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はてなキーワード: 慣性とは

2016-07-03

[]千夜一夜うんちの旅 マスダサバコリー:death6coin作

 核融合エンジンの噴射は艦橋区画重力微妙に変化させつづけていた。

新米航宙士なら尻ではなく口から食べた物を出してしまいである。

 しかし、宇宙空間の長距離輸送になれた乗組員たちの大腸はいたって快調。

キャプテンは?」

トイレでうんうん唸っていましたよ」

 航法士の質問に、機関士が答えた。ちょうどトイレからキャプテンが出てくる。

「ふーっ、手強いうんこであった。さすがは我が輩のうんこダイアモンド並だな」

ちょっと、配管をつまらせないでくださいよ」

「フフッ」

「いや、否定してくださいよ……」

艦長だけに浣腸必要、なんちって」

 ゴゴン

 絶対零度の衝撃に、ひときわ大きく加速度が変化して、機関士は顔色を変えた。

「本当に不調だ」

 宇宙船核融合エンジン反動推進のために、核融合反応でうまれヘリウムや未反応の水素にくわえて、

徹底的に脱水したうんこや廃グリスなども合わせて後方に「蹴っ飛ばして」いた。

 通常なら超高温を浴びてバラバラになるところだが、幸運うんこエンジンの不調によって

形状をたもち、宇宙船慣性に乗って高速で飛び出した。

艦長ダイアモンドうんこに含まれ微生物たちは真空と極低温によってフリーズドライにされ、

文字通り天文学的時間宇宙空間で過ごした。

 やがてある惑星の引力に運良く捕まったうんこはその地表に落ちていった。

おならのように臭い大気を横切って、おしっこみたいな水たまりに池ぽちゃした元うんこの中の微生物は永い休眠から目覚め、活動を再開した。

うんこうんこー」

 だが、すでに多くのうんこ仲間が息絶え、真空や低温、放射線に強いエリートうんこ細菌けが生き残っていた。

殻となる物質を周囲に生成させた賢いエスカルゴなうんこ細菌もいた。

 未知の土地で彼らの箱船がもっていた栄養源はあっという間に尽きてしまう。

別の新しいうんこを求める細菌たちの冒険がいまはじまる。

2016-06-16

イケダハヤトゴミクズ記事ではなく孫泰蔵さんの話読もう

あえてブクマしにくいようにゴミクズタイトルつけてやる。

オープンネットイケハヤのような、SEOが小器用なだけの頭の薄っぺら人間たちがうっほうっほやってる世界になりつつあるよな。

https://www.facebook.com/taizoson/posts/10153788960804492?pnref=story

僕には経営者としてかねてからの疑問がある。ほんとは違うと思いたいので、誰か下記の僕の意見反論してくれませんか。

 

かつて世界を席巻した日本の電機メーカー、先日取締役会で揉めたコンビニの最大手、安くて高品質市場を席巻したカジュアル衣料メーカーテレビショッピングいちばん有名な会社プロ経営者を雇ったがクビにした教育産業の最大手、そして通信などで成長した日本で最も有名なIT起業家会社など、最近後継者についての話題がすごく多い。

事業を大きくした創業者は、会社の成長もさることながら後継問題いちばんむずかしい、とよくおっしゃる。「企業は存続してこそ社会に貢献できるのだから、100年続く会社になるように企業文化を創っていきたい」と皆さん口をそろえる。中には徳川幕府だって300年続いたのだから、うちも300年だと言う方もおられる。誰とは言わないが(笑)

 

 

なんで?

なぜ存続してこそ社会に貢献できる(=存続しないと社会に大きく長く貢献できたと言えない)、と言えるのだろうか。

存続はしていてもたいして貢献してないことだってある。「売上は社会に貢献して顧客からもらえた対価なのだから、売上が伸びてるあいだは立派に貢献してる証拠じゃないか」「雇用を生み出し続けてるのだからそれだけでも貢献しているじゃないか」などの声を聞くのだが、それはその会社がなくなって別の新しい会社がそれを担ってもいいわけで、「存続してこそ社会に貢献できる」というテーゼを論証したことにはならないと思う。

まり、存続することと、社会に貢献することとは関係があまりないと僕は思うのだ。それどころか、長く続いている大企業は、分業と縦割りとルールの細分化が進んで制度疲労を起こし、「自己疎外(=働けば働くほど、自分でやっていることが自分のものと感じられなくなっていくこと)」を生み出しているようにしか僕には見えない。

スタートアップ原理主義者の僕には(笑)必要以上に大きくなりすぎた企業は「自己疎外製造装置」にしか見えないのだ。だからといって共産主義に近い社会主義を礼賛しているわけではもちろんない。ほんとはいろいろ考えているのだが、この文脈においては、単に「アンチ大企業主義」と分類されても僕は全然差し支えはない。

昔であれば、大資本・大組織でないとできない大きな仕事存在しただろう。しかしこれから時代には大企業アドバンテージというのは実はあまり個人的には「ほとんど」)ないと言っても過言ではないと思っている。

そしてそれは、人工知能ロボットの発達によって、愕然たる事実として現在よりもさらに鮮明にあぶり出されるはずだ。

僕はそのように思っているのだが、僕が違う(それとこれとは関係ない)と思っている、

 

企業は成長し続けて大企業となり、そして長期間存続し続けることこそが社会に大きく貢献することなのだ」

 

ということを誰か力強く理論づけてもらえませんか。


http://www.tez.com/blog/archives/post5052.html

スタートアップがより大きな力を得てより急速に成長するためにも、より大きく、より長い繁栄をして、企業価値を大きくすることを目指すことが必要だと考えられますし、その場合繁栄の鍵は、いかに「情報処理ハブ」の地位を確保し続けるか、ということに集約されると思います

から企業がより大きく、より長い繁栄を目指すことは、否定されるべきではないと思います。もちろん単なるステークホルダー思考停止ではなく、他の(「信用」を担保する)理由があるからこそ、大企業として長期間存続し続けるわけですし、社会に大きな影響を与える企業として長期間存続し続けようという意志のないところに大きな企業価値が生まれることは無いはずです。




孫 泰蔵 「信用資本論」とでもいうべきとても示唆に富む論説ですね。

まず、信用という機能本質が「思考停止」だからこそ信用は一定の「慣性」を持つ、というのにハッとさせられました。経営者もそこに働く従業員も、会社を長期的に存続させるのが是、というところで思考停止してるなといつも思ってたのですが、それは外部からの信用という思考停止ともリンクしているのだということに気づきました。

