はてなキーワード: 家事労働とは
育児お疲れ様です。私は上が5歳男子、下が2歳女子の父親です。1歳を超えたあたりから育児たのしくなるってあたり、そうだなぁ、と思いました。
子どもがハイハイしだすと、追いかけると喜ぶみたいなやりとりが楽しかったな。私より嫁さんの方が楽しそうにしてますが、そういう光景を見るのも良い。
あと2人目だと楽というのもそう。段取りというか育児になれてきました。
賃金労働をするしない、に関してですが、アンペイドワークみたいな考え方があっても良いのでは?と思いました。育児や家事も労働ですし。私は嫁さんの家事についてはどんな結果であれ感謝というか絶讃してます。
これについては1970年代のフェミニズムは良い仕事をしたと思っています。家事労働も労働で評価されるべきものだと思います。
あとちょっと目線を変えて、たとえば将来的に納税できるような子どもに育てる、というのも一つの社会貢献ではありませんか。
難しいチャレンジに見えるかもしれませんが、子どもを含むあなたの周辺の人間がもらっている税金以上をあなたの子どもが納税するようになれば、それは持続可能な社会への貢献だと思います。
(別に寄付するような子どもにする必要はなくて、子どもがある程度の収入を得られる程度まで育てれば行政が徴税しますよね)
それと育児中の女性を支える独身女性という構図で、独身女性側の不満が強くなるのは、簡単に言っちゃうと、不平等から来る妬みだと思います。
「お前らは手に入れているのに、なぜ私達は手に入らないのか」どの分野でもこういうのありますよね。移民も貧富も性的マイノリティも、で、女性内でも。もちろん男性内でも非モテ、最近だとキモ金みたいな。人間って不平等には敏感です。
じゃぁ、女性内でも平等、たとえば全ての女性はハッピーな子育てができるべきだ、みたいな状況が良いか、主張が可能か、というと悩ましい。
そういうスローガンというか社会に訴えかけられますか、という疑問がある。
1980年代、「ずっと独身で働き続ける女性がお局様と言われて揶揄される状況はおかしい」(これはもっともです)という主張がフェミニズムからされていました。
怒髪天を衝く勢いでした。そういった勢いが女性の社会進出を促し、賃金労働と消費の喜びを女性にもたらしたように思います(スイーツのレベルが凄く上がりましたよね。良いことです)
働く独身女性は過ごしやすくなったのではないかな。結婚しない、女性の性的自由が尊重されました。
あの時代にフェミニズムでは女性のあるべき姿としては賃金労働の方に振ってしまっていて、専業主婦は切り離され、攻撃の対象になってしまった感じがします。もう行政だと専業主婦を匂わせるパンフレットってないんじゃないかな、政治的に正しくないので。この辺はフェミニズムの功罪かな、と。
家庭を大事にするために専業主婦になる女性像、みたいなものが許容されるのは難しいかな、とちょっと残念です。
この辺はまぁ、後の世の人が判断するのではないでしょうか。独身女性というか子どもを育てない女性はこれからもどんどん増えるでしょう。少子化がより進めば納税者は減り、上記のような納税者の価値はあがるのでは、と思ったりもしています。
始めに言っておくと、私はエマ・ワトソンは男性側にかなり融和的な方向性取ってるな、と思ってて別にエマワトソンになんら含むところはありません。
ただ、それでもエマ・ワトソンが述べている理屈にも論理的に穴はあると思ってるし全てに賛同できるわけでもありません。
それはフェミニズムでもメンズリブでもなんでもそうだと思いますけど。
「個人的なことは政治的なこと」っていうフェミニズムで重要な役割を果たしてきた言葉があります。
従来、個人的(プライベートパーソナル※指摘あったので修正)なことってのは公的(パブリック)な部分とは完全に分けられていて基本的に関係のないことです。
