はてなキーワード: マーチとは
http://anond.hatelabo.jp/20140421200127
IT業界ってさ、誰でも出来るカスタマイズ系の仕事ならいっぱいあるんだけどさ。
本質的な設計の仕事が沢山あって、やってる人間は沢山いるけどできてる人がほとんどいない。って業界でさ。
技術的負債とかデスマーチとか、昨今言われるようになってきた。
元請けの3年生が設計して30年のベテランが作る。みたいな作り方で、
大規模システムは動かない。(実際に何とかしてるのは下請けのベテランだから)
ほんと、人がいない業界だよIT業界は。そんな業界じゃましていわんや女性は増やせない。
デスマーチしてもいいなら、いくらでも人増やせるけどな。(そしてデスマーチを承知で仕事ウケてデス・マーチする人ばかりだけどな)
結局、オープンソースにすらかなわないからオープンソースを使って、バージョンアップすらしないで事故を起こす。
なんだかなぁって思っても。どうにもならない。
ネット上で知り合った作家志望が何人かいるんだけど、まあどいつもこいつも頭おかしいし性格悪い。
でもそれは作家としてはもしかしたら必要な素養なのかもしれないからいいとしよう。
問題はそいつらの書く文章が日本語として意味をなしていないということ。
前衛詩ならそれでもいいんだろうけど、ふつうのやり取りでなぜ相手に伝わる日本語で書けないんだろう。
まず文脈を提示してもらわないことには、なんの話題だかわからないのに、読み手も自分と同じ話題を最初から共有していると思い込んでる。
やたらと省略が多くて何の話題なのかわからない。
自分と相手がどの程度の知識や文脈を共有しているかについての想像力がないって、物書きとして決定的にやばいと思うんだけど。
それにそもそも文法がおかしい。
主語と述語が対応していないし、単純にことばの意味を間違えて使っていたりする。
お前は中学生か。
なんか勝手に盛り上がっちゃってて、楽しそうにしているけど、何が楽しいのかすらこっちに伝わってこない。
とにかく省略が多い。向こうの頭の中だけで盛り上がってる。
自分では十分に相手に伝わるように表現していると思っているらしく、きみが何言ってるかわからないよと言ってやると怒る。
作家志望だからといってかならずマーチ以上の大卒じゃないといけないとはいわないが、ちょっとひどいなあと思う。
なんでそういうやつって作家なんか目指すんだろう。
謎。
俺は30だけど去年仕事辞めたよ。新社会人の時の気持ちとかなーんにも覚えてないし、新社会人に伝えたいこととか一切ないね!!
とにかく俺は社会人生活にうんざりしていたし、いつやめよーかなーなんて3年ぐらい思っていた。
やめてどうするの?将来どうなるの?そんなの知るか!結婚は?したくねー!子供は?いらねー!
自分は子供の頃からそういう「普通のレール」に乗れなかった。学園祭とか参加しなかったし、体育会系の部活にも所属してなかった。マーチ以下の大学に行ったのにサークルにも入ってなかった。いわゆる「普通のレール」を望んだけれどキャパが足りなくて乗れなかったわけではなく、そもそも違和感があって一緒にいることができなかった。まあキャパも足りてないが。
それがなんで就職なんかしてしまったんだろうな。なんでその時間と労力を別のことに費やさなかったんだろう。そんな風に思って辞めた。
「なんで就職してしまったか」、その答えは生きるためだった。金がいるから、当たり前だ。
じゃあなんで辞めたのか。就職という「普通のレール」に乗り続けることができなかった。
考えても見ろ、中学時代に戻ったとして、体育会系の部活に入ったとして、続くと思うか?ありえない。
じゃあ、仕事は生きるために必要だから乗り続けるべきだったか?答えは否、いや「無理」だった。
繰り返すが普通のレールの上で自分が生き続けることはできない。無理して乗り続けたらどうなるか、やっぱり死ぬんじゃね?就職しようがするまいがどうせ死ぬんだ。そう実感した。だからとりあえずレールを降りることにした。乗り続けて死なない人は、どうぞ満喫して欲しい次第であります。
会社にいた時にハブられたとか、いじめられたとか、左遷されたとかたらい回しにされたとかそいういうことはなかった。まあ大した結果は出せなかったが、そんな奴はいくらでもいる。違うんだ。仕事が楽しけりゃいいとか、苦しけりゃ辞めるとか、そういうのじゃないんだ。わかるよな?
