ブルーアーカイブにハスミというキャラがいる。というか、いるらしい。ブルアカはやってないので知らなかったが、Twitterの広告で流れてきてその存在を知った。
体育祭イベントのイラストで、全力疾走するハスミが爆乳をこれでもかと揺らしている姿に私の目は釘付けになった。クーパー靭帯が心配になるほど2つのメロンがゆっさゆっさと踊っている。デッカ。エッチで最高だと思った。
で、その爆乳ゆさゆさを見た数日後、所用で秋葉原に行くとTwitterで見たものと同じブルアカ広告(ハスミの全力疾走シーン)が掲示されているのを見かけた。
広告ではハスミの胸の上にゲームのロゴ?テキスト?が配置されて胸が隠されていたのだが、なぜか私はそのとき「隠されてて良かった」と安堵してしまったのである。Twitterではあんなに喜んだのになぜだろう。
体操服のような白くてつるっとした素材を着ていると、本人が強調しなくても他人が見て分かる程度には胸の揺れが分かる
つまりあの絵は「エッチな意図はありません」と言われたら、はいそうですねとしか言えないようにできている。そこを、いやこんなのどう見てもエッチでしょと突っ込んでしまったら、体操服を着た女性は走ると必ずエッチな存在になってしまうことになる。それはおかしい。
隠せば隠すほどそれは「隠さなければならないもの」としての意味合いが強くなり、つまりそれは、エッチな意味づけをしていることになってしまうのでは?と考えつつ、素直な感想として「隠されて良かったな」とも私は思ったのである。
で、私が安堵してしまったのはつまり「エッチな意味づけは無いと主張してるのに、胸を見ているということは自分が淫らな気持ちになっていると開陳することになりそれを他者から見られるのが嫌だから、そんな目に合わずに済んで良かった」ってことなのかもしれない。
「目のやり場に困る」を解体していくと最終的にはそこに行き着くのではないか。
今巷で言われている広告の是非云々に関して様々主張が発信されているけれども、結局感情を紐解いていくと女体を見ている自分が淫らな人間だと他者から思われたくない、だから視界に女体を出さないでくれってことなのではないだろうか?
公共空間での広告が特に叩かれがちなのは結局のところそういう素朴な思いからきてるのかもしれない。
ちなみに、リアルで体操服を着た胸の大きな女性が走って、胸が揺れているのを見てもエッチで最高とは私は思わない。
私は残念ながらDカップしかなくあんな風に揺れないこともあり、気持ちが理解できないことから、胸の大きな人にそういう気持ちは持ってはいけないと心のどこかにストッパーがかかってるのかもしれない。
だからか二次元の巨乳は思うがままに愛でられるので最高だな〜と思っている。