はてなキーワード: 慣性とは
前いた会社を辞めた時に、部下がくれたアドバイスを思い出した。
同僚の三倍程度の仕事量をてきぱきとこなし、涼しい顔で毎日定時に帰っていく。上司の俺が何も指示していないときに、社内を歩きまわって、同僚や先輩に仕事を「お願い」していた。
けれども、そいつを悪く言うやつはいなかった。笑ったときのえくぼが印象深い奴だった。
経験だけはあったが、他にその役につく人間がいないという理由で、ロケット鉛筆のように押し出されてそのポジションに付いた。
かつて新人だった頃は、プログラマーとして四苦八苦しながら、作る喜びを糧にしていたものだった。
だが月日が経って、机の位置が変わった。プロジェクトを指揮するようになった。部下が増えた。いつしか俺はコードを離れ、代わりに人間を扱うようになっていた。
責任が増えると共に、やりがいも増えた。チームをまとめて、目標に向かっていく。自分一人ではできないことを、仲間たちと力を合わせて達成する。砂漠の中にピラミッドを建てるように。
プロジェクトを完遂すると、メンバーがガラリと変わった。力になってくれた仲間たちは、別のチームでその才能を発揮することになる。俺の元には営業がやってきて、新しいプロジェクトの発足を告げる。
程なくして新しいメンバーがやってくる。俺は別なチームとともに、別のピラミッドを建てるのだ。
そんなループを何度か繰り返したある日、プロジェクト終了直後の閑散とした社内を眺めて、缶コーヒー片手にボンヤリしている時に気がついた。
味がしない。缶コーヒー、ジョージア・エメラルドマウンテン・ブレンド(つめた〜い)の味がしない。
いやもちろん缶コーヒーなので、本来そんなに旨くない。街の喫茶店はおろか、スターバックスで女子高生がカップで飲んでるやつにも及ばない、いわゆる”コーヒー飲料”なのだが、初めの頃はうまかったのだ。
入社当時、Visual Basic の教本を片手にキーボードにしがみついていた時に机に並べていたエメラルドマウンテン・ブレンドは、もっとスカッとした味だった。
抜けた空のような味。
何かが違う。そう感じた。
iPodを作った天才、スティーブ・ジョブズはかつてこう言った。
私は毎日、自分に問いかけてきました。「もし今日が人生最後の日だとしたら、今からやろうとしていることをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、何かを変えなければならない時期にきているということです。
一週間の後、俺は退路を歩むことを決めた。
退社まで残りひと月と迫って、引き継ぎが一段落したある週末に、俺は例の、できる部下と酒を飲むことになった。
そのときの部下は会社の期待のエースとして注目を集め、人より多くの責任と仕事を与えられていた。しかし本人はプレッシャーに怯むことはなく、むしろ水を得た魚のように、やる気に満ちていた。テカッテカだった。
酒の席に誘うと忙しいにもかかわらず、嬉しそうに快諾した。へんなやつだ。
その夜、俺は柄にもなく酔っぱらい、いつのまにか部下に向かってだらだらと仕事上の愚痴をこぼしつづける、情けない中年オヤジになっていた。
聞くと部下も結構酔っていると言ったが、俺は知っていた。こいつは顔は真っ赤になるが、それでいて実態は”ザル”だ。笑顔を崩さず、俺の話に機械的に相槌を打っている。
俺の話が一段落したときに、すべりこむように部下が横槍を入れた。「でもね上司さん。そういうのって上司さんが悪いんですよ。」
失礼ですけど。
顔を上げて確認すると、部下は笑顔の目元に困ったような表情を乗せていた。俺が息を呑むと、覚悟を決めたように、話を続けた。
何から何まで自分のアタマで考えないと気が済まない、そんなタイプの人間がまれにいます(ご指摘の通り、俺がそうだ)。
確かに、自分のアタマで考えるということは、ものすごく気持ちがいいですよね。なにかすごく『意味のあることをした感覚』を得られます。
最高責任者とか芸術家とかでない限り、自分のアタマで考えたことは「誰かに説明して納得してもらう」というフェーズが必要です。
相手が上司さんの上司さんであるなら、例えば説得はこんなふうに行われます…