という前提で議論がされていました(1920年代以降の第一波フェミニズムのあたり)
例えば選挙権に関して言うと公的なことなのできちんと女性の権利を向上させよう。
といった具合に。
ところが第二波の辺りからこの点に関して疑義が呈されるようになってきました。
「実は個人的なことって政治的な事にものすごい影響与えてない?」
とか
「政治的にはこうだから、個人的なこともこうなっちゃうんじゃないの?」
っていうロジックが出てくるようになったんですね。
これは具体例で言うと
「女性ばかりが家事の分担をするのは、女性は家事をするべきという公的な目線が原因じゃないの?」
とか
「仕事を任されないので時間がある女性ばかりが家事をしてしまっている。公平であるなら男女の仕事の時間も同じになってその結果家事労働も平等化されるはずだ。」
とかね。
当然その観点で見た性愛や家族に関する議論もおこなわれました。
その中に
「男性が若い女性ばかりを性的な目線で見るから、女性がそういう行動をとるようになる」
今でもそういった議論の影響は強くて男性はそうした観点から有形無形の批判をあびてます。
例えば、不景気なので個人個人が銀行にお金を預けないでタンス預金していたら
市場にお金が回らなくなって結果的に全体で不利益を被る人が増えた。
つまり
「個々人で見ると小さなことなんだけど、それをマクロな視点で見ると社会に非常に大きな影響を与えてしまっている」
って言う話に繋がるわけです。
この理屈で行くと
という一見して社会的な構造とはあまり関連性のないように見えることが議論の上で非常に大きな論点になってくるわけです。
「女性が意識的・無意識的に強い男性を好むほど、男性も女性からの承認を得ようと強くなろうとする。その結果普遍的な女性一人一人の選択が家父長主義的な社会構造を維持することに大きな影響を与えてしまう」
という話に当然なってしまうんですね。
もちろん男性側の選択もそういった家父長主義を助長してしまう側面は大いにあって
若い女性を好むと、相対的に知恵も経験も薄い女性が選ばれがちになってしまって無意識的に家父長主義になってしまう、という側面があります(というか、フェミニズムなんだから当然こっちが主題だけど)
こういった人達が集合すればするほど社会に家父長主義的な風潮が増加しちゃいますよってことなんですね。
強い女性に指摘される「弱い男性を無意識的に排除してしまうと結果的に家父長主義が蔓延しちゃうだろうが!」
ってのが
「フェミニストは個人的なことは政治的なことを無視している」→「フェミニストは弱者男性を無視している」
というお話に繋がるわけです。
で、それを踏まえた上で「エマ・ワトソン演説」を見ると実は従来のフェミニズムに比べて大きく弱者男性に歩み寄った姿勢だと言えます。
つまりようやくフェミニズムが弱者の男性に目を向け始めた第一歩であると捉えられるわけです。
※もちろん以前からこういったことを言っている人は山ほどいるし、少し大げさな言い方ですけどね。でも影響力の強い人がこういったというのは本当に重要なことですよ。
なぜエマ・ワトソンが一部の女性から強烈に叩かれるのか、というのもこれで構図がわかると思います。
なので、その歩み寄ったエマに対していきなり「弱い男性と付き合えよ」ってのは話を進めすぎだし性急に過ぎると思いますね。
議論もまとまりきってないし、女性から男性への個人的・政治的な介入をどうすべきなのかについてはもっと違う方法があるかもしれません(強者女性がそのまま弱者男性を養うのが政治的にただしいこととするにはまだ理屈が弱すぎます)
ただし、エマ本人ではなく「女性一人ひとりの選択が社会に大きな影響を与える」っていうのに無自覚だった女性はこの点について大きな矛盾を指摘されているのも事実です。
もしあなたが「家事労働は男女平等に大きな影響を与えるので男性も考えるべき」と思っているのであれば
