はてなキーワード: 球数制限とは
はい(◯球以下)/いいえ
はい(中◯日以上)/いいえ
▫︎その他特記事項等がある場合は以下に記入してください(例:決勝の場合は球数制限は不要 等)
みたいな
いい加減、甲子園で球数制限、連投制限つけろと思うんだけど、その話題になると毎回頭の弱そうな批判が来るの謎い
「選手の気持ち」「強豪校しか勝てない」「練習の制限は出来ない」あたりがよく見る
「選手の気持ち」なんて制限されて当たり前で、高校生が『世の中の事を知りたいんで紛争地域に行って実際に見てきます!』とか言ったら止めるだろ。当たり前じゃん。怪我するか死ぬかもしれねえんだし。なんでスポーツだと怪我や障害のリスクが無視されるのか謎。スポーツは(可能な限り)安全に行うべきってのは当たり前だと思ってたけど、そうじゃないらしい。
「足折れてるけどマラソン走ります!」とか言うのも肯定するんかな。「選手の気持ち」勢は自分が根性論者だという自覚を持ったほうが良い。
「強豪校しか勝てない」むしろ普通。ほぼすべてのスポーツは強豪校が勝ってる。『弱小校は選手が用意出来ない』とか言う奴らはそもそも野球は9人、サッカーは11人、バスケは5人、揃えれなかったら出来ないだろ。それが一人二人増えただけ。てかマイナースポーツやってた身からすると人が足りないのよくある事なんだけどな。強豪校ですら女子足りなくてチーム組めないとかザラだった。
「練習の制限は出来ない」これ一理あるっちゃあるけど、逆に球数制限つける事で100球ならその分だけ本気で投げれば良い事になってそれ以上投げる練習しなくて済むから逆順的に練習の球数も減ることになるはず。後、球数制限、連投制限によって、そのリスクが周知される事で、練習内容も変わるはず、というか変わって欲しい。現状の選手というよりは将来の選手のため。
球数制限、連投制限もどこをラインにするかは難しいけど、100球以上投げた次の日は50球以内とか、一試合150球以内レベルのガバガバ制限でもやらなきゃダメだよ。ただでさえ未成熟な高校生なのに。
先発ピッチャーは、一度に限り交代後、再度出場可能っていうルールはどうだろう。
それに伴い、1イニングまたは打者3人までは必ず別のピッチャーを使うこと。(コールドを除く)
あと、イニングも9回までやる必要はない。段階的なコールドを甲子園まで続けるべき。
途中で別のピッチャーに代わって、再度出場してもよし。
終盤に代打で出てもよし。
負けてる試合より、勝っている試合でエースを休ませやすい環境を作るべき。
トーナメントで失敗できないと思うと、どうしてもエースに頼って交代を引き延ばしてしまう。
外野やファーストと交代してメンバーには残しておくという手はいままでもよく見るけど、
スタメン野手を一人外すのはチームとしては避けたいから、これこそ選手層に厚みがあるチームしかできない。
夏の甲子園“投手ぶっ壊しコロシアム”の解体方法──スポーツとしては時代遅れ、教育としてもデタラメ
ピッチスマートでは17~18歳は105球を上限とされているが、100球ちょっとで9回を完投できることはさほどない。よって継投を余儀なくされる。そうすると、2番手投手の力が劣るチームは不利となる。
ただ、日程に余裕をもたせる提案も、抜本的な解決にはほど遠い。そもそもトーナメント戦で一発勝負であることが、野球というスポーツにはそぐわない。プロスポーツで優勝者の勝率がもっとも低いのは、6割程度の野球だと言われている。10回やって4回負けるチームが優勝する。これは試合数の多さも関係しているが、運に左右される傾向があることも意味している。高校野球ファンとプロ野球ファンがかならずしも重ならないのはこのためだ。
一発勝負の勝ち抜きトーナメントだと、強いチームの思わぬ不調や弱小チームのまぐれなんかで、弱小チームが勝って強豪チームが負ける番狂わせが起きることがある。それを嫌って、長期的な勝ち負けの記録を積み重ねて成績を決めよう、というのがリーグ戦だ。
この2つはどちらが悪いわけでもなく、単なる設計思想の違いである。実力が明らかに格下の相手に偶然が重なってたまたま負けてしまったばかりに大会敗退を余儀なくされた強豪からすればリーグ戦の方がありがたいだろうし、わざわざスタジアムまで足を運んでチケット代を払ったのにやる気のない消化試合を見せられた観客からすればトーナメント戦のドラマ性に魅力を感じることだろう(サッカーW杯のポーランド戦は記憶に新しい)。
