はてなキーワード: 公職とは
私は多分政治イデオロギーはリベラル・左寄りで、フェミニスト寄りの人間だと思う。
ここ10年くらい地方および国政選挙で自民・公明・維新には投票していないし、夫婦別姓や同性婚に関しては大賛成だし(むしろ反対してる人の知性と良識を疑うレベル)、110年間性犯罪に関する刑法が改正されなかった・そして今なお暴行脅迫要件の撤廃がなされていない日本まじやべえと思っているので。
そんな私にとって野党統一候補として衆院選に出馬し見事当選した米山議員と、フェミニストとして女性の支援活動に尽力して来た仁藤氏の言い争いは、あまり見たいものではない。
客観的に見て、登場人物の全員、言い分は正しく、そして少しずつ非があるなと感じている。
米山議員…ご本人も認めておられるが、「余裕のある人の趣味」という言葉選びが拙過ぎた。
環境問題でもジェンダー問題でも、人間が死んだり苦しんだりしている。
日本でも百年に一度クラスの豪雨が毎年のように降って各地で災害が起きている。
灘から東大理IIIに行き、医学部在学中に司法試験もパスし、ハーバード大学の附属病院に勤務していたという、漫画のキャラでもいないような経歴の、医師であり弁護士であり国会議員でもある圧倒的な社会的強者かつ公人としては、それがたとえ有権者がそう思ってるよという文脈であっても、自身の特権性を鑑みれば、言うべきではない単語だった。
だがTwitterというツールは140文字というシビアな文字数制限があるゆえに、万人に理解し易い誤解の余地のない文章を書くのはほぼ不可能なので、そこは考慮する必要があると思う。
また買春の件に関しては今回の衆院選の結果を見る限り、新潟県知事を辞任したことで一応の責任は果たしたと判断した有権者が多かったということなのかなと思う。
個人的に思うのは、米山議員が買っていた女子大生は文春報道によれば東京の名門私立大学の学生で、売春していた内の一人は米山議員を「良いお客さんだった」とすら言っていたので、仁藤氏が支援しているような女の子達とは毛色が違うように感じている。
パパ活おじさんはキモいけど、学費が払えない等のやむにやまれぬ理由がなくてもパパ活をする女の子は、素敵な奥様がいても浮気するおじさんと同程度、世の中に普通に存在しているし、そういう子達は“被害者”ではないように思う。
仁藤氏…夜の街を徘徊せざるを得ない複雑な事情を抱えた十代の女の子達の支援活動を行っている氏にとって、氏の活動やフラワーデモなどに寄り添ってくれていた池内さおり氏や尾辻かな子氏が落選し、パパ活おじさん(文春の報道によれば複数の女子大生と関係を持ち同時進行もあったと書かれていたのでご本人は真剣な恋愛相手を探していたと主張していたけれど以下略)が当選するという衆院選の結果は最悪以外の表現が出来ないものだっただろう。
欧米だったら学生の女の子を買春して引責辞任したおじさんが公職に戻れるなんてまずあり得ないだろう。
でも米山議員が説明していたように、米山議員をゴキブリ以下の存在だと思っているのが丸出しで、議論の余地が全くなかったように思うので、ブロックされても仕方なかったように思う。
室井氏…仁藤氏は「米山議員にはもう室井さんという素敵な奥様がいるのだからもう二度とパパ活なんてしないだろう」という米山議員擁護者に対し、「どんなに素敵な奥様がいようともパパ活するおじさんは沢山いるし(佐々木希でも浮気される世の中だからね)、そもそも妻は夫の性欲処理機じゃない」と一般論で反論を行った。
