はてなキーワード: タブーとは
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などとおかしな自己紹介になってしまったのには理由がありまして。
というのも、わたしは人生を振り返った時、そのうちの半分は「自らがおかれた環境下で生きることにいっぱいいっぱいだった動物」だったというのを最近になって自覚したタイプの生き物だったからです。
この気付きから過去の記憶のフラッシュバックが止まらなくなり日常生活が滞ってしまった為、こうして書き出すことにしました。ネットの海に流して供養することが目的の記事になります。
友人や知り合いに吐き出せるような話ではないし、読んでいて気分が良くなるものでは決してないのと、あくまで「わたし」の為のごくごく個人的な文章であることを理解された上で読み進めてください。
また、精神的なネグレクトを受けたと感じた側からのお気持ちなどがあるので、そこら辺を見て落ち込みそう/気分を害しそうな人は見ない方がいいと思います。
書こうとしたはいいもののどこから話せばいいのかな……そうだ、きっかけですね!
これを思い返すことになったきっかけは兄を相手に家族の話をしたことだと思います。
わたしは兄と二人兄弟で、小さなころから同じ家で過ごしました。兄もわたしも所謂オタクを趣味にしていて、いつも何かしら共通の話題があり、この日もひょんなことから幼いころに感じていた家族についての話になりました。
この書き方だとあまりそういう風には見えないと思うのですが、兄とわたしが話すとき父についてのシリアスな会話はタブーのようなものでした(少なくともわたしはそう感じていました)。なのでこのときわたしは、もう2人で擦り合わせをする機会はこの先訪れないかもしれないと思い、勇気を出してシリアスな話を切り出しました。
真っ暗な井戸の底のほうまで下ろしたと重い桶を、慎重に引き上げていくような心地でした。
家族を構成するメンバーは祖母、父、母、兄、わたしの5人。祖父もいましたがわたしが幼いころに亡くなった為、「わたしの家族」と聞いてまず頭に浮かぶのはこの面子です。
兄と話していて思い出したのは毎晩の食卓のこと。始まりはいつも概ね穏やかな食事でしたが、時間が進むにつれわたしの緊張感は高まりました。
それはなぜか?
答えは「父と祖母の怒鳴りあいがいつ始まるかわからないから」です。
間に母が入り両者を宥めるところまでが1セットの物騒なコミュニケーションは、晩ご飯の時間中にどんなきっかけで始まるか、どのくらい続くか、何回起きるかなどわからない尽くしのハリケーンみたいな現象でした。
簡単な喜怒哀楽にうっすらとした自我をふりかけただけの「小さなわたし」にとって、父と祖母が行う激しい親子のコミュニケーションは「こわいこと」として分類されたんだと思います。それがほぼ毎日続くうち「一日の終わりに起こるうんざりすること」にもなったのは自然な流れだったんじゃないかな。繰り返し体験するうちにその特殊なコミュニケーションに巻き込まれるのも、火種になるのも嫌で、食卓の上で誰かに会話を振られても可もなく不可もない答えを返していたし、誰かの琴線にふれてしまわないよう、割とつねに気を張っていました。
自分の食事が終わるとすぐに「ごちそうさま」と言って食器を下げて、兄と一緒に別の部屋へ退散しました。まあ古い家だったので別の部屋へ逃げても怒鳴り声が聞こえてくるわけですけれども。
なぜにこにこと笑っている父や祖母が、一瞬で鬼の形相になってしまうのか。
「それはそういったコミュニケーションの形なんだよ。二人はちゃんと仲が良いから大丈夫、心配いらないよ。」
などとハグしてもらったり、教えてもらうきっかけもないまま体験する毎夜の嵐は、わたしの心を大変疲れさせたのではないでしょうか。(ないでしょうかってなんだよって自分でも思うんですが……そのころにあったであろう学校行事や友人とのこまかい記憶などがうすぼんやりとしか残っていない為「ないでしょうか」としか言いようがない……)
また怒鳴りあいのコミュニケーションは祖母と父の間だけではなく、父と母の間でも行われていました。父母の特殊コミュニケーションの日程は決まって土曜日曜祝日開催。つまり顔を合わせて長く話すようなことがあると、口論としてヒートアップしていったわけです。
小学校から帰ったら夜ご飯と共に家族が口論。土日祝日は両親の口論がランダム勃発、のちに夜ご飯でタイフーン上陸。
以後、このうんざりするようなタイムスケジュールはわたしが高校を卒業してから少しするまで延々、ずっと毎日、十数年続いていきます。
またここまで読んでうっすらとお気づきの方もいるかと思いますが、これはコミュニケーション値が大変低い家族の中でなるべくしてなり、起こるべくして起きた地獄でしかない日々の思い出を吐き出す記事でもあります。この先も気をつけてください。
そうなんですこの家族、全員が全員ともコミュニケーション数値がおそろしいほど低かった。
ここでいうコミュニケーション値が低いというのは「人との関わり方が上手くない」ということで、人に頼る方法での問題解決能力が著しく低いことを指します。
別の言い方をすると「感情を消化させることが不得意」であったり「困ったことは大体自分一人で解決しようとすること」にあたるのですが。なんとこの家族の祖母、父、母の3人が3人とも「本当に困った時は家族に相談せず自分一人で決断するタイプの人間」だったのです。
少なくとも小さい子供の前で困ったときに「困ったな~」と息抜きにでも呟くような人間がいませんでした。口下手なので子供の前でふざけることとか本当になーんにもしないの。かっこいい大人の背中を見て育てってか?え?口から言語を扱ってから言え!バーカバーカ!
