や常識」とそれが必ずしも通用しない、それできっちり割り切れない「実態」の二重の感性。
「社会の規範や常識」が「お題目」とは言え重要だと言う話をしてきた。
とはいえ私たち大人は「社会の規範や常識」をどこに定めるか、不断の努力で議論し構築していかなくてはならない。
家庭でも地域でも普段の子供とのやりとりでも。そう言う視点からの批判ならばあの道徳の教科書への批判になりうるだろう。
特に珍しい話でもない
教師と生徒との物語なんて昔から使い古されてる。憧れと恋愛感情を区別できないガキに本気になった大人のつまらない話。
大好きだった。
昔から頭のいい人が好きだった。数学とか理系科目が得意な人が特に
顔なんてどうでもよかった、頭がよかったら誰でも好きになっていた。
先生は学年主任で、担任を持っていなかったしバスケ部の顧問だったから文化部だった私には縁がなかった、中学2年生に上がるまでは話したことすらなかった。
先生は当時37歳、私は13歳だった。
身長は170cm弱、中肉中背って感じの普通のおじさん、若ハゲで特に顔もいいわけじゃなくてむしろ女子生徒からは人気がなかった。
そこが良かった
私だけを構ってくれそうで私だけを愛してくれそうで私だけを可愛がってくれそうで、
私だけを求めてくれる人をずっと探していたから都合がいいと思った。
若さが売れるってことは知ってた。特に虐待されてたって訳じゃないけど冷めきった家庭で親も私に興味ないし、ずっと寂しくて、Twitterで知り合った30歳の東大卒の人とか中央ローの人とかのおうちに泊まったりしてた。みんな13歳の体に興奮してたし、13歳というブランドが、ロリコンにはウケるのだと知っていた。
中学2年から急に先生に懐くようになった、放課後残って一緒に事務作業をしたり数学科の先生だったからでっかい三角定規みたいなのを運ぶお手伝いしたり、用もないのに職員室に行って先生とおしゃべりしたり、付き合ってから知ったけど先生はひとり暮らしでずっと寂しくて教師続けるの悩んでたところに私が急に懐いて嬉しかったらしい。さみしいものどうし、ちょうど良かったのかもしれない。今となってはすごく気持ち悪いけど。
あんなハゲのどこがいいの?って皆に聞かれた、数学の成績を良くしたいみたいな噂も流れた。先生の魅力は私だけが知っていればいいと思った。
中3の秋、親にボコされて登校した。Twitter使って男と会ってるのバレて
数学準備室で2人きりになってその傷どうしたの?って聞かれて親にやられましたって言ったら顔だけ?って言われたから顔だけなわけないじゃないですかって言ったら抱きしめられた。
先生は泣いてたし、ずっとそうして欲しかったから、私もワンワン泣いた、どうしたらいいのか分からなかった。とにかく大人に愛されたかった。
服を脱がされて体の傷を確認された。私は中3でEカップあったから先生が胸大きいね、って言うから、好きにしていいよって言った
先生は童貞だったからその日手は出て来なかったけど胸は揉んでた、やっぱ男の人なんだなって意味わかんないけどちょっと失望したの憶えてる。
連絡先交換して、大好きな先生と内緒で連絡を取り合ってる優越感みたいなのに浸ってた。
まあすぐに付き合ってるのバレたんだけど
黒板に相合傘を書かれてて、本当にこんな漫画みたいなことあるんだっておかしくなった
その日はそのまま帰った、次の日校長室に呼ばれた
付き合ってるのか聞かれたけど付き合ってるなんて答えるわけないよね、その日から先生とは学校で話さなくなった。
そんなデートの何が楽しいのって今では思うけどあの時の私は先生がすべてだったから、一緒にいられるだけで幸せだったしなんでも言うこと聞いてた。
18歳になった私はもう好きじゃないの?制服を着られなくなった私には興味ないの?
