前回のその3の、最後の文章の方に書いたのですが、
この日記では頭痛以外の僕の思い、日々感じていることも書いていきたいです。
たぶんそれらは、色々ズレていたり、狂っていたりしているから。
しかしその僕のそう日々思うことも、
まずこの僕の頭痛があってこそ、世の中が曲がって見てるので、
まずはこの頭痛について、直視して、書いていかないといけないよなあ・・・。
実際僕は、この異常な頭痛が発症して、2~3年間様々な病院に行って、
検査して、その度に異常はありません異常はありませんと言われて、
避けることで、無感情、何も感じないようにすることで、
今日まで、生きてきました。
だけど、今回、こうやって思い立って、
もう一度振り返ってみようと思って、こうやって書いています。
まずこの頭痛なんですが、
発症したのは僕が19歳の時です。
浪人している時の思い出なんですが、
まず現役時代は僕はほぼ勉強せず、また塾にも通っていませんでした。
浪人は、そこそこ楽しく、またそこそこ気分が重かったです。
しかしこれは話が長くなるので詳しく書きませんが、
単純な道筋がそこにあって、また講師はその道筋の、案内役にすぎない人でしたから。
もう夏が終わる頃には、マーチぐらいは受かるなと思っていました。
僕はそこまで、絶対早慶に入りたいという気持ちはなく、
とりあえず東京の大学の、マーチぐらいに入れればいいなと思っていました。
それで予備校の模試を受けて、早慶が40~50%ぐらいの合格の確率でした。
それで夏以降はほぼ勉強していなかったのですが、
そして、この浪人の時の、たぶん11月頃、
発症した時は、現代文を確か解いていて、
その時はいつもと少し違って、
頭を思いっきりう~んう~んとしたらどうなるのかなと思って、
頭に少し力を込めました。
そしたら・・・、この頭痛が発症しました\(^^)/(オワタ。苦笑い)。
こうやって久しぶりに、発症の時を振り返ったのですが、
なんでそれで、こんな頭痛が発症するんでしょうね。
それでその日、その時、
なんだ、何が起こっているんだ、と思いました。
何か頭が重い、何か頭がぼんやりする、
だめだ頭がぼーっとして、あまり意識を保つことができない・・・・、
みたいな状態になりました。
こんなこと状態は経験したことがなかったので、
とりあえずその日から、1週間ぐらいは、
ずっと寝たきりだったと思います。
ちなみに予備校なんですが、
夏以降はほぼ行かなくなりました。
もうこれ以上、特に予備校で強化することはなくなっていました。
むしろ達観というか、
そこそこの偏差値はあるけれど、
もうこれ以上を上げるには、どうやっていいかいまいち分からず、
またもう変えよう、上げようにもないと思っていたので、
まあ、マーチぐらいの力はあるからそれでいいやと思っていました。
それで話戻して、
(寝たきりといっても、最低限の日常生活はしていましたが。
例えば食事とか、散歩とか。ただ頭が重いので、自分の部屋にいるときはもちろん勉強なんてできず、
ベッドで横になって、ラジオを聴いていた)
そのときは、いずれ治るだろうと思っていました。
それで、受験日までの2ヶ月間、全く勉強はしていませんでした。
なんか、なんか、う~ん、やばいな、この頭痛は、と思っていました。
ちなみにここまで、病院とかには行きませんでした。
また親にも言っていませんでした。
夏休みの終わり頃、親に今の僕の頭の現状を行って、
それで地元に戻って、医者巡り、病院巡りをしていくことになります。
11月に発症して、約半年後の9月まで親に言わなかった、
病院に行かなかったのは、
それをありえるとしてしまったら、
無くなってしまいそうで、
それに目を向けたくなかったから。
結果僕は、こうやって現在のように、ちゃんとした人生を送れなかったんだ。
このおよそ6年間、僕はとりあえず生き延びた。
しかしそれは、ほぼそのありえない頭痛を直視しないで、生きてきた。
だけど今回、こうやって、なぜか今日、これまでの僕を振り返っています。
話がかなり曲がったので、
書いていこうと思います。
by 犬飼
自分のことを書くよりも、他人の事を面白おかしく書く方がいいと思うよ。 「自分のことを書ける人」は結構いて、需給バランス的に完全に崩壊してるから…