サークルもバイトもそこそこにやってきた。(資格は持ってなかったけど)
50社以上にエントリーシートを提出し、今まで30社以上のGD・面接を受けてきた。
この時期には何社か最終面接に進んだけど、内定はボロボロと俺の手からこぼれ落ち、
周りが内定を貰って浮かれている時も汗だくになりながら就職活動を続け、
ようやく内定を貰えたのが7月後半。しかしその会社は従業員使い捨ての同族ブラック。
こんな俺でも意識は常に高く持ち、日々スキル磨いて転職して今はCore30の本社勤務。
諦めなければ必ず道は開ける。辛いだろうけど頑張れ!
前回のその3の、最後の文章の方に書いたのですが、
この日記では頭痛以外の僕の思い、日々感じていることも書いていきたいです。
たぶんそれらは、色々ズレていたり、狂っていたりしているから。
しかしその僕のそう日々思うことも、
まずこの僕の頭痛があってこそ、世の中が曲がって見てるので、
まずはこの頭痛について、直視して、書いていかないといけないよなあ・・・。
実際僕は、この異常な頭痛が発症して、2~3年間様々な病院に行って、
検査して、その度に異常はありません異常はありませんと言われて、
避けることで、無感情、何も感じないようにすることで、
今日まで、生きてきました。
だけど、今回、こうやって思い立って、
もう一度振り返ってみようと思って、こうやって書いています。
まずこの頭痛なんですが、
発症したのは僕が19歳の時です。
浪人している時の思い出なんですが、
まず現役時代は僕はほぼ勉強せず、また塾にも通っていませんでした。
浪人は、そこそこ楽しく、またそこそこ気分が重かったです。
しかしこれは話が長くなるので詳しく書きませんが、
単純な道筋がそこにあって、また講師はその道筋の、案内役にすぎない人でしたから。
もう夏が終わる頃には、マーチぐらいは受かるなと思っていました。
僕はそこまで、絶対早慶に入りたいという気持ちはなく、
とりあえず東京の大学の、マーチぐらいに入れればいいなと思っていました。
それで予備校の模試を受けて、早慶が40~50%ぐらいの合格の確率でした。
それで夏以降はほぼ勉強していなかったのですが、
そして、この浪人の時の、たぶん11月頃、
発症した時は、現代文を確か解いていて、
その時はいつもと少し違って、
頭を思いっきりう~んう~んとしたらどうなるのかなと思って、
頭に少し力を込めました。
そしたら・・・、この頭痛が発症しました\(^^)/(オワタ。苦笑い)。
こうやって久しぶりに、発症の時を振り返ったのですが、
なんでそれで、こんな頭痛が発症するんでしょうね。
それでその日、その時、
なんだ、何が起こっているんだ、と思いました。
何か頭が重い、何か頭がぼんやりする、
だめだ頭がぼーっとして、あまり意識を保つことができない・・・・、
みたいな状態になりました。
こんなこと状態は経験したことがなかったので、
とりあえずその日から、1週間ぐらいは、
ずっと寝たきりだったと思います。
ちなみに予備校なんですが、
夏以降はほぼ行かなくなりました。
もうこれ以上、特に予備校で強化することはなくなっていました。
むしろ達観というか、
そこそこの偏差値はあるけれど、
もうこれ以上を上げるには、どうやっていいかいまいち分からず、
またもう変えよう、上げようにもないと思っていたので、
まあ、マーチぐらいの力はあるからそれでいいやと思っていました。