「女性が強い男性を好む事に無自覚である」という部分にも大きな注意を払わねばなりません。
エマ・ワトソン演説というのはフェミニズムにおいて、そういう意味で非常に重大な、一つのポイント・オブ・ノーリターンであったわけです。
男女が平等になるには男性に全てを任せるだけでは駄目で、女性自身もそういった社会に対するコミットメントが求められます。
「女性が無自覚に、強い男性ばかりを好きになり結婚してしまう」
というのは
の対比であり、厳しいことを言うなら
「強者男性に媚を売る女性は動物の本能のままに生きている獣のような女性」
と言うことに過ぎないわけです。
もちろん実際には全ての女性がそういった振る舞いをしているわけではありません。
というか一般的には色んな立場の男性に対して優しく接している人も多いですし、好みの男性じゃないからといって職場でゴミのようにあしらうなんてことしてる女性はまずいません。
若い女性が部下にいるからといってすべての男性がその女性を明らかにえこひいきしているわけではないようにです。
※環境で行動は左右されがちですし、男女どちらにも例外はいるものですが。
ここでは女性をメインにした話をしましたが、男性も改めて「個人的なことは政治的なこと」とはなんなのか考えてみるといいですね。
https://anond.hatelabo.jp/20170704124724
実家に300個ほどガンプラを積んでた三十代のオタクが母親に一部を勝手に捨てられたと誤解し発狂して実家に火を付けて自殺未遂した事件で、オタク達は最低の母親だな自分の家を燃やしたなら別にいいじゃんという反応をしていた。
しかし三十代になったらもう実家は自分の家ではないのでは?と思う、親の家を家主の許可なく大量のガンプラで埋め尽くして、あげくに家を燃やした糞野郎では。
三十代くらいまで親と同居してる人は親と揉めている人が多い、大人がいつまでたっても大人に依存して甘えるのは親子ともに歪みが出る。
親は子供より何十年か前に死ぬ、経済や家事労働そして何より孤独を避けられる事に甘えて依存するのは子供のためにならない。
まだ親に甘えられるうちに離れていき親が死んでも支障なく生きられるようになるべきだ。
http://anond.hatelabo.jp/20170213135514
この記事はいろんな論点がごちゃまぜになっていて、ブログ筆者の頭の中で整理されてないから結局なにを言いたいのか分かりにくいんだけど。
とか言って出てきた奴が、
はあ?日本の税法にそんな規定は存在しませんが?どの税目の話でしょうね?
この人が言ってるのはたぶん社会保険のことですね。
(一応世の中には国民健康保険税なんて言葉があるけど明らかここでは関係なし。)
別にさあ
「自分が極めて曖昧な知識しかもってない」っていう自覚は欲しいよね。
どうしてもやりたかったら議論の前に勉強必要だって思えるじゃん。
「社会保険料を払わない専業主婦が社会保険金を受け取るのはおかしいではないか」
ということですね。
簡潔かつ正確になりましたね。これが整理です。
(こいつが自分で言ってた整理というのは
「知識ガバガバ論点ガバガバなまま自分の言いたいことに集中する」
ことなので、厳密には整理とは言いません。
たとえば部屋を散らかしたまま「今日はこの仕事をする!」と打ち込んでも
それは集中ではあっても整理ではないですね。)
働かないのは別にいい。でも税金を納めてないのに税金で賄われる社会福祉を納税してる人と同じく受けたいというのは、どうなんだろう。
いやいや、お前は専業主婦を寄生虫と呼ぶ人達と全く同じ論理だよ。
ニートも老いぼれも障碍者も休職者も社会福祉から追放しないとねーっていうお馴染みのあの論理じゃねーか
「病人や障碍者には配慮するし!」っていうのは枝葉の議論であって、それさえ言ってたら心あるリベラルだとはなりません。