失礼、話が逸れました。
それで、そんな大人の姿を見て育った「わたし」という子供はどうなったのか?
「家庭内で困ったことがあっても家族に相談してはいけないんだ」とすっかり思い込んでしまいました。
するとどうでしょう。自分が困ったときにどうしたらいいのかわからなくなり、解決の糸口がガチでわからず、何かあると問題には触れず解決を先送りにし、心に不安とわだかまりを抱えたまま癒しを時間に任せて過ごしていくことばかりを覚えていったのでした。
~おしまい~
……いやもちろんおしまいなんてことはなく、「わたし」の人生はそこで終わらず続いていったので、普通に人との接し方がよくわからない人型の喋る動物が大きくなっていっただけなんですが。(なんですかこれ、言葉にするとめちゃくちゃ怖いな……)
途中でなんとかならなかったのか?という問いには「残念ながら……」という回答しか差し上げられないんです。本当に。残念ながら。
そもそもなぜなんとかならなかったのか。
それは「わたしの自我が形成される期間中、親への信頼なくなったこと」が多分大きく関係しています。
わたしの両親は共働きで、週休2日の週5勤務。母は帰宅したら少し休憩をしてご飯作りを始め、父は帰ってきたら風呂に入ってご飯の前の晩酌をする。まさにひと昔の夫婦って感じでした。
これだけ書いたら「なんだ、普通の家族じゃん」って感じなんですが。ここに「夫婦はどちらも自分一人の時間がないとしんじゃうタイプの人間で、作業や趣味や息抜きも一人で没頭したいタイプ」、「なお2人は仕事でクタクタに疲れたコミュ障」という特性が加わると、どうなると思いますか?
結果をお伝えすると、2人の隙を見ては今日の出来事や楽しかったこと、悩み事などを話そうとしていた幼いわたしが、見えないシールドにはじき返されて転ぶばかりになりました。あと癇癪持ちの酔っ払い相手(酔った時に話したことは覚えていないタイプ)にする真剣な悩み相談ほど、面倒で参考にならないものはないですよね…。(遠い目)
また、このインターバルにも思える時間を逃すともうだめです。チャンスはありません。最初の方に書いた、いつ雷が落ちるかな?ドキドキ☆晩ご飯タイム()になってしまう為、まともにお話しできるような時間はおしまいです。解散!