それで話戻して、
(寝たきりといっても、最低限の日常生活はしていましたが。
例えば食事とか、散歩とか。ただ頭が重いので、自分の部屋にいるときはもちろん勉強なんてできず、
ベッドで横になって、ラジオを聴いていた)
そのときは、いずれ治るだろうと思っていました。
それで、受験日までの2ヶ月間、全く勉強はしていませんでした。
なんか、なんか、う~ん、やばいな、この頭痛は、と思っていました。
ちなみにここまで、病院とかには行きませんでした。
また親にも言っていませんでした。
夏休みの終わり頃、親に今の僕の頭の現状を行って、
それで地元に戻って、医者巡り、病院巡りをしていくことになります。
11月に発症して、約半年後の9月まで親に言わなかった、
病院に行かなかったのは、
それをありえるとしてしまったら、
無くなってしまいそうで、
それに目を向けたくなかったから。
結果僕は、こうやって現在のように、ちゃんとした人生を送れなかったんだ。
このおよそ6年間、僕はとりあえず生き延びた。
しかしそれは、ほぼそのありえない頭痛を直視しないで、生きてきた。
だけど今回、こうやって、なぜか今日、これまでの僕を振り返っています。
話がかなり曲がったので、
書いていこうと思います。
by 犬飼
阪大や東工大にいると、所詮我々は東大でも京大でもないし、そこそこまともに研究や勉学や就活ができるのはここでギリギリだ、
これ以上さがると未来はない、くらいに思ってて割とコンプレックスとか悲壮感とかがあったりするんだけど、北大や九大の人は、
かと思えば、西日本にいたら阪大ですかー優秀なんですねって言われても、関東じゃ、阪大?ふーん大阪の地方大? くらいな人も多いよね。
関東じゃマーチで優秀! みたいな風潮があるけど、関西じゃ、法政?明治? 野球強いとこ? くらいな印象だったり。
田舎にいったら、東大京大ならすごいけど、それ以外なら地元の国立大しか認めない!
早稲田? 一橋? 阪大? なんで地元の岡山大に行かないんだ! なんで地元の熊本大に行かないんだ!
ってお怒りになる方々も多数おります。
北海道や福岡は特に北大アゲ、九大アゲがすさまじくてひくレベル。
多くの目に触れるようになる前から価格が高騰し、入手困難なCDであるため、これを引用公開することで、多くの人の目に触れることは、昨今の事情に照らし、有用だろうと思い、ここに記しておきます。じゃあ増田で書くなよ、というツッコミは効きません。たぶん期間限定。
佐村河内のスコアを詳細に眺め評価することは、近頃の劇音楽に屡々見られる基本的な技術不足や、必要以上に技を凝らそうとする過剰なテクニックの持て余し。
これらとは明かに一線を画しているという事だ。
第一楽章、邦楽の静謐な、それでいて熱いエネルギーを内に秘めた佇まいから戦いを表現する大オーケストラへの見事な転換、目の眩むような、あたかも生物の細胞分裂の様な声部の増殖の緊張は、来たるべく英雄の出現(心に強く刻み込まれる主題[テーマ])を準備しているのだ。
第二楽章では、一楽章の主要な動機[モティーフ]や主題[テーマ]を巧みに変奏発展させてゆく、限られた時間の中で超絶的展開能力。
全く隙の無い構築力と完璧なオーケストレーションには唯々感嘆するばかりだ。
これらの事が自然に在る、ということ、技術はその為にこそ使われなくてはならない事をこの奇麗なスコアは私達に示してくれている。