お偉いさんの元を尋ねて、現状の問題を分析するとこういう構造になってて、どこがどう問題と考えられるので、このようにやりかたを変えれば、このくらいよいことが起こるでしょう、みたいなのを説明して、話の前提をちゃんと共有しないと理屈が通らないから、考えに至る前提条件とかを事細かに説明して、相手との認識が合わなかったら合うように、考え方の違いに注意しながら調整して、ようやく自分のアタマで考えたこと、を分かってもらえたら次は、それって絶対・100%・間違ってたら責任取るの? とか聞かれます、でもそんなん100%なんて世の中にありえないだろ、と思っても言い出したのは自分だし、時間をかけて分かっていただいた手前もあるし、それら有象無象を踏まえて相手のプライドを考慮しつつ、こちらの責任が大きくなりすぎないように、うまく首を縦に振ってもらうように、知略の限りを尽くして言いくるめるんです。
一方で、去年と同じで行きましょう、ならサラッと通ります。
競合他社と同じ戦略で行きましょう、偉い人の方針をまるごと継承しましょう、とかでも。
冷静に、比べてみてください。自分のアタマで考えた場合のコスト。
説明のために、ものすごいコストや苦労をかけてストレスをためこみ、結果自分の責任が増しただけ。
自分のアタマで考えようとして、なんにも結論が導き出せなくなることがあります。
どの因子がどう関わってるのか整理しきれない。どこの範囲まで前提として考慮に入れるべきかがわからない。「Aと言う視点なら正しいとも言えるし、Bという視点なら間違いとも言える」みたいな項目ばかり。
なにを考えても「他人が出した別案」に引っ張られる。なんとかごまかしつつ、ちょっと甘いかな、って思いながら考察した結論を他人に見せる。でも、アタマの鋭い人はどこでもいるもので。
ピンポイントでその弱いところを突かれちゃったりする。自分でも「俺バカなのかな」と薄々感づいてる点を、改めて他人にも認識させられることになります。痛恨の一撃です。大ダメージです。
ゼロから考え直すなら、誰だって結論を間違えたり、推論を見失ったりすることがありえるんですけど、『自分のアタマで考えている俺』に酔っていると、そういう基本的なことは、忘れちゃうんです。
根拠のない自信を持ってる人ほどひどい結果になりがちです。
「自分は天才とまでは言わないけども、周囲の中でまあまあ使える、ほうだし、今は流されてるけど、本気出せば自分で考えて結論出すようなこともできるもんね!」
そんな自信は崩れ去ります。
失った自信を取り戻すのには、より多くの時間が必要です…。ご年配の方ほど、必要な苦労は過酷なものになるでしょう。
その仕事が得意な人、エキスパートに全部お任せする、というのでも。
挫折が無ければ、その間仕事ができた。挫折があるから、周辺分野へ再び手を伸ばすことが、おっくうになった。
例えば、さっきお酒持ってきてくれたの店員さん。カウンターで寂しそうにひとりで飲んでるオジサン。自分のアタマで考えているように見えますか?
たいていの人たちは、流されています。考えが浅いし、近視眼的です。リスク管理の面から見ても、脆弱です。
でも、その人たちって、不幸ですか?
かなり幸せそうじゃない? 自分はすごいという自信のもとに楽しく過ごし、うまくいかなかったことは運が悪かった、また次があるさ、と片付けてポジティブに生きてる。掘り込んだ原因分析なんてしないで、場当たりに生きてる。若者から人生訓を聞かれたら嬉々として語っちゃう、的な幸せさに溢れてるw
偉そうにw 生意気言うやつだなw とその晩は軽くたしなめて別れたけど、
よくよく思い返すといい話ではあった。なんだか、ずっと温めていた感もあるし。
俺は今まで、自分のアタマで考えてきた。それを誇りにしていたというほどではないけど、出来る限り自分でやってみる、が俺のモットーだった。
けれども、それで、何が残っただろうか。
すり減ったり、焦ったり、自己嫌悪に陥ったり。紆余曲折を経て、何が残ったのか。
ひょっとすると、俺は自分の人生の将来や、手に入れられる幸福や可能性から、目を逸らしていたかっただけなんじゃないか。
実感を求めて効率を犠牲にする。それで誰かの足を引っ張る。あるいは、身の程をわきまえて、歯車として、自分に与えられた役割を果たす。その分岐路で立ち尽くしている。アタマで考えても前に進めない。思考停止すれば進める。『結果』を手に入れる。上手く行けば成功できるかもしれない。彼女のように。慣性は惰性だ。だから、プライドは捨てる。直感は捨てる。生き方を変える。
(以上。なんかディティール盛り過ぎてる感があるけど、部下の言いたかった、本筋のところは外していない?)
