はてなキーワード: 学童とは
(前part)
https://anond.hatelabo.jp/20231213191557
直情的なタイプだった。怒りだろうと悲しみだろうと、感情の振れ幅が大きいタイプである。
最初の方で説明した場面で、職場のコピー機が置いてある台を蹴っていたのが彼になる。傍目から見ても、「どうして採用されたのだろう……」と疑問が湧いてくるほどだった。
ストレスには耐えられないし、自分勝手なスタンドプレーは多いし、立場が弱い人間には辛く当たるし、自分は凄いといった主張をしていた(「俺の親、若くして自治会長だから!!」など)。相手の意見を曲解することが多かった。
私も手痛い思いをしたことがある。私がいた指導課には住民基本台帳ネットワークシステム(戸籍課や税務課の職員が使っているものと同じ)があったのだが、B君は特に許諾もなくそれを操作し、職務遂行に必要な個人情報を入手していた。本来であれば事前申請を要するし、厳しい自治体だと戸籍課以外の職員によるシステム操作を認めない。これが普通である。
ただ、ほかの部署から個人情報取得の依頼があった場合でも、身内だからということで、口頭による承認で住基システムを使わせることはあった(課員への一言)。能率を考えてのことだ。が、B君の場合は明らかに一線を超えていた。職務遂行に必要であることがわかるが……一度だけ、彼を思い切り叱り飛ばしたことがある。以降は、口頭で課員の承認を得てからシステムを使うよう徹底させた。
ところで、あなたの職場にもいるのではないか? 仕事でも家庭でも趣味でも、何でもいい。ストレスで精神的に潰れかけた人間の姿である。B君は、元々コミュニケーション能力に難があった。いわゆる話がわからないタイプだった。
残業も多かった。指導課や学事課の教員出身者と同程度と仮定すると、おそらく月60h~70h程度か。彼の上司は「仕事をたくさん振っていないのに……なぜ?」というスタンスだった。
市職員の場合は、予算がある限り時間外勤務手当が支給されるという。私が若い頃だと、時間外勤務をしていないのに、予算消化のために闇残業を認めるという慣習があったほどだ。
教員出身者の場合は、月20hまで支給されていた。学校現場から教育事務職に移った者にとって、長時間労働やサービス残業は避けて通れない。この試練があるからこそ、一定の基準に達した教育人材を育成することができている。
人は光を求める。そして、その光の見える方向へ動いていく。教職員にとっては、教育に関する哲学、という光を見出すための修行の場こそが教育委員会である。量・質ともに圧倒的なレベルでの修行。厳しい体験を幾度となく積み重ねるから人格や能力が磨かれ、玉になっていく。
さて、彼の上司はB君を徹底指導して残業縮減に務めた。だが結果は出ない。残業縮減の効果は僅かだった。ところで、B君の場合は学校歴がよかった。地元の名門公立高校を卒業して、大学も相応のところを出ていた。地元的には血筋もいい。それが採用に繋がったのだろう。
縁故が悪いか? といえば時と場合による。一概に悪いとは言えない(ex.公共の学童クラブの指導員は、その多くがスカウトである。特に、男性の場合はほぼ100%だ)。教職員の採用試験においても、学科・面接試験の点数以外で、非公式に評価すべき点というのは確かにある。
行政一般事務の職員のことはよく知らないが、彼らと仕事をしていると、確かに地元において血筋がいいとされる人に仕事のできる人が多かった。※主観的な統計である。
高等学校の入学試験ですらそうだ。学科試験以外で評価される要素がある。内申点などは、その典型である。本人の人柄や人格、学習態度や常識力、社会への順応性が点数化される。内申点以外にも、+-の評価がされる要素も一応はある。
プラス評価の例としては……今では絶滅した慣習であるが、昔は公立校でも縁故による入学があった。とある高等学校の名門運動部などが、どうしても○△中学校のあの子がほしいという場合、事前に保護者・児童や中学校側と話をつけておく。かくして3者が合意に至った場合、入試前に合格が決まっていた。内申点は中三期を満点にするなどして対応する。
マイナス評価の例としては……生活習慣だろうか。公立高校の入学試験の基本は、学科試験+内申点の合計で決まる。とはいえ、点数に関わりなく不合格になるケースもある。こちらは犯罪行為であるとか、補導されるのを繰り返したとか、入学試験の際に相当奇抜なことをしない限りは関係ない。
