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2023-08-14

anond:20230814093901

まあ運動会はいわゆる体育祭みたいな名前でややこしいから言い換えるのもわからんでもない

ただ東大理系運動会アルバイトも好きで選ぶのが普通から、それを選んだアタシ偉いっていうのは違うかなと思う

2023-07-12

手越祐也を愛していた、愛していたかった。今でもきっと愛している。

近頃平野君と神宮寺君の、というか脱退ジャニーズ関連のニュース世間を騒がせている。

ジャニーズ卒業・脱退・解散する、というニュースを聞くたびに、私は手越のことを思い出して苦しくなる。

手越祐也がNEWSを、ジャニーズをやめて3年が経った。

なんでこのタイミングで書き起こそうと思ったかというと、前述のキンプリ騒動をはたから見る中で、そろそろ一度振り返ってみてみてもいいんじゃないかと思ったからだ。

というか、オルタネートを書いた加藤さんではないけれど、あの出来事から3年という長い月日がたって感情的ならずに思出せるようになって、でもこれ以上離れてしまったらきっと気持ち記憶も色あせてしまうから、「今」が最初最後タイミングなんじゃないかと思った。

何を話すかといわれると難しいが、結局のところ手越のことをどう思っているかというお気持ちと思い出をたどるための文章である

どこから話そうか迷ったが、時系列順で話すのが一番いいのかもしれない。

小学生のころ、私はジャニーズなんてみじんも興味がなかった。

なんか女子が騒いでるなあという感じで、当時の関心ごとといえばサッカー観戦、ポケモンイナズマイレブン受験勉強ライトノベル、あとはおままごととかだろうか。

でもVS嵐も、イッテQも、地獄先生ぬ~べ~も、鉄腕ダッシュも見ていたし、キスマイの光のシグナル(ドラえもん主題歌だった)も大好きだった。

ごくごく普通小学生だった。

中学生になって、親友ができた。

彼女は歌がうまくて、カラオケが好きで、そして増田担だった。彼女カラオケに行くと、親友は必ずNEWSの歌を入れる。

当時4+FANの合いの手リズムがわからなくて苦戦したのをいまだに覚えている。

友達が歌う曲をどうせなら一緒に歌えるようになりたいと思うのがカラオケ好きの性である

親友に頼んでNEWSCDを貸してもらい、聞いてみたのが多分2017年

まずNEWSの歌にはまった。

アルバムを4つくらい借りたのでそりゃ一曲くらい好きな曲もできるし、テゴマスは当時から歌がうまかった。

歌番組の時に親友からアナウンスがあったので、時間が合えば見ていた。

当時日テレっ子だった私は、イッテQ手越を、everyで小山さんを知っていた。

気づけば親友からテレビドラマバラエティ番組情報アナウンスも入るようになり、私はNEWSをしっかり好きになっていた。

親が厳しかったためにファンクラブは入れず、ライブも行けなかったが、私は私なりの最大風速でNEWSのことが好きだった。

それから2020年まで、のんびりと、自分なりの距離感ではあったが「好き」を貫いていた。

2020年2月NEWS LIVE TOUR 2020 STORY当落発表があった。

2017年のNEVERLAND、2018年EPCOTIA、2019年のWORLDISTA、最後2020年STORY

4つのライブ頭文字をつなげると「NEWS」になるこの4作品は、通称「4部作」と言われるもので、NEWSにとっても、ファンにとっても思い入れの深い、大事大事ライブだった。

STORYアルバム)」にはファンの将来の夢が収録された楽曲や、メンバーからファンに向けてつづられた思いのこもった楽曲、9人時から気持ち言及するような楽曲インタビューなどがふんだんに盛り込まれていた。

チームNEWS全員にとって本当に大切なアルバムで、私たちSTORYライブ成功を心から願っていたし、心から信じていた。

しかし、世界新型コロナウイルスによる混乱に見舞われた。

様々なイベントの中止が決まっていった。

STORYももちろん例外ではなかった。

「来月にはこのパンデミックが収まる」と信じて駆けずり回ってくれた方がどれだけいたのだろう。

三大ドーム城ホ横アリ

大きな会場を抑えてファンのために準備してくれていた。

ライブ直前のラジオ内で行われたマジカバナナ的なゲームでは、「準備万端といえば?」「「「「STORY!!!」」」」と4人で口をそろえて言ってくれていた。

河川敷ランニング中、桜の舞う中で聞いたその言葉を今でも覚えている。

しかし準備万端だったはずのライブは一公演一公演丁寧に中止を重ねていき、結局全公演中止になってしまった。

実はあの当時、ファンの間でうっすら「STORYが終わったらNEWS解散or 何かしら節目を迎えるのでは?」という空気があった。

実際どうだったのかは本人たちに聞かないとわからない。

それでも、STORYに込められた気持ちはそれだけ大きかったのだ。

「この作品最後なのかもしれない。そんなことはあってほしくないけれど、もしそうであれば、悲しいけれどきっとどうにか受け入れることができると思う。」

そうファンに思わせるほどものだった。

時が来れば必ず報われると思っていた努力が、世界規模の不幸によってぶち壊されてしま気持ちは痛いほどわかる。

この辺は一回全員back number水平線』と 「入学から、この世界だった僕たちへ。」を聞いてきてほしい。

当時高校生だった私も何度も泣いた。

当時仲の悪かった母親背中をさすられながら、夜中に号泣したこともある。

高校生活の中で最も大事な思い出になるはずだった最後合宿が、文化祭が、体育祭が、すべてがなくなってしまうやるせなさに、どれだけ頑張っても結局行われなかったそれらにたいして、声をあげて泣くことしかできなかった。

そんな中で、私はジャニーズWESTに出会っていた。

彼らは底抜けに明るかった。

少なくとも明るくあろうとしてくれた。

まあ彼らに救われたことに関して詳しく書こうとすると長くなるので割愛するが、ジャニーズWESTと出会たことで私のジャニーズ世界は大きく広がっていた。

NEWSはびっくりするぐらいジャニーズ内での縦のつながりがない。

気がする。

あったらごめん。

小山さんと手越からちらほら後輩の名前が挙がっていたくらいで、残りの二人に関しては正直ほとんど思い出せない。

増田さんは兄貴高橋君がいるか

加藤さんは正門君と如恵留くんがまあ居るか?と思ったが、名前が出始めたのはコロナ後かもしれない。

少なくともグループ全体でかかわりの深い後輩グループみたいなのはなかったと思う。

NEWSしか見ていなかった時代、全員顔と名前が一致していたのは正直NEWSと嵐とTOKIOだけだった。

ジャニーズWESTはそこが大きく違った。

関西での縦の結びつきは、とんでもなく強かった。

WESTと仲のいいだれだれが出ているなら、時間もあるし見てみよう、という感覚で、芋づる式に「顔と名前とざっくり性格くらいまでなら把握している」程度のジャニーズが増えていった。

とまあそんな時期、手越が飲んでた。

外で、女の子呼びつけて。

「ねーわ」って思った。

でもまあ手越だし。

そういうやつだし。

そりゃ謹慎くらいするべきやろうけど。

まあ謹慎開けたらちゃんと戻って来るやろと思っていた。

文春では退所報道とかもあった。

正直なところ不安も大きかった。

Johnny’s world HAPPY LIVE with YOUが発表され、NEWSが3人で出演すると知ったときは動揺した。

見るのが怖かった。

それでもNEWSが好きだったから、あとこれは余談だけど、同じ日の出演者ジャニーズWEST(推し)とHey! Say! JUMP(当時好きだった女の子推し)だったのでその日の配信チケットを買わない選択肢はどちらにしろ無かった。

3人のステージを見て、安心した。

泣いた。

それはもうボロボロ泣いた。

簡単セトリを書くと

クローバー」:NEWSからファンへのメッセージソング、4人それぞれが自分パート歌詞を書いた。手越ソロパート前半は歌わず、後半は3人で向かい合って歌った。

weeeek」:6人時からずっと歌っているライブ定番曲であり、代表曲

エンドレスサマー」:6人時代の思い出の曲

「Going that way」:小山さんのソロ

世界」:加藤さんのソロ

「戀」:増田さんのソロ

UR not alone」:4人の代表曲ライブ最後アンコールで必ずうたわれる名曲。ラスラビ手越ソロパートこちらも歌唱ナシ

手越ソロパート部分を歌わないという選択をした三人を見て、三人は手越の帰る場所を守ってくれているのだと思った。

ほかの2グループアイドルらしいきらびやか衣装で華やかな曲を歌っていて、言い方を変えれば自分たちのファン以外の子たちにも楽しんでもらえるような、それでいて自分たちのファンにも愛を届けられるような、そんなバランスの取れたセトリを組んできたのに対して、NEWSははなからNEWSファンと、それから手越のことしか見ていなかった。

セトリを今確認してみても、MCがないのはNEWSだけだ。

状況が複雑な中、語ることを選ばなかったのかもしれない。

当然だろう。

でもそれと同じくらい、手越さんが一番輝くステージで、ライブという空間で、歌を歌うことで、私たちに、彼に、語りかけようとしてくれたんじゃないかと思う。

私は手越の部分の空席をあえて作るその演出を「3人は手越が返ってくると考えている、これはその表明である。何も案ずることはない。もう少ししたらまた4人のNEWSになる」と受け取った。

