はてなキーワード: 家事労働とは
つまり俺様は稼いでるんだから妻が家事労働するのは当たり前でそれに対する評価なんかしない、ってか。
それとこれとは関係ないと思うんだけど。
妻に働いてほしいってのは金の問題っていうか、掃除もしないでDVDとか見てる時間があるなら少しでも働いてくれりゃあいいのに、ってことよ。家に篭ってるより気分転換にもなるだろ?
気分転換が目的・かつ働くのは難しい事が分かってるなら、趣味の習い事を提案してみるとか他に考える事があるんじゃないか?
それは嫌だ、働け、ってなら「そこまでの金はない」or「嫁の趣味代出すなんて無駄金だから嫌だ」or「俺様が働いている間に習い事なんて許せない」って事だよな。
DVD見てるのだって家に閉じ込められて鬱々としてるけど他に気分転換の手段もなく金がかかる事も出来ないから惰性で見てるだけかもしれないのに。
・自分のことを自分でしない人間(特に男、母親に甘やかされてるから)が多いこと
職場で、他人に自分のコップを洗わせる男とか、何考えてるんだか…
男に自分で自分のことをやらせない、本人にやらせたらいいようなことまでやってしまう女も問題だと思うけど。
若い世代は違うと思いたいけど、40代以上の男は、母親が専業主婦で何でもやってくれて当たり前、家では妻が専業主婦で何でもやってくれて当たり前、みたいな人間がいるから、ゾッとする。
自分で自分のことをできない・やらないことを恥ともなんとも思ってないその感覚に、嫌悪感を感じる。
異常に慣れ過ぎてるんだろうな、日本の異常な環境でしか生きられないような人間。
よく見かける、「一人暮らしなら調理が大変ですが」「一人暮らしなら面倒ですが」とかって言葉も、一人暮らしじゃないなら誰か他の人がやってくれるという前提で書かれてて、気持ち悪いな、と。
一人暮らしじゃなくても自分で自分のことをやるのが当たり前の社会なら、そんな言葉は出てこないでしょ。
親元に住んでたら誰か(主に母親)が面倒なことをやってくれる、という前提があるから、そういう言葉が当たり前に使われるんだろうけど、それって異常だし、気持ち悪いな、と。
自分のことは自分でやれ、と思うし、自分のことを自分でできないことを恥と思わない価値観、自立してないことを恥と思わない価値観は、馴染めない。
ずっと実家暮らしでも恥ずかしいと思われないのも、自立を求められない社会だからこそ、なのかな。
親に依存して、大人になってそれが終わったら会社に依存したり子供に依存したり。大人になっても親に依存したままの人間もいるし。
男は会社に経済的に依存して(終身雇用だから、クビになると生活に困る)女は夫に経済的に依存して(子育てで正社員を辞めると正社員に戻れないから、夫に依存することになる)そういうの、不健全で、気持ち悪い。
そうやって、何かに依存してる自立してない人間が多いのも、日本が病んでる理由の1つかな。
自分のスキルで、どの会社でも通用するような人間になる、という、自立した働き方ができないの、中途採用前提ではない社会、害が大きいと思うんですけど。
その組織じゃないと通用しない人間、その組織が無くなると困る人間を量産して、長時間労働や終身雇用のせいで、子育てで正社員を離れたらもう正社員には戻れないから、夫がいないと生きられない人間を量産して、労働環境にメリットが見出せない。
そんな、働く側にメリットが少ない労働環境だから、ますます労働者は病むし、消費は落ち込むし。
労働環境が変われば、消費も回復して、景気も回復するのかなー…
働き方改革とか言いながら、長時間労働と非正規の量産を変えるつもりはないみたいだし、この国はどこに向かいたいのか、理解不能。
CMだったり、商品パッケージに女の絵が描かれてたり、そういうの、男が買うのを躊躇するからマイナス効果になる、って思わないのかな?
これは女の人が使う商品ですってメッセージを出して、男に買ってもらえないより、女の共感に訴えかける方が、メリットが大きいから、なのか?