そして「何よりもただただ話を聞いてほしかったわたし」はこのころの経験から、そういった方面での親への信頼をじわじわと減らしていきました。もともとの内向的な性格と、両親からいつ発せられるかわからない大きな声への苦手意識ゆえに、その不満を爆発させるような機会もなかった為だと思われます。我が子からのそういった信頼値がマイナスに傾いているなんて事実、両親は知らずに生きていることでしょう。わたしも今更そのころのことを知らせて、改めて地獄を見る気はまったく以てありません。
ちなみに、わたしは小さなころから「手のかからない」と評されてきたタイプなのですが、実情は「親への信頼度の低さゆえに何も話さなくなった子供」になります。
忘れられない話なのでついでにここに書きますが、高校性のころ三者面談で割と信頼していた担任が
「おたくのお子さんのように子供を育てるにはどうしたらいいですか?」
と父を持ち上げたとき
「いやあ、放っておいただけですよ。」
と照れ臭そうに答えた映像がいまだ焼き付いて離れないんですね。「心の底からやめたほうがいい。」と思ったけど、そのときにはもう心の開き方がよくわからない動物になっていたので(あと不意打ちのショックで)、そのことを担任には伝えられなかったことが心残りでならないです。
(他にも、親がわたしが子供のころの「手がかからなかったエピソード」を良き思い出のように話すのを聞く機会があると、心が荒れ狂って獣のようなかたちになってしまうんだよなあ。いつか本物の虎にならないよう注意します。)
あとこの記事を書くきっかけとして兄との対話がありましたが、兄曰く
ということだったので擦り合わせのようなものはかないませんでした。ちょっと残念でしたね。
こんな環境の下でグレる気力もなくしたわたしが、体だけはすくすくと立派に育ち、高校生くらいになった時の話でしょうか。
父が仕事で体調を崩し、自宅で過ごすことが多くなっていたころです。
いつものように休日を家で過ごしていた両親とわたしが昼食を食べていたとき。わたしにとって衝撃的な事件が起きました。
と言ったのです。
…………h、?は?
ハァ????????????????????????????????(フォントサイズ最大)(太字)(赤色)
と、そのときは思わず内心ではバチクソにブチ切れる若者になってしまいました。その後「えへへ…(照れ)///」みたいな態度を返した母に対してもです。
突然のことに(非常に残念ながら)体は驚き固まり動かず。突然見せつけられるリアルな夫婦の惚気(十数年間生きていて初めての!)とのにテンションの差でしにそうになりながら、息をするのがやっとだったわたしは、心の底から思いました。
その後わたしの遅めでささやかな反抗期「挨拶や会話を振られてもちゃんと返さない(面倒な人間を相手にぶつかり合うのが面倒になっている為こうなりました)」が発動されることとなりました。
また、今思い返してみればという話ではありますが。
わたしの両親は「限りなくマイペースで自分のペースが保てないとストレスを溜め爆発する」、「一人の時間がないとしんでしまうタイプ」、「作業や趣味や息抜きも一人で没頭したい人間」、「疲れるとコミュニケーションの余裕がなくなる(もともとのコミュニケーション許容量が多くない)」という属性のほか、
という隠れ属性を持っていたわけですね!すごい!
もっと早くに知らせてほしかったな~~~~~~~~~~泣きそう!!!!!!!!!!!!!(もう泣いてる)
幼い子供の前で十数年!ガチシリアスな雰囲気で怒鳴りあい時に片方と見ていた子供が不安で泣くようなギスギスした特殊コミュニケーションが?!痴話喧嘩だったなんてことあるか?!?!?!?!?!?!!!知るか~~~~~~~~い!!!!!!!も~帰らせていただきますわ~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!(実家が住む家)(秒で顔合わす)
ハァ……ハァ……
冒頭に書いた通りですが、最近になってやっと比較的ちゃんと人間としての心が正しく揺れ動くようになったので、これが「怒り」であり「悲しみ」だというのを”理解”して”発露”してしまいましたね。フフッ ウッカリウッカリ☆(棒読み)
そんなこんなでややダウナー気味の反抗期を迎え、両親との溝を更に深めたわたしですが、更なる問題が発生します。
私が大学に入ってすぐのころ、父が亡くなりました。
大病の末の結果なので、家族として心の準備はできていたと思っていたのですが、それでも誰かがいなくなるのは悲しいですね。