私がコーダ部の総譜を受け取りに氏宅に伺った日のこと。
着いてすぐ筆談で、まだ出来てないので待てとのこと。
以降氏は黙したまま延々4時間が流れた。
と突然立ち上がり、未だ見た事も無い80段はあろう巨大な五線紙を取り出し席に着くや否や、嵐の如くペンを走らせ始めた。
それは神憑り的な速さといった感じだった。
何やらスケッチでも書き写しているようだった。
10分も経った頃、「写譜なら手伝おう」と立ち上がり氏に近づいた私は思わず目を疑った。
氏が書き写している筈の五線紙の向こうには何も無かったのだ・・・・。
その恐ろしい光影に立ち尽くすばかりだった。
写し取っていたのは頭の中のスケッチだった、以降ペンは一度と止む事無く僅か20分で全ては終わった。
氏は見直しもせず「ポイ」と私に手渡した。
後に私が見直したところ、何の落度も無かった事は言う迄も無い。
注:引用者により、ルビを該当する熟語のあとに[]で読みを挿入してある。また、句点ごとに改行し、アラビア数字は半角に変更した。
遠い古からの声―長い間日本の風土の中で培われてきた都節と呼ばれる伝統的な様式―からこの曲は始まる。
この尺八の「息」が、はじめは琵琶の力強い一打や笙の開放的な響きを導き、外に開かれていく空間を形づくるが、つづく締太鼓の合いの手を橋渡しとして、今度は逆に人間の持つ陰の部分、尺八の内に籠った響き、そこに影を落とす琴の不穏な調弦や笛の虚ろな息づかいなどが、前との微妙なコントラストとして対置される―ここで提示された様々な要素(おもにコントラストという概念)がこの作品の全体を紡いでいく上での重要なポイントとなっている―。
やがて一本の竹のひびきは12本もの竹(尺八)を呼び(ff)、静かに、しかし豊かにひびき渡る和太鼓の一打が大オーケストラを迎え入れ一転としてスペクタクルな場面に突入する。
前の部分と全く別な世界の様にみえるこの部分は実は冒頭の尺八の旋律と深い関わりを持っている。
譜面を見てみよう。
(譜例1)ここでフレーズの後半にあたるAという部分にオーケストラが対応する。
(A')。
そして英雄の出現を伝えるファンファーレ(これは西洋で培われてきた伝統だ)につづいて(やはりこれも西洋の伝統的な)ハーモニーのゼクエンツ(鎖)に乗って英雄のテーマが提示され(譜例2)クライマックスを迎えた後、譜例1のBの和音の固定(オスティナート)による経過句に入る。
ここで邦楽の冒頭部分が新しい状況の上で再び現われる。
尺八がサキソフォーンに、笙がヴァイオリン群に、また12本の尺八は今度は虚ろで怪しげなハーモニーを醸し出し、三味線は乱れ(冒頭の拡大)、琴はますます不穏なアルペジュを掻き鳴らす、一瞬の閃光、地底から沸き起こったかのような轟音から出現したものは英雄のテーマのヴァリエーション、そして輝かしいマーチ(ファンファーレの変奏)―ここで西洋にハーモニーのコントラスト(長三和音と短三和音)を挙げておく。(譜例3)
そして再びスペクタキュラーなシーンが登場し、コーダ(ゼクエンツ部分の変奏、このモティースがその後の楽章で大変重要な役割を果たす)(譜例4)。
二楽章は前半の静かな部分「夜の音楽」(佐村河内談)と後半の激しいアレグロからなるが、前章であらわれた様々なモティーフによる更なるヴァリエーションである。
(一楽章をソナタ形式に於ける提示部と捉えるならば二楽章は展開部、三楽章は再現部とみなすこともできる)