テレビは見ないけど、たまにTVerでCMを見かけたら気持ち悪いと感じるし、日用品(キッチン用品)のパッケージに女の絵が描かれてる商品が多いのも、気持ち悪いと感じるし。
そういう、家事労働は母親の仕事という洗脳があるから、家事労働をやらなくていいと思い込む男が量産されるんだろうなと思うけど、イクメンとか言うなら、CMとか商品パッケージとかも考え直したら?って思うけど。
今のままじゃ、母親の仕事というメッセージが強すぎて、男が入って来づらいだろうし。
会社は男の領域、家庭は女の領域というメッセージ・洗脳が多すぎて、嫌になる。
・男が女を見下しても許される風潮
これが一番異常だよね、女性差別が許容されてる現状。
見かけても諦めて流す女性が多いから、男が自分のしてることの問題に気付かず調子に乗る、っていうのがこれまでのパターンだから、流さず、おかしいことはおかしいと言っていくことが必要だけど…
当たり前に差別発言をしてくる男が多すぎて、嫌になる。
差別が当たり前になり過ぎてる、この国の文化として、女性蔑視が長く続いてきてるから、その感覚で、当たり前に言ってるんだろうけど、それが問題だってなぜ気付かない? と、頭の悪さにイライラする。
そういう男ばかりではないけど、そういう男が多すぎるから、日本で女として生きてたらストレス溜まるよな、と。
男を憎んで、男を記号としての男としてしか見えず、1人の人間として見えなくなっても、仕方ないよな、と。
だって、男どもが、女を1人の人間として見ずに、記号としての女としてしか見てないから。
男は女を記号として見て、決めつけて、偏見に塗れた見方をしてきて、差別してきて、見下してきて、と、最悪だけど、そんな男どもを記号としてしか見えない、一括りに「クソ男」としてしか見えない、私みたいな人間の見方にも問題はあるんだろうな、と思う。
男の想像力のなさ、差別していることへの自覚のなさが許せない。
今日も、女だけの街に住みたいの件で「勝手に虐げられてると主張して、女は怖い」みたいなコメントを見たけど、その想像力の無さはどうしてなのか。
そいつだけではなく、女が虐げられてることを理解してない想像力のない男・加害側の自覚の無い男が多い、許せない。
逆の立場に立って考えることが、なぜできないのか。
想像してみればいいのに。
政治や経営者に女ばかりで、搾取される側の非正規は男ばかり、街中には若い男の半裸やポスターばかり(コンビニには成人向け雑誌まである)、若い男は「DK」と呼ばれ特別な目で見られ、金で買いたがる大人も多く、買う側よりも売る側の方を責める社会。
判断能力のない子供より、買う側の大人の方が悪いのに、権力を持つ側を擁護して、売る側の方を矯正しようとする。
女の不倫は認められるけど、男の不倫は認められない、男は性犯罪やセクハラの被害に遭うのが日常的で、被害を訴えたら加害側に叩かれる、被害者側に非があったと言われる。
同じ学歴・同じ雇用形態であっても、男の方が給料が低くなるという賃金格差もある。
子供を持ったら、女は仕事だけでいいのに、男は家事労働と仕事と両方をしないと認められない。家でも外でも働かないと一人前だと認められない。
反対になった場合を想像したら、少しは理解できるのか? 頭の悪い男でも。
そうやって、自分たち男側が、差別され、搾取され、消費され、性別だけで不利益を被る側になった場合、をなぜ想像できないのかな?
逆転させてみたら、普段、どれほど自分たち男側が、女を虐げてるのか、少しは理解できるのかな?
性差別が当たり前のようにあり、男として社会に参加してるだけで女を虐げてるのに、それに無自覚で、それだけでも腹立たしいのに、表面しか見ないクソ男は「女が得をしててずるい」とまで言う。
そういう、差別構造ゆえに、一見得をしているように見える制度が生まれることに、なぜ、理解が及ばないのか。
全ての男がそうではないだろうけど、大概の男は、差別構造に無自覚で(自分が差別する側だから)「女が虐げられていると勝手に主張してる」みたいなコメントをするし、それだけならまだしも、差別構造ゆえの差別解消のための優遇措置だけを見て、女尊男卑だとのたまう男もいる。死んでほしい。
私は兼業主婦だ。
働く理由は、『生きがいがほしいから』『社会から取り残されたくないから』『仕事が好きだから』ではなく、
ただそれだけ。
専業主婦になりたい。
仕事してても家事はしなければいけやい、子育てもしなければいけない。
共働きしなくても自分を養えるだけの十分な経済力のあるパートナーがいるか、
どれかでしかない。
羨ましすぎる。
専業主婦の話になると、必ずと言っていいほど『家事労働を賃金に換算すると』という話が出てくる。
費用がかかる。
でも、家事はあくまでも家の中のことであって、間接工数でしかない。
請求書を発行するとか、給与計算するとか、会社の事務的な仕事って、会社にとって絶対に必要なことだけど、
だから、必要な部門であり、それは無駄な経費ではないことが分かる。
起業したてとか、人数が少ない、とかで、稼ぎつつ、事務仕事も自分でやる、という人もいる。
