はてなキーワード: 思想の自由とは
今回の件を見ていて、本気で「ロリレイプ漫画なんかを楽しむことは許すべきではない」と表明する人がいる、しかもこんなに大量に、ということがわかって絶望的な気持ちになった。表現や思想の自由って本当に危ういものなんだと実感する。
自主規制は規制ではないので率先してヤバイ表現を自主規制するのが当然と主張する人が多いことにも驚愕。またそういう人が、性器修正やゾーニングを自主規制と捉えていないのも頭が痛い。
今回の件はエロ漫画だからロリペドおたくが騒いでるだけという意見にもうんざりする。過去何千回も議論されてる通り、最低のエロ表現の自由を守れなかったら結局は他の表現や言論まで規制が拡大することがわかっているから重大に捉えているわけで。どうやって作家の住所を調べたのかもわからない警察が突然自宅訪問して申し入れをしてきた、というのは普通に表現界隈にとって強烈すぎる出来事だ。
被害者を気遣う意見が少ないというのは一理あるかもしれないが、こういう比較は最低だけれども被害者が一人の強制わいせつ罪と国家権力による表現規制の動きを比べれば、後者への意見に偏るのは仕方がないと思う。特に文字数の少ないはてブでは。繰り返すがこんな比較はしたくないし自分で最低だと思うけど、それを論点にして人格攻撃的なことをしてる人がいたので一応言っておく。
しかし当然、セカンドレイプ的な発言は最低だと思う。直接被害者に絡めた発言はまだ見ていないが、周囲がクジラックスの武勇伝的に語ったり盛り上がるのは慎むべきだとは思う。
そういう意味ではクジラックスの例の画像ツイートも危ういが、本人も被害者と見ることもできるので微妙だとも思う。逮捕経験者のろくでなし子も言っていたが、突然ガタイのいい警察官複数が直接自宅を訪問してくるなんて恐怖以外の何物でもないし、精神的なダメージも相当受ける。ツイートを見ると事前連絡すらなかったようだし、騒ぎもこれだけ広がれば普通は消耗しない方が珍しいと思う。
これまでの流れを見る限り、その程度の仕打ちはロリレイプ漫画なんて書いてるんだから当然だという人もいそうなんだけれど、それはもうなんていうか話にもならない。。
http://b.hatena.ne.jp/entry/340096756/comment/kamayan1980
たとえばフルCGで作られたそういう動画が流通してたとして何の問題もないと?
(ここでいう問題とはそれを見て真似する人たちが出てくるということに限定しません。)
追記:
とりあえずホラー映画とかとっくにあるじゃんという意見には、あなたはスナッフムービーが何か知らなさすぎですとしか言えません。
人の体を破壊して殺害することそのものを楽しむものと疑似的な恐怖感を安全な場所で楽しむものは一緒に扱えるものではないと思います。
単純に考えて欲しいんですけど、「許される」派の人たちは深夜番組でCGのスナッフムービーが流されても問題ないと思ってるんですか?
この例え自体現実味がないから考える価値がないというのであれば、かつて放送されていた深夜のアダルト番組がなくなったのはどうしてだと思ってますか?
「許されない」とされたからじゃないんでしょうか?
単純にそのような創作物を作成してはならないという意味で考えている人もいるかもしれませんが、私はそういう意味では考えていません。
元の増田やid:kamayan1980がどう考えていたのかはわかりませんが、私はゾーニングや年齢制限なども表現の自由への制限だと思ってます。
一般に表現の自由というのは創作活動そのものだけでなく創作物の公表や流通も含むものとされています。
なので、許されない表現などないというとき、それは単に創作物の作成だけでなく流通への規制も一切ないという意味だと考えています。
現代の社会で、アダルト物や暴力表現が過激であるものがゾーニングされていたり年齢制限がかかっているのは、そういったものについて自由な流通は許されないと大多数が考えたからですね。
違いますか?