違った。ダメだった。彼は帰ってこなかった。

3人での配信ライブが行われた次の日、「18時半に手越に関する重大ニュースがある。おそらく退所報道である」という情報リークされた。

昨日の配信ライブで得た確信なんてものはいつの間にか崩れ去っていた。

私はそのリー情報が本当な気がしてならなかった。

どうしてもその事実を受け入れたくなくて、夕方17時に布団に入った。

ただの現実逃避だ。

知るタイミングを遅らせたからと言って事実が変わるわけではないのに。

朝起きて、ニュースを見た。

不思議とこの日の朝から記憶あいまいで、もしかしたら無意識で封じ込めてしまっているのかもしれない。

泣いた気がする。

気がするだけだ。

3人の側があれだけお前の居場所を作って待っていてくれたのに、なんて不義理なんだ。

せめてSTORYは終わらせてから抜けてほしかった。

あれだけ一生懸命準備してきたものを放りだして「今」退所しなきゃいけない理由があるのか。

事務所じゃできないことって何なんだ。

会見と、その後の活動半年間くらいはみていた。

でも結局彼がわからない。

今書いている恨みつらみが、どの時点で私の中に生まれ感情なのかも正直わからない。

「やめたくなかった」「まだ続けたかった」という発言散見されていた時、「じゃあやめなきゃよかったじゃん」「今ならまだ間に合うから、戻らせてくださいって頭下げて戻ってきてよ」と思っていた。

それと同時に、私たちを、四部作を、3人を、すべてを放りだして知らない人たちと知らないところへ行ってしまたことに激しく怒っていた。

暴露にもならないような浅い内容の暴露本を出したことにはぶちぎれていた。

それでも、彼が好きな気持ちもまだあった。

心のどこかで彼を信じていた。

彼を嫌いになることで、彼がいた時代の楽しかった思い出たちまで嫌いになるのは嫌だった。

でも、脱退前後以降の彼の行動は到底許せるものではなかった。

気持ちの整理がつかなくても手越勝手にズンドコ進んでいっちゃうし、NEWSの3人も少しずつ動き始めていた。

少しずつ「3人のNEWS」が当たり前になっていって、人数が少なくなっていった自虐もたまに挟まるようになっていって。

あといつの間にかNEWSKinKi Kidsに次いで上から二番目になっていたことにびっくりした。

ずっと中堅くらいの意識だった。

そういえばもう嵐もTOKIOV6SMAPタキツバいねえや。

あとたまに忘れちゃうけど、エイトのほうが一年デビュー遅いですよ、これは増田さんへ。

ジャニーズ事務所手越アイドルでいさせてくれた。

あの事務所のおかげで、私たち魔法にかかっていられた。

脱退後のインタビューで、「多くの人は、アイドル事務所という“魔法”にかかっている」と手越が話していた。

違う。

多分違うと思う。

あなたは“魔法”をかけてもらっていたのだ。

“ただの手越祐也”ではなく、“ジャニーズ事務所NEWSアイドル手越祐也”だったから、私たちあなた素行を、すべてひっくるめて、「アイドル個性」と思って愛することができた。

むろん愛すべきところがたくさんある人だ。

花が開いたようにパッと明るく咲く笑顔が大好きだった。

周りを巻き込んで笑わせてしまうような、自分の信じているものに対する絶対の自信からくるあの笑顔が大好きだった。

人の心に直接刺さるような、それでいて華やかで、のびやかで、何にも縛られないような歌声も好きだった。

いつだかジャニーズみんなでTOKIOの『宙船』を歌ったとき、一人きりで上ハモ担当していた。

あの時の誇り高さは、あれだけの大人数でも埋もれない美しい歌声は、きっと一生忘れない。

運動能力の高さと、周りの空気を作り上げてどんな難題だってこなしてしまうところは、天性のアイドルだと思っていた。

彼以上に「アイドル」という言葉が似合う人間はいないんじゃないかとすら思っていた。

どこにも行かないとは思っていなかった。

きっといつかどこかへ行ってしまう人なのだろうと思っていた。

それでも、あなたの安住の地が、優しいあなたの探してた場所が、僕らの愛したここであればいいと思っていた。

今でも正解がわからない。

NEWSいたころの手越が大好きだ」「2020年以降のことに関しては絶対に許せない、許さない」という、相容れない感情いつまでもぐるぐる渦巻いている。

カラオケSUMMER TIMEMVなんか見ちゃうやばい

あのMV全員ビジュ良いけどその中でも手越さん可愛すぎないか

気づいた人がいるかどうかはわからないけれど、私いままでこの文章の中で二回だけ「手越さん」呼びをした。

この段落での一回と、3人での配信ライブの内容に言及したときの「でもそれと同じくらい、手越さんが一番輝くステージで、ライブという空間で、歌を歌うことで、私たちに、彼に、語りかけようとしてくれたんじゃないかと思う」という文章の中。

この三年間、私は手越を恨み続けてきた。

コロナ前までは「手越さん」と呼ぶことも少なくなかったが、退所後はかたくなに「手越」と呼び続けてきた。

ちなみに残りのメンバーはずっと「小山さん」「増田さん」「加藤さん」「山P」「錦戸君」呼びだし、ほかのグループの人のことも呼び捨てをすることはめったにない。

これはささやかな反抗だった。

私は、「私はあなたを許さない」という気持ちを込めて「手越」と呼んできた。それでも、彼のことを愛おしいと思うときには思わず手越さん」と呼んでしまうのだ。

結局私は彼に対するこの矛盾した気持ちを抱えたまま生きていくしかないのだ。

退所前後の一連の行動は許していない。

きっと一生許せないけれど、彼が健康で、幸せでいてくれるといいなと思う。

今の彼のことを応援しているファンのことを盲目だとも思わない。

彼にはそれだけの魅力もある、訴求力がある。

好きになってしまうのはしょうがない。

あの奔放さを、考えなしな一面を、どうしようもない自我の強さを、許すことができるのであれば私だって今の彼の活動応援したい。

もう一度あの伸びあがる歌声を聞きに行きたいし、はちゃめちゃさで成り立ってしま天才的なバラエティ感覚享受したい。

でもだめだ。

ダメなのだ

許せないのだ。

何一つ。

愛していたからこそ。

信じていたからこそ許せないのだ。

それでも愛しているのだ。

結局この話に結論なんてない。

せっかくなのではてなに挙げてみるが、誰かに届くかどうかなんて考えてない。

ただ、こういう折り合いのつけ方をした人間もいる。

というのをどこかに放流しておきたかった

すべてのアイドル幸せでありますように。

できる事ならファンにとっての幸せと、アイドルにとっての幸せが同じでありますように。

2023-07-07

追記ネタバレONE PIECE FILM RED

一年前にあまりのクソさに腹が立って

https://anond.hatelabo.jp/20220818173512

を書いた所、それが今になって妻にばれ、お前は体育祭文化祭嫌いのぼっちからあの映画で感動出来ないんだと喧嘩になった。


妻曰く、FILM RED映画館の一体感込みで面白いそうだ。俺はマジで意味分からんが、体育祭文化祭の周囲と一緒に感じる興奮みたいなもんらしい。

俺がクソみたいな尺を使うなとしか思わないライブはウタのMMDライブを見ているみたいで大盛り上がりするらしいし、あれがこの映画スタートでウタの歌がこの話を一本の映画にまとめているのだと力説された。FILM RED映画音楽と会場と一体になって勢いを楽しむもんだそうだ。

シャンクスとウタの話も感動するらしいが、別に俺はそこに異論など持ってない。ただそれがどう考えても時間内に収まるような背景じゃない事と、その背景を特典漫画に丸投げしたあげく、特典第○弾とやっている厚かましさがクソだと言っているだけだ。と言ったら40億巻の補完は、あのシーンでキャラがどんな気持ちでいたのか本編を見ただけでは分からない心情の裏が見れる漫画の番外編みたいなもんで、お前は今後どんな漫画の番外編も読むなと言われた。どう考えても番外編よりMMDのほうがいらんだろ。


ちなみに夏のUSJに命と10万以上をささげている程妻はサンジが好きなので、当然一番好きなのはサンジ衣装らしい。俺からすれば膝上20cmの赤パンなんかはいている20を超えた男なんてただのハイファッションかぶれの自分をおしゃれだと思い込んでいる道端で浮きまくったギャル男しか見えない。妻はあれがかっこいいと可愛いハイブリッドだと熱弁していた。

あんなしばらく楽譜に張り付いているだけで満足出来るなんて、つくづく製作サイドのカモだと思う。


人は死ぬぞとビビに言っておきながらエースが死んた事で阿呆みたいになったり、またウタが死んだら人は死ぬぞみたいな性格になるルフィはどう説明するんだと言ったら、話を盛り上げる演出分からんのか馬鹿みたいな扱いを受けたが、俺はその演出の為にキャラクターの性格が二転三転するのがクソだと思っている。