ただ、その子が合格基準点に達していた場合でも、入学試験の要綱要領に定めのある範囲で不合格になることはありうる。欠席数が極端に多かったり、在学中に異常な行動を繰り返したなどが内申書に書いてある場合だ。学校教育とはいえ、高校側も不用なリスクを取りたくない。名門とされる公立高校に問題児が少ない理由のひとつである。
B君の話に戻ろう。その年の夏頃に聞いたところだと、どうやら事件を起こしたらしい。
梅雨が明けた頃に、霞が関の新卒キャリア官僚が研修にやってきたという。T区の各部署を廻って地方行政の実務を学習するのだ。T区は、その年の中央省庁の研修先のひとつに選ばれていた。
キャリア官僚達は、ごく普通にT区の歴史や成り立ちを勉強して、地方行政の実務を視察して、心ばかりの現場仕事をこなして、一週間ほどで霞が関に帰る――はずだった。
最後の日に行われた交流会(飲み会)で、B君はやってしまった。喫煙所のよもやま話で聞いたところだと、以下の流れだ。
ex.研修先部署の部長の肩に手を置く、女性職員の体に何度も触る、別省庁のキャリア官僚に「ぶっ殺す」と発言するなど
③国交省キャリアが「お前の区の国庫補助金ゼロにするからな」と言ったところで、B君がキャリア官僚を蹴り飛ばし、馬乗りになる
④ほかのキャリア官僚とB君の部署の係長が、彼を羽交い絞めにして止めた
……気持ちはわかる。侮辱されて悔しかったのだろう。だが、いくら何を言われようと、暴力だけは駄目だ。確かに、若手官僚の場合、調子に乗っている者は一定数いる。子どもの頃から勉強に勉強を重ねてきた自負があるとともに、仕事では自分の親ほどの年代から神輿を担がれるような扱いを受けるのだから。調子に乗るのも当然である(上に出てきた国交省キャリアは東京大学卒だった)。
かくいう私自身も、文部科学省の事業査定担当官であるとか、会計検査院の検査官から相当辛辣なことを言われたことがある。だが、怒りの感情に囚われてはいけない。駄目なのだ。
人間はいかなる状況の下においても、自己の衝動をそのまま表に出してはならないし、出すべきでもないし、さらに言えば、出したいとも思わない、という主張はまったくの真実であり、妥当な見解であると私は考える。衝動は制御することができるし、制御しなければならない。それは現実の要請というだけでなく、一人の個人としてのまとまりや一貫性および価値観の要請でもある。突き詰めて考えるならば、人生には実存的葛藤や解決不能な問題、さらには、あることのためには別の何かを諦めなければならないというような状況が数多く存在しているのだ。こうした状況こそ、人間が生きる上での本質的条件となっているのである。何らかの葛藤が常につきまとい、ある方向へ進もうとすれば別の道を諦めざるをえない。人間はこうした状況に苦悶しつつ、自己を制御しながら生きていかなければならないのだ。 完全なる経営(2001) A.H.マズロー (著), 大川 修二 (翻訳) P.295
私とB君が教委事務局で一緒だったのは一年だった。その年は、社会教育課にとって厳しい年だったらしく、彼は相当追い詰められていた。年度末の三月時点では、まるで50代のごとく自分が思ったことを脊髄反射で口に出すようになっていた。
声をかけようか、とも思った。あまりに辛そうだったからだ。係長も課長も、彼を見放しているところがあった。どれだけ残業が積み重なろうと、仲間によるフォローを呼び掛けたりはしなかったし、むしろ失敗に対して反省文を書かせていた。
B君は、口に出すのが憚られるほど救いようがなかった。もし、上司や仲間にとって彼が『かわいい奴』だったら、こんな事態にはなっていない。彼は、実際に不良な人間だった。職場の仲間から非人格的な言動を咎められるのはまだいい方で、はっきりいって見捨てられていた。自業自得だった。
しかし、やはり可哀想に感じることがあって、廊下をすれ違う時やトイレなどで「元気?」「今日は温かいね」「辛くないですか」など声をかけることがあった。
それから、彼がどうなったかというと、真相を確かめたわけではないのだが……私が定年になる前に退職したらしい。別の部署に異動しても活躍できず、しかしながら、何の因果だろうか――霞が関への出向を命じられたという。省庁までは不明。
本来名誉であるはずだが、その出向期間中に退職を申し出たということだ。もしや、生贄型の出向だったのだろうか?
