2022-07-27

勉強自分を救ってくれた

自分物心ついた時からいじめにあっていた。

近所の子供たちから気持ち悪いと言われたり、草や泥で作ったものご飯だと言って口の中に押し込まれたりしたこともある。

お金を持ってきたら一緒に遊んでやると言われて、親に理由を言ってお金が欲しいと言ったら、親が相手の子供に抗議してくれたが、親も気持ち悪いとか、チンパンジーの親子だとか言われて馬鹿にされた。

小学校に入った時から自分有名人で、「近づくと〇〇菌がうつる」と言われて、友達もできなかった。友達がいないので、一人で遊ぶしかないのだが、一人で遊んでいるとますます気持ち悪がられた。

近所のスーパー駄菓子コーナーでお菓子を物色していると、同級生が親子で買い物に来たことがあった。その同級生が「あ、〇〇菌がいる」というと、その親に「汚いから〇〇が触ったお菓子とっちゃだめよ」と言われたこともある。

学校では、上履きを隠されたり、机の中のものを全部出されてトイレに捨てられたりしたこともあった。体操服の入った袋をとられて、校庭でサッカーボールのように蹴られて遊ばれたこともある。こともある、というかよくあった。

当然、両親も自分いじめにあっていることは知っていて、学校相談したりしてくれたが、全く解決できなかった。逆に、〇〇君は勉強をしっかりしていないので、家でしっかり勉強の面倒を見てあげてほしいとか親が責められたこともある。だっていじめられてて学校が嫌なのに、勉強なんてするわけないよ。

そんな時、母親が2つ離れた市にある学習塾に通ってみるかと提案してくれた。小学校5年生になった時だ。離れた市なら知り合いもいないし、塾の先生事情を話したら、市外の子でも大丈夫と言ってくれたそうだった。

小学校の授業は、今でも記憶にないくらい何を教えてもらっていたのか覚えていない。当時も学校に行きたくなかったので、授業も全く聞いていなかったと思う。自分馬鹿だと思っていたので、塾なんて無理だと思っていたけど、子どもだし親に言われるがままにその塾に行ってみた。

最初に受けた算数の授業の内容、今でもよく覚えている。今でも衝撃的なその瞬間を覚えている。

勉強が分かる。楽しい。多分、自分人生が変わった瞬間だったと思う。

それから、塾の勉強一生懸命取り組むようになった。塾のテストで成績が上がると、先生はいっぱい褒めてくれた。うれしかった。

他の生徒も、自分のことを知らないのもあったのかもしれないけど、知らない子がいる程度の感じで、気持ち悪がったりすることはなかった。ただ、友達はできなかったけど。

小学校では相変わらずいじめを受けていたけど、塾に通うようになってから、前よりも辛く感じなくなっていた。

ただ、中学に入ってからいじめがよりひどくなった。中学1年の時に、クラス女子が、〇〇に痴漢をされたと触れ回ったことだ。当然、痴漢はしていないし、話したことも触ったこともない。

その後3年間、机や教科書には痴漢魔と落書きされ、上級生がわざわざやってきて、痴漢魔への制裁といって、毎日頭をはたかれたり、後ろからいきなり蹴り倒されたりした。

今でも忘れられないのは、中学2年の時に、休み時間が終わると(その時はいじめられない図書館に逃げていた)自分の机の上に、何か液体が入った小瓶がおかれていて、その中身がどうやら精子だったことだ。

誰かがそういういじめをしようと計画したのだろう。いじめをしていた男子女子の方にその瓶近づけると、女子たちは悲鳴を上げて逃げていた。最後には、その瓶の中身を机の上に出された。

拭くものがなかったので、落書きされた教科書プリントで拭うと、周囲からまた悲鳴が上がって、本当につらかった。

それでも、塾には通い続けた。その時は親と相談して高校は県外の高校を受けることに決めていた。

またその時は、塾以外に打ち込むものもできていた。10歳年上のいとこがバドミントンをやっていて、社会人バドミントンサークルに誘ってくれたのだ。

ただ、サークルで使っている体育館は、家から車で1時間半くらい離れたところにあった。毎週土曜日の夜に、父親が送り迎えしてくれた。

塾も市外で遠いところにあって、ほぼ毎日母親が車で送ってくれていた。

念願かなって、希望した高校に受かった。

塾は高校の部もあったけど、県外に進学したので通えなくなって辞めたとき、両親と塾に挨拶に行った。

塾の先生はよかったな、と泣いてくれた。先生を見て両親も泣いた。

高校に入ってからは、いじめられることはなくなった。

バドミントン部に入って、友達もできた。その友達とは、大人になった今でも付き合いがある。

高校3年間は、とても楽しかった。男子校だったが、クラスちょっと悪そうで遊んでるような、中学だったらいじめをやってそうなタイプの奴でも、ものすごくいいやつで、そいつそいつ彼女との色々な話を聞くのが楽しかった。

誰も外見とか性格とかで差別しなかったし、勉強部活文化祭体育祭も全力で楽しめた。

勉強もかなり頑張って、第一志望の大学に入ることができた。

大学に入ってからバドミントンは続けたし、部活関係バイトを紹介してもらった。

大学でもバイト先でも、自分のことをいじめたり、気持ち悪がったりする人はいなかった。

ただ、女性に対しては、中学の時の痴漢騒ぎを引きずっていて、苦手だった。結局、高校大学恋愛とは無縁な学生生活だったけど、とても楽しく、充実したものだった。

大学大学院まで行き化学系の研究室研究を頑張った。大学院での研究大変だったけど、それでも乗り越えられたのは勉強の楽しみを教えてくれた塾のおかげだと今でも思っている。

その後、希望していた化学系のメーカー就職することができた。

就職してからも、仕事のために勉強しなければいけないことが無限で、終わりがない。

でも、勉強はかならず答えを与えてくれる。やればやるだけ成果が出る。結果が出る。自分にとって勉強は最強の武器だと思っている。

そして、こんな自分にも出会いがあり、結婚することもできた。バドミントンは今でも続けていて、社会人バドミントンサークル出会ったのが奥さんだ。

奥さんには申し訳ないが、自分のような女性と縁のない人間女性出会えたのは、やはりしっかりした仕事についていることが信頼されたことが理由だと思っている。

そして、その仕事につけたのも、勉強を頑張ったからだ。

今の世の中、勉強にはネガティブイメージがあると思う。

勉強ばかりしてないで、たくさん遊べとという考え方の方が普通だし、その方が楽しくて幸せ人生を送れるのかもしれない。

自分場合は、訳あって、遊ぶ人生を選べなかった。

それでも、勉強という、自分の中で揺るぎない武器があることが自信につながったし、今の幸せ勉強が与えてくれたものだと思っている。

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