また、長期的に存続しうる形態としては「メタ」な存在しかないだろうと私も考えていました。しかし、その際に長期的に「メタ」として存在しうる価値アイデンティティーってなんなんだろうなあと思うのです。資金であればVCなどでも十分提供できるわけで、スタートアップが嗜好する資金以上のなにかを持ってないといけないわけですが、それはなんなのだろうとずっと考えています。そこも「信用」なのかなあ。

そして、「大企業が自らの存続をあきらめることではなく、既存の『信用』に新たな『信用』がぶつかって倒そうとすること」が「古い組織の制度疲労を打ち壊し社会全体を活性化させるのだ」というのはまったく同意です。

しかし、現在日本では挑戦者がまだまだ全然少ない状況です。この状況を打破したいのですが、能力的に優秀な人が、挑戦者になって打倒するのではなく、むしろ後継者になりたがろうとする人が多いこの状況(例えば、兄がやってる「アカデミア」という後継者育成機関にすごい優秀な人がいっぱい来てるんです!あんたたちは孫正義後継者なんかじゃなくて起業家を目指さんかい!と心のなかでいつも苦々しく思ってるんですよね(笑))をどうやったら打破できるのかなあと思案しています

既存の信用にぶつかって倒した新たな信用の成功事例をつくるしかないですよね・・・そっか、俺が頑張ればいいのか。頑張ります



孫 泰蔵 ありがとうございます

そして「そこも信用」なんだと思います

話がややこしくなるので本文には入れなかったのですが、日本では米国VCは全部が全部イケてると思われがちですが、実は逆にファンドのうち上場株式indexをアウトパフォームするものわずかで、9割前後indexを下回っています。つまり米国はいえ、ほとんどのVCファンドは「上場index投信を買った方がマシだった」ということになってますしか米国の上位5%のファンドは常に高いパフォーマンスを上げています

リスクの高いベンチャー投資でなぜ長期にコンスタントに高い成果が上げられるのかという理由は、まさにVCが行うべきことの本質が「信用の供与」だからじゃないでしょうか。例えば「セコイア投資したベンチャー」は(もちろん背後に技術トレンド調査やきちっとしたDDがあることに加えて)「セコイア投資してるんだからイケてるんだろう」という期待が働くからこそ、いい経営陣やいい従業員が集まり、いい投資家が付き、いい取引先やいい顧客が付くので、結果として本当にいい会社になってしまうという「予言自己成就」が発生しているのではないかと思います

ポートフォリオで多数のベンチャー分散投資すると、仮に失敗したベンチャー成功したベンチャーをならしてポートフォリオ全体として利益が出たとしても、必ずしも「あのVC投資したベンチャーイケてる」という期待は働きません。「投資したベンチャーを全社必ず成功させるぞ」という長年の努力をすると、そうしたミダスタッチ(「魔法」)が使えるようになるんじゃないかなと思います

ベンチャー先進であるがゆえに、単独でポツンと存在しても、それがいいものか悪いものか、一般の人にはわかりません。「世の中で最も大きな情報の非対称性が発生するもの」だと言えます。だからこそ、そういう「信用」を供与する投資家が増えることこそが、現状を打破する大きな力になると思います





亀山 敬司 俺も「会社を続けるために稼ごうぜ!」と言ってるけど、社会貢献とは関係ない。会社が続いて大きくなると俺が楽しいからやってる。だから「辞めたあとは俺のこと忘れていいか勝手に楽しめよ」と社員には言ってる。会社なんてただの人の集まりだし、くっ付こうが分裂しようが、べつにDMM名前が残らなくてもいっこうに構わない。

300年続けたいとか言ってるやつは、何を続けたいと言ってるのかわかんないけど、ピラミッドでも残したいんじゃない?亡霊の自己満足だね。

昔は「社員未来雇用をどうやって守る」とか思い悩んでいたが、「過保護で要らぬお世話だな、いい歳の大人自分で考えな」になってきた。とりあえず後継者は立てるだろうが、そこからは別の会社から残りたいか自分で決めなって感じ。

大企業が長く続くのは、良し悪しで言えばちょっと悪し。ゆとりが有り過ぎると頭が悪くなるし、いい気になっちゃうし、内戦に明け暮れる。良い点は、まずしいスタートアップが時々見上げながら「俺もいつかあの大きなビルに入って、きれいなおねえちゃんを秘書にするんだ」と俗っぽい夢を見させてくれる。

悪い部分が大きくなれば勝手に自滅するので、自然に任せといても大丈夫

そもそも社会貢献も基本はやっぱり自己満足だね。経済成長や新しいテクノロジー社会幸せにするとも限らないんだし、自分たち活動が徳か悪徳かもよくわからん。でも、こんなふうにいろいろ考えるのは、自分だけのことを考えた自己満より、マシな自己満だよね〜!

2016-02-05

往復ビンタ

往復ビンタってリアルで見たことある??

どんなんだろうと思って自分で試してみたら中々面白い

普通ビンタって表面的な攻撃(鞭打みたいな。蝶野みたいなパワー系はまた別)だと思うんだけど、往復時は手の甲でビンタするから打撃になる。

しかも、受ける側の顔は最初ビンタ慣性が付いていて、それを打ち消す形で手の甲ビンタから何だか心が打ち砕かれるようなずっしりとした重みがくる。


相手の心を打ち砕きたい時にオススメ

2016-01-31

3速で登った峠は3速で下る

と、車学で習った。

慣性で積荷が崩れると悪いので、右左折時、カーブを曲がるときクラッチを必ずつなげとトラック親方から教わった。

動力がつながっていない状態の車は、物理的にコントロールが難しいのだ。

関東平野から長野県側に登ると、長野県側の標高が高いので、峠の頂上から軽井沢市街下りるまでの標高差は90mしかない。距離にして1km。

平均勾配9%くらいか。

    入山峠1031m
軽  __/\
井      \
沢941m     \
         \
          \___横川381m

なので、いきなりスピードを上げるために4速や5速に入れるものなのか不思議だ。

ピーク付近下り始めたときに4速に入れてしまものなのかな。

入山峠から1kmほどで下り終わるので、それから加速を始めても遅くない。

クラッチを切って、ギアニュートラルにした状態で、時速60kmから9%の勾配を下ったことがないので、なんともコメントできない。

危ないので、他の車がいる一般道ではできない。物理が得意な方の計算を待ちたいところだ。

アクセル一種のデッドマンスイッチなので、力を入れて踏み続けないとスイッチがオンにならない構造になっている。

眠たくなるとアクセルを力を入れて踏み続けることができなくなるので、加速し続けることは無理。

やったことがある人はあまりいないと思うけど、

朝3時起きて、深夜割引の高速に間に合うように乗る→6時間かけて目的地に着く→遊ぶ→22時ごろ帰る→0時を過ぎるころ激しく眠たくなる→トンネル入り口が針の穴のように小さく見える→怖くてアクセル踏めない→70km/hも出ない→PAで寝る→夜明け→元気になって走る→帰宅→出社→やられている