現代社会において、感情が表に出るタイプの人間はしんどいのだと思う。彼が今、どうしているかはわからない。ほどほど幸せにやっていることを祈っている。
先ほどの2.3.でいうところの係長にあたる人物だ。この人は、冷血漢と呼ぶにふさわしい人間だった。サイコパスとは書いたが、私は臨床心理学の碩学ではない。仕事熱心で、結果を求めるタイプだったのかもしれない。目的のためであれば何でもする人だった。思い出してみる。
例としては、部下の叱責だ。普段は物静かで、部下の相談や報告を聞いている。が、一定レベルの何かに触れると怒号を発する。
C係長「お前、こないだできるっていったよな!」
若手部下「すいません」
「なんでできねーんだよ」
「……なんとかします」
「言ったな? じゃあしろよ。今週末までだ」
※部下ができなかった場合は、定時を過ぎても何十分でも説教していた。そして、できるまで残業をさせる。
後は、イベントだろうか。市区町村においてイベントを主催する部署はいくつかあるが、教委事務局もそのひとつである。教育○○大会などの厳かな発表会もあれば、○○総合フェアなど若い人や家族連れが多く集まる文化的なものもある。
さて、そのT区にとっての○○総合フェアの時だった。毎年過ごしやすい季節に、とある大公園で実施されるのだが、50以上もの出店が立ち並ぶ大イベントだった。
その年のイベントは、残念ながら雨天だった。初日は少雨で済んだものの、翌日以降の天気は崩れる可能性が高い。社会教育課は、教育総務課・指導課と並んでイベント主管課のひとつだった。
その初日の、夕方~夜にかけてのことだった。教育長を始めとする幹部級職員が現地に残って、明日以降の対応を話し合っていた(ほかの教委スタッフは全員帰っていた)。主な論点は次のとおりである。
□ イベント会場は維持できるのか?
上記3点のうち、2点目がなかなか結論に至らなかった。イベント会場には、テントも備品も野外展示物も並んでいる。風雨によって損傷する可能性があった。そして、2点目の解決手段を提示したのがC係長だった。
彼は、「業務委託している会場警備員がいるでしょう。数十人。彼らにやらせましょう。折り畳み式テント(※鉄パイプではない)の屋根を低くする作業や、野外展示物の収納もです」といったことを述べた。
私は「それは契約内容に入っているのですか?」とC係長に問うた。すると、彼は「緊急事態です。契約内容にあろうがなかろうが、現場の指示に従ってもらわないと」と言っていた。
教育局長は「後で問題にならないか?」と聞いたが、「私の責任で収めます」と彼は返した。教育長に「本当にできるんだな?」と聞かれると、「問題ありません。警備の発注は当課です」と返していた。ここから先はうろ覚えだが、C係長は警備会社の現場責任者と交渉を始めた。
夜7時頃だったか。私がトイレに行く途中で、社会教育課長とC係長、警備会社がロビーで交渉しているのを見た。当然ながら、相手方は渋い反応だった。
私はそのままトイレに行って、また帰り際にロビーを通りかかったところ、「契約切るぞ。ええんか!?」というC係長の声が聞こえた。この人は、気分が高まると大体こうなる。
以下、会話を手帳にメモしているわけではない。思い返してはいるが、やはりうろ覚えである。
「切るといっても来年からね。今年はもう契約してるし。来年は、こちらの権限でほかの警備会社と契約します。それでいいなら、あなたの判断で断ってください。テントの作業OKなら、これから私の責任で指示しますが」
「いや、でも。ちょっとの量じゃないでしょ? テントの数は何十個もあります。それをひとつひとつ、高さを下げていくんでしょ? それはもう――」