若い体が売れることを知っていた。
愛されたかっただけなのに、自分の若さと、体を武器にする、そんな手段しか知らなかった。
この先どうやって生きていったらいいのか分からない、毎日安くなっていく自分に嫌気がさす。世の中ロリコンだけじゃないって知ってるけど若いね、ちっちゃいねって可愛がってくれる大人たちの甘い声が忘れられない。
公園でボール遊びが出来なくなったり
河原で花火が出来なくなったり
子どもの声がうるさいと苦情がきたり
神輿渡御やどんど焼きが通報されたり
ゲームやスマホに条例で利用制限しようとしたり、なんだか寂しい時代ですね。— おぎの稔_大田区議会議員(荻野稔)無所属東京都大田区 (@ogino_otaku) 2020年1月18日
これに関しては今で言う所のフェミ団体が右左問わず、色々な形で規制してきた結果だからな。
時ににはお母さん保守、時には婦人団体、時には児童保護団体、そして女性団体とあらゆる形に擬態をして行ってきた経緯もあるし、実際一部に繋がりもある事は割と知られている話だしね。
当時から懸念されていた通り、雁字搦めになりすぎて、今では何もする事が出来なくなってしまった結果を招いたと言う所だからね。
アレは危ないからと言って公園から遊具が撤去され、ボール遊びが禁止され、アレは有害だと言って、漫画の焚書を行ったり、時には関係ない児童ポルノとも絡めて、インターネットや漫画アニメゲームの規制を行おうとしたりしてきたり、条例によってゲームセンターから子供を追い出したり、事実上子供に対しての戒厳令を敷いたり、何故かネットカフェまで規制されたと言う経緯もあるしね。
実際、日本の街から活気がなくなったのもこれ等の規制をやりすぎたのもあると考えるし、今でもゲーム障害と称して、スマホやネット叩きをしている連中もこの手のも絡んでいると個人的には疑ってはいるよ。
現に大阪の話なんて学校の校長から出てきたと言う時点で怪しさ満載だしな。
何にしろ奴等のお気持ちには際限がないので、お気持ちに沿ってきたらそれこそ何でも規制されてしまうし、規制されてしまった結果、ここまで娯楽や行動自体制限されてしまったと言う話な訳だしね。
当の子供からしたら、余程これ等の団体の活動の方が有害だと思うよ。
かつてベルギーのユニセフ支部が、欧州の児童ポルノ規制法を推進しておきながら、その建物の地下が児童ポルノ制作スタジオになり組織ぐるみの児童ポルノ製造組織だった事件も、禁酒法でマフィアが儲かるというのと同構造の図式があるといえるだろう。— 小森健太朗@相撲ミステリの人 (@komorikentarou) 2020年1月18日
そう言えば当時児童ポルノ禁止法の時でも地下組織の商売を助長させるマイナス効果が出てきてしまうから、やめた方が良いと言う指摘をしていた人もいたから、このニュースを見た時は起こるべくして起きたなと個人的にも思ったし、知っていた人は私と同様の感想を持った人も多かっただろうと思う。
実際、規制が厳しすぎる国ほど、逆に実在児童犯罪が悪化しているのも事実だし、そういう意味では地下でのそれの商売の価値が上がってしまったと言う弊害そのものを招いたとしか言いようがないのだろうねと思う。
何にしろこれ以降、国連やらユニセフやらキリスト教やらで性的虐待やら売春組織経営やらこの手の児童犯罪の報道が多発し、これ等の規制を押し進める組織が規制を言っていた事自体、国連やユニセフ、キリスト教等の自身の犯罪行為の矛先逸らしの為ではと言う言質を補強する結果になったのだけどね。
エアポートまで急いで!
もはやどちら分からなくなって久しいところなんだけど、
大はしゃぎして新成人が
一升瓶でワインかっくらって酔っ払うニュースが微笑ましいと思う、
今年19歳本厄来年成人式!フレッシュな感覚でお送りしたいと思ってるんですけど!