CGスナッフムービーの何が問題かについて、まずCGであっても本物と見まがうようなスナッフムービーはその視聴により人の脳にダメージを与える効果が他の映像作品よりも圧倒的に強いという点、成長途中の児童に見せることがその後の発達によくない影響がある点、創作物と偽って本当の犯罪が行われうる点(レイプもののAVでありました)、見たくない人が作成、流通、広告、放送などの様々な段階で目にしてしまう点(見たくもないアダルト広告は規制されるべきでは?未承諾広告は規制されました)
追記2:
正直、自分でも上に書いた問題点は中途半端だし弱い気がする。何なんだ。結局自分が不快だからやめろっていいたいだけなのか。(でも逆にすべての物事の判断はは感覚的な良し悪しを事後的に理屈を付けているだけとも思う。)すまない。自分でもよくわかってないんだ。表現の自由は最大限尊重されるべきだと思うよ。でも許されないものってあると思うよ。ブコメにあったけど差別発言とかヘイトスピーチとか。
流通の話じゃねーだろという指摘もあるけど、流通しない創作物のことを考えても意味ないよね?それは思想の自由とでもいうべきもので。
がんじがらめの流通ゼロも規制なしの野放図も間違ってると思う。とりとめなくてすまん。
あと本物のスナッフムービーがだめなのはそれが殺人という犯罪だからというのはわかってるつもりで、だからこそ次の行に「たとえばフルCGで」と書いたんですが、そこんところに誤解のあるブコメが星を集めてるのは、やはり自分の書き方が悪かったんですかね。いろいろすまんかった。
追記3:
いまだにこれがどうしてこんなにブクマが付いたのかわからない。他の増田と何が違ったのか。
「許されない表現」とはどういう意味なのかについて、多くのコメントや元増田やid:kamayan1980は「存在が許されない表現」という意味だったんでしょうか。
たとえそうだとしても私は存在が許されない表現はあると思いますよ。
本物のスナッフムービーは殺人だからだめだというコメントが結構あって評価も高いみたいですけど、これは存在が許されない表現ということなんじゃないんですか?
表現と犯罪を切り離せ?表現行為そのものが犯罪だったとき、それは切り離せられるんですか?切り離したとして作成自体はだめでも流通自体はOKになりますか?
ISの公開処刑とか秋葉原や池田の目立つためにやった集団殺害とかこれは殺害行為を周知することが目的で行われたもので表現行為と言えると思いますが、これは存在が許されるとでも?
表現の内容によって「許される」程度というものがあると思います。
犯罪行為など存在自体が許されないものから、誰が見ても問題のないものまで、いろいろな表現があって、それぞれに適切な公開範囲や公開方法があるんじゃないでしょうか。
誰が許すのか、多数派とは何かというコメントもありましたが、正直そこからかよと思います。
誰が許すのか、そりゃ私達ですよ。民主主義社会に生きているわけですから、なんだって決めるのは私達自身であって、私達自身が責任を負うんですよ。
少数意見だって尊重しますけど基本的には多数決で決めるんですよ。そういう社会で生きてるんです。いろいろあってそういう社会がましってことになってるんです。
私はこれくらいならこれくらいの規制が妥当だと思うみたいな意見を持ち寄って落としどころを決めるんですよ。
もっと規制を強めた方がいいという意見や弱めた方がいいという意見があって、互いの意見を聞いた上で社会全体にとってどれくらいの規制がいいか判断するんですよ。
嫌なら目をつむっとけ?それこそ自分の快不快だけで人の意見を聞かない態度では?
自主規制にしろ法的規制にしろ結局のところ決めてるのは自分達ですよ。
再びスナッフムービーは殺人だから犯罪だからだめなんだという意見について、
じゃあそもそもなんで殺人はだめなんですか?犯罪だからですか?刑法に書かれているからですか?
違いますよ。
殺人を許すと自分たちの直接的に間接的に生存が危ぶまる状態になるから禁止してるんですよ。
あと単純所持ですら犯罪である児童ポルノですが、これも表現としては許されるんですか?
これについても犯罪だからだめなんだって言いますか?わりと最近まで犯罪じゃなかったんですよ。
許されていた表現が許されなくなったわけですが、それでも許されない表現はないと言いますか?
犯罪だからだめなんて思考停止してたら、せっかくの表現の自由が泣きますよ。
許す許さないの判断や規制が権力装置と結びついたときの問題は、表現規制の手法と検閲の問題であって、許されない表現があるかどうかとは別の話だと思いますよ。
「戦争法、反対!」
「戦争できる国、反対!」
「徴兵制、反対!」
↓↓↓↓↓↓↓↓
日本共産党 大勝!
↓↓↓↓↓↓↓↓
共産主義国家成立!
↓↓↓↓↓↓↓↓
「共産党の一党支配だよ!」(安倍の独裁はあれだけ許さないと言ってたのに)
「独裁だよ! そもそも独裁以外は目指してないからね」(同上)
「党設立時から目指してた、共産軍ができたよ!」(自衛隊どころじゃねえな。人を殺せるよね)
「当然、徴兵制だよ! 老人は役に立たないから若者からね!」(え?! 若者を戦場に送るな!って言ってたよね?)
「デモはだめだよ! 言論思想の自由はないからね!」(ありゃりゃ?? 共産主義、ひどし!)