それに対して室井氏が「性欲処理機っていうのは自分のことか?!」と言い出すのはシンプルに誤読だと思う。
「妻は夫の性欲処理機じゃない」という仁藤氏の弁は、「妻が嫌な時は夫のSEXの求めに応じる必要はない」というだけの意味だ。
つまり仁藤氏は「室井氏は米山議員の性欲処理機だ!」とは言っていない。
むしろ逆で「室井氏は米山議員の性欲処理機ではない」と言っている。
しかしこの言葉は言い換えると「室井氏がいようがいまいが、米山議員は今後も何か機会があればパパ活をするだろう」という意味なので、米山議員への侮辱に等しく、米山議員の妻である室井氏にとっても不愉快極まりない言葉であると思うので、傷付いた!と感じるのは当然だと思う。
全員の気持ちが理解出来るし、全員の言い分が正当だし、全員に悪い所がある。
今後どうしたら解決するのか考えてたんだけど、世の中「話せば解る!」なんてことはないので、米山議員が国会で環境問題およびジェンダー問題について尽力し、国政で結果を出すしかないように思う。
月並みな言葉だけど、失った信用を取り戻すのは時間が掛かるので、それまではどうしたって逆風はあるよね。
弁護士である米山議員には釈迦に説法だけど、110年間変わっていなかった性犯罪周りの刑法が改正されたけど依然として実態に即していない部分が多いです。
暴行脅迫要件が撤廃されない限り今後も不当な無罪判決が出て、泣き寝入りを強いられる性犯罪被害者が後を絶たないと思われます。
弁護士である強みを遺憾なく発揮して、正しい方向に変えて行って欲しい。
同時に、こちらも医師である米山議員には以下略だけど、他の先進国と比較して日本人女性のリプロダクティブヘルスは蔑ろにされています。
緊急避妊薬のOTC化や安全な中絶方法などが日本では認められていません。
国会議員の中でも米山議員ほど優秀な人ってあんまりいないと思うので、どうか頑張っていただきたいです。
そうすればTwitterでいちいち誰かを言い負かさなくても、自動的にフェミニストからも拍手喝采される政治家になるし、室井氏や新潟5区の有権者の方々の審美眼の正しさも日本中に証明出来ると思います。
またフェミの餌食になった爺さんがいたな。
市長会長「美人会長も楽しみに」と連合に言及 識者「セクハラ発言」
...
立谷氏は来賓として挨拶(あいさつ)し、「男性の年収と婚姻率は比例する。女の人ってそうなんだと思うような結果が出る。年収が多ければ婚姻率が高い」「労働分配率を上げて、男性の所得、女性に悪いけど、男性の所得を上げていかないと人口問題は解消しない」と少子化対策の持論を述べた。
さらに、都市と地方の賃金格差の是正について「神津さん(連合の神津里季生・前会長)と意気投合し、意見交換しながらやってきた」と説明。「今度の美人会長も楽しみにしている。色々と協議しながら、日本にとっての問題は何なのかを連合と共通の立場で考えていきたい」と述べた。
この発言について、上智大学の三浦まり教授(政治学)は「芳野さんの会長としての手腕でなく、容姿に着目したセクハラ発言で、相手に失礼。不適切だ」と指摘する。立谷氏は取材に「男女を蔑視する意図があるものではありません」とコメントした。
https://www.asahi.com/articles/ASPBX6R08PBXUGTB00R.html?iref=comtop_7_03
よくもこんな小さなことに目くじら立てられるものだな、と言ったら俺も叩かれるのか?