昔はそうだったらしいわよ。
これハッピーマンデーどころの話ではないわよね。
そう思わない?
そんなわけで今年もまた夜のニュースチャンネルで、
微笑ましい荒れる成人式のニュースがたくさん流れることを期待しちゃうわ。
もうこんな時間で私はお友達の家からの帰り道帰路についているところを数キロメートル走ったところで
便利は便利なんだけど、
それはさておき
今日はなんとしてでも
夜までに帰り着いて
また銭湯に浸かりたいとも思ってるので、
書いている暇もないこともないことはなくもないんだけど、
あの関東の人がよく使う、
なくなくない?って泣くに泣けないと思わない?
「と言い過ぎるのは過言ではない」ってこれもどうなのかしらって思うし、
成人の人してはしっかりと言葉を今日だけは正したいところだけど、
じゃあ先生が言ってるなら言ってるで
それでいいんじゃないの?とも思うのよね。
と言うか、
もうそんな「なくなくない?」って回りくどい言い方してる人の話なんか端から聞いてないんだけど、
でもこの地方のWi-Fiが弱い問題はなんとかならないのかしらね?って思っちゃうけど、
ネットに辛うじて繋がってるだけでもパソコンはただの箱じゃないから、
なんとか遅くても我慢してるんだけど、
この山の中の山中、
とりあえず、
そろそろ給油して出発することにするわ!
お友達のところで頂いた朝食が超美味しくて超ショック!
激ウマピザトーストよ。
薄めの食パンなんだけど、
美味しいからって、
ただただ足せばいいといわけじゃなく、
思ったほど美味しくならなかったわ。
やっぱり定められた定量の粉とお湯で作るべきだったのね。
熱いホッツお茶の
これお砂糖入ってるんじゃない?って不信感をいだきそうな
本当に低温で抽出した急須職人の人が丁寧に作られた急須で煎れらてたから美味しかったのかしらね?
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ここ数年、ブラック校則が話題になっているが毎日新聞の記事に『中学校でどのような校則があったか』の年代別グラフがある。
こちらのグラフでは特に『帰宅途中の買い食い』『スカートの長さ』などの校則について、今(正確には2018年)の20台~30台で一度は緩和されたことが見て取れる。
つまり、毎日新聞の記事にあるような『昔より今が厳しく』という一直線の構図ではなく、昭和から平成へと移った1990年頃に“管理教育”への批判とそれに後押しされた校則を巡る人権救済案件や裁判があり、
その影響で1990年代後半~2010年頃には校則の緩和が行われていて、その揺り戻しが最近になって再び出てきているというのが正しい実態なのではないか。
そして、ちょうどその頃の『1990年版ブラック校則』をめぐる案件に関わった話をたまたま本で読んだので書いてみよう。
ちなみにその本とは、伊藤芳朗(弁護士)著・『ボクが弁護士になった理由』という本だ。
著者は「この事件と前後して綾瀬女子高生コンクリート詰め殺害事件があった」と書いているから時期はだいたい想像できる。内容については少し長くなるが以下に引用する。
この事件は、当時問題になっていた管理教育の最たるものでした。まず、登下校時には、100メートル置きに教師が立って服装、髪型、歩き方などをチェックする。もちろん決められたルート以外の道を通るのは許されない。
山手線の駅に近いため、駅には教師が変装してスパイ活動をしている。髪型は三種類に決められており、おかっぱ頭可、中くらいか、長いかだけ。中くらいの時は黒のゴムで2つに縛らなければならず、長い髪は三つ編みにしなければならない。
もちろんワンレンとかポニーテールは不可。パーマや毛染め、脱色はもってのほか(即退学)。しかも、三種類の髪型を変える時は教師の許可が必要。
また、下着の色が決められていて、肌色か白でないとダメ。ピンクは不可。そのため、全校一斉の抜き打ち検査が度々あり、全校生徒が体育館に集められ、男性教師が並ぶなか、一人ひとり服をめくられてチェックされる。