「正義? 勝ったほうが正義だよ!」(やっぱり、あんたら嘘つきだった)
********
結局、戦争する国になるじゃねえか。
だけど、共産主義国家にだけはなってほしくねえ。
【例】
1997年にフランスで刊行された「共産主義黒書」に殺害された犠牲者数の国・地域別の一覧を提示。
ソ連 2,000万人
中国 6,500万人
ベトナム 100万人
北朝鮮 200万人
カンボジア 200万人
東欧 100万人
ラテンアメリカ 15万人
アフリカ 170万人
アフガニスタン 150万人
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20170511170337
上記記事のコメント欄を見て何度めかわからないけれど「左翼的な言説の限界と言うか気持ち悪さというかなんかもやもやするもの」についてのメモ。
初めに断っておくと、自分個人は穏健な左翼的な人間だと思ってる。この辺曖昧なのは「それそのものの人」に「お前なんかニセモノだ、死ね!」と棍棒で叩かれるのが怖いからであって、内心ではちゃんと穏当左翼だよ悪いスライムじゃないよぷるぷる、と思ってる。再配分はした方がいいと思うし、生活保護の捕捉率は上げたほうがいいと思ってるし、戦争はしないほうがいいと思ってるし、言論や思想の自由は大事だと思ってる。
でも、一方で、それは「俺という個人がそう願ってる」であるとも思っている。
ただ単純に「俺という個人がそういう政治的思想で、つまりは、そういう好みで、そうなればいいなあ、そうしたいなあ」と思っているという意味だ。
でも、政治的な記事へのはてブのコメントを見たり、世の左翼的な言説をするひとの発言を読んだりしていると、割と頻繁にどうしようもない違和感を感じる。
たとえば「再分配しないと社会が歪むでしょ」「再分配しないと治安が悪化するでしょ」「再分配しないと経済が伸びないでしょ」みたいな種類のコメントだ。
それらって、まず第一に、本当に本当なんだろうか?
例えば、社会が歪んだ結果、カタスロフ的なことが起きて世界が滅亡する――というような想定がなされているのであるならば、全人類が私欲を捨てて力を結集するというのにはインセンティブがあるのは明らかだ。しかし、想像だけど「社会が歪むでしょ」といったときの「歪む」って、そういうレベルの大災害を想定していない気がする。
そして第二に、だとすると、それって主観マターなんじゃないだろうか? つまり、歪んでいると感じない人(例えば富裕層)が存在する程度の「歪み」なんではないだろうか?
「治安が悪化するでしょ」「経済が伸びないでしょ」もそうだ。程度の問題で主観マターになってしまう気がする。
ここ2000年くらいの歴史を見ても、相対的に評価すれば、いまは全地球的に豊かで幸福な時代だと思う。歴史上最も格差が広がっているこの時代に、最も幸福なのだとすれば、格差が人を不幸にしているというのは、どういう説得力をもっているんだろう?
最初に言ったように、俺個人は再配分政策に賛成だ。もう少し弱者のケアをしたい。だから、そういう歪みや経済悪化を感じる主観があるってことそのものは、別に問題だとは思わない。ただ、でもそれは「俺はそう感じているんだよ!」でしかないので、他者を説得するに足るものではない。
違和感を感じるのはそこで、はてサであるいは左翼言説でよく見られる「~(は自明)でしょ」「そうすべきなのは明らかでしょ」「それが正解でしょ」という態度だ。
その発言を行った時点で「説得できた」と思っているような態度と言い換えてもよい。
左翼の人たちは、なんだか、「正しさ」に過剰な自信を抱いているようにみえる。「正しい(と自分自身で思っている)結論」を呟けば、それで話は終わるというような、その発言にあるような未来がやってこないのは、政府の/権力者の/資産家の陰謀であるとか、衆愚が正しさを理解しないからであるとか、なんだかそういうニュアンスを感じる。
俺個人は、どうしてもそこで安心して話が終わったという気持ちになれない。
俺が左翼っぽい、福祉とか再分配をもうちょっといい感じにしたいと思っているのは、純然に俺の好みでしか無いと思うし、そんな好み程度の発言で誰かを説得できるとも思わない。
日本の社会の歪みについては、歴史的に見ても、今ある歪みを直せば別の種類の歪みが出てくると思う。それは福祉をケアするという変更ですらそうだと思っている。この歪みとあの歪みのどっちがいいかっていうのは、まだそれを実行してないので選べないけれど、「歪みのない完璧社会が来る」なんて思えない。「いまよりましなのはこっちなんじゃないかなあ、好み的な判断だけど」くらいしかいえない。
治安の悪化については、うん、格差が広がると治安は悪化すると思う。でもそれを前提とすると、日本は世界的に見て治安がトップクラスに高いので、まだまだ格差はちいさくて、この先格差をどかーんと広げる余地があるっていう結論になってしまうんじゃなかろうか?