「あなたが決めるしかないでしょ。責任者なんだから。この時間、あなたの会社に上司がいるんなら電話で伺ってください」※このあたりから方言になる
「判断ができません」
「毎年、あんたの会社と契約しとるんやぞ。しっかも言い値で。本来なら正式に競争入札せんといかん金額やのに。こういう時のために、うちは権限使っとるんやぞ。官製談合みたいなこと、してやっとるんやぞ。俺らとあんたの会社のためを思って。で、上の人間に電話するか、あなたの判断で決めるかのどっちかや。あなたが決める場合は、契約切られても全部責任とるんやぞ」
「……」
「俺が責任を持つ。あんたが上司に怒られんようにする。後で言っとく。知り合いだから。頼む!」
「わかりました。指示をお願いします」
C係長のこの判断が正しかったのか、誤っていたのか。今でもわからない。
結果だけ見れば正しかった。その夜は雨も風も激しかった。(鉄パイプ式でない)テントを張ったままだと、風雨で確実に潰れていた。テントや野外展示物を片付けるといった作業は絶対に必要だった。それを怠って、一般スタッフを帰した私たち幹部の落ち度である。
手続き的には違法である。正しくない。警備会社をロハで使ってしまっている。C係長のことだから、きっと事後処理はうまくやったのだろう。あの後、彼やその上司が処分を受けたという話は聞いていない。
個人的には、C係長の行いは正しかったように思える。実際、あの場面だとああするしかなかった。組織のために泥を被ってくれたとも言える。ただ、それが未来に繋がる行為だったかというと怪しい。
例えば、テントが崩壊する未来を選んでいれば――教委事務局が「組織として学習」することができていた。それがいい未来につながった可能性もある。
(次part)
正直、俺の子種が未来に貢献できる見込みがないもんで、政策を考えてみたってワケ。
ちょっと邪悪なやつ考えついちゃったんで、増田にだけこっそり教えてあげるね。
あれの流れで、花王とかユニチャームの、生理用品の商品開発に補助金を出すんだよ。
「より付加価値の高い生理用品を社会に普及させ、女性がもっとのびのびと活躍できる社会をめざして」とか何とか言ってさ。
するとどうなる?
企業は基本的に金の亡者だから、補助金目一杯もらって商品開発してくれるじゃん?
金の亡者は新しい商品には新しいオサレなPKGとクリエイティブをつけて、付加価値高いブランニューな商品ですよってお高めで売り出すじゃん?
もちろん安い生理用品も変わらず売られるワケですけど、覚えてますか?15年ぐらい前は、アジエンスとかLUXが一本800円で高級シャンプーみたいな扱いだったの。
いま800円のシャンプーとか、中堅でさえない「安いシャンプー」の部類ですよね?
生理用品でもそれをやるんですよ(この辺について、「いやいや生理用品は昔の5倍ぐらいの価格になってっから。クソオスマンスプ消えろ」とかあったらごめん。生理用品の価格感の推移を私は実際知らないので、有識者おしえて)
「しんどかったけど、妊娠中と出産後は生理なくてほ〜んと楽だったわぁ〜」
「生理戻ってきたら毎月XXXX円飛んでくの鬼やばたにえん〜」
「それな〜」
みたいなことをね?
(ここの会話は、喫煙所で「タバコ高いッスよね〜」「タバコ辞めたら毎月XXXX円使えるって思うとエグいよね」「それな〜」みたいな話を基にしており、「いやいや生理とヤニ一緒にするとか沸きすぎだわヤニカス消えろ」などあったら申し訳ございません)
……いや、書いてて思ったけど迂遠すぎるかもな!