みたいなことをすると睡魔で運転が続けられないことがわかる。

まりタイヤエンジンがつながっている状態で、アクセルを離すと徐々にスピードが落ちて、最後エンストして停まる。普通エンストする前にクラッチを切って、エンストしないようにしている。

個人の旅行荷物の運搬であれば、もうダメというときに寝れるというところが、深夜夜行バスの運転とは大きく違うところなんだろうと思う。

ちなみに最近オートマ車は、勝手シフトダウンしてより強くエンブレがかかるようになっている。ブレーキを踏まずに時速5kmくらいまで落ちる。アクセルコントロールでの操縦性がとてもよくなっている。昔のMT車に近い挙動をするようになった。

2015-08-22

現実が夢でないことについての証明

 まず夢の定義から始める。

 夢とは睡眠時に生じる現象である。また、夢についてのその他の定義としては以下の要素が挙げられる。


・特異な現象が生じる(人が生身で空を飛ぶなど)。

・ある種の強烈な慣性力がはたらいており、思考が通常通りにはたらかない(人が生身で空を飛んでいたとしてもそれを不自然と捉えられない場合がある)。


 大まかに言えば以上の二つが夢を構成する最も根本的な要素である

 ここにおいて、以下の実際的事実に関して述べた言説によって、現実が夢でないという結論を導くことができる。


現実においては特異な現象が生じない(反証可能性を満たす事象が起こっていない)。

現実においては思考慣性力が極めて緩やかである


 現実が夢でないことについての論述基本的にはこれで終えることができる。しかし、一部の例外に基づく反論存在しないというわけではない。よって、以下にそのような反論を記す。


統合失調症患者などの事例においては睡眠下ではない現実においても特異な現象が生じる。


 これについて、統合失調症患者定義は以下のものとする。〈自〉を〈他〉と誤謬することがあり、〈他〉を〈自〉と誤謬することがある。つまり、自他の区別が時に曖昧になる人間のことである。このような患者においては、自己の〈想像〉の内部においてのみ起こり得る事象を――つまりは特異な事象を――自身の外部から感じ取ることができる場合がある。これが主な反論の一つである


 この反論については以下の形で論駁する。統合失調症は非可逆的性質を持った病であり、ある段階を過ぎると一定以上の回復が見込めなくなる病ではあるものの、薬剤によって一定コントロールが可能である。先述できていなかったが、これはいわゆる夢における非因果性因果性:ある入力に対し条件さえ一定であれば一定の出力が返る、といった性質)に矛盾している。よって、統合失調症の例を出したところで現実が夢であるという結論を導くことはできない。


 以上で統合失調症の例に基づく反論は反駁し得たものとする。


 しかし、以上の反論以外にも別種の反論存在する。それは以下のようなものである


現実において、ある種の慣性から我々が自由であるということを証明できない


 夢の中においては我々の思考慣性力にさらされており、正常な論理的思考への推進力を得ることが難しいのは自明であるが、かといって現実における我々が正常な論理的思考能力への推進力を常に獲得できているかと言えばそこには単純に肯定できない事情がある。これが第二の反論である

 この第二の反論については以下の形で論駁し得る。因果性(ある条件下の入力においては一定の出力が返るという法則)に基づく反論である


 現実においては、ある条件下の一定入力に対して一定の反応がある場合が多い。換言すれば、ある種の理性的事柄が十分に理性的に示されるならば、その反応も理性的になり得るということである

 例えば完全に理性的な(どんな人間でも納得し得る程に理性的)かつ可読性に富んだ「現実が夢でないことの証明」の論文を読んだ場合に、通常の人間ならばこの証明について納得し得るし、実際のところ納得する。しかし、夢の中においてはこのような納得が生じない場合がある。慣性力の影響である

 しかし、現実においては極度に理性的で極度に可読性に富んだ文章を読みさえすれば、万人に完全で理性的情報を伝達することが可能である。これによって、「現実において、ある種の慣性から我々が自由であるということを証明できない」という反論は、反駁され得る。


 以上の論述によって「現実は夢ではない」という命題証明され得る。Q.E.D.

2015-08-05

わかめ(作業員一人死亡一人やけどで軽傷@8月4日)

核融研によると、火災が起きたのは、高温のプラズマを封じ込める電磁石を冷やすヘリウムを扱う装置

核融合科学研究所では我が国独自アイデアに基づいて、ねじれたドーナツ形状の磁場超伝導の電磁石で作り、これによって超高温のプラズマを閉じ込める研究を行っています(図1)。これが大型ヘリカ装置(LHD)です。

高温プラズマは、そのままで拡散し容器壁などに触れてエネルギーを失ってしまます。 そこでプラズマを高温・高密度の状態で閉じ込めて核融合反応を起こさせるために、磁場を用いる方法と強力なレーザーを利用する方法提案されています磁場閉じ込め方式は、電気を帯びたプラズマ粒子が磁力線に巻き付いて運動するという性質を利用したもので、 磁力線で編んだ籠状の磁気容器内にプラズマを閉じ込める方法です。 この方式にも磁場の形状によりいくつかの種類があり、本研究所で進めているヘリカル型のほかに、トカマク型、ミラー型などがありますレーザー光を利用する方法は、慣性閉じ込め方式と呼ばれ、強力なレーザー重水素三重水素の氷塊(ペレット)に照射して瞬間的に核融合反応を起こそうというものです。