経済の発展については、最低賃金は上げたほうがいいと思う。でも、資産家からお金没収してそれをやるなんてやったら、それこそ経済ぶっ壊れると思う。私有財産権という、民主主義が旺盛や封建制から血みどろで奪った権利を「俺の好み」程度で犯すのは、到底「正義」だとは思わない。
何度も言うけれど、俺個人は福祉とか再分配をもうちょっといい感じにしたいと思っている。けれど、それはただ単に俺の政治思想的な好みの問題であって、「俺が正義で唯一正しい結論を言えるから」ではない。当然他の好みの人もたくさんいるのだ。自由主義とグローバリズムは、地球規模で見れば多くの人を救ったと言われれば、そうなんだと思う。俺個人は、そっちの思想の人を「お前は不正解」と断罪できるほどの「正しさ」をもっていない。
さまざまな政治信条の人が暮らす社会で自分の願いの方向に動かすのは、粘り強い議論とか、空気の醸成とか、そして選挙とかを経なければならないのだ考える。
仮にそっち方向に社会が進み始めたとしても、その後やってくるのは、プロジェクトを立ち上げた時に出てくるような、うんざりするほどの運営トラブルと制度バグと、それを一個一個デバッグしてアップデートしていくクソ長い時間だと思っている。
なので、「左翼的な決断が正義でしょ/当たり前でしょ/そうしないと社会滅びるでしょ」みたいな「正解を言ったんだからわかれよ」みたいなコメントを読むとものすごい違和感を感じるし、日本の左翼的な思想の限界ってここ――つまり「俺たちは正しいのでそうならないお前らが悪い」という、政治的対話や妥協を拒否する、傲慢な怠惰さなんじゃないかと思う。
今よりもっと良い社会がほしいのなら、今よりもっと対話のテーブルで汗をかく必要があるんじゃなかろうか。多くの人たちに自分たちの主張を「好き」になってもらえるように。
綺麗だよね。ぐっとくる。
まあ、誰のこととか言ってもアレなんで濁して仮にAさんとしておこう。
まず、スタイルがいい。乳も太そうだし顔もそれなり。
SODにラインナップされてたらとりあえずサンプルはチェックするとおもう。
と言う下卑た冗談は置いておこう。
彼女はまあ、外見にある程度自信があるようで、それは素晴らしいことだ。
その上で、まあお勉強もなさって、お仕事も家庭も恋愛も頑張って。
その上でどうもおつむもゆるふわであるようで、差別主義者である事を隠そうとしない。
アメリカでもトランプさんが似た様なスタンスで闘っておられるし、それはそれで反吐が出るのですが。
公然と差別するという態度は、おそらく一方的に虐げても文句を言われる筋合いはないと心の底から信じているのだろう。
今回も、本人は間違ったことを言ったつもりはない(と信じたい)にも関わらず多数の批判的な言論を投げかけられ、心外だと主張している。
もちろん、日本は思想の自由を謳われた国であって、共産主義者も悪魔崇拝もヤクザな生き方も個人の自由である。
その上で。
個人のブログに何か文言を書くのは玄関の前に同じ内容を張り出すのと等しいと、なぜ思わなかったのか。
コンビニに行って一々「フリーターは頭が悪くて感情のコントロールができないから怖い」とか、飲み屋に行って店員に「挨拶もしたくない」とか聞こえるように言っているようなものなのだ。
本当にそう思っているとしたら、むしろそう思う相手の前でこそ決して口にするべきではないはずの言葉だ。
本心がどうでも、そういうことは内輪で話していればいいのに、わざわざ世界に向かって言うほどのことだったのか。
元のエントリを見て、僕が感じた感情は怒りが1割、呆れが2割、嫌悪が2割、心配が2割そして性的興味が15割と言った感じだ。
結局のところ、僕自身は彼女が付き合いをしないと宣言したカテゴライズにはいない。
これも重要な話しなのだが、結局、本来は真っ先に付き合いを除外するべき僕のような下品な、女性にとっては唾棄すべき人間をスルーした網を掲げて、多数の敵を増やしただけの行動ではないのか。
まあ、人妻のAさんと違ってこっちは匿名にしかこういうことを書かない。
小心者だからね。
はてな匿名ダイアリヰ利用者(以下「増田」)は、善良なる精神と高潔なる理性を持つた匿名のはてな民として、人類文化の発展と世界平和のために、増田とブツクマアカアの協和による建設的議論の構築と、思想の自由のもたらす恵沢を確保し、承認欲求の暴走によつて手斧の投げ合いや不毛な炎上による慘禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに書き手としての良心が存することを宣言し、このアノニマスダ宣言を確定する。