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後書き:
id:uxlayman さんの元エントリ、分析エントリです。
俺の考えでは、元となるアイデアが良ければ、読みやすくするためにストーリーを与えて、読んでて途中で躓かないように、注意深く、入念に推敲すれば、ある程度伸びます(俺はこの文章の推敲に6時間かけました。ヒマスギシヌ)。
コアとなるアイデアはなんでもいいわけではないようです。というのも、同じようなストーリーで同じような語り口の記事を過去に書いたことがあるんですけど、そっちは全然伸びませんでした。
追記 (7/30 1:35時点):
頂いたコメントより
文章の練習として短くしてみた。内容についてはそれほど同意できないけど。
今話題になっている、これらの記事
当事者意識だの危機感だのはもうバズワードになってしまっている。どうしたら当事者意識や危機感を持てるようになるのかの答えにはなっていない。なので、もう少し具体的に考えてみたい。
まずは、「当事者」を
と言えるだろう。では、なぜ避けるのか。
と考えられる。
この防衛機構は、人間にとって必要なものである。なぜなら、社会の要求には際限がない。対して人間には必ず限界がある。限界を超えてしまわないために備わっている心のブレーキがこの機構なのだ。
そのブレーキが、過敏過ぎると引きこもり方面に進んでしまい、逆にゆる過ぎるといつかバーンアウトしてしまう。多くの人は、自己評価や、時間、報酬、仕事観などの様々な要因にもとづいてバランスを調整してるのだろう。
そう考えると、いわゆる意識高い系は、自己評価や自己実現欲求が高く、防衛機構を働かせずに済んでいるのかもしれない。そういう人たちがそうでない人たちに意識が低いと叫んだところで、圧迫にしかならないのではないだろうか。動かない人を動かすには悪手と思える。
では、どうすればいいかだ。要は、活動開始初期に防衛機構のトリガを刺激しないようにすればいい。例えば、
どういうやり方にせよ、ある程度動き始めてしまえば、あとは慣性がついてそれなりに本気になれるんじゃないでしょうか。
まあこんな感じで、言葉に具体性を持たせるところから始めると、なんかいかにも問題解決法っぽいものがでっちあげられます。社会人になると、弁法や修辞も必要だけど「結局どうすればいいのか」という回答が大事になので、そんなことを心の片隅に学生の皆さんは就活を頑張って欲しいです。
http://syuraw.hatenablog.com/entry/2013/12/05/183752
とか
本気になれない人に足りないのは「当事者意識」ともう一つ。「危機感」。
http://programming-10000.hatenadiary.jp/entry/20131208/1386428823
にブコメした者だけど、今日は嫁と娘が仲良くお出かけして時間が出来たので、ブログ持ってないから増田使って反応してみる。
当事者意識だの危機感だのいろいろ言われてるけど、これもうバズワードとして機能しちゃっててるから
「結局どうしたら当事者意識とか危機感とか出せるようになるの?」っていうことには何の役にも立たってないよね。
なので、とりあえずカギカッコ付きに逃げがちな言葉の中身を、こちらで勝手に詰めていこうと思う。
・ある仕事について、社会から要求されている自分の役割を過不足なく把握しようとしている人のこと。
・要求された役割を把握できない、または把握を避けている人
というくらいに言えるかな。
なぜ避けるのか。これもどういじってもいいんだけど、
・自分の能力・経験を過度に超える要求に対して、無意識の心理的防衛が働くから
ということにしてみよう(適当)。
つまり未知の問題を他人事カテゴリに位置づけることで精神の安定保っているということにする。
というのは、社会の要求というのは際限がないので、どれだけ要求に応えても、もう一段レベルの高い要求が出てくるものだ。
だから、そもそも当事者意識はそれを完璧に発揮すること自体が不可能、かならずどこかに限界がある。
その限界を超えてしまわないために備わっている心のブレーキがこの機構なのだ。