2015-07-31

http://anond.hatelabo.jp/20150731084455

学童」「習慣性便秘」あたりでググると、そこに言及した文章が色々出てくるよ

分かっててもなかなか解決が難しいのだろうね

2015-05-09

品乳が好きだ。

例えば前から女性が走ってくるとする。身体のラインがわかるような比較タイトな服装でだ。

そこで男性諸君ならばすかさず期待の眼差しで身体の一部に目を向けるであろう。

慣性の法則に逆らうことができず足並みからワンテンポ遅れて上下運動する部位、つまりバストにだ。

しかし、わたしはあの一見すると物理法則に逆らうような独立した動きを見せるバストが苦手なのだ

その動きはわたしにとって暴力的であり動物的であり母性的でありながらも生臭すぎるのだ。

そんな訝しげな眼差しを持って向けた視線の先で、揺れていないバストがあった時(いや、なかった時と言うべきか)の安堵感は筆舌に尽くしがたいものがある。

まるで独自の生き物のように揺れる先を予測させない不規則運動を繰り返すわけでもなく、全身の上下運動とほぼ連動する形で規則正しく小さく慣性を思わせる動きはまるで足並みの綺麗に揃った社交ダンスを見ているかのような優雅さを感じさせてくれるのだ。

バストが大きい場合は、乳房と下着との接地面積が大きすぎる。

そのため、胸は全体として揺れることを余儀なくされ、足が地面に設置する角度や左右の強弱の違いなどに影響を受けることで動きの不規則さがより強調されてしまう。

それに比べて品乳と呼べるバスト場合、下着と乳房の接地面は胸を形作るワイヤーやパットの一部に限られるため、乳房の揺れを下着に伝える役割は主に乳頭が担うことになる。

それがまるで免震構造のように機能することで、わずかに見せる乳房の揺れが下着、つまり見た目に伝わってしまうことを防いでいるというわけなのだ

ここで想像してみて欲しい。一生懸命に揺れようとする小さな乳房と、その揺れを外部に伝えないようにと必死上下する乳頭の姿を。

これが愛おしくなくて何を愛でろというのだ!

品乳を語る上でこんなことは数ある魅力のうちの取るに足りないような一つの要素でしかない。

ただ世の女性にはわかってほしいのだ。

走って揺れる乳を見れば男性全てが満足するというわけではないこと。

わたしのように毛嫌う人間もいれば、揺れないことにこそ美学を感じる男性もいるということを。

わたしは願っている。全ての女性が生き生きと走り出せる未来を!

2015-01-16

[豆知識]

高速で移動している電車に外部から物体を持ち込むと慣性で後方に吹っ飛んで超迷惑だよ

良い子はまねしないでね!

2014-12-21

日曜の夜に絶望しないために

日曜も薄暗くなると,時計を見るのが嫌になってくる.

別に月曜が来たら,いつものように朝飯食べて,自転車に乗って会社に行くんだけれど,

どうも日曜の夜だけは,そういう慣性に対して抵抗したくなる.

抵抗したくなると言っても,大したことはしない.

ネットサーフィンして,もしかしたら明日から生活が変わるかもしれないような情報

口を開けてぼんやり探しているだけだし,

人によってはテレビニュースにそういうぼんやりした期待を預けているのかもしれない.

そして寝る直前に,布団の中で一人反省会を開くのだ.

今日ラーメンライス付きで食ってしまったな,とか.

あいつに頼まれ仕事やってなかったな,とか.

田舎の両親に電話しておけば良かったな,とか.

リア充あいつは,今日もどこかにドライブに行ったんだろうな,とか.

カーテンはわざと少し開けて,街の光が入るようにしているのは,絶望を紛らわすためだと思う.

この土日はひたすらぐうたらに過ごしていたくせに,夜中の反省会だけは一人前で.

また来週に土日がきても同じように,夜中反省するためにだらだらした休日を過ごすのだろう.


てなことをどうにかやめたいんだけど,はてな民の皆様! 良いアイディアはないだろうか?

今のところ,日曜であってもしっかりと日常を過ごすことが大事かなと思っている.

日曜だから怠惰な非日常をすごすからカジュアル絶望を感じているんだろう.


■日曜の夜に絶望しないために

生活周り>

洗濯物を片付けておく

・洗い物を残しておかない

・少しでも運動しておく

筋トレしてみる

メールを出しきっておく

・部屋を片付ける

メンテナンスのいるものを処理しておく (車,楽器調理用具)

ネトゲをやらずに読書する

テレビじゃなくてラジオ聴く

レジャー周り>

旅行の計画をたてる

合コンで会ったあの子に連絡してみる

・昔の友だちにメールしてみる

・・・

ああああああああああああああああ!!!!!!!!

なんか違う.........!!!

やっておく項目書いただけで気が滅入ってきたわ!!!

日曜の夜の怠けテンションだと,全くやろうとしないわ!!!!!!

何か1個だよ!!! 何か1個好転するようなクリティカルなことはないんか!!!

・・・もしかして風呂入って早く寝る」が正解だったりしてな!!!!!!

2014-12-16

アクロバティックな挿入に憧れる

http://anond.hatelabo.jp/20141216032631

トラバ元とはあんまり関係ないが、アクロバティックに挿入する妄想をたまにする。

お気に入りの挿入方法カーリング

ゴールでは女が丁度いい高さに腰を浮かせてM字開脚で待っている。

氷上での全裸M字という想像を絶する苦痛に女の顔が歪む。

加速度的に生気が失われていくその瞳に、しかしまだ仲間への信頼を感じる。

一発で決めなければいけないという不思議と心地よい緊張感が身を包む。

意を決して俺は全裸で走り出す。グリップが効かずいつもながら無様な走り出しではある。

だがこの種目において、速度は大した問題ではない。踏切位置まで残り5m。

大まかな進路調整を行い、白線を飛び越えると同時に挿入フォームへ移行する。

俺のスタイル正座型だ。氷の飛沫をあげながら両膝で着地する。概ね成功だ。

ここからゴールまでの旅路チームメイトに身を委ねることになる。俺はそっと目を閉じた。

俺がすべきことは勃起の持続である。チンポに全神経を傾ける。チンポの声を聞く。

膝の激しい摩擦によって一瞬集中が途切れる。流されるな。思い出せ、あの根源的欲求を。

鼻の奥に懐かしい匂いが突き抜けた気がした。

目を開けば目の前に女がいた。

おかえりなさい。言葉ではなく目で伝わる尊い想い。

慣性に身体を委ねながら、俺は高度調整を試みる。OK、必要挿入角度はクリアだ。

定められた運命のようにチンポは吸い込まれていく。ヒトの持つ、暖かさ。

そうして俺たちは結ばれた。世界は鳴り止まない祝福に包まれていた。

fin

2014-07-29

部下がくれたアドバイス

前いた会社を辞めた時に、部下がくれたアドバイスを思い出した。

部下は新人ときから、びっくりするほどできるやつだった。

同僚の三倍程度の仕事量をてきぱきとこなし、涼しい顔で毎日定時に帰っていく。上司の俺が何も指示していないときに、社内を歩きまわって、同僚や先輩に仕事を「お願い」していた。