シャンクスに興味がない俺の妻は別として、このシャンクスOK出す母親はいんのか?どう見ても育児のうわべだけすくったイクメンシャンクスが書きたかっただだろ。

で、子供を置きざって別の子供に八つ当たりした上に「子供っぽいところがあるんですよ」じゃねえんだよ。子供っぽいところがあるだけで育児放棄して子供に当たんなや。こっちは一話からガキのルフィ喧嘩するような子供っぽいシャンクスを知ってんだよ。でもいざという時にはルフィを守る大人になるところがかっこよかったんだろうが。

頂上決戦にも遅刻したシャンクスがまた遅刻して、今度は自分の娘を救えないなんてシャンクス馬鹿にしてんのかとしか思えないが、ワンピ結婚からFILM RED離婚になるのはクソすぎるのでここまでにしておく。


コメントやなんかで古参ジジイとか世界観を楽しめず作者disるならファン辞めろとか言ってる奴は頭大丈夫なのか?作品は好きだがこの映画くそみたいな事なんてあるに決まってんだろ。作品全部神!神が作ったんだから神!文句言うやつはファン辞めろって奴はマジでこの映画観たのか?ウタの歌は好きだが思想にはついていけず帰りたがっていた奴らをどんな目で見てたんだ?こういう奴が赤の他人ツイートにわけわからん斜め上のリプとか送ってハイ論破みたいなドヤ顔披露してんのか。

原作文句言うな漫画家は神!ってやつ、まじで読んでる漫画に一回でもこの展開ねーわwとか言ったことないのか。

もう対象年齢じゃねーよいつまで読んでんだよとか言ってるやつは、まず公式大人に向けたプロモーションを止めさせろ。この映画200億近く行った内訳はほぼ繰り返し観に行った大人の金だ。子供の金だけで200億いくわけないだろ。大人に見向きもされなくなったら困るのは公式に決まってんだろ。


あと俺が尾田になりたいと思っている奴はまじでなんなんだ?俺は尾田栄一郎ワンピースのシャンクスの謎やこれからルフィを楽しみにしてたんだよ。それが作者の特典冊子ありきの映画しか作れないような監督脚本に、こんな中途半端に出された事が腹立つって話で、いつ俺が「尾田栄一郎に俺はなる!」とか言ったんだよ。読まなくていいからクソみたいなコメントすんな。

俺の予定ではジャンプシャンクスがフィガーランド家で天竜人の末裔だったと知ってうおー!まじかよ!尾田っちすげー!!て言う予定だったんだわ。それを待ってたんだよ。それがfFILM REDのせいであー知ってる。ここで出てくんだ。になったんだよ。公式が早バレすんなや。


ただ作品が合わなくなったら離れるべきってコメントには、その通りとしか言えない。

若いやつにはオタクおっさんきっしょと言われるだけだろうが、俺は生まれからほとんどをワンピースと過ごしてきている。小学生の頃に長定規をくわえて三刀流の真似をして海賊王に俺はなるとか言って階段飛び降りて遊んでた頃からワンピースと育っている。こうなると俺にとっては友人みたいなもんで、多少こいつ変だわと思ってもそれだけで友人を止めたりしない。変だと思わないわけじゃないが、長年の付き合いででもいい所もあるしなと目を瞑る。


俺は最近ジェンダー論にはあまりついていっていない。ギリ昭和の男でその価値観で生きているが、会社ジェンダーダイバーシティインクルージョンにうるさく、毎度強制的にあらゆる講習やセミナーを受けさせられるおかげで、理解は出来ないが俺の価値観時代に合っていない事は理解している。そんな俺が見てもワンピースはそういう意味で遅れまくっている。

女のファンが多いのは事実なので男の俺になにも言う資格はないのかもしれないが、カマバッカやばいし、最近ではワノ国でヤマトが男風呂に入る描写がきしょかった。カラーでは女メンバーに混ざって登場するのもきしょいし、ONE PIECE magazine花魁になっているのもきしょい。どう見ても男に都合よく裸を見せてくれる女にしか見えないのに、それをジェンダー配慮したキャラだと言われているのがやばすぎる。どこが配慮してんだよ。ギャルゲーによく出てくる男に都合のいい僕っ子の女だろ。

FILM REDで敵に捕まってんのにナミのパンツを気にしたブルックがあまりにきしょすぎて映画館でキッショと言いかけた。誰だよあんなシーン考えたのは。あれをギャグシーンだと思ってるのが終わってんだよ。

もうとっくに俺と作品価値観はあっていないにも拘らず、それでも一緒に育ってきたものを捨てれなかった俺が悪いのだとどこの誰かも知らん人達コメントで気付いた。


永年勤続休暇を取れというわりに子供夏休みの時期は繁忙期だからやめてくれとか言われたおかげで、暇でにかまけて阿呆日記をまた書いてしまった。

どうせならもう一回映画アマプラで観て真面目な感想でも書こうかと思ったが、公式がFILM RED正史で、観客は楽しむ努力しろとか言っているというのを読んでやめた。


なにが正史だ。どう考えても一話のルフィシャンクスの間にウタがいたら変だろうが。

どうせならウタをシャンクス初恋だった美魔女歌姫かにしろよ。ガキのシャンクス適当知識こいてウタウタの実を教えたせいで、探して食ってトットムジカに呪われてシャンクスの事を恨んでる美魔女歌姫とかどうよ。浜崎あゆみに歌ってもらえ。

意図的恋愛要素を抜いていると昔語っていたが、もうとっくに不殺もなかった事になってるんだしいい歳こいたおっさん初恋くらい別によくないか?おもろいかは知らんけど、出来ない子育てよりマシだろ。


映画を観る観客がするべき楽しむ努力ってのは

・上映中にスマホを見ない

・前の座席を蹴らない

・上映中に喋らない

・静かなシーンでポップコーンをむさぼらない

他人の肘掛けを横取りしない

等であって、マジでおもんなくて辻褄の合わないストーリーの辻褄を無理矢理合わせて面白い解釈する事じゃねえんだよ。どこまで観客におんぶに抱っこしてんだよ。


楽しめるやつだけついてこいと原作者が言うのなら、もう俺は無理だろうと思う。

自分で言った一番読んで欲しい読者層ではない大人と女の信者に支えられている事をどう思っているのかは知らんが、FILM REDは昔俺が毎週ワンピースを楽しみにしていた子供で、ルフィ冒険の終わりと夢の果てを待ち望んでいた読者層だったというのを最後に思い出させてくれた。余計な事すんな。

赤髪が導く終焉まさかこんな終わりだと思ってなかった。意味わからんキャッチコピーだと思ったが、ほん怖の類だったのか。

2023-06-21

10年以上視力0.1以下で暮らしてるけど質問ある?

子供の頃からゲームのせいで視力が悪くて、メガネを買ってもらったけどつける機会を逃して、高校になったらコンタクトをつけてもみたけどめんどくさくなってすぐ辞めちゃった、だからほぼ10年以上視力0.1以下で暮らしてることになる、授業とかで黒板見えなくても教科書読めば大体なんの話してるかわかったし、体育祭とか文化祭とかも皆に流れてればなんとか乗り越えれた、仲良い友達には多分バレてたし、何回か気まずかったことはあるけど、特に今まで困ったことはないし多分これからも続けてく、でも今憂鬱なのもそのせいなのかなとか、いろんな機会を逃してきたんじゃないかと後悔することもある

2023-05-22

不登校になった「失敗例」さん

小学校の頃の話だけど、俺のクラスでは体育の授業の時に担任から無作為に指された奴がみんなの前で実技を披露させられるみたいな定番の流れがあって

それでたまたま指名された女子運動の苦手な典型的陰キャ案の定全然出来てなくて、担任がその様子を「はいありがとうございます。今のはとても皆の勉強になる失敗例です。何故なら〜」って、そいつの出来てない点を一つ一つ挙げて授業に活用した事があった。

その日の昼休みは、クラスのふざけ屋数名が早速そいつを「失敗例」と呼んで囃したてていたし、女子でも何人か「カワイイ〜」など言いつつ実際は笑い者にしてる奴がいた。目立たない奴だったから庇う仲間もいない様子だった。その後も体育の時に何度か「また失敗例見せてくれよ!」とか茶化されていた。

やがて体育祭の時期になった。そいつ音楽も下手だったためかリズム感もなくて、体育祭ダンス練習では1人だけ遅れている様子が目立ち、「失敗例」事件も手伝って毎日嘲笑の的になっていた。

女子は、特有の「思い出を作ろう」的な団結の中で出来ていないのに一向に改善しないそいつに「思い出を台無しにされる」とイライラする奴が出始め、あんなに「カワイイ〜」などといじっていた奴らはバカにされているそいつを誰一人庇う事なく「真剣にやれよ、ウザイ」と平然と発言した。

そいつはやがて体調不良理由不登校になった。まもなくそつの親を通して、連日の出来事が担任の耳に入った。

クラスでは学級会が開かれ、そいつバカにしていた男子、辛く当たった女子、その様子を見て止めたり大人に報告するなどせず無関心にしていた俺含めその他大勢に対して担任は「集団いじめ」だとして顔を真っ赤にして怒り狂いながら叱責した。

クラス全員への聴取がなされ、そいつ揶揄ったり非難していたとして名前が上がった男女数名については後日呼び出されてそいつに謝らせられたと聞いた。

…という、遥か何十年も大昔の出来事なんだが、俺はいまだに衆人環視の中で実演をさせて失敗した生徒を「失敗例」として授業に活用した担任が全ての元凶に思えて納得いかないんだよなあ