そもそもインタアネツトは、人類にとつての価値ある情報もしくは藝術的資産を見つけるためのツウルであり、公開されるすべての情報は人類発展に寄与されるべきである。人類文化の発展こそがインタアネツトの普遍的理念であり、このアノニマスダ宣言も、かかる理念に基づくものである。われらは、表現の自由に対する一切の圧力、規制及び誹謗を排除する。
はてな民は、質の高いウエブコンテンツを念願し、公平な批判的精神を持ちあらゆる文章媒体を深く読解するのであつて、文章表現を愛する増田の公正と信義に信頼して、増田の安全と生存を保持しやうと決意した。われらは、平和を維持し、荒らしとスパム、誹謗と中傷をネツトから永遠に除去しやうと努めてゐるネツトサアビスにおいて、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の増田が、ひとしく炎上と手斧の恐怖から免かれ、己の良心に従い書く権利を有することを確認する。
われらは、いづれの増田も、自分のことのみに執着して他者を無視してはならないのであつて、倫理道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、匿名の文化を維持し、他者と対等関係に立たうとする増田の責務であると信ずる。
増田は、はてなの名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。
増田はトラツクバツクやIDコヲル等を使用して、積極的に他者との意思疎通を図ることができる。
増田は建設的な議論を行うために、主張や反論を述べる際は当該文章が論理に適うものであるかを検討する。但し、他者との円滑な意思疎通を育むために感情を読み取ることも大切である。
増田は己の妄想や憶測によつて他者を貶める文章を書いてはならない。真実を描写することにより問題点を浮き彫りにし、また問題提起を行うべきである。但し、小説等の文藝表現を目的とするときはこの限りでない。
無意味、無文脈、シユールレアリスム、前衛的文学など、増田ではいかなる表現の自由が保障され、尊重されるものとする。
増田は投稿されたものに対し己の良心に従い、建設的議論と人類文化発展のために、反論、反証または批判ができるものとする。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない。
増田はわかりやすい表現をこころがけ、読者に無用な解読作業をさせないやう、最大限の配慮と工夫をしなければならない。
ぶっちゃけそうなんだけど彼ら彼女らも基本的人権をもっていて選挙権や被選挙権もあるんだ
それらが確実に存在していて見た目でわからないことがあるとしたら、いつかそれは自分たちに
ルールを策定する側に立つとか上の立場に立ち得ることもあるわけだ
あなたが個人で気に入らないことを個人で気持ちよくなるためだけに行動していることが
結果自分を巻き込む包囲網に追い詰められて包囲されて攻撃される仕組みを自分で作りかねない可能性も
否定できないはず
そうならないためにレイシストなんかは権利を渡さないよう必死に差別して攻撃しているわけだけど
その手がゆるんで隙間をかいくぐって包囲網の範囲を上回る手を打たれたらこんどは
「レイシストきもい」「思想の自由とはいうけど御飯時にみたくない」とかいわれる立場になる
たしかに個人によってはどんなものでもダメでキモいとおもうものはある
それを口に出して言う意味とそのメリットデメリットはなんとなく感じ取れるかな
フェミニズムは大きく分けて3つに分かれる。と少なくとも私は思う。
一つ目は辻本清美議員や伊藤和子に代表されるような、規制に対して肯定的な側。
もう一つは、うしじましい肉や大島薫(一応、ろくでなし子)のような女性に対して性からの解放を促そうとする側。
最後の一つはゴスロリファッションをしてるような、流行や男性、その他の女性からの独立を求める側。
この3つだ。
私が思うに、一つ目は規制を敷くことで男尊女卑を解決できると考えてるのだろが、それは男性や性に対して肯定的な女性を押さえつけいるのではないか。
他者を抑圧すればするほど、その反発は激しくなるのにだ。
本来フェミニズムとは「性差別を廃止し、抑圧されていた女性の権利を拡張しようとする思想・運動」のことである。
それなのに男性や性に対して肯定的な女性を抑圧しており、本末転倒にみえる。
これは男女の間に亀裂を生むような手段だし、最終的には誰も得をしない結果しか生まないと思ってる。
少なくとも正解ではないであろう。
その点2番目、3番目というのは少なくとも誰かを抑圧しないので、私はこっちを支持したい。
こちらはフェミニズムの本来の意味をとらえているし、誰かを抑圧する方向に向かっていない。
私が思う日本のフェミニズムの問題点は、1番目が主流で声も大きい故に、反対派からの反発をもろに受けるため実現が難しく、また互いに亀裂を生むため性差別をさらに助長させることになってる点だと思う。