などと心から人間味のある言葉が出てくればよかったのですが、そんなことはなく。ただただ日々感じていたひとつ大きなプレッシャーから解放された自分の心を、不思議な目で眺めるわたしがいるだけの生活になりました。
特に大きく日常が変わることはなく、このまま過ごしていくと思っていました。しかしそのときわたしは気づいてしまった。
「あれ?もしかしてこの先もずっと生きなくちゃいけないのか……????」
そう、そこでわたしは「自分の人生に真剣に向き合うということをおろそかにしていた」ことに気づいてしまいました。
「家でプレッシャーを放ち続ける父母祖母のご機嫌を伺いその日その日を生きること(解放されるのは外出時と寝る時)」に人生の大半を費やしてきたわたしはどうも「自立する」、「新しいことに挑戦する」、「ペットを飼いたいと交渉する」など、両親との長めの話し合いが発生する場を悉く避けて通ってきたようです。本当に、ここまでまったくの無自覚でした。
まあ気づいたところで急に何かに目覚めるわけでもなく、まずもって気力がないので出来るわけでもありませんでしたが。「このままじゃいけない気がする」という漠然とした焦りから、映画や漫画、アニメなどの創作物に対し、心新たに触れるようになりました。(もともと漫画やアニメなどは好きで小さいころから見ていたんですが、日常からの逃避先がそこだった為か、内容を覚えていたりいなかったりするんですよね……記憶がない状態で楽しむアニメと漫画、めちゃくちゃ面白いよ!ヤッタネ☆)
その後なんやかんやで就職できて、何年か社会人を経験し、先輩や同僚にもまれたり気の合うゆかいなオタク友達との出会いがあったお陰で、やっと「人語を話すけど意思の疎通がはかれない人型の動物」から「たどたどしいがやろうと思えばなんとか意志の疎通がはかれる人型の動物」にクラスチェンジできました。
こんなクソ重いありがとうを直接伝えることは憚られるので、ここで叫ぶことをお許しください。
特にゆかいなオタク野郎のみんな~~有難うな~~~!!!これからも仲良くしてくれるよう頑張るよ~~~~!!!!!
相変わらず親に似てコミュニケーション容量が低いままではあるけど、それも含めてなんとかやってます。(しかしここまで来るのがあまりに長かったので、これまでに大変なご迷惑をお掛けした人のことを思うと、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいです。本当にすみません。もうこんな(わたしを始めとした)人間未満みたいなものに出会わないようにと祈っております。日々が穏やかで良いものでありますように。)
自分では上記にある辺りの激しめの感情はとっくに昇華されたものだと思っていたのですが、疲れて余裕がないときにバラエティなどを見て笑っている母をみると無性に苛立ち、シリアスに泣き出したくなってしまうときがあります。ちょっと危険だなぁと思っています。一種のボーダーラインだと思ってそういう時は寝て回復に努めるのですけれども。
この文章を書きながら全然昇華されてなくて自分でも笑ってしまいましたし、いつか本当に追い詰められた時に有事を引き起こしてしまうようなぼんやりとした予感があります。お金が貯まったらちゃんと離れて暮らそうと思います。お互いの為にもね。
また未だに「健康な精神状態で運営された家族という団体」への憧れは強くあるようで。
誰かが手掛けた創作物でキャラクターが心通わせる表現にふれると、あまりに眩しく尊く感じ涙を流したり、TLで健全なコミュニケーションが成立し、信頼関係が成り立ったご家族のアカウントを見かけると「本当に実在し(ていてくれ)たんだ」と感動してしまいます。なんか、アレだ……太陽の光に当たってぼんやりと、あたたかく眩しいなと感じるような瞬間に似ています。存在していてくれて本当に有難うございます。わたしが勝手に救われています。
繰り返しますがこの文章は、それなりに情緒が育ちその当時の感情の言語化、過去の振り返りおよび分析ができるようになってきた「わたし」が、その気づきとともに過去の自分の感情に圧し潰され、溢れだす記憶に涙が止まらなくなり、座り込んでしまった「わたし」のための個人主観の記事です。
今何かに苦しんでる「あなた」を追い詰めるためのものではないので、もしもここまで読んでちょっと苦しくなっちゃった人は、とりあえず体をあたたかくしてゆっくり休んでほしい。休んで。寝て忘れてね。どうぞお大事に。
ときどき思い出に苦しめられつつ、寝ずに一気にこれを打ったので、ところどころぐちゃぐちゃな文章になっていると思うのですが、ここまでお付き合いいただき本当に有難うございました!