もし決まった色の下着を着ていなかったり、夏の暑い時にスリップを着用していなかったりすると、壇上に上げられて教師たちから「この子たちは娼婦です」と罵倒され、笑いものにされる。(中略)
体罰は横行し、女生徒も平気で教師から下腹を膝蹴りされる。顔を殴るのは当たり前。言葉による暴力も凄まじい。(上掲書。p.224-226)
平成の初めの時期ですらこのような管理教育があったという。このケースでは、中退した元生徒を申立人として弁護士会に人権救済を申し立て、最終的には校則・制服の全面改訂で妥結したそうである。
前者のパーマ事件があり、報道されたことを受けて別の生徒が『自分もこのような理不尽な退学処分を受けた』と訴えてきたのが後者であり、著者が主に関わったのは後者であったらしい。
男子生徒はS高校在学中にバイクに興味を持ち、免許を取得してときどきバイクに乗っていました。その後、先輩が事故死したことをきっかけに男子生徒はバイクに乗るのを止め、自主的にバイクの免許証を担任に預けていたのですが、元来メカいじりが好きな男子生徒は他人のバイクの修理などを自宅で行っていました。そのような経緯から男子生徒は今でもバイクに乗っているのではないかという疑惑が持たれ、免許証を預けていたなどの態度も一切考慮されず、弁解をする機会も与えられないまま退学願いを出すよう強要され、これを断ると退学処分を行ってきたというものです。(上掲書。p.241-242)
最近は見直されつつあるというバイク関係、いわゆる「3ない運動」を厳しく実施することに関する事件だったのだろう。そして
最初は学校側と復学交渉しましたが、あまりに学校側の弁護士(元検察官)の態度が悪いので(元生徒)本人が怒りだし、ボクたちも頭に来たので、たぶん全国でも初めてだったと思いますが、裁判所に申し立てて、学校に残っていた職員会議録や元生徒の生徒指導要録を証拠保全(裁判が始まる前に相手方が持っている重要な証拠を押さえてしまうこと。医療過誤訴訟でカルテの書き換えを防止するため行うことが多い)したのです。(中略)これも全国初だと思いますが、校則を正面から争った裁判で、生徒側が勝訴したのです。
という結果となった。
ボンタンというのは幅広ズボンのことだが、制服を改造したりするのが流行っていた時期だったのかその辺の影響はわからない。
とにもかくにも、男子生徒が校則違反のボンタンを履いて登校したところ学校からブロックアウトされ授業を受けられないという事例が埼玉県と千葉県で同時期にあったという。
学校側の理屈は、「授業を受けさせないと言った覚えはない。校門のところで『履き替えてきなさい』と指導したら家に帰ってしまっただけだ」というもので、まったくお話になりませんでした。
しかも、論争していると、驚いたことに両校とも言うことは全く同じで、「それじゃあ弁護士さんたちは女生徒がトップレスで登校してもよいと仰るんですか?」もうこれには言葉もありませんでした。ホントはこいつら女生徒のトップレスが見たいんじゃないか、と思わせるほど同じ言い方だったのには呆れるばかりでした。(上掲書。p.244-246)
1つは、『ブラック校則は場合によっては弁護士会の介入や裁判を招く』ことを多くの人に伝えたいと考えたから。
もう1つは、これらの事件に関して同書に興味深い記述があるから。その興味深い記述とは以下のようなものだ。
ある体罰教師は言いました。「ボクも、本当にこんなに暴力を振るっててよいのかと自問したことは何度もあります。でも、周囲が同じようにやっていて、自分も今まで体罰を繰り返していたのに、急に体罰をやめると、自分としてもやるべきことをサボっているという錯覚に陥り、やめることができなかったのです」(中略)