三楽章は前の余韻を受けて「能楽」の囃子、コラージュ的部分を経て尺八の冒頭が再現される、ここでは笙のか代わりに弦楽器が増四度上で現れる、実に美事である。
メインテーマがアダージュで(本来の姿で)再現され圧倒的なコーダで締めくくる……
以下は若干の譜例による指摘にとどめるが、この作品は様々な要素を複雑縦横に織り込んだ大変興味深い大曲であり、聴き手は注意深く聴き込む毎に新たな発見を見いださせる至宝の逸品と言える。
引用者注:譜例3には『マーラーの交響曲第8番(第6番かも、とにかく字が小さくて読みにくい)が想起される!』と書いてあるので、もともとマーラーが好きなんだろうと思う。また、誤字と思しきものも原文ママにしてある。
www.youtube.com/watch?v=ukFtX9iZPjU
余談だが、このサウンドトラックは贅沢にもxrcd2を採用している。ネットにある音源とは比べられないぐらい素晴らしい音楽が堪能できる。
今日、NHKのクローズアップ現代でやなせさんの番組があった。
なぜかアンパンマンが、ある人たちに重なった。
アンパンマンは、おなかがすいている人がいたら、自分の顔を差し出して与える。自己犠牲の表れだ。
アンパンマンは、困っている人がいたら、自分を嫌っている人も笑顔で助ける。
アンパンマンは、バイキンマンが町の人をいじめていたら、自分が傷つくのを恐れず立ち向かう。
戦争を経験しているやなせさんは嫌がるかもしれないけれど・・・僕は、やっぱり自衛隊隊員だと思った。
自衛隊隊員さんは、災害など危険な場所に駆けつけて、炊き出しや救助活動をしてる。
自分を犠牲にして困っている人のところに駆けつけて手を差し伸べる。
自衛隊隊員さんは、自衛隊の活動に批判的な人が困っていたとしても救助に向かう。
たとえそれが危険な場所であったとしても「仕事ですから」と笑って救うだろう。
そして、バイキンマンが攻めてきたとき、自衛隊隊員は、日本国民を守るためにバイキンマンと戦ってくれるはずだ。
アンパンマンがバイキンマンにパンチするとき喜んでいるとは思わない。
アンパンマンは心の中では、きっと泣いていると思う。
バイキンマンと戦わないと町の人がもっと泣くことがわかっている。
暴力をふるうこと、傷つくことを、一人で背負ってバイキンマンと戦っているんだと思う。
きっと、自衛隊隊員だって好んで戦争をしたいと思っている人はいないと思う。
殺し合いが好きだったら用兵部隊にいくはずだ。
そして、戦争が起こったとしても、喜んで戦場に行きたいはずはない。
でも、自衛隊隊員たちが戦場に行かなければ、日本国民はバイキンマンにいじめられることがわかっている。
人を殺す、その心の傷を・・・そして、死ぬかもしれない、その恐怖を一人背負ってバイキンマンと戦うんだと思う。
中にはバイキンマンと話し合えばいいじゃないかという人もいるかもしれない。
でも、バイキンマンは、毎度毎度いたずらしに町にやってくる。
アンパンマンもバイキンマンと話し合えば、戦うことはないのに・・・と
NHKの番組の中でも、やなせさんは絶対的な正義はないと言っていた。
まさしく、そのとおりなんだと思う。
アンパンマンでの戦いは、バイキンマンの正義とアンパンマンの正義のぶつかり合いなんだと思う。
この正義と正義がぶつかるところで、戦争が起こっているんだろう。
正義を振りかざしているものに、話し合いってできるものなんだろうか?
