はてなキーワード: 体育祭とは
ブルーアーカイブにハスミというキャラがいる。というか、いるらしい。ブルアカはやってないので知らなかったが、Twitterの広告で流れてきてその存在を知った。
体育祭イベントのイラストで、全力疾走するハスミが爆乳をこれでもかと揺らしている姿に私の目は釘付けになった。クーパー靭帯が心配になるほど2つのメロンがゆっさゆっさと踊っている。デッカ。エッチで最高だと思った。
で、その爆乳ゆさゆさを見た数日後、所用で秋葉原に行くとTwitterで見たものと同じブルアカ広告(ハスミの全力疾走シーン)が掲示されているのを見かけた。
広告ではハスミの胸の上にゲームのロゴ?テキスト?が配置されて胸が隠されていたのだが、なぜか私はそのとき「隠されてて良かった」と安堵してしまったのである。Twitterではあんなに喜んだのになぜだろう。
体操服のような白くてつるっとした素材を着ていると、本人が強調しなくても他人が見て分かる程度には胸の揺れが分かる
つまりあの絵は「エッチな意図はありません」と言われたら、はいそうですねとしか言えないようにできている。そこを、いやこんなのどう見てもエッチでしょと突っ込んでしまったら、体操服を着た女性は走ると必ずエッチな存在になってしまうことになる。それはおかしい。
隠せば隠すほどそれは「隠さなければならないもの」としての意味合いが強くなり、つまりそれは、エッチな意味づけをしていることになってしまうのでは?と考えつつ、素直な感想として「隠されて良かったな」とも私は思ったのである。
で、私が安堵してしまったのはつまり「エッチな意味づけは無いと主張してるのに、胸を見ているということは自分が淫らな気持ちになっていると開陳することになりそれを他者から見られるのが嫌だから、そんな目に合わずに済んで良かった」ってことなのかもしれない。
「目のやり場に困る」を解体していくと最終的にはそこに行き着くのではないか。
今巷で言われている広告の是非云々に関して様々主張が発信されているけれども、結局感情を紐解いていくと女体を見ている自分が淫らな人間だと他者から思われたくない、だから視界に女体を出さないでくれってことなのではないだろうか?
公共空間での広告が特に叩かれがちなのは結局のところそういう素朴な思いからきてるのかもしれない。
ちなみに、リアルで体操服を着た胸の大きな女性が走って、胸が揺れているのを見てもエッチで最高とは私は思わない。
私は残念ながらDカップしかなくあんな風に揺れないこともあり、気持ちが理解できないことから、胸の大きな人にそういう気持ちは持ってはいけないと心のどこかにストッパーがかかってるのかもしれない。
だからか二次元の巨乳は思うがままに愛でられるので最高だな〜と思っている。
たくさんの意見をいただき、ありがとうございます。ぶわっと書き殴っただけだったので追記させてください。
https://anond.hatelabo.jp/20221116232701
タイトルについては、極論をすぎるな…と思ってます。ごめんなさい。
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ただ、「子を殺すなんて話が飛躍しすぎ」的な意見が多かった気がするのですが、そんなことないです。
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そもそも危害を加えるだけの、どうしようもない人間は存在します。私がまさにそういう人間でした。
ただ、たまたま危害を加える先が自分自身(自殺未遂や自傷だったり…)だったので、マトモに今も生きれています。
理由の分からない負の感情から、膨大なエネルギーが生まれるんです。大人になって家庭環境が原因だったと気づくのですが、当時の私には、例え他者の助言があっても決して理解できない状態でした。
あのエネルギーが他者に向いていたら、私は無差別殺人のような残酷な罪を犯していただろうなと思うのです。自己肯定感をへし折り続けてくれた両親のおかげで、セーフでした。複雑ですが。