バカな貧乏にどれだけ金を配っても結局頭いい金持ちに回収される。
この構図を是正しなければ再分配すればするほど再配分する金額の規模が大きくなり結果的に金持ちの持ち分が増えていく。
バカな貧乏を教育して頭良い人間に変える「教育の分配」しか方法はない。
第二次大戦に負けた日本は貴族を廃止し財閥を解体し地主から土地を取り上げたが、結局今の日本を支配している大部分は戦前に特権階級を享受していた層につらなる者たちだ。
彼らは財産を取り上げられ公職に就くことも一定期間禁止されたりしたたが、結局時が建てばふたたび財を築き上げ、人の上に立っている。財を増やし、人を支配する方法を教育されていたからだ。
(追記)
いろいろトラバもらったが、やはり格差是正を目的とした再分配などしてもことごとく失敗に終わるだろうと思った。
貧民からすれば口を開けてれば分配金が落ちてくるという皮算用にすぎず、ロクに努力しないという点ではトリクルダウン理論と何も変わらない。
民主主義は最後のところで完全な冷酷にはなれない。一点の隙もない法律など作りようもない。
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b197114.htm
お尋ねの「政党活動に当たる場合」の意味するところが必ずしも明らかではないが、公職の候補者又は公職の候補者となろうとする者(公職にある者を含む。以下「公職の候補者等」という。)の政治活動のために使用される当該公職の候補者等の氏名又は氏名が類推されるような事項を表示する文書図画及び公職選挙法(昭和二十五年法律第百号)第百九十九条の五第一項に規定する後援団体(以下「後援団体」という。)の政治活動のために使用される当該後援団体の名称を表示する文書図画については、同法第百四十三条第十六項各号に掲げるもの以外は掲示することができないこととされている。 一方、後援団体以外の政党その他の政治活動を行う団体の政治活動のために使用されるたすきについては、一般的には、選挙運動のために使用されるたすきと認められない限りにおいては、掲示することができるものと考えている。 いずれにしても、個別の行為が同法に違反するか否かについては、具体の事実に即して判断されるべきものと考える。
演説内容で考慮する解釈もあるので、違反とするかどうかは選挙管理委員会による判断になるし、名入タスキをつけること自体を違反とする自治体ではそのことをサイトに載せてたりする。
https://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/shisei/senkyo/1005894.html
デジタル庁の公募に落ちたことをSNSに平然に書いてる人達が数人居ますが、もうこの段階で一時的であってもみなし公務員であってもアドバイザーであっても公職に就く資格無しです。
公務員法は守秘義務を厳しく縛っており、一時的であってもみなし公務員であってもアドバイザーであっても守秘義務は厳しい。
公募に落ちたことは守秘義務とは関係ないとか言い張ってる段階でそもそも漏洩リスクに対する認識が低い。
民間での成功体験がそのまま政治や行政に活かせると思いこむ40代、50代の脳みそはほんとに残念。
民間で一定の成功体験があると、加齢にともない社会貢献志向が強くなり政治や行政で活躍したがったり、政治行政をSNSでポエムる連中は増えるが後の祭り
足による投票(あしによるとうひょう、英語: vote with their feet)とは、ある活動やグループに自発的に参加することや、そこから撤退したりすることで、自分の好みを行動で表すことを指す。従来の公職を誕生させるために選挙で投票する「手による投票」に対する言葉であり、足で投票する人は「vote with their feet」と呼ばれる。また、住民が、自分にとって好ましい行政サービスを提供してくれる地方公共団体の地域に、住所を置く形で選択することによって、地方公共団体の納税収入等が変動し、地方自治体間の競争メカニズムが発生するという理論でもある。
法学者のイリヤ・ソミン(英語版)は、足で投票することを「政治的自由を高めるための手段、つまり国民が自分の住みたい政治体制を選択する能力」と表現している[1]。 共産主義者のウラジーミル・レーニンは、ツァーリ軍を脱走したロシア兵について「彼らは自分の足で投票した」とコメントしている[2]。 また、この概念は、1956年の論文[3][4]でこれを提唱したチャールズ・タイバウト(英語版)(ただし、彼は「足による投票」という言葉は使っていない)や、アメリカの州間移動を地域の不満足な状況の解決策として提唱したロナルド・レーガンとも関連がある[5][6]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E6%8A%95%E7%A5%A8
そうはいうても上級国民の御子息だからこのまま逃げ切る可能性もワンチャンあるで
少なくとも30年は無視してこられたし
NHKに身内がいるからなのかそれとも世界の評価を受けてなのかNHKの仕事もやってたし
ソニーの広告も引き受けてネガティブな反応ついてもソニーは無視していた
なのにここ数日で消した
▼ソニーのウォークマン宣伝のページがWEBサイトから消える
「音のディティールを掴んで音楽の世界に夢中になれる」ヘッドホン
#Cornelius や #METAFIVE など、多様な音楽を紡いできた #小山田圭吾 さんギター
古くからの #ウォークマン ユーザーでもある小山田さんが、ご自身のリスニングスタイルと音楽専用機に感じている魅力を紹介しますスタジオマイク複数の音符
https://www.sony.jp/feature/products/200826/?s_tc=jp_sf_tw_feajrny_0827
▼該当ツイート
https://twitter.com/FeaturebySonyJp/status/1298849564854648832?s=20
まずは、
日本は一部の特権的な人たちのみ犯罪行為をしても公職や公的なイベントメンバーに就任出来る
日本は一部の特権的な人たちのみイベントの主役を虐待した過去があってもイベントメンバーに就任出来る
これを否定する事例が作れるだけでも一歩前進じゃないでしょうか?