自分がいるところを応援したくない

学校体育祭球技大会日本代表戦といった、「自分がいるところを応援しよう」的なムードにどうしても嫌悪感を感じてしまう。

理由はわからないが、否が応でもこの状況を見せられ、そういうことを強制されるような雰囲気になるのが受け入れられない。

ここでは、そのエピソードを紹介する。

体育祭

小学校は赤白に、中学以降は多数の色に分かれて多くの競技より得点を競う体育祭

士気鼓舞すべく、組ごとに黒板に絵を描いたり有名歌謡曲替え歌を作ったり掛け声を挙げたりで絶対優勝しようと騒ぐ。

私は、小学校のころから、なぜそこまでして優勝を目指したいのか、なぜ別に優勝などどうでもいいと考えている人まで巻き込もうとするのか理解ができなかった。

ここでは体育祭の話のみをするが、球技大会などその他チームを組んで競い合う行事すべてにいえることである


時は流れ、何の因果か、私は教育実習生として、体育祭前の学校にいた。

生徒だけでなく教師絶対優勝しよう的なことを言っていたが、ますます理解できなかった。

まり嫌悪感が激しいので、終業前の学活でこんなことを言った気がする。

「負けろ」だとか「優勝は諦めろ」みたいなことは言わない。

だが、優勝に固執したり、その結果他のクラスとの関係が悪くなったり見下してはいけない。

しかしたら優勝できない、場合によっては最下位のこともあるだろうが、もしそうなったとしても「これでよかったんだ」と思えるようになってほしい。

自分より上位のクラスに対しても、下位のクラスに対しても、惜しみない拍手を送ってほしい。

他のクラスも「敵チーム」ではなく、同じ仲間だ。

その相手に対して負けろだとか自分クラスが勝つだとか思わず、お互い応援しあって、楽しんで体育祭を終えてほしい。

それと、体育祭へのモチベーションは生徒によってさまざまだが、くれぐれも優勝しようというムード強制するようなことはしないでほしい。

幸い内心は指導教員にはバレず、怒られたり大学クレームを付けられたりすることはなかったが。


その1年後、私は教師として学校現場に赴任した。

どこもそうなのかもしれないが、やはり生徒も教師も似たようなことを言っていた。

バカバカしいので授業の際に「あんまり無理すんなよ。優勝なんかより心身の健康大事から」的なことを繰り返して言った。

同じチームの教師からは「チームが優勝できるよう応援してください」と言われたが、ハイハイとだけ言って、あとは見守るだけに徹した。

日本代表

2年に一度(夏季冬季)のオリンピックに加え、ワールドカップWBCその他において、日本代表というチームがあって世界各国の代表チーム試合を行う。

これはスポーツだけでなく、ノーベル賞など、日本人が参加するあらゆる競技や賞で起こる話である

テレビ新聞インターネット…あらゆるメディアでこのことが取り上げられる。外出してもビル電車の画面に映ってくる。

否が応でも見せられるのだ。

しかも、どのメディア最初から最後まで口をそろえて日本側を応援する。一見中立そうに見えても最終的には日本側の勝利言及する構成となる。

中には日本が負けそうになると中継を別の競技に変えたり、負けると(ノーベル賞場合日本人候補者が選外になると)軽く扱って次の話題にすることもある。

まり日本に肩入れしない取り上げ方をしているところ、あるいは相手チームを応援しているようなメディアはないものか。

(日本の負けを望んだり、日本が負けて喜ぶのはまあいいとして、個人的にはそれで相手を全速力で煽るシバターみたいなのはいただけないが)

考えていること

なぜ、そこにいるというだけで、同じところのチームを応援しないといけないのか、理解に苦しむ。

あくまでただ偶然彼らと同じところにいただけであり、彼らやチームとは何のつながりもない。それなのに、なぜ応援しなければいけないのか。

(別に愛着を持ってここにいるわけではないので、勤務条件や文化などでもっといいところが見つかればさっさと移住したいとも思っている)

自分がいるところ以外を応援してはいけないのか。一歩離れたところから傍観するだけではいけないのか。


なんというか、自分がいるところ(特に日本)だけを応援するムード気持ち悪くて仕方ない。

どうすればいいんだろう。

2023-05-21

anond:20230521004124

五輪なんてただ運動してるだけじゃん。息子の学校体育祭と何も変わらない。

2023-05-02

推しの子おもしろいの?

かぐや様は告らせたい」の体育祭とかお家騒動とかシリアス回全部つまらない作者の漫画シリアスな話書けるとは思えないんだけど突然変異したりした?

2023-04-23

anond:20230422124340

高校生の時に都立青山高校っていう東京都ど真ん中の高校に通ってた実情を書いてみる。

都会にいるっていうのが、どういう文化レベルなのかの一例となれば幸い。

具体例がみえないまま、議論が進んでも微妙からね。

青高は東京メトロ銀座線外苑前駅の近くにあって、ヤクルト本拠地神宮球場の目の前の高校

高校生クイズ選手権時の予選会が神宮球場にあったりしたんだけど、そこで一番近い学校だっていう事で注目されてた時もあった。すぐに敗退してたけど(笑)

国立競技場も近くて、僕は高校生の時はサッカー部だったんだけど、「いま一番国立近い学校から物理)」みたいな冗談はことは友達には言ってた。

まぁ、もっと近くに國學院高校っていう学校があって嘘なんだけど。

僕は大江戸線国立競技場前って駅から青高まで歩いてたんだけど、国立競技場敷地内を歩きながら学校に通ってたのは、なんか誇らしかった気持ちがあったかな。

あと高校生の時はお金がまじでなかったから(お小遣いが月3000円〜5000円だったから)滅多に行かなかったのだけど、ホープ軒で食べるラーメン美味しかった思い出がある。(今思うと全然美味しくないが)

立地はこんな感じ。


次にイベントについて書いていく。

確か5、6月ぐらいに体育祭があってその一環とし、応援団を作って、応援合戦みたいなのをやるのがあった。

応援団をやる人は2、3週間くらい応援団練習をするんだけど、練習場所代々木公園だった。

定期がある人は電車乗っていくんだけど、みんながみんな定期あるわけじゃなくて、代々木公園までは歩いていくってのが恒例になってた。

外苑前から原宿超えて代々木公園まで行く道ってのは結構面白くて、

インテリアショップとか眼鏡屋とかブラジル大使館とかあったり、

表参道を歩いたりとか、原宿竹下通を歩いたりとかしながら、代々木公園まで行ってた。

今はなき原宿のコンドマニアで「お前買ってこいよ」「やだよ、お前いけよ」「なんでだよ!じゃあ一緒に行こうぜ」みたいやりとりをやってたりした。結局買わないんだけど、当たり前だけど。しょうもないけどそういうの楽しかったような気がする。今思うと全然面白くないが。

11月には外苑祭っていう文化祭があるんだけど、外苑祭では1年生から3年生の全部のクラスが劇だったりミュージカルをやるってのが伝統になってて、夏休みから外苑祭の前までは、「神宮外苑絵画館」前のちょっとした広場的な場所練習をしてた。

正直僕は外苑祭に乗り気じゃなかったから、全然練習参加しなくて数回だけしか行ってないくても、なんか思い出にはなってるね。

文化レベルって観点では、絵画館建物自体がすごい美しい建物だったし、絵画館銀杏並木風景っていうのはすごく美しかったのは、高校生でも感じる部分があった。

イベント的にはそんなもんがメインで、その他の時期は普通に駅と学校を行ったり来たりするだけの生活してた。

個人的には、学校自転車を置いたのもあって、学校サボって自転車乗って、原宿行ったり、246を赤坂方面まで走らせて、皇居らへんまでいったりとかは楽しかったな。



あと僕は部活やってたかバイトはしてなかったけど、周りの人とかは学校周辺でバイトやってる奴もいた。そういう奴は結構大人世界垣間見えたんじゃないかな。お金も増えるしね。

僕は遊ぶ金なんて全くなかった。だから高校生場合都心のど真ん中にあったとしても、そこまでは楽しめてなかったんじゃないかな。

まぁでも表参道とかの建築を見て、建築学科に進むっていう決断をしたので影響は大きかったのかもしれない。

建築作品を見るのはタダだったからね(笑)

あと仲良かった奴が、「スイスヘルツォークアンドドムーロンの建築観てきて良かった!青山にもあるから観に行くと良い」って言ってくれたりして、周りの人間文化レベルたけぇなって思った。

お金が無いなりに楽しんだって思えるのは、原宿古着屋でHanjiroっていうお店が全盛期だったんだけど、そこで100円になってる服を買ってた。てかそれしか買えなかったんだけど、あれは楽しかったな。

あとはまぁ、今はもうない明治公園フリマがやってて、そこで 安く売られてる服とかを買ってたりしたな。


もちろん高校時代を都会で過ごした影響はかなり大きかったんだけど、僕の中で影響が大きかったのは、やっぱり大学ですね。100倍くらい大きいんじゃないかな?

高校の時は受動的にやること っていうのが多くて、能動的には動けなかった記憶があるけど、

大学生になったらぼぼ全部自分で考えて、行動するから大学生の時の方が、濃密な時間を過ごせたと思ってる。

まぁ今なら、文化ってインターネット発なのが多いし、都会にいなくても、最先端文化に触れられるのじゃないかな?