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いじめについては被害者(ガッツリ)も加害者(傍観)も経験してますが、いまだに思い出して苦しくなります。
被害者にとって(少なくとも私にとって)謝罪なと無意味です。謝罪は加害者の気を楽にするものじゃないですか。こちらは許すことを強要されるんです。許さなかったら、謝ってるのになんてやつだ!と非難されるのです。
そうして逆被害者になったいじめっ子は、今幸せに暮らしてるそうです。Facebookでたまたま目に入りました。死んでほしいです。できるだけ苦しみ痛みもがきながら死んでほしいです。
被害者側にも何かしら原因があるとは分かってます、それでも苦しみ続けるんです。
傍観でいじめ加害者になった時、この苦しみを知っていながら傍観しかできなかった自分が申し訳なく、今でも罪悪感に苛まれます。
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たまたま、私は苦しい生きかたをしてきたのだと思います。こんなこと考えなくていいと分かってても、ダメなんです。
もしも子を持つことになったら、こんなことをうだうだ考えないような、普通に文化祭や体育祭を楽しんで、恋愛や友情に悩み苦しみ、当たり前のように家が安心できる場所で…そんな人生を送ってほしいなと願うばかりです。
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ブックマークのコメント?全て読ませていただいたのですが、特に気になったものだけ返信させていただきたいです。
ricanam 引きこもりになって家の中で暴れ近所の保育園を襲うと言い出した40代の息子を殺した70代の元事務次官の話がルポになってるので読むといいと思う。わからないから怖いのであって実際にあった事件から学ぶことはできる
この事件の記事はいろいろ読みました。マトモになれてなかったら、私の未来もそうなってかもなと怖くなりました。
偶然自分自身の異常さに気づき、必死に修正して、奇跡的に夫と出会え、マトモな生活を送れたからよかったんです。
とはいえ、今も楽しそうな子どもの声を聞くと、羨ましすぎて嫉妬を超えて憎悪が芽生えます。現実では声にもしませんが、いなくなればいいのにと思います。最低な人間だと自覚してます。
旭川や山形や大津の凄惨ないじめ、コンクリ殺人や大量通り魔のような残虐事件、目黒や野田の虐待死等のような人を人とも思わない加害に我が子が手を染めたら、と想像したことのある親は意外と少ないのかもしれない
私も意外と少なくてびっくりしました。
ニュースでいくら報道されてても、やはり他人事になっちゃうんですかね。
aaasukaaa 他の指摘にもあるけど、まず自他の境界線曖昧な人はそこ気づいた方がいい。でもわりと曖昧じゃない人、女性でかなり多いから、毒親とか宗教二世問題が絶えない気がするよね
何人もご指摘いただきありがとうございます。自他の境界線が曖昧、、気づいていませんでした。
母親にコントロール(母にとっての正解から外れたことをしたら激怒など)されて育ったので、それが普通だという感覚が抜けてないのかもしれません。
同じ過ちは繰り返したくないので、関連する本などを読んでみます。
とても素敵な家族ですね。そんな親に育てられたかったなあと思います。
本当に指摘いただいてよかったです。ありがとうございます。
親と同じような人間にだけはなりたくないと足掻いて生きてきたのですが、無意識にそうなってしまうものなんですかね…。気をつけます。
ivory105 我が子がいじめ(暴行)の主犯格で相手がいじめを苦に自殺してしまってたら、未成年だから楽勝なんて笑ってたら、絶対再犯する、私がなんとかしないとって思ってしまうかもしれないし気持ちはわかる
まさに、なんとかしないと!このままだとまた同じことをしてしまう!その前に私が…!という話をしたかったのです。
更生できればそれが一番ですが、そのへんの勉強を少ししてしまい、とても難しいことだと知ってしまったのでなおさら…。