けれども、そいつを悪く言うやつはいなかった。笑ったときえくぼが印象深い奴だった。

俺は会社でパッとしない上司をやっていた。

経験だけはあったが、他にその役につく人間がいないという理由で、ロケット鉛筆のように押し出されてそのポジションに付いた。

かつて新人だった頃は、プログラマーとして四苦八苦しながら、作る喜びを糧にしていたものだった。

だが月日が経って、机の位置が変わった。プロジェクトを指揮するようになった。部下が増えた。いつしか俺はコードを離れ、代わりに人間を扱うようになっていた。

責任が増えると共に、やりがいも増えた。チームをまとめて、目標に向かっていく。自分一人ではできないことを、仲間たちと力を合わせて達成する。砂漠の中にピラミッドを建てるように。

プロジェクトを完遂すると、メンバーがガラリと変わった。力になってくれた仲間たちは、別のチームでその才能を発揮することになる。俺の元には営業がやってきて、新しいプロジェクトの発足を告げる。

程なくして新しいメンバーがやってくる。俺は別なチームとともに、別のピラミッドを建てるのだ。

そんなループを何度か繰り返したある日、プロジェクト終了直後の閑散とした社内を眺めて、缶コーヒー片手にボンヤリしている時に気がついた。

味がしない。缶コーヒージョージアエメラルドマウンテン・ブレンド(つめた〜い)の味がしない。

いやもちろん缶コーヒーなので、本来そんなに旨くない。街の喫茶店はおろか、スターバックス女子高生がカップで飲んでるやつにも及ばない、いわゆる”コーヒー飲料なのだが、初めの頃はうまかったのだ。

入社当時、Visual Basic の教本を片手にキーボードにしがみついていた時に机に並べていたエメラルドマウンテン・ブレンドは、もっとスカッとした味だった。

抜けた空のような味。

何かが違う。そう感じた。

iPodを作った天才スティーブ・ジョブズはかつてこう言った。

私は毎日自分に問いかけてきました。「もし今日人生最後の日だとしたら、今からやろうとしていることをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、何かを変えなければならない時期にきているということです。

一週間の後、俺は退路を歩むことを決めた。

退社まで残りひと月と迫って、引き継ぎが一段落したある週末に、俺は例の、できる部下と酒を飲むことになった。

そのときの部下は会社の期待のエースとして注目を集め、人より多くの責任仕事を与えられていた。しかし本人はプレッシャーに怯むことはなく、むしろ水を得た魚のように、やる気に満ちていた。テカッテカだった。

酒の席に誘うと忙しいにもかかわらず、嬉しそうに快諾した。へんなやつだ。

その夜、俺は柄にもなく酔っぱらい、いつのまにか部下に向かってだらだらと仕事上の愚痴をこぼしつづける、情けない中年オヤジになっていた。

聞くと部下も結構酔っていると言ったが、俺は知っていた。こいつは顔は真っ赤になるが、それでいて実態は”ザル”だ。笑顔を崩さず、俺の話に機械的に相槌を打っている。

俺の話が一段落したときに、すべりこむように部下が横槍を入れた。「でもね上司さん。そういうのって上司さんが悪いんですよ。」

失礼ですけど。

顔を上げて確認すると、部下は笑顔の目元に困ったような表情を乗せていた。俺が息を呑むと、覚悟を決めたように、話を続けた。

上司さんは自分の頭で考え過ぎなんです。」

部下の説教

から何まで自分のアタマで考えないと気が済まない、そんなタイプ人間がまれにいます(ご指摘の通り、俺がそうだ)。

確かに、自分のアタマで考えるということは、ものすごく気持ちがいいですよね。なにかすごく『意味のあることをした感覚』を得られます

けれども、そこには隠れたコストリスクがあるんです。

説得するコスト

最高責任者とか芸術家とかでない限り、自分のアタマで考えたことは「誰かに説明して納得してもらう」というフェーズ必要です。

相手が上司さんの上司さんであるなら、例えば説得はこんなふうに行われます

お偉いさんの元を尋ねて、現状の問題分析するとこういう構造になってて、どこがどう問題と考えられるので、このようにやりかたを変えれば、このくらいよいことが起こるでしょう、みたいなのを説明して、話の前提をちゃんと共有しないと理屈が通らないから、考えに至る前提条件とかを事細かに説明して、相手との認識が合わなかったら合うように、考え方の違いに注意しながら調整して、ようやく自分のアタマで考えたこと、を分かってもらえたら次は、それって絶対・100%・間違ってたら責任取るの? とか聞かれます、でもそんなん100%なんて世の中にありえないだろ、と思っても言い出したのは自分だし、時間をかけて分かっていただいた手前もあるし、それら有象無象を踏まえて相手のプライド考慮しつつ、こちらの責任が大きくなりすぎないように、うまく首を縦に振ってもらうように、知略の限りを尽くして言いくるめるんです。

一方で、去年と同じで行きましょう、ならサラッと通ります

競合他社と同じ戦略で行きましょう、偉い人の方針をまるごと継承しましょう、とかでも。

冷静に、比べてみてください。自分のアタマで考えた場合コスト

説明のために、ものすごいコストや苦労をかけてストレスをためこみ、結果自分責任が増しただけ。

限界自覚するリスク

自分のアタマで考えようとして、なんにも結論が導き出せなくなることがあります

どの因子がどう関わってるのか整理しきれない。どこの範囲まで前提として考慮に入れるべきかがわからない。「Aと言う視点なら正しいとも言えるし、Bという視点なら間違いとも言える」みたいな項目ばかり。

なにを考えても「他人が出した別案」に引っ張られる。なんとかごまかしつつ、ちょっと甘いかな、って思いながら考察した結論他人に見せる。でも、アタマの鋭い人はどこでもいるもので。

ピンポイントでその弱いところを突かれちゃったりする。自分でも「俺バカなのかな」と薄々感づいてる点を、改めて他人にも認識させられることになります痛恨の一撃です。大ダメージです。