こんなところまで読んでくれたあなたにも、ちょっと良いことがあるといいですね。
それでは。
正直有名中高一貫校・公立top高→東大の人は優秀だと思うけど、中堅校(偏差値六十くらい)→東大落ち現役早慶くらいの人も同じくらい優秀だと思ってて、それは
・中高一貫校は小学4年生くらいからお受験して親のガイド付きで受験してきてて逆に落ちるのがタブーなくらい。
・中堅校の人は中学3年くらいから勉強に目覚めて自力で勉強して這い上がってきた人。成長スピード的には上と同じか早いくらい
公立トップ校の人も大概親がガイドしている可能性は高いんだけど(だから公立トップに入れる)、中堅校から上がってくる人は親がガイドしないで自分で上がってくる系の人が多い印象。自分から塾行くとかそういう積極性がある。ただ家庭環境的に浪人できないとかそういうのが多々あるので、浪人して東大はきつい
東大に受かるか受からないかくらいの当落線の人でも、バックグラウンドは結構ある感じ。中高で怠けててギリギリ落ちた人と高校で勉強がっつりやってギリギリ引っかからなかった人は性質が全然違う。無論それらを全クリして東大にさっさと入っていく神童もいる
良いとか悪いとかじゃなくて。「これからは人を傷つけない笑い」とか聞いて考えた。
表現には「幅」がある。ある表現方法を規制されても、他の表現をすることは可能である。
しかしそれは幅を狭めているのは間違いない。だってタブーゾーンがあるんだから、その分は狭まっているのである。
「その分深堀すればよい」という人もいるが、それは詭弁だと思う。深掘りったって、そこには飽きがあるよ。一部のマニア向けならいいけど。そのなかでたまに光る石も拾えるけど、それって絶対数少ないよね。
で、幅が狭まると、今度は別のものが気になってくるよね。例えば不快指数が
とかあったとして、これ2000やべーだろとそれを規制する。まあそれはいい。
そうすると、次は50が気になってくるわけ。excelで表書いてみ。気になるから。
そうするとしばらくすると50を規制しようとするよね?以降繰り返し。どこかのごく細い幅に帰結する。その幅だって、小数点まで気になってくるかもね。
こんなこと大昔からわかってるはずで、だから規制って慎重にならなきゃならないね~みたいな話があったはず。(規制に慎重という理由はそれだけじゃないけど)
だけど、規制ってやっときゃ文句も出なくなるから、文句そんな言ってない人も「やりゃいいじゃん」でやっちゃうんだよね。
規制は麻薬なんだよね。そうしていつの間にかスッカスカの体になっちゃう。
でも悪いものを規制しないと、それはそれで肥大化して死んでしまう。
バランスが大事なんだよね。バランスってなに?主観でしかないよね。
規制ってのは、広くとって、好みともいえるよ。どつき漫才みて笑ってた人でも、ひとたびステレオタイプにさらされれば、もう逃げられない。同じもの見たって、「うーんこれはダメでしょ」となって笑えない。
ただ欲求だけは中々解消しないんだよね。そうするとアングラがどんどん膨らんでいく。はけ口がないからね。
アングラにも階層ができるかもしれない。地獄と大地獄みたいに。
でもアングラはアングラで、上にいるつもりのきれいなつもりの人々からは結局蓋されるんだよね。欲求は存在しているのに、あたかも無いかのように扱われる。
そうして抑圧の先に何があるのか?なんだろうね、新人類の誕生かな?
Bye-Bye ピープル。
https://www.youtube.com/watch?v=OrYEZu4avZ8
自分的にはかなり面白いのだが、後半に出てくる「女子大生記念」の意味がわからん奴が多いみたいなので、応援の意味も込めて解説する。
Twitterで「空きコマスタバなう」とつぶやき、フラペチーノの写真をアップして使うとよい。
基本的には泣いている様子を表している。
例えば、
「○○くんがイケメンすぎる、ぴえん」
とでも使っておけば間違いない。
このくらいはわかるだろう。
弱い方が悪いって話はなんとなくタブーだったのに女が復活させた
よく言われる言葉だ。
「相手は我慢せずに自分に要求ばかりしてくる」と思うこともある。
相手だって「自分の意見を通したい」わけだ。そりゃぁ喧嘩にもなるわ。