僕が好きなVtuberのぽこぴーとか滋賀県出身電車ない土地に住んでそうだけど、最先端いってる。

僕が高校生の時は、まだスマホとかなかったし(シャって開くタイプ携帯とか、インフォバーとかが流行ってた時期だったし)、高校生の時は家族パソコンしかなかったし、ニコニコ動画も知らないし2ちゃんねるも知らない。パソコンの授業の時に友達が「スーパーマリオTAS動画」見せてくれた時も「おもしれー!TASさんって人まじで超マリオ上手いやんけ!!!」って思ってたレベルだったから、住んでる場所の影響大きかったと思うが、今はどんどん差が縮まってきてる。

っていうのが 都心高校に通ってた一般男性の一例。

2023-04-20

運動部体育祭死ぬ気でやってもらうから浪人してもらう前提だから

「高3夏より前から受験勉強に本腰入れる奴とかキッショいカスから






こういう方針の県立名門進学校、どの地方(特に九州)にも必ずあるけど戸塚ヨットスクールとか昭和受験少年院とかと同じノリとしか思えない。

このご時世もっと軽蔑されていいと思う。

文化系キャラ普通にイジりの建前で実質的イジメられるし。

2023-03-29

高校時代片思い

俺はアラサーのしがないサラリーマン

最近、一人息子が電車にはまりYouTubeでいろんな電車動画を見ているのだが、その中に地元ローカル沿線雪景色の中を走る動画があり、

俺の心にしまっていた淡い恋心を思い出したので当時の思い出をつらつらと書いてみる。

俺が片思いしていた子とは高校3年で初めて同じクラスになった。最初半年友達の友達(俺の友達女友達がその子)という感じでちょっと距離のある関係

彼女は活発で明るい性格だったので、男友達も多かった。ただ、その中には俺が嫌いなやつもいたので、彼女の印象も最初は良くなかった。

だけど、同じクラス文化祭やら体育祭なんかのイベントを重ねるうちに気が付いたら仲良くなっていて、俺は彼女を好きになっていた。

ハンドボール所属スポーツ少女、頭の回転が速くて会話にユーモアもある。結構気が強くて言いたいことをズバズバ言ってくるし、こっちが言い返しても怒るどころか笑いに変えてくれる。

笑顔が可愛くて、一緒にいるといつの間にかこっちまで笑顔になってる。とにかく大好きだった。

そんな彼女は男女問わず人気者で、もちろん彼氏(俺とは顔見知り程度)もいた。その彼氏は、これまた面白くて良いやつでイケメン。俺が勝てるところはほぼなかった。

だけど、俺は幸運にもそこそこ勉強ができたので彼女から勉強を教えてくれと、放課後は一緒に教室自習室勉強したりして、結構二人でいることも多かった。

通学に使っている電車(冒頭で書いたやつ)も一緒で、授業が終わったら教室から駅まで二人で楽しくおしゃべりしながら帰ることもあった。

から、高3の冬ぐらいになると彼女彼氏がいても結構良い関係で、”俺にもチャンスあるんじゃないか・・・!"なんて考えていたこともあった。

ある雪の降る日の放課後彼女と二人で学校から駅まで馬鹿話や雪合戦をしながら歩いて、ホームの待合室でも爆笑しながら電車を待っていた。

すると、同じく電車通学している彼氏が一人でホームに上がってきた。彼氏に気づいた彼女は俺との話を「ごめんね!」とさえぎって、雪が降る中で待合室から出て、俺に見せたことない笑顔彼氏のほうに小走りで迎えに行くんだ。

ホーム上で屋根があるのは待合室だけなので二人は待合室に入ってきた。そこで俺は「お、彼氏きたじゃん!お邪魔虫はあっち行ってまーすwww」なんて精一杯の笑顔とふざけたテンションを作って、そそくさと待合室から出ていこうとした。

彼氏は気を使ってるのか「3人で一緒に電車待ちましょうよ?」なんて言ってくれたりするが、なんだかみじめな気分になるので、断っていたそそくさと待合室から逃げるように外にでた。

で、雪が降る中、屋根のないホームの端っこで携帯いじって電車が来るのを待っていた。

差している傘に積もる雪と、俺の心に積もるみじめさがなんだかリンクして、体も心も凄く冷たく視界からは色がなくなったように感じたことを覚えている。

結局、二人は高校卒業まで付き合っていて俺は彼女に想いを伝えることはなかった。

そのまま違う大学に進学し、たまーに連絡取ったりしていたが、社会人になってからはそういうことも一切なくなった。

今も俺の心の奥底にある淡い恋心は、当時告白を果たせなかったことに対する後悔があの日傘に積もった雪のように解けずに残っているものなのか分からない。

という話を不倫相手会社の後輩にピロートークでしたら、「今の私と当時のあなたは一緒ね。あなた家族といるときは私に見せたことない笑顔してるわよ」と言われ、あの日の雪以上に冷たい悪寒背中を走った。

2023-03-03

元カレ浮気相手は、女子高生だった。

 あるよく晴れた、暑すぎる夏の日だった。

 高校3年間と半年ほどを共にした恋人から、別れの電話を受け取った。本気の声だったけど、嘘を言っているのがわかった。たぶん、別れたい本質的理由はそこじゃないのだろうと思ったが、どうせ別れる相手だと思って何も言わなかったし、言えなかった。何となく最近の振る舞い方から別れを切り出されるのはそう遠くないと思っていたし、辛かったが現実として受け止めるにはそう時間もかからなかった。幸せになってね、と一言だけ伝えて電話を切った。

 それから1年が経ち、また暑すぎる夏がやってきた。共通の友人だったひとから聞いたのは思いもよらぬ衝撃的な事実だった。

 「元カレ浮気してたらしいよ。」

 え、あ。

 へえ〜。

 はあ、そっか。

 言葉が出てこなかった。普段感情言語化するのが得意な私だったが、この時ばかりは空気みたいな言葉しか出なかった。

 友人は面白がってるのか、私が嫌な思いをするだろうとか考えもしなかったのだろう。笑いながら、「そんな人どうせ幸せにならないって!」と言う。そうか、そんなもんか。まあそんなもんかと思うしかないよななんて自分が傷付かないために、心にある色々なブレーキを精一杯かけた。まあ高校3年間は楽しかったし。あの人のおかげで成長できた部分もあったし。何度も言うけど楽しかったし。正直、悪を正当化させるのに事実なんていらなかった。ただ「そう思いたい」という気持ちのみが、間違いではなかったと言い聞かせる材料になるのだ。

 そんな衝撃的“事実”を聞いてからまた少し経ち、春が来ようとしていた。新しい恋人も出来て、私も私で幸せに生きていた。もちろん浮気をされていたということが色々な気持ち弊害になっているのは確かだったけど、何とか新しい恋人を信じ切ることもできるようになっていた。順風満帆に見える人生だったが、不幸は突然やってくる。

 元カレと、新しい彼女……浮気相手だったという子のプリクラを、本当にたまたま見てしまった。SNSアカウントも、何なら新しい彼女がどんな子かも知らなかった。なのになぜか嫌なものは回ってきてしまう。

 

 女の子は、私と彼の出身高校制服を着ていたのだった。

 あの日卒業式で一緒につけた青い花のブローチをつけて。

 それを見て、それが何かをきちんと理解した瞬間、私の心のブレーキは一気に効かなくなった。突然、何もかもが見えなくなるような気持ちになった。

 こんな簡単言葉にしたくはないけれど、辛かった。本当に辛かった。私は浮気相手になってしまった子と同じ高校に一瞬でも通ってしまっていた。私と一緒に作った思い出は、浮気相手と話を盛り上げる手段になってしまった。私が彼と過ごした数年間で彼を作ったものが、浮気相手しか女子高生と恋に落ちるための序章になってしまった。

 

 きっと彼女とは卒業旅行に行くだろう。私とは感染症予防で行けなかったディズニーに行くだろう。そして私と行った3泊4日の金沢旅行なんて忘れてしまうだろう。他にも、一緒に過ごしたあの高校での思い出も、彼女と言う存在に塗り替えられて、私と出会った場所ではなく、彼女とを繋ぐ場所になったのだろう。

 もう彼のことは好きじゃない。それでも、許せなかった。これはもう浮気をされたひとにしか絶対にわからない。本当に許せなかった。年上がタイプで甘えられる人が好きなんて言っておきながら、年下で自分に甘えそうな、鼻の低い一重の女に乗り移ったのか。

 浮気相手のことも許せなかった。女がいるかどうかくらい、わかってくれ。何より、年上ってことを利用するような男なんかに、本気にならないでくれよ。てか女子高生から見た成人男性なんてカッコイイに決まってるだろ。そいつじゃなくたって良いだろう。

 何より貴女が恋に落ちたそのひとは、私のものだったんだよ!!

