2013-10-15

アンパンマンマーチ

やなせたかし先生訃報を聞いた。

それで思い出したことを書く。

私自子供の頃アニメ絵本でよく見ていたし、子供相手の職業についてから子供の好きなキャラクターとして認識していたアンパンマン

何故だか子供たちはあの丸顔パンのキャラクターが大好きで、一番最初に好きになるキャラクターアンパンマンだという子は少なくない。

から当然、アンパンマンマーチアンパンマン体操などの歌も私は知識として知っていた。

子供向けの明るい曲調に、何やら意味深歌詞

でも、所詮子供向け。

そう思っていたが、それが全く違う意味に取った時がある。

2011年3月11日

私は福島県被災した。

電気水道も止まり、ガスはプロパンだったけれども怖くて使えない。寒さに震えながら避難所で寝た。

明日から職場や家の片づけをしなくちゃ。大変だけど週明けの月曜日まで終わるかな。

そう思っていたが、12日の早朝に状況は一変する。

原発から10キロもない避難所にいた私は同僚と一緒に追われるように避難した。

渋滞の中やっとのことでついた避難所20キロ圏内にあり、原発が爆発したというニュースを聞き、そこからも逃げた。

真っ暗で波打った道路に疲れ切りながら車を運転している中、カーラジオ絶望的なニュースしか伝えてこない。

もうニュースを聞いていたくなくて、でもラジオを聞かずにはいられなくて、その時聞いたニュース以外の番組アンパンマンマーチを流していた。

『そうだ うれしいんだ いきるよろこび』

歌詞が追い詰められた心に沁みた。

ヨウ素剤まで配られそれを飲み、原発が爆発したと聞かされ、それ以外の何の情報も持たなかった私は深刻なレベルでの被曝を疑っていた。

明日ではないかもしれないけれど、放射線を浴びた影響で私はじわじわ弱っていくのかもしれない。死ぬのかもしれない。

そんな心にあの歌詞は私も生きているのだと思い知らされた。

津波行方不明になった知り合いのこと、ラジオで聞こえてくる沿岸部に数百の遺体があるというニュース、少しだけ見れたテレビから流れていた真っ赤に燃えているコンビナート…多分、たくさんの人が死んだ。

でも私は生きているし、生きていたい。

私は泣きながら車を運転し続け、丸二日かけて実家に帰った。

アンパンマンマーチにこれほど心を揺さぶられたことはなかったと思う。

それにあの曲調はとても明るくて、全部壊れてしまった日常も思い出されて、頑張らなくちゃいけないのだと思い知らされた。

あの時、大げさに言ってしまえばあの曲は私に希望と生きる意欲をくれた。

後になってから余震におびえる子供たちのために放送されていたのだということも知ったけれど、大人の私にもアンパンマン希望をくれた。

やなせ先生ご冥福をお祈りします

夢を、希望を、ありがとうございました。

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