パラリンピックそんな興味もってた?(anond:20210717091928)
パラリンピックは税金が使われているイベント・障がいがあっても世界的なチャレンジができるイベント以上の関心はないけど
コーネリアスは関心あるよ。何度も書いてるけどメインストリームじゃないけど海外でもそこそこ知名度があるアーティストで
グラミーにノミネートされたこともあるし海外フェスやラジオにも出たり海外アーティストのリミックス曲を手掛けてたりする
日本好きの海外アーティストがよく名を口にするアーティストで最近では Porter Robinson が Nurture のライナーノーツで
▼ Nurture |Porter Robinson
これはコーネリアスを初めて聴いた後にできた曲。よくある話だけど、絶対気に入るよってみんなに言われ続けて、でも逆にそれがうっとうしくて避けてきたっていう状況だった。それでようやく聴いた後に、この曲を8時間で書き上げた。ローラーブレードで近所を走り回ってるみたいに、とにかく自由で、子供みたいな感覚になれる曲なんだ。
▼Tender (Cornelius Remix) (2012 Remaster)
ブラー (Blur|https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC) の テンダーをコーネリアスがリミックス
▼ Corneliusが国内アーティストでは初めて「Spotify Singles」に登場(2018年5月16日)
世界のトップアーティストがSpotifyユーザーのためにレコーディングしたオリジナル曲とカバー曲を2曲セットで配信する人気プログラム「Spotify Singles」に、この度、国内アーティストでは初めてCorneliusが参加しましたのでお知らせします。Cornelius の「Spotify Singles」は本日 5月16日より配信しています。
▼ コーネリアス、グラミー賞ノミネート!|HMV & BOOKS onlineニュース
CORNELIUSの映像集「Sensurround + B-sides」が、アメリカ「第51回グラミー賞」最優秀サラウンド・サウンド・アルバム賞にノミネート!
(収録曲) ↓
▼ CORNELIUS - Fit Song
けど、人としてやってはいけないラインってどうしてもあると思うんだよね
あの雑誌の内容(anond:20210621022518)見て平然と聴ける連中は "そっち側" なのかなぁって思うっちゃう
ただ正直なことを言えば、またコーネリアスは聴きたい
なので、過去犯罪を犯しているのだから、日本の公的な仕事には参画しない(民間主催のイベントはOK)
9割雑誌の誇張で実際には犯罪はおかしていなかったとしても、障害者を馬鹿にし恐喝し虐待した記事を平気で載せたままにしていたのだから、
せめて、『障がい者スポーツ大会であるパラリンピックは辞退する』(9割雑誌の誇張ならパラリンピック以外の公的な仕事はOKだと思う)
そうしたら、コーネリアスがまた素直な気持ちで聴けるようになると思う
彼がやったことは許されることじゃないけど、犯罪者の再チャレンジを許さない社会はそれはそれでヤバいし、
or
これでじゅうぶんな禊ぎにはなると思う
というか、
日本は一部の特権的な人たちのみ犯罪行為をしても公職や公的なイベントメンバーに就任出来るし、
日本は一部の特権的な人たちのみイベントの主役を虐待した過去があってもイベントメンバーに就任出来るし、
日本は一部の特権的な人たちのみいじめ(虐待)が許されるって、
anond:20210716223902 anond:20210717134027 anond:20210717145508 anond:20210717154025 anond:20210717155036 anond:20210717215531 anond:20210718060231 anond:20210718092521 anond:20210718130011 anond:20210718184452
>まあアスリートも別に英雄になりたくてオリンピックに出る訳でもないだろう。自分の高みを目指しているだけであろう。
これ本気で言ってる?