このブレーキの利き方というのは、あんまり過敏だと引きこもり方面に進んじゃうし、逆にゆる過ぎて突っ走り続けるといつかバーンアウトしちゃう。
そのあたりは、経験に基づく自己評価とか、能力に対する自覚とか、猶予時間、報酬、仕事観等々の内的外的要因で、各人バランスを調整してる。
なんか書いてるうちにそんな気がしてきた。うん、そうに違いない。
この説に従えば、いわゆる意識高い学生とかは、自己評価とか自己実現欲求が高くて、防衛機構を働かせずに済んでいるという感じかな。
そういう人たちがそうでない人たちにナントカ意識やカントカ感が足りんと叫んだところで、それは結局圧迫にしかならないんじゃないか。
全く効果がないとはいわんが、動かない人を動かすには悪手だよね。
じゃあどうすればいいかだけど、
要は活動開始初期に防衛機構のトリガを刺激しないようにすればいいわけなので、例えば
・自分にとって無理なく把握・処理できるレベルに仕事を分割・整列して(orしてもらって)、その決めた手順に従って半機械的にこなしていく。
とか。注意点は、細部に入り込んで全体の目的を見失いがちなこと、不測の事態への柔軟性がなくなること。
もしくは
・プライドや恐怖心を利用し、なんとしても成果を出さざるを得ない状況に自分を追い込む。
・就活関係以外の情報をシャットアウトして一切入ってこない環境にする
他人事以外の情報が入ってこなければ、他人事にしようがなくなるので防衛も何もないという自己洗脳方式。
どういうやり方にせよ、ある程度動き始めちゃえば、あとは慣性がついてそれなりに本気になれるんじゃないでしょうか。
まあこんな感じで、言葉に具体性を持たせるところから始めると、
わかります。私も断るのヘタクソだし、断ることにすごくストレスを感じるので。
私も元増田さんのように、もうどうにも我慢ならない!!という時は「今日は自分だけのための日」というのを設けて、誰のためにも何もしません。
もしこうやって時々ガス抜きすることでこれからもやっていけそうだと思うなら、旦那さんにそう宣言して、気が済むまで好きなことだけされると良いと思います。何も言わないでただ失踪?してしまうと旦那さんが心配されるでしょうから、せめて行き先と、帰宅予定を伝えておいたほうが良いと思います。
もし、根本的に解決したいと思うのであれば、残念ながら(あなたや私が「断ることができない」自分を変えることがとても難しいのと同じように)旦那さんは一朝一夕には変わらないので、断ることであなたが背負うことになるストレスと、ハイハイとやってあげることであなたが背負うことになるストレス、どっちがましか、という選択をすることになると思います。あなたの精神状態が限界であることを旦那さんに伝え(たぶん、あなたが多大なるストレスを受けていること、旦那さんは想像もしていないような気がします)、何ができて何ができないか明確に伝えることをおすすめします。もし、平日の夜に疲れて帰宅してご飯を作るのがいやだ(そして作り置きをするのもいやだ)と思うのでしたら、1) 旦那さんに作ってもらう 2) 旦那さんに買ってきてもらう 3) あなたが何か買って帰るのいずれか、もしくはこれらの組み合わせを駆使して、あなたのストレスを最小化すればいいように思います。そして、その状態を「ふたりにとっての当たり前のこと」と既成事実化してしまいましょう。現状では、「あなたがひとりでなんとかすること」が旦那さんにとって当たり前になってしまっているので、これを変えましょう。現状の慣性力は絶大なので、「現状を変えようとすること」は最初のうちはお互いにストレスや苦痛を感じるかもしれませんが、しんどいのは慣れてしまうまでだ、と割り切ればよいのではないでしょうか。
もし、これを試してみた結果、「やっぱり、我慢してでも自分が全部つくったほうがましだ」と思うのであれば、「自分の選択の結果として、自分が全部つくる」状態をまた選択しなおせばよいのだと思います。旦那さんにやらされていると思うから不満に思うのであって、自分の意思で選択して、自分が全部つくるのだ。と思えるようになれば、少なくとも今よりはストレスが少なくなるのでは…と期待します。