そんで流石にいくら女さんがあれでも生理用品買うのしんどいから自分も妊娠すっか〜とはならんかな。冷静に考えて。
せめて以下のようなクソ面白くもない対策も一緒にやるといいと思います。
・出産一時金とかのクソセコイ話は産院と国の間で全部やってもらう(産むのはタダにする)
・妊婦であれば保険証だとか身分証明だとか何か書類だとかなくてもとりあえず診てもらえるようにする。何なら名前も書かなくてよくする(産むのはタダにする)
・妊婦であればいつからでも入院して産後1ヶ月ぐらいまでは生活の面倒見てもらえるようにする(産むのはタダにする)
・もし妊婦が望めば、カウンセリングぐらいはやったほうがいいと思うけど子供を国が預かれるようにする(産むのはタダにする)
・全部の中学校と高校と大学に保育園を併設して、月一ぐらいで若いやつが子供と遊んだり世話したりするようにする(子供を好きになってもらう)
・学童とか幼稚園ぐらいの感じの雑に子供を見といてくれる施設を作って、地元の爺さん婆さんを大量に非正規雇用で雇う(子供を好きになってもらう)
みんなも最強の少子化対策考えて教えてくれよな!
約三ヶ月前、社会人生活に区切りをつけた。当方は、はてなユーザーの中でも高齢である。一般的な定年はとうに過ぎている。社会人として40年以上生きてきて、得られた知見といえば……大したものはない。
ただ、今回どうしても書き綴ってみたいことがあり、筆をしたためることにした。書式については、ほかの増田の方に合わせるものとする。難しい漢字も、できる限り平仮名とする。
書き上げたのは本日12/12だが、推敲の関係で五回に分けて投稿する。土曜日には終わるだろう。
私の教員としてのキャリアは、都内にある中学校から始まった。大学を出てすぐだった。今思えば懐かしいが、あの時代に戻れたとしても今の方がいい。時代は進んでいる。
あの当時はアナログだった。電話はあるが、パーク保留(1機で複数保留ができる)といった機能はないし、パソコンは事務所に1台あるかないかだった。各学校にコピー機はあったが、今と違ってコピーされた物のコピーは悪手だった。印刷すればするほど色が薄くなる。濃淡調整機能などあるはずもなく。
学童についても、今に比べれば悪ガキがたくさんいた。今の子どもに比べると、暴言や暴力が明らかに多い。「人は教育を受けることで初めて人間になる」というのは、初等教育学のテキストにある基本的な考え方である。
さて、昔ではなく今の時代を観ていたいのだが、心がどうしても時代を遡ろうとする。この日記で表現したいことは、今から約十年前の出来事である。この度日記にまとめたのは、教委事務局に勤めていた時に最後に取り組んだ仕事のひとつである。残念ながら、教育そのものに関することではない。※当時の関係者は全員退職している。
要約すると、某地方自治体にある教育委員会の中に社会教育課というのがあった。その部署というのが、区役所の中のいわゆる問題のある職員が集まるところだった。区内の教員を指導する部門の長をしていた頃の私は、すぐ近くで醜い言い争いや、低次元な行為がなされているのを幾度となく目の当たりにした。
彼ら彼女らの言動には、ほかの教委職員も腹に据えかねていた。そして、ある年を境として、何度も本庁と協議・交渉を重ねた結果、教育委員会という組織から社会教育課を放逐することができた。
本当に苛々とした日々だった。その分、悲願が叶ったと知った時の喜びは至高だった。今でも解放感が脳裏に蘇ってくる。
これから私が話すことは、人によっては相当厳しい。負の次元に堕ちた地方公務員の姿を垣間見ることになる。それでもよければ、読み進めていただきたい。
私はもう経済社会を完全に引退している。書き綴る出来事もだいぶ前のことだから、元いた組織の迷惑にはならないだろう。何かあった場合は、私が責任を取る所存だ。
トピックについては、1.から6.まで用意している。具体的な職員のエピソードは2.~5.である。6.において、社会教育課との決着について書かせてもらう。
教育委員会(≒教委事務局。教委。以後は同じ意味として扱う)とはどんな組織か? というと、早い話が地方自治体の学校教育に関する意思決定と事務(企画・調整・一般的な管理行為)を行う組織である。
第180条の8 教育委員会は、別に法律の定めるところにより、学校その他の教育機関を管理し、学校の組織編制、教育課程、教科書その他の教材の取扱及び教育職員の身分取扱に関する事務を行い、並びに社会教育その他教育、学術及び文化に関する事務を管理し及びこれを執行する。