そう、選手層が薄いチームにとって有利なのはトーナメント戦であり、選手層が厚いチームにとって有利なのはリーグ戦なのだ。
別にどちらを支持しようともそれ自体では何の問題でもないが、継投制限をするなら選手層が薄いチームにとって不利になる、という主張と、トーナメント批判を同一人物が同じ記事で行っているのは理解に苦しむ。
球数制限を課し、リーグ戦を導入したならば、選手の健康は守られるかもしれないが、選手層の厚い私立高がますます有利になり、甲子園に出てくるのは「プロ部活」ばかりになるだろう。
逆に球数制限を課さず、トーナメント方式を維持するならば、選手には大きな負担がかかるかもしれないが、選手層が薄くとも一発逆転の目があることになり、「昭和の野球」が勝ち進む余地が生まれてくるだろう。今回の金石農業のように。
球数制限も試合方式も、それぞれは独立したオプションのように見えるかもしれないし、実際ある種の人にとってはそうだろう。それは、どのようなチームが有利になるのが望ましいのか、という視点を持たない人だ。その視点を持たないならば両者は別々のオプションとして扱って美味しいとこ取りをして何ら問題あるまい。
しかし、「選手の獲得や育成にお金をかけられる私立高ばかりが有利になるのが本当に望ましいのか」という問いを立てるならば話は別だ。そのような視点から語ろうとするならば、球数制限と試合方式は切り離せないセット販売だ。
もしも「球数制限を課し、リーグ戦を導入」というセットを購入すると決めたなら、自動的に言うべきことも決まるはずだ。「プロ部活が有利になってしまうという批判があるが、それは仕方ない。都市部の私立高が勝ち進み、地方の公立校が早々に敗退するような制度を支持する」
なのに、そのセットを購入すると表明しておきながら、選手層の薄い学校には酷だ、なんて同じ記事で言うのは理解できない。都会のスマートな自由主義か、田舎の泥臭い平等主義か、どちらを支持するのかハッキリしてほしい。
1イニング毎に1ポジション持ち回り制はどうだろうか。
9イニングのうちに一人の選手は9箇所のポジションを1イニングずつこなさないといけないとするルールである。
全員が各ポジションをまんべんなく練習することになるし、教育的には全員が同じ練習を求めれるし悪しき平等をかかげる学校教育としては理想的だ。一人のヒーローに依存することなく、総合力が高いチームが強くなる。
相手に桑田や松坂のようなスーパー高校生がいても勝てるかもしれない。
まさしくザ高校野球ではないだろうか。
将来プロを目指す人は部活でなく、プロの下部組織か、リトルリーグのようなのに所属すればいい。興行的には卓越したプレイヤーが必要なので現行ルールでプレーできる場や育成の場も必要となるだろう。
選手交代を利用してあるポジションに特定の選手が固定化されないようなルールづくりが求められる。
たとえば、その試合まだ未登板に限ってピッチャーに交代可能とする。もちろんベンチの選手とはいつでも交代可能。途中交代してもそのイニングのみとし、次のイニング以降は別のポジションにつかなければならない。延長に入ったらリセットされまた1回からと同様になる。
ピッチャー交代が続くとピッチャーに入れる選手がいなくなると事態が起こり得る。これば投球数制限を課した場合に起きる問題と同様であろう。
「権藤、権藤、雨、権藤」の時代から、ローテーションくんだり球数制限したり、試合後のアイシングしたりと、コンディションのマネージメント。
昔は、投手は140キロ出れば一流だったのが、140キロでは最低打ち頃ラインになった。能力の底上げだ。そしてトップの最高球速もアップ。
バッターはバッターで、ピッチングマシンの打ち込みによる基本打力のアップ。
というか、元々自由契約寸前の選手を再生する名監督とかいたしね。
対戦相手のデータや自分のフォームチェックをiPadで即座に確認とかもやるし、そういうデータを重視した新しいことを取りいれる監督が現れたりもする。
サッカーなんかだと、W杯ごとに戦術のトレンドが変わり、より速くより強くアスリート化が進んでいる。
だけど、選手に判断することを限定させることでパフォーマンスを上げるという方向性もある。
外れ値の好成績を残す選手は、ベーブ・ルースの時代から特別だけど。今の時代に生きてたらやっぱり特別な成績を残すのだろうだけど。
で、医者はどうなんだろう?変わっていってるのだろうか?今後、良い方向に変わっていくつもりなんだろうか?