yetch 子供産むの嫌だなって夫に言えないのか。つらいな
言えば受け入れてくれる夫なので、言えません。
未来のもしも話をとても楽しそうに話す夫と楽しそうに聞く私、この時間が、あまりにも「普通の幸せ」な時間で壊したくないと思ってしまい。
napsucks ショッピングモールで走り回っても「あまり大声出さないで」ぐらいで放置してます。むしろ内心ああここは安心して野放しにできるわ、ぐらいにおもってます。気分は放牧場に着いた牧場主。すみません。
自分勝手な話なんですが、ショッピングモールで走り回ったり騒いだりしてる子どもを見ると、言いようのない黒い感情に苛まれます。嫉妬、憎悪など。
私自身はそういうことを一切許されず、また、そのような子たちを「人間の底辺」と教えられ育った感覚が抜けないからです。
こんな思考はダメだと分かっていても、どうしても考えてしまいます。悲しいです。
他人の子だからなんとか飲み込めているものの、もしも自分の子だったら耐えられないと思います。
TakamoriTarou リスク管理は 発生した場合の重大さ×発生頻度 で考えるものなので、発生頻度がほぼゼロに近けりゃ考えなくても良い。故に、この問題もそんなに重要視しなくても良い。 最近はそんな風に考えるように心がけてる
この考えかたは斬新でした!ありがとうございます。仕事に置き換えてみると、また違う風に考えれそうです。
少年Aの手記がまるで私のことのようだったことで、自身の異常さに気づけた過去があり…。
母の手記イコール私の母の正当性を示した内容ではないかと、怖くて読めてないままなんです。
dusttrail ハイヒールモモコは昔非行に走ってた頃、母親に馬乗りになられて「あたしがあんたを殺す!あんたを殺して…」と言われ、「あたしも死ぬ!」と続くのかと思ったら「あたしは逃げる!」って言われたらしい。
おもしろいですね!
superabbit 宿題の写しあいってそんなにあかんことかな?大学時代「お昼ご馳走するからノート貸して」の取引が普通に飛び交っていたし許容範囲だと思うけど。モール走り回るやチャリで無断遠出は危ないから躾の必要ある。
許容範囲だとは思うし、そういうのを頑なに拒否すると人間関係上手くいかなくなるし、でも、良い行いではないよね?っていうのを、どう教えればいいのか分からないのです。
aquatofana 自転車で大冒険はともかく、宿題をうつし合うのは愚かさの現れだし、いじめられないような立ち回りって「いじめに加担する」という立派な悪行では。そんな悪知恵で社会を生き抜く人間って普通に屑野郎だろう。
そんな悪知恵で社会を生き抜く人間って普通に屑野郎、まさに私もそう思う。でも、現実的には少々の悪知恵がないと上手く生きていけないから悩ましい。
なにもかも真面目にしても、損をすることもある。
いじめの仲裁に入ったとて、加害側からは裏切り者扱い、被害者からは酷い依存をされ、まともな学生生活を送れなくなるんだよ。変な環境だよね。
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私自身、楽しいことが何もなくて、常に死にたいけど死ぬほうが迷惑かかるから死ねない、と死んでるみたいに生きてた。
何度も失敗を繰り返、それでも足掻いて、偶然得れた普通の幸せがあるから、今は生きてて楽しいけれど。
この幸せを知らないままだったら死んだほうがよかったし、逆に私以外の幸せな人みんなが死んでくれたほうがよかったと思う。
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全校イベントで観客もたくさん居る中でグランドを走るんだけど順位はなくてマラソンみたいなものだった。ちなみに現実でマラソンはしたことがない。
それで走る前はクラスが団結してガンバルゾーな雰囲気。個人走でなにを団結するのか謎。
そして走りだしたら実況が解説するんだけど、実況がすごくプライベートな部分を喋りだした。
何々が好きだとかあの科目が得意で最近の趣味は~とか赤裸々に暴露しつつ応援しましょう!とか言ってくんの。