賢者歴史から学び、愚者経験から学ぶ、と言います

ゼロから考え直すなら、誰だって結論を間違えたり、推論を見失ったりすることがありえるんですけど、『自分のアタマで考えている俺』に酔っていると、そういう基本的なことは、忘れちゃうんです。

根拠のない自信を持ってる人ほどひどい結果になりがちです。

自分天才とまでは言わないけども、周囲の中でまあまあ使える、ほうだし、今は流されてるけど、本気出せば自分で考えて結論出すようなこともできるもんね!」

そんな自信は崩れ去ります

失った自信を取り戻すのには、より多くの時間必要です…。ご年配の方ほど、必要な苦労は過酷ものになるでしょう。

一方で、すでに確立された方法に従うなら、挫折はありません。

その仕事が得意な人、エキスパートに全部お任せする、というのでも。

考えてもみてください。自分のアタマで考えた場合リスク

挫折が無ければ、その間仕事ができた。挫折があるから、周辺分野へ再び手を伸ばすことが、おっくうになった。

天びんの片方を高く見積もりすぎている

例えば、さっきお酒持ってきてくれたの店員さん。カウンターで寂しそうにひとりで飲んでるオジサン。自分のアタマで考えているように見えますか?

自分のアタマで考えてる人って、ものすごく少ないです。

たいていの人たちは、流されています。考えが浅いし、近視眼的です。リスク管理の面から見ても、脆弱です。

でも、その人たちって、不幸ですか?

かなり幸せそうじゃない? 自分はすごいという自信のもとに楽しく過ごし、うまくいかなかったことは運が悪かった、また次があるさ、と片付けてポジティブに生きてる。掘り込んだ原因分析なんてしないで、場当たりに生きてる。若者から人生訓を聞かれたら嬉々として語っちゃう、的な幸せさに溢れてるw

偉そうにw 生意気言うやつだなw とその晩は軽くたしなめて別れたけど、

よくよく思い返すといい話ではあった。なんだか、ずっと温めていた感もあるし。

から後になって感謝メールで伝えた。

俺は今まで、自分のアタマで考えてきた。それを誇りにしていたというほどではないけど、出来る限り自分でやってみる、が俺のモットーだった。

けれども、それで、何が残っただろうか。

すり減ったり、焦ったり、自己嫌悪に陥ったり。紆余曲折を経て、何が残ったのか。

ひょっとすると、俺は自分人生の将来や、手に入れられる幸福や可能性から、目を逸らしていたかっただけなんじゃないか。

実感を求めて効率犠牲にする。それで誰かの足を引っ張る。あるいは、身の程をわきまえて、歯車として、自分に与えられた役割を果たす。その分岐路で立ち尽くしている。アタマで考えても前に進めない。思考停止すれば進める。『結果』を手に入れる。上手く行けば成功できるかもしれない。彼女のように。慣性は惰性だ。だからプライドは捨てる。直感は捨てる。生き方を変える。

(以上。なんかディティール盛り過ぎてる感があるけど、部下の言いたかった、本筋のところは外していない?)

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後書き:

id:uxlayman さんの元エントリ分析エントリです。

俺の考えでは、元となるアイデアが良ければ、読みやすくするためにストーリーを与えて、読んでて途中で躓かないように、注意深く、入念に推敲すれば、ある程度伸びます(俺はこの文章推敲に6時間かけました。ヒマスギシヌ)。

コアとなるアイデアはなんでもいいわけではないようです。というのも、同じようなストーリーで同じような語り口の記事過去に書いたことがあるんですけど、そっちは全然伸びませんでした。

自分のアタマで考えてはいけない。

追記 (7/30 1:35時点):

頂いたコメントより

部下のアドバイスを受け入れられる人は人間として素晴らしい人だと思います

逆に言うと、部下のアドバイスを受け入れられない上司が世の中に、はびこっている、と。 うーん。。

2014-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20140415010228

マジで…。むしろ慣性モーメントが大きくなって大変だと思うんだけど。

デブにとって楽ってのはあるかもと思うけど、痩せてるオタも大体長くしてるように思う。

腰どころか太ももくらいまで伸ばしてる奴が多い気がする。

2013-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20131208161035

文章の練習として短くしてみた。内容についてはそれほど同意できないけど。

本気になるにはどうすればいいのか

今話題になっている、これらの記事

当事者意識だの危機感だのはもうバズワードになってしまっている。どうしたら当事者意識危機感を持てるようになるのかの答えにはなっていない。なので、もう少し具体的に考えてみたい。

まずは、「当事者」を

と、定義しよう。すると、当事者意識を持てない人とは、

  • 要求された役割を把握できない、または把握を避けている人

と言えるだろう。では、なぜ避けるのか。

と考えられる。

この防衛機構は、人間にとって必要ものである。なぜなら、社会の要求には際限がない。対して人間には必ず限界がある。限界を超えてしまわないために備わっている心のブレーキがこの機構なのだ

そのブレーキが、過敏過ぎると引きこもり方面に進んでしまい、逆にゆる過ぎるといつかバーンアウトしてしまう。多くの人は、自己評価や、時間報酬仕事観などの様々な要因にもとづいてバランスを調整してるのだろう。

そう考えると、いわゆる意識高い系は、自己評価自己実現欲求が高く、防衛機構を働かせずに済んでいるのかもしれない。そういう人たちがそうでない人たちに意識が低いと叫んだところで、圧迫にしかならないのではないだろうか。動かない人を動かすには悪手と思える。

では、どうすればいいかだ。要は、活動開始初期に防衛機構のトリガを刺激しないようにすればいい。例えば、

どういうやり方にせよ、ある程度動き始めてしまえば、あとは慣性がついてそれなりに本気になれるんじゃないでしょうか。

まあこんな感じで、言葉に具体性を持たせるところから始めると、なんかいかにも問題解決法っぽいものがでっちあげられます社会人になると、弁法や修辞も必要だけど「結局どうすればいいのか」という回答が大事になので、そんなことを心の片隅に学生の皆さんは就活を頑張って欲しいです。