うちも状況は似たようなものですが、「旦那のつくる食事は口にあわない。だったら自分の口に合うものを自分で作ろう」と思うようにしています。もちろん、作りたくないときはすぐ食べられるものを買って帰りますし、旦那に買ってきてもらうこともしばしばです。それすらも面倒なときはふたりで一緒にでかけたり、また、時々は女友達と外食したりもします。そうやって時々は自分で自分を甘やかしつつ、自分(と旦那さん)にとって快適な状態が作り出せるといいですね。
低い所に重いものを持ってる状態と
高い所に重いものを持ってる状態
違いは高さで、高い所にあるものが旋回する時に発生する横向きの慣性が発生して
支えている下向きの力を横向きの力が上回ると倒れちゃうんだな
高さと言うより長さが原因なのかね
吸いたくなったら問答無用でモンスターエナジーかその姉妹品であるモンスターカオスを飲み干すと、
独特の満足感と落ち着きが得られて、どうにか我慢できるようになります。
そしてビックリするぐらいあっさりと禁煙に成功出来ます。アレはマジで効果があるのでオススメ。
ニコチンの代替としてカフェインを摂取するという禁煙方法は以前からあるようだが、
お茶系ではカフェインが薄く、コーヒーを飲むと習慣性で一服したくなってしまい逆効果になる場合すらある。
そこへいくとモンスター系はカフェインが濃く、煙草とともに飲む習慣のある人もいないであろうから安心です。
欠点としては
2.カフェイン中毒になる
といった事が挙げられるので、そこんとこだけは注意だ。
iPhoneとAndroidでアプリを同時に出したいとか、既にiPhoneアプリはリリースしているので
Android版をつくりたいんです、みたいな話は往々にしてあります。
そんな時、必ず要望として上がるのが、iPhoneとAndroidのアプリを同じ動きにして欲しいというもの。
あれっ、これiPhoneではこうやって動くけど、Androidのアプリの動き違うくない?みたいな。
でもね。
いつも思うんですけど、iPhoneアプリとAndroidアプリで同じ動きじゃないといけない理由ってなんですか?
インターフェースを合わせるため?
でもさ、そもそもデバイス自体が違うし、備わってるキーも違うし、OSも違う。
いちいち同じにする必要あるの?
どういう事態を想定してるんですか。
iPhoneとAndroidどちらも持っているユーザーが両方でアプリを使う場合に迷わないため?
それともiPhoneで使ってたユーザーがAndroidに移行した時に、使い方に迷わないため?
そんなユーザー全体の何%よって話なんですよ。
当然、アプリはただ利用者のためだけではなくて、会社の看板的意味合いもあるので、
つらは合わせる必要はありますよ。てんでばらばらってのもおかしいですしね。そんなんは
わかってますよ。
でも、iPhoneにあるような慣性移動がされないだとか、細かい動きがどうだとかそんなんまで
ものによってはさ、iPhoneアプリに合わせるために、Androidのメニューキーを殺したり
Backキーを殺したりしてるやつまであるけど、それってユーザービリティ下げる行為以外のなんでもないでしょ。
デバイスもOSも作りも解像度も何もかも違うんだから、無理やり同じものにする必要なんてないんです。
iPhoneにはiPhoneの特性があるし、Androidにも特性があるし、それぞれの特性に合わせたインターフェースに
したほうが使いやすいでしょうが。統一性はデバイス間で持たせるものじゃないでしょ。
なんかもう、頭っから、アプリの動きは同じであるべきみたいな考え方なんでしょうね。
固定概念としてそう思ってるので、俺正しい事言ってるでしょ?何がおかしいのってもんなんですよほんと。
現状の線引きがおかしいんだよね
だから大麻に賛成反対にかかわらず大麻反対論者のタバコ容認が鼻につく
タバコは習慣性や健康への影響考えるともっとドラッグに近い線引きにあると思うし
タバコでもうかってるもろもろの事情考えるとそうそうそういう立場とれないんだろうけど
飲酒文化は動物としても長いからアルコール分解酵素も備わってるわけだし
その機能の範囲を超えない飲酒をもっと科学的にコントロールできないのかなと思う