・譲歩する
・別の道を探す
・考えるのをやめる(現状維持)
それぞれのメリット、デメリットについてしっかりと考えてみる必要があると思う。
(その時に「前にあれしてあげた」などと過去話をするのはタブー)
相手が自分の意見に寄せることで、相手に何のメリットがあるのか。
今のままにしたらどんなメリットがあり、どんなデメリットがあるのか。
29年生きてきてやっと分かった。
相手を思いやれない人が存在し、その人が望むメリットを提示してあげないと動かないんだ。
面倒くさいなぁ。
久しぶりに「ほえる犬は噛まない」(以下犬噛)を見たら(2回目) 意外と「パラサイト」そっくりじゃん!と思ったので書く。
下書きなし。
・大枠…社会階層
上→→→→→下
犬噛:学長→→→大学同窓の先輩後輩→主人公コ・ユンジュ夫婦→パク・ヒョンナム(ペ・ドゥナ)とチャンミ≒ピョン警備員≒つば吐きおばさん(Granny,キム・ジング)→浮浪者(Shadowman、キム・レハ)
パラサイトは「格差社会」映画とよく言われるが、犬噛と併せて考えると「勝ち組と負け組」の映画と言った方が適切かもしれない。
犬噛の方には、上記のほか、パク・ヒョンナムの上位者としての団地管理人の上司たちがいる(勝ち組)。また、電車の中で物乞いをする肺病の親子も出てくる(負け組)。
主人公コ・ユンジュは文系の大学教員。真面目系クズ。同期(や後輩)が出世したり安定した生活をしているのに、ほぼ無職。子供のころは死ぬほど勉強すれば(するだけで)教授になれると思っていたが…
犬噛の最下層の住人は半地下の誕生日トラウマ全地下おじさんにビジュアル面では瓜二つである。
その予期せぬ登場がストーリー上の重要ポイントであるところも似ている。
違うのはShadowmanの方が知的障碍者である一方、誕生日トラウマおじさんは法律にも詳しいインテリであるところ。
さすがに現代で知的障碍者が殺人を犯しますよ、とか直球のタブーだからやむを得ない。
・夫婦仲
コ・ユンジュ夫婦は二人暮らしの家庭(妻は妊娠中) 上述のように人文系大学教員≒無収入の夫を銀行で働く妻の収入で支えている。
家庭内には明白なヒエラルキーがあり、妻の理不尽にも思える命令に反発しつつも逆らえない子供じみたダメ夫ユンジュの生態がおもしろおかしく(そしてかなしく)描かれるのが前半の流れである。
これはどこにでもいる普通のオタクが「金を払って観る悪夢」「SAN値チェッカー」と名高いカルト映画、CATSを観てきた感想文です。
ネタバレが盛大に含まれていますので、その辺りお気を付けて頂けると幸いです。
昨年12月の暮れに海外で一足早く上映が始まり、その評価を読み「絶対に見る」と心に決めて1ヶ月、私はようやく映画館へと足を踏み入れた。
やれポルノだの玉ねぎだのと聞いているので期待は最高潮、何しろ私はホラー映画が大好きで、そしてクソ映画が大好きです。
今日は一人で悪夢を観に来たことを忘れて売店で巨大なポップコーンとジュースを買い、はやる心を抑えながら入場開始を待つ。
上映前に最後に流れた「それでは、夢のある映画の旅をお楽しみください」のアナウンスは、この後の展開が「悪夢」であることを啓示しているかのようでした。
私はオタクの中でも日陰に生きる人間でありますゆえ、正直CATS本編と同じくらい実写オタ恋のCMも滅茶苦茶キツかったんですが、この辺りについては口を閉ざし静かにスクリーンへと目を向けます。
劇場の照明が落ち、暗闇の中映るのは夜空。
猫の映画ですよ〜!という事を示唆するかのごとき可愛らしい雲、ここからどうなるのか期待が高まります。ちなみにここが唯一ここからの110分の中で「これは猫だな」と理解できた部分になります。
さて、開始して1分ほどですがここで早くも私の脳は処理の限界に達してしまいました。
ドラクエIIIの夜のピラミッドのBGMを不協和音にしたようなBGMが流れる中、夜の街を闊歩するのは人間によく似た体躯にうっすらと全身毛のテクスチャを重ねた「何か」。
一瞬、誤ってメイドインアビスのシアターに来てしまったのかなと思いました。人間性の喪失の結果と言われれば納得も出来るのですが、そもそもこれは「人間」では無く「猫」らしいんですね。