オリンピックなんてスポーツ選手からすると最大最高の自分を売り込む特大の営業イベントやろ
オリンピックを契機にキャリアが開けるんだから、要は経済活動でしょ
テレビ出演・企業スポンサーをつかまえる、公職それに近しいキャリアにもつながるし、はたまたフリーになるにしても
いい大人なんだからそんくらい考えてるでしょ、自分の運動能力を高めた結果のお披露目~なんてことだけ考えてたらアホの子だよ
小森龍邦氏死去、88歳 元衆院議員、部落解放同盟広島県連顧問
解放運動の巨星がまたひとつ墜ちた。私もあと十年生きるか怪しい身である。自分の政治運動に対する考えを少しばかり綴ってみてもいいだろう。
上のニュースの人は、かつて解放同盟の事務方のトップだった方だ。昭和7年に広島県東部の被差別部落に生まれ、中高生の時分から老年に至るまで部落解放運動に携わってこられた。
私が活動していた地域とは遠く離れているが、それでも半年に一度は彼の実家の傍にある、ちんまりとした選挙事務所へ行き、地元産のワインを飲みながら語り合ったものだ。
私などが知己と呼ぶのがおこがましいほど尊敬できる人格の持ち主だった。家族や地域や仲間のためであれば、危険を顧みずに行動する力を持っている。それでいて、思慮深いうえに頭の回転が速く、無謀な策を講じたりはしない。講じるとしたら、背後に確かな計算を持っている。そういう方だった。
それが、こんなに早くにお亡くなりになってしまった。悔しい限りだ。
私の番はいつ来るのだろう。運が良ければ二十年は生きられるかもしれない。運が悪ければ数年後か。その前に、自分の想いを吐き出す機会が欲しい。
さて、表題の意味について。あなた達の政治運動には『迫力』が足りないとは、どういう意味か。
言葉どおりの意味だ。特に、伝統的な分野、例えば労働組合などが挙げられる。昔に比べて弱体化が著しい。
企業ごとの組織率は低下し、労働者の組合加入率も低下し、賃金は下げられ放題、追い出し部屋や希望(半強制)退職の蔓延も放っておかざるを得ない。数十年後には、労働組合というものが事実上消滅していてもおかしくはない。
また、高校や大学など、学校内の自治を求める活動もそうだ。私は元高校教師だが、昔に比べれば、学生たちが自ら声を上げて学校のルールを変革するために動くことは減っている。感覚としてはそうであり、数字においてもそうなっている。悪い意味で、子どもが大人のいいなりになっている。
近年話題になったものだと、#MeToo運動だ。女性がこれまでに男性から受けた、性を主とする嫌がらせを公共の場で告発することをいうようだ。
日本ではそこまで定着しなかったが、本場のアメリカでは著名な人物の一部が職や名誉を失っている。最悪の場合は、裁判により実刑判決を受けることになる。
LGBTの社会運動も、社会の価値観を変革しつつある分野のひとつだ。
大衆消費社会が訪れてそうまで時間も経たない頃から、同性愛者としてのカミングアウトや文学活動、デモ行進や芸能界での活躍、自分たちを侮辱する者に対する訴訟提起(府中青年の家裁判)、ゲイであることを周囲に言いふらした者及びその所属校への糾弾(一橋大学アウティング事件)など、仲間の権利を守るための諸活動を行ってきた。
以前は、映像作品において、同性愛者が精神異常者として描かれるのは当たり前のことだった。子ども向けのアニメなどでもそういった描写があったが、昔に比べればなりを潜めているように思える。批判を恐れて、ゲイやレズビアンの人達を描けなくなっているだけかもしれないが。
これらの成功している政治(社会)運動には、共通する点がある。
相手の痛いところを突いていることだ。
この方針なくして勝利はない。しかし、近年の伝統的な政治運動の類を見る限り、相手の痛いところを見抜くことができる知性、または攻撃する度胸を欠いているように思う。