きょうび新自由主義保守でも「病人や障碍者には配慮します」ぐらいは言うっつの。
長谷川豊ですら「同情出来る病人は殺しません」って言ってただろ。
お前はソッチ系です。
別にそれはそれで一つの立場なのでいいし、嘘をついて誤魔化すのはやめろ。
・ズルをしてる奴がいて、そいつらをしばけばうまくいくという単純な思考
・強い被害者感情
というあたりであって、お前は明かに全部満たしてるだろ。
1番目の項目さえきちんとしてれば2番目3番目もそう安易な方向へ走らないから。
逆に1番目の項目をきちんとしないままお前と逆方向の感情に走るのがバカリベラルな。
こいつらも相当に有害。
はてなはこれが一杯いる。
制度がよくわかんねえまま良心やリベラル心だけで吠える、これも立派な害悪。
もう俺が求めてることは分かってくれただろう。
だけだ。
でもそれぐらい負担するのが暇と知性のある市民の義務だろうが。
念のため言っとくと俺は保守だし男だしたぶん生涯独身になりそうだし
第三号被保険者制度は時代に合わなくなって来てるとは思ってるよ。
でもそれはお前のような雑で未整理な寄生虫議論とは全然違うルートの論理なんだ。
たとえば専業主婦なんてのは見方によっては「労働(家事労働育児労働介護労働その他)してるのに金銭収入を得られず外で働く女性に比べ圧倒的に立場の悪い弱者」でしかない場合もあるが
お前はその程度のことも考えてないだろう。
結論が似た方向でもお前みたいなのと馬並べたくねーんだよ。
例のガッキーのPVみたいなドラマのおかげで、なんかこの話題が盛り上がっているようだが、
正直やめといた方がいいんじゃないのかなと思う。
あのドラマ式に雇用主と従業員という図式で考えた場合、際限なきゴネゴネの果てに待っているのはリストラだ。
そもそも、家事にまつわる女性の要求には2通りのパターンがある。
「男も家事に協力しろ」というものと、「家事労働をもっと高く評価しろ」というものだ。
前述したように、最近盛り上がっているのは後者だが、前者の要求もずっとあって、
その流れで家庭科が男女必修になったりした。
どちらの要求もいたって正当なものだ。しかし、両者を両立させようとすると、途端に無理が生じてくる。
家事に協力するとなると、自分でできることにわざわざ高い金は払いたくなくなるし、
逆に、家事労働がそんなに高くつくなら、自分でやれば丸々浮くからである。
最近はそこを両立する、つまり人並み以上金をくわえてきた上で家事にも協力的、というまことに都合のいい男を
「イクメン」と持ち上げようとする動きもあるが、大半の人にとっては絵空事でしかない。
しかし、今の結婚制度が、相手の所得の少なくとも半分を合法的に持っていける仕組みになっているのは、
それ以外の何かがあるからだと信じたい。
恋ダンス、逃げ恥。つまるとことガッキーのひたすら可愛いさを愛でるドラマだったと思っているのは、僕だけではないはず。
逃げ恥でも話題になっていたけど、主婦の家事労働の対価って話は、いつも片手落ちな気がして仕方がない。
なんでも年収192万円らしいが、これが高いか安いかは人それぞれだから、別にして、192万を主婦に払えって話しではないよね。
仮に夫婦二人で暮らす専業主婦が、この対価を受け取れるとしよう。
ではそれを払うのは誰か?当然、夫と考えがちだが、二人の生活の為の家事労働な訳だから、夫婦で払うわけだ。
さらに2人で暮らしてるわけだから、当然、生活費も折半という考え方になると思う。
ならば仮に月10万円として、年120万を折半にして、60万円の妻負担を引くと36万円が残る。
この時点で、月3万円のこずかいになるが、当然、将来に対する貯蓄もしたいところだ。
共有財産の貯蓄を月5万するとして、その半分の2万5千円。
そうすると残念ながら小遣いが5000円になってしまう。
これは別に小遣いが5000円で十分だと言うのではなく。
なんでこいつら結婚したんだろう?