教育長が責任者となって所掌事務や教育改革・首長への提言その他を総理し、教育委員が集まる会議(議会のようなもの)で可決された教育内容が自治体内の学校において実施される。
かつての戦争の折、行政の暴走行為によって学校教育が歪められてしまった経緯がある。地方行政の主体から教育の機能を切り離して、教育活動全般に関する権限を有する行政委員会としての役割を与えた。
実際のところは、市区町村の本庁舎の一部を間借りしている教委が大半である。役所の中に多くある部署のひとつとして位置付いている。
(指導課)…都道府県教委が教員の中から高査定者を人事異動させる
(学事課)…指導課のような教職員出身者と市区町村職員による合同チーム
(学童クラブや児サポ)…教委が有望者の中から採用・選定をして運営
そういうわけで、私の場合は上記でいうところの指導課(各学校の指導方針を所管)や学事課(学校事務を所管)に籍を置いていた。あれは、新卒で教育現場に配属になって十年少々だったか。ある年の人事異動で、そろそろ別の学校に異動になるかと考えていたところ、教委事務局への配属を告げられた。
それから数十年、学校現場に戻ったのは二度だけだ。一度目は中学校の教頭として、二度目は校長として。その前後にも、私はやはり教委に籍を置いていて、より高い視座から教育活動のあり方を見直すことや、新しい学校を作る、あるいは廃止するといった仕事に取り組んだ。
最後は課長級職員としてキャリアを終えた。その後は、いわゆる名誉職といった扱いの教育の仕事に数年だけ取り組んで、先日正式にこの仕事から引退した。
タイトルにある出来事は、社会人生活の中でも相当後半にあたる。都内にある中学校で教頭としての務めを果たした後、ある年の人事異動で教委事務局に課長職として配置された頃の話である。期間としては三年間だ。
教委事務局の中でも、ほぼ真ん中あたりの奥側に指導課長である私の席があった。「ようやくここまで来たか」と思いつつ、課員全員が見渡せるデスクに腰掛けようとした時だった。言い争う声が聞こえるではないか。何時かは忘れたが、おそらく正午前だった。
社会教育課の事務スペースで、複数の職員が言い争いをしていた。若い子と、中年ほどの男性・女性の職員だった。どういう構図かは全く覚えていないが、低い次元の話をしているのはすぐにわかった。公務員以前に、社会人として使うべきではない語彙や、極めて高圧的な物言いが見て取れた。
話し合い(口論)を少しばかり眺めていたが、最後は男性職員が女性職員から詰問を受け、ちょうどかかってきた電話を取る形で逃げて終わった。若い職員は、舌打ちをしてその場を後にしつつ、コピー機が設置してある台を蹴っ飛ばして事務室を出て行った。
『なんだ、こいつらは?』
心の中でそう思った。これまで配属された教委事務局の中に、こんな連中はいなかった。この市区町村の教委事務局で働いていた時もあったが、社会教育課は別のオフィスにあった。
社会教育課、という部署名は伝統的である。霞が関にも同名の部署があるほどだ。本来であれば、歴史と実績のある部署のはず。では、なぜこんな連中が……? と思って気になったが、その時は時間の無駄であると考えた。
だが、そういうことにならなかった。社会教育課は、私のいる課長机から10mも離れていない。しかし、毎週のように何度も何度も、大きい声で怒鳴るわ、悪態をつくわ、イベント行事で問題を起こすわ、用事で来られた区民を怒らせるわで、こちらとしても仕事がやり辛かった。
私と同じ教職員サイドの職員に詳しい者がいた。この教育委員会(T区とする。豊島区は関係ない)の社会教育課について聞いたところ、なんとなく経過がわかった。
・その場所ではひとつの課として独立していたが、不祥事が多かった
・監視の意味も兼ねて、本庁総務部の人事課が教委事務局の中に移した
といったところだった。この時は、まさかこの連中のためにあれほど頭を悩ませることになるとは思わなかった。
ここから先は、個別職員の話になる。2.以降に譲りたい。長く詳細に書いても読者が不愉快になるだけだ。できれば各三千字以内でトピックを終わらせたい。
話があちこちに逸れることも多々あろうが、何卒お許しを願いたい。
(次part)
私立高校の学費年48万と書いてあったけど子1人150万、子ども2人300万浮いたとしても東京とそれ以外の住宅価格では比にならないのではと思う。
もちろん保育料、給食、学童、公立小中のプログラムの充実などメリットはかなり大きいと思うのでそこ込みでの引っ越しはありなのかもしれないが実際問題子育てに向いてそうな広さの家は一億を超えてきているとあまり普通の共働きには現実的ではない。賃貸ならいいのかな?