特に、組合関係の団体がそうである。昔の労働組合は、使用者と刺し違える覚悟があった。
意図的に給与の支払いを遅らされても、当局側が雇った暴力団に夜道で襲われても、工場を社員寮ごとロックアウトされても、それでも不屈の覚悟で戦い抜いてきた。
それが今では、使用者の言いなりとなり、組織から仲間を追い出すための行為に協力している。情けない限りだ。
話が逸れた。
相手の痛いところを突くことの具体例として、昭和40年頃の話をする。私の高校時代の級友の話である。K君とする。
高校二年の時だった。夏の午後の授業中に、ある教師が教室の窓の向こうにある山を指さして言った。「お前らみてみい、あの山にはよっつが住んどる」(※手の指が四本であるという意味)
その教師は、部落に住んでいる人間を馬鹿にしたのだ。当時はまだ、被差別部落で生活する人々と、それ以外との間に貧富の差があった。馬鹿にされやすかった。
どれだけ悲惨な生活だったか、今の生活と対比しながら述べると、家にトイレはなく(集落で共同のトイレだった)、上水道は通っておらず、生活汚水は外に垂れ流しであり、雨樋や排水溝がないので大雨が降ったら屋内は水びたしになっていた。
家族で食卓を囲んだ光景にいい思い出はない。口に出して述べたくないし、思い出したくもない。
さて、その男の言葉に頭にきたK君は、翌日に地域の仲間(私を含む)を連れて職員室に入っていった。K君が連れてきた解放委員会の男が怒鳴ったのを覚えている。「教頭、どういう教育をしとる!」という大声に、周囲に緊張が張り詰めた。校長までやってきた。
その教師に向けて、「そんなことは言ったらいけんど」と説得しようとしたものの、それ以前の問題だった。その教師は、私達の質疑に対して、最後までしらを切り通したのだ。「そんなことはしていない」と言い張った。
このままではK君の立場が危ういわけだが、私にはどうすればいいかわからない。しかし、協力をしたかった。
また翌日、K君は教室の中で証言者を探すために、級友の前で声を上げた。「このままでは俺は嘘つきになってしまう。証言をしてくれ」と皆に伝えた。が、私ともう一人か二人以外に協力者は出なかった。
次の日だった。今度は、級友一人一人と話をする作戦に切り替えた。校庭に級友を呼び出し、どうして協力してくれないのか、と訴えたのだ。それでも駄目だった。みな、「それは勘弁してくれ」と言うばかりだったという。
さらに次の日、K君は50枚ほどのA6程度の大きさの小紙を持ってきた。それを級友の一人一人に渡して、「これに証言を書いてくれ。後で預かる」とお願いして回ったのだ。
翌週、K君は再び、地域の仲間と、同じ地区の解放委員会の役員を連れて校長室に入っていった。私は外で待っていたが、勝利を確信していた。K君は、20枚以上はあろうかという紙の束を持っていたからである。
その年度の末をもって、その教師は異動になった。県内の一番端にあるエリアに転勤していった。彼はまだ赴任して2年目だったことから、今回の作戦が功を奏したとみていいだろう。
この、K君の動きを間近で見たことが、私が政治運動を志したきっかけだった。
今度は、少し規模の大きい話をしよう。
それから三十年以上が経って、平成の初期だったと記憶している。被差別部落の生活・文化的な環境を改善するという一連の政策が国会での議決を受けてから、長い時が経っていた。
K君の事件をきっかけにして、私は解放委員会に正式に加入し、高校で社会科を教えながら政治運動に身を投じていた。40になる頃に教師を辞めて、今度は別の公職に就いた。
ある年の冬だった。私が活動していた県の幹部職員が、「同和関係の補助金はすべて凍結する」と、あろうことか県議会で答弁した。