2014年の暮れにおこなわれた沖縄知事選で基地反対派の翁長氏が勝利したのを境に、沖縄という地域は決定的に変わってしまったように思われます。
基地反対派は「オール沖縄」という標語を掲げていますが、実際は全然そんなこと無いわけです。
反対派の翁長雄志 51.7%
賛成派の仲井眞弘多 37.3%
このように確かに差はついていますが、とてもじゃないけど「オール沖縄」とは呼べない得票率です。
選挙で勝ったからといってこの4割近い民意を完全に無視してオール沖縄と連呼する反対派の態度は、まさに最近リベラル系メディアが政府・自民党に対して頻繁に使う「民主主義の暴走」とは言えないでしょうか。国政では「少数派にもっと配慮しろ!」と与党を批判し、同じ口で沖縄基地問題では反対派を完全に無視して「オール沖縄!」と叫ぶ。このダブルスタンダードはいったい何なんでしょう。
以前のタイムス・新報(沖縄二大新聞)はもう少し基地賛成派にも配慮してました。基地が無くなる事で生計が成り立たなくなる人もいるし、また必ずしも基地は悪い面だけでなく国家の安全保障面で重要な存在であるという論陣を(たまーーに)社説等で張る事でそれなりにバランスを取ろうとする姿勢が垣間見えていました。それが去年の12月の知事選を境にガラッと変わってしまった。紙面には感情的な檄文が跋扈し、それを読んだ県民も高揚し、一種のお祭りムードが沖縄に漂っています。
まあそんなことは正直どうでもいいって言っちゃえるぐらい、こちらの言論弾圧問題の闇が深いように思われます。
「オール沖縄」という言葉に惑わされて沖縄県民が一丸となって基地に反対しているという印象をお持ちの方もいるでしょうが、それは大間違いです。知事選では35%近くは基地賛成派の候補に投票しており、また中国に近い離島では議会・島民共に圧倒的に賛成派が多数を占めています。2014知事選以前は、賛成派と反対派は反対派が優位ながらもそれなりに拮抗した存在であり、お互いにお互いの立場をある程度尊重し合う間柄でした。
知事選後に何が起きたのかというと、大まかに分類すれば以下の2つです。
1.ネットで基地に許容的な態度を示した人への反対派からの徹底的な攻撃
草の根レベルではありますが、選挙で勝利した側が負けた側の言論を封じようとする動きが加熱しました。
twitterで米軍基地に好意的なことを書こうものならイナゴのごとく罵倒tweetが大量に飛んできます。
飲食店の店主が基地賛成派だからといって食べログで批判的なレビューを書く人まで現れる醜悪極まりない事案も。
中国本土に近い側の島では安全保障上の観点から米軍基地への賛成ならびに自衛隊基地を誘致しようと議会レベルで推進しているのですが、それに対して沖縄メディアがよってたかって攻撃しています。「オール沖縄の理念を踏みにじるものだ」という文面を見た時はさすがにクラクラしました。
確かに民意は大切で、そして基地への県民投票となった2014知事選で反対派が勝利したのも事実です。しかし、だからといって基地賛成派の存在そのものを消し去ろうとする今の沖縄メディア・県民の言動は異常と言わざるをえません。もはやこの県に言論・思想の自由は存在しなくなってしまいました。日本で最も民主主義への理解が遅れた後進的な県に成り下がってしまいました。
そういう風潮を作っているのはタイムスと新報という二大新聞に依るところが大きいです。県外では朝日・毎日・ネットのハフィントンポストなどがその役割を担っています。繰り返しになりますが、このメディアは政権与党に対しては「少数意見を無視するな」「民主主義の暴走だ」と言い、翻って沖縄では先頭にたって民主主義の暴走と言論弾圧を押し進めています。クラクラする。
どこぞの作家が沖縄の新聞は潰した方がいいとか言ったらしいですが、まあどちらか一つは潰れてもう少し中道よりの新聞が根付かない限り、沖縄県民の知性レベルはいつまで経っても中世止まりなのかなと暗澹たる気持ちになります。
2014年の暮れにおこなわれた沖縄知事選で基地反対派の翁長氏が勝利したのを境に、沖縄という地域は決定的に変わってしまったように思われます。
基地反対派は「オール沖縄」という標語を掲げていますが、実際は全然そんなこと無いわけです。
反対派の翁長雄志 51.7%
賛成派の仲井眞弘多 37.3%
このように確かに差はついていますが、とてもじゃないけど「オール沖縄」とは呼べない得票率です。
選挙で勝ったからといってこの4割近い民意を完全に無視してオール沖縄と連呼する反対派の態度は、まさに最近リベラル系メディアが政府・自民党に対して頻繁に使う「民主主義の暴走」とは言えないでしょうか。国政では「少数派にもっと配慮しろ!」と与党を批判し、同じ口で沖縄基地問題では反対派を完全に無視して「オール沖縄!」と叫ぶ。このダブルスタンダードはいったい何なんでしょう。