どうすればいいのかについて

本気になれない人には「当事者意識」が足りない

http://syuraw.hatenablog.com/entry/2013/12/05/183752

とか

本気になれない人に足りないのは「当事者意識」ともう一つ。「危機感」。

http://programming-10000.hatenadiary.jp/entry/20131208/1386428823

ブコメした者だけど、今日は嫁と娘が仲良くお出かけして時間が出来たので、ブログ持ってないか増田使って反応してみる。

当事者意識だの危機感だのいろいろ言われてるけど、これもうバズワードとして機能しちゃっててるから

「結局どうしたら当事者意識とか危機感とか出せるようになるの?」っていうことには何の役にも立たってないよね。

なので、とりあえずカギカッコ付きに逃げがちな言葉の中身を、こちらで勝手に詰めていこうと思う。

まあどうでもやりようはあると思うけど、「当事者」なるもの

 ・ある仕事について、社会から要求されている自分役割を過不足なく把握しようとしている人のこと。

とか、定義しようか(適当)。

すると、当事者意識を持てない人とは、

 ・要求された役割を把握できない、または把握を避けている人

というくらいに言えるかな。

なぜ避けるのか。これもどういじってもいいんだけど、

 ・自分能力経験を過度に超える要求に対して、無意識の心理的防衛が働くから

ということにしてみよう(適当)。

まり未知の問題を他人事カテゴリに位置づけることで精神の安定保っているということにする。

この防衛機構は、人間にとって必要ものである

というのは、社会の要求というのは際限がないので、どれだけ要求に応えても、もう一段レベルの高い要求が出てくるものだ。

から、そもそも当事者意識はそれを完璧に発揮すること自体が不可能、かならずどこかに限界がある。

その限界を超えてしまわないために備わっている心のブレーキがこの機構なのだ

このブレーキの利き方というのは、あんまり過敏だと引きこもり方面に進んじゃうし、逆にゆる過ぎて突っ走り続けるといつかバーンアウトちゃう

そのあたりは、経験に基づく自己評価とか、能力に対する自覚とか、猶予時間報酬仕事観等々の内的外的要因で、各人バランスを調整してる。

なんか書いてるうちにそんな気がしてきた。うん、そうに違いない。

この説に従えば、いわゆる意識高い学生とかは、自己評価とか自己実現欲求が高くて、防衛機構を働かせずに済んでいるという感じかな。

そういう人たちがそうでない人たちにナントカ意識カントカ感が足りんと叫んだところで、それは結局圧迫にしかならないんじゃないか

全く効果がないとはいわんが、動かない人を動かすには悪手だよね。

じゃあどうすればいいかだけど、

要は活動開始初期に防衛機構のトリガを刺激しないようにすればいいわけなので、例えば

 ・自分にとって無理なく把握・処理できるレベル仕事を分割・整列して(orしてもらって)、その決めた手順に従って半機械的にこなしていく。

とか。注意点は、細部に入り込んで全体の目的を見失いがちなこと、不測の事態への柔軟性がなくなること。

もしくは

 ・プライドや恐怖心を利用し、なんとしても成果を出さざるを得ない状況に自分を追い込む。

これは防衛意識を外部の力を使って破壊してもらう作戦。

あと、学生のうちならできそうなものとしては

 ・就活関係以外の情報シャットアウトして一切入ってこない環境にする

他人事以外の情報が入ってこなければ、他人事にしようがなくなるので防衛も何もないという自己洗脳方式。

どういうやり方にせよ、ある程度動き始めちゃえば、あとは慣性がついてそれなりに本気になれるんじゃないでしょうか。

まあこんな感じで、言葉に具体性を持たせるところから始めると、

なんかいかにも問題解決法っぽいものがでっちあげられます

社会人になると、弁法や修辞もまあ必要だけど「結局どうすればいいのか」という回答が大事になんで、

そんなことを心の片隅に学生の皆さんは就活頑張って欲しいです。

2013-11-04

http://anond.hatelabo.jp/20131104182854

セカンドライフが失敗した要因は、もちろんFPS操作とか慣性効きすぎのカサカサ移動とかの

ふざけてるとしか思えない操作感なわけだが、それを抜きにしてもセカンドライフ

「なんでも出来過ぎた」のがまずかったと思う。

 

それに対して、出来ることが少なかったか成功したのがマインクラフト

なんでも書けるプログラム言語であるリンデンスクリプトより、基本的にブロック破壊することと

ブロックを設定することしかできない制約の中で、レッドストーン回路とか使うほうが

多くのユーザに楽しさを理解してもらえる。

2013-05-06

http://anond.hatelabo.jp/20130506000653

わかります。私も断るのヘタクソだし、断ることにすごくストレスを感じるので。

私も元増田さんのように、もうどうにも我慢ならない!!という時は「今日自分だけのための日」というのを設けて、誰のためにも何もしません。

もしこうやって時々ガス抜きすることでこれからもやっていけそうだと思うなら、旦那さんにそう宣言して、気が済むまで好きなことだけされると良いと思います。何も言わないでただ失踪?してしまうと旦那さんが心配されるでしょうから、せめて行き先と、帰宅予定を伝えておいたほうが良いと思います

もし、根本的に解決したいと思うのであれば、残念ながら(あなたや私が「断ることができない」自分を変えることがとても難しいのと同じように)旦那さんは一朝一夕には変わらないので、断ることであなたが背負うことになるストレスと、ハイハイとやってあげることであなたが背負うことになるストレス、どっちがましか、という選択をすることになると思いますあなた精神状態が限界であることを旦那さんに伝え(たぶん、あなたが多大なるストレスを受けていること、旦那さんは想像もしていないような気がします)、何ができて何ができないか明確に伝えることをおすすめします。もし、平日の夜に疲れて帰宅してご飯を作るのがいやだ(そして作り置きをするのもいやだ)と思うのでしたら、1) 旦那さんに作ってもらう 2) 旦那さんに買ってきてもらう 3) あなたが何か買って帰るのいずれか、もしくはこれらの組み合わせを駆使して、あなたストレスを最小化すればいいように思います。そして、その状態を「ふたりにとっての当たり前のこと」と既成事実化してしまいましょう。現状では、「あなたがひとりでなんとかすること」が旦那さんにとって当たり前になってしまっているので、これを変えましょう。現状の慣性力は絶大なので、「現状を変えようとすること」は最初のうちはお互いにストレス苦痛を感じるかもしれませんが、しんどいのは慣れてしまうまでだ、と割り切ればよいのではないでしょうか。

もし、これを試してみた結果、「やっぱり、我慢してでも自分が全部つくったほうがましだ」と思うのであれば、「自分の選択の結果として、自分が全部つくる」状態をまた選択しなおせばよいのだと思います旦那さんにやらされていると思うから不満に思うのであって、自分の意思で選択して、自分が全部つくるのだ。と思えるようになれば、少なくとも今よりはストレスが少なくなるのでは…と期待します。