寝耳に水だった。まさか、そんなことはあるまいと考えたが、確かな事実だった。議会答弁はテレビ中継もされていた。
当時、私が所属していた団体の幹部が全員呼び出され、偉い方々から対策を指示された。それぞれの支部からも、来年度の予算について雨後の筍のように質問が寄せられていた。
発砲ふさがりかと思われたが、ふと、K君のことを思い出した。彼はもう立派な社会人であり、解放委員会からも抜けていた。それでも藁にすがる思いで相談に行こうとしたものの、気が乗らない。
彼に迷惑をかけるのでないかという想いもあったが、何よりも私個人の意地だった。同和教育、人権思想を啓もうする活動を担う一員である以上は、自分達の力で解決せねばならないという気概があった。
とはいえ、K君と話をしたかった。結局、正式な相談ではなく、共に食事をしながら今回の件について話し合うという形式を取った。K君は、「ここで折れたら前例になろうが」という話から始まり、諸々の助言をいただいた。今でも感謝している。
後日、県の横暴に対する対抗策がまとまった。開始時期は、一週間後とした。
数万人規模の組織で、ここまでの速度で動くのは無理がある。組織全体の足並みが揃わなくなる恐れがあったが、予算全凍結は目の前だった。
あの時のK君のように、各市町の教育委員会の庁舎に数人で飛び込んだなら、「どうしてこんな卑劣なことをするのか。子どもらが人権意識をもつための活動ができなくなっていいのか」というメッセージを何時間にも渡って、毎日伝え続ける。
庁舎の外には最大100人程度を待機させていた。みなそれぞれ、横断幕と拡声器を使って、スローガンを堂々たる態度で表し、相手方にこちらが本気であることを知らせた。朝方から始まって、日中は休憩を挟みながら、日が沈む頃まで毎日続けた。
場所は関係なかった。公共機関であれば、どこででも実施した。教育委員会だろうと、市役所の入り口だろうと、学校の門前だろうと、警察署の前だろうと、県会議員の自宅の玄関だろうと、場所は関係なかった。
かつて、私たちは基本的人権の享有を受けられなかった。その歴史を繰り返してはならない。私たちは本気だった。
議会での答弁から半年後、私達の本気は伝わった。予算の凍結が撤回されたのだ。
これまでと同じように、これまでと同じだけの金額を子ども達への教育活動、個別学習会や勉強会に使うことができるようになった。
私たちは、相手の痛いところを突いた。突き上げを受けた教育委員会は、通常の業務を行うにあたって支障が出る。日中は、私たちが絶えず抗議をするので、それに対応せざるを得ないからだ。
それが数日であれば持ちこたえるだろうが、何か月にも及ぶとさすがに根を上げる。
「予算の凍結はやめてくれ。現場がもたない」と各市町とその教育委員会は、県の決定に抗議する流れができる。
さらに長い期間に渡って続けば、県としても、予算の凍結の続行と、各市町の疲弊とを天秤にかけざるを得なくなる。
相手の痛いところを突けばいいというものではない。こちらも痛い目を見る覚悟が必要だ。というのも、現実的には、まずはこちらが痛い目を見る可能性が高いからだ。
上記の場合、県による予算凍結の撤回を求めて戦うにあたり、相手方に攻勢をかける必要があったわけだが――初期の段階が一番苦労した。まず、動員をかけても会員は集まりにくかった(当事者意識の欠如)。これがただの動員ではなく、緊急事態を打破するための闘いであることをわかってもらうために熱弁を振るう必要があった。この説得のための活動、すなわち県内の支部巡りに最も時間を要した。
人が集まり、相手方に攻勢をかけることができるようになったとして、最大のリスクがある。警察に通報されることだ。特に、要職にある者が動けなくなるのはまずい。敵にとっての追い風になる。
