2014-03-26

犬飼日記その4「現在も続く、この原因不明の慢性頭痛が発症した時」

前回のその3の、最後の文章の方に書いたのですが、

この日記では頭痛以外の僕の思い、日々感じていることも書いていきたいです。

たぶんそれらは、色々ズレていたり、狂っていたりしているから。

しかしその僕のそう日々思うことも、

まずこの僕の頭痛があってこそ、世の中が曲がって見てるので、

まずはこの頭痛について、直視して、書いていかないといけないよなあ・・・

実際僕は、この異常な頭痛が発症して、2~3年間様々な病院に行って、

検査して、その度に異常はありません異常はありませんと言われて、

原因が分からず、また病名も分からず、精神的に参って以降は、

この頭痛直視することを避けていました。

避けることで、無感情、何も感じないようにすることで、

今日まで、生きてきました。

だけど、今回、こうやって思い立って、

もう一度振り返ってみようと思って、こうやって書いています

まずこの頭痛なんですが、

発症したのは僕が19歳の時です。

僕は1年浪人しました。

その時にこの頭痛は発症しました。

なので僕は頭が痛い中で、受験したことになります

浪人している時の思い出なんですが、

僕は私立文系受験しました。

それで、私立文系大学を受けた人はわかると思うのですが、

ぶっちゃけ私立文系って、そこそこ楽だと思います

まず現役時代は僕はほぼ勉強せず、また塾にも通っていませんでした。

そして浪人します。

浪人は、そこそこ楽しく、またそこそこ気分が重かったです。

しかしこれは話が長くなるので詳しく書きませんが、

僕が学校(中学高校)というのが嫌いでした。

その学校と比べると、浪人の、塾通いは精神的に楽でした。

学校の様々な不条理と比べて、予備校大学合格するという、

単純な道筋がそこにあって、また講師はその道筋の、案内役にすぎない人でしたから。

それで浪人の時、予備校に通うのですが、ぶっちゃけ楽でした。

もう夏が終わる頃には、マーチぐらいは受かるなと思っていました。

僕はそこまで、絶対早慶に入りたいという気持ちはなく、

とりあえず東京大学の、マーチぐらいに入れればいいなと思っていました。

それで予備校模試を受けて、早慶が40~50%ぐらいの合格確率でした。

それで夏以降はほぼ勉強していなかったのですが、

そして、この浪人の時の、たぶん11月頃、

今も続いている頭痛が発症します。

発症した時は、現代文を確か解いていて、

その時はいつもと少し違って、

頭を思いっきりう~んう~んとしたらどうなるのかなと思って、

頭に少し力を込めました。

そしたら・・・、この頭痛が発症しました\(^^)/(オワタ苦笑い)。

こうやって久しぶりに、発症の時を振り返ったのですが、

なんでそれで、こんな頭痛が発症するんでしょうね。

それでその日、その時、

なんだ、何が起こっているんだ、と思いました。

何か頭が重い、何か頭がぼんやりする、

だめだ頭がぼーっとして、あまり意識を保つことができない・・・・、

みたいな状態になりました。

こんなこと状態は経験したことがなかったので、

とりあえずその日から、1週間ぐらいは、

ずっと寝たきりだったと思います

ちなみに予備校なんですが、

夏以降はほぼ行かなくなりました。

夏以降は過去問自分で解くことが多くなり、

また過去問を解くことによって自分の力量も分かり、

もうこれ以上、特に予備校で強化することはなくなっていました。

といっても、早慶レベル完璧というのではなく、

しろ達観というか、

自分受験勉強能力が、マーチレベルだなあと達観しました。

そこそこの偏差値はあるけれど、

もうこれ以上を上げるには、どうやっていいかいまいち分からず、

またもう変えよう、上げようにもないと思っていたので、

(現代文英語の、いわゆる論理力)

まあ、マーチぐらいの力はあるからそれでいいやと思っていました。

それで話戻して、

頭痛が発症してから、1週間ぐらいは、ずっと寝たきりでした。

(寝たきりといっても、最低限の日常生活はしていましたが。

例えば食事とか、散歩とか。ただ頭が重いので、自分の部屋にいるときはもちろん勉強なんてできず、

ベッドで横になって、ラジオを聴いていた)

そのときは、いずれ治るだろうと思っていました。

しかし、全然治らず。

それで、受験日までの2ヶ月間、全く勉強はしていませんでした。

というか、シャープペンも握ってないと思う。

なんか、なんか、う~ん、やばいな、この頭痛は、と思っていました。

ちなみにここまで、病院とかには行きませんでした。

また親にも言っていませんでした。

親に言って、病院に行くのは大学生になって、東京に行って、

夏休みの終わり頃、親に今の僕の頭の現状を行って、

それで地元に戻って、医者巡り、病院巡りをしていくことになります

11月に発症して、約半年後の9月まで親に言わなかった、

病院に行かなかったのは、

だって、”ありえないから”、こんなこと。

それをありえるとしてしまったら、

僕のこれからの、ちゃんとした人生健康人生が、

無くなってしまいそうで、

それに目を向けたくなかったから。

結果僕は、こうやって現在のように、ちゃんとした人生を送れなかったんだ。

僕の人生は、頭痛が発症した、あの時から止まっている。

このおよそ6年間、僕はとりあえず生き延びた。

しかしそれは、ほぼそのありえない頭痛直視しないで、生きてきた。

直視すると、とても耐えれるような状況じゃないから

だけど今回、こうやって、なぜか今日、これまでの僕を振り返っています

話がかなり曲がったので、

とりあえず次は、頭痛を発症したままの受験の時についてから

書いていこうと思います

by 犬飼

  • 自分のことを書くよりも、他人の事を面白おかしく書く方がいいと思うよ。 「自分のことを書ける人」は結構いて、需給バランス的に完全に崩壊してるから…

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