別にそれはリアルな俺の情報じゃなくて夢の俺の架空の設定だったけど、公然で大人数の前でそんなこと喋られると羞恥心と走ってる意気切れでもうクラクラして。クラスメイトも増田頑張れって応援してるし。やめたかったけど律儀に走り続けていた。
ってところで目が覚めた。
【元サイト】
Who remembers Bloomers? | Yellow Dandy
以上。読みながら訳したのでいい加減だが大意は伝わるはず。
現在、VTuberグループのにじさんじが、幕張メッセを3日くらい使って、グループあげてのオフイベントであるにじフェスというのをやっている。
盛り上がっているようだし、スタッフもVTuberも力を込めているようである。
が、俺はにじさんじを活動スタートの頃から追ってるオタクのくせに、いまいちそれにノれない。
地方に住んでる上にひきこもりだから東京のオフイベに行けないというのもあるが、そもそも、肉体接触でみんなで盛り上がるというのが猛烈に苦手なのである。
「にじフェスはまるで文化祭みたいだ」というのはVTuber自身がちょくちょく口にするのだが、実際まあそういう盛り上がりであり、そして俺の苦手意識も、文化祭や体育祭がキツかったことに近い。
中学高校の文化祭は人のいない場所に逃げ込んで時間を潰していた。修学旅行も苦痛だった。
そして俺の厄介な所は、イベントに参加するのは苦痛なくせに、悠々自適なひとり学生生活に満足しているわけでもなかったということだ。
ワイワイやっているクラスメイトのノリが嫌いだったが、しかし楽しそうなそいつらを見てルサンチマンや疎外感や不公平感は強く覚えるのだ。
にじフェスについても同じだ。にじさんじ、ないしいちからが成長するのはよいことだし、マクロかつ客観的にはオフイベは成功してほしいが、ミクロで主観的な俺は、ひたすら置いてきぼり感がある。
月ノ美兎は言うまでもなくにじさんじのメインどころの一人であり、ここしばらく私生活の事情で休止していたが、にじフェスでもライブを二本もこなすように、しっかり箱イベントにコミットしている。
だが彼女は、今回のイベントのイメージソングである、じんが文化祭をモチーフに作詞作曲した『Hurrah!!(フレー!!)』という曲を紹介する時に、こんな風に言っていた。
「この曲のいいなって思うのが、明るいんだけど、陰の感じもあるの。私はそう受け取ったの。文化祭ってやっぱ、一部のお祭りになったりするじゃん。でも、なんか、救いがあるんだよね、この曲」
じんはこの曲にそのような救いをこめたのかもしれないし、そして、それを感じ取って明言してくれる月ノ美兎は俺のような人間にとって救いである。
月ノ美兎は今までのグループイベントを楽しんでいるようだし、彼女自身のプライベートでの文化祭も楽しむ側だったことは、何となく伝わってくる。
だがそれでも彼女は、彼女の人生で疎外感が発生した経験や、主流の生き方をできなかったときのキツさを覚えているのだと思う。
(そもそも彼女はVTuberとしても特殊だ。活動初期は3D動画勢がVとして当然であり、2Dで生配信のにじさんじは邪道的であった。その後彼女たちの活躍によって生配信系Vが大きなブームとなるのだが、ゲームや長時間配信を得意としない彼女はやはり特殊だった。ぱっと見は脚光を浴びているのに、主流派やマジョリティとしての振る舞いができない、「ステージ中央にいる異端」として5年間活動しているのがVTuber月ノ美兎である)
そしてにじさんじが、あるいはVTuberが、ネットが、オタク文化自体がメジャーになり陽キャやアイドル的になりキラキラした「マトモな人間達」のものになっていっても、「マトモに生きられないし他者と関われないので、一人で部屋でオタクコンテンツを摂取することでしか生き延びられなかった人間」の存在を認識してくれていて、どんどん派手で幸福そうになっていく界隈の賑やかさの中で、たまにモールス信号のように、あるいはradiko以前の深夜ラジオのように、月の光のように、彼女から俺たちへ密かにメッセージを送信してくれているように感じる。