東京の家は20年住んでも買った時と同額かそれ以上で売れるからな。
私立高校学費無償化で「もう東京に引っ越す!」とツイートしているのを沢山見た。言ってるだけでどうせ引っ越さないでしょと思う。
Twitterで見てても都内子育て共働き会社員が住んでる家は狭い…(リアルで聞いてもそう)
地方で育った人間から見ると驚くほど家が狭い、65平米で4人住めるの!?3LDKなくていいの!?
私立高校の学費年48万と書いてあったけど子1人150万、子ども2人300万浮いたとしても東京とそれ以外の住宅価格では比にならないのではと思う。
もちろん保育料、給食、学童、公立小中のプログラムの充実などメリットはかなり大きいと思うのでそこ込みでの引っ越しはありなのかもしれないが実際問題子育てに向いてそうな広さの家は一億を超えてきているとあまり普通の共働きには現実的ではない。賃貸ならいいのかな?
「一人っ子男の子」とかわざわざ書くあたり完全に偏見が入ってるのは自覚している。
ある日、息子が帰宅後「A君と遊んでくる」と遊びに出て行った。
早速近所にお友達ができて良かったなー。なんて思ったのもつかの間。
どうやら昨日、息子がA君の服を汚してしまった。とのこと。
その日は雨上がりだった。
割と服を汚してくるし、お友達のお母さんとも汚れちゃうよね~なんて話してたので気にならなかったが
汚れを気にしちゃうご家庭もあるよね。
ということで謝罪をし、必要ならクリーニング等の対応をする旨を伝えました。
(クリーニング等の話は辞退された)
決まってA君と遊んだ翌日。
息子と遊んでA君がケガをしたようだ(鬼ごっこの最中にA君転倒)
息子がA君を置いていこうとしたようだ(走って移動中、A君がなかなか追いつけなかった模様)
盲目的に信じているわけではないが、それにしても学校を経由したA君お母さんからのクレームが多すぎる。
学校外の事なのに対応くださっている先生方には頭が上がらない。
先日行事で顔を合わせた際にも改めて謝ったが「あ~ハイハイ」と塩対応。
なぜA君のお母さんはA君が息子と遊ぶことを止めないのか。
正直勘弁してほしい。
もうご迷惑ばかりかけてしまうのでもうA君は息子と遊ばないでいいです。
という旨の文言を何度も言おうと思ったが
それはそれで伝家の宝刀"学校経由でクレーム"を言ってきそうで
どうしたものかと思い悩んでいる。
なんでA君はそんなに息子と遊びたがるのか。
息子は学年を超えて名前も知らない子と一緒に遊んでいることが多い。
学年が近い子供が多く集まるこの地域で、学年を超えてその場限りの遊びがはじまるのは決して珍しくない。
きっと元々住んでいた近所の方は上手くA君とA君のママから逃げられたのだろう。
1学期も終盤なると息子が習い事を始め、A君と遊ぶ頻度はガクっと減った。
夏休み中も息子は学童に通っていたため物理的にもA君と離れ、しばらくは平和な日々が続いた。
しかし2学期。A君は下校後ではなく下校中に息子へ絡んでくるようになった。
息子がA君に寄り道をさせた。
上手く説明できないが、A君の家はウチの近所だが下校途中から使用する道が異なる。
A君がA君宅へ直帰できる道と
息子が自宅へ直帰できる道と途中で分かれる構造になっている。