スタッフがバックヤードを支えてくれるからこそ、フロントが稼げる、とはいうけれど、
フロントが稼いだ分でスタッフは食わせてもらっているのが現実。
いつの間にか夢が叶っていた。
腑に落ちないけど。
育児お疲れ様です。私は上が5歳男子、下が2歳女子の父親です。1歳を超えたあたりから育児たのしくなるってあたり、そうだなぁ、と思いました。
子どもがハイハイしだすと、追いかけると喜ぶみたいなやりとりが楽しかったな。私より嫁さんの方が楽しそうにしてますが、そういう光景を見るのも良い。
あと2人目だと楽というのもそう。段取りというか育児になれてきました。
賃金労働をするしない、に関してですが、アンペイドワークみたいな考え方があっても良いのでは?と思いました。育児や家事も労働ですし。私は嫁さんの家事についてはどんな結果であれ感謝というか絶讃してます。
これについては1970年代のフェミニズムは良い仕事をしたと思っています。家事労働も労働で評価されるべきものだと思います。
あとちょっと目線を変えて、たとえば将来的に納税できるような子どもに育てる、というのも一つの社会貢献ではありませんか。
難しいチャレンジに見えるかもしれませんが、子どもを含むあなたの周辺の人間がもらっている税金以上をあなたの子どもが納税するようになれば、それは持続可能な社会への貢献だと思います。
(別に寄付するような子どもにする必要はなくて、子どもがある程度の収入を得られる程度まで育てれば行政が徴税しますよね)
それと育児中の女性を支える独身女性という構図で、独身女性側の不満が強くなるのは、簡単に言っちゃうと、不平等から来る妬みだと思います。
「お前らは手に入れているのに、なぜ私達は手に入らないのか」どの分野でもこういうのありますよね。移民も貧富も性的マイノリティも、で、女性内でも。もちろん男性内でも非モテ、最近だとキモ金みたいな。人間って不平等には敏感です。
じゃぁ、女性内でも平等、たとえば全ての女性はハッピーな子育てができるべきだ、みたいな状況が良いか、主張が可能か、というと悩ましい。
そういうスローガンというか社会に訴えかけられますか、という疑問がある。
1980年代、「ずっと独身で働き続ける女性がお局様と言われて揶揄される状況はおかしい」(これはもっともです)という主張がフェミニズムからされていました。
怒髪天を衝く勢いでした。そういった勢いが女性の社会進出を促し、賃金労働と消費の喜びを女性にもたらしたように思います(スイーツのレベルが凄く上がりましたよね。良いことです)
働く独身女性は過ごしやすくなったのではないかな。結婚しない、女性の性的自由が尊重されました。
あの時代にフェミニズムでは女性のあるべき姿としては賃金労働の方に振ってしまっていて、専業主婦は切り離され、攻撃の対象になってしまった感じがします。もう行政だと専業主婦を匂わせるパンフレットってないんじゃないかな、政治的に正しくないので。この辺はフェミニズムの功罪かな、と。
家庭を大事にするために専業主婦になる女性像、みたいなものが許容されるのは難しいかな、とちょっと残念です。
この辺はまぁ、後の世の人が判断するのではないでしょうか。独身女性というか子どもを育てない女性はこれからもどんどん増えるでしょう。少子化がより進めば納税者は減り、上記のような納税者の価値はあがるのでは、と思ったりもしています。
始めに言っておくと、私はエマ・ワトソンは男性側にかなり融和的な方向性取ってるな、と思ってて別にエマワトソンになんら含むところはありません。
ただ、それでもエマ・ワトソンが述べている理屈にも論理的に穴はあると思ってるし全てに賛同できるわけでもありません。
それはフェミニズムでもメンズリブでもなんでもそうだと思いますけど。
「個人的なことは政治的なこと」っていうフェミニズムで重要な役割を果たしてきた言葉があります。
従来、個人的(プライベートパーソナル※指摘あったので修正)なことってのは公的(パブリック)な部分とは完全に分けられていて基本的に関係のないことです。
という前提で議論がされていました(1920年代以降の第一波フェミニズムのあたり)
例えば選挙権に関して言うと公的なことなのできちんと女性の権利を向上させよう。
といった具合に。
ところが第二波の辺りからこの点に関して疑義が呈されるようになってきました。
「実は個人的なことって政治的な事にものすごい影響与えてない?」
とか
「政治的にはこうだから、個人的なこともこうなっちゃうんじゃないの?」
っていうロジックが出てくるようになったんですね。
これは具体例で言うと
「女性ばかりが家事の分担をするのは、女性は家事をするべきという公的な目線が原因じゃないの?」
とか
「仕事を任されないので時間がある女性ばかりが家事をしてしまっている。公平であるなら男女の仕事の時間も同じになってその結果家事労働も平等化されるはずだ。」
とかね。
当然その観点で見た性愛や家族に関する議論もおこなわれました。
その中に
「男性が若い女性ばかりを性的な目線で見るから、女性がそういう行動をとるようになる」