先日実家に帰った際に、それぞれに言い分を聞けたのだが、より分からなくなった。
母はある時から突然「女としても見てもらえなくなって、そういうこともほとんどしていない」などという観点での愚痴も言い始めた。
実家でゴムを見つけたときも衝撃だったけど、そういう話を堂々とされるのもやだ。
ただこれでわかったのは、母は高卒で就職して24くらいで結婚してからなんとなくその辺の価値観は変化していないのだ。
浮気もしてこなかったのだろう。うちの家で母によく似た姉もそうだが、代々頼んでもないほどクソ真面目に思いつめるのが特徴だ。
だからかもしれないが、恋愛観が非常に幼いのだろう。結婚への価値観も。
ただパートに介護に家事に、ガキ夫の世話によく頑張ったと思う。早くいい環境になって、楽になってほしい。
一方父の方は、最近やっと思っているところをゲロってくれたが、
「思考停止して難しい契約ごととかになると全部俺を頼って来るくせに使い潰しみたいな態度で理解できねえ
金を出したりそういうことをして守っている関係性である以上、立場が上なのは俺で守られているのに態度がおかしい」ということを言っていた。
正直超引いた。
父親が金をかせいでくる間、母親は内部での調整に全力を注いでいたのだが、その家事労働やメンタル奉仕には何の評価もつかないらしい。
母は父を邪険に扱うこともあり、たしかに可愛げがなくみえるのかもしれない。
しかしそれは、母に言わせれば、父親が母親の「生活費が圧倒的に足りない」や「家のことをやっているから感謝してほしい」という訴えへの配慮がないからそうなった、というのだ。
上記のような母の言い分を父親がまるで聞かないのは、母親が感情的な話し方をして(父親からしてみれば)上手く説明できていないので、ほぼ「意味がわからない」で処理されているようである。
母親の感情の機微を察することがまるでできていない。多分似た勤務体系や家庭環境の方に対して、でもないと想像力働かないのだろうなあ。
そういえば、父からしたら「何を言っているかまるでわからない(のでなかったことになっている)意見の述べ方」について、父も何とか努力した気でいるようだった。
父は母を何とかしようとして、「意味がわからない」「論理的に何があったか話せ」と会社で聞いたとしたらクソとしか思えない『指示』を出したようだが、
それで何とかなるわけなかった。
父は母を一生アドバイスを聴かない思考停止女(しかも俺が守ってやっているのに可愛げがない)と思っているし、
母は、父を一生人の話を聞かない自己中尊大男(私が世話してるのに何の感謝もない、愛してくれない)と思っているのだろう。
お互い歩み寄ろうとした時期もあったらしいのだが、なんだか何にも功を奏しているように見えない。
ここ十年間くらいそういったストレスが脳みそのスペースを占め続けていて、しんどい。
母は父から何かを言われるかもしれないとビクビクするばかりで、そういう内容の電話を受けることだけは続けている。
酔って説教する以外のアプローチが父親にはないのだが、母はもうその時間は心の耳栓タイムだと言い聞かせつつ真に受けてメンタルをやられている。
不安障害というらしい。
怯えているのを隠して睨む母親に父が更に機嫌を悪くしている。
引き離してやりたいが母親は離婚は無理そう。。。。と2~3人に話を聞いたところであきらめぎみ。
住宅ローンがまだ残っているのが手痛い。
離婚後は、私が扶養に入れてあげるということも、案としては考えてるんだけど、正直めっちゃ嫌。
メソメソメソメソ、ごめんね私が悪くてといちいち言う OR 元気になると自分の言いたいことしか言わないし、やれば出来ることをできないと言い手を焼かせる…
外に友達作るの上手くないし、きっと私一人に全部の判断を任せたり依存していく。
あーああー母が自分で生きていくには自分で色々考えるしか無いんだってことにどうやったらきづいてくれるんだろう
父親はいつになったらテメーの飯は誰が毎日用意してたのか、感謝してこなかったことに後悔してくれるのかな
正直育ててくれたからありがたいけど、父母はどちらを相手することになっても超面倒。