個人での酒類の購入の記録を追跡するようなシステムでもいいかもしれない
妊娠授乳中や分解能力のない人が飲酒を強要されないような認知ももっと必要かな
酒禁止!で吉牛にたっぷり入ってるワインやブランデーケーキや石狩鍋やみりんがなくなっても困る
完全に単純に酒禁止としてしまうのは問題が多い気がする
単なる備忘録。自分のblogに書いてもいいんだけど、仕事しろって話になるのが嫌なのでこちらに(っても会ったら日焼けしているのでまるわかりだが
素潜りはやってて、ダイビングを知らない人用。
機材とかの話は教科書に書いてあるとおりなので省略。なんもかんも違うんだけど、もっとも違うのは運動原理。一部の人にだけ通じる例え方でいくと、素潜りの運動原理は航空機で、ダイビングは(そのまんまだけど)潜水艦。
素潜りをしているときは推力で水流に対する揚力(厳密にあってるか知らん)を得て、体のひねりとかで行き先をコントロールする(少なくとも自分は)。そのために、素潜り中はあまり動きをやめることはしない(だいたいの場合止まったら浮いちゃうか沈んじゃうか)。例えば水中で何か観察するときは、観察後離脱する方向を何らかの形で考えておかないと観察対象にぶつかったりする(珊瑚を傷つけないようにしましょう!)。プラス浮力の場合は倒立に近い形でバランスをとって、上方向に離脱するし、そうでないときは横方向にアプローチして観察するのが楽。まぁ、手を使えるところなら手を使ってもいいんだけど。逆に、流れている場所で流れに乗って対象にアプローチしようとしても、流れに乗った状態では揚力が発生しないため、難しい。
ダイビングは潜水艦。浮き袋は自分の肺。呼吸を一定ペースでやったとすると、肺の容量はノコギリ波に近いものになる。肺活量が0ccから3000ccまであったとして、苦しくないための呼吸には1000ccのガス交換が必要だったとする。このとき、肺活量でいうところの0cc~1000ccの範囲で呼吸するか、2000cc~3000ccの範囲で呼吸するかで浮力がかなり変わってくる((もちろん、交換速度はガスの濃度に依存するので、こんな単純ではないはずだけど))。具体的には水の比重は有効桁数2ケタと思えば1g/ccでいいので、このモデルではそれぞれの中点の2500-500=2kg分の遊びが浮力にできることになる。この遊び部分をコントロールして浮上したり沈降したりするのがダイビングの移動方法のその1のようだ。もちろんその2はフィンキックだけど、水平移動にしか使わないのが正解。垂直移動に使うと息を使ってしまうので、もったいない、と。
ちなみに、急いで浮きたいからって肺に空気を入れて止めるのは厳禁。死ぬぞ。
(↑次回自分がやりかねないので警告)
また、素潜りの時は姿勢変更に素直に揚力がついてくるので、コントロールの時定数が小さい(あるいは、自分の慣性に対する最大出力が大きい)。一方、ダイビングの場合は慣性に対して出力の範囲が小さいので(BCDを全開にするという反則技を除けば)時定数が大きくなり、早め早めのコントロールが必要になる。このコントロールがへちょいと、僕みたいに上がったり下がったり一定しない人になるわけです。
http://anond.hatelabo.jp/20090713004520
の具体例として書いてみる。
都内を走るのに、ロードよりのクロスがいいなと思って、さあ買いにいこうと思ってもやっぱり悩む悩む。
ので、いくつかよさげ、もしくは5万円付近で定番のものをリストアップしてみた。
ただ、言えることはどんなに悩んでも買ってから乗ってみるとめっちゃ楽しい。なのでこの中でもそうじゃなくてもいいけれど、なんでも買ってみるのをおすすめ。
http://bizmakoto.jp/bizid/articles/1101/20/news001.html
そもそも教育コンサルが自分の本を売るための広告記事だって点はおいといて。
まずまず出来るってレベルの社員の場合、そこそここなすのを前提に現状維持を目指すか、
ジョブホップすること前提でモリモリ頑張るか、よほど恵まれた労働環境にいるのでもなければ
どっちかしかないだろ。組織を動かす巨大な慣性を、一社員がどうにかできるわけもなし。