今でもそういった議論の影響は強くて男性はそうした観点から有形無形の批判をあびてます。
例えば、不景気なので個人個人が銀行にお金を預けないでタンス預金していたら
市場にお金が回らなくなって結果的に全体で不利益を被る人が増えた。
つまり
「個々人で見ると小さなことなんだけど、それをマクロな視点で見ると社会に非常に大きな影響を与えてしまっている」
って言う話に繋がるわけです。
この理屈で行くと
という一見して社会的な構造とはあまり関連性のないように見えることが議論の上で非常に大きな論点になってくるわけです。
「女性が意識的・無意識的に強い男性を好むほど、男性も女性からの承認を得ようと強くなろうとする。その結果普遍的な女性一人一人の選択が家父長主義的な社会構造を維持することに大きな影響を与えてしまう」
という話に当然なってしまうんですね。
もちろん男性側の選択もそういった家父長主義を助長してしまう側面は大いにあって
若い女性を好むと、相対的に知恵も経験も薄い女性が選ばれがちになってしまって無意識的に家父長主義になってしまう、という側面があります(というか、フェミニズムなんだから当然こっちが主題だけど)
こういった人達が集合すればするほど社会に家父長主義的な風潮が増加しちゃいますよってことなんですね。
強い女性に指摘される「弱い男性を無意識的に排除してしまうと結果的に家父長主義が蔓延しちゃうだろうが!」
ってのが
「フェミニストは個人的なことは政治的なことを無視している」→「フェミニストは弱者男性を無視している」
というお話に繋がるわけです。
で、それを踏まえた上で「エマ・ワトソン演説」を見ると実は従来のフェミニズムに比べて大きく弱者男性に歩み寄った姿勢だと言えます。
つまりようやくフェミニズムが弱者の男性に目を向け始めた第一歩であると捉えられるわけです。
※もちろん以前からこういったことを言っている人は山ほどいるし、少し大げさな言い方ですけどね。でも影響力の強い人がこういったというのは本当に重要なことですよ。
なぜエマ・ワトソンが一部の女性から強烈に叩かれるのか、というのもこれで構図がわかると思います。
なので、その歩み寄ったエマに対していきなり「弱い男性と付き合えよ」ってのは話を進めすぎだし性急に過ぎると思いますね。
議論もまとまりきってないし、女性から男性への個人的・政治的な介入をどうすべきなのかについてはもっと違う方法があるかもしれません(強者女性がそのまま弱者男性を養うのが政治的にただしいこととするにはまだ理屈が弱すぎます)
ただし、エマ本人ではなく「女性一人ひとりの選択が社会に大きな影響を与える」っていうのに無自覚だった女性はこの点について大きな矛盾を指摘されているのも事実です。
もしあなたが「家事労働は男女平等に大きな影響を与えるので男性も考えるべき」と思っているのであれば
「女性が強い男性を好む事に無自覚である」という部分にも大きな注意を払わねばなりません。
エマ・ワトソン演説というのはフェミニズムにおいて、そういう意味で非常に重大な、一つのポイント・オブ・ノーリターンであったわけです。
男女が平等になるには男性に全てを任せるだけでは駄目で、女性自身もそういった社会に対するコミットメントが求められます。
「女性が無自覚に、強い男性ばかりを好きになり結婚してしまう」
というのは
の対比であり、厳しいことを言うなら
「強者男性に媚を売る女性は動物の本能のままに生きている獣のような女性」
と言うことに過ぎないわけです。
もちろん実際には全ての女性がそういった振る舞いをしているわけではありません。
というか一般的には色んな立場の男性に対して優しく接している人も多いですし、好みの男性じゃないからといって職場でゴミのようにあしらうなんてことしてる女性はまずいません。
若い女性が部下にいるからといってすべての男性がその女性を明らかにえこひいきしているわけではないようにです。
※環境で行動は左右されがちですし、男女どちらにも例外はいるものですが。
ここでは女性をメインにした話をしましたが、男性も改めて「個人的なことは政治的なこと」とはなんなのか考えてみるといいですね。
https://anond.hatelabo.jp/20170704124724
実家に300個ほどガンプラを積んでた三十代のオタクが母親に一部を勝手に捨てられたと誤解し発狂して実家に火を付けて自殺未遂した事件で、オタク達は最低の母親だな自分の家を燃やしたなら別にいいじゃんという反応をしていた。
しかし三十代になったらもう実家は自分の家ではないのでは?と思う、親の家を家主の許可なく大量のガンプラで埋め尽くして、あげくに家を燃やした糞野郎では。
三十代くらいまで親と同居してる人は親と揉めている人が多い、大人がいつまでたっても大人に依存して甘えるのは親子ともに歪みが出る。
親は子供より何十年か前に死ぬ、経済や家事労働そして何より孤独を避けられる事に甘えて依存するのは子供のためにならない。
まだ親に甘えられるうちに離れていき親が死んでも支障なく生きられるようになるべきだ。