BGMの中、四つん這いの合成獣(キメラ)の集団が道路をぐるぐる回る姿はムカデ人間の続編かと錯覚を覚える絵面ですが、その中心で蠢く頭陀袋も嫌な予感しかしないし、案の定悪夢が飛び出すし、今の所パンドラの箱なのですが果たして最後に希望は飛び出してくるのでしょうかね。
そう言えば海外の評判ではやたらと性的な印象がありましたが、ただでさえ限りなく全裸に近い全裸なのに動きがこう猫々しいしやたらと柔軟性をアピールするし妙に動物的な飲食シーンを盛り込んでくるし、観客の無意識の奥底にあるなんらかの性的衝動を呼び起こそうとしてるのかなって感じは分かるんですけど。ですが、残念ながら扉のノックの仕方がシャイニングのジャック・ニコルソンなんですよね。へただなぁ…欲望の解放のさせ方がへた…こんなんじゃ歴戦のケモナーだって裸足で逃げて行きますよ。
さてなんの説明もないままに話は進み、ジャ…ジェ…?なんか分からないけど固有名詞がいっぱい出てくる、完全にルシがファルシでパージ状態。私は原作のCATSを知らないので、知ってたら話の流れが分かるんですかね?知ってたら開幕1分で席を立ちそうですけども。
さて墓場で歌って踊るシーンではふとBloodborneを思い出しましたが、ひょっとしたらこの夜は獣狩りの夜だったのかもしれません。私の啓蒙も爆上がりしていきます。
トイレで歌うシーンは真っ先にトレインスポッティングを思い出しましたし、ひょっとしたらこの映画も薬でぶっトんでる狂人の見た夢かもしれないし、狂ってるのは私だったのかもしれないと思い始めました。
まだ始まって30分も経ってないんですけど。あんな猫やこんな猫の説明を歌っているけど私にとっては全てが邪悪なモンスターにしか見えない。
さて、かく言う私もだんだんと目と心が慣れてきました。
感覚的に言うと「有色はマシ」「服あると相当マシ」「全裸はほんとキツい」「白系マジで無理」、要するにヒロイン枠の生物が一番キツい。黒人の敵とマジシャンが比較的視覚へのダメージが少ない。それだけで若干好きになる、だから頼むから帽子を脱ぐなコートを脱ぐな。あと手先と足先が人間なのがマジで拒否反応を起こす、黒人の手の平が肌色なのでも認知が「?」ってなるのにこの生き物の手足見てると「??????????????????」ってなる。かといって靴だけ履いてるのも異常なんですけど、タップダンスだけ見たら凄い出来なのに他の全てが恐怖。
あと衣類については黒人っぽいキメラが首からbling-blingなおさかなネックレス下げてるのは良いなと思いました(数少ないポジティブな感想)。
この作品、猫だけでなくGの者等も等しくキメラになっているとの話はうっすら聞いていたのですが、正直全裸じゃないし着ぐるみっぽさあるからこっちの方がだいぶマシではあったんですけど、喰い始めた時は流石に驚愕のあまりポップコーン食う手が止まりました。
ネズミとか、子役?っぽく見えたんですけどこれを見たご両親は「可愛い〜💕」「◯◯ちゃんの演技最高〜!」って思うのでしょうか、人生開始してまだ間もないのにこのような罰を受けるのはあまりに酷ではないでしょうか。
あと犬の存在が示唆されているのに画面に映らなかったの、犬はキメラじゃなく犬ですよってことなんですかね?製作陣や太いスポンサーの中に敬虔な犬好きでも居たんでしょうか。なんにせよ、助かった動物が居るのは良いことですね。
個人的に認知的不協和を感じるポイント、デザインや動き以上に「大きさ」があるんですけども。人間の体躯に猫の動き、街並みは人間の大きさの中で人間らしき体躯の生き物が「猫のサイズと言うには高さは合っていても細身すぎて違和感」で「人間とは思えない位小さい」姿で街を這い回り走り回る。人間の脳には大きさや距離感を自動的に調節してピントを合わせる機能があるはずなんですけどそれが全部ぶっ壊れる。
脳の機能に直接影響する映画、感覚にダイレクトに伝えてくるこの作品はいっそ4dxでも上映してほしい。余談ですが私はこれを観ながら「TOHOシネマズ限定のかっぱえびせんポップコーン」を食べていたので、こいつらがゴミ箱から拾ったエビ食うシーンでセルフで臭覚で新感覚の映画体験をしてしまい大変不愉快な思いを致しました。