姉が居るけど、姉はこういうときに図々しく私には家庭があるから無理と言って、
私に諸々押し付けるのがうまそうでいやになる。収入も姉のが少ない、と言われると。
でもそっち結婚したの次男だし正直面倒見てほしい。。。。男側初孫のようだからちょっとだるいけど。。。。
あと衝動買いで犬を4頭にまで増やしたことを父親は死ぬほど後悔してほしい
犬が可哀想すぎる 最低限しか面倒見れていないし 正直あんなメンタルやばい家に居るなんて申し訳ない
もう少しなんか解きほぐしたいな。。。。。。
最近ツイッターで「男女逆転した日本社会」というタグが話題となった。
http://togetter.com/li/1010185
女性がこれまで置かれたきた凄まじい差別を、男性社会の圧力を「男女逆転」という形で告発してくれた。
「多発する強制わいせつ対策のために男性専用車両を設けたが、女性から差別だと猛反発を受ける」
その他にも色々あるからまとめを読んで欲しい。
近年国連から批判が殺到した日本は今更、女性差別問題の解消に向けて重い腰を上げた。しかし相変わらず男性中心の社会であり少しでも女性のために
有利なことをすると「女尊男卑」だの「男性差別」だの宣う手合がいる。これまで千年何百年もの間女性を差別してきたくせに噴飯物の言質である。
未だに、女性は男性社会の中で虐げられている。家庭では当たり前のように家事労働を強制される、巷には女性をモノとしか扱わないような漫画・アニメが氾濫している。
男性に対して勇気を振り絞り声を上げれば、圧倒的な暴力で封殺されていることは変わらない。
思うに、女性差別撤廃のための最良の方法とは、「男女逆転した日本社会」を一度創ることだと思う。
すなわち女性中心の社会で、男性を当たり前のように差別する社会である。
この社会ではかつて女性がされてきたように、男性は毎日女性の存在に怯え抑圧され、暴力を振るわれ消費される。
この社会が今後何百年と続くことで、双方はようやく差別とは何かを理解できると思う。
これは興奮して書いた文章だな。多分本心より大分大袈裟な事を書いているんじゃないか。
俺は意識高いが他のみんなは意識低い、という見下し混じりの自虐系自慢でもある。
>女に家事労働を押し付け男が世界の危機と戦う『サマーウォーズ』
お婆さんが男達以上の働きをした点はどう見るんだ。
>『銀河英雄伝説』のひどさはもはや説明するまでもないし(あれだけの未来で理念的には民主制のはずで女性も大勢従軍している設定の同盟で内閣にひとりかふたりしかいない女性政治家に男ばかりの軍首脳部に妻に家事をさせてのうのうとしている退役元帥サマ)
有史以降女が政治に参加した社会は滅多に無い。軍隊なら尚更。現代が人類史の中でも例外的に多いだけだ。
故に遠い未来の社会で女性政治家が現代より少ないからといって民主制かどうかを疑う理由には成り得ない。
妻に家事をさせたらそれがなんだってんだ。普通の家庭だってそうだろうし、ヤンはユリアンが来るまで部屋が汚かった、軍略以外は射撃も生活能力も凡人以下という設定なんだから寧ろ家事をしていたら設定に外れる。
>同じオタク仲間のはずなのに腐女子を叩く男オタクの存在がつらい。
いや、金がないとか暇がないとかモテないとか、そういうことじゃなくて。
女子高生痴漢絵師とか、女子中学生監禁学生とか、ああいうイカれた犯罪者がたまに出現しちゃうのは防ぎようがないことだとは思うんだけど、連中を持て囃したりネタとして消費したり犯罪者を擁護したりするオタクがかなりの数出現してきていてつらい。もちろん一般人男性にもかなりそういう連中はいるだろうから、オタクだけ取り出してそう言われるのは心外だと言えるかもしれない。でもネット上で目立ってるのは、明らかにオタクの二次加害者だよね。二次元と三次元は関係ないとか、架空の児童より実在児童の人権をとか、そういう旗印がどんどん汚れていくのが見えるのがそれらを未だに掲げ続けようと思っている人間にとってはつらすぎる。