 そう、私のものだったんだよ。

 高校1年生の春、初めて出会った部室。お前、すげえ無愛想だったよな。なんて呼べば良い?って聞いたらすっごい空いて、中学の時のあだ名を教えてくれたよな。本名とか知らなかったよ。でも名前漢字がすごく美しくて、由来が両親の好きなゲームだったんだっけ。もう両親は不仲で家では何も話してないって、よく不満そうに言っていたよな。

 高校1年生の夏、みんなで頑張った部活練習暑かったよな、冷えピタとか貼ってバカみたいな顔してた。練習が終わっても夕方の冷えた風が吹くまで一緒に喋ってたよな。あの頃はまだ一緒に帰っていなかった。お前の家と私の家、そういえば逆方向だったし。

 高校1年生の秋、初めて勇気を出して誘った放課後喫茶店。お前はキャラメルカフェオレを飲んでいた。飲むスピードがびっくりするくらい早くて笑ったよ。そういえば食べるのはすごく遅かったのに、何であんな飲むのだけ早かったんだろう?確か、そこにものがあったら飲んじゃうって言ってたよな。それ病気らしいよ気をつけてね。

 高校1年生の冬、勇気を出して渡したバレンタイン本命って気づいてくれるかななんて思って渡したけど、私があまりにも無愛想に渡すもんだから義理チョコと思われてたんだっけ。馬鹿野郎義理チョコあんな丁寧な手紙同封するわけないだろう。それから1ヶ月して告白して付き合って、その日は初めて手を繋いで、顔が痛くなるまで笑った。人に好かれるのって、それを伝え合えるって幸せだねってよく話してた。

 高校2年生の春、クラス替え一緒にならなくて悲しかったよな。一緒のクラスになったらダンス一緒に踊れるはずだったのに。結局お互い誰と組んだんだっけ?覚えてないなあ、私、お前の衣装姿が可愛くてかっこよくて、今でもなんか思い出せるよ。私は紫で、多分お前は青だったよね。似合ってた。体育祭、3年生の頃はなかったかあの日のことすごい鮮明に覚えてるわ。

 高校2年生の夏、一度別れた。何で別れたんだっけ。なんかショックすぎて覚えてないな。返しそびれたCDを返したいとか言って久々に会ったよね。あの時普通に楽しく話せて、また戻れるんじゃないかなあって思ったよ。あの日の緊張、今もどんなだったかわかるよ。

 高校2年生の秋、もう部活もしなくなって本当は会えるわけないのに、私が前みたいに色々なところ無理やり誘って一緒に遊びに行ったよね。なんか映画とか見た気がする。お前最初から最後まで興味なさそうだったけど、今思えば何で着いてきてくれたの?友達いなかったのかな。その後パンケーキ食べたよね。甘くて食べきれなくて、気持ち悪かったよ。その日たまたま月が綺麗で、夏目漱石気持ちを強くわかったな。

 高校2年生の冬、クリスマスイブの日にカラオケでまた付き合った。イコラブの制服クリスマス歌って、「大人になって今日この日を、僕は思い出すだろう」って、なんかなぞる気持ちだったよ。あの日久しぶりにキスをして、嬉しくて泣いた。カラオケに入るまでは友達、出た後は恋人って、雑魚スカイツリー広告だよね。多分広告なんて興味ないだろうから、何言ってるか分かんないだろうけど。

 高校3年生の春、コロナ流行って学校に行けなくなって、会えなくなった。でもお互いの家のちょうど間くらいの場所公園があって、なぜか誰もいなくてよくそこでマスクしながら会ったよね。たまにデカい犬の散歩してる爺さんが来てた。そこから見えるいつもいっぱいの駐車場には一台も車がなくて、ふざけて「コロナでみんな死んだ後の世界だね、二人きりだね」なんて笑った。私、正直それが本当になったら幸せだなあって思ってたよ。

 高校3年生の夏、コロナの影響で全然夏休みとかなくて、しか受験勉強でなんか全然記憶ないな。でも二人が一緒に高校で過ごせる最後の夏だって思うと、妙にワクワクした。これから一緒にずっと過ごせても、高校生の夏は一生来ない。お互いどうしようかって思ってたけど、私は美大に、君は文学部に行くって決めたね。国語読書が大好きな君が、大学で何をするのかすごいワクワクしてたよ。

 高校3年生の秋、私はひと足先に進学先が決まって、そこからずっと君の受験応援した。確か塾に行き始めて、金銭的に英語の授業しか取れないって言ってたけど、君は記憶力も悪くないし国語は得意だし、それさえ伸ばせればきっと良い大学に進めるんだろうなって思ってたよ。私の方が英語得意だったのにいつの間にか私に教えてるくらい成績よくなってたよね。すごいよ。ほんとに。

 高校3年生の冬、2月ごろ確かお互いようやく進学先が決まって、もう残すは卒業式だけだった。高校生活最後の日、サイゼリヤでどれだけ食べられるかって隣駅のサイゼリヤまで行った。途中から吐きそうなくらいしんどかったような気がする。間違い探し全部見つけた時の達成感、めっちゃ面白かったなあ。卒業式の日は一緒にプリクラ撮って、観覧車乗って、キスして、本当に3年間ありがとうって泣いた。本当に大好きだよって言った。ずっと一緒にいようねって、言った。

 

 でも、お前浮気してたんだな。バイト先の女子高生と。妹と同じ年齢の女の子に。私に言った全ての言葉を嘘にして、彼女と手を繋いだんだね。

 選ばれなかったという事実が、貴方と過ごした日々は全て無かったことになってしまったということが、もう一生戻れないということが、私は辛いよ。苦しいよ。

 

 また二人にしか通じない言葉で笑おうよ。子どもが生まれたらなんて話す時につまらないキラキラネームを言って本気にならない会話をしようよ。公園で一緒にハンバーガーを食べながら桜を見ようよ。興味のない映画に着いてきてよ。顔の大きさが全然違うプリクラ爆笑しようよ。私はピアノを弾くからその優しい声で楽しそうに歌ってよ。将来私が作る晩御飯リクエストしてよ。私の飼い犬を可愛いなあって笑いながら撫でてよ。その黒い髪を私の手で梳かさせてよ。カラオケで一緒にaikoを歌おうよ。ハグで全部分かった気になろうよ。

 

 もう一度好きになってよ。

2023-02-18

anond:20230218234614

ならゼロで割らせなければよくね?

話をロケットに戻すと、一般的に見て異常が想定されてるなら対処できると思うんだよ。

事前に丸く収められなくてしかも原因究明が必要ってそれ、本当に想定されてるのか?

体育祭が雨で中止になったら原因は究明する必要もなく、雨だろ。

俺、間違ったこと言ってる?

2023-02-15

コミュ障アスペ

体育会系仕事に就く。

 

メリットは、

痩せた。

筋力も付いた気がする。

ブロック1個を片手で持ち上げるのも

重いと感じなくなった。

高時給。

 

 

デメリット

体育会系(営業)モチベが違う。 

例えるなら、

陽キャ集団陰キャ自分はついていけない。

   

部署は違えどノルマはありみんな気合いに漲っている。

自分は空回りするタイプから気持ち

フラット

からみればやる気あるの?と見えるのかもしれない。  

   

ノルマ達成の為に一致団結し絆も生まれてくる。

のだろう。学生時代なら体育祭だ。

 

前職と比較すると、職種は全く違う。

人間関係も違い、

悪口陰口無視はあからさまだった。

仕事も座りか中腰での作業苦痛だ。

仕事人間関係も最悪ブラックだった。

  

 

ここで回顧比較したら、

今の職種はまだマシではないか

体力的な問題はあるが精神的に楽になったぞ。

  

明日からも頑張れる!

 

2023-02-08

anond:20230208201029

・区では下記に出役や協力をお願いします。

1月 各班において区費決算計画予算の報告説明常会の開催

2月 神社春祭り

3月 空き缶ごみ拾い活動 区民体育祭

7月 社会奉仕作業(班ごとに奉仕活動内容が依頼されます

9月 神社秋祭り

10月 セイタカアワダチソウ駆除作業

神社春秋祭りには、御燈明料として○○円程度をお願いしています

セイタカアワダチソウ駆除www

2023-02-02

anond:20230131223551

・中3で高校受験が終わってロスタイムみたいな時間、買ってもらったばかりのガラケー友達動画を撮った。

 ハードソフトも貧弱なムービー機能だったが、クリエイティブな何かをしている気分が最高に楽しかった。

 

・高3の体育祭、出番だけ抜けて部室で一日中麻雀をしていた。

 本来なら引退したはずの3年が集まって部室を占拠してしまい、後輩には悪いことをした。

 

大学の長期休暇、人生で最も自由だった日々。

 好きな時間に起き、一日中ゲーム配信を見ながらゲームをして、その後自分ゲーム配信をしていた。

 