もちろん息子が直帰できる道でA君の家へ行こうとすると遠回りになってしまう。
この件について
「なんかA君が勝手に着いてきた」とは息子の弁。
通っている小学校では1年生の間ゆる~い集団下校が決まりとなっているのでどうもこうもできない。
早く2年生になって個別下校になるのを待ちわびるばかりだ。
年のせいで朝5時に目が覚める。眠いけど二度寝出来ないからスマホを見ながら6時まで待つ。
子供を起こして朝食を食べさせる。
妻と子が居なくなってから玄関の掃き掃除、風呂の換気扇の掃除、資源ごみの段ボールを出しに行く。
10時にイオンモール。今日からUFOキャッチャーに並ぶずっと真夜中でいいのにのマスコットを獲りに行く。
1000円でとれなかったらメルカリで買おうと思ってたけど、結局1700円でゲット。
ショルダーバッグを物色。いいのがあったけど、アマゾンでも売っててポイントがたまってたからアマゾンでポチる。
帰って明日の朝食用に牛肉こんにゃく炒め作る。そのおかずと納豆と冷凍ご飯で昼食。おやつにパン食べる。
昼寝。
かかりつけの医者で子供のインフルの予防接種。子供たちの学校は4クラス学級閉鎖中ですごい混んでる。
二人分6000円。2回目の予約する。
息子、寿司を1回床に落とす。終盤で箸を反対にしてることに気付く。ガトーショコラをうまく食べれなくて、2回も手を生クリームまみれにする。
特に子供が不登校になった家の親はゴミ捨てにもいけなくなる、買い物も出来なくなる、仕事も共働きやシングルなら失業だ。
兄弟が居たら不登校の子供が兄弟の学校送迎についてきてくれないと完全につむ、登下校に付き添わない虐待親として通報される。
不登校の子供がついてきてくれないと、兄弟が一人で外に遊びに行くことも出来なくなる。
こども園小学校の兄弟の帰宅時間がかぶったら、兄弟がそれぞれ違う場所で遊びの約束をしてきたら、虐待放置親になる。
子供を家に残してゴミ捨ても虐待、何より周囲に親を監視して通報するのを義務にしているのもエグい。
罰則も考えているらしいが、育児罰がここまでエグくなったら産むに産めないだろう。
自民公明しか賛成していないのにスイスイ通ってしまう、自民党王国埼玉の悲劇だわマジで。
さぞかし育児への手助けが手厚いのですねと思ったら、待機児童全国ワースト2で学童も保育園も入れないのにこれって何のジョークだよ。
首都圏で子育てしてるって一人親を除けば世帯収入の多いパワーカップルが主流な訳で、そういう人達が満足する様な質の保育を規模を拡大しながら提供するのはまず無理だと思う。
学校終わるのに合わせて迎えに行き学童まで送ります、塾や習い事教室としての機能もあって色々学べます、みたいな
それでも保育園ほど金はかからないし税金投入なしでも商売成り立つ
パワーカップルは公立の学童なんか最初から使わずそっちに行くよ、高いけどそれ払える金もある、公立だと宿題すら教えて貰えないからね
公立行くのは自分で帰宅後に勉強教えたり習い事教室に連れていける短時間勤務の親か貧困家庭(学区によってはそもそも貧困家庭が存在しない場合もあるけど)
学童入れなくて問題になるのって民間学童すら足りない地域か、田舎で民間学童がないか、そんな金払えない人が多い地域か、が多いんじゃないかな