昔は楽しく観れていた小説やアニメや漫画を見直すとたまに地雷にぶち当たってつらい。『涼宮ハルヒの憂鬱』のどぎついセクハラは流石に読んでた当時でもドン引きできたけど、『A君(17)の戦争』や『桐原家の人々』といったコミカルな作品に充満するホモフォビア、女に家事労働を押し付け男が世界の危機と戦う『サマーウォーズ』、同性愛者の尊厳を高らかに謳いあげるその手で異性装者をオモチャにする『ささめきこと』、『銀河英雄伝説』のひどさはもはや説明するまでもないし(あれだけの未来で理念的には民主制のはずで女性も大勢従軍している設定の同盟で内閣にひとりかふたりしかいない女性政治家に男ばかりの軍首脳部に妻に家事をさせてのうのうとしている退役元帥サマ)、それになんといっても『おおきく振りかぶって』の女子マネと女性蔑視(特に花井梓くん! かなりひどいよ君!)と「部活動」という枠組みでの児童虐待と保護者の動員というロイヤルストレートフラッシュ感あふれる組み合わせ、これらが全部スルーされるか美談として話を盛り上げるネタになってるのがつらいし何よりめちゃくちゃおもしろくて今でも好きな作品なのがつらい。桐青戦とか何度見ても胸が熱くなる。つらい。
オタク社会に蔓延る差別の存在がつらい。「腐女子」にばかり「自重」が求められ男性向けはそんなルールを気にせずのびのびと楽しめているという非対称がつらい。同じオタク仲間のはずなのに腐女子を叩く男オタクの存在がつらい。男ばかりがメインキャラで出てきて色々絡む作品に向けられる同性愛者差別発言の数々と、何よりそういう作品をこれまでなんとなく避けてきて嫌悪感を持ってきた自分の中のホモフォビアに気づいてしまうのがつらい。女性蔑視発言を垂れ流すオタクが一定数いるのがつらい。オタクの中に根付いてしまった外国へのステレオタイプや差別感情がつらい。フルメタアナザーで「うるせえ便衣兵!」ってセリフが出てきたときは本当に残念だった。好きな作家さんのtwitterなんて知りたくなかったと思ったことは一度や二度ではない。男性同性愛者向けAVを「ネタ」として使って出演者の名前を出して遊びまくる文化がつらい。
差別ではないけど残念な言動をするオタクが多いのもつらい。政治傾向は人それぞれで、別に自民党支持者だろうが共産党支持者だろうが公明党支持者だろうがそこに文句を言う気はないけれど、敵対する陣営にレッテル張りをして大きな主語で批判して炎上芸してる人がオタクの代表面してることがあって見ていて残念すぎるし同じ口で“オタク差別”を糾弾してたりするのほんと勘弁してほしい。アニメの聖地巡礼が流行る以前からその周辺ではトップクラスの観光地だった場所をつかまえて俺らのおかげで繁栄してるんだぜ的なドヤ顔する連中がいるのがつらい。自分の好きな作品やジャンルを絶対視して他の作品やジャンルを無根拠に蔑視する人、自分のかつての姿と重なって色々な意味でつらい(筋道立てて作品どうしを比較することが悪いと言っているのではない、念のため)。やめろ。やめてくれ。「最近のファンタジー」を殴るために『十二国記』を持ち出すな。
でまあこれらを「最近つらい」とか言っちゃえるのも俺が「普通のヘテロ男性オタク」だからで、女性オタクとか男性でも性的あるいは民族的マイノリティに属するオタクとかはこういう理不尽にずっとずっと僕らが呑気にしてるあいだにも耐えていたんだろうなって思うとほんと自分の鈍感さがつらい。本気で怒っている人を見るまで「ラノベ」を小馬鹿にした感じで語ってもいいものだと思っていた自分の醜さがつらい。そしてなによりも、油断しているとここまで批判してきたような認識がぽろっと口をついて出そうになるし咄嗟に「どこが悪いの?」とか思っちゃいそうだし実際ちょっと思ったりしてる自分の感覚の麻痺っぷりが、一番つらい。
オタクであることは恥じるべきことじゃないし、オタクコンテンツは素晴らしい。でもオタクの一部は、オタクコンテンツの一部は明らかにクソだし、そのクソさは切り離してはいさようならできるものじゃなくてグラデーションになって存在していて、多くのオタクは多かれ少なかれそのクソさに染まってる。全身か指先だけかの違いはあれど。もちろんそれはオタクだけの責任じゃない。オタクは同時に社会に生きる人間でもあって、このクソな社会には既に性差別がインプットされている。けれど少なくとも、そのインプットされた性差別を増幅してきたのは、オタク自身の責任だよね。