できるとすると、私が悪ぅございましたと卑下しながら妥協点を探すことぐらいじゃないかな・・・
自衛隊の組織が狂ったとしても、自衛隊隊員さん一人一人はアンパンマンであってほしい。
ないことを願うが、もし、最悪、戦争が起こったとき、自衛隊隊員さんはアンパンマンマーチを口ずさみながら、勇気を持って現地に向かってほしい。
町の人たちである僕たちは、アンパンマンの世界同様、彼らを誇りを持って送り出すことができるようであってほしい。
僕個人の願望です。
それで思い出したことを書く。
私自身子供の頃アニメや絵本でよく見ていたし、子供相手の職業についてからは子供の好きなキャラクターとして認識していたアンパンマン。
何故だか子供たちはあの丸顔パンのキャラクターが大好きで、一番最初に好きになるキャラクターがアンパンマンだという子は少なくない。
だから当然、アンパンマンマーチやアンパンマン体操などの歌も私は知識として知っていた。
そう思っていたが、それが全く違う意味に取った時がある。
電気も水道も止まり、ガスはプロパンだったけれども怖くて使えない。寒さに震えながら避難所で寝た。
明日から職場や家の片づけをしなくちゃ。大変だけど週明けの月曜日まで終わるかな。
そう思っていたが、12日の早朝に状況は一変する。
原発から10キロもない避難所にいた私は同僚と一緒に追われるように避難した。
大渋滞の中やっとのことでついた避難所も20キロ圏内にあり、原発が爆発したというニュースを聞き、そこからも逃げた。
真っ暗で波打った道路に疲れ切りながら車を運転している中、カーラジオは絶望的なニュースしか伝えてこない。
もうニュースを聞いていたくなくて、でもラジオを聞かずにはいられなくて、その時聞いたニュース以外の番組でアンパンマンマーチを流していた。
『そうだ うれしいんだ いきるよろこび』
歌詞が追い詰められた心に沁みた。
ヨウ素剤まで配られそれを飲み、原発が爆発したと聞かされ、それ以外の何の情報も持たなかった私は深刻なレベルでの被曝を疑っていた。
明日ではないかもしれないけれど、放射線を浴びた影響で私はじわじわ弱っていくのかもしれない。死ぬのかもしれない。
そんな心にあの歌詞は私も生きているのだと思い知らされた。
津波で行方不明になった知り合いのこと、ラジオで聞こえてくる沿岸部に数百の遺体があるというニュース、少しだけ見れたテレビから流れていた真っ赤に燃えているコンビナート…多分、たくさんの人が死んだ。
でも私は生きているし、生きていたい。
私は泣きながら車を運転し続け、丸二日かけて実家に帰った。
アンパンマンマーチにこれほど心を揺さぶられたことはなかったと思う。
それにあの曲調はとても明るくて、全部壊れてしまった日常も思い出されて、頑張らなくちゃいけないのだと思い知らされた。
あの時、大げさに言ってしまえばあの曲は私に希望と生きる意欲をくれた。
後になってから、余震におびえる子供たちのために放送されていたのだということも知ったけれど、大人の私にもアンパンマンは希望をくれた。
やなせ先生のご冥福をお祈りします。
徹夜したのを大量の人員投入で終わるならデスでもマーチでもない。
1年間近く延々と終わらない、終わる宛もないのに、上層部が不可能を認識しないで長期残業ってのを続けている状態がデスマーチだ。
数億円吹き飛ばすようなデスマーチをみてくればわかる。
あからさまに、もうどうにもならない状況に陥ってるのに、上層部が打ち切らず延々とどう仕様もなく長時間残業だけを続けてみ?デスマーチの意味がわかるから。終わらないんだよ。
そうじゃないのはただのハードワーク。
解決のため投入されて、なんでこんなことをしてるの?これじゃ延々と終わらないでしょと。
そこまでは言わないけど。
勿論、なんでも出来て、どんな大学でも受かって好きなことできるなら上位大学に行きたかった人も多いでしょう。
その時点で好きなことを探してその仕事に就けるよう専門学校行くのは正しい選択だと思うけど。
実務だけ考えたら専門学校言ってる奴の方がよっぽど意味はあるだろ。
工学部行ったって車の整備出来るようにならんし。
まあ、プログラミングの専門学校なんてレベルの殆どは独学で充分なもんしか無いと思うけど。
でもまあ、何も出来ない人間なら行ったほうが良いだろ。よっぽどくだらん大学で単位だけ取って無駄な就職活動が大半の生活よりは役に経つ。
マーチなんて行ったって学習能力殆無いやつ多いから、それで無駄にプログラマーだとかなっても使い物にならん。
ライトノベル専門学校とかは別。そもそも仕事するためのものじゃないみたいだから。
ただ、単純に就職見た場合、そんなその時点で使える記述とか即戦力感とか無視して、まず学歴で取られるから、
それなりに職を選びたいならある程度の大学に行く必要はあるが。それも何したいかによるところだけど。