定期的にあったのですが、このキメラ達が猫の鳴き声で「ミャー」とか「ニャーン」とか鳴くのがかなりキツい。というか主役級は顔がアップになったりすることが多くて「あー、人間の顔と身体した獣のキメラだなぁ」って思えるんだけど、ヒキで後ろに映ってるその他大勢がヤバい。意味不明な物体が四つ足で這い回ってる、フォーカスが手前に当たってるせいでぼんやりとボケた画面の奥で蠢いている人間ではない何か。私が観てたのってひょっとしてサイレントヒルだった?と誤認してしまいそうだし、私は悩める私に胸を張って「違うよ、CATSだよ」って言ってあげられない。
そこそこ話が進んでもストーリーか理解できない。一番歌と踊りが上手い奴が選ばれるオーディションなのは分かるけど、選ばれたら転生って死ぬやつじゃん?あと黒人男性なんでよく分からない魔法使ってるの?確かに猫よりは魔獣って感じだけど、それやるとますます猫の概念から遠ざかるよ。観ていてふと私が思い出したのは「悪魔ネコ」でした、懐かしいですね。
ところでこいつら猫?ってことは乳首6つあるんですよねってふと思って心底ゾッとしたし、この時点で完全に食欲を失っているのでポップコーンは封を閉じられている。
この時点で唯一覚えてる名前がヴィクトリアだけだし、ヴィクトリアったら捨てられた飼い猫割には異様に順応高いな…こうやってこの映画に慣れてきてる自分もひょっとしたら既にヴィクトリアなのかもしれない…と正気を失っていたら家無き捨て猫で「子猫」であることが発覚したのですが、私の中の子猫の概念がグチャグチャのベコベコに狂うのでこの件については早めに酒飲んで忘れようと思いました。
さて、物語の結末、私の刑期の終わり近付いて来ました。
ゲイビの男優かインナー無くしたマリオみたいな格好のキメラが踊ったり、黒人キメラがコートも帽子も脱いだせいで一瞬マジで全裸かと目を疑いましたがそんなことは無く。あとヤク中の流れあったんでやっぱりヤク中の見る夢だったオチも考えたのですが残念ながら物語は大団円へと向かいます。
マジシャンが無茶振りされる流れ観てると「いじめか?」と思いますが天下のハリウッドがそんなことをするわけが無いのです、ちゃんとなんとかなりハッピー的なエンドです。
ここまで観ていて、ストーリーの中の時間が夜から夜明けまでで12時間も経っていないことに恐怖を感じる。映画も2時間足らずだし、体感的には6時間くらい苦しんでるんだけど。
最後の最後に、老いた猫は画面のこちら側ん見据えてこう言います。
これは、ここまでこの映画を観続けた私にとって実質「死刑判決」でした。啓蒙が上がり過ぎて狂ってしまいました、私は人間のつもりだったけれど、実は限りなく画面の中の生き物によく似た「なにか」であると告知されました。
ホラーにある「次はお前だ」的なアレであり、告発やシリアスな社会派にある「他人事ではないぞ」みたいなアレを感じます。あと夜闇に紛れた姿も怖かったけど朝日の下よりは大分マシだったみたいです。朝日の下のキメラ達は、エグいアダルト作品を観た時のような性的興奮よりも先にショックに殴られる感覚がありました。もうこの辺りは感想をメモすることも忘れました。
しかしまぁ終わってみて改めて考えると、歌のクオリティは当然の如く相当高かったです。私はあのビジュアルで日本語でミュージカルやられると「理解できないおぞましいものを無理やり理解させられる」感覚に負けて脳が爆発四散してしまいそうだったので字幕で観ましたが、吹き替えの役者さんが好きな方は吹き替えで観ても良いのではないでしょうか。あの生き物達が好きな人間の声帯で歌い喋っている姿を観て立っていられるのならばですけども。
一言で感想をまとめるなら、「目を瞑って観たらそこそこ満足度の高いミュージカル」だと思います。ただ残念ながら、目を開けると死んでしまうので気を付けてください。神話にありがちな奴ですね。
見るなのタブーだと思えば納得できる作品です、いや無理だできねぇな。
ここまで色々書きましたが、最期まで走った身としては「マジシャンの猫ならギリ抱ける」と思いました。
どうやら私も完全に狂ってしまったみたいです、その内全身の皮膚に薄ら毛が生えてきて服を脱ぎ捨て夜の裏路地に四つ足で走って行くでしょう。まだ日本語を語れる今の内に、これにて文面を終えようと思います。