自浄作用? オタクのあいだに序列なんてない。ネットでクソなオタクをブッ叩くことはできるけどそこに強制力はないし自浄作用は期待できない。そして、自浄作用がないなら、論理的な帰結として何らかの公的な強制力でもって規制されるほかなくなってしまう。ああそうか、やっと気づいた、腐女子のやってた意味不明で抑圧的な自主規制ルールってコミュニティ防衛のためだったんだな。アンチスパイラルから螺旋族を守ってた螺旋王だったんだな。それにやっと気づいたときにはもう遅くて、10万人の宮崎勤が地上に満ちてアンチスパイラルに色々蹂躙されることになるんだな。俺は嫌だ。犯罪者扱いされずにコミックLOを読みたい。別に俺は『ろりともだち』の内容を実現しようとも羨ましいことだとも思ってない。俺たちの欲望を放っておいてくれればそれでいいんだ。ああでもなんで、お前らはそんな規制を呼びこむようなことを言うんだい。
ネットなんて見ないで作品だけ見ていれば、このつらさも少しは減るかもしれない。でもネットで得られるものは大きい。新しいカップリングの可能性。作品を愛好しながらそれを冷徹な眼差しで批評する視座。楽しい同好の士との会話。まだ知らなかった作品情報。そしてなによりも、素晴らしい二次創作。どれもネットから得られる果実だ。それがないとオタクはやっていられない。けれど果実の横には常に、横たわるクソの山がある。
そういうものばっかり見てるからそういうものばっかり見えるんじゃないかって? 確かにその通りだ。見ないようにすれば見ないでいることもできただろうし、実際そうやって過ごしてる人もいる。でもここは地獄インターネット。見えてしまう。目に、入ってきてしまう。みんなどうやってやり過ごしてるんだ。教えてくれ。多分今一番求められているのはそのライフハックだ。俺がいくらつらくなったって世の中のクソさは変わらない。それともみんなこんなつらさを押し殺して日常ツイートしてるのか。ブコメ大喜利してるのか。にゃーんとか言ってるのか。
オタクじゃなければ、別にそれでもよかった。うわーオタクキモいなー、で済ませられるから。あいつらには関わらんどこ、ちゃんちゃん、でおしまい。何が悪いの? みんな「マスゴミ」や「ヤンキー」に対してはそうしてるじゃん! でも残念ながら、俺はオタクだ。オタクの不始末も、それによって落ちるオタクの評判も、他人事じゃない。それが根拠のない迫害ならまだよかった。俺たちは被害者だと、迫害してくる奴らは敵だ、いずれ革命を起こしてひっくり返してやると、そう思えたから。でも、性犯罪の擁護、差別、他者への攻撃、これって全部身から出た錆じゃないか。こんな状況で一方的な被害者面なんてできるわけない。俺はそんなことやってないのに。そう思う。でも一方で、自分のアイデンティティはそっち側に置かれてしまっていて、叩かれるのがたとえ自分の所為じゃなくても自分がやらかしたことのように思えてこたえるんだ。
子持ち家庭が優遇される制度は賛成だが、賃金が右肩下がりの現状において、専業主婦を養えるだけの収入がある男性は少ない。よって、配偶者控除を拡大しても婚姻数は増加しないだろう。また、配偶者控除を拡大すれば税収は減るから、子持ち家庭を援助する財源は得られない。
政府が検討している夫婦控除のように共働き夫婦を増やすのが現実的かつ効果的だと思う。
働き手を増やして多くの人から税や社会保険料を徴収しなければ、これからの高齢化社会は到底乗り切れない。
団塊世代の高齢化に伴い、これからますます人手不足になっていくだろうから、専業主婦にも働き口は出てくる。
育児サービスや家事サービスなんかは子供を育て終えた専業主婦の得意分野だろう。
共働き夫婦を増やすことで、これらのサービスが増加、多様化する。
結果、今まで表に出てこなかった家事労働がGDPにも反映されることになって一石二鳥だ。