さらに、校長先生のお話はもっとも印象的でした。「私は、実は何度も管理教育を見直そうと悩んだんです。でも、もしウチが突然管理教育を止めたら、生徒は一時的にも荒れるでしょう。そうすると必ず親の方から、『なぜもっと厳しく躾けてくれない』とか、『学校が甘いからウチの子がだらしなくなった』とか、必ず学校が責められるんです。でも、今回は弁護士会という外圧がかかった。だから、親からクレームがついても、『弁護士会から圧力がかかったから、仕方がないから校則を緩めたんです。文句があるなら弁護士会に言ってくれ』って言えるでしょう。助かりました」
結局、管理教育をやる側の教師たちも、何も悩んでいない訳ではないのです。むしろ、内実を知らず、やみくもに厳しくすることだけを望む親との間で苦しんでいる姿がそこにはあるのです。
埼玉の方の学校は、帰りがけに教頭先生がポツリと、「実は私つい最近までアメリカに研究留学していましてね、本当はこんな服装のチェックばかりやらされて『アホらしい』と思っているんですよ」と仰るのです。
結局のところ、『無意味だから止めろ』というのは簡単だ。だが、実際には『管理を強化』が必ずしも安全の向上には繋がっていないとしても、『安全のため』を錦の御旗にされるとなかなか反対できない。
あるいは本当に止めようとなると始めた人の責任問題になったり、互いの空気の読み合いになったりする。だからなかなか止められない。学校に限らず、企業や役所や非営利団体でもありがちな話だ。
公立学校教員の労働時間についての詳細な話等は記しません。「教職調整額」という名の搾取システムについては、このあたりの記事が分かりやすいかと思います。
教師に残業代が出ない理由を理解するために知っておきたい2つの事実
https://education-career.jp/magazine/career/2019/kyouin-zangyoudai/
残業代ゼロ 教員の長時間労働を生む法制度(内田良) - 個人 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20171211-00079169/
今回は、公立学校や他の私立学校に先んじて「変形労働時間制を導入した私立学校」の実態レポートをお送りします。「何かの足し」になれば良かれと思いまして。
それまで、私の勤務先については「残業代」についての規則が存在しておらず、36協定も締結していなかった。
そもそも、私立学校の勤務時間管理は「一般企業」と同じ扱いであったらしい。そのことを私は知らなかった。なお、私は職場の組合の「代表者」を務めている。
酷い話だ。酷いのは自分だ。
私の勤務先は、様々な点において「公立学校に準ずる」という点が多かった。それは、学校法人が税金を受け取って運営されているという面もあろう。勤務についても、公立学校と同じく「残業青天井」だと思い込んでいた、それまでは。
そもそも、この話は何故始まったのか。
理事側が言うには、その夏に労働基準監督署からの指摘があったということだった。「36協定を締結せよ」「協定が無いままに、職員を残業させてはならぬ」と。嘘か本当か分からぬが、その夏休みに都内の私立学校の幾つかにに対して、同様の査察(?)が行われたという話も理事側から聞いた。
私はそれまでの20数年間、残業代が支給されないのは当然のことであると考えていた。
タイムカードがあるわけでも無く、管理職は各教員の詳細な勤務時間を把握しているわけでも無く。
また、部活動の指導に費やす時間についても、その状況は教員によって様々であった。「部活動指導」というパンドラの箱は、本校内においても「開きかけたり、閉じたり」している。本格的に開けてしまうと、カオスが増すからである。
2017年度においては、「各専任教諭は、何かしらの部活動顧問を務めるように」というお達しがあった。
2019年度現在、「なるべく、部活動顧問をやってくれ」という風に、理事(校長等)側は「言うだけは言って」いる。理論上は部活動の顧問を持たないことも、可能にはなっているようだ。