それは相互理解なんかではなく一方通行の送信であり、それどころかそもそも月ノ美兎はそんなメッセージは意図しておらずオタクにたまたまそう聞こえただけの偶然のノイズなのかもしれないが、とにかく、俺はそう受け取っているのである。
破産しそうは盛ったけど、自分の中高生時代よりは金かかってること確実だわ
自分の時はお小遣いが中学で月2000円、高校で5000円、それとは別でお年玉+誕生日+気まぐれに服買ってもらえる
みたいなかんじだけど、子の場合はあきらかに月1万以上かかってる
まずスマホ。昔はポケベルで基本料金は安かったし、送信は公衆電話とか家電とかだったけど1日何十回もしないし
1回10円に抑えようとがんばってたので月にするとそんなにかかってない。
いまだとiPhoneだけで7,8万する。割賦にしても結局の支払いは同じ。
当初はSEだったけど、SEだと同級生から舐められるようで最新のナンバリングを買わざるを得ない。
基本料金もピンキリだけどポケベル時代よりは高いし、ギガがねーギガがねーうるさいので増やしたから主要キャリアと大して料金が変わらん。
次に服。昔はショッピングモールに行ったときとか、最悪近くのスーパーで買う感じ。
それなりにするけどまぁ季節ごとに買うくらいで買う回数はそこまで多くなかったと思う。
今はユニクロやGUもあるけどアパレルブランドが多くなり過ぎで、月ごとに何かしら買いそろえてる状態。
毎度セールだから安いはやすいけど、あきらかに服を置く棚がないのに流行りや好きなデザインだと買ってる感じ。
ちなみに流行りの普通の服から外れると途端に高くて、地雷系とかになってくるとなかなかセールもやってなくて財布に厳しい
インスタとtiktokのおかげで「これたべたーい!行く!」と行動が早すぎる。
子のエンゲル係数だけ爆上がりだよ!!
次に旅。これは遊園地とかも含むけども
温泉や公園、プールに海やイルミネーションなど撮影スポットを用意するようになって、その写真を見て「私も!」って感じで友達と行ったりしてる。
あとはディズニーランドやシーに行くだけでクッソ金がかかる。1日過ごせるけど入るだけで7000円、飯とか食ってグッズ買ったら?毎月行くとかなると吐き気しそう。
どうしてウォルト・ディズニーは後世まで愛されるキャラクターなんて作ってしまったんだろう。
部活とか塾関連はまぁ入るとこによるから言及しないけど、昔より高い気もする。
今はむしろ体育祭、文化祭、球技大会(今はクラスマッチというらしい)ごとに
Tシャツとか衣装を用意して改造しプリクラを撮るためにどんどん金が吸い取られる。
で、終わったTシャツはどうすんの?着ねえよなぁ?!
んで、こっちが小遣い渡したり買ったりしてる以上にモノが増えたり食ったり金かけてる形跡がある
隠れてパパ活でもしてんのかな……そんなに金ひつようなんか??
隣になった時に不自然に机の距離を離されないとか、小テストの採点で教師の言う通り隣同士で交換してくれるとか、通路塞いで喋ってるところに通りかかったら「ごめんね〜」ってどいてくれるとか、体育祭のフォークダンスでちゃんと手を繋いでくれるとか
小中でいじめられてたから高校に入ってからは些細な対応で男子から人間扱いされてる…!とびっくりしてた
結局三十過ぎても彼氏いないし男性も苦手だけど、自分に対して害意のない人間もいるというのが分かって他人に笑顔向けられるようになったから、彼らの対応には感謝している
注目エントリに前川の名があったもんで思い出した(内容は全然関係ないよ)大学の友人が住んでたので時たまに行ってた。前川喜平さん自体は関わりは多分ないんだけど、かなり特殊な寮だったのでまあ思い出話ってことで。
なんで前川?って思うかもだけど敷地のど真ん中に創設者ってことで前川喜作って人の銅像が立ってる。前川製作所の創業者で前川喜平の祖父にあたる人らしい。
立地は早稲田大学のそばで、田中角栄邸が隣にある。東京の超一等地に急に鬱蒼と茂った森が出てきて度肝抜かれた記憶。理系の俺でもひしひしと文学的な趣きが感じられるんだけど、実際に村上春樹が「ノルウェイの森」の舞台にしてたらしい。早稲田の側だけど住んでる人は大学生ならどこでも良いっぽかった(名簿が貼ってあったけど早稲田が一番多くて、東大からFランまでみんないた)