あと、日航の解雇反対訴訟辺りを引き金に解雇規制が緩和されたら、成果の出ないダメ社員も
ソリティア社員もモリモリ首切られるだろう。そしてミドルクラス以下の労働力はダンピングされ、
現状維持するだけでも必死でスキルアップしなきゃ転落してくだけだろうし。
言い換えれば、思考を他者に任せる、委ねることの危険性。
こういう習慣があると大変なことになる。
心ない中傷や罵倒をされたとしてもそれぐらいは承知の上であろう。
ちょっとネットに慣れていればそれぐらいは予想できるし、ある程度耐性もできていたりする。
問題なのは、そういう、例えばこの増田
http://anond.hatelabo.jp/20100922191511
こういう問題について増田に書き連ね自分の頭で考えることを放棄していると、そういうことを習慣的にやっていると
次第に、何か解決すべき問題が浮かんできたとき 自分の頭で考えることができなくなるのだ。
面倒くさいからすぐに助けを求めてしまうようになるのではなく、それが苦手になるのではなく
大事なことだから二回言うが、本当に考えることができなくなるのだ。
"考えないという行動をとるということは、また一つ考えないという習慣化を助力すること"
なのだ。 基本的に習慣というものは、物理学でいう慣性、惰性のようなものだと思ってもらって構わない。
さて、
>問題解決(英語:problem solving)とは、問題を解決する、すなわち解を発見することであり、思考の一部分である。
>すべての知的な機能の中で最も複雑な思考であり、高次元の要求の認識と定義されている。
>それには、より筋道の立った手順及び基礎的な知識の操作、調節が必要となる (Goldstein & Levin, 1987)。
問題の本質はなにで、その問題の解決策をMECEに洗い出し、評価をし判断をし実際にどう動くかを決めるという一連の作業をしっかりできている人は
意外と少ないのである。欧米などに比べ、比較的日本人は論理的思考を重視しないので 現状において日本人はそういった問題解決能力は平均して、決して高いとは言えない。
逆を言えばそれができるだけで日本人の中では相当の強み、アドバンテージになることは私が保障する(本来、資源で勝負できない日本がこんなことでは駄目なのだが)
(最近やたらロジカルシンキングだクリティカルなんだのが重要だの喧伝されるが、その試みに比して問題解決全般における平均的な能力はさして向上していない。体質的に受け入れがたいのだろうか?)
結局、何をするにしても"問題解決能力"がものをいう。それの向上や、駆使することを
(あの増田を槍玉に挙げるが、あの文章では普段からろくに物を考えてなさそうだ)
放棄し、比較的難易度の高い生き方とされる 「働かずに生きる」という目標を実現させようとするその愚。
まずはそこを指摘するべきであろう。 あれに回答しているトラバもブクマコメも全員バカ。衆愚。 上から目線で人にものを教えるなんて勘違いも甚だしい。
これでは梅田などにその知的水準の低さを指摘されても仕方がない。バカなものはバカなのだ。
一連の情報連鎖が目も当てられないことになっていたので、気まぐれにまた一つ鎖を繋いでおいた(=リンク=連鎖)
バカの中にも見込みのあるバカが一定数いるものだ。
願わくは、そういう一定数いるバカが、それから脱却できることを。
老子「授人以魚 不如授人以漁」
【追記】
トラバやブコメに救いようのないバカが散見されたので、各自反面教師とするように。
>増田はロジックは読めても人の心は読めない子なんだなぁ。理屈で解決する問題じゃないじゃんw
まず、この増田は"働かずに生きることはできますか"と命題を投げかけている。
命題とは真偽の判定が可能、かつ真か偽である条件(必要条件)などについて論じること、かつ
パターンをMECEに洗い出すことは十分に可能なのである。人間には本来そういう力が備わっている。
まずそういう根本的なところを突き詰めないで、思考を放棄し、"できますか"と尋ねるバカな増田
下手に出たことをいいことに、現実世界で、社会的に蔑にされ、重要人物たりえないバカな俺でも上から目線に、偉そうに意見を述べられるぞ!チャンスだ!