しかし、実際は「公立学校の部活動顧問の状況」と大差ないと言えよう。「やりたい人間」は放っておいても、年中ほぼ無休(かつ、ほぼ無給)で部活動指導に勤しむ。「やりたくない人間」も当然居る。また、「やりたくないけど、仕方なく」という者も。
理事側の希望としては、2017年の10月(年度の真ん中)より、36協定を発効させたいとのことだった。そのため、理事側は36協定の素案を提示してきた。
その素案は、全体として「現状の勤務・賃金形態を変更せずに、法に沿うように規則を再構築した」と言えるものだった。
給料等は一切変わらないが、現行の「調整手当」を「残業代の定額払い」として再定義するという話だった。
この「調整手当」とは、公立学校(等の地方)公務員の場合、「東京都(区部等)の物価が高いので、それを調整するため」に支給されているものである。従って、そもそも「残業代に相当するもの」ではない。
勤め先は私学であるが、この「調整手当」も「公務員に準じる」ということで、支給されていたのだ。
この解釈は、理事側が社労士(?)あたりに相談し、法的に問題ないことも確認済みだという話だった。
私を含めた組合側の代表も、「給料の手取りが変わらないのであれば、拒否する必要もないだろう」という見解を伝え、後に組合員全体に諮ったのであった。
その話し合いに付随し、理事などが言っていたことは、おおよそ以下の通りだった。
・来年度(2018年度)からは変形労働時間制を導入する予定。
・「週1日の『研修日』」を廃止し、「完全週休2日制」とする。
・40時間を超えた部分については、新規に「超過勤務手当」を支給する。
「研修日」とは、公立私立を問わず、中学高校ではよく見られるシステムだ。
週の1日程度、「担当する授業を持たない日」を設定しておき、その日は「出勤せずとも済む」のである。
数年前の又聞きではあるが、都立「高校」の教諭について記す。休日である日曜日(と土曜日?)の労働(だいたい部活動絡み)が「所定の数(詳細は不明)」を超えると、翌年度は研修日が設定可能になる、とのことだった。
私の勤務先の仲間である組合員(残念ながら、過半数は超えていない。しかし、私の職場はその意見を尊重してくれている)からも、「36協定」について、特に異論はなかった。
2017年10月に「遅すぎた36協定」は締結されることとなった。
36協定が発効する。
変形労働時間制の年間の案が示される。
その「年間計画」が妥当なのかについては、理事側と組合側で意見を摺り合わせる機会も無かった。
基本的なルールは以下の通りだった。作成したのは、基本的に人事担当職員だった様子。
・それぞれの教員(および事務職)について、平日1日を「法定外休日」として設定する。
・行事(各種式典・保護者会・入試等)で「頭数」が必要な日は、全員出勤となる。
・法定外休日がどの曜日にあっても、総勤務日数(250日強)と総勤務時間(2000時間強)が変わらないように設定する。(←この点に非常に苦労したはずである)
・会議が設定されている曜日などについては、10時間勤務で途中に1時間の休憩を挟む。
・育短、産休、育休、介護休業等に入っている者は、前述の「8時間勤務で間に1時間の休憩」。
私個人としては「カレンダーを作るのが大変だったろうなぁ」と考えた。また、その人事担当職員に対しても、普段の仕事ぶりには敬意を持っていた。そのため、特に「異論」を申し入れることはしなかった。
36協定も改めて締結。
2017年度と比較し、勤務時間等を含めた「働き方」自体は、概ね変わらなかった。良い点も悪い点も。
『出勤簿上の勤務時間と実際の勤務時間には齟齬がある』ということだ。ただし、結果的には「拘束される時間」は若干の増加を見た気がする。
この『齟齬』が労働基準監督署などに改めて見出された場合、指導が入ることになるのだろう。
36協定も改めて締結。
明らかな変更は、先に述べた「部活動の顧問は強制では無いが、なるべく何らかの顧問を担当して欲しい」という指示があったことである。