敷地には文化財?の建物と東西南北乾巽の6つの寮があってそれぞれの寮で個性があったらしい。ただ共通してるのは体育会系ってことで上下関係がメチャクチャ厳しそうだった。新入生は徹底的にシゴかれる時期があるらしく、その時期に何人もやめてくらしい。先輩とすれ違う度に「こんにちは!」「失礼します!」って絶叫してたもんだから、なんかそういう雰囲気になって俺もやってたw
一番の特徴は大学生なのに体育祭があるってとこ。9月頃に友人と連絡が全然取れなくて、暫くぶりに会ったらムキムキになってた。なんでも1ヶ月毎日何らかの競技をやってて、集大成に騎馬戦をやるらしい。その騎馬戦を見に行ったことがあるんだけど迫力が半端ない。大将戦で帽子を取るんじゃなくて騎手を地面に叩き落とすルールだった。もちろん毎年怪我人が続出するらしいんだけど、大の男が勝利して咆哮し、負けたら号泣する真剣な姿がめちゃくちゃカッコよかった。その友人は普段イジられキャラだったんだけど、その時ばかりは惚れたw
他にも色々エピソードを聞いたけど、コンプラ的な面で割愛。まあこんな感じでかなりヘンな寮だった。もうその友人もその寮で仲良くなった人も暫く会ってないけど、元気にしてるかな。体育会ノリなんて今じゃ(というか当時から)毛嫌いされてると思うけど、みんな商社とかそういうとこ行ってたから今でも多少そのノリをやってるかもねw
近所の子供たちから、気持ち悪いと言われたり、草や泥で作ったものをご飯だと言って口の中に押し込まれたりしたこともある。
お金を持ってきたら一緒に遊んでやると言われて、親に理由を言ってお金が欲しいと言ったら、親が相手の子供に抗議してくれたが、親も気持ち悪いとか、チンパンジーの親子だとか言われて馬鹿にされた。
小学校に入った時から、自分は有名人で、「近づくと〇〇菌がうつる」と言われて、友達もできなかった。友達がいないので、一人で遊ぶしかないのだが、一人で遊んでいるとますます気持ち悪がられた。
近所のスーパーの駄菓子コーナーでお菓子を物色していると、同級生が親子で買い物に来たことがあった。その同級生が「あ、〇〇菌がいる」というと、その親に「汚いから〇〇が触ったお菓子とっちゃだめよ」と言われたこともある。
学校では、上履きを隠されたり、机の中のものを全部出されてトイレに捨てられたりしたこともあった。体操服の入った袋をとられて、校庭でサッカーボールのように蹴られて遊ばれたこともある。こともある、というかよくあった。
当然、両親も自分がいじめにあっていることは知っていて、学校に相談したりしてくれたが、全く解決できなかった。逆に、〇〇君は勉強をしっかりしていないので、家でしっかり勉強の面倒を見てあげてほしいとか親が責められたこともある。だって、いじめられてて学校が嫌なのに、勉強なんてするわけないよ。
そんな時、母親が2つ離れた市にある学習塾に通ってみるかと提案してくれた。小学校5年生になった時だ。離れた市なら知り合いもいないし、塾の先生に事情を話したら、市外の子でも大丈夫と言ってくれたそうだった。
小学校の授業は、今でも記憶にないくらい何を教えてもらっていたのか覚えていない。当時も学校に行きたくなかったので、授業も全く聞いていなかったと思う。自分は馬鹿だと思っていたので、塾なんて無理だと思っていたけど、子どもだし親に言われるがままにその塾に行ってみた。
最初に受けた算数の授業の内容、今でもよく覚えている。今でも衝撃的なその瞬間を覚えている。
勉強が分かる。楽しい。多分、自分の人生が変わった瞬間だったと思う。
それから、塾の勉強に一生懸命取り組むようになった。塾のテストで成績が上がると、先生はいっぱい褒めてくれた。うれしかった。
他の生徒も、自分のことを知らないのもあったのかもしれないけど、知らない子がいる程度の感じで、気持ち悪がったりすることはなかった。ただ、友達はできなかったけど。
小学校では相変わらずいじめを受けていたけど、塾に通うようになってから、前よりも辛く感じなくなっていた。