今回は、そうした事態が起こることはなかった。絶対に暴力行為や脅迫行為をしてはならないと、組織内で固く申し合わせをしていたからだ。
私が若い頃の解放運動だと、警察など介入する余地はなかった。デモ活動やオルグの最中に通報があって警察官が駆け付けたとしても、我々を見て尻込みをするのは当たり前で、あちらの方が逃げ出すこともあった。
それほどまでに、当時の私たちは気迫に満ちた政治(社会)運動をしていた。物事に対する「本気」というものが、警察すら怯えさせるほどに昇華されていた。
時が経ち、平成時代になると、部落に住む人々も豊かになったこともあり、ハングリー精神が見えなくなっていた。集団の気迫はすっかりと消えてしまい、周りから見ると――デモ活動の全てが滑稽なものに映るようになっていた。満たされた人間に政治運動はできない。それだけのことだった。
ところで、予算凍結に対する対抗策の実施にあたり、最大の懸念事項があった。
県と市町との連携だ。もし、予算凍結の議会答弁を打つよりも前に、県議会が各市町に根回しを行い、さらに我々を抑えるための手を考えていたとしたら、負けていた可能性が高い。
逆に言えば、同和対策事業に関する予算の凍結という重大事項について、事前に各市町と連絡調整をしないというミスを県が犯したからこそ、我々は勝利することができたと言っていい。
最後になる。
相手の痛いところを突くこと、その直近の事例としてミャンマーのデモを挙げたい。
アウンサン・スー・チーを頭に据える民主派が勝つにはどうすればいいだろうか?
武力では国軍に勝てない。ならば、「国軍は間違っている」というメッセージを、自国内と国際社会に訴えかけるしかない。
経済面ではゼネラル・ストライキを行い、社会面では民主的な思想や制度について啓もう活動を行い、政治面では大規模デモによって世界に窮状をアピールする。
アメリカがすでにミャンマーへの経済制裁を行っているし、世界的な空気として、国軍より民主派を推す声が大きいのは間違いない。
民主派のやり方というのは、それでいい。とことん大きなデモを打って、自分達の正義をアピールする。
が、その代償として、民主派は多くの命を失っている。つい先ほど、未成年のデモ参加者が銃で撃たれて亡くなったというニュースが飛び込んできた。先日のデモでは50人以上が亡くなったという。
民主派グループの中でも、指導者に近ければ近い者ほど、身体に危険が迫る。国軍にしてみれば、今が正念場である。世界各国からの評価が低下することを気にかけず、民主派の指導者層を徹底的に弾圧し、デモ活動を先導する者を少なくし、事態を膠着状態に陥らせ、軍事政権を持続させるとともに――軟禁しているアウンサンの自然死を狙うメリットの方が大きい。
もし日本が、ミャンマーのように危険な状態だったとして、あなたが立ち上がって戦わねばならなくなった時、どういう心構えで、どういう行動を取るべきだろうか? 相手の痛いところを突くために、どこまでのリスクを背負えるだろうか?
その問題に直面していたのが、私が生まれた時代よりもさらに昔、明治以降の被差別部落に暮らす人々だった。あまりに苦しい生活環境であるがゆえ、生存権を得るために戦わねばならなかった。しかし、どうやって戦えばいいのか?
多くの者が基本的人権を得るために戦い、痛い目に遭いながらも戦いを続け、そして今の、(経済的な意味に限っては)被差別部落問題が解決した現在に至る。
あなたの人生にとって、重大な戦いをせねばならない時がくるはずだ。その時に、どういった行動を取ればいいのか、当日記がその際の助けになれば幸いだ。
40代以下の若い人に向けて、このトピックを書いたつもりだ。あちらへ、こちらへとぶれた文章になって申し訳ない。読み返してみると、まとまりのなさに驚いている。ご容赦いただきたい。