とここぞとばかりに ノイズをまきちらすバカどもが。
不確定要素はあれど、思考し尽した痕跡が情報連鎖の中に何一つない。私はそこを衝いている。
バカは人の主張さえも理解できないのか。そんな調子でよく今まで平気で生きてこれたな。
バカは自分がバカであることすらもわからないほどバカらしいが
ここまで親切に書いてもわからないかな? 下手な言い逃れに躍起になるより素直に自らのバカさ加減と
向き合った方が、今後の人生において利口だと思えるのだけれど(まずバカはデメリットだらけ。そのままでいる理由がない)
まあ勇気のいることなので、ゆっくりでいいよ。ゆっくりしすぎたらバカのまま死ぬかもしんないけどね。
根本的なところを突き詰めないで枝葉末節をつっつくのはバカのやること。
あるいは雑談ならその程度で良い。しかし目的は雑談か? "雑談をしている"、のではなく"雑談しかできない"無能しかいないのではないか?
見るからにそれはそう。 普段から頭を使っている人間は、ある程度の問題解決能力がある人間がわずかながらも情報を連鎖させているのであれば
ああいった様相を呈すことは、まずない。
ああいったやり取りで"何か有意義なことをしたような気に"なる奴らっているんだろうなあ。
そういう奴らは働かずに満足して生きることも成功することも到底覚束ないであろう。
構造的に無理なのだ。なぜ無理なのか。それはこの世が、社会がろくに思考をしないバカどもにとって都合の悪い構造、仕組みになっているからだ。
というより、そういった都合の悪い要素を集めた存在を"バカ"と呼ぶのかもしれない。
(あと、トラバやブコメにいる俺に刃向うような、楯突いている人間は全員バカ。的外れ。ちょっと指摘すれば次の瞬間にはもう全く何も言い返せなくなるような脆弱な意見。
もう何も言わない。わかる人にはわかる。 "ああ、バカが湧いてるな" と。 これ以上失望させないでおくれよ)
はてなが普段頭しか使ってないだけで頭が良いと勘違いしているだけの、ただのバカによって形成されたコミュニティでしかないことを願いたいところ。
バカはノイズをまきちらすだけだから邪魔。ゴミクズ。ウイルス。一掃されろ。ネットで何かを発信するな。テレビみたいに受信だけして満足しとけボケが
老子「知者不言、言者不知」
http://kanasoku.blog82.fc2.com/blog-entry-11017.html
要約すると出そうになったら射精の速度より加速すると出ないから、半永久的に性的満足が得られる。と>>1が提唱する
興味深い。そしてこの記事に対してコメントにて
名前:ななしカナ? ◆- 投稿日:2009/08/08(土) 22:29:45
慣性の法則があるんだからちんちんの方向へ射精の速度以上で移動するのではなくて、常に射精の速度以上に「加速し続け」ないと意味ないんじゃないか
とのコメントが。同じことを思った。
そして自分だったら、円形の部屋があってそれが中点を中心にまわる装置を作る。それで遠心力をかけて中点に向かって(向けて)射精すればいいんじゃないかと考えた。
遊園地のコーヒーカップを回しまくってテーブルに向けて射精するような感じ。
理系のことはよくわからないけど、遠心力で外に向けられるから出ない。
だからこちらのほうが現実的だと思う。
ぶっちゃけた話、発ガン性の強いニコチンが、強い習慣性のある麻薬であるにも関わらず「専売」されてきた理由って、
1 作業低下しない。(国のGDP下がらない)
だからでしょ。
政府にしたら、「お前ら(煙草吸って)働くだけ働いて、オッ死ね」って薬でしょ。年金丸儲け。
それが今、禁煙の流れになってるのは、医療の発達でなかなか死ななくなったからでしょ。
だから、
「ついでに毒性強化して、高齢化社会対策にするとか。」
は有り得ても、
は有り得んでしょ。作業低下するから。
オランダで合法化したのは、大麻を合法にすることによる作業低下のデメリットの方が、より悪性な非合法薬物の蔓延による治安悪化のデメリットよりまだマシだったからでしょ。日本がそこまでいくかなー。