ただ、中学に入ってから、いじめがよりひどくなった。中学1年の時に、クラスの女子が、〇〇に痴漢をされたと触れ回ったことだ。当然、痴漢はしていないし、話したことも触ったこともない。
その後3年間、机や教科書には痴漢魔と落書きされ、上級生がわざわざやってきて、痴漢魔への制裁といって、毎日頭をはたかれたり、後ろからいきなり蹴り倒されたりした。
今でも忘れられないのは、中学2年の時に、休み時間が終わると(その時はいじめられない図書館に逃げていた)自分の机の上に、何か液体が入った小瓶がおかれていて、その中身がどうやら精子だったことだ。
誰かがそういういじめをしようと計画したのだろう。いじめをしていた男子が女子の方にその瓶近づけると、女子たちは悲鳴を上げて逃げていた。最後には、その瓶の中身を机の上に出された。
拭くものがなかったので、落書きされた教科書やプリントで拭うと、周囲からまた悲鳴が上がって、本当につらかった。
それでも、塾には通い続けた。その時は親と相談して高校は県外の高校を受けることに決めていた。
またその時は、塾以外に打ち込むものもできていた。10歳年上のいとこがバドミントンをやっていて、社会人のバドミントンサークルに誘ってくれたのだ。
ただ、サークルで使っている体育館は、家から車で1時間半くらい離れたところにあった。毎週土曜日の夜に、父親が送り迎えしてくれた。
塾も市外で遠いところにあって、ほぼ毎日母親が車で送ってくれていた。
塾は高校の部もあったけど、県外に進学したので通えなくなって辞めたとき、両親と塾に挨拶に行った。
塾の先生はよかったな、と泣いてくれた。先生を見て両親も泣いた。
バドミントン部に入って、友達もできた。その友達とは、大人になった今でも付き合いがある。
高校3年間は、とても楽しかった。男子校だったが、クラスでちょっと悪そうで遊んでるような、中学だったらいじめをやってそうなタイプの奴でも、ものすごくいいやつで、そいつとそいつの彼女との色々な話を聞くのが楽しかった。
誰も外見とか性格とかで差別しなかったし、勉強も部活も文化祭や体育祭も全力で楽しめた。
大学に入ってからもバドミントンは続けたし、部活の関係でバイトを紹介してもらった。
大学でもバイト先でも、自分のことをいじめたり、気持ち悪がったりする人はいなかった。
ただ、女性に対しては、中学の時の痴漢騒ぎを引きずっていて、苦手だった。結局、高校・大学と恋愛とは無縁な学生生活だったけど、とても楽しく、充実したものだった。
大学は大学院まで行き化学系の研究室で研究を頑張った。大学院での研究大変だったけど、それでも乗り越えられたのは勉強の楽しみを教えてくれた塾のおかげだと今でも思っている。
その後、希望していた化学系のメーカーに就職することができた。
就職してからも、仕事のために勉強しなければいけないことが無限で、終わりがない。
でも、勉強はかならず答えを与えてくれる。やればやるだけ成果が出る。結果が出る。自分にとって勉強は最強の武器だと思っている。
そして、こんな自分にも出会いがあり、結婚することもできた。バドミントンは今でも続けていて、社会人のバドミントンサークルで出会ったのが奥さんだ。
奥さんには申し訳ないが、自分のような女性と縁のない人間が女性と出会えたのは、やはりしっかりした仕事についていることが信頼されたことが理由だと思っている。
勉強ばかりしてないで、たくさん遊べとという考え方の方が普通だし、その方が楽しくて幸せな人生を送れるのかもしれない。
それでも、勉強という、自分の中で揺るぎない武器があることが自信につながったし、今の幸せも勉強が与えてくれたものだと思っている。
小さい頃から体力がなかった。体育祭で400mトラック走るだけで息切れして体が動かないぢ、体がしんどくてかなり休まないと回復しない。別に心臓や肺などに病気があるわけでもないのに、おっさんになってからさら体力が落ち、家事をするだけでもしんどいと感じるようになった。
そんな中、90代のおじいちゃんが筋トレしてみたらお腹のあたりに筋肉がついたというのを聞いて、それならワイもやってみるか〜と軽い腹筋を始めた。