娘が生まれから更新されるかなと思ったが、家庭ができるとその分様々な責任から逃れられないので、

何のプレッシャーもなかった日々が自分のなかで燦然と輝いて感じられる。

2023-01-31

anond:20230130135241

体育祭消極的受験勉強やる奴は軽蔑を一身に浴びる

こういう連中は、どういう大人になるんだろう

学者だと業績あげるかもだけど、官僚ビジネスマンとして出世するんだろうか

2023-01-30

anond:20230130135241

というか体育祭というのがなかった気がする

ぶっつけ本番の球技大会はあった

高校体育祭練習ナシ、ぶっつけ本番のスポーツ大会だった」

「ほんと全部の競技が単なるレジャーだった。刑務所ソフトボール大会に近い」

伝統進学校出身なのにこう振り返る知り合いがいてかなり衝撃受けたんだけど、もしかして他にもそういう進学校って平気である

俺も全国的に有名な伝統進学校出身(OB学者次官大使大臣大企業社長芸術家だらけ)なんだけど、

「現役合格なんぞ捨ててガチガチ体育祭に打ち込むべき」という文化で、

それこそ体育祭消極的受験勉強やる奴は軽蔑を一身に浴びるくらいの勢いだった。

部活の定期戦とかで交流がある隣県のトップ高もどうやら同じような感だったので、伝統進学校というのはそういう所ばかりなんだと思ってたからびっくりした。

2023-01-18

将来の夢ができました

25年生きてきて、初めて将来の夢ができました。

地味だけど平和少年時代を過ごし、自分の実力で狙える大学に入り、アルバイトサークルを程々にこなし、大手ではありませんが決して待遇の悪くない企業入社し今に至ります

昨年夏に25歳の誕生日を迎えそれまでの人生を思い返しました。人を傷つけず、自分も傷つかず、波風を立てず、親を安心させるような人生しかし、それは決して僕が望んでいたものではありませんでした。

幼馴染と両思いになる人生大谷翔平選手のような人生体育祭リレーメンバーに選ばれる人生バドミントン全中インターハイに出場する人生好きな人と結ばれる人生自然科学ノーベル賞を受賞する人生。僕が望んでいたものはそんな人生でした。実際には、幼馴染はクラスで1番人気の男子に夢中でした。少年野球は怖い上級生に下手くそ揶揄われて辞めました。体育祭騎馬戦では自分よりも身体の大きな野球部の下級生とぶつかり親の前で気を失いました(相手故意ではないですよ)。バドミントン少年野球を辞めた後に始めましたが、中学でも高校でも未経験者に追い抜かれ団体メンバーに選ばれることはありませんでした。女性が僕を異性として意識することはありませんでした。興味よりも就職率を見て無難大学無難学部を選びました。

身体能力、自信、行動力容姿などなど。自分の望む物を手に入れるために必要な物を、僕は何一つ持っていなかったのです。

今更本当に望んでいた人生を手に入れることはできません。何もかもが遅すぎます。もし「全てが自分の思い通りになる、しか何度でもやり直せて、何度でも作り直せる世界」が存在しているのならば、僕はその世界の中で何度でも人生をやり直し、何度でも世界を作り直し、理想人生を何度も送ることでしょう。しかし、残念ながらそんな世界存在しません。だから、そんな世界を僕が創ることにしました。

そうは言っても知識が足りません。この半年間、人生で初めて主体的勉強しました。様々な分野の書籍を読みました。大学の授業以来プログラミングに取り組みました。しかし、独学では限界があります

そこで大学に進学することにしました。学費生活費自分研究したい分野、将来の生活費の確保など様々な点を考慮し、地元国立大学医学部医学科を第一志望とし、現在働きながら受験勉強に取り組んでいます高校生の頃の自分に「国立医学部を目指せ」と言っても「無理に決まっている」と一笑して終わりだったでしょう。今は違います英語数学物理化学国語世界史。全ての科目について楽しみながら勉強に取り組めています一人暮らし環境仕事をしながらの勉強ですが、高校生の頃よりも遥かに集中して取り組めています。もちろん問題を解いていて躓くことはありますが、自分の不出来な身体から僕の脳と神経系解放し、コンピュータ繋ぎコンピュータ再現した理想世界を恣に生きる未来自分想像すればそんなもの苦ではありません。

久しぶりに良い気分でお酒を飲んだ事もあり、長々と書いてしま申し訳ありません。これにて失礼します。

anond:20230117163125

悲しい話だけど私も体育祭男子と一部の男子と手を握られるのが嫌だった記憶を思い出したよ…今思えば手くらいどうって事ないのにね

2023-01-17

フォークダンスで手を繋いでくれなかった男子子供が産まれ

現在26歳。今年27歳になる女だ

フォークダンスで手を繋いでくれなかった大半の男子の中で「オエーwww」と吐く真似をした同級生に娘が産まれ

地元の友人と他愛のない話をしていた時、その話を聞いた瞬間この記憶が蘇ったもの誰にも言えないからここに残しておく


うちの中学校中学3年生になると体育祭は全員参加科目でフォークダンスに参加しなければいけなかった

当時私は女友達には恵まれものの、見事なデブス(160cm/70kg)でオタクだったので男子からは見事に嫌われておりフォークダンスの事を考えるととにかく憂鬱だった

他の生徒も皆思春期からか「ダンスカバーにしよう」「恥ずかしい」といった声も少なくはなかったが先生が「小学生じゃないんだし、案外毎年皆普通に手を繋いで踊って楽しんでるよ」と言って続行となった

私はその先生発言を聞いた時、めちゃくちゃ安心した…が、いざ練習をした時ほぼ全員の男子が私と手を繋ぐ事を拒否した

30人前後×4クラス120人、そして男女比が半々だったので男子数は約60名。その中で6人の男子以外は私と手を繋ぐ事を拒否し、繋ぐフリで空中でそれっぽく踊っていった

たまに手が触れると舌打ちをされたり露骨に睨まれたりして、多少の人数の拒否覚悟をしていたけど流石にここまで大多数にしっかり拒否されるとショックで少し傷ついた

逆に手を繋いでくれた子は名前は忘れちゃったけど、今でもぼんやり覚えている

クラス委員2人、医者を目指していた賢い人、PSPとかAKBの話をたまにしていた人、誰にでも優しいニコニコした人、後ヤンキーでたまに学校をさぼっていた人

この6人は当時デブでブスな私とちゃんと踊ってくれてありがとう。今も元気に暮らしているといいな


話が逸れてきたのでここで一旦話を戻す

ある日フォークダンス練習先生に私とある男子が手を繋いでいない事がバレてしまい、きちんと手を繋いでるか監視が強化されてしまった

私は数回の練習と度重なる拒否で「お互いの為だし、もう無理に手を繋がず適当に踊って過ごしたい…」と思っていたが、大人(教師)が怖いのでその日は指導が入った途中から全員を手を繋いで踊った

授業終了後、ヤンキー気味のやんちゃな子が「オエーーーwww増田の手握ったんやけどwww」って吐く真似をやった

仲間の子も「増田菌で手が腐り落ちそうwww」「握った手でオ〇ニーしたりしてwww」と仲間も便乗して男子は大爆笑

私は気づいていないふりをして友達制服に着替える為校舎に戻ったが、流石にトラウマになりしばらく夜泣いて過ごした

監視の目が光っていたのはその日だけで、その後の練習や本番はまたほとんどの人と手を繋がずなんとか乗り切った


それから高校生、成人と成長するにつれダイエットメイクを覚えたり、歯列矯正やほくろ除去、二重整形等自分給料美容整形施術を行ったことで昔よりはマシな見た目になった

地元を出て働き、縁もあり人(整形カミングアウト済)と半同棲をして自由暮らし個人的には大満足、むしろもったいない暮らしをしているがやはりこの出来事はたまにに思い出す(10年以上たってさすがに頻度は減ってきたが)

年末年始地元に戻った際、その吐く真似をした男子子供が産まれたと友達に教えてもらった

SNSを見せてもらったが会社(板金屋)を立ち上げ、去年秋娘が産まれたと人生順風満帆そうだった

本人や友人の写真、車の写真しか載せていなかったけど、恐らくかわいいギャルの子を嫁にしているので子供の顔もかわいらしいだろう

ふと「もし娘がもう少し成長して私に似た不細工子供だったら手を繋ぐのだろうか」と悪い事を思ってしまった

私は幼少期も顔が不細工だったので父親から「お前は顔がなぁ」「金使いたいとは思えない顔なんだよ」としょっちゅう言われたり、理不尽に怒鳴られる等いい記憶がほぼない。父親そっくりの顔なのに。

(母親や両祖父母にはきちんと愛情を注いでもらったからなんとか成人し、今もこうやって生きてます)

多分父親がもし私の同級生だったらあの時あの場面で一緒に「増田の手気持ち悪くて無理www」と笑っていたタイプだったと思う

でも、どうか彼はブスに対する態度が最悪でも、娘に対する態度はマトモか親バカでありますように

2023-01-12

今日、30歳になるオタ。

俺も、1993年1月に生まれた。1歳から大学までは、千葉県船橋あたりで生活していた。千葉県カスだ。東京まで微妙距離のせいで、逆にオシャレを履き違えているやつらだらけ。茨城ゴミ共もいるおかげで、余計に田舎者ムードは高まっていた。特に地元船橋民が嫌いだった俺は、三国志大戦などをやるためにわざわざ津田沼エースまで行っていた。今思うと津田沼津田沼ゴミみたいな街だったが、船橋よりはマシというところだろうか。あと、俺はオタなので秋葉原微妙に遠いのが嫌だった。総務線で一本とはいえ微妙に遠い。かといって千葉のオタショップはやはり、品揃えの面で大きく劣る。飲食店は何一つとしてとりえのない、個性のない「退屈な街」だ。この街で人生3分の2を過ごせたことを、私は幸せに思っている。