どこの学校であっても「あまり文句を言わず、仕事をコツコツと進める人物に、仕事が集中しがちになる」という面はあるのでは無かろうか。
私の勤める学校の理事も、それを改善するつもりはあるようで、「仕事分担は公平に」という意図のメッセージを随時発してはいる。
しかし、年度当初あるいは年度途中、各分掌(教務とか生活指導とか進路とか)や各学年、各教科内で様々な仕事を割り振る段階で、1人あたりの仕事量の軽重が発生してしまうのである。加えて学校幹部は「何らかのプロジェクト」を(勝手に)立ち上げ、その責任者に「忙しい人」を指名したりする。
なお、教科の違いについては、私の勤務先ではあまり考慮されていない。週当たりの「担当授業コマ数」については、概ね一定となっている。このあたりは、学校によって異なるはずである。
授業準備という「重要な仕事」をする際に、最も関わってくるのが「担当科目の種類数」でもあろう。このあたりも、私の勤務先では明文化されていない。
個人的には「教えることが一番楽な教科」は数学だろうと感じている。なお、私が担当している教科は数学ではない。「楽」イコール「楽しい」というわけでは無いだろうとも思う。私は、学生時代に最も好きだった、楽しかった教科の教員をやっている。それなりのやりがいを感じながら。
https://www.asahi.com/articles/ASMD46V8RMD4UUHB01N.html
さすがに
>赤ペンで「その痛み、つらさを知っているからこそ、人に優しくなれる」「負の連鎖をどこかで断ちきろう」などと感想を書き込み、他の児童の文章と一緒に教室に張り出した。
はありえないと思うが、でも生徒からいじめの相談されても対応できないし対応したくないという気持ちはすごくわかる。
自分が教師になってから思ったけど、いじめの訴えを担任に相談したら何とかしてくれるかもしれない、なんて勘違いは今すぐやめろ。
生徒は自分の担任に期待しないで直接教育委員会に通報してほしい。
よほど普段から会話してて信頼関係がある担任ならともかく、そうでないなら担任に相談するのは一番やってはいけない行為です。
よろしいですか?
あなたの担任の先生はクソ雑魚です。何の権力もないです。人間以下の奴隷かロボットだと思ったほうがよろしい。
私自身の認識もそうです。私は3年目の新人ですが、ただの決められた業務をこなすだけの奴隷です。
忙しすぎて業務外のことをやってるよゆうなんてないし、権力関係でも無力です。私もいじめられてるようなもんです。
いじめられっ子にはいじめられっ子を救うことはできません。そんなことができるならまず自分を救ってます。
だいじなことだから二回言うけど、ただの担任にいじめを解決する力なんてありません。
せめて相談するなら最初から教頭先生や校長先生に、保護者経由でいわないと意味がありません。
私はたまたま幸運にも今の時点では生徒からいじめ被害の相談されたことがありません。
でも相談されても私には何もできません。
多分実際に言われたら、私はその生徒から事情を聴いた後O先生とT先生に相談するでしょう。
今回の事件のように紙で相談されたなら生徒から話を聞く前に先にO先生に相談するかもしれません。
子供は、いじめの相談をうけた担任は、他の業務を差し置いてまずいじめ対策に動いてくれると思うかもしれません。
なんでそういう勘違いをしてるのかわかりませんが、あり得ません。
そんなドラマみたいな嘘っぽい話はないです。ほかの業務の方が大事です。
私は報告や相談もなく業務以外のことをやってたら怒られるのです。
まして勝手に考えて行動したりしたら何をされるのか恐ろしいから絶対にやりません。だって私ただの奴隷だし。
そして、相談したO先生やT先生は、私に対して説教をするでしょう。
そうやってさんざんうんざりする話を聞かされた後に、どうすればいいでしょうかと指示を求めると適当な助言しかくれません。
なんとことはなくてO先生やT先生もどうすればいいかわからないし何もしてくれないのです。