これが少し効果があり、いつもとにかく体が重かったのだが、少しだけ軽くなった。ひょっとすると筋肉をつけると体の重さだるさが解消するのでは、と思って回数を増やして、プランクもはじめた。これが効果てきめんで、たった3日程度で、今までだったら床に落ちたものを拾うだけでもしんどくなってしまうので億劫だったが、耐えられるようになった
体力って筋力だったのかという驚き
校則の厳しさから遅刻してはいけないという強迫観念で自律神経失調症になったことだと思う。
中学1年の半分と中学2年は丸々休んだ。出席日数ゼロの圧巻の通知表はどこに行ったっけ
不登校時代は特別だと思っていたけど、自分が不登校時代にやっていたことは学校に行きながらでもできるなんて事のないことだった。
親は最初は過干渉だったけど、そのうち諦めて、自分も自分なりに体勢を整えることができた。
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学校に行かず、自分で勉強して、英数の要点だけは頭に入れた。中学3年生の4月頭に突然復帰した。
不登校児が復帰するのは勇気がいるとか色々思うかもしれないが、転校とそんな変わらない感覚だった。
中3は塾に通わせてもらい、英国数の3教科に絞って勉強した。わからないことは授業終わりに質問した。
誰も嫌な顔せず教えてくれた。
高校は小論文と英国数だけで入試ができた。事前にこの情報を知っていたので本当に良かったと思う。
結果は合格。偏差値50の普通よりちょっと女子の多い学校へ行った。
引きこもりの陰キャだから、パソコンにはそれなりに抵抗がなくて、高校ではITを学んだ。
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一人暮らしの大学生活はお金に困ったけど、奨学金があるからなんとかなった。
給付型の奨学金も受けることができて、学生生活は不自由なく過ごすことができた。
基本情報保持、プログラミングはちょっとTwitter APIで遊ぶ程度
勉強がてらラズパイでLAMP環境を構築する程度のITレベル。理工系以下、文系以上。
普通の普通。ちょっと不登校が2年あっただけで、本当に普通のよくいる学生なんじゃないかと思う。
ADHDっぽいと診断されたけど、古いおじいちゃん先生なのでよくわからない。致命的なことはなく
期限の迫る卒業論文は追い詰められて能力を発揮・・・することなく、本当に普通に終わらせた。
大学は卒業。家賃2万未満のボロマンションとおさらば、案外短かった4年。
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・・・コロナによって案件が少ない。経験できることが僅かで3ヶ月も経てば作業手順なんて忘れてしまう。
テレワーク上の報連相、相手は本当に見てくれているのかわからない。レスがない。
仕事のやり方が不明瞭。標準がないので上司3人に聞くと3人の答えが返ってくる。
僅かに得られた案件機会の僅かな記憶を頼りに、もう1年前のことを思い出して行うような作業を行う。
自分は何の仕事をやっているんだろう、この仕事はどこからどこまでの作業があって、終わり次第どこに引き継げばいいんだろう。
何もわからない、聞いてる間は仕事が止まる。期限が迫る。俺は何もできていない。会社のお荷物だ。いる意味がない、これから怒られたり失望されるに違いない。
夜、叩き起こされ尋問が始まる。誰のせいか、誰が問題を起こしたのか。自分が確認してもらった部分に食い違いが生じていた。間接的に悪いのは私である。
課された仕事は難易度が高く達成できず、できるどころかミスをして周囲に迷惑をかける。
親と姉も病んでいた。手帳2級。
結果はIQ100で特に問題はない。苦手はあるが、生活はできるはず。
本も読めず、飯も食えず、ボロボロだった。
学校生活がうまく行かない人は、中学生時代に何かあったんじゃないかと思う。
俺のような、そろそろ復職で上手く行けるか不安な人間にはなるな
難しいけど、緩く生きて、失敗してもいいから。
俺はダメそうだが