私が住んでいた地域には大学があったのか覚えていない。競馬場はあって、薄汚いおっさんが娘の給食費無駄にするために通ってきていた。市立船橋高校スポーツが盛んで、イキリ散らした民度の低いカスみたいなスポーツマンたちが船橋不快な街に育て上げていた。あと、船橋高校のゴミもももっと渋幕とかに行けばいいのに頭いいような面してイキリ散らしながら歩いていた。自然豊かといいつつそれは小室かい飛び地の話で、友達がそのへんの団地に住んでいたのだが、子供心に「こんななにもねえ田舎に住んで何が楽しいんだか」と考えつつ、スマブラをやりに行っていた。俺も競馬場に通うおっさんたちと同じ、人生無駄にするのが好きな人間だったと言えるだろう。

小学校の時は色んな道徳教育を受けた覚えがあるが、ある日、うちの親戚のおっさんが登壇して「阪神淡路大震災記憶」を語っていた。俺は幼心に、いや、お前関西住んでたっけ?と思ったが、無事に講演は終わり、無意味感想文などを書いた。のちに親戚の集まりで、おじさんは講演会の人が来れなくなったので代打で登壇したと聞かされた。「わかりゃしねえよ」とのことだったが、まあどうでもよかったのでそんなもんか、と思い今日まで忘れていた。俺と震災には深い結びつきがあったと言えるだろう。

高校生にもなると、俺は自由だった。エスカレーター式の東京学校入学していたので、誰も受験勉強なんかはしていなかったのである。そんな中で、一学年上の先輩にとても頭の良い人がいた。そう。割れ厨であるエロゲ音楽無料あるいは格安で手に入れてくれることは後輩の俺達にもすぐに知れ渡った。サブスクの走りみたいなものだ。ちなみに、その先輩は生徒会長だったので、なんか体育祭で頑張った的なスピーチをしていたことを鮮明に覚えている。その次の年に起きたのが、東日本大震災だった。

震災当時、俺は秋葉原にいた。試験も終わり、余裕綽々でカードショップ萌え萌えスリーブを買い漁りに行っていたのである。その時、震災が起きた。スリーブはあたり一面に散らばり、混乱の中、店員さんに言われ、店の外に出た。駅に行くと、そこには人が沢山いた。だがしかし電車は動いていなくて、そこで東北で大震災があった、という情報を聞いた。

震災なんてものはどうでもよかった。ただ、俺の心配は家に帰れるかどうかだった。録画していなかったのだ。その日、放送される「まどか☆マギカ」を。深夜だしリアタイ視聴余裕という慢心があったのだ。しかも、当時は確かものすごく盛り上がる10話の放送を控えていた時で、まどかを見られるかどうか、というのは俺の死活問題であった。あと、まどマギとか略すやつは当時のオタ仲間の間ではにわかの象徴だった。

さらなるハプニングが俺に起きた。ゲームのやりすぎで俺のガラケーは充電がなかったのだ。その上、萌えスリーブを買いすぎていたせいで、財布には100円の金もなかった。コンビニで充電器も買えやしない。もちろんクレカキャッシュカードなんて持ってなかった。電車が動く気配はない。俺は、仕方無く歩いて帰ることにした。ぞろぞろと、他の帰宅難民秋葉オタクたちと共に。

途中で、公衆電話を見つけたので、並んで家族に無事である旨を伝えた。だが、当時オタバレを嫌っていた俺はプライドから、録画を頼むことはできなかった。まどかマギカくらいで何を、と今の世代は思うかもしれないが、当時はまだオタ差別は著しく、まどかマギカなどという萌えアニメを見ていることがカミングアウトできなかったのだ。

数駅くらい、歩いたところで俺の体力は尽きた。帰るのがダルくなったと言ってもいい。周りの人間たちから漏れ聞こえる被害状況を聞くに、心のどこかで動くと思っていた電車も、動かないことがわかってきたからだ。俺は近くのスーパーでなけなしの金でバナナを買って、フードコートの水を飲んで飢えと乾きを満たした。まどかマギカの10話が見られるかが心配で、その次にそもそも今日、どこに泊まるんだ?という思いがあった。

ということで、俺は近くの駅のポッポ屋さんに聞いて、避難所小学校を紹介してもらった。たどり着いたのは、夕方ごろだろうか。そこには、俺と同じ帰宅難民リーマンが何人かいた。俺が一番若くて、寝床マットレスを運んだり、先生たちの手伝いをした。教室備え付けのテレビで、炎に燃える気仙沼を見て「関係ねえな、明日仕事行かなきゃ」と語っていた、リーマンのおじさんの茫漠とした表情をよく覚えている。夕飯は乾パンだった。

夜。少し冷静になって。俺は件の割れ厨の先輩のことを思い出した。学校近くの公衆電話からまどかマギカの録画を頼むために、俺は駆けた。「大丈夫だよ増田くん。MBS版はもう放送されてるからね。違法うpされたデータ回すよ」。先輩は、相変わらず元気そうだった。俺は大いに安心して、また気仙沼火事を見に学校に戻って、ちょっとまた先生たちを手伝い、制服のブレザーをかけて、教室で眠った。

翌日、なんとか帰宅したが、普通にまどかマギカは10話以降放送延期になった。あ、あと親戚が2人ほど死んだ。例の阪神淡路スピーチをした親類もそこには含まれていた。

そして大人になったある時、友達に誘われて行った飲み会で、誰からともなく東日本大震災の話になった。その飲み会には東北出身者が多かったので、彼らは当日の様子を思い出して話していた。親戚や家族が死んだこと、放射線関係差別されたこと。

その会話の中で、参加者のひとりが「〇〇さん(私)は東京から、こういうの想像できないかもしれないけど…」という言葉を発した。俺も被災者から分かるよ、と返すと、彼は「何言ってるんですか」と少し笑った。歩いて駅まで帰ったんやぞ、まどかマギカのために。と嘘をつくと、彼は気まずそうに「なんやアンタ」と呟いた。

彼は俺より少し年下だったから、もしかしたらまどかマギカのことをリアルタイムでは知らないのかもしれない。劇場版から入ったにわかかもしれないし。彼のことを個人的に責めようとは思わないが、そうか、忘れられているのか、という虚しさが心に残った。

俺は今、違う場所暮らしているけれど、今でも自分が育った千葉ゴミクズだったと信じている。そもそも秋葉原から遠くなければ、俺も簡単帰宅してまどかマギカの録画云々なんて悩まなくてよかったし、千葉のオタショップの品揃えさえ充実していればよかったのだ。

俺も、30歳になった。平成初期に生まれ私たちは、Z世代氷河期世代両方から馬鹿にされる「最悪の世代」だと言われている。確かに地震は俺にとってすごく身近な問題であり続けてきた。だけどこれまでの人生別に24時間365日「亡くなった方々のぶんも、毎日を大切に生きていこう」と思いながら過ごしてきたわけじゃない。忙しい日常を生きていると、震災のことを全然考えない日がほとんどだし、まあ今になるとまどかマギカとか大した作品じゃねえな、と冷静な評価を下すこともできる。でも、震災の時にふと過ったあの感情を、たまに思い出したり思いださなかったりするのだ。リーマンってなんで震災翌日も働くねん、という。

まああれだ。震災は一時のスリルというエンタメとしては面白かったが、アニメ放送延期からわかるように日常生活に大きな影響を与えるのは間違いない。

そして、俺は思うのだ。

震災さえなければ、もしかしたらまどかマギカの叛逆篇の続きも出てた未来もあったのかもしれない、と。

とはいえ、おかげでシン・ゴジラやすずめの戸締まりといった名作も生まれたのだから、イーブンといったところではないか…と。

2022-12-13

もう体育なんてしないで済むぞ


おめでとう、俺。

高三になった。自由登校が始まった。

からもう体育なんてしないで済むぞ。

大縄大会で引っかかった時のみんなの顔も、リレーで前の人から引き離された時のみんなの顔も、他にもたくさん、たくさん。

みんなの顔をもう見なくて済むんだぞ。

出来ないだけなのにやる気がないって陰口言われたよな。

チーム決めの時、誰も俺をチームに入れようとしないから、最後最後まで残ってたよな。

いつもは教室で話してくれる友達が、体育の時だけぎこちなくなるんだ。チームになってくれないんだ。

そういう空気小学生の時から、ずっと一身で受けて続けてたよな。

いつからクラスみんなやってる鬼ごっこに参加しなくなったんだろうな。

週に三回、絶対自分を嫌いになる授業があるのは辛かったよな。

体育の時に傷つけられた自尊心を、誰か偉い人に賠償してほしかったよな。

小一の時の俺が今の俺をみたら、羨ましくて羨ましくて、たくさん泣くだろう。

体育がないなんて!って膝から崩れ落ちてしまうだろう。

だってお前、体育がある日はどうにか休んでしまおうと、いつも頑張ってたもんな。

でも、本当は。

体育が嫌いなんじゃない。

運動会体育祭が嫌いなんじゃない。

優しくしてくれないサッカー部が嫌いなんじゃない。

体育が出来ない自分けが嫌いだったんだよな。


体育必修じゃない大学を選んだ。

絶対受かろう。

そしてチー牛ばっかりのサークルに入ろう。


おめでとう、俺。


もう体育なんてしなくて済むんだぞ!

これ以上嬉しいことなんてない!

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