以前のタイムス・新報(沖縄二大新聞)はもう少し基地賛成派にも配慮してました。基地が無くなる事で生計が成り立たなくなる人もいるし、また必ずしも基地は悪い面だけでなく国家の安全保障面で重要な存在であるという論陣を(たまーーに)社説等で張る事でそれなりにバランスを取ろうとする姿勢が垣間見えていました。それが去年の12月の知事選を境にガラッと変わってしまった。紙面には感情的な檄文が跋扈し、それを読んだ県民も高揚し、一種のお祭りムードが沖縄に漂っています。
まあそんなことは正直どうでもいいって言っちゃえるぐらい、こちらの言論弾圧問題の闇が深いように思われます。
「オール沖縄」という言葉に惑わされて沖縄県民が一丸となって基地に反対しているという印象をお持ちの方もいるでしょうが、それは大間違いです。知事選では35%近くは基地賛成派の候補に投票しており、また中国に近い離島では議会・島民共に圧倒的に賛成派が多数を占めています。2014知事選以前は、賛成派と反対派は反対派が優位ながらもそれなりに拮抗した存在であり、お互いにお互いの立場をある程度尊重し合う間柄でした。
知事選後に何が起きたのかというと、大まかに分類すれば以下の2つです。
1.ネットで基地に許容的な態度を示した人への反対派からの徹底的な攻撃
草の根レベルではありますが、選挙で勝利した側が負けた側の言論を封じようとする動きが加熱しました。
twitterで米軍基地に好意的なことを書こうものならイナゴのごとく罵倒tweetが大量に飛んできます。
飲食店の店主が基地賛成派だからといって食べログで批判的なレビューを書く人まで現れる醜悪極まりない事案も。
中国本土に近い側の島では安全保障上の観点から米軍基地への賛成ならびに自衛隊基地を誘致しようと議会レベルで推進しているのですが、それに対して沖縄メディアがよってたかって攻撃しています。「オール沖縄の理念を踏みにじるものだ」という文面を見た時はさすがにクラクラしました。
確かに民意は大切で、そして基地への県民投票となった2014知事選で反対派が勝利したのも事実です。しかし、だからといって基地賛成派の存在そのものを消し去ろうとする今の沖縄メディア・県民の言動は異常と言わざるをえません。もはやこの県に言論・思想の自由は存在しなくなってしまいました。日本で最も民主主義への理解が遅れた後進的な県に成り下がってしまいました。
そういう風潮を作っているのはタイムスと新報という二大新聞に依るところが大きいです。県外では朝日・毎日・ネットのハフィントンポストなどがその役割を担っています。繰り返しになりますが、このメディアは政権与党に対しては「少数意見を無視するな」「民主主義の暴走だ」と言い、翻って沖縄では先頭にたって民主主義の暴走と言論弾圧を押し進めています。クラクラする。
どこぞの作家が沖縄の新聞は潰した方がいいとか言ったらしいですが、まあどちらか一つは潰れてもう少し中道よりの新聞が根付かない限り、沖縄県民の知性レベルはいつまで経っても中世止まりなのかなと暗澹たる気持ちになります。
はてブでポツダム宣言の現代語訳が話題になっていた。だが、外務省による文語訳が、現代語訳者により「この文章を理解できる日本人が何人いるか?」と揶揄されていたり、ブコメでも「いい加減なカタカナ混じりの変な訳」などとDISられていたりして気になった。そこで、文語訳の仮名遣い、送り仮名、句読法、一部の漢字を現代風に改めてみた。文法はそのままだが、普通に読んで理解できる文章になったと思う。
http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j06.html
米、英、支、三国宣言
1、我ら合衆国大統領、中華民国政府主席および「グレート・ブリテン」国総理大臣は、我らの数億の国民を代表し、協議の上、日本国に対し、今次の戦争を終結するの機会を与うることに意見一致せり。
2、合衆国、英帝国および中華民国の、巨大なる陸海空軍は、西方より自国の陸軍および空軍による数倍の増強を受け、日本国に対し、最後的打撃を加うるの態勢を整えたり。右軍事力は、日本国が抵抗を終止するに至るまで、同国に対し、戦争を遂行するの一切の連合国の決意により支持せられ、かつ鼓舞せられ居るものなり。
3、決起せる世界の自由なる人民の力に対する、「ドイツ」国の無益かつ無意義なる抵抗の結果は、日本国国民に対する先例を、極めて明白に示すものなり。現在、日本国に対し集結しつつある力は、抵抗する「ナチス」に対し適用せられたる場合において、全「ドイツ」国人民の土地、産業および生活様式を、必然的に荒廃に帰せしめたる力に比し、計り知れざるほど、さらに強大なるものなり。我らの決意に支持せらるる、我らの軍事力の最高度の使用は、日本国軍隊の不可避かつ完全なる壊滅を意味すべく、また同様、必然的に、日本国本土の完全なる破壊を意味すべし。