医療成績はあがっているのはわかるけど、医師の能力というものの底上げ感とかは外からはわからないからね。
今、このチームの投手崩壊状態をなんとかする話と、プロ野球選手自体の能力アップの話。
サッカー選手だと、「昔と比べて上手い選手は増えた」なんてことは良く言われる。
医者もそうなんだろうか?
違う違う。誰も球界の将来なんて話をしてるんじゃない。こいつが言ってるのは、要は「おっさんの、若者への嫉妬」って話なんだよ。「アカギ」読んだことねえか?
前途ある有望な若者…しかも、自分より遥かに優れた能力をもち、ひたむきで真面目で努力を積んで…そういう若者が無意味にズタボロになっていくのを眺めて、冷房の効いた部屋から「ざまあwwww」と笑ってニヘニヘしたいオッサンの、ドス黒い欲望の話をしてるんだよ。戦争映画とかホラー映画見る一部の層にもそういう人はいるけど、「甲子園」はフィクションじゃなくリアル。こいつは、「甲子園」がコンテンツとして成り立つのは、そういう側面があるからだよね、という話をしてるの。
でもって、それは多分正しい。
「感動をありがとう」とか「青春の素晴らしさ」とか、大嘘なんだよ。一発勝負、トーナメントならではの緊張感がコンテンツの魅力でー…つーのは、百歩譲ってありだろ。でも、選手の身体や将来性を台無しにするのは、それとは全く別のことだからね。冷房の効いた室内で、球数制限かけて、たとえば7回終了のルールにしたっていいはずだろ? それで緊張感やひたむきさが消えるわけないっつーの。たとえば、高校サッカーなんか、準々決勝まで「40分ハーフ・延長無し」でやってる。
まあ、そういう問題提起含みの釣りなんだろうけど、釣りと言いつつ実は半分マジで思ってるっぽいところが何とも気持ち悪いよね。元増田。
余談になるけど、よく、「釣り釣りwww」って言って、書いた奴が喜んでたりするわけだけど、「釣れ」た理由ってのは、こんなふうに、本人の意図した「仕掛け」じゃなくて透けて見える「真実」の方が理由、ってこともあるんじゃないかね。真面目な話。
ブラックな組織には、明確な目標にむかって最短かつ違法な手段で到達しようとする組織と、目的も手段もめちゃくちゃな中で違法な手段が選択されている組織とがある。前者は合理的なブラックであり、後者は合理的でないブラックである。
体育会、旧日本軍などは日本の代表的なブラックであり、その大半は合理的でないブラックである。国民に感動を与えるために甲子園の球数制限反対、とか意味わかんない。アメリカに勝つとか、目標設定からしておかしい。
合理的なブラックとは、例えば硫黄島の栗林中将の例がある。本土をB29の圏内に置かないために硫黄島を死守する。そのために塹壕を掘って持久戦に持ち込む。塹壕から硫黄が吹き出してもともかく掘りまくれ。玉砕はするな。アメリカ兵10人を道連れにして死ね。硫黄島の戦いは、戦争末期の中では例外的に日本が有効な抵抗を行ったものであり、世間の評価も高いがブラックであることには変わりはない。