うちも状況は似たようなものですが、「旦那のつくる食事は口にあわない。だったら自分の口に合うもの自分で作ろう」と思うようにしています。もちろん、作りたくないときはすぐ食べられるものを買って帰りますし、旦那に買ってきてもらうこともしばしばです。それすらも面倒なときふたりで一緒にでかけたり、また、時々は女友達外食したりもします。そうやって時々は自分自分を甘やかしつつ、自分(と旦那さん)にとって快適な状態が作り出せるといいですね。

2012-08-15

http://anond.hatelabo.jp/20120815105834

低い所に重いものを持ってる状態と

高い所に重いものを持ってる状態

違いは高さで、高い所にあるものが旋回する時に発生する横向きの慣性が発生して

支えている下向きの力を横向きの力が上回ると倒れちゃうんだな

高さと言うより長さが原因なのかね

フォークリフト乗った事ないからよーわからん

http://anond.hatelabo.jp/20120815073633

慣性法則でいんじゃねの? 簡単にいうと勢いつくと危ないです。

2012-07-15

禁煙出来さえすればなんでも良い人にお勧めしたいモンスターエナジー

吸いたくなったら問答無用モンスターエナジーかその姉妹であるモンスターカオスを飲み干すと、

独特の満足感と落ち着きが得られて、どうにか我慢できるようになります

そしてビックリするぐらいあっさりと禁煙成功出来ます。アレはマジで効果があるのでオススメ

ニコチン代替としてカフェイン摂取するという禁煙方法は以前からあるようだが、

お茶系ではカフェインが薄く、コーヒーを飲むと習慣性で一服したくなってしま逆効果になる場合すらある。

そこへいくとモンスター系はカフェインが濃く、煙草とともに飲む習慣のある人もいないであうから安心です。

欠点としては

1.カロリーが地味に高く、禁煙太りを助長する

2.カフェイン中毒になる

といった事が挙げられるので、そこんとこだけは注意だ。

2012-06-14

iPhoneアプリAndroidアプリが同じ動きじゃないと不満なクライアントって何なの?アホなの?

スマートフォンアプリ開発

iPhoneAndroidアプリを同時に出したいとか、既にiPhoneアプリリリースしているので

Android版をつくりたいんです、みたいな話は往々にしてあります

そんな時、必ず要望として上がるのが、iPhoneAndroidアプリを同じ動きにして欲しいというもの

から要望が出てくることも多々あります

あれっ、これiPhoneではこうやって動くけど、Androidアプリの動き違うくない?みたいな。

でもね。

いつも思うんですけど、iPhoneアプリAndroidアプリで同じ動きじゃないといけない理由ってなんですか?

インターフェースを合わせるため?

でもさ、そもそもデバイス自体が違うし、備わってるキーも違うし、OSも違う。

いちいち同じにする必要あるの?

どういう事態を想定してるんですか。

iPhoneAndroidどちらも持っているユーザーが両方でアプリを使う場合に迷わないため?

それともiPhoneで使ってたユーザーAndroidに移行した時に、使い方に迷わないため?

そんなユーザー全体の何%よって話なんですよ。

当然、アプリはただ利用者のためだけではなくて、会社看板意味合いもあるので、

つらは合わせる必要はありますよ。てんでばらばらってのもおかしいですしね。そんなんは

わかってますよ。

でも、iPhoneにあるような慣性移動がされないだとか、細かい動きがどうだとかそんなんまで

合わせる必要性はこれっぽちのみじんこも存在しないでしょ。

ものによってはさ、iPhoneアプリに合わせるために、Androidのメニューキーを殺したり

Backキーを殺したりしてるやつまであるけど、それってユーザービリティ下げる行為以外のなんでもないでしょ。

デバイスOSも作りも解像度も何もかも違うんだから、無理やり同じものにする必要なんてないんです。

iPhoneにはiPhoneの特性があるし、Androidにも特性があるし、それぞれの特性に合わせたインターフェース

したほうが使いやすいでしょうが。統一性はデバイス間で持たせるものじゃないでしょ。

なんかもう、頭っからアプリの動きは同じであるべきみたいな考え方なんでしょうね。

固定概念としてそう思ってるので、俺正しい事言ってるでしょ?何がおかしいのってもんなんですよほんと。

ていうところで無理をいうので、世のアプリ開発者たちは、iPhoneAndroid間で動きをあわせるために

日々無駄努力を続けているのです。

いかげん無駄なことをやっていることに気づいてください。

2012-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20120310050633

現状の線引きがおかしいんだよね

から大麻に賛成反対にかかわらず大麻反対論者のタバコ容認が鼻につく

タバコは習慣性健康への影響考えるともっとドラッグに近い線引きにあると思うし

タバコでもうかってるもろもろの事情考えるとそうそうそういう立場とれないんだろうけど

近年は昔に比べたら堂々とタバコ否定できるようにはなってるな

飲酒文化動物としても長いかアルコール分解酵素も備わってるわけだし

その機能の範囲を超えない飲酒もっと科学的にコントロールできないのかなと思う

個人での酒類の購入の記録を追跡するようなシステムでもいいかもしれない

妊娠授乳中や分解能力のない人が飲酒強要されないような認知もっと必要かな

酒禁止!で吉牛たっぷり入ってるワインブランデーケーキ石狩鍋みりんがなくなっても困る

醸造は各国各地に根付いてて保護されるべき文化も数多いし

完全に単純に酒禁止としてしまうのは問題が多い気がする

http://anond.hatelabo.jp/20120310023949

アルコール辺りよりよっぽどその可能性が低い(ニコチンアルコールなんかよりよほど習慣性が低い上、

問題は習慣性じゃなくて(まあ、低いという論調も結構情報源が偏ってるんだけどさ)、一度中毒状態になってしまった時の人体に与える悪影響が問題なわけよ。

こんな症状を酒や煙草で起こせるか?仮に起こせるとして、それは大麻よりもハードルは低いのか?

いつも思うんだが、大麻肯定派の主張って「中毒性が低い」の一点張りだよな。

低くかろうが「ある」のには変わらないし、慢性的摂取し続ければ酒や煙草よりも遙かに早いスピードで身体に深刻な悪影響が出るぞ。

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