4、無分別なる打算により、日本帝国を滅亡の淵に陥れたる、わがままなる軍国主義的助言者により、日本国が引き続き統御せらるべきか、または理性の経路を日本国が踏むべきかを、日本国が決意すべき時期は到来せり。
5、我らの条件は左のごとし
我らは、右条件より離脱することなかるべし。右に代わる条件存在せず。我らは遅延を認むるを得ず。
6、我らは、無責任なる軍国主義が世界より駆逐せらるるに至るまでは、平和、安全および正義の新秩序が、生じ得ざることを主張するものなるをもって、日本国国民を欺瞞し、これをして世界征服の挙に出ずるの過誤を犯さしめたる者の権力および勢力は、永久に除去せられざるべからず。
7、右のごとき新秩序が建設せられ、かつ日本国の戦争遂行力が破砕せられたることの確証あるに至るまでは、連合国の指定すべき日本国領域内の諸地点は、我らの、ここに指示する、基本的目的の達成を確保するため、占領せらるべし。
8、「カイロ」宣言の条項は、履行せらるべく、また日本国の主権は、本州、北海道、九州および四国、ならびに我らの決定する諸小島に局限せらるべし。
9、日本国軍隊は完全に武装を解除せられたる後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的の生活を営むの機会を得しめらるべし。
10、我らは日本人を民族として奴隷とせんとし、または国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものにあらざるも、我らの捕虜を虐待せる者を含む、一切の戦争犯罪人に対しては、厳重なる処罰、加えらるべし。日本国政府は、日本国国民の間における、民主主義的傾向の復活強化に対する、一切の障害を除去すべし。言論、宗教および思想の自由、ならびに基本的人権の尊重は、確立せらるべし。
11、日本国は、その経済を支持し、かつ公正なる実物賠償の取り立てを可能ならしむるがごとき産業を、維持することを許さるべし。ただし、日本国をして戦争のため、再軍備をなすことを、得しむるがごとき産業は、この限りにあらず。右目的のため、原料の入手(その支配とは、これを区別す)を許可さるべし。日本国は、将来、世界貿易関係への参加を許さるべし。
12、前記、諸目的が達成せられ、かつ日本国国民の自由に表明せる意志に従い、平和的傾向を有し、かつ責任ある政府が樹立せらるるにおいては、連合国の占領軍は、直ちに日本国より撤収せらるべし。
13、我らは、日本国政府が直ちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、かつ右行動における同政府の誠意に付き、適当かつ十分なる保証を提供せんことを、同政府に対し要求す。右以外の日本国の選択は、迅速かつ完全なる壊滅あるのみとす。
差別的である という単語を簡単に使うことは言論弾圧だし思想の自由も表現の自由も奪ってるだろ。
そもそもR18でもっとひどい表現をしている作品なんていくらでもある。正面からAVってのもいくらでもある。
彼らが反応したのは『人工知能』というところで、単純に『人工知能』に差別的な思いがあって不快感を表明している。
正直、単なるクレーマーなので気にしない方がいい。2%程度のクレーマーはどこにだっている。
本屋で立ち読みができない不愉快だというクレームを付ける人だっている。
正直、『表現』を扱う人間が他人の『表現』に対して『意見』をいうのならともかく『差別』という強い単語を持ちだしたのは、クリエイターとしては残念だった。
なんで、すくなくとも金回りは良くなってプリバブルが起きて、利益が出ることを嫌わなきゃいけないんだ。
しかも、スポーツマンが何をしようと、俺らには全く関係ない。嫌だから見ないんじゃなくて、興味が無いから見ない。
興味が無いから見ないものを、他人が喜んでみているのを潰す理由なんてどこにもないだろ?
繰り返しになるが、オリンピックが嫌なんじゃない、興味が全くないんだ。
となったら、残るのは自分たちが支払っている税金の問題。そこに終始するのは当然では?
ただまぁ、オリンピックが希望という人がいるのなら、なら、僕らは黙っているのが一番いいなと思う。
すくなくとも、日本全体の無駄予算に比べればオリンピックの無駄なんて大したことじゃない。
放置したって、構わないと言われれば、そのとおりだ。
オーライ。好きにしてくれ。悪かったな。 この件については黙るのが一番いい。