かといって校長先生に相談してくれるかというとしてくれない可能性が高いでしょう。
「あなたがなんとかしなさい」だとかいうに決まっているのです。
休み時間中に生徒同士が教室内でけんかした時に同じようにO先生とT先生に相談したことがあります。
その時には事情を報告させられ「お前がちゃんと生徒たちを見ていないから」と怒られたあと
結局「けんかをしないように注意しよう」「今後はより一層生徒たちの様子を見るように」「さらに問題が起きたらその時に相談して」といわれただけでした。
それで話は終わりです。
先生はみんな忙しいし、生徒たち一人ひとりに興味なんて持ってる余裕がありません。
生徒についても、まじめに勉強してくれる子は可愛いけどそうでない子はただの厄介者でしかありません。
そういう教師の余裕だとか一人一人の自律性なんてものはとっくに死んでいます。
これ以上余計な責任を負いたくないし、できる限り問題なんかなかったことにしたいです。
というかね。子供はマジで教師をなめてかかってるし注意したらガチ切れするしすぐに暴れるし同じ人間とは思えないです。普通に怖いです。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20191214-OYT1T50156/
なんでこんな危険な生き物の世話を安月給でしなきゃならんのかと。危険物取扱手当ほしい。
それでも自分が受け持ってるクラスの子くらいは可能な範囲で面倒見ようと思ってますがほとんど義務感だけです。楽しくないです。
学校にいじめ対策をしてほしいなら、いじめ対策専門のスタッフを学校が用意できるように運動してください。
担任にいじめ対策なんて無理ゲーです。担任なら何とかしてくれるって俺は仙道じゃないんだよ。
私はもう生徒のことが可愛いと思えなくなってきてるし、教師に向いてなかったんでしょう。
子供が発達障害認定され、幼稚園の教師に小学校から支援学級を勧められた。
確かに落ち着きは無いが勉強は他の子より出来る、幼稚園時代に九九も自分で勝手にマスターしていた、子供の将来が薄給の障害者雇用で苦しい生活になってしまうのか、普通の幸せは掴め無いのだろうか、グレーゾーンだから普通に行けるのではと言われて来ていた所から、急に支援学級に行く事になりとてもショックだった。
支援学級の見学に行くと、廊下で校長にはきはき挨拶をする少年がいた、家の子もこんな風に普通に通わせてあげたかったと胸が痛んだ。
その支援学級に身体障害や知的障害児がいないのもあり、生徒がすごく普通に見える、落ち着きのない子供やこだわりの強い子供も居るが、私の時代なら普通にクラスに居た子供達だ。
何が悪いのか全く解らないくらい、人一倍しっかりした子供も居る。
大きな音が苦手で学童の先生がとても怖く学校に来れなくなり支援学級に来たらしいが、普通学級のクラス委員でも問題はなさそうなしっかり者に見える。
いじりいじられ、いじめいじめられの問題って難しいと思うけど、時に制止or脱走できればいじりはいじりの範疇で終わるのかな~~~って思って生きてきた。
人生でほぼいじめに接しないまま生きてきてしまったから気づかなかったけど、いじめられっこに対して「抵抗すればいいのに」「逃げろよ!」って思ってしまう。
今話題の先生とか、もちろん加害者に対してありえない話だとは思うけど、「嫌だと言えない空気」「校長にも言えない空気」とか聞いてると少し違和感がある。
本当に嫌だったら「きちんと抵抗して解決することができる」という能力がある人じゃないと、人を教え導く仕事って結構厳しいんじゃないか…。
何が嫌いって合理的でないこととネガティブの連鎖が嫌いなので、現実で無意味に人を攻撃したり、そういう人を擁護する気はもちろんない。
でも、少しだけ自分の心情が世の中的に糾弾されるべきいじめっこ寄りなのかもしれない。
Twitterとか見ていると、そういう考え方はとても許されない雰囲気を感じて心臓がキュッとなる。
なんかモヤモヤする嫌な気分だ…